2017年4月15日土曜日

京都の桜

朝、新幹線で出発したKさんと私は京都に立ち寄った。
平安神宮に桜を見に行こうというので。
その日の桜は完璧な満開で、風が吹いてもほとんど散ることはない。
平安神宮の社と満開の桜は、穏やかな春の日にやさしく寄り添っているようだった。
河岸の美術館のカフェでお茶を飲んだ。
休憩後は蹴上の南禅寺へ向かう。
南禅寺も観光客が少なく静かな散策が楽しめた。
蹴上インクラインという船を引き上げるためのレールの敷いてある場所があって、その両脇には見事な桜並木がある。
そこも散り始める寸前の、完璧な満開。
人々は歩きにくいレールの間の敷石に足を取られながら、はしゃいでいた。
今年の開花予報が外れて1週間遅い満開となったためか、観光客も少ない。
たぶん先週が花見客のピークだったのではないか。
花が咲いていなくてがっかりして帰ったかもしれない。
私たちはそのおかげで、静かで豪華な花見をさせてもらった。

京都は良いお天気で花爛漫、絶好の花見日和。
それでも今回は古都奈良が目的なので、南禅寺付近を散策してから近鉄に乗る。
弦楽器工房に寄っている暇はないので、又の機会にと諦めた。
同行者のKさんは京都に詳しいけれど、奈良には修学旅行以来行ったことがないという。
私も同じようなもので、時々仕事の帰り道に寄るとか仕事に行ったりということはあったけれど、観光目的ではなかったから、ほとんど名所は見ていない。
中学校の修学旅行の時、一番印象に残ったお寺は唐招提寺。
今回もぜひ行ってみたい。
若い時の印象と今のそれとどう違うのか、見てみたいという思いもある。

京都から小一時間、日は暮れてあたりは真っ暗。
泊めていただく予定のHさんの奥様に電話すると、駅からの道の説明をしてくれた。
あちらからも家を出てこちらに向かうというから、同行者のKさんと二人でカエルの鳴く叢を過ぎてトボトボ歩いて行ったけれど、一向にそれらしい人影はない。
そこへ携帯に着信があった。
私が聞き間違えて方角違いに歩いたらしい。
やっと会えて案内されたのは、見事な古民家。

巨木の梁が高い天井に何本も張り巡らされ、現代の大工さんの技術では到底無理と思える建屋。
瓦屋根が幾層にも重なって、かまどのある土間の煙の排出口が、小さな天守閣のようにしつらえてある。
広い土間から中庭のある元下男小屋に灯りが点いていて、そこにご当主のHさんが満面の笑顔で出迎えてくれた。
あまりにも沢山の修理が必要なので、とりあえず一番狭い下男部屋を住めるようにして、ご夫婦はそこに住んでいる。
あとは手つかずのままで、どの様に修理しなければならないか、あるいは修理する人を確保するかが大問題となっている。
莫大な費用が掛かるので壊してしまえば簡単なのだが、保存しておきたい気持ちが強いという。
素晴らしい民家なので、この土地で再利用できる様にしたいらしい。

ほかに二人、とても背の高い男性のKさん、チャーミングな若い女性のSさん。
初対面の挨拶もそこそこに話題は核心へと入る。
その二人はカップルだと思ったら、今日初対面だという。
男性のKさんは経済学が専門の起業家。
この古民家をイベントやコンサートに使用できないかと、模索しているという。
当主のHさんとは2年前からのお付き合いらしい。
女性のSさんは名古屋在住のダンサー。
元新体操の選手だったそうで、古民家に非常な関心を示し、できれば住みたいと思っている。
それで色々な道筋から、この古民家にたどり着いたという。
彼女はその日のうちに自宅に帰るつもりだったけれど、私たちと一緒に泊まることとなった。
しかも男性のKさんの口から、私の親類筋の名前が出るという驚きの出会い。
まさに出会うべくして出会ったと皆驚きを隠せない。
この古い家が我々を引き寄せたようだ。

夜食の用意ができる前にスーパー銭湯に宿泊客4人で行くことになって、真っ暗な道を車で30分ほど走る。
湯上りにコーヒー牛乳という定番のコースを終えて、もと来た道を走る。
沢山料理が用意されていて会話も弾み、花の宴は夜更けまで続いた。
広い屋敷は住む人もなく荒れ果てていたので、使える部屋が限られている。
私とKさんは離れの一番奥の部屋で、男性のKさんは上がり框の控えの間の次の座敷で、ダンスのSさんはかつて明治天皇が泊まったという竹の間で、それぞれぐっすりと眠った。

翌朝は突然の大音響のチャイムでびっくりして飛び起きた。
ヤシの実のメロディーが村中に響き渡るのは毎日のことだという。
脳天をガツンとやられたみたいで、絶対に朝寝ができないようになっている。
あまりの空気の冷たさに布団から出られない。
この家は雨戸も隙間だらけ障子もうまく閉まらないから、外気は容赦なく家の中に侵入してくる。
朝食後、ダンスのSさんを駅まで見送る。
もう一晩泊まれば?なんて私は自分の家ででもあるかのように勧めたけれど、彼女は次の日のステージの衣装を自宅に置いてきてしまったというので、しぶしぶ別れを告げた。
この家は駅からほんの目と鼻の先の距離で、この家の先々代がこの地に鉄道が引かれるときに、自分の家のそばを通るように鉄道会社に掛け合って、こうなったという。
どれだけ実力者だったのか。
皆の万歳に送られてSさんは帰っていった。

Hさんの案内で家の中を見て回る。
昨夜それぞれが寝た部屋の他にも、納戸や生薬を調合するための部屋、帳簿をつける部屋、農具を置く土間、広い台所。
古い農機具や様々な生活用品に占領されて、なかなか後か片付けができないと嘆くHさんの奥さんのTさん。
見ていると一日中休む暇なく働いている。
2階の屋根裏部屋は趣があって、そこに男性のKさんは住みたいという。
ほかにもたくさんの部屋があるけれどあまりにも傷みが激しく、まずは屋根瓦の葺き替えが2000万円を超えるというので、気の遠くなるような話。
瓦の下に土が入っていて、それが温度調節の役割を果たしている。
その土を入れなければ費用は抑えられるけれど、夏暑く冬寒くなってしまう。
その技術を残したいという気持ちもあるという。

家を見たあとはH家の竹藪でタケノコ狩り。
ネコ車にタケノコ堀の道具を積んで、地下足袋をはいたHさんに案内されてすぐに竹藪に到着。
「日本一地下足袋が似合うヴィオラ弾き」と自慢するHさん。
なるほど、本当によく似合う。
良く手入れされた竹の間にわずかに土から顔を出しているタケノコを見つけると、Hさんがクワやタケノコ堀のための道具を使って、大きなタケノコをいくつも掘ってくれた。
掘ったばかりのタケノコを切ってわさび醤油でいただくと、かすかなえぐみとほのかな甘さが一体となる。
そよぐ風と鶯の鳴き声、暖かい日差しは郷愁を誘う。
あぜ道に咲く草花も昔懐かしい。
日本の田園風景はほんとうにやさしい。

午後からは、男性のKさんの運転する車で出かけた。
彼は日本人離れした長身で、時々光の加減で目が青く澄んで見える。
遠い祖先に外国人がかかわっていたのではないかと思う。
神道や古武道にも詳しく、かと言って国粋主義ではない。
純粋で霊感の強そうな、私とは正反対でありながら、もう一つの端で通じているような不思議な雰囲気を持っている。

目指すは吉野の桜。
Tさんはその前に神馬が2頭いる神社に寄って日本酒を寄進するという。
馬と聞いて私は喜んだ。
着いたのは山も奥まった古びた神社。
なるほど白馬と黒馬が2頭いたけれど、可哀想に手入れが悪く元気がない。
白馬に近寄って鼻面を撫でると、あまり可愛がられていないと思える馬は迷惑そう。
それでもしばらくすると甘えるようになってきた。
見ればお尻のあたりから腿にかけて、薄茶色に汚れている。
これはなにかと神社の人に訊くと、馬房に敷いてある砂の汚れが寝ころんだ時に付いたのだという。
ご神馬でしょうに、もう少しちゃんと手入れをしてあげてほしいなあ。

近くの吉野線の駅まで送ってもらって、私と同行者のKさんは吉野桜を目指した。


















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