2017年4月20日木曜日

響き合う

かつてのオーケストラ仲間が会いたいと言ってきたので、日野付近まで車で出かけた。
私の車のナビはいつも本当におバカさんで、一体どうしたらこんな変なコースをとるのか訊いてみたいと思っている。
たぶん距離的に一番近いとか、時間的に早いとか基準があってインプットされているのだとは思うけれど、腹が立つほどひどいコースをとる。
例えば私の家から羽田に行く場合、多摩川に沿って六郷あたりを行けば、ほとんど渋滞にも遭わずなんなく行ける。
羽田に行くときどんな道を選ぶのか興味があって、ナビをセットしてみたことがある。
驚いたことに混む道路ばかり選ぶうえ、踏切を数か所通過。
自分で道を選択する場合、踏切などは一番避けたいところなのに、このナビは踏切がやたらに好きなようだ。
うんざりするほど時間がかかった。

今日も府中、国立までは土地勘があるので、最初はナビなしで行こうかと考えた。
それでも日野付近はよく知らないので、ナビをセット。
自分がよく通っている道を走っていると、ナビがやかましく進路変更を迫ってくる。
ちょうど半分あたりまで来た時に、そろそろナビのいうことを聞こうかと言う気持ちになったのが、間違いのもとだった。

そこまではナビが示している予定時間を大幅に短縮していたから、たまにはほかの道を通ってみようかと。
すると、なんだか遠回りさせられて、その上ナビの大好きな踏切が早速お出迎え。
調布の駅前の混雑したところを走らされ、結局現地到着はナビのもくろみ通りとなってしまった。

友人のHさんは、古いガクタイ仲間。
いつも二人でつるんでなにかしらアンサンブルをやっていた。
ツーと言えばニャーの関係だった。
今回はハルボルセンのパッサカリアを合わせたいと言ってきたので、日野くんだりまでナビに騙されながらのドライブとなった。

お宅に着くとハルボルセンはそっちのけで、話に花が咲く。
私がオーケストラをやめてからウン十年。
その間2,3回は会っていても長く話すことはできなかった。
それなのに、昨日までの話題を今日も話すというように、まったく時空を超えてのつながりが途切れていない。
これができる人とできない人がいるけれど、彼女は全く違和感なく昨日の話しの続きをできるという感じ。

コーヒーをいただいて歓迎ムードの中で流されないように、さあ始めましょうと言ってみる。
前夜、私の飼い猫の具合が悪くて何回も吐くので、心配で眠れなかった。
今朝動物病院に電話をして医師に相談すると、エサを食べてそれを吐かなければ大丈夫と言われ、少し安心して出てきた。
それでも万一のことがあるかもしれないし、明日は別のコンサートのピアノ合わせがあるので、少し早めに家に帰りたかった。

練習はとても面白かった。
私たちは様々な人たちとアンサンブルをする。
仕事によってメンバーはその時々に変わる。
マネージャーが頼むこともあればこちらから希望を言って頼むこともある。
仕事とあれば気の合う人とだけ合わせるわけには、いかないこともある。
特にリズム感の違う人、音程の取り方が微妙に違う人とは、すったもんだする。
反対に数回合わせれば、お互いに納得できる人もいる。
それがHさんなのだ。

回を重ねると、響きもテンポも、二人の阿吽の呼吸で揃えることができる。
先日亡くなった鳩山さんも、合わせの天才。
ヴァイオリンで会話しているようになる。
言葉で決めなくても、相手に少しの動きがあれば、影のようにぴったりとついていける。
先日亡くなったピアニストの美智子さんもその一人。

要するに相手の音が聞けないようでは合わせられない。
すべての基礎が聞くことから始まる。

だから耳の故障は音楽家にとって一大事。
Hさんは突発性難聴になってオーケストラをやめた。
聴力は戻ったものの、耳鳴りがひどいというから、本当につらいことだと思う。
私も働きすぎていたころはひどい耳鳴りがしていた。
けれど、人生には本当に頑張らなければいけない時期がある。
耳鳴りがしていたころは、私はひどいストレスを抱えていた。
突然死覚悟のうえで働いていたけれど、その修羅場が終わってみれば耳鳴りは収まってしまった。
Hさんも様々なストレスを抱えていたために、耳鳴りを背負い込んでしまったらしい。

オーケストラの組織の中で長年働くのは、本当に忍耐がいると思う。
演奏の緊張と人間関係の緊張で、壊れていく人を何人も見てきた。
普通の職場と違うのは、会社にいる時間だけで仕事が済まないこと。
就業時間が終わるとお休み・・・とはいかない。

次のコンサートのための個人練習と、自分のスキルのための生涯終わることのない練習が、休日をほとんどなくしてしまう。
本当に厳しい仕事を選んでしまったものだと思う。

ハルボルセンのパッサカリアは非常によくできていて、チェロとヴァイオリン・ヴィオラとヴァイオリンという2種類の編成で演奏される。
チェロ2本で演奏している動画にも時々お目にかかる。
ヴァイオリン2本で弾く版も楽譜が出版されているらしいけれど、ヴァイオリン2本では重厚な和音が出ないと思う。

「このヴィオラ、すごい安物なのよ」と言ってHさんが弾くヴィオラは豊かに響く。
その上に乗ってヒラヒラ弾くのがヴァイオリン。
琴瑟相和すというと意味が少し変わってしまうが、よく合った楽器の響きはまさにそんな言葉が思い起こされる。
次回はプロコフィエフのデュオ(これはヴァイオリン2本)の約束をした。
これは難しい。
長い空白を経ても私と弾きたいと言ってくれる人がいることが、なによりも嬉しい。

帰り道はナビをやめてみた。
なんのことはない、往きよりもずっと時短になった。
踏切なんて全く通る必要もない。
踏切の好きなナビって変だなあ。









































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