2017年4月15日土曜日

吉野の桜と阿修羅

吉野山は吉野駅からガタガタとケーブルで少し上がる。
そこから両脇に土産店のある狭い道を抜ける。
その先からは土産店、食事処などは片方の崖側にだけになる。
その崖の向うが桜の山が見えるはずなのに、それらが邪魔で店に上がらないと見えない。
車がやっとすれ違えるほどの狭い道を歩いて上る。
かなり登って見晴らしの良いところに出たとたん、薄い桜色に染まった景色が開ける。
少し遅い時間だったので柔らかな夕日に照り映えて、山肌を埋め尽くす花が煙るように、朧な夢のような世界が眼下に広がった。
息をのむほど美しい。
漱石の道草の非人情の世界。

ガタガタと下りのケーブルは危なっかし気に、吉野駅まで運んでくれた。
後から乗り込んできた女性が、これは飛ぶんですか?と発車駅の人に尋ねている。
往きには乗らなかったのかなあ?
飛びはしないけれど、宙には浮きますよ。
大丈夫ですよと言うと、高いところがダメなのでと言う。
言っているわりには下の景色の写真を撮りに、危なっかしげに階段から覗き込んでいる。
下に着いて、大丈夫だったでしょう?と言うと、ええ、怖くなかったと元気に答える。

古民家にはとっぷりと暮れてから帰り着いた。
男性のKさんは東京の大学で講義をするため翌朝早く出発するそうで、早めに宴は終わった。
次の朝も大音響のヤシの実に起こされた。
荷物を宅急便で送って身軽になり、ご夫婦に別れを告げて、古都奈良へと出かけた。

まず、近鉄橿原線で西ノ京へ。
たびたびの災害を受けた薬師寺は高田好胤管主が白鳳伽藍復興を発願、昭和の時代に復興の手立てとして多くの人の写経勧進によって再興されたとある。

高田好胤管主は以前「題名のない音楽会」にたびたび出演された。
こんなところに出ているなんて世俗的なと、そのころは否定的だったけれど、白鳳伽藍の再建のために人々にアピールするために出ていたのかと、今、やっと納得した。
申し訳ない。
金堂には薬師如来を中心に、日光菩薩、月光菩薩が並んでいる。
日光、月光菩薩は対照的に腰を横にくねらせたポーズをとっているのが、とても優雅で美しい。
玄奘三蔵院伽藍は三蔵法師の仏舎利と、大東西域壁画殿には平山郁夫画伯の壁画が展示されていて、観光客もまばらなのでゆっくりと拝見した。

次は私の修学旅行で感激した記憶のある唐招提寺。

久しぶりの金堂は記憶よりも狭かった。
子供のころ見たものはなんでも少し大きめに記憶される。
それでも私はその当時から今の身長だったので、視線の高さは変わらないはず。
じっくりと写真と見比べると、写真は以前のものらしく、両側の木が小さい。
今は木が迫ってきて視界を狭くしているのがわかった。
これで納得。
当時の感激はそのまま同じだった。
ここだけ別世界で、ゆっくりと時が止まっているように思える。
しばらく佇んで見入っていた。
この場を離れたくない。

奈良に向かうため尼辻駅を目指して歩いていると、不思議な池に出た。
池の中には古墳らしき小島があって、そこは垂仁天皇の御陵だった。
そよそよと春風の吹く中で陽を浴びながら見入っていると、悠久の時の流れを感じる。

尼辻駅から大和西大寺駅へ、そこから乗り換えて近鉄奈良駅に到着。
あっという間に修学旅行や外国人の団体に、もまれる。
駅を出るとすぐ興福寺。
猿沢の池から興福寺の五重塔を眺める。
池の周りにも多くの外国人観光客の姿があって、ロシア?チェコ?言葉を聞きながら歩く。

そのころには私の足はもう限界に近いほど疲れていた。
同行のKさんは全くケロッとしている。
恐ろしく健脚なのだ。前日前々日と歩き回っているのに、少しも足は痛くないという。
ほんの3歳ほどの年の差で、これほど差が出るのは、精神力の違いか、私がとびぬけて筋肉が弱いのか。
好奇心も研究心も人並み外れているので、今回の奈良見物も彼女が地図を片手に調べてくれる。
私はいつものことだけれど、何もせずにぐちぐちと泣き言をいう係。

猿沢の池で少し休んだので、気力を振り絞って次の目的の阿修羅像にご対面することに。
興福寺国宝特別公開で仏像が公開されている。
これは本当に幸運だった。

並みいる仏様の中で、阿修羅はまるで少年のように初々しく立っていた。
細身の体に繊細なひだのある着物、首からは領巾のような細い布が流れている。
手は6本、お顔は3つ、正面の顔はまだあどけない。
右後ろの顔はちょっと女性的なふっくらとした、左後ろは厳しい男性のような。
阿修羅は戦いの神様だそうだけれど、仏教に帰依して守護神になったと解説。
それならもう少し戦闘的なのかと思うのだが、この阿修羅像は若木のような瑞々しさがあって、心なしか悲しそうにも見える。
両脇の顔が本当の顔といえるのかもしれない。
多くの仏像の中で、そこにだけ光が当たっているように、輝いていた。
重量感のある仏像軍のなかで、とびぬけて優雅で芸術性が高いからかもしれない。

すっかり満足して帰路の新幹線に乗った。

改めての大和人の魂を感じた貴重な体験となった。
お誘いくださったHご夫妻には感謝!
すこしでも古民家再生のお手伝いができないかと模索中。
幸い人脈豊富なnekotamaだから、あちらこちらに手を伸ばして皆さんに助けていただこうと思う。
なによりも軍資金。
こういう時に自分が貧乏なのが情けないと思う。
これ、使って!とポンと一億くらい出せたらいいのに。

















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