多少(?)メタボチックかもしれない。
コンサートの準備に追われていた半年ほど前は少し痩せて、服のサイズが一段下がった。
それで慌ててサイズの小さい服を買ったら、なんのことはないすぐに太って元の木阿弥。
今や以前にもまして体重増加の一途を辿っている。
この「元の木阿弥」の意味はご存知かな?
一旦良くなったものが元の状態に戻ることをいう。
戦国時代、大和郡山の城主、筒井順昭が亡くなった。
息子の順慶はまだ幼少だったために、順昭に姿が似ている木阿弥を替え玉にして寝室に寝かせ、城主の死を隠した。
3年後順慶が成人したために順昭の死を公表し、木阿弥は御用済みとなり、元の木阿弥に戻ったという説が最も有力とされる。
それではもう一つ。
「呉下の阿蒙にあらず」
「呉下の阿蒙」とはいつまでも進歩しない人のこと。同義語は「旧態依然」
中国の三国志の時代、呉の武将の呂蒙は武勇一点張りだった。
呉の主の孫権は彼に武勇だけでなく学問も修めたほうが良いと助言した。
主人の助言に従って猛勉強した呂蒙は高い教養と見識を持つに至る。
彼は「日々努力をしているものは3日も会わなければ目をみはるほど進歩をするものだ」と言ったそうで、そこから「呉下の阿蒙にあらず」すなわち呉のおバカちゃんではないと言う言葉が生まれたという。
この2つの言葉をつなげると私になる。
ただし、呉下の阿蒙のほうは「あらず」が付かない。
太るとウエストがきつくなって服が着られなくなるのを良く知っているのに、せっかく痩せても甘いものが我慢できずに太り、元の木阿弥。
それで「(呉下の)阿蒙」である。
阿蒙(蒙はバカ、阿は~ちゃん)要するにおバカちゃんとでもいう意味だそうで。
何回ダイエットしても又太る、ああ、もう、進歩のない人は私です。
こんな言葉遊びをするほど今は余裕綽々。
普段遊び呆けて、本番が近くなると真っ青になって練習すると言うところが「阿蒙」
これで、日々着々と練習を重ねていれば3日も会わないと目をみはるほど上手くなるなんて夢のまた夢。
何十年練習してもド下手のまま。
自分でもため息が出るほど進歩がない。
今年はまだこれでも頑張ったほうです。
体力、気力ともに衰える年代になって、なんとか演奏を続けている。
その代わり、疲労困憊。
やっと復活してそろそろヴァイオリン弾くか、なんていうのはここ数日前から。
3日も会わないと進歩に刮目するなんて、一度でいいから言ってみたい。
言うだけならタダだから言っても良いけれど、恥る気持ちはまだ多少残っているので今は言えない。
何を言っているか自分でわからないほどボケたら、その時に大いに吹いてみよう。
さて、今年一年皆様には本当にお世話になりました。
このグダグダした拙文を読んでくださってありがとうございます。
自分だけの日記のようなものとはいえ、やはり読まれるのは嬉しいものです。
どなたが読むかはわからないので時々フェイクを入れるので、わかりにくいことがあるかもしれなせん。
来年もまだ書き込みできそうなので、時々このページを覗いてみてください。
それではごきげんよう、良い年をお迎え下さい。
らいねんもよろしくおねがいします。
僕達頑張りますワン!