2019年9月21日土曜日

パスポート申請

パスポートの有効期限が今年3月に切れたけれど、去年ニューヨークに行ったことだし、もうしばらく海外に行くことはないと思ったので放置しておいた。
ところがひょんなことから、来年1月フランスに行くことになったので、新規に申請することになった。
前のパスポートの期限が10年だったので、すでに申請の仕方も忘れていた。
調べてみたら、外務省のページから申請書がダウンロードでき、情報を入力したものを印刷して持っていけば良いとのこと。
随分楽になったものだと思ったけれど、そこにまた役所の壁が。

まず住所など必要事項を入力して、それを印刷。
びっくりするほど簡単。
必要な書類は申請書、戸籍謄本(抄本でも良い)
本人確認のための免許証などの書類。
この3通。

本籍欄は、戸籍謄本に記載されているものと同じでなければいけない。
そうわかっていたけれど、だいぶ以前に住所と本籍を同じにして届けた記憶があったから、現住所を本籍欄に書いた。
そして区役所に出向いた。

そこで本籍が違っていると言われた。
本籍を住所と同じにしたその後、自宅の住居表示が変わった。
例えば、猫町1丁目2345が、1丁目2番3号みたいに。
それなのに本籍は変わる以前の表示が残ってしまっている。
住居表示が変わっただけで、住んでいるところは元のまま。
それなら本籍と現住所を一緒にしてしまえば後が楽だから変えられないかと訊くと、できるけれど少し時間がかかるという。
なぜ住居表示が変わった時点で本籍の表示も変えなかったのか訊くと、もとの住所が地番で、現住所は建物の住所なのだというわけのわからない理屈を聞かされた。
同じ場所に2つの住所が存在するなんて。
この際現住所の表示を本籍にしてしまうほうがいいのかどうか、私のなけなしの脳みそでは判断できないので保留にした。

去年さんざん戸籍謄本などの書類を取ったときにはどうだったのか、全く思い出せないのがすごい。
自己防衛本能?
次回に謄本を取るときにも、ひと悶着ありそうな気がする。
旧番地を覚えておけばいいじゃありませんかというけれど、そんなもの覚えていられますか。
そんなことでやっと戸籍謄本は手に入れたけれど、パスポートセンターに行く元気もなくなって今日はここまで。

パスポート用の写真を撮りに行ったら、マイナンバーカードの写真も同じサイズだと言うので、この際、カードを作ることにした。
コンビニで謄本などもとれるというから。

パスポートセンターは以前は横浜の中華街近くまで行かないといけなかった。
最近は自宅の近くでも手続きができるようになった。
けれど、今までは横浜のセンターでの書き換えが多かったので、やはり横浜まで行こうと思った。
手続きの書類を提出したら中華街でお粥を食べるというのが、今までのパスポート取得の際の流れだったので。
有名なお粥専門店が近くにある。
午前の早い時間にも沢山お客さんが入っているので驚いたことがあった。
中国人は外食をする事が多いらしい。
だから自宅で食事を摂らないで、こういうお店で食べると聞いたことがある。

今回も10年期限で申請するけれど、今後10年、私は元気で旅行しているだろうか?
足腰弱って歩けないから、ラクダの背中にくくりつけられてユーラシア大陸横断をやってのけたりしているかも。
沢山やりたいことがあって、今まで大抵のことはクリアしてきたけれど、ラクダでユーラシア大陸を旅するというのは実現していない。
これは多分実現不可。
いくらおっちょこちょいの私と言えども、できることとできないことの区別はつく。
遮るもののない砂漠で太陽に照りつけられ水にも不自由、言うことをきかないラクダに手こずり、もしかしたら盗賊の群れに襲われ、若い時ならいざ知らず、今の体力ではねえ。

と言いながら、フランスに行くのはジュネーブからフランスのトロワバレーに行ってスキーをするため。
海外で滑ったのはバンフ、カルガリー、アリエスカの計3回。
私はヨーロッパで滑りたいと切望していたけれど、私達の仲間はニュージーランドが好き。
私は南半球にはなるべく行きたくない。
なぜなら自然現象が日本と逆さまだから。
それでニュージーランドのスキーツアーには参加したことがない。
夏が冬なんて。

ヨーロッパスキーに憧れるのは、猪谷千春さんがコルティナダンペッツォのオリンピックで日本人初の銀メダルを勝ち取ったことを知って以来だと思う。
たぶん1958年ころ、私はまだ子供でした。
いやいや、嘘じゃないって!まだ尻尾が7本になってないから、これはホント。
コルティナダンペッツォという響きに魅了された。
いかにもスピード感のある名前ではないか。
その頃の私はスキーのスの字も興味なかったけれど、ニュースを見て感激したことを未だに覚えている。
うちにはまだテレビはなかったと思う。

そのせいかどうかわからないけれど、この年まで半世紀超えてまだ私は滑っている。
小学校では体育が苦手だったのに、数えたら56年間、毎年必ず滑っている。

猪谷さんはいつも黒いユニフォームを着ているので「ブラックキャット」と呼ばれていたというのも嬉しい。
なにが嬉しいって、猫に関することならなんでも嬉しいので。

スキーを始めていつかはヨーロッパでという思いがあったから、今回誘われて参加となった次第。
カナダでのスキーは感激の連続だった。
ゲレンデのどこをどう滑っても人にぶつからないほど広い。
今回はフランスのトロワバレーでのスキー。
ヨーロッパで一番高いスキー場「ヴァルトランス」おお怖わ!だけど、人間死ぬか生きるかのどちらかだから、怖がって行かないよりも行ったほうが良いに決まっている。

チベットで高山病になったことがあって、怖さは重々承知。
ま、なんとかなるでしょう!
お正月に志賀高原で足慣らし。


















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