2020年9月17日木曜日

いかがお過ごしでしょうか?

 私は生ける屍と化していますよ。屍にしてはよく食べていますが。

コロナの影響はいつまで続くのか、もううんざりしている。どこへ行くにもマスク、誰に会うのもビクビクもの、なにをやっても面白くない。こんなにつまらんことは今までになかった。でも何を食べても美味い!これが摩訶不思議。

少しずつこの状況になれては来たものの、体がだるい。やる気が無いので心も重い。ついでに財布は軽い。なんてこった。いままであんなに面白かったものにすっかり興味を失ってしまった。今までの行動の原動力はなんだったのだろうか。人に会うことで会話ができる。いろいろ刺激を受ける、あの人あんなことを始めたんだって、それなら私も、よっしゃ!そうして社会が回っていたようで。

私の場合はヴァイオリンを弾くと会話ができる状態だった。でも人と会えないとなると、ヴァイオリンは見るものになってしまった。そういえば今の楽器の2台前に私が持っていた物は「ミルモン」というフランス製の楽器だった。出しやすく優しい音がした。健康で見た目も良かった。チェリストのナバラが同じ作者の楽器を持っていたようで、私は彼になんとなく親近感を抱いていた。あちらは東洋の小さな島国に住む小さな魔女が、まさか自分に心を寄せているとは思いも寄らない。ミルモンは今の楽器を購入するときに下取りとして出してしまった。今頃どこでどうしていることやら。高校2年のときから使っていたので、ひとしお思い入れがあるけれど。

ミルモンは私が当時師事していた先生の紹介で、ある弦楽器工房で購入した。初めてその工房を訪れたときには自分ひとりだけ。5つくらい楽器を出された。弾き比べてみると一番氣に入ったのがミルモンだった。ヴァイオリンはイタリアと相場が決まっているけれど、私がフレンチを選んだので、工房の主は大喜び。かれはフランスで楽器制作の修行をしたので、フレンチには思い入れが強かったようだ。本当にしっかりした良い楽器だったから、私は長年愛用した。

貸し出してくれて、私は家に2丁の楽器を抱えて帰った。数日後にミルモンに決めて購入、見るもんは弾くもんになった。

その時思ったのは、よくもその工房主が見ず知らずの高校生に楽器を2つも持たせたものだということ。今の価値に換算すると高級車が買える値段。それが2つだから。私だったら絶対に貸さないかなにか人質をおいていかせる。けれどなんのためらいもなく高価な楽器をぽんと貸してくれたのだった。彼の体型と同じ太っ腹、先生から連絡が入っているとはいえ、私の身なりはみすぼらしく見た目はとてもリッチとは言えない。

そこの工房には長くお世話になったけれど、ある時楽器の状態が急激に悪くなった。メンテナンスに出すと工房主は「楽器はわるいとこない、腕が落ちたんやろ(大阪弁)」

頭から湯気が出てそれっきり、そことは緣を切った。その後他の工房で見てもらったら、内部が腐食していた。時々コンサート会場で彼に出会うと気まずそうに大きな体を縮こまらせて、壁に向かって隠れているつもりでいる。見え透いているその肩をポンと叩いて「お久しぶりね、元気?」と言うと、飛び上がらんばかりに気がついたふりをする。それがなんとも可笑しかった。

その後「ガブリエリ」という楽器に出会った。「イ・ムジチ」のメンバーのコンサートでトゥッティーを弾かせてもらったときに彼から譲り受けた。彼が明日成田からイタリアに帰るという前日、彼が前に彈いていた楽器が日本で売れなくて持って帰るという。そのために最初の値段から半額になっていた。なんでも家が火事になってどうしてもお金がほしいという。最初の値段で売ろうとしても見た目が汚いので売れない。半額でどうかと。それでは明日成田に車で送るから一晩貸してと言って、夜中に彈いてみたら手応えが感じられた。見た目汚い、顎当てにカビまで生えている。でもコンディションが悪いにしては、芯に力強いものがある。半額なら買えない値段ではない。買っておいてもいいかも。そしてガブリエリは私のものになった。この楽器も、もう手元にはない。

最近こんな思い出話ばっかり!早くなにか面白い出来事が報告できるといいけれど、まだまだ当分過去の遺産で生きていくしかない。話はどうしてもヴァイオリンのことに戻ってしまう。本当にヴァイオリン彈きになるつもりがなかったのにヴァイオリン弾きになってしまった、やはり好きなんですね。早く楽器で会話がしたい。楽器を弾くにはエネルギーがいる。サボっていると太る。

生ける屍は屍なのに体重が増える、これが謎。







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