2020年9月24日木曜日

休んでいると

 投稿をサボっていると、世の中から忘れ去られそうで、毎日どうでもいいことをうだうだ書いています。

このところ急激に足の調子が良くなってきた。2年ほど前から徐々に足の痺れと足首の痛み、夜中の足攣り、趾の曲がりなどが連発して、これも歳のせいと諦めていた。階段を上がるのはいいけれど、下るのが大変で、手すりにつかまってドシドシと降りる。無様なものだった。それが少しずつ改善。O脚が治ってきて今はほぼ以前のように隙間が少なくなってきた。筋トレやストレッチもそれほど熱心にやったわけではないのに、多少食べる量を減らしたら体が軽くなっての結果。あな、おそろしや。原因は食べ過ぎだったのか。

片足立ちもやや改善。2ヶ月ほど前までは右足はほとんど片足で立つことが出来なかった。ほんの2秒ほどでひっくり返りそうになる。左足はそれでも7秒くらいはいけた。今は右足も5・6秒いける(ときもある)

ここ数日足の調子が良くて朝晩の散歩も楽しかった。それで今日は隣町で買い物をしてひと駅だから電車に乗らず歩くことにした。両手に買い物袋を下げていたら、以前のように足が痛くなってしまった。考えたのは、やはり足の筋力に見合った体重でないといけないということ。コロナ太りで家から出ないで運動不足、それに加えて他にすることがなくて食べ過ぎる。ほんの1口も回数が多ければ10口にもなる。

大きな災害があったら最低1週間くらいは持ちこたえられる食料が必要と思うから、冷蔵庫には常に食べ物がある。これがいけない。目に付けば食べたくなる。食べれば美味しい。災害が来るといけないからすぐに補填する。又食べる。

次のスキーシーズンまでに足が良くなることを期待している。スキーのブーツを履いてしまえば足首の痛みは感じないから滑れるけれど、ブーツの着脱が大変なのだ。猛烈に痛い。次のシーズンもこんなことなら考えてしまう。しかも滑ったあとでひどくしびれるので、眠れない。足の大切さを痛感している。

このところモーツァルトを彈きたいという人が複数いて、連続して合わせてもらっている。今日はその第一弾、ピアノはいつものSさんとソナタの11番、K.379を彈いた。私は今までこの曲を彈いたことがなかったので良く知らなかったけれど、これがどの曲にも負けず劣らずの名曲。モーツァルトの凄さを感じる素晴らしい曲だった。簡潔なのに骨組みがしっかりしている名曲で、本当にやってよかった。気分は上々、練習が終わって近所のイタリアンレストランでランチを食べる。このレストランは繊細な味が特徴で、その分ご主人はいかにも気むずかしそう。

次の日もまた合わせる約束がひとつあったけれど、台風接近につき中止。その次の日も又々・・・モーツァルトの大盤振る舞い。それほど皆さんモーツァルトがお好き。私は無人島に一つだけ持っていくとしたら?と訊かれたら、K.334のCDと答える。私はCDは持っていったものの、プレーヤーは忘れるという大失態をするにきまっているけど。

徐々に日常が戻ってきている。いつ終わるともしれないコロナ禍もそろそろ終焉かと思ったら、ヨーロッパでは又拡大しているという。聞くと泣きたくなってくる。

日本人はお役所からなにか言われると喜々として従う。自粛してと言われるとじっとしている。さ、遊びなさいと言われるとはっちゃけて、我も我もと遊ぶ。これが変。遊べと言われても芋の子を洗うようなプールとか、見たらさっさと帰ってきてください。2時間も並んで温泉につかるとか・・・もう、あきれている。いままでの努力を水の泡にしないでください。自分の身を守り他に人に感染させないように、もう少し我慢できないものかしらね。

遊びの質を替えたらいい。渋滞の高速道路、混み合った観光地、だいたいそういう場所は見当がつく。そんなところに行かなくても楽しめることはごまんとある。人が少ないと面白くないものなのか、不思議でならない。

明け方に急に咳き込んで目が覚めた。うはっ!大変、ついに私もコロナ?と思ったけれど、冷静になって水を飲み、漢方薬を飲み、咳喘息の吸入をしたらすぐにおさまった。こうしてこの半年以上怯えて暮らしているのだ。その後ぐっすり眠ったら朝食もりもり食べられて、胸をなでおろした。






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