2011年10月8日土曜日

栗ごはん

こっそりFUMIKOさんのブログを覗いたら、栗料理に挑戦するらしい。一晩水に漬ける。あ、そうか、皮が硬くて剥きにくいから柔らかくするんだ。さっき剥いてしまったけれど、ものすごく硬くて大変だった。パソコンで調べたら、栗ごはんの作り方がいろいろ見つかった。今は便利だなあ。フムフムなるほど、水に漬けるって書いてある。さすが年下なのに、お主やるのう。もち米がいるらしい。今日お米屋さんで買ってこよう。だったら、栗おこわの方がいいかな。今朝はこの食いしん坊な私が朝ごはんを忘れて栗の渋皮を剥いた。ああ、お腹すいた。コンサートと次のコンサートの間の、このゆったりとした空間が好き。一つ山を登って、次の仕事に取り掛かるまでの僅かな余裕がいい。気が付くとあらあら、次のハリー・ポッターのレッスンが迫っていて、まだ予習をしていない。また言い訳しながらレッスンに行くのか。とっても忙しくって・・・とかなんとか。こうやってみると、子供の頃からなにも変わらない。小学校の時は宿題を忘れる筆頭が私。ランドセルに一切教科書が入っていなかったことも。音大でもオーケストラの授業に出るのに、お弁当だけ持って楽器を忘れていったり・・・。よくぞ、今日まで仕事ができたと思う。さすがに仕事ではあまり忘れ物はしなかったけれど、またこうしてヒマができると子供の頃のように、宇宙人に逆戻り。いいじゃないの、そんな細かいことは。お星さまを見てごらん、シャープの一つ二つ落としたって、音を半音間違えたからといって、あの空の広さに比べれば、どうってことないさ。今日は栗ごはんが上手くできるかどうかの方が大切なんだ。

2011年10月7日金曜日

秋

五日市街道を車で走っていたら、普通の民家の門に「栗あります」の看板がかかっていた。朝とれたての文字もあり、ふうーん、普通の家で栗がとれるなんて・・・、少し時間があったので、通り過ぎてからわざわざUターンをして見に行くことにした。石の門を入ると思っていたよりずっと奥が深い。敷石を踏んで庭木の間を抜けても家が見えないほど広いのには驚いた。いまどき東京(杉並区松庵)にこんな広い敷地の家があるとは。さらに奥まったところに家とまたその奥に栗の加工場があった。どこに栗の木があるの?と聞くと、そのまたさらに奥の隣の敷地に栗林があって、そこでとれるという。おじさんが3人、栗の皮むきや選別をして売っている。ピカピカの取れたての栗を一袋買って、まてよ、今日は定例の「弾く会」みんなにあげたら喜ぶかも。人数分買って車に積んだ。今日も又3人のピアニストの演奏を楽しんだ。ショパンのマズルカ27番は秋のこの日にふさわしい、心にしみいるような曲。弾いたのはアキさん。語呂合わせになるなあ。シューベルトのソナタ、バッハのカンタータ「主よ人の心の喜びを」そして、FUMIKOさんと私は昨日練習したモーツァルトの「デュオ」とヘンデルの「パッサカリア」。パッサカリアはこれでもう3回目。ようやくきょう△をもらった。◎がもらえるのはいつ?まだまだ、点数は低い。
「秋の日のヴィオロンのため息の 身にしみてひたぶるにうら悲し」(ヴェルレーヌ)のような演奏ができるようになるのはいつの日か。帰ってきて栗の皮むきにウンザリ。ああ、もらった人たちも、もてあましているかな。みなさん勉強に介護にいそがしいのに、こんな手のかかるものをうかつにあげるものではないと、反省しきり。さて、栗ごはんってどうやって作ったかなあ。もう忘れてしまった。どうしよう、焼くかな、煮るかな。困った!

2011年10月6日木曜日

松本記念音楽迎賓館

ヴィオラのFUMIKOさんにお付き合いいただいて、リハーサルにつかわせていただいた。二子玉川からスルスルと丘を登って行くと、木立に囲まれた立派なお屋敷がそれ。中に入るとまず玄関ホールから螺旋階段をのぼり、音楽ホールへと通じている。ステンドグラスの美しい小さなホールは壁が木なので、ステキな音がする。オルガンやチェンバロもあり、ピアノはベーゼンドルファー。明日の例会「弾く会」にモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのデュエットを弾くので、そのリハーサルを私のうちではなく、いつもとは違うところでやってみたかったのと、今月末に知り合いの方の傘寿のお祝いのための会場の下見として行ってみた。木のホールの響きを堪能・・・と言いたかったけれど、私がコンサートの後の疲れを引きずっていて、いまいち集中できない。弾きながらいろいろなことを考えてしまう。「そういえばあの日はあいているのかなあ」とか「明日はどこで待ち合わせたらいいかなあ」等々。それでうっかりすると指を間違え、ポジションを間違えひっちゃかめっちゃか。今朝、なにか体が重いとおもったら、ジワリと体重がふえていた。ストレスを感じると私は食に走るほうだから、すぐに太る。正反対にFUMIKOさんは食べられなくなるそうだから、いつもすっきりしている。ようやく文化会館小ホールでのソロが終わってヤレヤレと思ったら、今頃疲れが出てきたようだ。食欲のツケもお腹周りにたっぷりとまとわりついている。リハーサルを終えて館内を案内していただいた。庭続きに茶室や和室があって、池には鯉が泳いでいる。間もなくすると紅葉が楽しめそうだ。一階の広い部屋は、明日嵐の桜井翔がきて撮影するというので、もうセットが置かれていたので、その椅子に座ってみた。翔君温めておきました。きっと「うおっ、気色わるっ」なんていうでしょうね。11月3日に爆笑問題の番組で館内が映るという。この会場は交通の便が悪いので借りる人が少ないという割にはブームになっているようです。

2011年10月4日火曜日

イグノーベル賞 わさび警報装置

去年の受賞者もたしか日本人だった。nekotamaに投稿したと思う。粘菌(年金ではない)の研究に対してだったはず。自信がないなら去年の記事をさがせばいいのに、そこは稀代の不精猫だから、あとで探してみよう。今年は「わさび警報装置」わさびの臭いのする気体を噴射して聴覚障害者に火災を知らせる装置らしい。「火災など緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発」が受賞対象になった。
イグノーベル賞とはノーベル賞のパロディーでアメリカの科学ユーモア雑誌が1991年に創設し、「人を笑わせ考えさせる」ユニークな研究にたいして贈られる。毎年日本人が受賞しているという。カラオケの発明した井上大祐さん、パンダのフンを利用して生ごみの量をへらす研究をした田口文章北里大名誉教授など。今年の受賞者は田島幸信・香りマーケティング協会理事長ほか7人が共同受賞した。日本人はとかくクソまじめと思われるけれど、これを見るとユーモアの感覚は非常に豊かであるらしい。ユーモアというのは人間の持つ素晴らしい能力。才能や頭脳に恵まれた人のみが持てる最高の能力であると思う。日本には昔から狂言、落語という見事な笑いの文化があった。どんなに悲惨な状態に置かれようと、それを笑いのめすことが出来れば、そこから脱却できると思う。ユーモアがあるとないとでは、その人の人生の豊かさがどれほど違うことか。テレビなどのバカ騒ぎをユーモアというなかれ。
ところで、今年の受賞対象は悲しいことに私には役に立たない。私は臭いのわからない嗅覚障害だから。ぜんぜんダメというわけではないけれど、眠っている時にわさびの臭いくらいでは起きないと思う。よく化粧品を買いに行って、売り場の人にわからないというのに、何回も臭いをかがされることがある。何回もわからないと断っているのに。こういう人は言語理解障害とでも呼べばいいのか。

猫の情報網

ノラに餌をやり続けていたら、なんだか家の周りのカラスが喧しい。ノラが食べ終わるとさっと食器をかたずけるようにしているけれど、上空からじっと見ているのだろう。最近はレッスン室のベランダの柵に止まってうちを覗き込む。私はカラスが平気だからいいけれど、嫌いな人は怖気をふるうに違いない。最近ノラが餌の時間になっても来ないことが多い。なぜかというと、ほかの強そうな白黒の猫が待ち構えていることがある。それと、いかにも育ちのよさそうな三毛が2匹、私を見ると逃げていく。おや、うちの近所にこんなにたくさん猫がいるとは思わなかった。お隣は大の猫嫌い。某宗教の熱心な信者なのに憐みの心が皆無で、それが子供を産んだばかりの猫であっても、ものすごい剣幕で追い払う。本当に仏教徒なのだろうかと疑念がわく。しかし、毎日餌は食べきれるだけしか置かないし、食器も食べ終わるのを待って即かたずけるのに、ほかの猫がどうして来るのだろうか?妙に羽振りの良くなったノラを見て、なにかあると勘付いたのか。ノラが言いふらしたのか。あそこへ行くと餌もらえるよ、とかなんとか。故人になってしまったけれど、かかりつけの獣医のヒゲ先生がよく言っていた。猫の社会には情報網があるんだよ、と。よく夜中に駐車場などに猫が何匹も屯しているのを見かける。あれは、ねこの地域社会のコミュニケーション。あそこで問い詰められたノラがうっかりしゃべってしまったのかもしれない。実は自宅の飼い猫よりもノラには良いものを食べさせている。これから寒さに向かって生き延びるためには、栄養が必要になるから。もし、ノラが家に入れるようになったら、粗食に耐えてもらわないといけない。暖かく運動量も減る部屋飼い猫なら、必要最小限でいいから。ノラはそれならこのままの方がいいと言うかも。ねこはなんたってグルメだから。

2011年10月3日月曜日

カラスはえらい

今日の東京新聞の夕刊に載っていた記事。カラス、数の大小認識の見出しがあって、宇都宮大学農学部の杉田教授の研究が動物行動学の国際誌に掲載されたという。ハシフトカラス8羽を使い、容器のふたにマークを2個のものと5個のものを用意する。5個のマークがついた容器にだけ餌を入れて、正解率70パーセントになるまで訓練してから、マークの模様や位置、面積などかえた20パターンを用意して実験した。この後マークの数を2~8個と変えても、数の多いほうの容器を選択したという。個体差はあっても平均70~90パーセントの高水準で正解した。杉田教授の研究室では、カラスが人間の男女の顔を見分けられることも発表している。まだ知られていない知能を発見していきたいと、杉田教授は話している。ところで、私のカラスの友人たちはそんなこととっくにわかっている。初めにお近付きになった時は、夏だったので私は帽子をかぶっていた。次に会ったときは違う帽子をかぶっていたので、上から見下ろすと私だということがわからないだろうと思っていたら、あにはからんや、さーっと飛んできてカーと鳴いた。どんなに違った服装をしていっても、必ず飛んでくる。帽子をかぶっていなくても来る。日傘をさしていてもわかるらしい。ただ、デジカメはすごく嫌がって、写真を撮りたくても逃げてしまう。私が立ち止まってカラスと話をしていると、ニコニコしてよってくる人がいる。本当にカラスは賢くきれいでかわいい。真近で羽を見たことありますか?七色に見えるほど光を反射して輝く艶々した羽は、えも言われないほど美しい。目もかわいい。くちばしをカチカチいわせるのは、お母さんに餌をおねだりする言葉とみたけれど、あたっているでしょうか。杉田先生。

あれっ、

先日からgoogleと私のホームグラウンドのijkのメールアドレスが交錯していて、私がわかりもしない癖になんやかや、パスワードを変えたりしたものだから、ぐっちゃぐちゃになってしまい、ついにnekotamaに投稿できない状態になっていた。今朝までそうだったのに、今するりと入れた。と言うことはいつもの名人がなんとかしてくれたのね。まあ、ありがたい!もう、しばらくnekotamaには入れないものだと思っていたので、とてもうれしい。ということで張り切って投稿しようとしても出てくる言葉は「疲れた」のみ。
9月30日東京文化会館小ホールで、古典音楽協会の144回目の定期演奏会が開催された。3月に開催する予定が大震災で流れ、秋に延期することになった。プログラムはそっくりそのまま持ち越しとなった。私はヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト「愛」と言う曲のソロをひくことになっていたので、3月のコンサート予定日を目指して体調や仕上がりをコントロールしていたのに肩すかしされて、この夏の暑さを乗り越えてから再構成しなおしで、けっこう辛いものがあった。その間も何回かのコンサートで別の曲を弾いたりするので、なかなか集中することが難しくなる。間際まで気持ちが落ち着かなくて、自分の思いが音に出なかったり、体調も崩しかけたりしたけれど、当日、超満員の聴衆の前に出て行った時には、本当に幸せなひと時になった。緊張でもう少しで震えそうになっても、訊いていただける喜びはそれを上回っている。ソロの出だし、何百回、さらったことか。これと思える音が本番で出せなかったのがくやしい。プログラムの第一曲目で思い通りの音を出すということは至難の業。ぎっしりと客席が埋まっている大勢の人の前で、落ち着けと言われても中々そうはいかない。今を去る何十年もの昔、故レオニード・コーガンの演奏会で、最初の音に鳥肌が立ったことがあった。まだ子供だった私にも、天上から流れてきたような素晴らしい音色は一生耳に残るものとなった。あんな音が出したい、常にそう思っていても名人と迷人の差は埋められるものではない。一生に一度だけでいいから、出してみたいものだわ。