朝目が覚めると目の前に富士山が見えた。右側には甲斐駒ヶ岳、今日は少し曇り。飼い犬の小豆ちゃんと戯れてあさごはん。新鮮な野菜が美味しい。午後から三々五々メンバーが集まって、あちこちから再会を喜ぶ人達の笑い声があがる。曲目はブラームス[ドイツレクイエム]リスト[レ、プレリュード]今回はヴィオラで頼まれた。練習が進むにつれ、楽器が重く感じられる。とにかくゆっくりのテンポの曲が多いのでしんどい。やはりヴィオラはヴァイオリンに比べて、体への負担が大きい。まして私のように小柄だと楽器を弾いているのか、楽器に弾かされているのか、よくわからなくなる。何時間か弾いていると朦朧としてくる。我慢の足りない私が真っ先に騒ぎ始める。[ああ、もうダメ。疲れた]とかなんとか。途中夕飯を挟んで夜も練習。練習後飲み会があって美味しい地ビールをいただく。その頃には睡魔に襲われ、この記事の作成の最中に自分のイビキを聞いてビックリした。
2012年10月5日金曜日
八ヶ岳音楽祭
八ヶ岳音楽祭に参加するために高根町の友人の家に来ている。明日から始まるリハーサルのために出発は明日朝でも良かったけど、世の中は三連休。大変混雑が予想されるのでで、今日のうちに来てしまった。友人は私の同級生。ご主人は今回の音楽祭の総監督の細洞さん。元東京フィルのトロンボーン奏者。リタイア後北杜市に移住、この地で音楽活動をしている。総監督となると数百人の面倒を見なければならない。食事の間もひっきりなしに電話がなる。次々に問題が出てくるらしく、対応に追われていた。私も一時期、このへんに住みたいと思ったことがあって、よく候補地を見に行ったものだった。そのうち、気力がなくなってしまった。でも、ここに来てみると見ると、山が見えるところに住みたいと、心から思う。素晴らしい景色と文化的な生活。いいなあ。さて明日から誰に会えるのか楽しみです。
迷い猫
前から気になっていた電柱に貼られたチラシ。自宅からいなくなってしまった猫を捜しているらしい。この一週間くらい前に私の家の駐車場に餌を食べに来るようになった猫がいる。おや、と思うほど似ているので飼い主に電話してみた。聞けば4か月前に引っ越しの準備をしていたら、姿を消してしまったらしい。電話の向こうで必死の声がする。捜しても見当たらずその次の日に引っ越しをしてしまったと言う。何回も自宅付近に戻って探したけれど、いまだに見つからないというので、見に来てもらうことにした。その間にもいなくならないようになんとか引き止めていられるかどうか。その日飼い主のSさんは仕事を終えて、夜9時ころやってきた。猫は車の下にもぐっているので、毛の色も良く見えない。でも自分の猫にそっくりだと言う。名前を呼ぶと反応がある。しかも車の下でお腹をみせてゴロンとした。もう数日間餌をやっているのに、私にはそんなことをしたことがない。これは脈があるかもしれない。その日は確認できなくて、朝明るい日差しの中で見ればわかるから又来ると言ってSさんは戻って行った。次の日は私は出かけてしまって、その間又Sさんが見に来ていたようだ。電話があって、本当によく似ているけれど、4か月で元の飼い主を忘れてしまうだろうかと、もっともな質問を受けた。赤ちゃんならともかく、2歳だった子なので、それはあり得ない。以前餌をやっていたのを途中事情があって中断した野良猫が、数年後に死に際に会いに来てくれたこともあるので、実際に猫の記憶は長いことを体験済だから。次の朝餌でおびき寄せてやっと車の下から這い出してきた猫をみて、はっきりと違うと確認された。本当にそっくりだけど、もう少し色が薄いらしい。Sさんも私も気落ちしてしまった。その子は明らかに飼い猫だったことがわかるけど、ノラになってどのくらい経つかわからないが、すっかり警戒心が強くなってしまっている。中々人の手の届く範囲にはこないから、保護することもできない。しばらく様子見だが、これから寒くなるからどうしよう。悩みの種は尽きない。
2012年10月4日木曜日
お絵かき
昨日のnekotamaを読んだFUMIKOさんからのご指摘。「新しい飼い主を見つけたのではなくて、その情報を拡散しただけです」拡散とは読んで字のごとし、広げる?どうやってやったのと言ったら「この次お絵かきの時にね」と言われた。「お絵かき」というのは私が作品展に出品するので大変なことになっている話。わが「雪雀連」は多芸多才のメンバーが目白押し。もちろんプロの画家も童話作家、人形作家、映画製作者などもいるので、今度そのメンバーが銀座の画廊で展覧会をすることになった。そこでなんでもしゃしゃりでる私は一人で指をくわえて見ているのはしゃくだから、小学校以来初めて絵筆をとることになった。画材の事もわからない、筆ももっていない、だいたい絵具は何を使うのかもわからない。描くものは決まっている「ねこがいかん!」という猫サイトの中の写真「ターキッシュアンゴラ」の貴婦人のような猫がモデルになる。そこで頼みの綱はFUMIKOさんの親友のN子さん。彼女は本職の画家で学校の美術の先生。頼み込んでご指導をあおぐことになった。それが今月半ば。すでにギャラリーがピアニストのSさん、FUMIKOさんとそろってしまった。私が初めて絵筆をとる歴史的瞬間が見たいらしい。しかもそれを肴に一杯飲もうと言う魂胆も見え透いている。そもそもなにが面白くて人の下手くそなお絵かきを見たいのか、たんなる物好きとしか思えない。見ていなさいよ、二人とも。大傑作をものにしてあっといわせてあげるから。この人たちは、でも、陰でこんなことを言っているらしい。私がろくにヴァイオリンも練習しないで絵をかいたりして遊んでばかりいるのはけしからん。もっとヴァイオリンの練習をさせよう・・・なんて。
2012年10月2日火曜日
ドッグトレーナー
昨日パスキエのコンサートの帰り道、FUMIKOさんを途中駅まで送って行った車中での話。吠え癖のある犬が殺処分にされそうなのをネットワークで救ったという。犬の声ががうるさいからと言って、なんと飼い主が保健所に持ち込んだのだそうだ。はらわたが煮えくり返るではありませんか。SOSの書き込みを見たFUMIKOさんが、その付近の住人達に呼びかけて、新しい飼い主をみつけたという。そんな話を聞くと涙が出そうになる。訓練をしないで猫かわいがりすれば、当然駄犬になるのは目に見えている。先ほどパソコンの受信メールをチェックしていたら、ドッグトレーナーの講座の広告が目についた。一瞬私も受けてみようかと思った。訓練もせず、犬をダメにする飼い主がごまんといる。人間の子供だって虐待を受けるのだから、買ってきた犬は品物同然と思っている人は沢山いると思う。気に入らないから保健所に持って行って、他人に殺させる。なんというひどいことか!最初から犬を飼う資格なんてない。どうして飼うのか不思議。私は病気の猫ばかり拾ってくるから、治療費も餌代も沢山かかるけれど、一度だってその子たちをすてようなんて思ったことはない。犬も大好きだけど、うちでは犬を飼う環境にないから、飼うことを諦めている。そこでドッグトレーナーの訓練を受ければ、それを仕事にしなくても可哀想な犬を救うことが出来るかもしれないと、ふと思った。さて、今私の家の駐車場にノラが3匹。そのうちの1匹が、電柱に貼られていた迷い猫のチラシの写真ににそっくりなので、飼い主に電話してみた。飼い主が確認に来ているが、車の下から出てこないので手間取っている。本当にその子だといいのに。暗いので確認はできなかったが、朝、明るい光のなかで見ればわかるから、出直して来てもらうことにした。こんなにも動物を大事にする人がいる一方、平然と殺す人もいる。人間は残酷な生き物だなあ。
2012年10月1日月曜日
レジス・パスキエ コンサート
トッパンホールにて。ピアノはリディア・ビジャーク
ラヴェル「ソナタ(遺作)」
フランク「ソナタ」
エネスク「ソナタ(ルーマニア民族風)」
ラヴェル「ツィガーヌ」
しなやかな右手、軽々と動く左手。名人芸をこれでもかと聴かされて、あまりの音の素晴らしさにおどろかされた。レイチェル・コリー・ダルバのコンサートの時には名器ストラディバリウスの音に圧倒されたけれど、今回はグァルネリ・デル・ジェス。その音をなんと表現したらいいのだろうか。私には言葉もない。しかもダルバとの決定的な違いは円熟度。たぶんパスキエは彼女の2倍以上の年齢だと思うが、瑞々しさの上にも熟成された音楽は、心ゆくまでの豊潤な時を私たちに味あわせてくれた。めったにないほどの豊かさ(こういう表現を使っていいならば)この上なくセクシー。あまりの官能的な音に心が溶けてしまいそうだった。彼にとってヴァイオリンで表現できないものはなにもないのでは?すでに体の一部なってしまっているとしか思えないヴァイオリンからは、自由自在に音楽が輝き出てくる。近来味わった中でも最上のコンサートとなった。今日の音に恋をしてしまった私は、この呪縛から解き放たれるのはいつになるか。こんなに喜びを味あわせてくれたデル・ジェスに感謝!名器と名人が出会って初めて本来の音が出る。テクニックも音楽性も素晴らしいと思っていたダルバも、年月を経て熟成された音楽の重みにはやはり勝てない。とにかくうれしいひと時だった。
台風
昨日の台風はかなり激しかった。夜中に目が醒めると、時々突風で家がぐらぐら揺れた。今朝ここ神奈川県某所は燦々と陽が輝いて、何事もなかったように野良猫が餌を食べに来ている。今朝は珍しくテレビを見ていて思ったのは、なんでこんなに情報が溢れている時代に、うろうろディズニーランドなどに出かけて帰れなくなるのだろうか。スマートフォンなどで瞬時に交通情報などわかるのに、しかも台風が来ることはずっと前からわかっていたのに。家族連れの映像では、子供が突風で滑って車道まで転がり出ていた。あぶない!こんな日にどんな事情にせよ、子供をあの風雨の中で歩かせるとは。沖縄では磯釣りをしていた人が波にさらわれた。その頃沖縄は暴風圏内にあったはず。そんな時に危険な海の傍に行くこと自体が信じられない。のんきなのか体力に自信があるのか知らないが、毎回災害の情報を見て疑問に思う。仕事で出かける人は気の毒。私もかつて全国を飛び回って仕事をしていたころ、台風にはずいぶん泣かされた。羽田で飛行機が飛ぶか飛ばないか、手に汗を握って待機したものだった。たとえ飛行機が遭難しようと、仕事場に向かっていたと言うことは認めてもらえるだろうと思いながら。必ず決められた時間に現場に到着しなければいけない過酷な仕事だった。元来仕事と言うのはそういうものだと叩きこまれていたから、なにも不思議に思わなかったけれど、今こうしてゆったりと世間を眺められるようになると、ずいぶん危険なこともあったに違いないと思う。ただし、今でも仕事となったら、どんなに雨風が吹いても這ってでも行くにちがいない。
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