昨日は雪でも落ちてきそうな寒さ。
荻窪の、とある豪邸に集まった美女5人。
恒例の弾き合い。
この家は、先ごろ広すぎる部屋を減築してもなお余りあるほどのスペースで、家具調度品も素晴らしく美しい。
そこに愛犬と二人で住む人は、改築の疲れで去年は調子が悪そうだったけれど、すっかり落ち着いているように見えた。
ブリーダーで繁殖用に使われていて、年を取ってお役御免となった犬を引き取って飼い始めた。
去年連れてこられた時には、毛並みも悪くていかにも苦労した感じだったのが、今や貴婦人のように美しいワンちゃんになった。
濃い目のミルクティーみたいな色で、可愛がられている様子がありありと感じられる。
良かったねと皆に撫でられて、嬉しそうにしている。
人も犬も顔色良く、幸せそうで良かった。
3人はピアニスト。
2人は弦楽器奏者(ヴァイオリン・ヴィオラ)
本当はもう一人、ソプラノ歌手がメンバーなので、全員集まれば6人。
昨日は一人お休み。
今年初めての研究会で、バッハ、ラヴェル、シューマンなど、相変わらず盛りだくさんのプログラム。
私はといえば、まだプロコフィエフしか弾けるものがない。
この3人のピアニストたちが曲者揃い。
学生時代から優等生で鳴らした3人だから、良き友でもあるけれど良きライバル同士。
本当に恐れ入るのは、私たちは同級生で同い年で私はギブアップ間近なのに、衰えを知らない猛者ばかり。
家主のOさんは去年はなかなか時間も体力もきつかったようだけれど、すっかり回復したのは音で分かった。
音に張りがある。
表情が生き生きしている。
ヴィオラのFさんとシューマンを演奏。
私は相変わらず相棒のSさんと。
彼女は超真面目人間で、昨日も私とのソナタの他にもう一人のNさんの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲のピアノ伴奏もして、その上ラヴェルまで。
ほんとにピアニストって連中は、疲れを知らない。
しーんじられなーい!!!
そしてNさんは果敢にラフマニノフに挑戦!
スケールの大きな華やかな演奏スタイルは、学生時代からの彼女の持ち味。
美人で頭が良くてピアノが上手ければ、怖いものなし。
6月の本番に向けて練習する姿は、すさまじい集中力を見せつける。
気は確か?と言いたくなる。
3人ともいまだに進化し続けているのが恐ろしい。
この人たちは化石になってもきっと、ピアノを弾き続けるにちがいない。
幸いサンサーンスに「化石」という曲もあることだし。
うーんと、あれはシロフォンのソロでしたっけ?
記憶が定かではない。
終わると近所の中華料理店へ。
狭い店内は15人ほどでいっぱいになってしまう。
そこで一人奮闘するご主人の腕はぴかいち。
他では味わえないほどの腕前なので、もう少し広いお店ならとは思うけれど、一人で集中して料理している様を見るとほかの人の立ち入るスキはない。
開店と同時に店内はお客さんでいっぱいになる。
近所の人が料理を持ち帰る。
昨日食べたメニューは
お豆腐の炒め物
青菜の炒め物、
酢豚
春雨のピリ辛ひき肉炒め
餃子
カキのピリ辛炒め
店内で聞こえてきた、ここの春巻きは癖になるとの声を聞いて
春巻き
もう少し食べたかもしれないけれど、記憶にございません。
「年だからねえ、記憶にないよ」という石原元都知事の言いぐさを真似して。
それにしても東京の中枢を牛耳っていた往年の政治家が、あんな卑怯な言葉を吐くとは。
2017年2月8日水曜日
あなおそろしや
久しぶりに電車に乗った。
朝のラッシュ時間は過ぎていて、ぎゅうぎゅう詰めとは言えないくらいの混み方。
人と人の間はほとんど隙間がない程度。
私は楽器を背負っていたから、バッグは手にぶら下げていた。
その方が肩にバッグをかけるよりは、体積が減ると思ったので。
ショルダーにするとバッグが体からはみ出る。
人の体の足下のほうは隙間がある。
その隙間にぶら下げていた。
これが悪かった。
数駅先から乗ってきた女性がドアの前に立っていた。
私はそのドアより少し中に入ったところで、その女性の斜め後ろに立っていた。
つり革に空きはなかったけれど、座席の端のポールを捕まえられたから、ぐらつきはしない。
それでも停車する前に電車がガタンと揺れた。
その拍子に私がぶら下げていたバッグが、前に立っている女性の足に軽く触れた。
それは本当にぶつかったというわけではない。
ところが後ろ向きに立っていたその人が、振り返って思い切り嫌な顔をした。
ふだんの私はお調子者だから、そんなときにはへらへらと、あら、ごめんなさいねなどと軽く言えるのだけれど、その人の目を見て驚いた。
親の仇とばかりに睨みつけられて、私は口から言葉が出ない。
目は丸いものだと思っていた今までの長い生涯の認識を、改めないといけなくなった。
ほう~、目って本当に三角になるんだ。
ポカーンとして見ていて、謝るのを忘れた。
しばらく横顔を眺めていた。
艶やかなストレートヘア、きれいなオレンジ色のストール、上質のカシミヤのコート、それからショルダーバッグ、レッグウオーマー、スエードのハイヒール3点を同色で揃え、バッグも靴もたぶん一流ブランドものと思われる。
色合いもバランスも、それはそれは品が良くてお見事。
特にグレーのバッグと靴は素敵!
しかし顔を見ると、眉根に深い縦皺、目が三角。
もう一度ガタンと電車が揺れて、又バッグがかすかに触れたとき、呪われているかと思うくらい凄い目で睨まれた。
今度は癪に障ったから「そんなに周りに触れるのがいやなら、マイカーかタクシーでお出かけになったらいかが?」と言ってみようかと思った。
なんなら徒歩かジョギングででも。
だって、この混みようだったら、揺れで隣に触らないのは至難の業でしょう。
私がしばらくじっと見つめていたら、慌てて目をそらす。
自分の中で抱え込むタイプと見た。
そのあと、今度はもっと揺れたとき、彼女の後ろにいた男性がバランスを失って、彼女の眼の前のドアガラスに手をついた。
彼女の顔の横すれすれに。
その時の恐ろしい顔たるや、まったく正気とも思えない。
後ろをぐいと振り向いて、その男性をにらみつけた。
男性は全く彼女に触れてはいないのに。
男性はスマホに夢中で、その顔には気が付かない。
気がついていたら、一日中嫌な気分になりそう。
彼女の眉間の皺はますます深くなって、ちょっと気の毒になった。
ひどいストレスを抱えているのかもしれない。
センスの良い全体のスタイルから思うに、普通以上の仕事と収入に恵まれていると思えるのに、この形相では、そのうち壊れてしまいそう。
電車が日本のビジネスの中枢部に向かう乗換駅に着いたときに、彼女は降りて行った。
ああ、やっぱりね。
一流企業かお役所にお勤めで、育ちも頭も良い。
けれど、まったく幸せではない人のように思える。
ちょっと可哀想。
自分を愛せない。
他人も嫌い。
まだ若いのに、この先どうやって生きていくのかしら。
他人事ながら心配になってきた。
今朝目が覚めた時に真っ先に彼女のことを思い出した。
あの人はなんであんなに過敏なのか。
幼少時の虐待、学生時代のいじめ、上司のモラハラ、結婚相手のDV、ひどい失恋?
様々な原因があるけれど、境界線をもうすぐ超えてしまうのではないかと心配になる。
余計なお世話だけれど、あまりにも不幸そうで気の毒でならない。
だれかに相談してみたら?
なんなら私が聞いてあげるよと、声をかけたくなった。
いやいや、このおばさんでは役には立たない。
今まで一度として、人の悩みの深淵に降りたことのない人だから。
だからベートーヴェンが弾けない。
音楽に深みがない。
ブラームスを弾いても、春のそよ風のようになってしまう。
音楽家としてはちょっと困りもの。
朝のラッシュ時間は過ぎていて、ぎゅうぎゅう詰めとは言えないくらいの混み方。
人と人の間はほとんど隙間がない程度。
私は楽器を背負っていたから、バッグは手にぶら下げていた。
その方が肩にバッグをかけるよりは、体積が減ると思ったので。
ショルダーにするとバッグが体からはみ出る。
人の体の足下のほうは隙間がある。
その隙間にぶら下げていた。
これが悪かった。
数駅先から乗ってきた女性がドアの前に立っていた。
私はそのドアより少し中に入ったところで、その女性の斜め後ろに立っていた。
つり革に空きはなかったけれど、座席の端のポールを捕まえられたから、ぐらつきはしない。
それでも停車する前に電車がガタンと揺れた。
その拍子に私がぶら下げていたバッグが、前に立っている女性の足に軽く触れた。
それは本当にぶつかったというわけではない。
ところが後ろ向きに立っていたその人が、振り返って思い切り嫌な顔をした。
ふだんの私はお調子者だから、そんなときにはへらへらと、あら、ごめんなさいねなどと軽く言えるのだけれど、その人の目を見て驚いた。
親の仇とばかりに睨みつけられて、私は口から言葉が出ない。
目は丸いものだと思っていた今までの長い生涯の認識を、改めないといけなくなった。
ほう~、目って本当に三角になるんだ。
ポカーンとして見ていて、謝るのを忘れた。
しばらく横顔を眺めていた。
艶やかなストレートヘア、きれいなオレンジ色のストール、上質のカシミヤのコート、それからショルダーバッグ、レッグウオーマー、スエードのハイヒール3点を同色で揃え、バッグも靴もたぶん一流ブランドものと思われる。
色合いもバランスも、それはそれは品が良くてお見事。
特にグレーのバッグと靴は素敵!
しかし顔を見ると、眉根に深い縦皺、目が三角。
もう一度ガタンと電車が揺れて、又バッグがかすかに触れたとき、呪われているかと思うくらい凄い目で睨まれた。
今度は癪に障ったから「そんなに周りに触れるのがいやなら、マイカーかタクシーでお出かけになったらいかが?」と言ってみようかと思った。
なんなら徒歩かジョギングででも。
だって、この混みようだったら、揺れで隣に触らないのは至難の業でしょう。
私がしばらくじっと見つめていたら、慌てて目をそらす。
自分の中で抱え込むタイプと見た。
そのあと、今度はもっと揺れたとき、彼女の後ろにいた男性がバランスを失って、彼女の眼の前のドアガラスに手をついた。
彼女の顔の横すれすれに。
その時の恐ろしい顔たるや、まったく正気とも思えない。
後ろをぐいと振り向いて、その男性をにらみつけた。
男性は全く彼女に触れてはいないのに。
男性はスマホに夢中で、その顔には気が付かない。
気がついていたら、一日中嫌な気分になりそう。
彼女の眉間の皺はますます深くなって、ちょっと気の毒になった。
ひどいストレスを抱えているのかもしれない。
センスの良い全体のスタイルから思うに、普通以上の仕事と収入に恵まれていると思えるのに、この形相では、そのうち壊れてしまいそう。
電車が日本のビジネスの中枢部に向かう乗換駅に着いたときに、彼女は降りて行った。
ああ、やっぱりね。
一流企業かお役所にお勤めで、育ちも頭も良い。
けれど、まったく幸せではない人のように思える。
ちょっと可哀想。
自分を愛せない。
他人も嫌い。
まだ若いのに、この先どうやって生きていくのかしら。
他人事ながら心配になってきた。
今朝目が覚めた時に真っ先に彼女のことを思い出した。
あの人はなんであんなに過敏なのか。
幼少時の虐待、学生時代のいじめ、上司のモラハラ、結婚相手のDV、ひどい失恋?
様々な原因があるけれど、境界線をもうすぐ超えてしまうのではないかと心配になる。
余計なお世話だけれど、あまりにも不幸そうで気の毒でならない。
だれかに相談してみたら?
なんなら私が聞いてあげるよと、声をかけたくなった。
いやいや、このおばさんでは役には立たない。
今まで一度として、人の悩みの深淵に降りたことのない人だから。
だからベートーヴェンが弾けない。
音楽に深みがない。
ブラームスを弾いても、春のそよ風のようになってしまう。
音楽家としてはちょっと困りもの。
2017年2月7日火曜日
ミッケ復活
去年、新しい野良猫の出現で元気をなくした、三毛猫ミッケ。
食欲も落ちて、その後すっかり姿を見せなくなったので、もう生きてはいないものだとあきらめていた。
そして先週週末から、今までこの辺を徘徊していたノラボスのシロリン、物置に棲みついたアメショーのフウ、いつもお腹がすいているチヤ虎のチヤイロン、その3匹が急に掻き消えた。
今朝目が覚めると、かすかに猫の鳴き声がする。
うちの猫かと思ったけれど、どうやら表の方で聞こえるし、聞き覚えもある。
もしやと思って2階のベランダから見下ろすと、お隣との境目のブロック塀の上から見上げるのは、紛れもない三毛猫ミッケ。
目撃情報があったから生存しているらしいとは思っていたけれど、相変わらず毛並みも艶やかなきれいな雌猫。
少しも年を取ったようには見えない。
猫はいい。
しわやシミが毛皮で隠されるから、おばあさんになっても老けない。
飛ぶように階段を駆け下りて、お食事を差し上げた。
まさに人間は猫の下僕。
よくまあ生きていてくださった。
あいかわらずお美しい。
それにしても小汚いオス猫共はいったいどこへ行ってしまったのか。
きっと雌猫を求めて、放浪しているに違いない
嫌な考えが頭に浮かぶ。
もしや一網打尽にひっとらえられて、動物センターに送られたのでは?
いやいや、フウちゃんのようにノラ生活初心者ならいざ知らず、あのボス猫シロリンがそう易々と捕まるわけはない。
きっとメスをゲットして子孫を残したら、又何食わぬ顔で戻るにちがいない。
早く帰っておいで。
ミッケは主のいなくなった物置でまったり。
私が中を覗いたら、泡食って飛び出してきた。
フウちゃんがいない間だけでも、暖かい物置でどうぞごゆっくり。
でも、nekotama食堂に来なくなってから、どこで暮らしていたのか。
全くやつれていないから、きっと大事に扱われていたにちがいない。
猫は人が一喜一憂しているのも知らずに、まったくいい気なものだわ。
食欲も落ちて、その後すっかり姿を見せなくなったので、もう生きてはいないものだとあきらめていた。
そして先週週末から、今までこの辺を徘徊していたノラボスのシロリン、物置に棲みついたアメショーのフウ、いつもお腹がすいているチヤ虎のチヤイロン、その3匹が急に掻き消えた。
今朝目が覚めると、かすかに猫の鳴き声がする。
うちの猫かと思ったけれど、どうやら表の方で聞こえるし、聞き覚えもある。
もしやと思って2階のベランダから見下ろすと、お隣との境目のブロック塀の上から見上げるのは、紛れもない三毛猫ミッケ。
目撃情報があったから生存しているらしいとは思っていたけれど、相変わらず毛並みも艶やかなきれいな雌猫。
少しも年を取ったようには見えない。
猫はいい。
しわやシミが毛皮で隠されるから、おばあさんになっても老けない。
飛ぶように階段を駆け下りて、お食事を差し上げた。
まさに人間は猫の下僕。
よくまあ生きていてくださった。
あいかわらずお美しい。
それにしても小汚いオス猫共はいったいどこへ行ってしまったのか。
きっと雌猫を求めて、放浪しているに違いない
嫌な考えが頭に浮かぶ。
もしや一網打尽にひっとらえられて、動物センターに送られたのでは?
いやいや、フウちゃんのようにノラ生活初心者ならいざ知らず、あのボス猫シロリンがそう易々と捕まるわけはない。
きっとメスをゲットして子孫を残したら、又何食わぬ顔で戻るにちがいない。
早く帰っておいで。
ミッケは主のいなくなった物置でまったり。
私が中を覗いたら、泡食って飛び出してきた。
フウちゃんがいない間だけでも、暖かい物置でどうぞごゆっくり。
でも、nekotama食堂に来なくなってから、どこで暮らしていたのか。
全くやつれていないから、きっと大事に扱われていたにちがいない。
猫は人が一喜一憂しているのも知らずに、まったくいい気なものだわ。
消えたノラたち
昨日も一匹もノラは来なかった。
今日は早朝からノラの住処を覗いても、誰もいない。
ハア~!ため息。
心配・・・・
暖かくなってきたので出歩き始めたのはわかるけれど、毎日欠かさず通ってきたシロリンやチヤイロン、フウちゃんも全く姿を消した。
それこそ忽然と。
毎朝我が家の駐車場で大騒ぎしていたのに。
三毛猫のミッケが去年突然来なくなった。
それでミッケは死んだと思っていたら、ある時目撃情報があって、我が家の駐車場にいたらしい。
ミッケは生きているとしたらどこで暮らしているのかしら。
私の家以外でも少なくとも3軒の猫好きがある。
そこでおいしいものをもらっているのかどうか。
そのほかにひどく猫嫌いの家もある。
我が家の猫も2匹たて続けに毒を盛られた。
初めは道路に飛び出して車にはねられたのかと思った。
体を調べてみると外傷が全くない。
轢かれた形跡がない。
口から泡が出ていた。
獣医さんに尋ねたら、毒殺だという。
この辺は怖いよ、うちの犬なんてぶっ殺してやると言われたもの・・・とは獣医さんの話。
ほかのお宅でも被害に遭った。
あ~あ、そんな変なことを思い出してしまった。
なにもこんな小さな動物がいたっていじめなくてもいいのに、とは、猫好きの勝手な思い。
嫌いな人は本当に嫌いなので目障りなのはわかるけれど、なにも殺さなくてもねえ。
花壇を荒らされたとか、庭にフンをされたとか言うけれど、ちょっと穴を掘って埋めればいいじゃないなんて言おうものなら、烈火のごとく怒られる。
私は子供のころから動物だらけの家で育った。
アヒル、鶏、犬、猫、カナリア、十姉妹、金魚、病膏肓でネズミまで飼った。
開けっ放しのだだっ広い古い家屋だったから、よその猫が箪笥の引き出しや押し入れでご出産なんてこともしばしば。
家猫か野良猫か区別がつかない。
池があって、アヒルはそこの主。
近所の家の大きなジャーマンシェパードがやってきて、それをうちのペルシャ猫ミックスが追い払い、庭に出ればアヒルに縄張りを侵害するなと追いかけられ、鶏がイタチにとられたといっては泣き、常に動物まみれ。
そのうえ、6人の兄弟。
祖母、両親、姉たちの連れ合いや子供たち等々。
近所の知的障害のある子はうちが好きで、朝目が覚めるとパジャマのまま我が家に来てしまう。
それをおばあちゃんが引き取りに来るというのが、毎日のことだった。
人と動物、沢山の植物のある雑木林があった家。
そんな野生児のような育ちだったから、動物を嫌う気持ちはよくわからない。
公園に散歩に行くと沢山の犬たちに出会う。
目が合うとお互いに、にこっり。
犬だって笑うんですから。
いつになったらノラたちは戻ってくるのかしら。
それともこのまま?
もう恩知らずなんて怒らないから、みんな帰っておいで。
早く帰っておいで。
今日は早朝からノラの住処を覗いても、誰もいない。
ハア~!ため息。
心配・・・・
暖かくなってきたので出歩き始めたのはわかるけれど、毎日欠かさず通ってきたシロリンやチヤイロン、フウちゃんも全く姿を消した。
それこそ忽然と。
毎朝我が家の駐車場で大騒ぎしていたのに。
三毛猫のミッケが去年突然来なくなった。
それでミッケは死んだと思っていたら、ある時目撃情報があって、我が家の駐車場にいたらしい。
ミッケは生きているとしたらどこで暮らしているのかしら。
私の家以外でも少なくとも3軒の猫好きがある。
そこでおいしいものをもらっているのかどうか。
そのほかにひどく猫嫌いの家もある。
我が家の猫も2匹たて続けに毒を盛られた。
初めは道路に飛び出して車にはねられたのかと思った。
体を調べてみると外傷が全くない。
轢かれた形跡がない。
口から泡が出ていた。
獣医さんに尋ねたら、毒殺だという。
この辺は怖いよ、うちの犬なんてぶっ殺してやると言われたもの・・・とは獣医さんの話。
ほかのお宅でも被害に遭った。
あ~あ、そんな変なことを思い出してしまった。
なにもこんな小さな動物がいたっていじめなくてもいいのに、とは、猫好きの勝手な思い。
嫌いな人は本当に嫌いなので目障りなのはわかるけれど、なにも殺さなくてもねえ。
花壇を荒らされたとか、庭にフンをされたとか言うけれど、ちょっと穴を掘って埋めればいいじゃないなんて言おうものなら、烈火のごとく怒られる。
私は子供のころから動物だらけの家で育った。
アヒル、鶏、犬、猫、カナリア、十姉妹、金魚、病膏肓でネズミまで飼った。
開けっ放しのだだっ広い古い家屋だったから、よその猫が箪笥の引き出しや押し入れでご出産なんてこともしばしば。
家猫か野良猫か区別がつかない。
池があって、アヒルはそこの主。
近所の家の大きなジャーマンシェパードがやってきて、それをうちのペルシャ猫ミックスが追い払い、庭に出ればアヒルに縄張りを侵害するなと追いかけられ、鶏がイタチにとられたといっては泣き、常に動物まみれ。
そのうえ、6人の兄弟。
祖母、両親、姉たちの連れ合いや子供たち等々。
近所の知的障害のある子はうちが好きで、朝目が覚めるとパジャマのまま我が家に来てしまう。
それをおばあちゃんが引き取りに来るというのが、毎日のことだった。
人と動物、沢山の植物のある雑木林があった家。
そんな野生児のような育ちだったから、動物を嫌う気持ちはよくわからない。
公園に散歩に行くと沢山の犬たちに出会う。
目が合うとお互いに、にこっり。
犬だって笑うんですから。
いつになったらノラたちは戻ってくるのかしら。
それともこのまま?
もう恩知らずなんて怒らないから、みんな帰っておいで。
早く帰っておいで。
2017年2月4日土曜日
恩知らず
ここ数日暖かいので、ノラたちはお出かけ。
毎朝お腹を空かせて、私が行くとにゃあにゃあ大騒ぎで出迎えたのに、最近は毎日同じようなご飯が気に食わないらしく鼻で嗅いでフンてなもの。
寒いうちは心細そうに、にゃあと鳴いて甘えてきたのに、どこかに新しい食堂ができたらしい。
ノラご一同様は少しも寄り付かない。
たまに夜食がほしくなると、ちょっと口をつける程度の食べ方。
生意気にもほどがある。
物置にベッドとアンカを置いて毎日寒くないように、水分は少し温めた白湯をと一生懸命尽くしたのに、ほかにおいしいご飯があればサッサと移動、寒くなければもうベッドはいらない?
ほんとに猫ってヤツらの自己中はあきれたものだわ。
今日は特に、ほかの餌場の人がいるらしい土曜日。
明日は日曜日だから、週末限定のレストランが営業すると思う。
明日はエサを置かないでいてみよう。
時々週末でもお腹を空かせて来るときもあるから、営業がなければ可哀想だけれど、なに、構うものですか。
時には空腹になってみれば、私のありがたみがわかるというもの。
ぷんぷん!
半年ほど前からうちの物置に住み着いたノラのアメリカンショートヘア。
ふうふう怒るからフウちゃんと呼んでいた。
寒い時には物置にこもって、私が降りていくとのっそりと物置から出てきた。
初めのころはひどくお腹を空かせていて、ガツガツと食べたけれど、最近はちょっと鼻で嗅いでは考えている。
考えるくらいならお腹はすいていない。
だいたい猫のちっぽけな脳味噌で、エサ以外のことを考えるわけがない。
物置が安住の住処とはいえない。
この辺のノラのボス猫シロリンにベッドを横取りされたり、別の猫にマーキングされたり、これでなかなか苦労も多いらしいから、家に入れてあげたいと思っていた。
私の力ではどうにもならない。
手を出せば引っ掻かれる。
捕獲機があるらしいので、獣医さんにたのんでみようかと思っていたけれど、下手に家に入れるのも逆に可哀想な気がして、踏ん切りがつかなかったのでぐずぐずしていた。
そのうちにこの辺のノラ社会に段々溶け込んできて、今は皆さんとうまくやっている様だから、このまま自由にさせておこうかとも。
家に入れたら最後、外には出られなくなる。
それが猫にとってどういうものなのかは、想像がつかない。
去年亡くなった玉三郎はずっと表に出たがっていたけれど、出さないようにしていた。
一度出れば自由の味を知ってしまう。
外は面白いはず。
猫にとっても人間にとっても。
私は最近引きこもりだけれど、いつでも自分の意志で出られるのだから、閉塞感はない。
猫は自分で重たいドアを開けられない。
すきを見て逃げたら、今度は帰れなくなる。
それも心配で、ノラを家に入れるのは、よほど弱っているネコか、おとなしい雌猫でないと、途中からは無理かとも思う。
以前お向いさんのおじいちゃんが、うちの猫が庭にフンをすると苦情を言ってきたことがある。
うちの玄関は住居のドアと、階段を降りたところのドアと二重になっているので、人間が出さない限り、猫の力では到底開けられない。
もちろん自動ドアではないし。
猫はどうやって出てきたの?と訊いたら、自分で開けて出てきたよというので、それは無理。
うちの猫ではないと思うわよというと、いや、絶対自分でドアを開けたと言い張るので、途方に暮れたことがあった。
お嫁さんに訊いたら「うちのおじいちゃんは困ったわねえ、しょっちゅう変なこと言うのよ、ごめんなさいね」と笑っていた。
おじいちゃんにどんなふうに開けたの?と訊いたら、人が開けるように手で空ける動作をしたのがおかしい。
そのおじいちゃんも、もうなくなって、懐かしい思い出となった。
毎朝お腹を空かせて、私が行くとにゃあにゃあ大騒ぎで出迎えたのに、最近は毎日同じようなご飯が気に食わないらしく鼻で嗅いでフンてなもの。
寒いうちは心細そうに、にゃあと鳴いて甘えてきたのに、どこかに新しい食堂ができたらしい。
ノラご一同様は少しも寄り付かない。
たまに夜食がほしくなると、ちょっと口をつける程度の食べ方。
生意気にもほどがある。
物置にベッドとアンカを置いて毎日寒くないように、水分は少し温めた白湯をと一生懸命尽くしたのに、ほかにおいしいご飯があればサッサと移動、寒くなければもうベッドはいらない?
ほんとに猫ってヤツらの自己中はあきれたものだわ。
今日は特に、ほかの餌場の人がいるらしい土曜日。
明日は日曜日だから、週末限定のレストランが営業すると思う。
明日はエサを置かないでいてみよう。
時々週末でもお腹を空かせて来るときもあるから、営業がなければ可哀想だけれど、なに、構うものですか。
時には空腹になってみれば、私のありがたみがわかるというもの。
ぷんぷん!
半年ほど前からうちの物置に住み着いたノラのアメリカンショートヘア。
ふうふう怒るからフウちゃんと呼んでいた。
寒い時には物置にこもって、私が降りていくとのっそりと物置から出てきた。
初めのころはひどくお腹を空かせていて、ガツガツと食べたけれど、最近はちょっと鼻で嗅いでは考えている。
考えるくらいならお腹はすいていない。
だいたい猫のちっぽけな脳味噌で、エサ以外のことを考えるわけがない。
物置が安住の住処とはいえない。
この辺のノラのボス猫シロリンにベッドを横取りされたり、別の猫にマーキングされたり、これでなかなか苦労も多いらしいから、家に入れてあげたいと思っていた。
私の力ではどうにもならない。
手を出せば引っ掻かれる。
捕獲機があるらしいので、獣医さんにたのんでみようかと思っていたけれど、下手に家に入れるのも逆に可哀想な気がして、踏ん切りがつかなかったのでぐずぐずしていた。
そのうちにこの辺のノラ社会に段々溶け込んできて、今は皆さんとうまくやっている様だから、このまま自由にさせておこうかとも。
家に入れたら最後、外には出られなくなる。
それが猫にとってどういうものなのかは、想像がつかない。
去年亡くなった玉三郎はずっと表に出たがっていたけれど、出さないようにしていた。
一度出れば自由の味を知ってしまう。
外は面白いはず。
猫にとっても人間にとっても。
私は最近引きこもりだけれど、いつでも自分の意志で出られるのだから、閉塞感はない。
猫は自分で重たいドアを開けられない。
すきを見て逃げたら、今度は帰れなくなる。
それも心配で、ノラを家に入れるのは、よほど弱っているネコか、おとなしい雌猫でないと、途中からは無理かとも思う。
以前お向いさんのおじいちゃんが、うちの猫が庭にフンをすると苦情を言ってきたことがある。
うちの玄関は住居のドアと、階段を降りたところのドアと二重になっているので、人間が出さない限り、猫の力では到底開けられない。
もちろん自動ドアではないし。
猫はどうやって出てきたの?と訊いたら、自分で開けて出てきたよというので、それは無理。
うちの猫ではないと思うわよというと、いや、絶対自分でドアを開けたと言い張るので、途方に暮れたことがあった。
お嫁さんに訊いたら「うちのおじいちゃんは困ったわねえ、しょっちゅう変なこと言うのよ、ごめんなさいね」と笑っていた。
おじいちゃんにどんなふうに開けたの?と訊いたら、人が開けるように手で空ける動作をしたのがおかしい。
そのおじいちゃんも、もうなくなって、懐かしい思い出となった。
2017年2月3日金曜日
花粉飛翔?
明日は立春。
野良猫たちも辛い冬を乗り越えて、のびのびと体を伸ばせる季節が、すぐそこまでやってきた。
ところが私が一番苦手なのが、この季節。
毎年熱を出したり寝込んだり。
体調がガクッと落ちる。
私は春の生まれだから、自分の誕生日に気分が良かったためしがない。
お花見のころは絶不調。
毎年恒例のお花見が我が家で開かれるけれど、時には高熱を出してベッドとお客様の間を行ったり来たりした年もあった。
今朝、ノラのベッドを覗きに行ったら、お出かけだった。
エサと水を置いて家に入ってしばらくすると、突然のくしゃみ連続。
鼻水も出る。
あれっ、風邪をひいたかな?
鼻をかんでいて、突然、自分が花粉症だということを思い出した。
ああ、また嫌な季節がやってくる。
かと言って、花粉症対策はしない。
対症療法とか注射とかあるらしいけれど、ほとんどの場合マスクと帽子で乗り切れる。
薬を飲んでいた時期もあった。
仕事をしていたころは、録音中にくしゃみがでるといけないから、薬を飲む。
毎日眠い。
ただでさえ眠い季節にこれはたまらない。
今はなんの心配もなく、薬もいらない。
あまり家から出ないのと、マスクで十分防げるから。
この季節は北軽井沢は本当にきれいだと聞いているから、やたらと恋しい。
行ってみようか、でもとても気温が低いから、道路の凍結がひどいらしい。
軽井沢の友人が、雪が降っていなくても湿度が高いから道が凍ると脅された。
軽井沢から登っていくルートが、非常にカーブの多い山道。
夏でも雨や霧の濃い日は、少し緊張する。
この季節はまだ、いつなんどき雪が降らないともかぎらない。
あちらに移住してしまえば、馴れるとは思うけれど。
北軽の別荘の持ち主のノンちゃんを誘ってみようかな。
持ち主を誘うというのも、主客転倒みたいな話だけれど。
今まで雪道の運転は一切やったことがない。
一度講習を受けたいと思いながら忙しく過ごしてきたので、まだ実現しない。
今なら時間はたっぷりあるから行ってみようかと思っているけれど、もうやる気がなくなって面倒くさい。
私は急発進、急ブレーキなどの急の付く運転はしないから、このままの運転の仕方でいいとは思うけれど、いざ滑ってしまったら対処の仕方がわからない。
運転を始めた頃、九州の山の砂利道でタイヤが滑ってあわや!という時があった。
その時は無意識にハンドルを逆に切ったので、それが良かったらしい。
同乗者たちから大変褒められた。
自分ではなんの自覚もなくやったことだから、原始人の勘だったかもしれないので、もう一度同じことはできないと思う。
なぜ逆ハンドルがいいのかも理屈としてわかっていない。
その逆ハンドルというのが、何に対して逆なのかもわかっていない。
しばらく花粉を避けて我慢の毎日。
北軽井沢では、杉の木はあまり見かけない。
ほとんどが雑木林で気温も低いから、スギ花粉に悩まされることもないと思っている。
いつか、あの雑木林で清浄な空気を吸って、ゆったりと暮らすことを夢見ている。
野良猫たちも辛い冬を乗り越えて、のびのびと体を伸ばせる季節が、すぐそこまでやってきた。
ところが私が一番苦手なのが、この季節。
毎年熱を出したり寝込んだり。
体調がガクッと落ちる。
私は春の生まれだから、自分の誕生日に気分が良かったためしがない。
お花見のころは絶不調。
毎年恒例のお花見が我が家で開かれるけれど、時には高熱を出してベッドとお客様の間を行ったり来たりした年もあった。
今朝、ノラのベッドを覗きに行ったら、お出かけだった。
エサと水を置いて家に入ってしばらくすると、突然のくしゃみ連続。
鼻水も出る。
あれっ、風邪をひいたかな?
鼻をかんでいて、突然、自分が花粉症だということを思い出した。
ああ、また嫌な季節がやってくる。
かと言って、花粉症対策はしない。
対症療法とか注射とかあるらしいけれど、ほとんどの場合マスクと帽子で乗り切れる。
薬を飲んでいた時期もあった。
仕事をしていたころは、録音中にくしゃみがでるといけないから、薬を飲む。
毎日眠い。
ただでさえ眠い季節にこれはたまらない。
今はなんの心配もなく、薬もいらない。
あまり家から出ないのと、マスクで十分防げるから。
この季節は北軽井沢は本当にきれいだと聞いているから、やたらと恋しい。
行ってみようか、でもとても気温が低いから、道路の凍結がひどいらしい。
軽井沢の友人が、雪が降っていなくても湿度が高いから道が凍ると脅された。
軽井沢から登っていくルートが、非常にカーブの多い山道。
夏でも雨や霧の濃い日は、少し緊張する。
この季節はまだ、いつなんどき雪が降らないともかぎらない。
あちらに移住してしまえば、馴れるとは思うけれど。
北軽の別荘の持ち主のノンちゃんを誘ってみようかな。
持ち主を誘うというのも、主客転倒みたいな話だけれど。
今まで雪道の運転は一切やったことがない。
一度講習を受けたいと思いながら忙しく過ごしてきたので、まだ実現しない。
今なら時間はたっぷりあるから行ってみようかと思っているけれど、もうやる気がなくなって面倒くさい。
私は急発進、急ブレーキなどの急の付く運転はしないから、このままの運転の仕方でいいとは思うけれど、いざ滑ってしまったら対処の仕方がわからない。
運転を始めた頃、九州の山の砂利道でタイヤが滑ってあわや!という時があった。
その時は無意識にハンドルを逆に切ったので、それが良かったらしい。
同乗者たちから大変褒められた。
自分ではなんの自覚もなくやったことだから、原始人の勘だったかもしれないので、もう一度同じことはできないと思う。
なぜ逆ハンドルがいいのかも理屈としてわかっていない。
その逆ハンドルというのが、何に対して逆なのかもわかっていない。
しばらく花粉を避けて我慢の毎日。
北軽井沢では、杉の木はあまり見かけない。
ほとんどが雑木林で気温も低いから、スギ花粉に悩まされることもないと思っている。
いつか、あの雑木林で清浄な空気を吸って、ゆったりと暮らすことを夢見ている。
2017年2月1日水曜日
カラオケ初体験
電話がかかってきた。
以前仕事でよく一緒になったコーラスのY子さん。
今日は何をしていらっしゃいますか?と言うから、別になんにもというと、これからカラオケにいきませんか?
彼女は私の家の近くに高校時代からの親友が住んでいて、時々会っているようだ。
その親友のNさんは、ご自身とご主人の親御さんの介護が大変で、すごく疲れているらしい。
それで、気晴らしにカラオケに行って歌えば気もはれるのではと思って誘ったという。
nekotamaさんもどうですか、ヴァイオリンのMさんも来ますから、というので、でかけることにした。
ヴァイオリンのMさんはお嬢さんと一緒に来るという。
お嬢さんは今年音大を卒業するので、もうお父さんと一緒に仕事を始めたという。
私はMさんとも数年間同じ仕事で全国を回っていたことがあり、かなり若い世代だと思っていたけれど、もうお嬢さんが仕事をする年になったのかと感無量。
最寄り駅で待ち合わせて、カラオケやに行った。
カラオケができ始めのころ、私たちは沢山の仕事を抱えて都内や地方都市を飛び回っていた。
仕事が終わるとディレクターや舞台監督、音楽事務所の人などと一緒に飲みに出かけることもしばしばあった。
その頃はカラオケには行ったことはない。
せっかく仕事が終わってからうるさい所に行きたくはなかったから、さそわれても頑として行かなかった。
営業としてそういうお付き合いをすればもっと仕事につながるとは思ったけれど、私はそこまでして仕事をしようという思いはなかった。
おそろしく忙しい頃だったので、次の日のことを考えると体力的にも無理。
本当はそこで発散してしまえば良いかも知れなかったけれど、嫌いなものは嫌い。
はっきりとお断りしていた。
それで人生初のカラオケがこの日になったというわけ。
駅前でY子さんとNさんと待ち合わせ。
久しぶりの再会に3人ともはしゃいでカラオケやさんへ。
Mさんは仕事場から車でお嬢さんと駆けつけるというので、姦しくおしゃべりをしながら待っていた。
Nさんの介護の大変さに同情したり、Y子さんの息子さんの結婚話に喜んだり。
カラオケやさんは某大学のすぐそばにあって、新しくきれいだったけれど、なぜか私たちはキッズルームに通された。
部屋の中に小さな滑り台やボールなどが置いてあって、お母さんたちが小さい子供を連れてカラオケをするときの部屋らしい。
他が空いていないのでと言われて、なるほど、こういうところでお母さんたちは子供を見ながらカラオケもできるし、簡単な食事もできる。
良い時代だなあと思った。
この中なら安全で、昼間なら酔っ払いなども来ない。
ファミレスなどで子供が騒ぐとほかの客から白い目で見られるけれど、ここなら子供がいくら騒いでも大丈夫。
一歩廊下に出ると、ワンワンと各部屋からの騒音が漏れているけれど、室内にいると自分たちの出す音が大きくて気にならない。
そのうちにMさん親子も到着した。
早速歌い始める。
私は歌は普段歌わないし、まして最近の歌は聞くこともないから、まったくの傍観者を決め込んでいたけれど、Y子さんが気を使って愛の賛歌を見つけてくれた。
歌詞がモニターに出るのと、これならメロディーもよくわかるので、一曲歌ったら、音程が良いとほめられた。
声は良くないしうまくないから、私が歌っている間どうやって誉めようかと考えたにちがいない。
まあ音程は商売ですから。
Y子さんはさすがに専門家だから上手い。
でも・・・Mさんは腰を抜かしそうなくらい、上手い!
だいたいヴァイオリン弾きで歌の上手い人はあまりいない。
声が出にくいのだ。
声も節回しも、とんでもなく上手いので、歌手になっても売れるよと皆で絶賛した。
そして、この親にしてこの子あり。
お嬢さんも透き通るようなきれいな声で、今どきの難しい歌を次々に歌った。
訊けばお母さんはもっと上手いとのこと。
元アナウンサーだそうで、納得。
私は愛の賛歌だけでギブアップ。
後は聞き役に徹して楽しんだ。
今日の目的だったNさんを慰めるのはできたのかどうか。
彼女にこにこしていたけれど、介護があるので早めに帰った。
終わってから親子は車で帰り、私とY子さんは私の家で少しお話をした。
私が仕事をやめて数年経って仕事の状況も変わり、かつてのグループがほかのグループに変わったという。
ちょうど私は良い時にやめたらしい。
最後の仕事の時には、泣いた人もいたらしい。
なにごとも終わる日は来るけれど、やはり今日でお終いとなったら、それは悲しいと思う。
一つの時代が終わって、新しい世代に交代するのは当たり前のこと。
それでも、全員が終わるという場面には居合わせたくない。
Y子さんからの情報は、今の私には貴重なもの。
かつての仕事仲間の今の情報が得られる。
彼女とは同じ旅の仕事で、本当に仲良くしてもらった。
3人のコーラスグループはそれぞれが自立したキャリアウーマンたちで、自分の手でしっかりと道を切り開くことのできる女性たち。
彼女たちとは公私ともに、とても良いお付き合いだった。
旅の仕事では、本番の前日に出発して、現地のおいしいものを食べたり、きれいな景色を見たり、ただ忙しく仕事をするだけではなく、人生を楽しむすべを知っている人たち。
その女性だけのグループにヴァイオリンの男性が一人入ってきて、人生相談を持ち掛けてきた。
最近奥さんが冷淡、どうしたらいい?
朝起きたら奥さんに「今日もきれいだよ」と言ってごらん。
nekotamaさんで練習しなさいと、コーラスさんたちの助言。
次の朝彼は「nekotamaちゃん、今日もきれいだね」
目撃者が後ろにいて目をまん丸くしていたそうだ。
それはアレンジャーで指揮をしていたT先生。
それをはたから見ていたY子さんは、昨日その話をしてケラケラわらった。
T先生に聞かれては、業界中に噂が広まっているに違いない。
あはは、だれも信用も心配もしそうにないけれど。
そんな懐かしい話をしばらくして、彼女は帰っていった。
以前仕事でよく一緒になったコーラスのY子さん。
今日は何をしていらっしゃいますか?と言うから、別になんにもというと、これからカラオケにいきませんか?
彼女は私の家の近くに高校時代からの親友が住んでいて、時々会っているようだ。
その親友のNさんは、ご自身とご主人の親御さんの介護が大変で、すごく疲れているらしい。
それで、気晴らしにカラオケに行って歌えば気もはれるのではと思って誘ったという。
nekotamaさんもどうですか、ヴァイオリンのMさんも来ますから、というので、でかけることにした。
ヴァイオリンのMさんはお嬢さんと一緒に来るという。
お嬢さんは今年音大を卒業するので、もうお父さんと一緒に仕事を始めたという。
私はMさんとも数年間同じ仕事で全国を回っていたことがあり、かなり若い世代だと思っていたけれど、もうお嬢さんが仕事をする年になったのかと感無量。
最寄り駅で待ち合わせて、カラオケやに行った。
カラオケができ始めのころ、私たちは沢山の仕事を抱えて都内や地方都市を飛び回っていた。
仕事が終わるとディレクターや舞台監督、音楽事務所の人などと一緒に飲みに出かけることもしばしばあった。
その頃はカラオケには行ったことはない。
せっかく仕事が終わってからうるさい所に行きたくはなかったから、さそわれても頑として行かなかった。
営業としてそういうお付き合いをすればもっと仕事につながるとは思ったけれど、私はそこまでして仕事をしようという思いはなかった。
おそろしく忙しい頃だったので、次の日のことを考えると体力的にも無理。
本当はそこで発散してしまえば良いかも知れなかったけれど、嫌いなものは嫌い。
はっきりとお断りしていた。
それで人生初のカラオケがこの日になったというわけ。
駅前でY子さんとNさんと待ち合わせ。
久しぶりの再会に3人ともはしゃいでカラオケやさんへ。
Mさんは仕事場から車でお嬢さんと駆けつけるというので、姦しくおしゃべりをしながら待っていた。
Nさんの介護の大変さに同情したり、Y子さんの息子さんの結婚話に喜んだり。
カラオケやさんは某大学のすぐそばにあって、新しくきれいだったけれど、なぜか私たちはキッズルームに通された。
部屋の中に小さな滑り台やボールなどが置いてあって、お母さんたちが小さい子供を連れてカラオケをするときの部屋らしい。
他が空いていないのでと言われて、なるほど、こういうところでお母さんたちは子供を見ながらカラオケもできるし、簡単な食事もできる。
良い時代だなあと思った。
この中なら安全で、昼間なら酔っ払いなども来ない。
ファミレスなどで子供が騒ぐとほかの客から白い目で見られるけれど、ここなら子供がいくら騒いでも大丈夫。
一歩廊下に出ると、ワンワンと各部屋からの騒音が漏れているけれど、室内にいると自分たちの出す音が大きくて気にならない。
そのうちにMさん親子も到着した。
早速歌い始める。
私は歌は普段歌わないし、まして最近の歌は聞くこともないから、まったくの傍観者を決め込んでいたけれど、Y子さんが気を使って愛の賛歌を見つけてくれた。
歌詞がモニターに出るのと、これならメロディーもよくわかるので、一曲歌ったら、音程が良いとほめられた。
声は良くないしうまくないから、私が歌っている間どうやって誉めようかと考えたにちがいない。
まあ音程は商売ですから。
Y子さんはさすがに専門家だから上手い。
でも・・・Mさんは腰を抜かしそうなくらい、上手い!
だいたいヴァイオリン弾きで歌の上手い人はあまりいない。
声が出にくいのだ。
声も節回しも、とんでもなく上手いので、歌手になっても売れるよと皆で絶賛した。
そして、この親にしてこの子あり。
お嬢さんも透き通るようなきれいな声で、今どきの難しい歌を次々に歌った。
訊けばお母さんはもっと上手いとのこと。
元アナウンサーだそうで、納得。
私は愛の賛歌だけでギブアップ。
後は聞き役に徹して楽しんだ。
今日の目的だったNさんを慰めるのはできたのかどうか。
彼女にこにこしていたけれど、介護があるので早めに帰った。
終わってから親子は車で帰り、私とY子さんは私の家で少しお話をした。
私が仕事をやめて数年経って仕事の状況も変わり、かつてのグループがほかのグループに変わったという。
ちょうど私は良い時にやめたらしい。
最後の仕事の時には、泣いた人もいたらしい。
なにごとも終わる日は来るけれど、やはり今日でお終いとなったら、それは悲しいと思う。
一つの時代が終わって、新しい世代に交代するのは当たり前のこと。
それでも、全員が終わるという場面には居合わせたくない。
Y子さんからの情報は、今の私には貴重なもの。
かつての仕事仲間の今の情報が得られる。
彼女とは同じ旅の仕事で、本当に仲良くしてもらった。
3人のコーラスグループはそれぞれが自立したキャリアウーマンたちで、自分の手でしっかりと道を切り開くことのできる女性たち。
彼女たちとは公私ともに、とても良いお付き合いだった。
旅の仕事では、本番の前日に出発して、現地のおいしいものを食べたり、きれいな景色を見たり、ただ忙しく仕事をするだけではなく、人生を楽しむすべを知っている人たち。
その女性だけのグループにヴァイオリンの男性が一人入ってきて、人生相談を持ち掛けてきた。
最近奥さんが冷淡、どうしたらいい?
朝起きたら奥さんに「今日もきれいだよ」と言ってごらん。
nekotamaさんで練習しなさいと、コーラスさんたちの助言。
次の朝彼は「nekotamaちゃん、今日もきれいだね」
目撃者が後ろにいて目をまん丸くしていたそうだ。
それはアレンジャーで指揮をしていたT先生。
それをはたから見ていたY子さんは、昨日その話をしてケラケラわらった。
T先生に聞かれては、業界中に噂が広まっているに違いない。
あはは、だれも信用も心配もしそうにないけれど。
そんな懐かしい話をしばらくして、彼女は帰っていった。
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