不定期にだけれど、必ず集まる女子会がある。
毎回6人、時々5人。
銀座の和食の店がお気に入りで、最近はそこでの会食が多い。
銀座は一時期外国人で大混乱だったけれど、昨日行ったら閑散としていた。
ブランドショップの並ぶ中央通りは以前のゆったりとした時間が流れ、大人の街銀座の姿が戻っていた。
大好きな銀座も最近は敬遠がちだったけれど、これでまたしばらく通うことになりそう。
次回も銀座でということで決まり。
肺炎に喘ぐ中国の人たちにはとても気の毒だけど、つかの間かもしれない静けさを堪能した。
かつての日本人も世界中から顰蹙ものだったことがある。
農協のおっさんたちの行動が眉を潜められた。
飛行機の中でステテコ(これわかります?)姿、靴を脱いで前の座席に足を乗せる。
ブランドショップに押しかけ、買い漁る。
今私達が見ている中国人の振る舞いと変わらない。
経済的な成長の途上には、それに追いつけない生活習慣や教養など、取り残された部分が目立つ。
安定期に入れば、そのうち追いついてくる。
世界の文明発祥の国として、中国は常に私の尊敬の的だった。
なんと言っても日本人にはないおおらかさや決断力などは、敵に回せば恐ろしいと感じるものがあった。
体力も知力も優れている中国人のいけないところと言えば、国自体が大きすぎて統一するのが困難だからではないかと思う。
初めて中国に行った時、その広大さと多民族、それらの違いすぎる文化に驚いた。
まったく同じ国の人とは思えない人たちが辺境で見られた。
中国人が碧眼金髪?ターバン巻いてイスラム教?
私が行ったところは北京、天津、西安、ウルムチ、カシュガル、トルファンというシルクロードの旅。
行けども行けども砂漠地帯。
ウルムチは美しい街で、ぶどうが実りシルクのスカーフの模様もエキゾチックで、本当に素晴らしかった。
カシュガルの市場では羊の頭がゴロリ、びっくり仰天。
まちなかの屋台でシシカバブ、一般家庭訪問では「アラジンと不思議のランプ」の雰囲気。
この中で広がった肺炎は、またたく間に日本に伝わってしまった。
中国の良さが一転して悪い方に崩れ落ちる様は、あの国らしい大きな波となってこちらにも届いてしまった。
さあ、これからどうする?
広大で強大な国がこうなると収集がつかないけれど、彼らはすぐに蘇ってくると思う。
それよりも日本の役人のバカバカしさ。
一定の基準を満たさないと治療が受けられないなんて!
さんざん閉じ込めておいて患者を増やし尽くしたところで、結局なんの安全性も確信できないまま自宅に帰すなど狂気の沙汰。
閉ざされた空間で換気もままならなければ、ウイルスは大喜びで繁殖する。
そのくらい想像できないものかしら。
早めに陰性の人は船から降ろし、観察期間を設ける。
陽性の人は即医療機関に。
この決断がなぜできない?
役人根性の常に批判されることを恐れての優柔不断さが裏目に出て、今世界中から批判されている。
民間の機関が国の機関より劣っているなんてどうして言える?
民間は必死でやっていますよ。
だから民間の機関にも治療の手助けを頼めばいいものを、変なプライドがあってできないとは。
どうせなにをやっても罰せられることのない公務員なら、俺がすべての責任を取る!と言って、大英断を行う人が一人くらいいてもいいのでは?
ねえ、安倍さん?
年金を破綻させようが、消費税を上げて不景気をまねこうが、知ったことないものね。
森友の欲張り夫婦は厳しく罰られて、それを許した大阪の役人は知らん顔だものね。
2020年2月17日月曜日
雪がない!
志賀高原で今シーズン最後のスキーに行ってきました。
私達が泊まったのは高天原のホテル。
目の前は道の両側がすぐにゲレンデ。
リフト一本乗れば、そこから分岐していろいろなところに行ける。
志賀高原はどこのゲレンデも面白く、若い頃は一日中リフトを乗り継いで全山駆け巡っていたけれど、最近はショボショボと近場のゲレンデで足慣らし。
私は足の痛みにかこつけて、半日も滑ればギブアップという体たらくになってしまった。
ホテルは古い和室の畳の部屋。
足が痛いと、布団から立ち上がるのも一苦労する。
それでも去年の足の弱り方からは想像できないほど、今年は格段に具合が良い。
去年は寝返りをするのも一苦労だったから。
これもフランスで長距離滑ったおかげだとは、指導員のO先生の説明。
やはり体は想像以上に動かさないと筋肉が弱ってしまうようだ。
今年の筋力の付き具合を維持しながら更に筋トレをすれば、来年はもう少し滑るのが楽になるかもしれない。
ホテルの客層は私達のような中高年が多かった。
去年までは外国人がたくさん来ていたのに、今年は殆ど見かけない。
ゲレンデには少ない残雪がやっと張り付いている。
気温が高く昨夜は夜中に雨が降って、溶けた雪が明け方凍ってコンディションは最悪。
もちろんそんな雪で滑りたくはないから、朝のバスでとっとと帰ってきた。
足の痛みに加えて体力も今は最低だし、気力も残っていない。
こういうときに滑っても楽しくない上に、怪我のリスクも大きい。
今年の新型肺炎の大流行で新幹線にのるのも勇気がいるけれど、だからと言って動かないでいるわけにはいかない。
今は、日本中が息を潜めて疫病の終息を期待している状態だから、遊びに行った先でウイルスを背負って帰ってきたら大変なので、マスク、手洗い、喉の洗浄など、いつもより念入りにしているけれど、さあ、どこでどうなることやら。
去年の志賀高原は中国、台湾、欧米の人が多かった。
ホテルの宿泊客の大半が外国人だったりしたけれど、今年は日本のかつてのスキーブームだった頃のわれわれ年代が目立つ。
古き良き時代のほのぼのした雰囲気で、スキー場の経済は大変かもしれないが、なかなか良かった。
今年の雪の量は最悪。
もう一雨来たら、やっと張り付いている雪も流されてしまうのではないかと思う。
私は今シーズンはこれで終わりだけれど、仲間たちは3月にもう一度行く予定になっている。
果たしてそれまでどのくらい雪が残っていることやら。
もうひと雪ふってくれればいいけれど。
以前は毎年5月の連休に八幡平で山スキーを楽しんだ。
5月ともなると流石に毎年残雪豊富とはいかなくて、雪を求めて秋田まで行ってふきのとうを摘んで来たこともあった。
ホテルに持って帰って天ぷらにしてもらった。
ゲレンデの端っこのやっと残っている雪を滑ることもあったし、月山ではリフトの乗り場の下に雪がなくて板を外して乗ったりしたことも。
5月ならそれも楽しめたけれど、2月のシーズンにこんなに雪が少なかったことは珍しい。
40年以上前だったと思うけれど、車に道具を積んでスキー場を目指したことがあった。
早朝暗いうちに家を出た。
どこというあてもなく北上して福島県へ。
鳴子などのスキー場を回ってもどこも黒々とした山々。
更に北上。
やっと蔵王まで行ったらなんとか滑ることができた。
その時以来の雪不足ではないかしら。
志賀高原は熊の湯に人工降雪機があるから安心と思ったら、この高温では雪ができないらしい。
そんなわけで、今年フランスに行ったのは大正解だった。
あれでやっとシーズンの滑降量が満たされた。
堅い雪で広いコースで滑りやすかった。
足が治るのを待っていたら、どんどん年をとって足が動かなくなってしまう。
とにかく動けるうちに行かないと。
スキーシーズンが終われば、このあとはコンサートの練習に入る。
まず楽器の調整をしないと。
譜読みはあらかたできているから、あとは音量、音色などの調整。
去年は全てに弱気が出てしまい不本意なことが多かったので、今度はやっと明け始めた鬱の闇からの脱出を目指す。
寂しさや落ち込みでいつまでもくよくよしていたら、生涯幸せが戻ってこないような気がする。
生きているうちは幸せでいたいものね。
どこで情報が漏れたか、高齢者の縁結びの会から電話があった。
陰気な声で「私、もうすぐ死にますから」と言ったら、二の句が継げない相手がアワアワ言っていた。
なんでも金儲けの対象にする余計な人たち。
冗談じゃない、自分の道は自分で照らしていきますから。
そのために足の治療を始める決心をした。
去年は治療する気持ちも沸かなかった。
第一段階は足梗塞の検査。
なにがなんでも治して、来年は楽しく滑りたい。
もう一度ヨーロッパで滑りたい。
私達が泊まったのは高天原のホテル。
目の前は道の両側がすぐにゲレンデ。
リフト一本乗れば、そこから分岐していろいろなところに行ける。
志賀高原はどこのゲレンデも面白く、若い頃は一日中リフトを乗り継いで全山駆け巡っていたけれど、最近はショボショボと近場のゲレンデで足慣らし。
私は足の痛みにかこつけて、半日も滑ればギブアップという体たらくになってしまった。
ホテルは古い和室の畳の部屋。
足が痛いと、布団から立ち上がるのも一苦労する。
それでも去年の足の弱り方からは想像できないほど、今年は格段に具合が良い。
去年は寝返りをするのも一苦労だったから。
これもフランスで長距離滑ったおかげだとは、指導員のO先生の説明。
やはり体は想像以上に動かさないと筋肉が弱ってしまうようだ。
今年の筋力の付き具合を維持しながら更に筋トレをすれば、来年はもう少し滑るのが楽になるかもしれない。
ホテルの客層は私達のような中高年が多かった。
去年までは外国人がたくさん来ていたのに、今年は殆ど見かけない。
ゲレンデには少ない残雪がやっと張り付いている。
気温が高く昨夜は夜中に雨が降って、溶けた雪が明け方凍ってコンディションは最悪。
もちろんそんな雪で滑りたくはないから、朝のバスでとっとと帰ってきた。
足の痛みに加えて体力も今は最低だし、気力も残っていない。
こういうときに滑っても楽しくない上に、怪我のリスクも大きい。
今年の新型肺炎の大流行で新幹線にのるのも勇気がいるけれど、だからと言って動かないでいるわけにはいかない。
今は、日本中が息を潜めて疫病の終息を期待している状態だから、遊びに行った先でウイルスを背負って帰ってきたら大変なので、マスク、手洗い、喉の洗浄など、いつもより念入りにしているけれど、さあ、どこでどうなることやら。
去年の志賀高原は中国、台湾、欧米の人が多かった。
ホテルの宿泊客の大半が外国人だったりしたけれど、今年は日本のかつてのスキーブームだった頃のわれわれ年代が目立つ。
古き良き時代のほのぼのした雰囲気で、スキー場の経済は大変かもしれないが、なかなか良かった。
今年の雪の量は最悪。
もう一雨来たら、やっと張り付いている雪も流されてしまうのではないかと思う。
私は今シーズンはこれで終わりだけれど、仲間たちは3月にもう一度行く予定になっている。
果たしてそれまでどのくらい雪が残っていることやら。
もうひと雪ふってくれればいいけれど。
以前は毎年5月の連休に八幡平で山スキーを楽しんだ。
5月ともなると流石に毎年残雪豊富とはいかなくて、雪を求めて秋田まで行ってふきのとうを摘んで来たこともあった。
ホテルに持って帰って天ぷらにしてもらった。
ゲレンデの端っこのやっと残っている雪を滑ることもあったし、月山ではリフトの乗り場の下に雪がなくて板を外して乗ったりしたことも。
5月ならそれも楽しめたけれど、2月のシーズンにこんなに雪が少なかったことは珍しい。
40年以上前だったと思うけれど、車に道具を積んでスキー場を目指したことがあった。
早朝暗いうちに家を出た。
どこというあてもなく北上して福島県へ。
鳴子などのスキー場を回ってもどこも黒々とした山々。
更に北上。
やっと蔵王まで行ったらなんとか滑ることができた。
その時以来の雪不足ではないかしら。
志賀高原は熊の湯に人工降雪機があるから安心と思ったら、この高温では雪ができないらしい。
そんなわけで、今年フランスに行ったのは大正解だった。
あれでやっとシーズンの滑降量が満たされた。
堅い雪で広いコースで滑りやすかった。
足が治るのを待っていたら、どんどん年をとって足が動かなくなってしまう。
とにかく動けるうちに行かないと。
スキーシーズンが終われば、このあとはコンサートの練習に入る。
まず楽器の調整をしないと。
譜読みはあらかたできているから、あとは音量、音色などの調整。
去年は全てに弱気が出てしまい不本意なことが多かったので、今度はやっと明け始めた鬱の闇からの脱出を目指す。
寂しさや落ち込みでいつまでもくよくよしていたら、生涯幸せが戻ってこないような気がする。
生きているうちは幸せでいたいものね。
どこで情報が漏れたか、高齢者の縁結びの会から電話があった。
陰気な声で「私、もうすぐ死にますから」と言ったら、二の句が継げない相手がアワアワ言っていた。
なんでも金儲けの対象にする余計な人たち。
冗談じゃない、自分の道は自分で照らしていきますから。
そのために足の治療を始める決心をした。
去年は治療する気持ちも沸かなかった。
第一段階は足梗塞の検査。
なにがなんでも治して、来年は楽しく滑りたい。
もう一度ヨーロッパで滑りたい。
2020年2月14日金曜日
足の痛みに泣く
スキーで怪我したのではなくて、もう1年以上前から足首が痛い。
足が痺れて夜中に目が覚めることもあった。
歩いていて軽く捻挫。
そのうち治るさと放っておいたら、一進一退、痛い日もあれば痛くない日もある。
痛む日はかなり痛い。
整形外科では、レントゲン撮影と湿布薬が出ただけ。
足を引きずって歩いているつもりはないのに、先日友人から「足、痛いの?」と訊かれた。
手の指は、へパーデン結節で、とうに曲がっている。
曲がり終えるまでが猛烈に痛かった。
痛いときには歩くのもままならない。
それなのに懲りない私は、まだスキーに行こうと思っている。
スキーのブーツを履くと足首が固定されて、痛みを感じなくなる。
ただし、ブーツに足を入れる瞬間の痛さったらない。
先日のフランスのスキー場では、ロッカーにブーツを温めるホルダーが入っていて、一晩温められたブーツは柔らかく履きやすくなっていた。
ヨーロッパの寒さではこうでもしないと、カチカチになったブーツを履くときに捻挫しかねないのだろう。
最近、スキー仲間のNさんが亡くなった。
私より10歳ほど年上だった。
彼女は本当にスキーが好きで、毎年必ずスキー場に来た。
来ることは来るのだが、ゲレンデに立ってほんの少し滑ると、もうおしまい。
それでも自分の荷物は自分で持つ。
手伝おうと手を出すと怒られた。
自分でこれができなくなったらスキーをやめるのだと決めていた。
私のスキー卒業も間もなくやってくる。
フランスに行った二日目の午前2時、日本からの電話で起こされた。
Nさんの訃報だった。
去年はゲレンデで彼女の姿を見ることはできなかったけれど、夏の北軽井沢の私達のコンサートには来てくれた。
姪御さんたちが付き添って、お世話されて幸せそうだった。
彼女をお手本にするなら、私もあと10年くらいは滑っていないといけない。
でも私にそんな根性はない。
足が痛いとすべてのやる気がなくなる。
元々根性のないほうだから、今は全部放り出して、ひたすら足の痛みを観察している。
ほう、今日はくるぶしの右側に疼痛があるとか、足首の先が痺れているとか、こうすれば痛みがなくなるのではないか・・・とか。
もしも痛みが治ったら、9センチのヒールが履きたい。
チビ助の私は、すべてのステージドレスの裾が長すぎる。
それで若い頃はいつも9センチのヒールを履いて演奏していた。
あんな高いヒールの靴を履いても、安定して立っていられたけれど、今履いたらどんなことになるか。
長年の楽器の演奏で体が曲がっている。
真っ直ぐに立ってと言われても、いつも曲がっていると注意される。
下半身はボロボロだけど、幸い上半身にはあまり悪いところはないから、まだヴァイオリンは弾ける。
逆に言えば、上半身は楽器の練習で訓練されているから悪くならないのかもしれない。
とすると、下半身も上半身並みに訓練すれば痛みが消えるかも。
とりあえず、今シーズン中にスキーで怪我をしないようにしないといけない。
三浦敬三氏に人工スキー場のザウスで出会ったことがあった。
敬三さんは三浦雄一郎氏のお父さま。
ザウスはバブルの頃、千葉県の船橋にできた人工スキー場でのこと。
白髪で、目にも鮮やかなブルーのウエアを着たご老人がいた。
コーヒーを飲みに休憩室のようなところに行くと、その人が一人で座っていた。
「お元気ですね」と話しかけるとニコニコしてと言葉少な。
「では後ほど、ゲレンデで」と言ってリフトに乗った。
リフトの上から見ると、青いウエアが颯爽と滑っている。
ザウスのゲレンデは2つあって、リフトを降りて左側が初心者用のゆるいスロープ、右がそれよりも急な斜度。
リフトを降りたら、大抵の人はまず立ち止まり、上から斜面を覗いて滑り始める。
しかし、その人はリフトを降りて全く立ち止まらず、そのまま、斜面をほぼ直線で降りていく。
そのときには、彼は90歳くらいではなかったか。
聞けば、スキーのための訓練がすごいということだった。
家の中でもスキーブーツを履いているとか、錘をくるぶしに付けて歩くとか。
私のように少し滑ってもうやめたというようなエセスキーヤーは「ボーッと生きてるんじゃないよ」と叱られる。
「くるぶしが痛い?馬鹿言ってるんじゃないよ、それしきのこと」なんて言われそう。
先日咳喘息の治療のために呼吸器クリニックに行くと、待合室の掲示板に足梗塞という文字が。
おや、足の脳梗塞版?
足の血管が詰まって痺れや痛みを起こすという。
これかもしれない。
1年間前くらいから、足が痺れたり足首に腫れが出たりしている。
足首に力が入らず、体のバランスが取れずよくころんだ。
痛みを堪えて無理やり足の筋トレをしていたら、だいぶ良くなってきた。
医師に訊いてみると、来月検査をしてみようということになった。
整形外科でできなかったことが、ここで治療できるかもしれない。
もしできるなら、元のお転婆さんに戻れる。
この1年半ほどは心も体も不調で、うつ状態だった。
でも世間には、私があまり元気にならないことを祈っている人たちがいるかも。
それも少なからず。
今のうちよ、私をいじめるなら。
足が痺れて夜中に目が覚めることもあった。
歩いていて軽く捻挫。
そのうち治るさと放っておいたら、一進一退、痛い日もあれば痛くない日もある。
痛む日はかなり痛い。
整形外科では、レントゲン撮影と湿布薬が出ただけ。
足を引きずって歩いているつもりはないのに、先日友人から「足、痛いの?」と訊かれた。
手の指は、へパーデン結節で、とうに曲がっている。
曲がり終えるまでが猛烈に痛かった。
痛いときには歩くのもままならない。
それなのに懲りない私は、まだスキーに行こうと思っている。
スキーのブーツを履くと足首が固定されて、痛みを感じなくなる。
ただし、ブーツに足を入れる瞬間の痛さったらない。
先日のフランスのスキー場では、ロッカーにブーツを温めるホルダーが入っていて、一晩温められたブーツは柔らかく履きやすくなっていた。
ヨーロッパの寒さではこうでもしないと、カチカチになったブーツを履くときに捻挫しかねないのだろう。
最近、スキー仲間のNさんが亡くなった。
私より10歳ほど年上だった。
彼女は本当にスキーが好きで、毎年必ずスキー場に来た。
来ることは来るのだが、ゲレンデに立ってほんの少し滑ると、もうおしまい。
それでも自分の荷物は自分で持つ。
手伝おうと手を出すと怒られた。
自分でこれができなくなったらスキーをやめるのだと決めていた。
私のスキー卒業も間もなくやってくる。
フランスに行った二日目の午前2時、日本からの電話で起こされた。
Nさんの訃報だった。
去年はゲレンデで彼女の姿を見ることはできなかったけれど、夏の北軽井沢の私達のコンサートには来てくれた。
姪御さんたちが付き添って、お世話されて幸せそうだった。
彼女をお手本にするなら、私もあと10年くらいは滑っていないといけない。
でも私にそんな根性はない。
足が痛いとすべてのやる気がなくなる。
元々根性のないほうだから、今は全部放り出して、ひたすら足の痛みを観察している。
ほう、今日はくるぶしの右側に疼痛があるとか、足首の先が痺れているとか、こうすれば痛みがなくなるのではないか・・・とか。
もしも痛みが治ったら、9センチのヒールが履きたい。
チビ助の私は、すべてのステージドレスの裾が長すぎる。
それで若い頃はいつも9センチのヒールを履いて演奏していた。
あんな高いヒールの靴を履いても、安定して立っていられたけれど、今履いたらどんなことになるか。
長年の楽器の演奏で体が曲がっている。
真っ直ぐに立ってと言われても、いつも曲がっていると注意される。
下半身はボロボロだけど、幸い上半身にはあまり悪いところはないから、まだヴァイオリンは弾ける。
逆に言えば、上半身は楽器の練習で訓練されているから悪くならないのかもしれない。
とすると、下半身も上半身並みに訓練すれば痛みが消えるかも。
とりあえず、今シーズン中にスキーで怪我をしないようにしないといけない。
三浦敬三氏に人工スキー場のザウスで出会ったことがあった。
敬三さんは三浦雄一郎氏のお父さま。
ザウスはバブルの頃、千葉県の船橋にできた人工スキー場でのこと。
白髪で、目にも鮮やかなブルーのウエアを着たご老人がいた。
コーヒーを飲みに休憩室のようなところに行くと、その人が一人で座っていた。
「お元気ですね」と話しかけるとニコニコしてと言葉少な。
「では後ほど、ゲレンデで」と言ってリフトに乗った。
リフトの上から見ると、青いウエアが颯爽と滑っている。
ザウスのゲレンデは2つあって、リフトを降りて左側が初心者用のゆるいスロープ、右がそれよりも急な斜度。
リフトを降りたら、大抵の人はまず立ち止まり、上から斜面を覗いて滑り始める。
しかし、その人はリフトを降りて全く立ち止まらず、そのまま、斜面をほぼ直線で降りていく。
そのときには、彼は90歳くらいではなかったか。
聞けば、スキーのための訓練がすごいということだった。
家の中でもスキーブーツを履いているとか、錘をくるぶしに付けて歩くとか。
私のように少し滑ってもうやめたというようなエセスキーヤーは「ボーッと生きてるんじゃないよ」と叱られる。
「くるぶしが痛い?馬鹿言ってるんじゃないよ、それしきのこと」なんて言われそう。
先日咳喘息の治療のために呼吸器クリニックに行くと、待合室の掲示板に足梗塞という文字が。
おや、足の脳梗塞版?
足の血管が詰まって痺れや痛みを起こすという。
これかもしれない。
1年間前くらいから、足が痺れたり足首に腫れが出たりしている。
足首に力が入らず、体のバランスが取れずよくころんだ。
痛みを堪えて無理やり足の筋トレをしていたら、だいぶ良くなってきた。
医師に訊いてみると、来月検査をしてみようということになった。
整形外科でできなかったことが、ここで治療できるかもしれない。
もしできるなら、元のお転婆さんに戻れる。
この1年半ほどは心も体も不調で、うつ状態だった。
でも世間には、私があまり元気にならないことを祈っている人たちがいるかも。
それも少なからず。
今のうちよ、私をいじめるなら。
2020年2月11日火曜日
コロナウイルスの恐怖
中国で流行り始めた新型肺炎。
私がランスへ行く直前、フランスでも2人の感染者が出たと知った。
本気でツアーのキャンセルも考えた。
まず、このウイルスがどのようなものか、わからないこと。
初めて聞く名前だし、かなり感染力が強いらしい。
ヨーロッパは遠い。
長時間の飛行機の中で、エコノミークラスの狭い座席で隣の人と密着するのは本当に危険であるということなどから、万一自分が感染したら、元々呼吸器系統が弱い私などはイチコロ。
今年はじめ、風邪から咳喘息になり、定期的にステロイドの吸引をしなければいけなくなった。
咳の方は幸い収まったけれど、要観察期間。
それと右足膝とくるぶし、左右の肋骨に痛みがあって、スキーで転ぶと症状が悪化する可能性もあった。
スキーではめったに転ばない。
体力が無い方なので、いつも長時間は滑らないようにしているから、疲れなければかなりの急斜面でも心配はない。
ただ、初めてのヨーロッパでのスキーなので状況がわからないけれど、少なくとも日本よりは滑りやすそうな気がする。
自分が万全でない状態でコロナウイルスの流行の中、長時間乗り物で見知らぬ人たちと密着するのはすごく危険だと思ったけれど、やはり行きたい。
それで飛行機や乗り物の中はマスクを外さないようにした。
幸い、往きも帰りも、乗り物で咳をする人には遭遇しなかった。
私自身も喘息はピタリと収まり、快適な旅ができた。
ヨーロッパスキーに憧れるのは、かつて猪谷千春さんが日本人として初めて冬季オリンピック回転競技で銀メダルをとったときのニュースを、鮮明に覚えているから。
その時の場所がコルチナ・ダンペッツォだった。
そのニュースを聞いた時、私はまだ幼くてスキーを始めていなかったけれど、地名の響きに魅せられた。
ピタリと頭の中に、猪谷選手とコルチナダンペッツォが対になって収まった。
調べたら、1956年のことだった。
猪谷氏は2018年3月の時点でも、日本人唯一の冬季オリンピックアルペンスキーのメダリストだそうな。
現在のことは知らないけれど、それほど日本のアルペンスキーとヨーロッパのそれとのレベルの差があるということなのか。
ヨーロッパで滑るのは長年の私の夢だった。
実現した今、私はすっかり年をとってしまったけれど、ビュンビュンとかっ飛んでくるスキーヤーに混じって、少なくとも最初のうちは同じように滑ることができて大満足!
ゲレンデ自体はとても滑りやすい。
もう一度行きたいので、やっと整形外科を訪れて治療することにした。
久しぶりに病院に行くと医師が、私がここに来るのは4年ぶりだという。
そんなわけ無いでしょう。
最近も来ましたというと、だって30年にきたっきりだよと。
30年って平成ね、今年は令和2年に入ったばかり。
だから30年の12月に来たなら、1年とほんの少しじゃないですか。
先生も年をとった、大丈夫かなあ。
気難しさが消えてニコニコと柔和になって、髪の毛がほぼなくなって。
お互い様。
レントゲン撮影では骨はとてもきれい。
骨粗鬆症でもないけれど、流石に関節の軟骨がすり減っている。
そのうちなんとかしないといけない。
骨はいつも褒められる。
10年ほど前には30代女性の平均に近い骨量だった。
今なら90%くらい?
若い頃追突事故にあって搬送された病院で医師から「女らしいきれいな良い骨ですよ」
なんというお褒めの言葉・・・
褒められるのは骨だけ。
今横浜港で、コロナウイルスのために船に閉じ込められている人たちは本当にお気の毒。
私は乗り物大好きなのに船だけは苦手。
船に乗ったときの油臭いような、モワッとした空気が嫌。
なおさら、あの中での生活がどれほど辛いか想像できる。
長年働いた人がリタイアして、ゆっくりと夫婦や親子で過ごしたいとでかけたかもしれない。
「クルーズに出かけるんですよ」近所の人に自慢したかもしれない。
一生に一度の贅沢をしたいと、大枚はたいた人もいたと思う。
中には若いカップルもいるようで、彼女が泣き出してしまったと男性の言葉。
その後、このカップルの人生はどうなるのかしら。
カップルで狭い船室で顔突き合わせてほころびが出てきたり、なかよしの友人同士が諍いになったりしていないだろうか。
たったひと月足らずで、人生狂わされたかもしれない。
逆に絆が深まるような人もいるかもしれない。
ヴァイオリンの演奏をしていた人もいたけれど、船から降りられず、次の仕事はどうなったかしら?
あんな狭い空間に閉じ込められて、かえってウイルスが増殖して、健康な人でも感染してしまわないだろうか。
なんとか良い方法はないのか。
毎日ニュースを見て心を痛めている。
私がランスへ行く直前、フランスでも2人の感染者が出たと知った。
本気でツアーのキャンセルも考えた。
まず、このウイルスがどのようなものか、わからないこと。
初めて聞く名前だし、かなり感染力が強いらしい。
ヨーロッパは遠い。
長時間の飛行機の中で、エコノミークラスの狭い座席で隣の人と密着するのは本当に危険であるということなどから、万一自分が感染したら、元々呼吸器系統が弱い私などはイチコロ。
今年はじめ、風邪から咳喘息になり、定期的にステロイドの吸引をしなければいけなくなった。
咳の方は幸い収まったけれど、要観察期間。
それと右足膝とくるぶし、左右の肋骨に痛みがあって、スキーで転ぶと症状が悪化する可能性もあった。
スキーではめったに転ばない。
体力が無い方なので、いつも長時間は滑らないようにしているから、疲れなければかなりの急斜面でも心配はない。
ただ、初めてのヨーロッパでのスキーなので状況がわからないけれど、少なくとも日本よりは滑りやすそうな気がする。
自分が万全でない状態でコロナウイルスの流行の中、長時間乗り物で見知らぬ人たちと密着するのはすごく危険だと思ったけれど、やはり行きたい。
それで飛行機や乗り物の中はマスクを外さないようにした。
幸い、往きも帰りも、乗り物で咳をする人には遭遇しなかった。
私自身も喘息はピタリと収まり、快適な旅ができた。
ヨーロッパスキーに憧れるのは、かつて猪谷千春さんが日本人として初めて冬季オリンピック回転競技で銀メダルをとったときのニュースを、鮮明に覚えているから。
その時の場所がコルチナ・ダンペッツォだった。
そのニュースを聞いた時、私はまだ幼くてスキーを始めていなかったけれど、地名の響きに魅せられた。
ピタリと頭の中に、猪谷選手とコルチナダンペッツォが対になって収まった。
調べたら、1956年のことだった。
猪谷氏は2018年3月の時点でも、日本人唯一の冬季オリンピックアルペンスキーのメダリストだそうな。
現在のことは知らないけれど、それほど日本のアルペンスキーとヨーロッパのそれとのレベルの差があるということなのか。
ヨーロッパで滑るのは長年の私の夢だった。
実現した今、私はすっかり年をとってしまったけれど、ビュンビュンとかっ飛んでくるスキーヤーに混じって、少なくとも最初のうちは同じように滑ることができて大満足!
ゲレンデ自体はとても滑りやすい。
もう一度行きたいので、やっと整形外科を訪れて治療することにした。
久しぶりに病院に行くと医師が、私がここに来るのは4年ぶりだという。
そんなわけ無いでしょう。
最近も来ましたというと、だって30年にきたっきりだよと。
30年って平成ね、今年は令和2年に入ったばかり。
だから30年の12月に来たなら、1年とほんの少しじゃないですか。
先生も年をとった、大丈夫かなあ。
気難しさが消えてニコニコと柔和になって、髪の毛がほぼなくなって。
お互い様。
レントゲン撮影では骨はとてもきれい。
骨粗鬆症でもないけれど、流石に関節の軟骨がすり減っている。
そのうちなんとかしないといけない。
骨はいつも褒められる。
10年ほど前には30代女性の平均に近い骨量だった。
今なら90%くらい?
若い頃追突事故にあって搬送された病院で医師から「女らしいきれいな良い骨ですよ」
なんというお褒めの言葉・・・
褒められるのは骨だけ。
今横浜港で、コロナウイルスのために船に閉じ込められている人たちは本当にお気の毒。
私は乗り物大好きなのに船だけは苦手。
船に乗ったときの油臭いような、モワッとした空気が嫌。
なおさら、あの中での生活がどれほど辛いか想像できる。
長年働いた人がリタイアして、ゆっくりと夫婦や親子で過ごしたいとでかけたかもしれない。
「クルーズに出かけるんですよ」近所の人に自慢したかもしれない。
一生に一度の贅沢をしたいと、大枚はたいた人もいたと思う。
中には若いカップルもいるようで、彼女が泣き出してしまったと男性の言葉。
その後、このカップルの人生はどうなるのかしら。
カップルで狭い船室で顔突き合わせてほころびが出てきたり、なかよしの友人同士が諍いになったりしていないだろうか。
たったひと月足らずで、人生狂わされたかもしれない。
逆に絆が深まるような人もいるかもしれない。
ヴァイオリンの演奏をしていた人もいたけれど、船から降りられず、次の仕事はどうなったかしら?
あんな狭い空間に閉じ込められて、かえってウイルスが増殖して、健康な人でも感染してしまわないだろうか。
なんとか良い方法はないのか。
毎日ニュースを見て心を痛めている。
2020年2月8日土曜日
昼夜逆転
時差ボケはほとんど経験がなくて、今まで何も不都合はなかったけれど、今回は全く元に戻らない。
夕飯が済むと眠くなるけれど我慢して起きていると、いつの間にかうたた寝をしている。
ベッドへ入ってすぐに寝入るのはいつものことなのに、午前2時ころ目が覚めると、もういけません。
スッキリと頭は冴えて気分は上々。
しかし世の中は真夜中につき、コソコソと行動する。
水音や湯沸かしの音なども響くような気がして、お茶を飲むにも罪悪感がある。
胃も軽くなって、なんでも食べられそう。
そうなると、なにか一つまみしたくなる。
おいおい、冗談じゃない。
こんな時間に食事とは。
それでも眠くないのにベッドにいるのも馬鹿らしいから、起きて猫と遊ぶ。
猫で良かった。
相手が人間なら怒らせてしまう。
でも考えてみたら、日本にいても最近の自分の睡眠パターンはずっとこれだったなと。
9日間ヨーロッパにいる間は、夜はしっかり眠れた。
寝付きが良いのはどこでも同じだけれど、夜中に目が覚めても、もう一度すぐに眠れた。
昼は気分良く遊んでいた。
食事の時間もちゃんとお腹が空いて、皆に遅れず歩けた。
旅先の緊張感もあるかもしれないけれど、生活のパターンはあちらにいるほうが良かったかもしれない。
今回の旅行中も、ホテルの同室者がびっくりするほど、私はあっという間に寝入る。
私が会話に返事をしなくなったら眠ったと思ってねと、最初に言っておいた。
そのとおりなので相手も気にしなかったようだ。
もう一つ良かったのは、私が目が覚めて動いて相手も起きてしまったときに、その人はすぐに寝てしまう。
相手が神経質だとお互い気にするから、その点は助かった。
知らない同士で部屋を同じくするので、とても気を使うこともある。
結局、日本にいると緊張感がなく、全てに甘えがでるのかもしれない。
ぼんやりしていても済むので、ダラダラと暮らしている。
以前からフランスの田舎は良いと聞いていた。
いつか車で旅したいと思っていたら、その夢が半分くらい叶えられた。
バスの窓から見るフランスの郊外の景色は、イギリスのコツウオルズの景色にも似ていた。
冬枯れで色彩に乏しかったけれど、これはまた良い景色だった。
フランスではフランス語でないと、たとえわかっていてもフランス人は返事もしないと聞いていた。
今回は世界中からスキーヤーが集まるスキー場という条件があったにせよ、英語で十分通じた。
私の怪しげな片言英語が通じて、大変楽しい毎日だった。
犬の散歩をしている人に「柴犬は日本の犬よ」と自慢したり。
ロンドンに行ったときより、会話がはずんだ。
私の乏しい語彙を駆使しての片言の会話は、あちらの人にとっても気が楽だったのかもしれない。
私は全くフランス語ができないから一人で行動できないと思っていたけれど、そんなことはなくて、数回、街なかで道を訊かれるほどだった。
私、地元民では無いのですが・・・
エジプトでも全く通じない言葉で、一人で行動。
これは絶対におすすめしないけれど(大変危険)エジプトと言えばその時のワクワクした気持ちがまっさきに蘇る。
よく世界を一人で旅行して歩く人がいる。
子供の頃私はとてもシャイだった。
いやいや、嘘ではありませんよ。
だから一人旅をする人の話を聞くと、なんて命知らず!なんて思ったけれど、危機感を持って行動すれば、実に楽しいことに気がついた。
五感が研ぎ澄まされて、その時のことが一番印象に残る。
どうすれば生き残れるか、全身全霊で考える。
ちょっと大げさだけれど、非日常の世界に身を置くと世界が色鮮やかに見えてくる。
危険地帯に行こうとは絶対に思わないけれど、多少のハプニングは旅のアクセントになる。
私の友人のノンちゃんも行動派。
彼女は東欧圏の小さな国にも、行きたくなると一人ででかけたそうなのだ。
その時集めたフィギュアなどが北軽井沢の家に飾ってあった。
フィギュア類に興味のない私は、ノンちゃんが亡くなるとすべて捨てて、一部の友人達から大顰蹙を受けた。
なんで他人のことに口を挟むのか、私は理解できない。
形見の品と言っていつまでも物をとっておく人がいる。
品物はその人ではないから、捨ててもその人をないがしろにしたわけではないとは私の理屈。
物にその人の魂が宿るなんて考えるほうがナンセンス。
それなら持ち主が生きているうちに優しくしてあげるほうが良い。
日常の世界に戻って、今はのんびりしているけれど、どうせ又どこぞへと飛んで行きたくなるに違いない。
今回最後のフライトは、フランクフルトから羽田。
ヨーロッパは今回で最後と言ったけれど、30年ほど前にフランクフルトの空港でレンタカーを借りる時、何がなんだかわからず、カウンターの私達の後ろに長い行列ができてしまったことなど懐かしく、もう一度行ってもいいかな?なんてね。
フランクフルトからウイーンまで、ロマンチック街道をひた走ったときのことを思い出した。
夕飯が済むと眠くなるけれど我慢して起きていると、いつの間にかうたた寝をしている。
ベッドへ入ってすぐに寝入るのはいつものことなのに、午前2時ころ目が覚めると、もういけません。
スッキリと頭は冴えて気分は上々。
しかし世の中は真夜中につき、コソコソと行動する。
水音や湯沸かしの音なども響くような気がして、お茶を飲むにも罪悪感がある。
胃も軽くなって、なんでも食べられそう。
そうなると、なにか一つまみしたくなる。
おいおい、冗談じゃない。
こんな時間に食事とは。
それでも眠くないのにベッドにいるのも馬鹿らしいから、起きて猫と遊ぶ。
猫で良かった。
相手が人間なら怒らせてしまう。
でも考えてみたら、日本にいても最近の自分の睡眠パターンはずっとこれだったなと。
9日間ヨーロッパにいる間は、夜はしっかり眠れた。
寝付きが良いのはどこでも同じだけれど、夜中に目が覚めても、もう一度すぐに眠れた。
昼は気分良く遊んでいた。
食事の時間もちゃんとお腹が空いて、皆に遅れず歩けた。
旅先の緊張感もあるかもしれないけれど、生活のパターンはあちらにいるほうが良かったかもしれない。
今回の旅行中も、ホテルの同室者がびっくりするほど、私はあっという間に寝入る。
私が会話に返事をしなくなったら眠ったと思ってねと、最初に言っておいた。
そのとおりなので相手も気にしなかったようだ。
もう一つ良かったのは、私が目が覚めて動いて相手も起きてしまったときに、その人はすぐに寝てしまう。
相手が神経質だとお互い気にするから、その点は助かった。
知らない同士で部屋を同じくするので、とても気を使うこともある。
結局、日本にいると緊張感がなく、全てに甘えがでるのかもしれない。
ぼんやりしていても済むので、ダラダラと暮らしている。
以前からフランスの田舎は良いと聞いていた。
いつか車で旅したいと思っていたら、その夢が半分くらい叶えられた。
バスの窓から見るフランスの郊外の景色は、イギリスのコツウオルズの景色にも似ていた。
冬枯れで色彩に乏しかったけれど、これはまた良い景色だった。
フランスではフランス語でないと、たとえわかっていてもフランス人は返事もしないと聞いていた。
今回は世界中からスキーヤーが集まるスキー場という条件があったにせよ、英語で十分通じた。
私の怪しげな片言英語が通じて、大変楽しい毎日だった。
犬の散歩をしている人に「柴犬は日本の犬よ」と自慢したり。
ロンドンに行ったときより、会話がはずんだ。
私の乏しい語彙を駆使しての片言の会話は、あちらの人にとっても気が楽だったのかもしれない。
私は全くフランス語ができないから一人で行動できないと思っていたけれど、そんなことはなくて、数回、街なかで道を訊かれるほどだった。
私、地元民では無いのですが・・・
エジプトでも全く通じない言葉で、一人で行動。
これは絶対におすすめしないけれど(大変危険)エジプトと言えばその時のワクワクした気持ちがまっさきに蘇る。
よく世界を一人で旅行して歩く人がいる。
子供の頃私はとてもシャイだった。
いやいや、嘘ではありませんよ。
だから一人旅をする人の話を聞くと、なんて命知らず!なんて思ったけれど、危機感を持って行動すれば、実に楽しいことに気がついた。
五感が研ぎ澄まされて、その時のことが一番印象に残る。
どうすれば生き残れるか、全身全霊で考える。
ちょっと大げさだけれど、非日常の世界に身を置くと世界が色鮮やかに見えてくる。
危険地帯に行こうとは絶対に思わないけれど、多少のハプニングは旅のアクセントになる。
私の友人のノンちゃんも行動派。
彼女は東欧圏の小さな国にも、行きたくなると一人ででかけたそうなのだ。
その時集めたフィギュアなどが北軽井沢の家に飾ってあった。
フィギュア類に興味のない私は、ノンちゃんが亡くなるとすべて捨てて、一部の友人達から大顰蹙を受けた。
なんで他人のことに口を挟むのか、私は理解できない。
形見の品と言っていつまでも物をとっておく人がいる。
品物はその人ではないから、捨ててもその人をないがしろにしたわけではないとは私の理屈。
物にその人の魂が宿るなんて考えるほうがナンセンス。
それなら持ち主が生きているうちに優しくしてあげるほうが良い。
日常の世界に戻って、今はのんびりしているけれど、どうせ又どこぞへと飛んで行きたくなるに違いない。
今回最後のフライトは、フランクフルトから羽田。
ヨーロッパは今回で最後と言ったけれど、30年ほど前にフランクフルトの空港でレンタカーを借りる時、何がなんだかわからず、カウンターの私達の後ろに長い行列ができてしまったことなど懐かしく、もう一度行ってもいいかな?なんてね。
フランクフルトからウイーンまで、ロマンチック街道をひた走ったときのことを思い出した。
2020年2月5日水曜日
多少時差ボケ
外国に行っても必ず時差ぼけするとは限らない。
他所の国に来たという興奮でシャッキとするから、滞在中は元気いっぱい。
しかし、帰国すると甘えが出てグニャグニャとだらしなく時差ボケがはじまる。
昨日は差し入れのおにぎりや味噌汁に頼って、食っちゃ寝食っちゃ寝を決め込んだ。
若い頃ならすぐに次の日から仕事を入れていたけれど、流石に、よる年波でそんなことはできなくなった。
羽田に到着したとき、私のスキーだけ見つからない。
すると呼び出しがあって「nekotamaさま、スキーはこちらです」
全く別の場所に置いてあった。
その時は不思議に思わず、係員の案内で無事収容。
しかし、帰宅してから考えたら、たぶん私のスキーは検査の対象になったのだと思った。
スキー板のケースは布製で、だいぶ大きさに余裕がある。
それで私は、その中に着終わった下着類や洗濯物を詰め込んだ。
普通の人は小綺麗に畳んで詰めるのだけれど、私は不器用で凸凹に詰められ、不格好に膨らんだりしていた。
それでも、とにかく家に帰れば整理するのだからと、気にもしなかった。
それがどうも怪しく見えたらしい。
途中がカエルを飲み込んだ蛇みたいに膨れて、サンダルが詰めてあるので手触りがゴツゴツして。
これはなんだ!
税務官の目に止まったかも。
調べたら出てきたのはばばっちい洗濯物。
しかも下着なんかも。
若い女性の華やかな下着なら多少目の保養にもなろうものを、ババシャツやらなんやら。
あはは・・・
お疲れさまでしたね。
悪夢を見ないといいけれど。
結構香り高くなっていたかも。
悪うございました、関税官のみなさん、お許しを。
今日英語のレッスンに出かけると、先生のルースさんの妹さんもトロワバレーを滑ったことがあるらしい。
色々訊いてくるから、たぶん妹さんに報告するつもりらしい。
なんだかんだ、故国の家族に私のことを報告しているらしいので、私の秘密がイギリスにまで漏れているようだ。
知られて困ることなどないけれど。
数年前、ロンドンアンサンブルが来ていた頃、フルートのリチャードがスイスに滑りに連れて行ってくれると言っていた。
ロンドンに来れば、そこからスイスに行って一緒に滑ろうと。
でも奥さんの美智子さんが亡くなって、リチャードが来なくなって、その話も立ち消えとなってしまった。
なんでも話があったときにすぐ実行しないと、状況が変わってしまう。
残念なことをした。
私ももう若くはないから、色々やり残したことを全部実行できるとは限らない。
今年トロワバレーに行けて、本当に良かった。
願わくばもう一度、今度は短気を起こさずちゃんと滑りたい。
ゲレンデ自体は日本よりも滑りやすい。
とにかく長くて雄大で、山の峰々が迫ってくる景色が素晴らしい。
やっと時差ボケが収まってきたので、又ちまちまと日常の煩わしい生活に戻ると思うと、トホホな気持ち。
人間、いつでも遊んでいられたら良いのに。
他所の国に来たという興奮でシャッキとするから、滞在中は元気いっぱい。
しかし、帰国すると甘えが出てグニャグニャとだらしなく時差ボケがはじまる。
昨日は差し入れのおにぎりや味噌汁に頼って、食っちゃ寝食っちゃ寝を決め込んだ。
若い頃ならすぐに次の日から仕事を入れていたけれど、流石に、よる年波でそんなことはできなくなった。
羽田に到着したとき、私のスキーだけ見つからない。
すると呼び出しがあって「nekotamaさま、スキーはこちらです」
全く別の場所に置いてあった。
その時は不思議に思わず、係員の案内で無事収容。
しかし、帰宅してから考えたら、たぶん私のスキーは検査の対象になったのだと思った。
スキー板のケースは布製で、だいぶ大きさに余裕がある。
それで私は、その中に着終わった下着類や洗濯物を詰め込んだ。
普通の人は小綺麗に畳んで詰めるのだけれど、私は不器用で凸凹に詰められ、不格好に膨らんだりしていた。
それでも、とにかく家に帰れば整理するのだからと、気にもしなかった。
それがどうも怪しく見えたらしい。
途中がカエルを飲み込んだ蛇みたいに膨れて、サンダルが詰めてあるので手触りがゴツゴツして。
これはなんだ!
税務官の目に止まったかも。
調べたら出てきたのはばばっちい洗濯物。
しかも下着なんかも。
若い女性の華やかな下着なら多少目の保養にもなろうものを、ババシャツやらなんやら。
あはは・・・
お疲れさまでしたね。
悪夢を見ないといいけれど。
結構香り高くなっていたかも。
悪うございました、関税官のみなさん、お許しを。
今日英語のレッスンに出かけると、先生のルースさんの妹さんもトロワバレーを滑ったことがあるらしい。
色々訊いてくるから、たぶん妹さんに報告するつもりらしい。
なんだかんだ、故国の家族に私のことを報告しているらしいので、私の秘密がイギリスにまで漏れているようだ。
知られて困ることなどないけれど。
数年前、ロンドンアンサンブルが来ていた頃、フルートのリチャードがスイスに滑りに連れて行ってくれると言っていた。
ロンドンに来れば、そこからスイスに行って一緒に滑ろうと。
でも奥さんの美智子さんが亡くなって、リチャードが来なくなって、その話も立ち消えとなってしまった。
なんでも話があったときにすぐ実行しないと、状況が変わってしまう。
残念なことをした。
私ももう若くはないから、色々やり残したことを全部実行できるとは限らない。
今年トロワバレーに行けて、本当に良かった。
願わくばもう一度、今度は短気を起こさずちゃんと滑りたい。
ゲレンデ自体は日本よりも滑りやすい。
とにかく長くて雄大で、山の峰々が迫ってくる景色が素晴らしい。
やっと時差ボケが収まってきたので、又ちまちまと日常の煩わしい生活に戻ると思うと、トホホな気持ち。
人間、いつでも遊んでいられたら良いのに。
2020年2月3日月曜日
おひさしぶりです。
しばらくフランスのヴァルトランスというところにいました。
ヨーロッパで一番高いところにあるスキー場だそうです。
そこはトロワバレー(3つの谷)と呼ばれ、広大な3つのスキー場が連なっている。
ルフトハンザで羽田からミュンヘンへ。
せっかくミュンヘンに来たのだからビールを飲まなきゃとばかりグラス半分のビールで酔っ払って、余計な買い物をしてしまった。
かわいいハンドバッグ、日本ではめったに見ることのないデザインが気に入った。
旅のはじめに買い物をすると、行程中悩まされるのはよくあることはわかっているのに。
インドで大きな操り人形を買い込んで、邪魔で邪魔でということもあったし。
姉と一緒に旅行して、姉が買い込んだ陶器を旅の間中持たされて閉口したり。
そんなことは百も承知だったけれど、あまりの可愛いいデザインで、しかも帰りはミュンヘンに寄らないということなので周りも煽るし、つい買い込んだ。
帰国して見ても買ってよかったと思う。
友人のお嬢さんのYちゃんが行くというスキーツアーに便乗。
かなりの強者揃いで指導員も大勢参加するから、猫が一匹紛れ込むと迷惑至極であろうと予想はしていたものの、滑降一日目に早くも癇癪を起こしてやめてしまうという自体になった。
1年ほど前に右足首を軽く捻挫、だましだまし歩いていたけれど、スキー靴を履けば足首がギブスのように締まるので痛みが消える。
それで先月は志賀高原で滑ってきた。
しかし今回は滑る距離もスピードも桁違いだった。
ツアーの募集条件は、初日は足慣らし。
その後それぞれのレベルに分けて3つの班で滑るということだった。
下手くそでも長年の経験があるから、スピードについていければ大抵の場所は大丈夫だと思っていた。
ミュンヘンで乗り継いでジュネーブへ。
ジュネーブに一泊した。
ジュネーブは雨模様で、がっかり。
次の日フランスに入り現地に着くと、天候が悪い。
滑降予定初日は晴れて気温も高いけれど、次の日からは悪天候ということで、急遽全行程をここで消化しようと言うことになった。
しかし、そんな乱暴なことは初めてのことで、以前ラサで高山病になった経験のある私はびっくり仰天。
だって、私の滑りを知っているひとは誰もいない、初めてのグループ。
案の定滑り始めて1時間半経っても、私の班は休みもしない。
殆どが指導員と上級者で、速さも並ではない。
流石に疲れたから休ませてと言っても、誰も無言でさっさと滑っていく。
取り残されまいとついていっても、もう限界。
ついにブチギレて、猫がライオンになって吠えた。
足がもたなくなって2度ほど転んでしまった。
このままの条件で滑ったら私は怪我をするから帰る。
山越えしてきてしまったゲレンデで、タクシー呼んでと吠えたら困った山岳ガイドがやっと昼食にするという。
もう13時を周り、昼食の時間はとっくに過ぎていた。
やっと見つけてきたタクシーに乗って帰ってきた。
本当は昼食の時間に休めばよかったのかもしれないけれど、カンカンに怒っていたのでもう後には引けない。
そのタクシーはひとつ山を超えてきてしまったので、一度麓に降りて、もう一度登山しなければならない。
お金も時間もたいそうかかってしまった。
陽気な運転手は歌いながら猛スピードでカーブを曲がる。
対向車が来るのは全く予想していないようだ。
他の班は11時半にお茶タイム、13時に昼食ときちんと休憩をとったそうなので、私の怒りはますます膨らんだ。
次の日からは吹雪いて視界が効かない。
日本のゲレンデとはスケールが全く違う。
私は勿論2度と滑らないと言って、麓の街を散策して楽しんだ。
とても素敵な町並みで、チーズやはちみつなどの名産品が売られている。
街の人達も陽気で親切。
次の日から3日間、意地を張ってスキーはや~めた!
ホテル内で美味しいカフェオレを飲んだりジャグジーに行ってビールを飲んだり。
楽しく遊んでいると、ここまで来てスキーをしないなんてと、いつもの余計なお世話が入る。
ヴァルトランスを後に次は、世界遺産のリヨン観光。
リヨンは美しい古い街で、ここを新しく改造しようという話もあったそうなのだ。
ところがその間に世界遺産に指定されて、あっという間に観光地になった。
古い街が結局地元の生活を救った。
教会に行くと日本語で話しかけられた。
ここでも日本人観光客が多いらしい。
けれども勘ぐれば、日本語で話しかけて反応で中国人と区別したのではないかとも思った。
道ですれ違うと中国人と間違えて、口元をコートの襟で塞ぐ人がいた。
コロナウイルスは私も怖い。
けれどあからさまに嫌な顔でこれみよがしに口を塞ぐなら、自分でマスクをしたらどうなの。
わざとすれ違いざまにやられるのはとても不愉快。
そんなもので防げるわけもないと思う。
リヨンを後にジュネーブに戻ると、スキー客で溢れかえっていた。
長時間の荷物の検査で疲れたから、カウンターの男性に「私は疲れた」と言ったら「nekotamaさん、貴女の旅の幸運を祈ります」と上手な日本語で言われてびっくり。
一気にスイスがすきになった。
その国や人がすきになるかどうかは、そのようなほんの些細なことでも変わる。
ニコニコと飛行機に乗り込む。
乗り継ぎのフランクフルト、今から30年ほど前、旅をした思い出が蘇った。
ドイツ人はものすごく親切で、感激の連続だった。
思い起こすと、いつも旅先で親切にされた記憶しかない。
これはとんでもなく幸運なことではないかしら。
それとも嫌なことはすぐに忘れるという能天気な性格のせいなのか。
とにかく今回も、素敵な経験を堪能できた。
空港にはYちゃんのお母さんが待っていた。
私を家まで送ってくれるという。
しかもおにぎりとインスタントの味噌汁、お手製の筑前煮など、よだれが出そうなメニューの数々が入った紙袋まで用意してあった。
家に着くと重いスキーザックと板をさっさと2階まで運んでくれて、すぐに帰っていった。
フランスは美食の国はハズなのになぜか食事がまずくて、このおにぎりの美味しさったら、この筑前煮の豊かな味わいったら・・・感激ですっかり愛国者になってしまった。
ドイツのフランスもいい、でも日本が一番いい。
ヨーロッパで一番高いところにあるスキー場だそうです。
そこはトロワバレー(3つの谷)と呼ばれ、広大な3つのスキー場が連なっている。
ルフトハンザで羽田からミュンヘンへ。
せっかくミュンヘンに来たのだからビールを飲まなきゃとばかりグラス半分のビールで酔っ払って、余計な買い物をしてしまった。
かわいいハンドバッグ、日本ではめったに見ることのないデザインが気に入った。
旅のはじめに買い物をすると、行程中悩まされるのはよくあることはわかっているのに。
インドで大きな操り人形を買い込んで、邪魔で邪魔でということもあったし。
姉と一緒に旅行して、姉が買い込んだ陶器を旅の間中持たされて閉口したり。
そんなことは百も承知だったけれど、あまりの可愛いいデザインで、しかも帰りはミュンヘンに寄らないということなので周りも煽るし、つい買い込んだ。
帰国して見ても買ってよかったと思う。
友人のお嬢さんのYちゃんが行くというスキーツアーに便乗。
かなりの強者揃いで指導員も大勢参加するから、猫が一匹紛れ込むと迷惑至極であろうと予想はしていたものの、滑降一日目に早くも癇癪を起こしてやめてしまうという自体になった。
1年ほど前に右足首を軽く捻挫、だましだまし歩いていたけれど、スキー靴を履けば足首がギブスのように締まるので痛みが消える。
それで先月は志賀高原で滑ってきた。
しかし今回は滑る距離もスピードも桁違いだった。
ツアーの募集条件は、初日は足慣らし。
その後それぞれのレベルに分けて3つの班で滑るということだった。
下手くそでも長年の経験があるから、スピードについていければ大抵の場所は大丈夫だと思っていた。
ミュンヘンで乗り継いでジュネーブへ。
ジュネーブに一泊した。
ジュネーブは雨模様で、がっかり。
次の日フランスに入り現地に着くと、天候が悪い。
滑降予定初日は晴れて気温も高いけれど、次の日からは悪天候ということで、急遽全行程をここで消化しようと言うことになった。
しかし、そんな乱暴なことは初めてのことで、以前ラサで高山病になった経験のある私はびっくり仰天。
だって、私の滑りを知っているひとは誰もいない、初めてのグループ。
案の定滑り始めて1時間半経っても、私の班は休みもしない。
殆どが指導員と上級者で、速さも並ではない。
流石に疲れたから休ませてと言っても、誰も無言でさっさと滑っていく。
取り残されまいとついていっても、もう限界。
ついにブチギレて、猫がライオンになって吠えた。
足がもたなくなって2度ほど転んでしまった。
このままの条件で滑ったら私は怪我をするから帰る。
山越えしてきてしまったゲレンデで、タクシー呼んでと吠えたら困った山岳ガイドがやっと昼食にするという。
もう13時を周り、昼食の時間はとっくに過ぎていた。
やっと見つけてきたタクシーに乗って帰ってきた。
本当は昼食の時間に休めばよかったのかもしれないけれど、カンカンに怒っていたのでもう後には引けない。
そのタクシーはひとつ山を超えてきてしまったので、一度麓に降りて、もう一度登山しなければならない。
お金も時間もたいそうかかってしまった。
陽気な運転手は歌いながら猛スピードでカーブを曲がる。
対向車が来るのは全く予想していないようだ。
他の班は11時半にお茶タイム、13時に昼食ときちんと休憩をとったそうなので、私の怒りはますます膨らんだ。
次の日からは吹雪いて視界が効かない。
日本のゲレンデとはスケールが全く違う。
私は勿論2度と滑らないと言って、麓の街を散策して楽しんだ。
とても素敵な町並みで、チーズやはちみつなどの名産品が売られている。
街の人達も陽気で親切。
次の日から3日間、意地を張ってスキーはや~めた!
ホテル内で美味しいカフェオレを飲んだりジャグジーに行ってビールを飲んだり。
楽しく遊んでいると、ここまで来てスキーをしないなんてと、いつもの余計なお世話が入る。
ヴァルトランスを後に次は、世界遺産のリヨン観光。
リヨンは美しい古い街で、ここを新しく改造しようという話もあったそうなのだ。
ところがその間に世界遺産に指定されて、あっという間に観光地になった。
古い街が結局地元の生活を救った。
教会に行くと日本語で話しかけられた。
ここでも日本人観光客が多いらしい。
けれども勘ぐれば、日本語で話しかけて反応で中国人と区別したのではないかとも思った。
道ですれ違うと中国人と間違えて、口元をコートの襟で塞ぐ人がいた。
コロナウイルスは私も怖い。
けれどあからさまに嫌な顔でこれみよがしに口を塞ぐなら、自分でマスクをしたらどうなの。
わざとすれ違いざまにやられるのはとても不愉快。
そんなもので防げるわけもないと思う。
リヨンを後にジュネーブに戻ると、スキー客で溢れかえっていた。
長時間の荷物の検査で疲れたから、カウンターの男性に「私は疲れた」と言ったら「nekotamaさん、貴女の旅の幸運を祈ります」と上手な日本語で言われてびっくり。
一気にスイスがすきになった。
その国や人がすきになるかどうかは、そのようなほんの些細なことでも変わる。
ニコニコと飛行機に乗り込む。
乗り継ぎのフランクフルト、今から30年ほど前、旅をした思い出が蘇った。
ドイツ人はものすごく親切で、感激の連続だった。
思い起こすと、いつも旅先で親切にされた記憶しかない。
これはとんでもなく幸運なことではないかしら。
それとも嫌なことはすぐに忘れるという能天気な性格のせいなのか。
とにかく今回も、素敵な経験を堪能できた。
空港にはYちゃんのお母さんが待っていた。
私を家まで送ってくれるという。
しかもおにぎりとインスタントの味噌汁、お手製の筑前煮など、よだれが出そうなメニューの数々が入った紙袋まで用意してあった。
家に着くと重いスキーザックと板をさっさと2階まで運んでくれて、すぐに帰っていった。
フランスは美食の国はハズなのになぜか食事がまずくて、このおにぎりの美味しさったら、この筑前煮の豊かな味わいったら・・・感激ですっかり愛国者になってしまった。
ドイツのフランスもいい、でも日本が一番いい。
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