今我が家で一番清潔なところはトイレ。
今朝お掃除やさんが来てピカピカに磨き上げてくれた。
掃除を頼んだのはそこだけで、あとはまあ自分で出来るけどトイレはどうも苦手。
トイレの掃除をするとトイレの神様がその人を美人にしてくれるそうだけれど、私はそんなわけでこれ以上美人にはなれない。
これ以上と言うからには今美人なのかと突っ込まれると、ごにょごにょ・・そこは追及しないでほしい。
以前掃除をしてもらったらあまりにもきれいになったので、今回も同じ人にお願いした。
仕上がりは上々、裏までピカピカで使うのがもったいない。
掃除のコツを訊いたら百均で売っているというブラシ、そしてウオーターペーパーというものを使う。
これはホームセンターなどで売っているらしい。
一見紙やすりかと思ったらザラザラしたものではないようだ。
どちらかと言うとシワシワ。
コロナの話で、やはり掃除の仕事は激減、それでも空き部屋の掃除を中心にしているので人と会わないから感染の心配は少ないとのこと。
それは良かった。
この先感染がいよいよヤバいことになるらしい。
このヤバいという言葉。
以前はヤクザさんとかどちらかと言うと闇社会の人が使ったと思うのに、最近はきれいな女子高生まで平気で使う。
初めてそういう使われ方を聞いた時には腰を抜かしそうになった。
そういう言葉は男性は時々使っていたけれど、女性はねえと思っていたら、今や一般社会に市民権を得たらしい。
そのうえ、本来危ないとでもいう意味なのに、最近はすごく感激した時にも言うのだから、言葉の様変りは興味深い。
どうしてトイレ掃除から言葉の話になったかと言うと、昨日ふと思いついた言葉に関することがあって、あとでnekotamaに投稿しようと思っていたら、今朝、すっぽりと頭から抜け落ちていた。
そいうことを考えたということだけは覚えているのだから、まだ、認知症の第1ステージくらいかも。
最初にこのブログを始めた時は自分だけの日記と考えていたけれど、決まった数だけ読んでくださる方がいるようなので、あまりいい加減は書けなくなった。
これは自分が多少なりとも社会にかかわっている窓口になるので大切にしたい。
特に間違った情報を流すと、いくらnekotamaのいい加減さを知っている人でも、悪影響になると困る。
ヤバい=ヤクザの偏見はそろそろやめないといけないかな。
このところ母のことばかり書いているけれど、私の母の偏見はもっとひどかった。
麻雀、花札、競馬、それらは全部ヤクザの世界。
それなのに少しもその手の人たちを怖がらずに平気で近所付き合いをしていた。
近所にいたおじさん。
うちの両親を「にいさん、ねえさん」と呼んでいた。
親戚かと思ったらどうも違うようで、不思議に思っていた。
私が追突されて修理代をもらえなかったら、取り立てに行ってくれた。
一緒についていったら、火鉢に片足掛けてすごみ始めたのでびっくり仰天した。
こ、怖い!
無事修理費はもらえたけれど、もうお付き合いはまっぴら。
どうやら競馬で儲けて家を新築したとか。
今はもう規制が厳しくその手の社会とは隔離されているけれど、戦後の混沌としたときには厳しくなかったから共存していたみたいで。
母にしてみれば子供の時から見ているので、あの子はまじめないい子だよなんて。
変な目つきの男でもつかつかと寄って行って注意したり、母は強いとしみじみ思った。
麻雀はヤクザのものと思っていた母が、その娘が麻雀とスキーの愛好会「雪雀連」に属したのを知ったら、さぞ嘆いたことだろう。
麻雀は年1回、お正月の天元台で雀卓をかこむだけでスキーが目的だったけれど。
その麻雀で・・・と話は尽きないけれど、今日はこの辺で。
おあとがよろしいようで。
寄席が終わった時の太鼓は、出てけ出てけと叩くそうですよ。
そういえばロンドンアンサンブルのピアニスト美智子さん、ある人を評して「あの人は冗談まできちんと説明するのよね」と。
「それで面白くないのよ」
この言葉、肝に銘じておこう。
書きすぎは退屈の元。
2020年7月6日月曜日
体重増えすぎ
注文してあったイタリア製の薄緑色のドレス。
やっと届いたので胸を躍らせて試着したら、左わき開閉のファスナーが閉まらない。
背中の開閉ならなんとかごまかせるけれど、わきの開閉だと中身のお肉を挟みそうで怖い。
やっと上まで上げたはいいけれど、ぴったりとウエストに張り付くデザインは、最近のコロナ太りでため込んだ贅肉を否応なしにさらす。
ボンレスハムか?いらんところにくびれや盛り上がり。
これはいかん。
リフォームに出せばなんとか着られそう。
けれど、凝ったデザインで手間が大変そう。
手間の割には効果は少ないと見た。
諦めて返品することにした。
コンサートはいつ再開できるかわからないので、ドレスだけ用意してもむなしい。
海外のブランドは欧米人の体型で作られているから、胸は豊かに、ウエストはあくまでも細く、丈は長い。
これを丈は短く、ウエストはうえフト、胸はふにょふにょ体型の私が着るのは無理がある。
それを何とかして着ようと努力するのには訳がある。
デザインが面白い。
とびぬけているのはイタリア、素敵なのはフランス。
イタリアのデザインはあくまでも色は明るく、肉体をなるべく露出するようにできている。
腿の上の方から割れているスリットや胸元が大きく開いていて、私が着るとおへそまで見えかねない。
おへそは、でも見えない。
なんせその上にたっぷりとお肉が盛り上がっているから。
胸元は少し上まで縫ってしまう。
スリットも同じく。
それでなんとか凌いでいるけれど、ウエスト辺りのすっきり感は全くなくなる。
というのも、その辺の贅肉を隠すために、なにかしらドレープを寄せたり、ベルトをこしらえたりで、せっかくのドレスがダサくなる。
残念無念だなあ。
若くてやせていたころはなんでも少し詰めれば着られた。
詰めるのは簡単でも増やすのはプロの手を借りないと無理。
せっかく改造しても思ったような効果が出ないことも多い。
ドレスをデザインする人は、まさか自分のドレスを日本の子豚ちゃんが着ると思って作ったわけではないから、パーツの位置とドレスの曲線の位置がずれる。
これが着こなしを台無しにする原因なのだ。
だから自分に合わせて作ればいいかというと、そうでもない。
ステージ用のドレスを注文して作ったことがあった。
ドレスメーカーは日本の洋裁の型紙の取り方で作るから、曲線的ではない。
ステージドレスはいわば運動着。
それを着てただ立っているわけではなくて、腕が動きにくいと演奏に差し支える。
オーケストラは座って弾くので、座ったときにもきれいに見えないといけない。
しかし、まったくそれを理解できないメーカーは、日本式の平面的な型紙で作ってしまった。
立って腕を下ろしていればまだしも、腕を上げると肩がつかえる。
手を下ろすと妙に肩幅が広すぎるで、何回仮縫いしても話が通じない。
口を酸っぱくして「ここを1センチ詰めて、こちらはもうすこしたっぷりね」「は~あ」
根負けして本縫いへ。
演奏旅行にそのドレスを持参した。
ベッドの横にハンガーに掛けられてうなだれているドレスを見たら、可哀そうに、私の体型そのままだった。
見苦しい。
結局私の体型が悪いのが諸悪の根源なのだ。
ちなみに欧米のドレスは立体的にできているから、それだけ見るともこもこして見える。
けれど着てみるととても着映えがするし動きが楽。
その後、センスの合うメーカーさんと出会って、さんざん服を縫ってもらった。
その人は同じアパートの住人だったから、なにもかも好都合で、いろいろなデザインを考えては縫ってもらった。
着物を仕立て直してスーツにしたのは、まだそんなこと流行っていなかった頃の私のアイディア。
ヒョウ柄のアンサンブルを着て京都の都ホテルに行ったら、デザイン関係のかたですか?と言われた。
ヒョウ柄なんてまだ大阪のおばちゃんですら着ていなかった頃の話。
ほっそりとして目を輝かせて人生を大いに楽しんでいたころの自分は・・・あれは本当に自分だったのかしら。
サイズ5か7なんて・・・
あれが自分なら、今ここにぼんやり座っているこのお肉の塊は一体誰?
やっと届いたので胸を躍らせて試着したら、左わき開閉のファスナーが閉まらない。
背中の開閉ならなんとかごまかせるけれど、わきの開閉だと中身のお肉を挟みそうで怖い。
やっと上まで上げたはいいけれど、ぴったりとウエストに張り付くデザインは、最近のコロナ太りでため込んだ贅肉を否応なしにさらす。
ボンレスハムか?いらんところにくびれや盛り上がり。
これはいかん。
リフォームに出せばなんとか着られそう。
けれど、凝ったデザインで手間が大変そう。
手間の割には効果は少ないと見た。
諦めて返品することにした。
コンサートはいつ再開できるかわからないので、ドレスだけ用意してもむなしい。
海外のブランドは欧米人の体型で作られているから、胸は豊かに、ウエストはあくまでも細く、丈は長い。
これを丈は短く、ウエストはうえフト、胸はふにょふにょ体型の私が着るのは無理がある。
それを何とかして着ようと努力するのには訳がある。
デザインが面白い。
とびぬけているのはイタリア、素敵なのはフランス。
イタリアのデザインはあくまでも色は明るく、肉体をなるべく露出するようにできている。
腿の上の方から割れているスリットや胸元が大きく開いていて、私が着るとおへそまで見えかねない。
おへそは、でも見えない。
なんせその上にたっぷりとお肉が盛り上がっているから。
胸元は少し上まで縫ってしまう。
スリットも同じく。
それでなんとか凌いでいるけれど、ウエスト辺りのすっきり感は全くなくなる。
というのも、その辺の贅肉を隠すために、なにかしらドレープを寄せたり、ベルトをこしらえたりで、せっかくのドレスがダサくなる。
残念無念だなあ。
若くてやせていたころはなんでも少し詰めれば着られた。
詰めるのは簡単でも増やすのはプロの手を借りないと無理。
せっかく改造しても思ったような効果が出ないことも多い。
ドレスをデザインする人は、まさか自分のドレスを日本の子豚ちゃんが着ると思って作ったわけではないから、パーツの位置とドレスの曲線の位置がずれる。
これが着こなしを台無しにする原因なのだ。
だから自分に合わせて作ればいいかというと、そうでもない。
ステージ用のドレスを注文して作ったことがあった。
ドレスメーカーは日本の洋裁の型紙の取り方で作るから、曲線的ではない。
ステージドレスはいわば運動着。
それを着てただ立っているわけではなくて、腕が動きにくいと演奏に差し支える。
オーケストラは座って弾くので、座ったときにもきれいに見えないといけない。
しかし、まったくそれを理解できないメーカーは、日本式の平面的な型紙で作ってしまった。
立って腕を下ろしていればまだしも、腕を上げると肩がつかえる。
手を下ろすと妙に肩幅が広すぎるで、何回仮縫いしても話が通じない。
口を酸っぱくして「ここを1センチ詰めて、こちらはもうすこしたっぷりね」「は~あ」
根負けして本縫いへ。
演奏旅行にそのドレスを持参した。
ベッドの横にハンガーに掛けられてうなだれているドレスを見たら、可哀そうに、私の体型そのままだった。
見苦しい。
結局私の体型が悪いのが諸悪の根源なのだ。
ちなみに欧米のドレスは立体的にできているから、それだけ見るともこもこして見える。
けれど着てみるととても着映えがするし動きが楽。
その後、センスの合うメーカーさんと出会って、さんざん服を縫ってもらった。
その人は同じアパートの住人だったから、なにもかも好都合で、いろいろなデザインを考えては縫ってもらった。
着物を仕立て直してスーツにしたのは、まだそんなこと流行っていなかった頃の私のアイディア。
ヒョウ柄のアンサンブルを着て京都の都ホテルに行ったら、デザイン関係のかたですか?と言われた。
ヒョウ柄なんてまだ大阪のおばちゃんですら着ていなかった頃の話。
ほっそりとして目を輝かせて人生を大いに楽しんでいたころの自分は・・・あれは本当に自分だったのかしら。
サイズ5か7なんて・・・
あれが自分なら、今ここにぼんやり座っているこのお肉の塊は一体誰?
2020年7月5日日曜日
古典音楽協会の公演中止
今年初めから私たちの演奏会はことごとく中止の憂き目にあった。
今年の夏は北軽井沢のフェスティヴァルも中止、弦楽アンサンブルの生徒たちの合宿も予定はされているものの、それも状況次第でどうなることか。
今朝、古典音楽協会の今年9月の定期演奏会と来年3月の公演も中止するとの知らせが入った。
予想はしていたものの、かなりショックは大きい。
会場の東京文化会館は日本有数の演奏会場だから、世の中の規範となるべき存在。
そこでの基準は厳しく実行されないといけない。
古典音楽協会の公演は、毎回ほぼ満席というありがたい状況だった。
演奏者とともに聴衆も一緒に年を重ね、これほど暖かい応援を受けている演奏団体は他にないと自負している。
ステージに上がると、客席から一斉にニコニコした雰囲気が伝わってくるのだ。
その満席の状態を、どうやって過密状態をなくすのか。
毎回聴いてくださる人たちに、あなたは来ないでください、または今日は席がありません、おかえりくださいなんて、言えないでしょう。
本当につらい思いでやむなく中止の運びとなった。
しかし、私たちはもう若くはないから、この2回の中止が及ぼす影響は精神的にも身体的にも大きい。
毎日練習は欠かさないものの、目的もなく行う練習は緊張感がない。
果たして来年復帰したとして、ちゃんとした音が出せるかどうかも心配。
幸い私はコロナウイルスに取りつかれてはいないと思うけれど、この先無事でいられる保証はないし、他の誰にもない。
感染拡大第2波の予想は今年10月ころとか。
それは秋の公演の真っただ中ではないか。
世界がとんでもないことになっている。
そしてウイルスに対する緊張感の温度差が各国に見られ、日本だけで頑張っても手の施しようがない。
経済的には各国間の行き来は必要なのに、汚染度が違う拡大時期も違うとなると、やっと収まったところに又感染者が入り込んで・・・いたちごっこ。
せめてアメリカのトランプ氏が経済的亡者でなければ、もう少し患者数が減ったものを。
それができないのに次期大統領選に出馬とは、反省のはの字もない。
せめて日本の安倍さんがもう少しお利口さんだったら、使えないマスクに莫大な税金を使わないで医療機器をそろえられたのに。
まったく、どいつもこいつも・・・おっと失礼。
コロナ騒ぎが始まってからの私は、ちょっと苛ついておりますので。
経済は本当に大事、だけど命あってのことで、一時期我慢しなければいつまでも良い経済活動はできない。
今日地元商店街のイタリアンレストランをのぞいてみた。
ダサい商店街でもぴか一のレストランで、時々女子会をしている。
マネージャーがカウンターにもたれて額に手をやり、うなだれていたので声をかけられなかった。
このレストランがなくなると、この町で美味しいと自慢できる店がなくなる。
それは困る。
今年の夏は北軽井沢のフェスティヴァルも中止、弦楽アンサンブルの生徒たちの合宿も予定はされているものの、それも状況次第でどうなることか。
今朝、古典音楽協会の今年9月の定期演奏会と来年3月の公演も中止するとの知らせが入った。
予想はしていたものの、かなりショックは大きい。
会場の東京文化会館は日本有数の演奏会場だから、世の中の規範となるべき存在。
そこでの基準は厳しく実行されないといけない。
古典音楽協会の公演は、毎回ほぼ満席というありがたい状況だった。
演奏者とともに聴衆も一緒に年を重ね、これほど暖かい応援を受けている演奏団体は他にないと自負している。
ステージに上がると、客席から一斉にニコニコした雰囲気が伝わってくるのだ。
その満席の状態を、どうやって過密状態をなくすのか。
毎回聴いてくださる人たちに、あなたは来ないでください、または今日は席がありません、おかえりくださいなんて、言えないでしょう。
本当につらい思いでやむなく中止の運びとなった。
しかし、私たちはもう若くはないから、この2回の中止が及ぼす影響は精神的にも身体的にも大きい。
毎日練習は欠かさないものの、目的もなく行う練習は緊張感がない。
果たして来年復帰したとして、ちゃんとした音が出せるかどうかも心配。
幸い私はコロナウイルスに取りつかれてはいないと思うけれど、この先無事でいられる保証はないし、他の誰にもない。
感染拡大第2波の予想は今年10月ころとか。
それは秋の公演の真っただ中ではないか。
世界がとんでもないことになっている。
そしてウイルスに対する緊張感の温度差が各国に見られ、日本だけで頑張っても手の施しようがない。
経済的には各国間の行き来は必要なのに、汚染度が違う拡大時期も違うとなると、やっと収まったところに又感染者が入り込んで・・・いたちごっこ。
せめてアメリカのトランプ氏が経済的亡者でなければ、もう少し患者数が減ったものを。
それができないのに次期大統領選に出馬とは、反省のはの字もない。
せめて日本の安倍さんがもう少しお利口さんだったら、使えないマスクに莫大な税金を使わないで医療機器をそろえられたのに。
まったく、どいつもこいつも・・・おっと失礼。
コロナ騒ぎが始まってからの私は、ちょっと苛ついておりますので。
経済は本当に大事、だけど命あってのことで、一時期我慢しなければいつまでも良い経済活動はできない。
今日地元商店街のイタリアンレストランをのぞいてみた。
ダサい商店街でもぴか一のレストランで、時々女子会をしている。
マネージャーがカウンターにもたれて額に手をやり、うなだれていたので声をかけられなかった。
このレストランがなくなると、この町で美味しいと自慢できる店がなくなる。
それは困る。
2020年7月4日土曜日
膝栗毛
十返舎一九「東海道中膝栗毛」
この膝栗毛とはなんぞや?と先日テレビでクイズの問題となっていた。
こたえは物知りで有名な解説者I氏。
ところがその説明があまりにもあいまいで、あれでは聞いた人たちはわからないと思った。
それはこんな風だったと記憶している。
栗毛というのは馬のことで、昔は馬でよく旅をしましたね。東海道の旅の話です、みたいに言ったと思う。
おや?膝はどうした。
もしかしたら編集されて肝心なところが切られていたのかもしれないけれど、わけがわからなった。
私の聞き間違いだったらIさんごめんなさい。
解説者なる職業は本当は何というのだろう。
評論家?
最近は情報にコメントするだけでコメンテーターという職業も成り立っているようだけれど。
栗毛とは茶色い馬(毛色)
胴は赤黒く尾とたてがみが赤茶色。
膝栗毛は人間の膝を栗毛の馬に例えている。
それをつかって旅をする、馬ではなく膝を使うので徒歩旅行のことをいうのだけれど、そこのところの説明がすっぽり抜けていたので驚いた。
それ言わなきゃ意味通じないじゃない。
ご本人も知らなかったのかな?
毎日うちで無聊な日々を送っているから、些細なことが文句の種になる。
知ったかぶりはこの辺にして・・・
私は馬は葦毛が好き。
すごくおしゃれに見えるのだ。
評論家と言えば、私の一番嫌いな職業。
野球の解説なんかも「あー、ここで打たないといけませんね~」なんて。
それではあなた、打ってみなさいよ。
「これはやってはいけません」なんて、やってはいけないことをやりたくてやっている人はいないのよ、あなた。
音楽評論家に楽器の名手はいない(と思う)
自分が演奏する立場だったら他人をとやかく言えないはず。
自分が名手だったら御託並べている間に、一曲でもたくさん演奏していたいと思うだろうし。
今までで一番おかしかったのは、わが「古典音楽協会」の記念的な定期演奏会の時。
いつもどおりお客さんは超満員。
そして普段は聴いてもらえない評論家の皆さんもご来場したらしい。
後日、音楽雑誌に出た記事を読んだメンバーは爆笑した。
メンバーの中にS氏という有名な演奏者が名を連ねていた。
しかしこの時の演奏会には出演していなかった。
1流オーケストラのトップメンバー、有名大学の教授で、なかなか御多忙なので。
彼抜きでのコンサートのはずだったけれど、評論家氏の評論は、彼の演奏が素晴らしかったと書いてあった。
私たちの知らないうちに彼は演奏しに来ていたのかな?
彼さえ褒めておけば何事も平和なのだ。
演奏していなくても褒めてもらえるのはいいなあ。
しかし、その時の彼のポジションのメンバーはやせ型。
S氏は手を前足と呼ぶほどがっちりとした体形で、遠目にもその違いは一目瞭然。
すると・・・この記事を書いた人は会場に足を運んでいないということ?
情報通によれば、そんなことは日常茶飯事だそうなのだ。
評論家同士で協議して、今回はこの流れでいこうと決めるらしい。
それを真に受けてやってくるお客さんこそいい迷惑。
実際私が一時期所属していた弦楽四重奏団。
あまりにも音程が合わないので気持ち悪くてやめたけれど、コンサートをすれば某有名評論家の絶賛が毎回雑誌に載る。
メンバーの一人が彼の旧友。
しかもお金持ちで金に糸目はつけない。
ほかのメンバーは一流大学教授。
これではいい点数がつくに決まっている。
その評論家は日本のトップクラスだったから誰も逆らえない。
しかし、それ以来私は演奏会の評論は決して信用しなくなった。
自分の耳でちゃんと確かめることにした。
あまり有名ではない人のコンサートに行って、思いがけず感動することはある。
バッハの連続演奏をした日本女性Wさんの素晴らしい演奏を聴いたすぐそのあとで、同じ会場でやはり同じバッハを聞いたことがあった。
ドイツ人の日本ではあまり聞いたことのない名前の男性だった。
Wさんは素晴らしかった。
本当に上手かった。
けれど、ドイツの若者の演奏では、なるほどバッハはこう弾くのかと感動させられた。
本物だあ!
ごつごつしてそれほどテクニシャンではないかもしれないけれど、魂はまねできないと思った。
評論家はWさんを絶賛するだろう。
けれど、私は楽器のうまさってなんだろうと考えさせられた演奏会だった。
東海道からドイツまで、話題の幅が広がって、私は家にばかりいて、体の幅が広がって、次にコンサートができるころには、どのドレスも入らなくなっているかもしれないと恐怖ですのにゃ。
この膝栗毛とはなんぞや?と先日テレビでクイズの問題となっていた。
こたえは物知りで有名な解説者I氏。
ところがその説明があまりにもあいまいで、あれでは聞いた人たちはわからないと思った。
それはこんな風だったと記憶している。
栗毛というのは馬のことで、昔は馬でよく旅をしましたね。東海道の旅の話です、みたいに言ったと思う。
おや?膝はどうした。
もしかしたら編集されて肝心なところが切られていたのかもしれないけれど、わけがわからなった。
私の聞き間違いだったらIさんごめんなさい。
解説者なる職業は本当は何というのだろう。
評論家?
最近は情報にコメントするだけでコメンテーターという職業も成り立っているようだけれど。
栗毛とは茶色い馬(毛色)
胴は赤黒く尾とたてがみが赤茶色。
膝栗毛は人間の膝を栗毛の馬に例えている。
それをつかって旅をする、馬ではなく膝を使うので徒歩旅行のことをいうのだけれど、そこのところの説明がすっぽり抜けていたので驚いた。
それ言わなきゃ意味通じないじゃない。
ご本人も知らなかったのかな?
毎日うちで無聊な日々を送っているから、些細なことが文句の種になる。
知ったかぶりはこの辺にして・・・
私は馬は葦毛が好き。
すごくおしゃれに見えるのだ。
評論家と言えば、私の一番嫌いな職業。
野球の解説なんかも「あー、ここで打たないといけませんね~」なんて。
それではあなた、打ってみなさいよ。
「これはやってはいけません」なんて、やってはいけないことをやりたくてやっている人はいないのよ、あなた。
音楽評論家に楽器の名手はいない(と思う)
自分が演奏する立場だったら他人をとやかく言えないはず。
自分が名手だったら御託並べている間に、一曲でもたくさん演奏していたいと思うだろうし。
今までで一番おかしかったのは、わが「古典音楽協会」の記念的な定期演奏会の時。
いつもどおりお客さんは超満員。
そして普段は聴いてもらえない評論家の皆さんもご来場したらしい。
後日、音楽雑誌に出た記事を読んだメンバーは爆笑した。
メンバーの中にS氏という有名な演奏者が名を連ねていた。
しかしこの時の演奏会には出演していなかった。
1流オーケストラのトップメンバー、有名大学の教授で、なかなか御多忙なので。
彼抜きでのコンサートのはずだったけれど、評論家氏の評論は、彼の演奏が素晴らしかったと書いてあった。
私たちの知らないうちに彼は演奏しに来ていたのかな?
彼さえ褒めておけば何事も平和なのだ。
演奏していなくても褒めてもらえるのはいいなあ。
しかし、その時の彼のポジションのメンバーはやせ型。
S氏は手を前足と呼ぶほどがっちりとした体形で、遠目にもその違いは一目瞭然。
すると・・・この記事を書いた人は会場に足を運んでいないということ?
情報通によれば、そんなことは日常茶飯事だそうなのだ。
評論家同士で協議して、今回はこの流れでいこうと決めるらしい。
それを真に受けてやってくるお客さんこそいい迷惑。
実際私が一時期所属していた弦楽四重奏団。
あまりにも音程が合わないので気持ち悪くてやめたけれど、コンサートをすれば某有名評論家の絶賛が毎回雑誌に載る。
メンバーの一人が彼の旧友。
しかもお金持ちで金に糸目はつけない。
ほかのメンバーは一流大学教授。
これではいい点数がつくに決まっている。
その評論家は日本のトップクラスだったから誰も逆らえない。
しかし、それ以来私は演奏会の評論は決して信用しなくなった。
自分の耳でちゃんと確かめることにした。
あまり有名ではない人のコンサートに行って、思いがけず感動することはある。
バッハの連続演奏をした日本女性Wさんの素晴らしい演奏を聴いたすぐそのあとで、同じ会場でやはり同じバッハを聞いたことがあった。
ドイツ人の日本ではあまり聞いたことのない名前の男性だった。
Wさんは素晴らしかった。
本当に上手かった。
けれど、ドイツの若者の演奏では、なるほどバッハはこう弾くのかと感動させられた。
本物だあ!
ごつごつしてそれほどテクニシャンではないかもしれないけれど、魂はまねできないと思った。
評論家はWさんを絶賛するだろう。
けれど、私は楽器のうまさってなんだろうと考えさせられた演奏会だった。
東海道からドイツまで、話題の幅が広がって、私は家にばかりいて、体の幅が広がって、次にコンサートができるころには、どのドレスも入らなくなっているかもしれないと恐怖ですのにゃ。
鳥になりたい
コロナが始まってからのnekotamaは、投稿内容がとげとげしくなっている。
自分で読み返すと笑える。
またイライラしてえ、いい加減にしなさいよ、と。
コロナで運命が変わった人は沢山いると思う。
けれど、津波や大地震なんかの自然災害よりは、まだ救いようがある。
まずは予防ができる。
治療が受けられる。
それでも亡くなった方には申し訳ないけれど、根こそぎ持っていかれてしまった大津波に比べれば、まだ多少逃げ場はある。
ただしそう言えるのは今のうち。
世界的な大流行だから、経済的な理由で外国からの旅行客を受け入れるようになったら、考えるのも恐ろしいことが起きるのではないだろうか。
今度我が家の上の階に大阪から引っ越してくる人がいる。
大阪ではコロナが上手く制圧できたようだから、わざわざ危険地帯に引っ越すわけで気の毒に思えるけれど、仕事の都合だからしかたがない。
3階のほかの部屋の人は在宅勤務がずっと続くらしい。
なんでも9月までということで、毎日家にいる。
近所で子供が騒ぎ、大きな声で話す人、どなる声が聞こえる中での在宅勤務はやりにくそう。
会社のように構造のしっかりした建物ではないから、外の騒音は丸聞こえ。
在宅女史が時々苛ついて窓をバタンと閉める音がする。
我が家はこれで何度目かのリフォームに入る。
築25年を過ぎるとあちこち傷みが目に付く。
まず下の方から塗装が始まって駐車場がきれいになった。
そこから外壁と屋上の塗装。
これは足場を組んでの大仕事だったので、時間もお金もかかった。
空き部屋のリフォームは畳の部屋をフローリングに、押入れをクローゼットにと、今風に。
最後に残ったのは、階段室の壁と階段などの塗装。
これが済めば、ひとまず新築に近い外見になる。
3.11の地震の時に、3階の壁の一部にヒビが入ったけれど、構造上の問題はないということで放置してあったのを直すことにした。
私は2階に住んでいるけれど、この建物はよく揺れる。
すると3階の人からも時々揺れるけれど大丈夫ですかと訊かれた。
業者に訊くと、この建物は揺れることで大きなダメージを受けない構造なのだそうで、それを聞いて少し安心した。
基礎工事をしていた時に建築現場で見た限りでは、深く掘り下げて頑丈な鉄骨が組まれていた。
当時現場を見に来た保険会社の人が「これは100年保ちます」と太鼓判を押していった。
ただし、この土地はもともと田んぼだったから、地盤としては多少脆弱かもしれない。
気持ちよく住みたいのでリフォームに力を入れてきたけれど、最終リフォームが終われば、次は終の棲家探し。
周りに迷惑かけずに老いていきたいので。
本当は最後まで自宅にいたい。
這ってでも階段が上がれれば大丈夫。
周りがぜんぶ老人で、へんなお遊戯とか体操させられるのはかなわない。
介護士から子供みたいに話しかけられたら腹が立つ。
ほんの少しだけ家事をやってくれる人がいれば、家から直接火葬場に行きたい。
しかも自分で運転して・・・ハハハ、それは無理か。
私は暑いの苦手だから、火葬でなく鳥葬がいいけれど。
チベットの山の上で、鳥になって飛んでいくのが夢なのだ。
素晴らしいことに今まで夢はほとんど叶ったから、鳥になれるかも。
今まで一度も格好良かったことがないので
せめて最後は格好良くと思ったけれど、やはり無理なんでしょうかね。
生れたのは当てずっぽうだったっけれど、最後は自分で決めたい。
ハシビロコウでもいいかな。
いいよね?
池袋
まさか池袋がコロナ感染数1位とは知らず池袋へ。
ハリー・ポッターの6巻が大詰を迎え、先生のルースさんとワクワク読んでいた場所は池袋の某所。
朝の報道で感染者数が非常に多いと聞いてぞっとした。
雨模様だったので人は少なかったけれど、コロナは人が通った後や触ったものや、あるいはくしゃみをしたときに拡散する。
油断はできない。
そうとも知らずルースさんと街を歩きながら、新宿は怖いなんてのんきに話していた。
熱中症が怖いのでクーラーをつけっぱなしで寝る。
朝方少し冷え込むこともあって、鼻かぜ気味の時は電車に乗るのがはばかられる。
咳喘息はずいぶんよくなったけれど、時々せき込むこともある。
自宅なら遠慮なく咳ができるけれど、電車で咳をしたら白い目が飛んでくる。
向かいの座席に座っていた男性が大きなくしゃみをした。
見るとマスク着用なし。
胸倉つかんで詰め寄りたくなった。
その日のレッスンは3時間ぶっ続け。
コロナ騒ぎですっかり暇になったので、たくさん読むことができた。
いままでは章の半分を1時間かけてのレッスンだったけれど、早く読まないと終わる前に私の認知症が進んで読めなくなるといけないから、スピードアップすることに。
それに今や物語はクライマックスを迎え、面白くてたまらない。
いつも聞いているルースさんも、もっと読みたいというくらい激しく展開する。
読みながら私は声優なんて言う職業も良かったなと妄想。
顔が顔だから女優は無理。
声が声だから声優も難あり。
でも昔から読むのは得意だったから、ひょっとしていけたかも。
ルースさんがじっと私の顔を見て、あなたのRの発音はとても良いと褒めてくれた。
何のことはない、私猫だから。
喉の奥でゴロゴロ。
さすがに3時間慣れない英語、しかも最近さらに難しくなった内容と格闘しながらのレッスンはこたえた。
作者のローリング女史の戦略は徐々に難易度が上がる。
読んでいる子供の成長に合わせて、単語もどんどん新しくなる。
これはすごい!
1巻は今から思えば本当に易しかった。
中学校の英語が十分通用。
しかし、いまや17歳になったハリーに合わせてレベルもそれなりになった。
中学校以来まったく英語を勉強してこなかった私は、すべてが新しい単語や言い回しで眩暈がするほど難しい。
ローリングさんの教養がそこここに散りばめられていて、うっかり読み落とすともったいないから一言一句丁寧に読んでいく。
ラテン語や辞書には出ていない使い方もあって、ルースさんがいなければほとんどわからなかったと思う。
彼女の忍耐強さはやはりヴァイオリンなどという面倒くさい楽器をやって培われたと思う。
怠けものを目指す私でさえ、好きなことには忍耐強い。
よくも60数年、飽きずにきたものだ。
思えば言葉に関しては私は国粋主義者。
日本語の美しさに子供のころから魅了されていた。
中学校の英語の先生がことごとく気に入らなかったので、英語に対する興味を失った。
でも中学校でハリー・ポッターのような物語を読ませてくれたなら、今頃私は英文学者になっていたかもしれない。
なにごとも出会いなのだ。
中学校でヴァイオリンを習っている同級生がいなければ、彼女が音大付属高校を受験しようと私をそそのかさなければ、今頃私は熱帯の森で安らかに木にぶら下がっていたかも。
それでもすべて最初から敷かれていた道なのだと思う。
ハリー・ポッターの6巻が大詰を迎え、先生のルースさんとワクワク読んでいた場所は池袋の某所。
朝の報道で感染者数が非常に多いと聞いてぞっとした。
雨模様だったので人は少なかったけれど、コロナは人が通った後や触ったものや、あるいはくしゃみをしたときに拡散する。
油断はできない。
そうとも知らずルースさんと街を歩きながら、新宿は怖いなんてのんきに話していた。
熱中症が怖いのでクーラーをつけっぱなしで寝る。
朝方少し冷え込むこともあって、鼻かぜ気味の時は電車に乗るのがはばかられる。
咳喘息はずいぶんよくなったけれど、時々せき込むこともある。
自宅なら遠慮なく咳ができるけれど、電車で咳をしたら白い目が飛んでくる。
向かいの座席に座っていた男性が大きなくしゃみをした。
見るとマスク着用なし。
胸倉つかんで詰め寄りたくなった。
その日のレッスンは3時間ぶっ続け。
コロナ騒ぎですっかり暇になったので、たくさん読むことができた。
いままでは章の半分を1時間かけてのレッスンだったけれど、早く読まないと終わる前に私の認知症が進んで読めなくなるといけないから、スピードアップすることに。
それに今や物語はクライマックスを迎え、面白くてたまらない。
いつも聞いているルースさんも、もっと読みたいというくらい激しく展開する。
読みながら私は声優なんて言う職業も良かったなと妄想。
顔が顔だから女優は無理。
声が声だから声優も難あり。
でも昔から読むのは得意だったから、ひょっとしていけたかも。
ルースさんがじっと私の顔を見て、あなたのRの発音はとても良いと褒めてくれた。
何のことはない、私猫だから。
喉の奥でゴロゴロ。
さすがに3時間慣れない英語、しかも最近さらに難しくなった内容と格闘しながらのレッスンはこたえた。
作者のローリング女史の戦略は徐々に難易度が上がる。
読んでいる子供の成長に合わせて、単語もどんどん新しくなる。
これはすごい!
1巻は今から思えば本当に易しかった。
中学校の英語が十分通用。
しかし、いまや17歳になったハリーに合わせてレベルもそれなりになった。
中学校以来まったく英語を勉強してこなかった私は、すべてが新しい単語や言い回しで眩暈がするほど難しい。
ローリングさんの教養がそこここに散りばめられていて、うっかり読み落とすともったいないから一言一句丁寧に読んでいく。
ラテン語や辞書には出ていない使い方もあって、ルースさんがいなければほとんどわからなかったと思う。
彼女の忍耐強さはやはりヴァイオリンなどという面倒くさい楽器をやって培われたと思う。
怠けものを目指す私でさえ、好きなことには忍耐強い。
よくも60数年、飽きずにきたものだ。
思えば言葉に関しては私は国粋主義者。
日本語の美しさに子供のころから魅了されていた。
中学校の英語の先生がことごとく気に入らなかったので、英語に対する興味を失った。
でも中学校でハリー・ポッターのような物語を読ませてくれたなら、今頃私は英文学者になっていたかもしれない。
なにごとも出会いなのだ。
中学校でヴァイオリンを習っている同級生がいなければ、彼女が音大付属高校を受験しようと私をそそのかさなければ、今頃私は熱帯の森で安らかに木にぶら下がっていたかも。
それでもすべて最初から敷かれていた道なのだと思う。
若者よ
数日前、感染者が増えているとも知らず池袋へ。
ハリー・ポッターの購読日、先生のルースさんと長時間のレッスンで疲れての帰り道。
新宿は感染者が多くて怖いなどと話しながら、池袋の雑踏を歩いていた。
その数日後、新宿を抜いて池袋がダントツになったというので震え上がった。
電車の中で不埒にもマスクをせずに大きなくしゃみをした男性の座席が、ちょうど私の真正面。
勘弁してよね。
まだ緊急事態宣言が解除になったばかりなのに、浮かれて自粛しないとは。
まったく若い者は・・・
で、自分の若いころを思い出した。
やっとお酒が飲めるようになった頃は、大人になったうれしさでなにかにつけて繁華街に繰り出す。
オーケストラの練習場が閉まるのは午後9時か10時、それから出かけるから当然終電で帰ることになる。
終電がなくなっても遊んでいて午前4時に帰宅したときは、めったに文句を言わない母に叱られたことも。
母は深夜ご帰還の私には叱るよりも効果のある行動をとった。
私が帰ると、そこに座りなさいと言ってお茶の稽古を始める。
袱紗の畳み方を教えて私の気が静まるのを待つ。
それよりも母の気が静まるようにだったかもしれない。
寝ないで待つ母の姿は効果があった。
家事と子育てで寝る間も惜しんで働いている母はとても疲れている。
そのうえ飼い猫の三毛が私が帰るのをずっと待っていた。
私が帰ると庭の隅から矢のように飛んでくる。
これもこたえたから、その後はあまり夜遊びは・・やはりしていたけど。
そうだった。
すっかり忘れていて若者を非難するところだった。
高校生時代、友人の別荘に遊びに行った。
野尻湖の湖畔にある別荘で、夏休みをヨットに乗ったり和船を漕いだりして遊ぶ。
友人のお兄さんが操縦するヨットに乗せてもらったけれど、バランスをとるのにあちこち移動させられて大変だった。
ロープを握らされて引っ張るとか、緩めるとか。
乗せてくれるというからお客さんでのんびりしていられるのかと思っていたので、疲れ果てた。
夜は皆ですき焼き。
友人お兄さんとその学友、私たちはまだ17・8歳の花も恥じらうお年頃。
なのに、すき焼きの肉の奪い合いで醜い争いをした、楽しい思い出がある。
自分の肉を確保するために、これと決めた肉に箸を突き立てて取られないようにしているのに、周りからみんなでこそげ取られてしまうので、なかなか口に入らなかった。
そのころコロナがあったら、こんなことであっという間に感染する。
嫌なことが早くなくなって、肉合戦ができるようになるといいのに。
今思い出したけれど、この野尻湖の持ち主の友人に誘われてスキーを始めたのだった。
ずいぶんよく遊んでもらった。
級友たちはお金持ちのお嬢様が多かったから、すっかりお世話になって楽しい夏休みを過ごした。
この別荘と御宿の海辺の別荘、美ヶ原のホテルのお嬢さんもいたっけ。
そこを渡り歩てリッチな休日を送っていた。
全然お礼をした覚えがないから、ずうずうしく泊まり歩いていたのかもしれない。
母が尻ぬぐいをしていたかもしれない。
宝塚の友人の家に居候をしていて、そろそろ帰ると言ったら友人母が「宝塚劇場に行かなければ帰さない」というので嫌々見に行った。
私は宝塚がどうも苦手だったけれど、初めて見たら余りの美しさにびっくり。
それから偏見はなくなった。
ゴルフ場のオーナーのお嬢さんは中学時代からの親友だった。
だから私は中学時代からゴルフの練習をさせてもらった。
思い出すとずいぶん贅沢なおつきあいをしていたのだわ。
お古の袖のすり切れたセーターとか、13歳年上の姉の使った取っ手の芯が出たようなカバンとか持ってずいぶん貧しそうだったから、同情されていたのかもしれない。
思い出せば出すほど、無謀でやかましくて図々しかった自分の姿が目に浮かぶ。
そう、若さとはそんなものだった。
周りへの配慮とか遠慮とかはなく、自分の道を突き進んでいた。
今私が当時のままだったら、コロナもなんのその、友人たちと面白く遊ぶことを優先したと思う。
だからといって若者たちよ!今はお願いだから我慢して!
大人になるということは、分別ができてすべてが中庸になってしまうことなのだ。
その分面白くなくなるかと言えば、そんなことはない。
ちゃんと体力が衰えて行動力がなくなってくるから、ちょうどよくなる。
自然は本当にうまくできている。
と、いまだに無分別な私が偉そうに言う。
この先いつどんな目にあうかわからないけれど、若い時の気持ちと体力に合った行動があれば、本当に人生は楽しい。
無謀であるのはいいことでもあるけれど、お願いだからコロナだけは怖がってほしい。
かかるとイチコロの老婆からのお願いです。
ハリー・ポッターの購読日、先生のルースさんと長時間のレッスンで疲れての帰り道。
新宿は感染者が多くて怖いなどと話しながら、池袋の雑踏を歩いていた。
その数日後、新宿を抜いて池袋がダントツになったというので震え上がった。
電車の中で不埒にもマスクをせずに大きなくしゃみをした男性の座席が、ちょうど私の真正面。
勘弁してよね。
まだ緊急事態宣言が解除になったばかりなのに、浮かれて自粛しないとは。
まったく若い者は・・・
で、自分の若いころを思い出した。
やっとお酒が飲めるようになった頃は、大人になったうれしさでなにかにつけて繁華街に繰り出す。
オーケストラの練習場が閉まるのは午後9時か10時、それから出かけるから当然終電で帰ることになる。
終電がなくなっても遊んでいて午前4時に帰宅したときは、めったに文句を言わない母に叱られたことも。
母は深夜ご帰還の私には叱るよりも効果のある行動をとった。
私が帰ると、そこに座りなさいと言ってお茶の稽古を始める。
袱紗の畳み方を教えて私の気が静まるのを待つ。
それよりも母の気が静まるようにだったかもしれない。
寝ないで待つ母の姿は効果があった。
家事と子育てで寝る間も惜しんで働いている母はとても疲れている。
そのうえ飼い猫の三毛が私が帰るのをずっと待っていた。
私が帰ると庭の隅から矢のように飛んでくる。
これもこたえたから、その後はあまり夜遊びは・・やはりしていたけど。
そうだった。
すっかり忘れていて若者を非難するところだった。
高校生時代、友人の別荘に遊びに行った。
野尻湖の湖畔にある別荘で、夏休みをヨットに乗ったり和船を漕いだりして遊ぶ。
友人のお兄さんが操縦するヨットに乗せてもらったけれど、バランスをとるのにあちこち移動させられて大変だった。
ロープを握らされて引っ張るとか、緩めるとか。
乗せてくれるというからお客さんでのんびりしていられるのかと思っていたので、疲れ果てた。
夜は皆ですき焼き。
友人お兄さんとその学友、私たちはまだ17・8歳の花も恥じらうお年頃。
なのに、すき焼きの肉の奪い合いで醜い争いをした、楽しい思い出がある。
自分の肉を確保するために、これと決めた肉に箸を突き立てて取られないようにしているのに、周りからみんなでこそげ取られてしまうので、なかなか口に入らなかった。
そのころコロナがあったら、こんなことであっという間に感染する。
嫌なことが早くなくなって、肉合戦ができるようになるといいのに。
今思い出したけれど、この野尻湖の持ち主の友人に誘われてスキーを始めたのだった。
ずいぶんよく遊んでもらった。
級友たちはお金持ちのお嬢様が多かったから、すっかりお世話になって楽しい夏休みを過ごした。
この別荘と御宿の海辺の別荘、美ヶ原のホテルのお嬢さんもいたっけ。
そこを渡り歩てリッチな休日を送っていた。
全然お礼をした覚えがないから、ずうずうしく泊まり歩いていたのかもしれない。
母が尻ぬぐいをしていたかもしれない。
宝塚の友人の家に居候をしていて、そろそろ帰ると言ったら友人母が「宝塚劇場に行かなければ帰さない」というので嫌々見に行った。
私は宝塚がどうも苦手だったけれど、初めて見たら余りの美しさにびっくり。
それから偏見はなくなった。
ゴルフ場のオーナーのお嬢さんは中学時代からの親友だった。
だから私は中学時代からゴルフの練習をさせてもらった。
思い出すとずいぶん贅沢なおつきあいをしていたのだわ。
お古の袖のすり切れたセーターとか、13歳年上の姉の使った取っ手の芯が出たようなカバンとか持ってずいぶん貧しそうだったから、同情されていたのかもしれない。
思い出せば出すほど、無謀でやかましくて図々しかった自分の姿が目に浮かぶ。
そう、若さとはそんなものだった。
周りへの配慮とか遠慮とかはなく、自分の道を突き進んでいた。
今私が当時のままだったら、コロナもなんのその、友人たちと面白く遊ぶことを優先したと思う。
だからといって若者たちよ!今はお願いだから我慢して!
大人になるということは、分別ができてすべてが中庸になってしまうことなのだ。
その分面白くなくなるかと言えば、そんなことはない。
ちゃんと体力が衰えて行動力がなくなってくるから、ちょうどよくなる。
自然は本当にうまくできている。
と、いまだに無分別な私が偉そうに言う。
この先いつどんな目にあうかわからないけれど、若い時の気持ちと体力に合った行動があれば、本当に人生は楽しい。
無謀であるのはいいことでもあるけれど、お願いだからコロナだけは怖がってほしい。
かかるとイチコロの老婆からのお願いです。
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