2020年12月7日月曜日

関節リュウマチ

私の足はまだ良くならない。かかりつけの内科医と大学病院の整形外科医と血管クリニックでもらった薬は皆同じ、ビタミン12の錠剤と痛み止めだけ。これでは根本的な治療とは言えないからどうしたものかと思案。ぼんやりテレビの健康番組を見ていたら、関節リュウマチを取り上げていた。骨や関節の整形的な機能ばかりを調べていたけれど、もっと内部的な原因かもしれない。しかし、血管の柔軟性、血流には問題なくむしろ非常に状態がいいと数値的には出ている。それでは その他に炎症を起こすことと言ったらリュウマチ?

すぐに調べてもらおうと思ったけれど、コロナ感染拡大の今、病院へ行くのは極力避けたい。しかしこのままではずっと痛みと戦って歩くことも不自由では行動範囲が狭くなってしまう。もちろん行動範囲は年齢とともに狭まってはいるけれど、まだ中国の山間部とか南極とか行ってないところが山ほどある。それらを見ないで人生の幕を閉じるのはいかにも残念。コロナが終わったら・・・いつになることやら・・・ガンガン飛び回りたい。たった一箇所足が痛いだけでこんなに活動が狭まるとは思ってもいなかった。

2年前、ニューヨークに行ったときも足首が痛かったけれど、編上げの足首をキュッと締められるスニーカーを履くと痛みが収まった。けれど今は同じ靴を履いても、もう効果が薄い。筋トレやストレッチで治る範囲はもう超えているから、リュウマチ科のある病院を探した。いつも行く市立病院にその科があるので早速行ってみようと思ったら、診察は月曜日のみ。しまった、今日は月曜日だったのに。

その前に風邪をひいたら咳喘息をぶり返して、軽く咳が出る。今の御時世、うっかり咳をすると白い目で見られるから、そちらの治療を優先することにした。あんなに病院嫌いだった私が最近は病院通い。情けないじゃありませんか。咳はステロイドの吸引がよく効くから安心していられる。

それよりも最近低体温になってしまった。妙に寒気がするから熱が出たかと体温を測ると、むしろ体温が低すぎるのだ。これは食生活と関係がありそうで、足が痛いから少し体重を減らそうとダイエットを始めたのが原因と思われる。カロリーの低いお豆腐や野菜類を摂って肉類を減らした結果。もともと肉食系女子だからお肉大好きだけれど、最近消化する力が弱くなって胃もたれや逆流性胃腸炎になりやすい。糖質を控えて主食は朝と昼のみ、夜は全く炭水化物を摂らない。その結果ノロノロと体重は下がってきたけれど、どうも元気が出ない。

難しいものですね。素人だからカロリーさえ減らせばいいと思うけれど、代謝を上げることを考えないと痩せることはできないらしい。むしろ肉類は積極的に取るべきという説もあるくらいだから。

最近ずっと健康の話題ばかりで自分でも嫌になる。若い頃、周りの中年すぎのおじさんたちが健康のことばかり話題にするのがとても嫌だった。ほかにもっと楽しい話をしてもらいたいと。私はほんの数年前までは体のことには無頓着だった。けれどある年齢から、突然体力が落ちてきた。毎年ガクンガクンと、若い頃のようにゆったりとしたスロープ状ではなく階段を降りるように健康が衰えてくる。これは部品がどんどん古くなって耐用年数を超え始めた証拠。

我が家は築25年を超えてここ数年リフォームを繰り返した。一部を治すと他が目につく。一部だけきれいにしてもそこだけ目立ってしまうから、やはり全部やらないといけない。それで数年かけてすっかりリフォームをした。やっと終わって、これで後10年は安心と思った。そういうふうに体も部品を替えながらいけたらいいのになあと思う。脳みそが取り替えられたらどんなにいいことか。







歩く速さ

 毎日欠かさずだと思う、我が家の前の桜並木の下をゆっくりと歩いている人がいる。私よりかなり年上、社交ダンスでもやっているのか、いつもロングスカートに華やかなフリルやレースをふんだんに使ったブラウス、顔はバッチリすぎるくらいのお化粧。メガネも宝石ピカピカ。すべてが行き過ぎで最初に遇ったときにはぎょっとした。けれど慣れるとさほど気にならなくなって、時々見かけると、ああ、今日もお元気なんだなと。

その人が買い物帰りの私の前を歩いていた。私は最近の足の痛みから以前のように歩けなくなってしまった。一昨年までは渋谷の雑踏の中でもいつも他の人を追い越すくらい早く歩いていた。去年もだいぶ遅くなってもまだ普通に歩けた。それが今年後半からすっかり蝸牛の歩み。それでも今日出会ったその女性よりは少し早い。追い越しながらその人が連れと話す声が聞こえた。なんだか、私の旧姓が聞こえるではないか。

私はこの土地で生まれ育った。変わり者のご先祖様にふさわしい少し変わった姓で、ほとんどこの辺に数軒しかいないと思う。その声を聞いて私は自分のことを言われたのかと思って立ち止まって挨拶しそうになった。そばを通り過ぎると全く相手は気がついていないようで、どうやら私とは関係ないnekotamaさんのことらしい。今は辛うじてその人を追い抜いたけれど、この先追い抜かれる立場になるかもしれない。

以前、渋谷駅からテレビ局に行くため歩いていると、その日同じ仕事をするチェロの女性に出会った。一緒に歩きだすと彼女はとても歩くのが早い。放送局は駅からは少し小高いところにある。渋谷駅からはずっと上り坂。当時は私は健脚で歩く速さには自信があった。けれど、彼女は私より若いせいか大きなチェロを抱えてスタスタ歩く。ああ、やはり若さには勝てないなあ、悪いけど先に行ってもらおうと思っていると、急に彼女が立ち止まった。少し息を切らしている。「あのー、お急ぎですか?でしたらお先にいらしてください。私はゆっくり行かせてもらいますので」笑った!お互いに気を使いすぎていたのだ。

「あら、私もそう言おうと思っていたのよ。若いから足が早いなあって」二人で立ち止まって足を休めて笑い転げた。

そんな時期もあったので、私はまだ早足で歩ける気がしている。それで時々散歩するときにも昔の早足が出てしまうのだ。するとその日は足が攣ったり痛みが激しくなったりするので、最近は慎重にゆっくり歩くようになった。何事もせっかちで我慢ができないので、様々な弊害を引き起こす。ろくすっぽ説明書を読まないで新しい製品を使って壊しかける。ある時乗馬をしていて、股関節が硬い。なかなか足がおりていかないから自分の左手で左の股関節を広げたらメリッと股関節を傷めたのが、今の足痛につながっているのだ。

傷めた当時は今よりもっとひどい状態で、ほとんど立っていられないし、寝ていてもあまりの足のだるさで眠れない。それでも数年経ったらいつの間にか治っていた。その時は左足、しばらくは左が調子が悪かったのに今年になってから右足に移行した。体はどこも繋がっているから左を庇えば右に負担がくる、反対もまた同じというわけで、どちらかが調子悪い。

足が短いのに大きな馬に乗るのがそもそもの間違いだけれど、今でも乗馬をしたい。鞍に座ってしまえば大丈夫なのに、最近は筋肉が弱っていて鞍にまたがることもできない。鐙に足を入れてもそこから先自分の体重を押し上げることができないので乗馬は諦めた。

今は自分の足に筋肉をつけてスタスタと歩けるようになるのが課題。それでもO脚が治ってきたのは筋トレの賜物。もう少し早く歩きたい。それよりステージで椅子から立ち上がれなくなると困るから、立ち上がりの練習しないと。椅子から立ち上がるときにまず足を伸ばしてゆっくり2、3歩歩いてからでないとちゃんと歩けないのだ。ヴァイオリンの練習よりそちらの練習のほうがつらそうだけれど。それにしても上半身はヴァイオリンのおかげでほとんど筋肉は弱っていない。どれほど人間は運動を持続していなければならないかを痛感する。

上半身よりももっと達者なのが口なのは、さんざん他人の悪口を言っているから。意地悪は健康のもとですぞ。






2020年12月6日日曜日

遊びモード脱却

北軽井沢の家を整備するために週替りで通っていたら、たいそう疲れた。本当なら夏の間はあちらにずっと滞在したいけれど、自宅の方にも用事は山積だから猫を連れてせっせと高速道路を走って往復している。その猫だけれど、最近やたらに甘えん坊で表情がますます多彩になってきた。こんなに感情の豊かな猫だったのかと、改めてそれまでの扱いを反省した。

山の家を閉鎖してあと4ヶ月ほどはこちらで暮らすので、労力は半分になって退屈でしかたがない。それで最近はヴァイオリンの練習時間がだんだん戻ってきた。コロナのせいでコンサートがことごとく中止になったとき、もう年齢的にも第一線で活躍するのは無理だと思っていたけれど、来年にはステージで弾けることになって今その企画を練っている。すると急にやる気満々、足の痛みも遠のいて練習時間が倍増した。あまりにもサボっていたから手がだめになっていると思ったけれど、思いの外よく動く。これならまだいけるかも。未練がましいけれど、半世紀以上のルーティーンはそうそうやめられるものではない。

たしかに動体視力は落ちている。楽譜を目で追う速さが遅くなった。これは視力の問題もあるから仕方がない。残された力で最大の努力をしないといけないので、ややつらい。それでも私は他の人達よりも遅く始めた分だけ長く彈くことに決めている。健康状態は良好で、検査結果の数値はとても良い。それだけで本当に健康とは言えないかもしれないけれど、それが頑張りの源になる。

今の私くらいの年齢で引退したのがチェコのヴァイオリニストのヨゼフ・スーク氏。日本での最後の演奏会は完璧で、なぜこんなに素晴らしいのに引退してしまうのかと訝った。けれど彼は世界的な名演奏家、それだけにミスは許されない。私のレベルの比ではないから辛いものがあるのだと思った。会場に足を運んでくれる人たちは、私に世界的水準の演奏を求めて来るわけではない。身近なおばあさんが一生懸命弾いているのを励ましに来てくれるのだから、私は楽しく彈いていられるのだ。私がスーク級の名人なら、もう引退していたかもしれない。

いまや私は人生のフィナーレに突入、この残りの生活をいかに楽しく過ごすか考えている。健康ではあるけれど、体はすでに動きが鈍くなっている。いつ転んで寝たきりになってもおかしくない。これを避けるための運動や筋トレ、何よりも心の持ち方が大切。常に独立した人格でありたい。一人ぼっちは心細い。けれど一人で生きていくと決めたからには心に従って最後までキリリと生きたい・・・と言いつつ毎日気がつくと椅子に座ったままで居眠りをしている。外から見ても中からしても、もう立派なばあさんなのだ。

来年のコンサートは特殊な事情で、一般公開ではなく関係者のためだけのコンサート。時間も少し短いけれど、メンバーは素晴らしい人が集まった。だからすごく楽しみにしている。願わくばコロナ感染拡大に影響されず無事に演奏ができるといい。私の周りのプレーヤーたちにはまだ感染者の情報はない。皆、本当に気をつけて暮らしていると思う。某オーケストラのメンバーは頻繁にPCR検査を受けているようだ。100人以上のプレーヤーが集まるのに感染者がいないということは称賛に値する。私達はその場にいなければ仕事にならないから、健康には必死の思いで気を使う。

やればできるのではないかと思っているのに、今日もまた都内の感染者は爆発的なのはどうしてなのか。オーケストラのメンバーは公共交通機関で集まり、数時間の練習をともにして、2時間の本番を行うから感染の機会はたくさんあると思うのに、皆無事でいる。仕事場でというより、仕事が終わってからの飲み会やカラオケなどがいけないのではないか。それと何回もしつこく言うけれど、Go toキャンペーン、あれはもうどうしようもない失政、あの当時それまでのまま気をつけながら生活をしていればよかったのに、いきなり遊びに行かせてお金ばらまいて、挙げ句の果がこの始末。アホとちゃうか?これでまた自粛生活が始まれば、経済には二重のショックになる。なんのためにあれほど我慢したのか!

万一自分が感染したら大きな口がきけなくなるけれど、こういう時期に我慢のできない人たちって人間性を疑う。感染者が全部そうだとは言わない。医療や介護に従事して不幸にも感染する人も多い。そうでない人の中にマスクを付けない人、手洗いや消毒を実行しない人が感染したとすれば、自分ひとりの行為が周りにひどいことをしていると自覚すべきなのだ。いわんや、こんな時期に旅行とは・・・Go toキャンペーンは感染拡大に一役買っていると思う。

死んだ魚のような目をしている現首相、あの鈍そうな目は数年前まではもう少しマシだった。器としては幹事長が最適で、首相は無理そうな。何もできないで現役引退しそう。私のコーダはこのようにあまり素敵な導入とはなっていない。フィナーレを華々しく終わるには自分で頑張るっきゃない。本当にもういつまでがんばらないといけないの?ゆったりと遊ぶつもりがこの始末。大型犬を傍らに、静かに林の中で過ごしたかったのに。そんな事書くと猫が僻む?このブログを読まれないようにしないと。












2020年12月5日土曜日

大物は叱られない

お笑いコンビの片割れの渡部という人が不倫発覚で謝罪会見をしたと言って今日のテレビは大騒ぎ。あのねえ、コロナが感染拡大しているときにこんなことやっている場合じゃないでしょう。薄っぺらな男が時々涙目で釈明している姿、みっともない。不倫する人は多いけれど、多目的トイレでというのは恐れ入った。だからといってあれほど叩かれるって・・・しかし本人が本当に反省しているとは思えない。反省するくらいなら最初からしないでしょう。結局仕事に復帰したいから形を付けているだけ。普通考えつかないよね、こんなこと。

今朝は渡辺謙が主役のテレビドラマの番宣にご本人が登場した。司会者やコメンテーターなるスタジオ内の人たちはひたすらへらへら。でも私は忘れない。この人が乳がんの治療中の奥さんを捨てて他の女に走ったのを。こんな人でなしにはもう少し罵詈雑言が浴びせられるかと思ったら、いつの間にか火は消されていた。いくら愛情が消えたとしても、なにも奥さんが闘病中にすてるなんて人非人も甚だしい。せめて手術が済んで寛解したときまで待てばいいじゃないの。だいたい渡辺謙は今までも女性遍歴だらけ。それをへいこらとお世辞を言って持ち上げ、かたやもう一方の渡部はどん底までつき落とされる。レポーターと称する人たち、何様なの。

この渡部さんは本当に中身が薄っぺらであくまで自己中で、こんな人の奥さんがあんな可愛子ちゃんでは世の中の男たちは憤懣やる方ないでしょう。しかし奥さんを見ると顔は可愛いけれどしっかりしていて、案外お似合いの夫婦かもしれない。トイレもびっくりしたに違いない。いくら多目的といったってねえ!このトイレでの嫌悪感はすごい。呼び出されて来る女性もなんだかね。

テレビ業界もこんなことに大切な時間を浪費しているようでは世も末。ハリウッド映画に出る大物俳優は不倫しても大して叱られない。まあ、彼の場合は多目的トイレは使わないと思うけれど。このことで二人の力関係が露骨に示された。普通犯罪者などは罪によって同じような量刑になるけれど、個人的な不倫になると、一応犯罪ではないからご本人の世間的な立場で激しく追求されたり隠匿されたり。世間ってそんなものなんだと妙に納得した。ちなみに私が不倫しても猫が騒いでいるくらいの話題にもならないでしょう。え、うそ、ありえないなんて言われるのが関の山。不倫は文化だと言って世の中の女性たちから総スカンをされたコロナにかかった男性タレントがいたけれど、あのくらい開き直ってしまえばもう呆れて文句言う人もなくなる。

池袋で車を暴走させて母子を殺した元お偉いさんは無罪を主張しているらしいけれど、なぜか逮捕もされず全部車のせいにして罰を逃れる算段をしている。こういうのを卑怯者という。いくら高齢者であっても罪は逃れられない。謝罪らしい態度も見せない。有能な弁護士がつくだろうから、刑が軽くなるかあるいは無罪を勝ち取ったりしたら許せない。この人は渡部以下。人でなしとはこういうことを言う。

私なんか高速道路で40キロオーバーで捕まって免停、罰金6万円。これだって車の故障と言ったら許されるのか。いやいや、あなたが故障しているのですよと言われて病院送りされそうな。頭のネジが一つ二つ飛んでいるのは事実だけれど。

このときの講習のテストはバカバカしいほどの易しさ、これで試験を落ちる人がいるとは思えなかったので試験官に訊いてみた。この問題で落ちる人っているんですか?そうしたらいますよと言うから驚いた。例えば「青いリンゴは毒がない」「黄色いリンゴは食べるとお腹をこわすかもしれない」「赤いリンゴは毒があって食べると死にます」「さて、あなたはどのりんごを食べれば安全ですか?」もちろんこの問題は架空のものだけれど、例えて言えばこの程度の問題なのだ。これで落ちる人って・・・運転してほしくない。



 







2020年12月4日金曜日

セコム泣かせ

またやっちまった!

夢の中で電話がなっている。電話に出ようと広いお屋敷の門から車寄せに向けて歩いている。どうやらここはイギリスの上流階級のお屋敷。門を入ると静けさが戻ってきた・・・ところで目が覚めた。夢で電話がかかってきたのだと思ったら、今度は本当に呼び出し音が鳴った。ああ、またやっちまった!

昨日寝る前に隣のレッスン室のセコムを点検しようと思ったけれど、たしかちゃんと外出のセットしたよね?と自分に言い聞かせて寝てしまった。この警報は生活反応の警報。一人暮らしで、万一誰にも知られず意識を失ってそのままになってしまったらいけないので、外出しているというセットがされていず12時間生活反応がなければ警報が届く仕組みになっている。実は前日も夜中に電話がかかってきたばかり。

レッスン室は階段の踊り場を挟んで居住スペースの真向かいにある。だから、ここはレッスンのとき以外は基本的には使わない。昨日は外出したので外出のセットがされている「はず」この部屋は使わなかった「はず」だから外出装置はセットされたままになっているものだと思っていた。思っていたではいけないので、時々夜中に点検しに行ったりすることもある。そういうときにはちゃんと外出セットがされている。昨日も「つもり」だったので寝てしまったら、真夜中の電話が。

外出のセットがされていないで、人が動くことで作動するセンサーが一定時間動かなければ、中で倒れている可能性があるとみなされる。猫が動いても反応してしまうのでは?と訊くと、猫くらいでは大丈夫だそうなのだ。二晩続けてのミスだったけれど、セコムさんは穏やかに対応してくれた。これが家族だったりすると「またほらそんなことばかりしていて」と叱られる。その点うるさい家族がいない分だけ心は平安なのだ。

夢の中のお屋敷は、最近アマゾンのプライムヴィデオで連続で見ているミス・マープルシリーズの影響に違いない。私は熱烈なアガサ・クリスティ~のファンで、すべてのミステリーは読破している。彼女の自伝的な小説などには興味がないので読んでいないけれど。その中でもミス・マープルはシリーズで映像化されているので、何回も見直してイギリスの上流階級のお屋敷に住んでいる気分になっている。

思い出してみると私は若い時からイギリスの映画が好きだった。イギリスの霧の中みたいにもやもやした映像や筋書きやらが性に合っているようなので。アメリカ映画のように色が鮮やかで話が割り切れていてというのではなく、見終わったあとになにかモヤモヤしたものが残る、その余韻が楽しい。フランス物などとも違った皮肉っぽい感じがあって・・・どう言ったらいいかわからないけれど、苦笑してしまいそうになる偏屈なユーモア感があって。

昔「マダムと泥棒」という映画があった。アレック・ギネス扮する銀行強盗と、少しボケていて警察に行っては宇宙人を見たとか言って訴える老マダム。彼女の言うことは誰もまともに取り合わない。銀行強盗団が大金をばらまいたところをマダムに見られてしまう。それでマダム殺害の計画を立てた強盗団4人はお互いに殺し合ってしまい、最後の一人は線路の切り替え装置の腕木に頭を打たれて死んでしまう。大金が残されてマダムは警察に訴えるけれど、まともに相手にされず「それはあなたがもらっていい」と言われて彼女は大金をせしめるという、ユーモラスな映画だった。調べてみたら1955年のイギリス映画、その年には私まだ・・・もう、生まれていた。そうよ、とっくにね。配役の中にピ-ター・セラーズの名前を見つけて驚いた。そんな古い人だったのか。

その映画の中で使われていた音楽がボッケリーニ「メヌエット」。強盗団のメンバーは4人。下宿しているのはマダムの家の2階。そこに楽器ケースを持って集まる。そしてレコードをかけては弦楽四重奏の練習をしていると見せかけて悪事の相談。ところがマダムは親切なのでお茶をいれてくれたりなにかと世話を焼きたがる。そのたびにレコードを止めて言い訳をするときのアレック・ギネスの表情がなんとも可笑しかった。楽器のケースの中には盗んだ大金が入っている。チェロのケースには、いったいどのくらいの金額が詰め込まれるのか、あんなにあったら、野良猫救済の家を建てるための広い野原が買えるに違いない。

子供の時からイギリス映画のほうが面白いと思っていたのは、私がひねくれたユーモアを好む性向があるからだと思う。日本の落語なども一捻りした落ちがあって面白いのに、最近のお笑いは外側で笑わすばかり。たけしなんかは見る影もなく老いて、早く引退なさいとおすすめしたくなる。それって自分もたぶん言われていることかもね。

ところでミス・マープルシリーズ、面白いからおすすめです。なによりもイギリスの田舎の風景がいい。数年前にイギリスへ遊びに行ったときも、映画などで見た昔の景色とあまり変わっていないようだった。この保守的な頑固さも今の時代貴重だと思う。







2020年12月2日水曜日

夜中に思い出すこと

時々ハマってしまうのが掲示板と称するネット上の投稿ページ。見つけたのは、蕎麦の茹で汁を飲んだ彼氏に冷めたという投稿。笑ってしまった。蕎麦の茹で汁って蕎麦湯のことでしょう?れっきとした蕎麦食いの行動。このお嬢さんは自分と違う食べ方をする人(彼氏)を貧乏くさいと言う。けれど、蕎麦の茹で汁にはたくさんのミネラルが含まれていて、茹でる際に蕎麦から出てしまったそれらのミネラルを茹で汁を飲むことで無駄にしない。先人の知恵なのだ。それを知らないということの方がよほど恥ずかしい。

それに対するコメントもひどいもので、蕎麦湯を飲む習慣がない人ばかり。駅前の立ち食い蕎麦ならいざ知らず、ちゃんとした蕎麦やならもりそばを頼めば必ず蕎麦湯を一緒に持ってくる。

どう見ても自分が知らないだけなのにそれが全くわからなくて、周り中から叩かれてやっと気がつく。これなんかも知識不足と言うか、それぞれの家の習慣の違いかと思う。

今日はいつも宅配してもらう蕎麦が届いて美味しく頂いた。蕎麦湯も無駄にしない。残りのそばつゆに入れて飲んでもまだ余った分は、小麦粉と山芋のすりおろしと混ぜてパンケーキにする。これが中々おいしい。ちょっと癖があるので塩加減は少しきつめにする。こういうのもケチくさいっていわれるのでしょうね。

群馬県長野原町の山の中に美味しいお蕎麦屋さんがある。そこはお蕎麦が絶品なのは勿論だけど、蕎麦湯も超絶品、こんなおいしい蕎麦湯飲んだことがない。蕎麦湯だけ別に作っているのかと思うくらい。掲示板の投稿者にこれを飲ませてあげたい。これが蕎麦湯でなくそばガレットになると皆おしゃれ~って言うのでしょうね。横文字にすればいいかな?そばドリンクとかそばポタージュとか。

生まれてはじめてもりそばを食べたとき、なんて不味い!こんなものもう2度とたべないわと思った。その後音大付属高校に入ってから、どうしても欲しい弓があった。それを買うためにスタジオ録音の仕事をしたり、お小遣いを節約して貯金を始めた。昼食は学校の前の蕎麦屋の一番安いもりそばのみ。それがずっと続いた。兄弟が多いから自分だけ高価な弓を買ってもらうのはいけないと思っていた。ある時何気なく母にそれをこぼしたら、母はそれなら弓を買ってあげる、楽器も一緒にと。天にも登る心地だった。うちにそんなお金があるはずはないと思っていたら、就職したばかりの兄のボーナスも全部、私の楽器で消えてしまったらしい。

あれほど私が音楽をすることに反対していた母が協力してくれたのは、娘が必死で自分の力で人生を切り開こうとしていた、そのことに対してのご褒美だったのだと今もすごく感謝している。こんな年になっても母のことを思うと涙が出る。自分は一切贅沢をしなかった。子供のためなら火にも水にも飛び込もうという、たくましい日本の母だった。亡くなって形見分けのとき、私達は母の持ち物のあまりにも質素なことに泣いた。わずかの着物と指輪だけ。私達は自分がやりたいと言えば、母がなんでもやらせてくれた。戦後の貧しい時代に、母は自分は決して贅沢をせず、6人もの私達兄弟を教育してくれた。教育にだけはお金を惜しまなかった。

亡くなる直前まで母の病室に家族がいなかったことはなかった。全員がローテーションを組んでいっときも母を一人にしないようにと。たった1度、私が差し入れた納豆巻きが美味しいと言うから母が眠ったのを見計らって病院の外まで買いに行った。いそいで病室に戻ると母が泣いていた。どこへ行ってたの?と、まるで子供のように。納豆巻きが美味しいと言うから買ってきたのよ。その頃は立場が逆転、私が母の保護者になった。

いくら感謝してもしきれない。私が幸せだったのも母の恵みの暖かさが心に残っているから。いつでも今でもきっと見守ってくれているに違いない。この年になってもまだ親離れできない自分が情けないけれど。









2020年12月1日火曜日

公園から人が消えた

北軽井沢から無事に戻ってやれやれ。森の生活は春まで凍結。ホッとしたような寂しいような。猫も私もあちらにいると呼吸が楽になる。冬の厳しさをもう少し若いときから知っていれば、適応して生活できたかもしれない。あるいは世話をしてくれる人を探してみようか。一日数時間でも手伝いに来てくれる人がいればいい。地元で見つけることも考えているけれど、私はもともと一人でいるのが好きだから、相性が悪い人だと我慢できないかもしれない。

実を言えば最近の健康に自信がない。体に問題はないけれど、足が弱ってきている。万一家の中で一人でアクシデントにあったら、携帯が手の届くところにあればいいけれど、なければ助けを求めることもできない。自宅ではセコムが見張り番をしてくれるから安心して一人でいられる。あるいは、北軽井沢でもセコムを使うことも考えているけれど、たぶん救助がくるのに1時間位かかりそう。自宅では先日5分で駆けつけてくれた。これは私の留守の間のハプニングだったけれど。

ノンちゃんの息子さんが北軽井沢の家に来たとき、高山病のような症状を発症したことがあって、救急車が来るのに40分もかかったと聞いたことがある。それでは間に合わないこともあるでしょう。森の中で深夜、助けが来ても自宅の鍵も開けられない状態だったら困るなど心配のタネは尽きない。

そんな心配してもこの森に住みたいというのはやはり圧倒的に自然の美しさ。四季それぞれの雑木林の変化の魅力は、言葉では言えないほどのものがある。

「ぽつんと一軒家」というテレビ番組がある。高齢女性が深い山の中で一人暮らしをしていたりするのを見ると、なんと勇気があるのだろうと感心する。たいていそういう人には山の麓に家族がいて連絡は毎日とっているとは思う。私のように子供がいないと「兄弟は他人の始まり」で姪や甥にはそこまで頼れない。

それで友人にグチグチと相談したり。それはこのところ風邪気味で体調が良くなかったからでもあった。毎年この時期、私は風邪から気管支炎になって咳が止まらなくなる。去年は最初の風邪でそうなったときに手をうった。咳喘息でステロイドの吸入をして、4ヶ月ほどで治ったので今年も、もしそうなったらすぐに治療を始めようと思う。

まず体力と足の筋肉のために散歩は欠かさないようにと思って、近所の公園にでかけた。いつも家族や犬の散歩で大賑わいのこの公園が、今日は穏やかで温かい絶好の散歩日和なのに、人気がない!隣に中学校があって、毎日野球やサッカーの練習を見物人が出るほどなのに、それも一切なし。どうしたの?何がって、コロナ感染がひどいから?

それにしてもこんなに人気がない公園を見るのは初めてなのだ。柔らかい初冬の光が暖かく降り注ぐ今日のような日に、誰もいない。白昼夢を見ているような気がした。いつも同じベンチで集めた空き缶に囲まれて寝ているホームレスさんまでいない。広場まで行くとやっと3人ほど見つけた。子供の頃読んだSF小説にこんな情景があったような記憶が。慣れ親しんだ場所のはずがいつの間にか別の空間に来て同じ景色に遭遇とかなんとか・・・

そこまでコロナの脅威が及んできているのかと、心底がっかりした。あれほど気をつけていたこの1年間はなんだったのだろうか。アメリカはものすごいことになっているらしい。安心できるようになるまでどれほどの我慢が必要になるのかしら。オリンピック、本当にやるの?

今年最初にコロナ感染が報じられたときに、私はすぐにオリンピックはやめないといけないと思ったけれど、巨額の契約金がフイになる人達は何がなんでも実現しようと画策している。選手だって4年間頑張ってオリンピック参加のこれが最後のチャンスとなると、絶対に出たいと思う気持ちは本当によく分かる。けれど、これでオリンピックを実現すれば日本中が病人で溢れてしまう。お願いだからもう1年延期してほしい。それとも海外の選手は参加させないとすれば、日本人でメダルを独占できる、ウヒヒとなる。そんなうまい話はないかしら。

私のように外に出なくてすむなら感染する確率は低いけれど、毎日出勤しないといけない人たちの危険度と気苦労はどれほどのものかと思う。私でも感染ゼロとは言い切れない。たまたま入ったお店や、たった一駅乗った電車でも感染の危険はあるのだから。通行人に道を聞かれて教えたり、病院の待合室にだっていくらでも感染の機会があるのだから。

バカバカしいほど想像力のない政治家のおじさんたちが、コロナ感染拡大の一端を担っているかも。もうため息ばっかり!Go toが感染拡大に一役買っているのは明白ではないですか?もちろんマスコミもいけない。悪いのは業者ではない。困っている業界は救わなければかわいそうだけれど、なにも少し収まったからと言ってそれっとばかり遊びに行かせた馬鹿な大臣たち。しかも税金使って。もういや!

毎日餌をやっている野良猫がどうやら我が家に入りたいらしい。ところが先住猫のコチャががんとして彼女を拒否している。おとなしく優しい野良だから不都合はないとは思うけれど、やっと私を独り占めできたコチャにとっては大問題。ついにベランダにまで迫ってきた野良の運命やいかに。今後の展開に乞うご期待!