2015年10月30日金曜日

戦闘機で成層圏へ

私は運動神経ゼロなのに、好奇心だけは強い。
それで様々な事に首を突っ込んできた。
乗馬にスキューバダイビングなど。
それぞれ理由があって中断したけれど、スキーだけは未だにやめられない。
ダイビングを始めた頃「山に海に・・・後は空ですよね」と人に言われた。
高い所が怖いので「ないない、それだけはない」と全否定したけれど、戦闘機で成層圏から地球を見るというのは、さぞ素晴らしい事ではないかと思った。
以前、そういうツアーの記事を読んだ。
少し調べてみたら、残念なことに身長の制限があって、とても足りない。
そのツアーにかかる費用は、600万円くらいだったと記憶している。

最近あるブログで見つけたのは、費用が300万円という記事。
なんとか手が出る金額でも、やはり身長制限があるかも。
それでも今はそんな気力も無く、身長は益々低くなった。
イギリスのエリザベス女王がロンドン五輪のときに、空から舞い降りたそうだけれど、あのようなご高齢で勇気があることと思ったら、スタントマンがピンクの衣装着て・・だったようだ。
でも最近しきりとパラシュートで飛ぶのってどんなかなあと、興味がある。
ブルル、いけないいけない、長野五輪のスキージャンプ台で腰抜かしたくせに、興味しんしん。
好奇心が猫を殺すって言うじゃない。

今朝珍しく机の抽出の整理をしていたら、トルコのカッパドキアに行って熱気球に乗った時の写真が出てきた。
その時私は、少し上がってもこんなに美しいのだから、空はここまでで充分だと思った。
音楽教室のオーナーの小田部ひろのさんと一緒で、夜明けの空を漂いながら「天国ってこんなところなんでしょうね」と語り合った。
その後間もなく、小田部さんは本当に天国に行ってしまった。

その時の写真がこれ。










飛行機に乗るのは大好きで、どれほど揺れても酔いはしない。
でも戦闘機で宙返りするのは、怖いかなあ?
飛行機と比べてどうなんだろう?
思い切って行ってみたいような、みたくないような。

身長の制限は納得、動画を見たら特殊な服を着る。
私サイズの物は用意されていないでしょう。
たぶん安全装置も、子供用には作られていないと思うし。
以前、飛行機のビジネスクラスに乗ったら、イスから何から何までサイズが大き過ぎて、足乗せに足が届かないで宙ぶらりん。
とても快適とは言えなかった。
余計な料金払って、くたびれた。

戦闘機で成層圏の記事は「こちら」をクリックしてください。














2015年10月28日水曜日

野菜の香り

食いしん坊は美味しい物を食べる手間を惜しまない。
それはグルメなんて言うものではなく、自宅で食べる料理の話し。
私は買い物をするのに、色々なお店に行く。
野菜は一駅先の自然食品の店で。
お肉とお米は車で40分ほど走る生協で。
豆腐は近くの個人商店。
魚は近くのデパ地下、というように。

決して美食家ではないけれど、せっかく食べるならなるべく美味しい方が良い。
今朝、野菜を買いに自然食品のお店に行った。
なぜこの店で買うようになったかというと、たまたまその店の隣が旅行代理店。
かつて、日本中を走り回って仕事をしていて、チケットの手配で旅行代理店に行った時、隣の店でニンジンを買ったのが始まり。
家に帰って包丁を入れると、プーンと懐かしい香り。
最近のニンジンは見た目はきれいでも、こんな強烈な匂いはしない。
そのニンジンは昔の匂いがした。

この匂いが嫌でたべない人もいると思う。
私が子供の頃、子だくさんの家の家計を助けるために、父が庭の一部を畑にして野菜を作っていた。
私はよく父の後を従いて歩いて、畑の手伝い(邪魔?)をしていた。
時々引き抜いたニンジンを水でちょっと漱いで「ほら」と言って渡されると、皮のままかじってみたり。
あまり美味しいとは思わなかったし、子供のことだからお決まりの野菜嫌い。
それでも取れたてのニンジンの鮮烈な香りは、とてもよく覚えている。
裏庭にはトマトや豆類。
竹藪にはタケノコ。
枇杷や桃、柚子、葡萄、無花果など果樹が沢山生えていて、果物は殆ど一年中自宅で採れた。
太陽の恵みをいっぱい受けた実は、感動するほど美味しかった。
そのどれもが独特の香りを放ち、味もとても濃かったように覚えている。
それが経済成長期と共に、きれいなばかりで味の薄い果物や野菜が店先に並び始めると、私は野菜も果物もあまり美味しいと思わなくなってしまった。

それから日本も落ち着いて昔の味が見直され、自然食品のお店も増えた。
それ以来私は野菜は産地か、自然食品の店で買う様になった。
他の店より少し値段は高いけれど、とにかく美味しい。
野菜もちゃんと作ると、こんなに美味しくなる。
卵も手に持ったとき重さが違う。

今朝買った大根。
立派な葉がついている。
スーパーなどで買うと葉は落とされてしまっているのでガッカリ。
葉がついているというだけでも嬉しい。
葉の付け根からサックリと包丁を入れて細かく刻んでいくと、まあ、なんと青臭い、大根の葉独特の匂い。
今日の大根は有機農業の教祖みたいな人の農場で採られた物だと、店長さんの得意げな講釈を聞かされ、よくぞ買って下さったと感謝された。

私は嗅覚障害があって、ある種の匂いは全く分からないのに、子供の頃嗅いだ臭いはとても良く分かる。
懐かしい香りを嗅いで、ごま油で炒め、酒と醤油を少したらし、しらすを入れて出来上り。
こんななんでもない手間いらずの料理が、素材の力で美味しく出来る。

今日はサンマ、瑞々しい大根は大根おろしにして、先日いただいたスダチを搾って、ああ、たまらない。
猫でなくてもウニャウニャ言いたくなる。

















2015年10月27日火曜日

犬の生き方

思わず泣いたエピソード。








こんな記事を見つけました。

私は獣医として働いているが、ある日ベルガーという名前の10才になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインも3人ともベルガーが大好きで、何らかの奇跡が起こってくれないかと期待していた。
ベルガーを診察してみると、ガンで余命僅かであることが分かった。もうベルガーは手遅れな事を家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。

夫婦は6才の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言って来た。シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。

その翌日、私はベルガーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。年を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、私はこの子が状況を理解しているのか疑問に感じていた。

数分ののちにベルガーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルガーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。私たちはベルガーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のよりも短いという、悲しい現実について話し合った。

静かに会話を聞いていたシェインが突然「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは全員驚き、彼の方を向いた。
彼がその時放った言葉は私を驚かせた。それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。

彼はこう言ったのだ。

「人は良い人生の過し方を学ぶために生まれてくるよね?いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか、だよね?」

そしてその6才の少年は続けた。

「ほら、犬はもうすでにそれを知っているんだから、そんなに長いこと、この世にいなくても良いんだ」

こちら」にも同じ記事があります。クリックしてみてください。

人は余りにも沢山の事を求めすぎている。
欲にまみれて、愛することが難しくなっていないだろうか。
犬や猫の様にひたすら人に愛を注いでくれる存在が居て、人はようやく精神の均衡を保っているような気がする。
人同士の愛は難しい。
いくら愛しても振り向いてもらえなければ、憎しみに変わったりする。
動物は純粋だから、愛すれば同じだけ応えてくれる。

駐車場の外猫たちも、最近ようやく撫でることが出来るようになった。
私の純粋な愛が伝わったのか、それとも餌ほしさに愛嬌振りまく処世術を身につけたのか。
その辺は彼らに訊かないとわからない。
















2015年10月26日月曜日

サボり癖

このところnekotamaの投稿も間遠になっていて、今日はもう月曜日。
先週の木曜日以後なにもなかったわけではないのに、気力がなくてサボっていた。
少し間が空くと世間では「あの人寝たきりになってるらしいわよ」とか「もう惚けてしまって涎を垂らして、ニャアニャアいってるらしいわよ」とか、ひどい話しになると「きっと死んだのよ。やれやれ、憎まれっ子なんとやらでうざかったけど、やっとせいせいしたわ」なんて噂が飛び交い始めるといけない。
申し訳ないけれど、元気でおりますよ。
どうだ、君たち、ガッカリしたか!ハッハッハッ。

最近オーケストラが続いて、この曲こんなに難しかったっけ?と思いながら練習に明け暮れていた。
交響曲などは他の楽器との兼ね合いもあって、不自然な動きをすることも多い。
むしろ協奏曲のほうが弾きやすい。
ファーストヴァイオリンは殆どメロディーラインを奏でているから弾きやすいけれど、セカンドヴァイオリン、ヴィオラなど内声になると、動きは謎に満ちている。
だから初心者がセカンドやヴィオラなどの内声を弾いたら、なにがなんだかさっぱり分からないと思う。
私は若い頃は内声大好きで、頼み込んで内声に回らせてもらう事もあったけれど、大半はファーストヴァイオリンを弾いてきたために、今内声を弾けと言われても出来ないと思う。

内声の役割の難しさは、やった人でないと分からない。
音が低くて目立たないからと言って初心者をセカンドに回すことも多いけれど、本当は経験豊富なベテランを置くべきだと、私は思う。
交響曲の内声は難しくて弾けないけれど、ファーストヴァイオリンだったら何が出てきても大丈夫とおもっていたのに・・・それがすっかり怪しくなってきた。
このところ、シンフォニーをひくことが続いている。
先日はフランク、次の本番はメンデルスゾーン、そしてシベリウス。
どの曲も交響曲としては難しくない方なのに、目、脳、指が直結しない。
主に視力の衰えから来るもので、楽譜を140%くらい拡大すると、普通に弾ける。
ただし、大き過ぎて譜面台からはみ出てしまう。
オケの楽譜は1人で見るものではないので、隣の人が嫌がったらその楽譜は使えない。
目をショボショボさせて、気後れしながら弾くことになる。
見えないという事は恐ろしいことで、気持ちがすっかり後ろ向きになってしまう。
かつて私は非常に視力が良かったので、チラッと形を見ただけで動きを把握出来た。
今は一生懸命見てもオタマジャクシが踊り出すので、弾くのが怖い。

眼鏡を作り直して、それでも見えにくかったら、もう引退と決めた。
私たちの年齢になると、たいていの演奏者は第一線から退いてしまう。
もったいないと思っていたけれど、やはりこういう事情があるのかと、納得した。
それにそろそろ場所を明け渡さないと、若い人達の居場所が狭くなる。

やめて何をするかというと、楽しみは世の中に満ちあふれていて、なにから始めたら良いか迷ってしまう。
1度、バイクの免許を取りたいと思ったけれど、ビンの蓋も開けられない脆弱な筋力では倒れたバイクを起こすことも出来ない。
普通免許は持っているから50㏄のバイクなら乗れそう。
今まで怪我が怖くて思いっきり滑る事が無かったスキーも、長期滞在で行けるかも。
ヨーロッパで滑ってみたいし。

それよりも本気でパソコン習って、今までさんざんお世話になった師匠にご恩返し・・・いやいや、それは無理。
先日も「言えばすぐに出来る人がいるというのに(これは私の友人Nさんのことと思われる)nekotamaさんは、まったくもう!」と嘆かれたばかりだから。
「出来の悪い子ほど可愛いでしょう?」といったら「可愛いと言えるのは15才まで」だと。
そんなに遠い過去でもないと思うけど。ウヒヒヒ























2015年10月22日木曜日

食べたくもないのに

呆れられるかもしれないけれど、まだハリー・ポッター5巻を講読中。
遅々として進まない。
1巻から読み始めて、もはや10年以上経っているのではないかと思う。
目の調子が悪くて1年以上お休みしても、又復活再度挑戦。
中学時代の勉強不足が祟って、1冊読むのも四苦八苦。
仕事の合間に月2回ほど先生に教わりながら、ヘラヘラと真剣味無く読み続けている。
進むのは1時間半で、ようやく10数ページ。
初めはアメリカ人の先生、でも、イギリスのことはアメリカ人ではわからないらしく、知らないと言われてそれまで。
それでイギリス人の先生を探して、今のルースさんに教わっている。

今日は1ヶ月以上お休みした上に、先日のレッスンの場所を間違えてしまって、更に時間が経過してしまった。
久しぶりのレッスンは大久保の、とあるマンション。
音楽教室が入っていて、そこの一室を借りた。
13時からの約束なので、昼食を摂っていこうと思った。

澁谷で乗り換えなので、食事を早く済ませたいときにはいつも行くおそば屋さん。
山手線の改札近くで、いつも行列が出来るほど込んでいるけれど、回転は良い。
というのは、このおそば屋さん、注文してから品物が出てくるのが異常に早い。
イスをさがして、さて座ろうかなと思うと、もう後ろに注文の物を持って店員さんが立っている。
入り口で注文して代金を払うと、ちょっと独特の言い回しでレジの人が注文品をマイクで流す。
それを聞いた厨房の人が用意をして、すぐに持ってくる。
どうやったらこんなに早く出来るのかしら。

注文は色々で、大盛りだったり、卵は半熟とか人それぞれだから、前もって作っておくのは難しいと思うのに、ちゃんと注文通りの物が来る。
今日は丁度お昼時だったから、いつもに増して人が多い。
お運びの店員さんも一時も休むことが出来ない。
体調が悪いときなどは、本当に大変なのではないかと思う。
しかも注文してから座る場所を探すので客はうろうろするのに、ちゃんと座った場所を見届けて、注文した品物を間違いなく運んでくる。
びっくりしたのは、お客さんがイスを探している後を店員さんが、品物を持って歩いているのを見た時。

食事する時間が足りないときにはおおいに助かるので、時々ここでお蕎麦を食べる。
今日もまだお腹は空いていなかったけれど、レッスンの途中でお腹が空いてグウ~なんて鳴るといけないから、一寸腹ごしらえをしておこう。
だったら軽く盛りそばなどで済ませばいいものを、サンプルを見ていたらやはり天ぷらも食べたい。
今朝朝食をしっかり食べたので、お昼抜いても構わないと思うくらいなのに、目が欲しがる。
この店は早さが売り物だから、天ぷらは揚げたてなんて言うのは贅沢というもの。
前もって揚げてあるものをお蕎麦に載せるので、天ぷらは冷めている。
それでも単品の食事が出来ない質だから、お蕎麦プラス何かおかずのような物が欲しい。
しかもお腹は空いていない。

こういうときは最悪の事態になるのは知っているのに、本当に食い意地が張っているのと、我慢が足りない性格なので、どうしても盛りそばだけというわけにはいかない。
天ぷらはボリュームたっぷり、見ただけでお腹いっぱい。
だけど、残すのは癪。
とうとう平らげてしまった。

レッスンが終って家に帰って、コーヒーでも飲もうかと思ったけれど、なんだか逆流性食道炎のようになって、気分が悪い。
寒気がする。
ああ、やっぱりやってしまった!
今朝は特大のオムレツとたっぷりのスムージー。
優に2食分はありそうな朝ご飯だった。
それなのに・・・気持ちが悪くてウンウン言いながら、後悔することしきり。
なぜ、レッスンが終るまで待てないのか。
夕方からしばらく寝込んでしまった。
気分が悪く、これはなにか病気ではと疑ったけれど、なんのことはない、消化したらもう今はお腹が空いている。
たんなる食べ過ぎ。

若い頃はお腹が空くと機嫌が悪くなるので、周りの人達は私のためにいつもパンなどを持ってきてくれていた。
仕事中に急に無口になると、それっとばかりに菓子パンなどを与えられて、本当に皆さん気を遣って下さってありがとうございました。
そういう風に甘やかされたのと自分に甘いのと、それで食事のコントロールが出来ない。
お腹が空かなくても、目の前に食べ物があれば食べたくなる。
意地汚く下品だと思ってはいるけれど、野生の猫だと思っていただきたい。
今食べないといつ食物にありつけるかわからないので、目一杯食べるという野生本能が残っているのは、私が原始人だから?
いや、原始猫だから。














2015年10月19日月曜日

茸で雨宿りするフクロウ

茸で雨宿りする小さなフクロウ。
手の平に載るほど小さいのかしら?
雨の中、じっと耐えている表情がなんとも可愛らしい。




おや、雨が上がったかな。
ぱっちり開いたお目々も可愛い。









嬉しいお客様

昨日は朝から美人3姉妹の御来訪。
本当は姉妹でなくお母さんと2人のお嬢さん。
お母さんはそう見えるほど若い。
2人とも私のかつての教え子で、姉のS子ちゃんは音大の大学院在籍、プロとして仕事も始めたところ。
妹のM子ちゃんは身体が弱くヴァイオリンの道は諦めて、この度就職が決ったとかで、その報告をしにきてくれた。
Mちゃんは猫アレルギーで、私のうちは危険地帯だから他の先生にお預けしたものの、その先生は売れっ子で大忙し。
悪いクセも中々なおらずに音大受験を諦めた。
それは可哀相だったけれど、頭の良い子だから一流企業に内定。
耳が良かったので語学に堪能なのが、決め手だったかもしれない。
中国語の難しい発音もちゃんと聞き取れるそうなので、音楽をやっていたのが役に立っていると思う。

もう今から数十年前、2人がうちに来た時はまだ小学校に入ったか入る前だったか、とにかく可愛い姉妹で、しつけが良いからレッスンの間は一言も口を利かない。
しかし、レッスンが終ったとなると2人でワッと「のみ~、しらみ」と言いながら私に取り憑いて大騒ぎ。
あのノミとシラミが、こんなにきれいで嫋やかなお嬢さんになって、感無量。
このことは2人とも覚えていないようなので、自分たちが前世でノミとシラミだったとは知らないらしい。

S子ちゃんは背丈もヴァイオリンの技術も順調に伸びて、今花盛り。
色々な所で活躍をしているようだ。
Mちゃんは子供の頃はどちらかというとお姉さんよりも活発な風に見えたけれど、しっかりとしたお嬢さんになって落ち着いている。

うちに私の生徒が集まって、次々と初見でアンサンブルをしたり、その後はワインを飲みながらワイワイ楽しんでいた頃、彼女たちは花形だった。
小さい2人が大人よりも遙かに初見が利いて、アンサンブルの才能も見せていた。S子ちゃんは、プロの音楽家になるという初志を貫いた。
Mちゃんも今後はアマチュアのアンサンブルなど、いくらでも楽しみはあるから、音楽はやめないで欲しい。
むしろアマチュアで弾いていた方が、楽しめるかも知れない。

10年以上前に私のところから他の先生に移っても、こうして時々遊びに来てくれるのが、なにより嬉しい。
成長する姿に目を細めている。

私は今、オーケストラの本番が次々と続いているので、その譜読みで頭がいっぱい。
このブログにも中々投稿出来ない。
オーケストラの曲は殆どやったことのある物なのに、今弾いてみるととても難しい。
若い頃は、よく毎日毎日こんな曲を平然と弾いていたものだと、我ながら感心するけれど、S子ちゃんはこれからこの世界に入っていく。
先日初めてプロのオーケストラのエキストラに行ったそうで、緊張の余りなにも覚えていないと言っていたけれど、もう少し経つともっと緊張することが次々と出て来ると思う。
それでも、又お仕事いただけましたと嬉しそう。
若い頃からずっと私は緊張の連続。
この世界に入ったら仕方が無いことなので、それに耐えてひたすら勉強あるのみ。

若さというのは素晴らしい。
音符が向こうから目に飛び込んでくる。
今私は、音符に足が生えて逃げられまくっている。
それでも大好きな曲を弾く時だけは、嬉しくて、次にコンサートを開くことがあれば、この若いS子ちゃんと共演したいと思っている。
干からびた元教師と一緒に弾くのを果して喜んでくれるかどうかは疑問だけれど。

















2015年10月16日金曜日

三毛になりました。

最近美容院を変えて新しく通っているのは品川。
数十年来の仕事仲間のSさんの紹介で、今回が三回目になる。
ひと月一回、Sさんと同じ日の同じ時間に予約して、隣のイスでお喋りをしながら、同じ美容師さんがカットしてくれる。
彼女がカットしている間、私はカラー、私がカットしている間に彼女がカラーという具合に。
ほぼ同時に終ると、品川駅側でランチして帰るのが習慣になりそう。

大分前、私は多色カラーに凝っていて、髪の毛を青や黄色のトロピカルヘヤーにしていたことがあった。
その頃はヴィオラのFUMIKOさんもそんな感じで、お互いにこの次はどんな色になるのか楽しみだったけれど、ある時からそれに飽きて、普通の栗色に戻した。
戻したら「あら、最近更正したわね」と言われて、以来大人しくしていたのが、美容師さんをかえたとたんムラムラと悪戯心が湧いてきた。

先月行ったときに少しカラーで遊んでもらう事にした。
とてもビビットなグリーンを部分的に入れてもらったけれど、まだ2回目なのでどの位やっていいものか、美容師さんは見当がつかなかったようだ。
仕上がりはごく大人しく、陰の部分にグリーンが隠れて、髪をかき分けて見せないと分からない。
入れるときは鮮やかなグリーンだったのに、仕上がりは艶のある暗めのグリーンになっていたので、栗色の部分との差はほとんどわからないくらい。
思ったほど効果はでなかった。
こんな年代の人にこんな色を使って良いものかと、彼は迷っているに違いない

美容師さんとしては怖いのだろうと思う。
こんな色にして・・とか、カットが気にいらないとか、クレームはしょっちゅう付けられているかと思う。
私は美容師さんが自分の意志で、デザインも長さや色も決めてくれるほうが好き。
自信を持って自分の技術を披瀝してほしい。

以前、長年カットしてもらっていた美容師のKさんは、天才的なカット技術を持っていたけれど、天才に付きものの気まぐれで、素晴らしい時もあれば悲惨な時もあった。
でも私たちにはそれは良くわかる。
私たちも仕事で上手くいくときもあるし、失敗して落ち込むことも多々あった。
そういうときに日頃の自分を見ていてくれる人は、今日は少し調子が悪かったけれど、わざとではないと分かってくれる。
しかし、初めてその調子の悪い演奏を聴いてしまったひとは、なんて下手くそと思って2度と聞きにきてはくれない。
だから、いつも平均以下にはならないように注意はしているものの、そこは人間だから、熱があったりすごく緊張しすぎることもあったり、そうそういつも名演奏というわけにはいかない。
天才美容師Kさんも気まぐれで、ほとんどの場合は素晴らしいカットだったけれど、時々虎刈りにされる。
それでも髪の毛は伸びるから、良いわよと言って帰って来た。
次に素晴らしいカットを期待して。

今回は若い男性美容師。
勇気を持って色々遊んで欲しいと頼んで、本人も喜んで試してくれるものの、まだまだ過激にはなれないようだ。
3回目にしてやっと思い切りよく色を入れてくれた。
その写真がこちら。


        おっと間違えたようですね。あはは。
            でもこんな感じ。
         白い部分がグリーンなのですが。




































2015年10月14日水曜日

視力

来年の八ヶ岳音楽祭の曲はベートーヴェン「第九」だそうで、音楽祭創設10年目の節目にふさわしい歓喜の歌が会場に流れるのは、ちょっと感激かも。
その日に私がそこで演奏出来るかどうかは不明。

最近ずっと耳に故障が起きそうな予感があったけれど、あまりの忙しさにすっかり忘れていた。
人はなにか気にし出すと、そこに集中してしまう。
私も、ちょっとした不具合が気になって四六時中そのことを考えていて、泥沼から抜け出せないようになっていたのだと思う。
たぶん軽い風邪から始まったことなので、もう気にかけるのはやめた。
足首の痛みのこともそうだけど、甘やかして使わないで居るともっと悪くなるので、お構いなしに歩いたら痛みは軽減。
もし痛みが引かないでもっと不具合になったら、手術をして直してしまえばいいと開き治ったら、普通に歩けるようになった。

八ヶ岳音楽祭で私の後ろの席にいた女性は、白内障がひどく、この音楽祭が終ったら手術の予定だとか。
怖くない?と訊いたら、良くなるかと思うと嬉しくて、早く受けたいわ、と返事がきた。
彼女は本当に見えにくくて、それで楽譜を最大に拡大してきたと言う。
そのお陰で私がそれをコピーさせてもらえて、助かったというわけ。
目が悪いと、普段は鏡に映る自分の顔がよく見えなくて良いけれど、いざ楽譜を見ようと思うと、それはそれは不安で神経質になる。
特にオーケストラの楽譜は難しい上に指揮者を見て、他の音を聴いてと大忙しだから、目をこらして見ている余裕はない。
チラッと見て把握できないと、指揮者の指示や他の奏者との兼ね合いを見逃してしまう。
神経が四方八方に行き届かないと、良いプレーヤーにはなれないので、特に楽譜が普通に見えると言うことが、重要になってくる。

以前「白内障の手術をしたら、楽譜が良く見えるようになって人生変わりました」と言った人がいた。
それを聞いて私も眼科へ飛んで行って「白内障の手術をしたい」と言ったら「白内障でもないのに手術は出来ません」と断られた。
まるで笑い話だけれど、楽譜が良く見えないのは切実な問題。
特にオーケストラで一つの譜面を2人で見ると、斜めから覗くことになるので、反対側のページが良く見えない。
見えないと自信がなくなって、消極的になる。

忙しい日々がやっと一段落して家にいると、又耳のことが気になってきた。
ずっと忘れていたのに。
面白いことに、ひとは複数の心配事があったほうがいいのではないかと思う。
そうすると、どちらかに集中しないで、気持ちが分散される。
心配事が沢山あっても悪くないのかもしれない。
私ならノラ猫のこと、耳のこと、ヴァイオリンのこと、目のこと等々。

次の本番はメンデルスゾーン「交響曲イタリア」
音符が細かくてテンポが速くて・・・
これから練習にとりかかるけれど、果して目がついて行けるかどうかが心配。


























2015年10月13日火曜日

第9回八ヶ岳音楽祭

大忙しの3日間が終了。
音楽祭の最後の演奏が終って、真っ暗な夜道を北軽までひた走る。
松茸ご飯が待っている。
まつたけまつたけと呪文を唱えながら、かすむ目を必死で見開いてなんとかたどり着くと、美味しいおでん、ワカサギの南蛮漬け、お刺身や漬け物、そして圧巻は豪快な壺入り焼酎が一升、でんとテーブルに鎮座。
聴きに来てくれたこの家の住人2人とお隣のノンちゃん。
先に車で帰っていて、ご馳走を並べて置いてくれた。
そしてこの夏「ルオムの森」のコンサートでお世話になった、オーナー夫人のAさんも加わって、女性5人での楽しい宴会。

焼酎で乾杯。
3日間の重労働の後は、五臓六腑に染み渡る美味しさ。
あ~、疲れた。

3日前北軽井沢から練習場所でもある北杜市の宿泊施設に到着。
午後から練習が始まった。
ほんの少しの休憩時間と、夕食を食べた後にも練習が待ち構えていて、一日目は暮れた。
2日目は朝9時半から練習開始、昼食を挟んで又練習、夕食が終ると本番の会場である「やまびこホール」へ移動して練習。
結局その日は午前9時30分から夜の9時48分まで、みっちりと練習漬けの1日。
もうダメ!こんなに弾いたら明日は使い物にならない。
そして本番当日、朝9時半、会場での総仕上げ。
昼食の後、午後2時開演。
会場の気持ちの良い響きと、演奏者の熱気が相まって中々気持ちの良い本番となった。

今回のプログラムは
メインがフランク「交響曲ニ短調」
少し暗くて聴き慣れない人も居たかと思う。
聴きに来てくれた人達は、本当に小さい音かと思うと、突然大音響が響いてビックリした~という感想。

フォーレの「レクイエム」は寝てしまったとか。
あんなに厳しい練習をしても、聴く人達の趣味でないと受け入れられないのはガッカリ。
それでも眠れるような演奏は良い演奏と、相場が決っていると思いたい。
でも北軽から2時間半も車を運転して聴きに来てくれたのには、感謝感激。
開演前に美味しいお蕎麦を食べに行くと言っていたので、たぶんたらふく召し上がったのだろう。

今回の序曲はベルリオーズ「ローマの謝肉祭」
この曲はそれほど難しくもなく楽勝と思っていたのに、いざ練習所で初めて音を出したとき、弾けない!!愕然とした。
特に一寸したリズム感が上手く行かない。
本当にそれほど難しくはないのに。
2日目になっても気後れがしてどんどん落ち込んでいった。
その時、後ろの席の人が拡大した楽譜を、これをコピーしたら?と貸してくれた。
そして拡大すると・・・あら不思議、なんともなく弾けるのだ。
ああ、良かった、単に楽譜が見えていなかっただけなのだ。

お陰で本番は元気に終了。
序曲と交響曲はヴァイオリンで、合唱曲のフォーレはヴィオラを演奏。
楽器の持ち替えも、周りの友人達に世話されて無事に出来た。
私がバタバタしていると、周りの人が見かねて面倒みてくれる。
フォーレのヴィオラパートはたぐいまれな美しさ。
以前からこのヴィオラを是非弾きたいと思っていた。
念願叶って嬉しくて天にも登る心地、本当に昇天したら私のためのレクイエムになってしまうなどと、馬鹿な事を考える。
どうも私の思考回路は冗談が多すぎる。

終了後の打ち上げも、北軽で待っている松茸の誘惑には逆らえず、参加しなかった。
まつたけご飯美味しかったなあ。
こんなに練習漬けになるのは、この音楽祭だけ。
もう若者には到底従いていけないと思っていても、終ってみると自分がけっこう元気でいるのには驚く。
かつては、こんな練習したらヘトヘトだったのに。
経験を積んで曲を良く知っているのと、変に力まないようになって、それも年の功かも。

一升壺の焼酎は女性5人できれいになくなり、夜の9時半頃には爆睡。
たっぷり寝て目が醒めたら、まだ午前2時半。
ベッドの横のカーテンを開けると、木々が黒々と空にシルエットで浮かび上がる、その葉の合間から星が輝いて見えた。
気分はいいけれど、身体中バリバリに凝っている。

そのまま朝まで眠らずに起きて居た。
ちゃんと5時間寝ているから大丈夫。
一宿一飯の恩義に、暖炉の薪用の枯れ枝を集めて運動すると、身体のコリは治ってしまった。
朝食の後は近所の森を散策して、まだ少し早い紅葉を楽しんだ。






















2015年10月10日土曜日

北軽井沢ののんちゃんの山荘で暖炉に火をつけて…いや、暖炉にではなく薪に火をつけて眺めていると、ビバルディの「冬」を思い起こす。薪の弾ける音がピッチカートになり、ゆったりとその温もりでくつろぐ人たちの楽しげな様子が描写されている。薪の弾ける音をピッチカートで表す発想がステキ。北軽井沢はまだ紅葉には少し早く雑木林は明るい黄緑や薄い黄色に染まっている。夜に入るとやはりかなり肌寒い。待っていてくれたのはのんちゃんとその隣に住んでいる二人の隣人。庭続きで二軒の家が建っている。食事はいつも3人いっしょ。お隣さんがプロ並の料理の達人だから、今夜も並みのレストランではかなわないほどの料理をご馳走になった。先ずは無花果の素焼きにカッテージチーズを載せたもの、牡丹海老と鯛マグロの中とろの刺身、メインはローストビーフ。カキフライと玉ねぎのフライ。その他に野菜類。魚系が多いので、白ワインが2本空けられた。話しに花が咲いていたけれど、のんちゃんはもうおねむ、早めに切り上げて休むことにした。
暖炉にはまだ残り火があって、新しく段ボールなどをくべると又勢い良くもえあがる。じっと見ていると子供の頃を思い出す。
秋になると樹木の生い茂った広い庭に大量の葉が落ちて、それを集めて焚火をする。兄弟で焚火を囲んであそぶ。風向きで煙が目にしみる。さつまいもをくべて焦げて真っ黒な皮を剥くと中がホクホクの美味しい焼き芋を火の中から取り出す時の嬉しさ。みんなでワイワイ言いながら食べた。
その後近所に家が密集してきて、父が焚火をしていたら消防自動車が来て叱られた。それからは焼き芋の楽しみはおしまい。今どきの子供の遊び場所は狭くて気の毒だと思うけれど、私たち兄弟姉妹が遊んでいたことは今思うと、ずいぶん危険なことだったかもしれない。よくも6人全員無事に育ったものだと思う。
あの頃の季節感や自然に接しながらの遊びが私の中に色濃く残っていて、火を見つめていると心が子供の頃に戻るのを感じる。

2015年10月9日金曜日

秋晴れ

台風が北の方にいるというのに、こちらは清々しい秋晴れ。
八ヶ岳音楽祭の練習は明日からだけれど、明日の高速道路の渋滞予想を見ると、気分が悪くなった。
それで今日のうちに高根町の宿泊施設「羽村自然休暇村」まで行ってしまって泊る予定だった。
ところが北軽井沢の住人達が本番を聴きに来てくれるので、今日から北軽に行くというから、それに便乗することにした。
北軽のノンちゃんの別荘に泊めていただく。
羽村自然休暇村に前の日に泊る人はチラホラ、1人で大きな部屋に寝ることを考えると、ちょっと怖い。
私は臆病でお化けが怖いものだから、皆が来る明日休暇村の方に行こうと思った。

北軽から高根町までは1時間半くらいかかると思うけれど、なんといっても渋滞知らず。
渋滞に巻き込まれていらいらすることほど嫌なものはない。
連休初め9日の関越自動車道の渋滞予報は、午前6~10時台が35キロ、12時台になっても20キロ。
練習は12時入りだから、こんな渋滞の中をノンビリとと言うワケにはいかない。
それで毎年前のりをする。

以前、他の仕事のことだけど。
練習がもう始まろうというのにチェリストが来ない。
時間ぎりぎりになって青い顔をして飛び込んできた。
渋滞に巻き込まれてしまって二進も三進もいかなくなって、仕事か命かと思ったけれど、やはり仕事だと思って高速道路の路肩を猛スピードで走ってしまったそうで、本当に危険で向こう見ずなことなのに、気持ちは良くわかる。
路肩走行は緊急自動車等の通り道、禁止されているから交通違反で捕まる可能性も。
私も1度環八で大渋滞に巻き込まれたときには、あらゆる汚い手を使って時間ぎりぎりに飛び込んだ頃がある。
楽屋口で音楽事務所の社長に挨拶をした。
こちらは普通にしたつもりなのに、それから1時間くらいしてから「nekotamaさん、もう口きいても良いかな?」と言われてしまった。
「さっきはとても怖くて話しかけられなかった」と。

まあ、そんなわけで、毎度お世話になる北軽の人達に今日の夜は美味しいご飯をご馳走になって、明日朝現地へ出発。
これからハードな練習が待っている。

これを言うと皆笑うけど、私はえらく心配性で、本番前は緊張で音が出なくなるのではと思ってしまう。
いつもいつもそうなのだけれど、終ってみればなんとか無事に音が出て次のステージの心配が始まる。
今回もオタマジャクシが游ぎ始めて、全部カエルになって飛び跳ねて行ってしまう悪夢を想像して、なんとも頼りない気持ち。
ノンちゃん邸の庭の雑木林に心を静めてパワーをもらえたら良いけれど、さてどうなりますか。
他の事はすごく度胸が据わっていると思うのに、楽器を手にすると、とたんに気弱になる、これってどうにかならないものかしら。
では出発します。
紅葉が楽しみ。
















2015年10月8日木曜日

瞑想状態

明日家を出発して北軽井沢で一泊、明後日北杜市高根町に向かう。

今年の八ヶ岳音楽祭のプログラムは
レスピーギ「ローマの謝肉祭」
フォーレ「レクイエム」
フランク「交響曲2番」 
これでもかという名曲揃い。
指揮者は去年までの飯守泰次郎さんから矢崎彦太郎さんにバトンタッチ。
私は彼の指揮で弾くのは初めてなので楽しみにしている。
10月12日(月・祝)14時開演 八ヶ岳やまびこホール

明後日の午後練習が始まる。
毎年ヴィオラを弾かせてもらっていたけれど、今年はフランクの2番が中々難物なので、ヴァイオリンを弾いてほしい。
でも、フォーレのレクイエムはヴィオラが重要な役割を持っていて、ヴィオラの戦力にもなってほしいと・・・こんなよれよれのおばさんに何を期待しているのかと。
どちらもいい加減にこなせるという便利屋さんだから、いかにも弾けているように見せかけてその実、内心アタフタ慌てまくっている。

楽譜が届いたとき、フォーレのヴィオラ譜をパラパラっとめくってみたら案外簡単そうに見えたので、昨日まで他の曲にかかりっきりになっていた。
12月のロンドンアンサンブルのエルガ-「エニグマ(謎)変奏曲」が初めての曲なので、文字通り譜読みと分析(謎とき)に勤しんでいた。
ところが昨日初めてフォーレと向き合ってみたら、いやいや冷や汗タラタラ、意外と難しかった。

特に16分音符が延々と続く箇所があって、チラッと見たときにはそれほど難所とはおもっていなかったのに、敵は自分自身にあった。
弾き始めて2行目くらいになると、すっと瞑想状態に陥る。
目が良く見えないので、途中からオタマジャクシが5線紙の川を游ぎ始める。
成長してカエルになって跳んでしまう。
段を間違えそうになる。
思わぬ伏兵にいまパニックになっている。
弾くこと自体がそれほど難しいわけではないけれど、臨時記号を間違えそうで、どれほど練習しておいても目が良く見えないので恐ろしい。

フォーレ「レクイエム」はヴィオラの魅力をたっぷりと聴かせる。
普通オーケストラの曲でヴィオラはさほど目立たないけれど、この曲はヴィオラのあの独特の音域と音色が大活躍。
人の声ならアルトの音域で、重厚で深みのある音色はレクイエムという曲の性格にも合っている。
オーケストラでこの曲が演奏されるときには、いつもヴィオラが羨ましくてたまらなかったから、今回はヴィオラを弾かせてもらえてラッキー!と思っていた。
しかし・・・この瞑想状態はいかがしたものか。

元々瞑想状態に入るのはお手の物。
ストンと夢の世界に行ってしまえるのが仇となって、今回、このページを弾き始めたらステージで寝てしまわないだろうかと、たいそう心配している。
練習に入ると超ハードスケジュール。
本を持って行こうと思っているけれど、おそらく読むヒマなんてない。
数キロ痩せて帰ってくる・・・なんてことはない。
たぶん皆と一緒だと楽しくて食べ過ぎて飲み過ぎて、あ~あ。














2015年10月6日火曜日

雷に怯える猫を守る犬

雷が鳴り始めると怯える猫を抱き寄せる犬。
            不安そうに宙を見つめる。


ガラガラどっしゃーん!!!キャイーン。
実は自分が怖かっただけ。
猫は我関せず。
この顔・・・笑いが止まらない。


2015年10月5日月曜日

ノミニュケーション

今年の初めまで我が家には3匹の猫がいた。
そのうち2匹が相継いでなくなって、今は雌猫が1匹だけ。
この子は私の散歩中に物陰からいきなり現れ、私の足元でゴロンと倒れてしまったので、保護してきた。
目の前で倒れられては連れて帰るしかない。
何事も不器用で、最近までは4匹いた猫たちのなかでも孤立していた。
拾ってきたときに偶々うちにきていた猫友達が、自分が以前飼っていたチャビヤンという子にそっくりだからチャビヤンと名付けてと言うけれど、死んだ子と同じは可哀相。
それでも彼女の意を汲んで、小さいチャビヤンと言う意味でコチャビと名付けた。
今はコチャと簡単に呼んでいる。

タマサブロウ、モヤと立て続けに死んでしまって今までスポットライトを浴びることのなかったコチャが急浮上。
ところが他の猫に比べて表情も乏しく、あまり構ってやらなかったのでお互いコミュニケーションがとれない。
することなすこと不器用で、私のベッドへ来て甘えようとするのに、いきなりドスドスと胸の上を歩く。
他の子はそっと回り込んで横から布団に入ってくるのに、コチャだけはお構いなく私の胸のポイントの上を歩くから、痛いのなんのって。
それで思わず払いのけたりされて、彼女はいたく傷つくらしい。
最近は彼女がドスドスと登ってくると、私は手で反射的に胸をガードするようになった。
1度布団に入っても、すぐに出て行く。
何回もそれを繰り返す。
他の子は布団に入ってくると、満足げにゴロゴロ喉を震わせ私の横で寝入るのが、コチャだけはすぐに出て行ってしまうので、今は一緒に寝てくれる湯たんぽがわりの猫がいない。
今までは3匹の猫が両脇と足の間に入って寝てくれると、冬でもアンカいらずだったのに、今年の冬は寒くなるなあ。

一匹になったので注目度は急浮上したものの、今まで愛情の谷間にいたのでひとに甘えられない。
それが最近、妙に身体を掻くようになった。
猫を保護するとまず獣医さんに連れて行く。
寄生虫とかノミ、ダニ駆除の薬を与えてから家に入れる。
それはそれは痒がっているので、はて、うちの猫にはノミは居ないはずと思ったけれど念のためにのみ取り櫛を買ってきた。
スウーっと櫛の歯を入れると、きゃあ、なんとピチピチとノミがはねている。
獲っても獲っても次々にかかってくる。
毎日奮闘したので、やっとノミは減ってきて滅多に櫛にかからなくなったけれど、油断すればすぐに増殖する。
一体いつの間にこんなにノミにたかられてしまったのか。
考えられることは、私がノラ猫に触って家に持ち帰ってきたか、あるいは動物病院に預けたときに拾ってきたか。
病院でノミ駆除の注射をしてもらおう。

ノミは嫌だけど一つ良いことがあって、毎日のみ取りをしてやったら、この無愛想な猫が甘えるようになってきた。
今まであまり構ってやらなかったので、いじけていたのかもしれない。
のみ取りが始まると嬉しくてたまらないようだ。
ゴリゴリと身体をすりつけてきて目一杯の愛情を表すのが、これがまた不器用でうるさいけれど、彼女にしてみればやっと自分が可愛がられているのに気がついて有頂天。
いままで出来なかったコミュニケーションが、ノミのお陰で出来るようになったからノミニュケーション。
私は友人達とよく飲みニュケーションするけど。
最近忙しくて飲みにいってない。
今週末八ヶ岳音楽祭に行ったら、おおいに飲みニュケーションに励もうと楽しみにしている。



















2015年10月2日金曜日

ついに!

今日は久しぶりのハリー・ポッター講読日。
忙しいのでお休みをさせてもらっていたので、張り切って予習をして出かけた。
東響の拠点地のミューザ川崎まで、バスで行こうか、電車で行こうか、自転車も気持ちが良いかも。
色々悩んで(こういうとき私はけっこうウジウジ考える)結局オーソドックスに電車で行くことにした。
出がけに時間を確かめるためにカレンダーを覗く。
そして場所も確かめた・・・はず。

たいていレッスンの時には1時間くらい前に行って、近くのカフェでコーヒーを飲みながら予習をして待っている。
というのは、ルースさんのオーケストラの練習が早めに終ることもあるので、待機している。

今日はいつもより更に早めに、1時間20分も前に到着。
スターバックスでdtabを開いた。
読んでいるうちに夢中になってメールのチェックもしなかったけれど、しばらくして携帯を開くとルースさんからのメールが来ていた。
リハーサルが早く終ったので澁谷へ早く行ける、というメール。
早く来られるんだ、それは嬉しい。
澁谷・・・澁谷・・・えっ!澁谷?
私川崎にいるけれどとメール。
すると今日は澁谷だったでしょう?と返信が来た。
サントリーホールで練習の時にはいつも、澁谷の教室まで来てくれる。
今バスの中だからあとでと言うので、ぼんやりと返事待ち。
もっと早く最初のメールに気がつけば、場所を間違えていても時間内に行けたのにと後悔。
どうする?と言われてもなにか気持ちがくじけてしまい、悪いけれど又後日ということになった。
ルースさんはバスに乗った時間とバス代をムダにしたわけで、大変申し訳ないとメールしたら、気にしないでと返事。

川崎から澁谷はそれほど遠くはないけれど、急に世の中が真っ暗になって落ち込んだので、今日は取りやめ。
向こうっ気は強いけれど、こういうときにはからきし意気地無しになる。
あ~あ、ついに来たか。
先日テレビで認知症のテストの話題が放送されていた。
4桁の数字を聞いて反対から言うというテストがあるそうで、やってみたらこれが中々難しい。
それで毎日自分で思い浮かべた数字や暗証番号などを聞いたら、それを逆さまに言ってみたり、密かに訓練していたのだ。
そのテストを受けたときに試験官から「いやー、お年の割には素晴らしい記憶力ですよ」なんて言われたいがために。
それなのに、こんなミスをするとは。

ションボリ家に帰ってカレンダーを見たら、ちゃんと澁谷の教室になっていた。
なぜ、さっきこれが目に入らなかったのかしら。
思い込みで目が受付けなかったようだ。