2017年6月23日金曜日

ふんぞり返って

背中の痛みは昨日は小康状態だったのが、今日は又ぶり返してしまった。
筋肉痛なら日が経てば薄らいでくると思うのに、やはり姿勢によってはたまらなく痛い。
それでついに病院へ行くことにした。

何科を受診したらいいかわからないので、とりあえず循環器内科の近所の病院へ。
この病院の医師は、世界でも超一流の大学で研究していたところ、先代の医師であったお父様が亡くなって、病院の存続のために急遽呼び戻されたといういきさつがあった。
研究者としては優秀かもしれないけれど、町の病院は専門の分野だけで済むわけではないから、最初のころはずいぶん戸惑っていたようだった。

お父様は名医としてこの町で信望を集めて、お葬式には2000人もの人が参列して泣いていたと聞いた。
私が子供のころからあった古い病院はいつまで経ってもボロボロで、風邪くらいだと「家に帰ってあったかくして寝てなさい」と薬も出さない。
注射をすることも稀だった。
しかし私の家族はずいぶんお父さんの先生に命を助けられている。

本当に重篤な症状の時には、適切な判断で一歩間違えば命を落としたかもしれない患者をすぐに大きな病院へ転院させてくれた。
その診断はいつも的中する。
姪が脳炎を発症した。
まだ赤ん坊で泣くばかりの子を診断して、すぐに大きな病院へ送ってくれた。
命を失うか後遺症が脳か体に残るかもしれないと言われて、家族は真っ青になっていたけれど、治療が早かったために全く後遺症はなかった。
むしろ普通よりも優秀で健康に育った。

ある時私の姉が重病となり他の病院で誤診をされたけれど、その先生の言葉を信じた母が他の病院の医師と戦って、やっと正しい治療を受けることになったといういきさつがあった。
結局姉は東大病院で治療を受けることになって、一命をとりとめた。
急性肝炎で生きるか死ぬかと言う重病のとき、演奏会を控えていて、絶対に演奏すると言い張る私を先生は必死に説得して大きな病院へ入院させた。
入院中も見舞いに来てくれて、なぜ安静にしているのが大事であるかを懇々と説明してくれたので、私の病気は主治医が驚嘆するほどの回復ぶりだった。
あの説明がなければ私は主治医のいうことを聞かず、回復が遅れ、病気は慢性化していたかもしれない。
その結果、主治医も驚いたことに、私はキャリアにもならず完全に治癒した。
そのことは奇跡的だったようだ。
それほど症状が劇症だったので。

その先生が亡くなって呼び戻された息子さんの先生は、循環器が専門だから、私の喉が腫れあがっているのが直せない。
どうして治らないんでしょうね?と私に訊くから「先生、そんなこと私にわかるわけないでしょう」と言うと頭を抱えて考え込む。
ものすごく頼りなく、お父さんが名医だっただけに、その落差が激しかった。
ついに私の喉はふさがりそうになって、これは危ないと私は逃げ出した。
その後一度だけ受診したら、今度はやたら偉そうに振舞っていたのは虚勢を張っていると見た。
それ以来その病院へは行かなかったから、10年以上いや20年位?のご無沙汰だった。

今日は背中の痛みが心臓疾患の兆候かも知れないと思ったから、専門分野ならいいだろうと久しぶりに病院を訪れた。
旧い診察券はボール紙。
こんな古いのでも大丈夫?と訊いたら、あら、でも大丈夫ですよと受付嬢。
ところがとっくにカルテは失われていたから、だいぶご無沙汰だったようだ。

久しぶりに見る先生はやっと病院に馴染んだという雰囲気。
先代には及ばなくても経験を積んで、穏やかな良い町医者へと変わっていた。
私のことはよく覚えているようだった。
治療にてこずって逃げ出された患者だから。
今回は心電図をとって今のところ異常なし、肺の音もきれいだから、背中の痛みは筋肉痛ではないかと自己診断と一致。
帯状疱疹の疑いも、痛みのある場所に発疹がないのでセーフ。
しかし姿勢によってはものすごく痛い。

さあて、いったいどうしたものか。
こんな痛みは初めて経験する。
背中をまっすぐにしなければ痛みはさほどでもないから、当分偉そうにふんぞり返って生活することにした。




















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