2019年4月25日木曜日

親友

館林に住む友人M子さんからつつじを見にいらっしゃいとのお誘い。
毎年のように誘われてはいたけれど、今までこの時期に暇なときはなかったから、いつも見逃してきた。
今年はすっかり身軽になって、諸々の事務処理も峠を越えたところなので気分転換を兼ねて出かけようかと思う。

今週月曜日にお互いの都合が良くて出かけようと思ったら、今年は館林の気温が低く開花が遅れているそうで日を遅らせた。
ゴールデンウイークに入ると渋滞があるから、このチャンスに行かないと大変。
花の好きな姉を誘ってみたら二つ返事。
天気が下り坂なのが心配ではあるけれど、カンカン照りよりは風情があるかもしれない。

M子さんは中学時代からの付き合い。
同学年でも組が違ったので、私は彼女を知らなかった。
通っていた中学校の近くの家からヴァイオリンの音が聞こえることがあって、それが同じ学年のひとだということは聞いていた。
ある日、突然その人が目の前に現れた。
「あなたヴァイオリンやってるんですって?」

それからお付き合いが始まって、彼女の田園調布の立派なお宅にしげしげと通うようになった。
学校でも一緒なのに、家に帰ってからも電話で長話。
彼女の妹さんが呆れていた。
そして私の運命を変えたのも彼女だった。

私は全くの趣味でヴァイオリンを弾いていたのだから、両親は基礎的な訓練も立派な先生につけることもしてはくれなかった。
近所のお兄さんが初めての先生。
ヴァイオリンは好きだったけれど、もっと好きなのは読書。
本なら寝ても覚めても・・・流石に寝ては読めないけれど、暇さえあれば本を読んでいた。
将来は文学か動物に携わる仕事などを、夢見ていた。

びっくりしないで!当時の私は非常に内気だったので、人前で楽器を弾くのはありえないことだった。
M子さんはヴァイオリンを、隣家の宗先生に習っていた。
宗倫匡さんのお父様で高名な先生だった。
それすら私は知らなかったくらいだから、本当に音楽の道に進むなどとは考えもしなかった。

私達がかよっていた女子校は、私にとっては居心地の悪いところだった。
M子さんはゴルフ場の経営者の娘。
他の人達もそこそこ金持ちのお嬢さんたち。
私は入学式に姉のお下がりのセーラー服と古鞄を下げていたから、クラスでも浮いた存在だった。

そんなことはどうでもいいけれど、中学校の校風がどうにも合わない。
友人と言えるのは彼女だけ。
中学3年の半ば過ぎ、M子さんが「くにたち音楽大学に付属高校があるんですって、受けてみない?」
音大付属高校?とんでもないことを。

それでも、今も昔も変わらず私の好奇心が全開となった。
面白そうではないか。
私はソルフェージュもピアノもろくすっぽ習ったこともない。
慌てて近所のピアノの先生に相談すると、先生は大歓迎。
先生は自分の息子さんをピアニストにするのが夢だった。
しかし2人のハンサムな息子たちはバンドを始めた。
後に名のしれたミュージシャンになったけれどクラシックには興味なく、先生は次の獲物である私を育てるのに夢中になった。
貧乏でありながら、その頃家にピアノがあって自己流で弾いていたから、モーツァルトのソナタまでいくのはそう時間はかからなかった。
これで副科のピアノはなんとかいけるかも。

付属高校のヴァイオリンの先生に紹介してくれたのは、当時朝日ジュニアオーケストラの指導をしていた、くにたち音大の教授。
まわり中、国立音大の人ばかりだったのでもうくにたちを受けるしかない。
紹介されたのは黒髪を縦ロールに巻いた、美しい先生だった。
「あなたソルフェージュはやっているでしょうね?」と訊かれたから「いえ、習っていません」と言うと腰を抜かすほど驚いている。
先生がピアノで和音を鳴らすから音を答えると「あら、できるのね、ああ、びっくりした」

私のほうがもっとびっくり。
聴音なんてやったこともないのに、自分が音がとれると知ったときは驚いた。
小さいときから我流でピアノを弾いていたのが幸いだったらしい。
ヴァイオリンの先生をハラハラさせ、ピアノの先生からはヴァイオリンでなくピアノを専攻したらどうかと迫られ、とにかく受験したら受かってしまった。
これには親がびっくりして大騒ぎだったけれど、本人はいたってのんきで、音大出たら普通の大学をもう一度受験すれば良いなんて簡単に考えていた。

そこまでやっても音楽家になる気はなかった。
好奇心が猫を殺すそうだけれど、私は猫だから・・・

それまで暗かった私の学生生活は一気に楽園となった。
自慢じゃないが、くにたちは豊かな人間関係が魅力の学校なのだ。
一風変わっていても否定されない。
だれかが困っていると本気で手を差し伸べる。
相手を蹴落としてすすむような人が少ないから、突出したソリストが輩出することはあまりないけれど、仕事場では波風立てずやっていける。
学長だった有馬大五郎先生の庇護の元、学生たちはおおらかにのびのびと自由を謳歌していた。

M子さんと私は共に音大付属高校に受かって、それから大学もオーケストラも一緒で、彼女が結婚して館林に行ってからも長い付き合いが続いた。
考えたら半世紀以上の付き合いになる。
彼女が「私とあなたは親友と言ってもいいと思うけど」先日そんなことを言っていたけれど、親友であり私の人生を明るくしてくれた恩人でもある。

大嫌いだった中学校もそれを考えると、私の人生に必要だったのだと思える。
全て脚本ができていて、人生はもとから決まっているような気がしてならない。





















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