2019年4月7日日曜日

花見疲れ

3連続で花見をしたら疲れた。

最初の日は上野の旧奏楽堂のコンサートを聴きに行ったとき。
伊籐 恵と仲間たちと言うタイトルで、ブラームス:ホルン三重奏曲やシューマンなどのプログラム。
クララ・シューマンの生誕200年にちなんで、ゆかりの曲でプログラムを組んだもの。

ブラームスのあこがれの人がクララ。
クララが待っていたのに、結局ブラームスはプロポーズをしなかったらしい。
そういう逸話やヴァイオリンソナタや弦楽四重奏曲を聴くと、優柔不断な男と思っていたけれど、中年に差し掛かった頃からブラームスが無性に好きになった。
やはり人生経験を積むと、人の心は黒白で割り切れるものではないこと、思い通りにいく人生なんてないことを思い知らされるから、やっとブラームスの良さもわかってきたのだ。

コンサートに行く前にピアニストのSさんと合わせ始めたピアノとヴァイオリンのソナタ第1番を練習した。
不思議なことに練習を重ねるとどんどん難しさが増すので、ふたりともかなりてこずった。
音符はこんなに易しいのにねとぼやきながら。
音符を並べるのは全く苦労はしないのに、それをどう音楽に組み立てるのか暗中模索。
まだふたりとも人生経験が甘いらしい。
練習を終えるとコンサートの時間に余裕があるように上野まででかけた。
すこしだけ花見をしようという魂胆で。

駐車場に車を停めて歩きだすと人の波が押し寄せる。
夕日が落ちるところで、夕焼けがあかあかと雲を縁取っている。
風が強く少し寒い。
上野公園の桜並木はちょうど満開で、ライトアップされて魔性めいた美しさ。
人々がシルエットで浮かぶと、浮世離れして見える。
お芝居の書割のように。

公園内のカフェで軽くお腹を満たして、会場へ。
伊籐 恵さんは私の最も好きなピアニストの一人で、ソリストでありながら共演者と融和してアンサンブルのうまさを見せる。
ホルン三重奏曲はお見事でした。
その後はブラームスの歌曲などの伴奏、最後にシューマンの幻想曲。

いつものリサイタルと違って出演者が大勢いたので、彼女の印象が分散してしまったのが残念だった。
伊藤さんは他の出演者に気をつかって、いつもの伊籐ワールドが控えめになってしまって、魅力が発揮出来ない感があった。

終演後ブラブラと公園内を横切っての帰り道、大騒ぎする花見客。
桜にはひとを狂わせる力が・・・というより飲みすぎが正解。

次の日は我が家の年1回の花見の宴。
私の家は桜並木のある川沿いに建っているから、家の中から窓越しに花見ができる。
毎年スキーの仲間が集って大宴会だったのだけれど、最近は腰痛などを理由に出席者が減って、だんだん寂しくなってきた。
テーブルに溢れるばかりの料理とずらりとお酒が並ぶが、毎年残ることが多くなってきた。
以前は空き瓶が恥ずかしいほどゴミ収集場に並んだけれど。
最近はほんの5,6本。
それでもいつもながら美味しい料理と会話が弾む。

そして3回目は小田原城の桜。
小田原に住むかつてのオーケストラの打楽器奏者を訪ねて開く、恒例の飲み会。

皆でそのSさんを囲んで、面白いエピソードを聞かせてもらう。
ずば抜けた記憶力の持ち主のS氏は、昔の逸話を次々に思い出して皆に聞かせるのだが、今年は少し無口だった。
相変わらずニコニコして仲間たちを嬉しそうに見ているものの、小田原城のお堀端の見事な桜を見ても反応はイマイチ。
それでもかつてのずば抜けた頭脳の切れの片鱗はまだまだ残っていて、突然思い出すことを面白そうに話す。
オーケストラの残党が口をそろえて言うことは、本当に面白い人生だったということ。
それと世代を超えて対等な付き合いができるということ。

3回目のお花見で流石に疲れた私は、帰りの電車で爆睡。
美しく楽しく美味しくの3日間は贅沢ではあるけれど、それに耐えられる体力がなくなってきたのは残念。
若さとは何ものにも耐えられるパワーであると、痛感した。












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