わるくないけど寂しい。
私は外に出るのを厭わない。
このところ、毎日のように友人たちと食べたり弾いたりすることが多いのは、彼らが私の最近の境遇を心配してくれていることでもある。
先日もドイツ在住で偶々日本に帰ってきていたヴァイオリン奏者が、奥さんと一緒に私の家の近くまで来てくれた。
彼らと1時間ばかり近所の珈琲店で話し込んだ。
元気そうで安心したと言って帰っていった。
今度は一緒にコンサートしましょうと約束したけれど、果たしてそれまで私がちゃんとしていられるかどうか。
生まれ落ちてこのかた、ちゃんとしていたことがないので、いまさらだけど。
やっと物事がスムーズにいくようになった。
まだ細かいことが未解決であっても、概ね片付いた。
終いの住処のお墓も手に入った。
北軽井沢のノンちゃんの家の後継者となる手続きが始まった。
これが最後の大きな買い物。
ここで下界の暑い夏を避けて、猫と過ごすことになる。
北軽井沢には、私の面倒を見てくれる強力なスタッフが待ち受けている。
事務処理は彼女がテキパキと進めている。
家のことは近所の工務店が引き受けてくれる。
すべてが揃った。
人生のフィナーレの幕開け、かな。
貧しくとも両親と兄弟の愛情をたっぷり受けてそだったことが私の幸運の始まり。
末っ子に生まれて親の目が届かないことで、自分の思い通りのことが出来たのも、幸運だった。
音楽で生計を立てられるとは夢にも思わず、気まぐれにヴァイオリンを弾いていたらいつの間にかオーケストラに入ってしまった。
オーケストラをやめたら仕事がわんさか入ってきた。
ちょうどバブルの頃だったから。
身に余るほどの高名な演奏家たちとの協演も多かった。
どうしてこの下手くそな私が?と思うこともしばしば。
彼らからは学生時代に勉強した何倍もの影響を受けられた。
面白い人生が送れたのもそのお蔭。
素晴らしい友人たちに恵まれたのが、最大の幸運。
たった一つ、残念なのは子供に恵まれなかった。
だから愛情のはけ口は猫に。
そうでないと私は膨れ上がった愛情が溜まってパンクしてしまう。
迷惑を被るのは猫たち。
そして今、犬を飼いたい。
犬を飼うのは夢だった。
けれど、連れ合いが犬嫌いで、そもそも猫も嫌いだった。
ある雨の日に姉から電話があって、自分の家の庭に子猫がいるから面倒見てと言われた。
だんなは渋い顔で、明日捨てに行ってこいと鬼の言葉。
次の朝彼は猫に関しては無言。
知らん顔してそのまま捨てに行かなかった。
その子が車にはねられて死んだ。
家の敷地の片隅に穴をほって埋めながら、夫は大泣きに泣いた。
その後、別の猫が病院で死んだときも。
私はペットロスでその後1ヶ月鬱状態に。
それから我が家に猫が絶えたことはない。
ノンちゃんの家は林のなかにある。
ここには犬がよく似合う。
静まり返った林の中でひとりぼっちで住むのは途方もなく寂しい。
犬嫌いの人も去年遠くへ逝ってしまったから、犬を飼うチャンス到来かもしれない。
ここで10年過ごしたら、ホームに入居するか天国へというのが私のシナリオ。
天国もホームも素行不良で追い出されるかもしれないけれど。
それで犬はどうしようか。
私より後に残したら可哀想だから老犬を飼おうかとも思うし、でも子犬の可愛さも味わいたい。
長生きはしなくていい。
けれど、充実した日々を過ごしたい。
昨日は同級生たちとの弾き合いの日。
優等生だった彼女たちは今でも恐ろしくパワフルで、大曲に挑んでいる。
残された時間を大好きな音楽と過ごしたい。
私はブラームスの第1番のソナタを弾いた。
最近、以前にもましてブラームスが好きになった。
人生の黄昏時にならないと手に入らない輝きがある。
だから若者は年を取るのを恐れないでほしい。
素晴らしいことが待っているのだと思ってほしい。
孤独で体力も気力も落ちているけれど、それを恐れたら今までの人生が無駄になる。
すべて受け入れて、できるだけのことをすればいい。
nekotama様
返信削除すごく面白い。
旦那様のお人柄が、無駄のない文章で、とても良くわかります。猫が死んで大泣きするところが、可愛い。
nekotama様の、残されたものの悲しさ、行ってしまった人や猫たちとの思い出を慈しむお気持ち、伝わります。
nekotama様が東京からいなくなってしまっうと思うと寂しい、という人も多いでしょうが、私もその一人です。
えー、うちは神奈川なんで
返信削除そんなことどちらでも良いですが、北軽井沢の冬は厳しすぎて年寄りにはむり。
それで半分以上はこちらにいます。
ただ去年の異常な夏の暑さがこたえてこたえて、それで林の中で涼しく過ごそうという魂胆ですのにゃ。
冬はこちらにおりますし、コンサートもあります。どうぞお付き合いくださいませ。