2020年9月30日水曜日

今日は「古典」の定期演奏会だったのに。

今日は本当は文化会館の小ホールのステージで演奏しているはずだった。

古典音楽協会の定期演奏会。スマホのカレンダーで今日の予定が表示される。古典の定期の予定を削除するのを忘れていたら、画面に現れて胸がズキンとした。やはり自分が思っていたよりもずっとショックが大きい。長年大事にしてきたワークだから、いつもあるのが当たり前だった。それがコロナで中止になっていつ再開できるかわからないのは、再開どころかこのまま立ち消えになってしまうこともありうると考えると虚しい。もう二度とステージに立てないのかとも思う。自分に自信がない。

しばらくのブランクの後、若い頃だったら勘を取り戻すのは短い時間でできそうだけれど、今ではそれができるかどうかは断言できない。大勢のお客様の前で演奏するのは、本当に緊張する。緊張しても余裕を持って弾けるのはなかなか難しい。けれど、練習を重ねればある程度の緊張はむしろ良い刺激になる。緊張感のない演奏は面白くはない。

どんな名人でも、あるいは、名人であればあるほど、プレッシャーは強いらしい。あのハイフェッツは、常に前回の演奏よりも上手く弾けないといけないという自分に対するプレッシャーで演奏をやためたと聞いている。

ハイフェッツと私ではレベルは月とスッポンだけれど、それでも同じように緊張はする。その緊張が演奏を育てるのであって、本番は演奏家にとっては最大の練習になる。誤解を招くといけないので言うけれど、練習と同じように弾くという意味ではない。本番で得るものは、練習の何倍でもあるのという意味なのです。耳を研ぎ澄ませて会場の響きを捉えると、客席の後ろの方から自分の音が戻ってくる。その音を聞きながらお客様の呼吸を感じ取ることができる。客席ろステージが一体になったときの素晴らしさは本当に不思議な世界となる。

波動のように呼応するものが会場を包む。緊張の中に幸福な一瞬でもある。だから私達は聴いてもらえないと還ってくるものがない。自分の中で終わってしまう。いつも思うのは、聴いている人たちに自分たちは育ててもらえるということなのだ。

この年令でのブランクはとてもつらい。2度と戻れるだろうかという不安でいっぱいになる。ヴァイオリンに限らず楽器の演奏は見た目以上におお仕事。体力、気力がないとできないけれど、実際は長年の訓練で無駄な力を使わなければ、それほど腕力はいらない。けれど、緊張や練習不足で筋肉が固くなったらアウト。手足が震え、無駄に力が入れば早いパッセージが弾けない、弓を弦に押さえつければ音は響かず楽器が鳴らなくなる。

だから日々努力をしてきたものが、コンサートがなくても練習をいつものように持続でするのは大変な努力を要する。私のように志が低いと、すぐに怠けてしまう。今はなにもなくてノンビリしていられるけれど、再開するとなると果たして再起できるのだろうかと、取り越し苦労をしている。

とにかくこのままでは古典としての締めくくりができないから、最後の演奏会はしなくてはならないけれど、今日が最後のステージという日が来たら、悲しみで演奏ができるのだろうか?まだ先のある若者なら新たな出発点となるけれど、私はもう締めくくらなければいけないのだ。

本当に多くの方々に会場に来て聴いて頂いた。それによって私達も成長させて頂いた。思えば古典ほど暖かい声援を受けた団体はめずらしいのではないかと思う。長年、ともに歩んでともに年を重ねて、ステージに出ていくのはまるで家族に会うような気がした。こちらを見て微笑んでいる人たち皆が味方してくれていると思えるほどだった。

コロナがどうなるか今後の感染は拡大するのかどうかもよくわからない。だれにとってもつらい日々だったけれど、このまま終わってしまったとしても心に暖かい火が灯っているのはそんな経験を重ねたからで、客席とステージは一体で演奏とはその両者が混じり合って成り立つもの、たとえしばらく、あるいはもはや会えないとしてもこの火が消えることはないと信じている。


2020年9月28日月曜日

雨が上がって

北軽井沢に来ています。

今年の夏があまりにも暑かったので 、エアコンをつけることにした。まさかこの北軽井沢でエアコンが必要になるとはおもってもいなかった。夏のほんの数日、北軽井沢でも今年の暑さは異常だった。私は熱中症になりやすい体質らしく、毎年数回はかかってしまう。体温の調節がうまくいかないらしい。自宅ではつい最近までずっとエアコンつけっぱなし、一瞬たりとも切ることはなかった。

軽井沢の電気屋さんに相談すると、今年は軽井沢でもエアコン設置が多く、ずっと工事の予約で埋まっているという。昔は軽井沢にエアコンがないのにびっくりしたけれど、その頃は軽井沢や北海道などではエアコンはないのが当たり前だった。地球温暖化が加速度的に進んでいるようだ。北軽井沢に来るようになってから、まさか自分がここでエアコンを付けることになるとは思いもよらなかった。10年前はとにかく涼しいという印象だったので。

打ち合わせするために今回はほんの4日ほど滞在することになった。昨日自宅を8時30分ころ出て3時間弱で到着。だんだんなれてきて早くこられるようになった。コロナのおかげで途中停まらないで走ってきてしまうということもある。暖房や冷房やら温度対策がだんだん整ってきて、冬の寒いときにも来られるようになった。あとは運転のことが問題で、雪道を今まで運転したことがなかったので果たして大丈夫かどうか。

昨日一日のんびりして、今日は軽井沢のY子さんと浅間牧場でお弁当ランチ。抜けるような青空と暖かい日差しが眩しい浅間牧場の広い原っぱでY子さんの2段重ねのお重に詰められたたくさんのお惣菜と焼きおにぎりを頂いた。エビフライやナスの煮物、はんぺんとチーズの揚げ物、こんにゃく、ゴーヤなどなど。寒くもなく暑くもなくちょうどいい気候にこんな広々とした場所でご飯をいただく、この幸せさ。コロナで何もかも中止になった痛手が本当に癒やされる。

こういう日常の幸せさが一番いいのかもしれない。海外旅行の好きな私達は、それができないことを嘆いていたけれど、本当はこれで良かったのだと肯定できた。風や雲の流れ日の光、自然は美しい。

帰り道に浅間牧場付近のプリン専門店に立ち寄った。毎回この道を走っているのに今まで気が付かなかった。あまり派手に看板が出ていなかったし、私は自宅からここまで走ってくるとまもなく森の中の一軒家に到着するという安心感で脇目も振らず走ってしまう。Y子さんが寄ってみましょうと言うので、初めて入ることになった。店員さんの話によれば、このお店は10年ほど前にできたという。私がノンちゃんの家に来るようになったのもその頃。少しも気が付かなかったのは、道から少し引っこんだところにお店があるから。早く知っていればよかった。次回からは毎回ここによりそうな予感がする。

ガラスケースには様々なプリン。他にロールケーキなども。それぞれ気に入ったものを選んで家でコーヒーを飲むことにした。とまあ、ここまでは良かった。

プリンは本当に美味しかった。味の余韻を楽しんでいるとY子さんが、突然暖炉の周りに積んである薪が多すぎると言い出す。でもノンちゃんがいる頃からこうだったし私は少しも考えたことがなかった。これがもう少し片付けば部屋が広くなるとY子さんは宣う。いや、でも、だって・・・といっているうちにY子さんは整理整頓の鬼となり、物置のぐちゃぐちゃやら暖炉の前にだらしなく置かれていたマッチや炭などをさっさと片付け始め、その結果7個くらいの大きなゴミ袋がいっぱいになって、あーら不思議、部屋も物置もスッキリと整頓されてしまった。

思いついたらすぐにやる彼女と、今日やらなくても済むものは延ばすという私の姿勢の違いがわかる。追分のKさんと軽井沢のY子さんのおかげで我が家は徐々に片付き始めている。私はなんにもしないのに。

エアコンが入ったら電子ピアノを手に入れる。ヤフオクで見ていたら中古でも良いのが安く手に入りそうなのだ。他にも電子ピアノの修理工場のバーゲンセールとか只今検討中。ノンちゃんがこの家で開きたいと言っていたコンサートもまもなく実現するかも。でもそれは私次第、こうのらりくらりとしていてはね。
























2020年9月25日金曜日

当たらない人生

 宝くじを買って、その後どうしたかと言うと、くじをしまい込んだ場所がわからない。時々出てくるから家にあることは確か。見つけたときはこんなところにあったのね、明日くじ売り場に行って当たっているかどうか確かめようと思うのに、毎日忘れて今日まで。今どこにくじはいるのだろうか。今日こそはと思うので、家探ししてみます。どうせ当たってなんかないさ、これがいけない。それならバッグに入れておけばいいじゃない、と思うでしょう?それは私のことがまだわかっていない。バッグにいれたら必ずなくす。

今までくじとか福引とか、最高でも3等賞。いつもはほぼ外れだから、今回もそんなものだと思っている。けれど、調べなければわからない。もしかしたらストラディヴァリが買えるかも。もし1億円当たっていたら、動物と私の保護施設を作ろう。

今まで一番のあたりは郵便局で、年賀状についていたはがきを出したら、忘れた頃に毛ガニが届いた。郵便屋さんが毛ガニを持ってきたのでびっくり。新年から縁起がいいわいと思ったら、その年のあとの当たりはスキー場で当たられたのと、駐車場で車をぶつけたのとこの2つ。やはりなにも当たらないほうがしあわせなのだ。

もう一つは白金高輪の駅近く、商店街の福引で巨大な洗剤が当たってしまった。重くて持てないからいらないと言うと、そんな事言わないで、もったいないじゃないですか。それならあなたに差し上げます。私はいただくわけにはいきません。押し問答の末持って帰ることになって、難儀しました。せっかく美容院にいって髪がきれいになったのに、髪振り乱してウンウン言って帰ってきた。洗濯が趣味じゃないのに。

当たらないことはいいことだ。でも当たれば嬉しいでしょう。だから今回買った宝くじも当たっていれば感涙にむせぶ。1,000円でいいから当たらないかな。それには早くくじ券を見つけなければ。必死の捜査の結果、見つけた。昨日バッグに入れて今日駅近くのくじ売り場に行ってみる。結果がわかってしまえば夢はここでおしまいになる。もう少し夢を見ていたほうがいいかなとも思うし、又券をなくす恐れがあることを天秤にかけると、今日はとにかく売り場で見てもらうことにした・・・売り場によることを忘れなければの話。

行きは友人と一緒だから帰り道に密かに一人で寄ることにした。友人と一緒のときに1億円当たっていたら、その人に奢らないといけない。一人だったらこっそりと独り占め、ウヒヒとなる。でも1億円当たっていたら、その場で気絶するかも。そのときに友人がいてくれたほうが・・・妄想は次々と浮かぶ。

今日もモーツァルトをあわせる日、こんな浮かれたことでモーツァルトの音楽を曇らせてはならぬ。今朝も考えていた。モーツァルトは幼い頃からヨーロッパ中を馬車に乗せられ、その天才ぶりを王様や貴族たちに披露して歩かされて、大好きな母親と姉から引き離され本当に寂しい幼少時代だったと思う。ガタゴトと馬車に揺られ、寒い日やひどい天候の中でも旅をさせられたと思う。時々モーツァルトを彈いていると、絶望的なまでの悲しみに行き当たることがある。そういうとき私は涙が出る。

決して大声で叫ぶような曲ではない。それでも転調の瞬間、いいようのない悲しみが伝わってくる。かれは多動児だったと言われる。心が少しも休まらない、そのことが彼をそうさせていたのだと思う。天真爛漫?決してそうではなかったか、そうであってもそれだけではなかった。簡潔で必要な音以外の音は使わない。それなのにどんな複雑な曲よりも人々の胸を打つ。

Oさんと合わせてから又イタリアンでランチ。これで最近ちまちまとしていたダイエットが水の泡になる。











2020年9月24日木曜日

休んでいると

 投稿をサボっていると、世の中から忘れ去られそうで、毎日どうでもいいことをうだうだ書いています。

このところ急激に足の調子が良くなってきた。2年ほど前から徐々に足の痺れと足首の痛み、夜中の足攣り、趾の曲がりなどが連発して、これも歳のせいと諦めていた。階段を上がるのはいいけれど、下るのが大変で、手すりにつかまってドシドシと降りる。無様なものだった。それが少しずつ改善。O脚が治ってきて今はほぼ以前のように隙間が少なくなってきた。筋トレやストレッチもそれほど熱心にやったわけではないのに、多少食べる量を減らしたら体が軽くなっての結果。あな、おそろしや。原因は食べ過ぎだったのか。

片足立ちもやや改善。2ヶ月ほど前までは右足はほとんど片足で立つことが出来なかった。ほんの2秒ほどでひっくり返りそうになる。左足はそれでも7秒くらいはいけた。今は右足も5・6秒いける(ときもある)

ここ数日足の調子が良くて朝晩の散歩も楽しかった。それで今日は隣町で買い物をしてひと駅だから電車に乗らず歩くことにした。両手に買い物袋を下げていたら、以前のように足が痛くなってしまった。考えたのは、やはり足の筋力に見合った体重でないといけないということ。コロナ太りで家から出ないで運動不足、それに加えて他にすることがなくて食べ過ぎる。ほんの1口も回数が多ければ10口にもなる。

大きな災害があったら最低1週間くらいは持ちこたえられる食料が必要と思うから、冷蔵庫には常に食べ物がある。これがいけない。目に付けば食べたくなる。食べれば美味しい。災害が来るといけないからすぐに補填する。又食べる。

次のスキーシーズンまでに足が良くなることを期待している。スキーのブーツを履いてしまえば足首の痛みは感じないから滑れるけれど、ブーツの着脱が大変なのだ。猛烈に痛い。次のシーズンもこんなことなら考えてしまう。しかも滑ったあとでひどくしびれるので、眠れない。足の大切さを痛感している。

このところモーツァルトを彈きたいという人が複数いて、連続して合わせてもらっている。今日はその第一弾、ピアノはいつものSさんとソナタの11番、K.379を彈いた。私は今までこの曲を彈いたことがなかったので良く知らなかったけれど、これがどの曲にも負けず劣らずの名曲。モーツァルトの凄さを感じる素晴らしい曲だった。簡潔なのに骨組みがしっかりしている名曲で、本当にやってよかった。気分は上々、練習が終わって近所のイタリアンレストランでランチを食べる。このレストランは繊細な味が特徴で、その分ご主人はいかにも気むずかしそう。

次の日もまた合わせる約束がひとつあったけれど、台風接近につき中止。その次の日も又々・・・モーツァルトの大盤振る舞い。それほど皆さんモーツァルトがお好き。私は無人島に一つだけ持っていくとしたら?と訊かれたら、K.334のCDと答える。私はCDは持っていったものの、プレーヤーは忘れるという大失態をするにきまっているけど。

徐々に日常が戻ってきている。いつ終わるともしれないコロナ禍もそろそろ終焉かと思ったら、ヨーロッパでは又拡大しているという。聞くと泣きたくなってくる。

日本人はお役所からなにか言われると喜々として従う。自粛してと言われるとじっとしている。さ、遊びなさいと言われるとはっちゃけて、我も我もと遊ぶ。これが変。遊べと言われても芋の子を洗うようなプールとか、見たらさっさと帰ってきてください。2時間も並んで温泉につかるとか・・・もう、あきれている。いままでの努力を水の泡にしないでください。自分の身を守り他に人に感染させないように、もう少し我慢できないものかしらね。

遊びの質を替えたらいい。渋滞の高速道路、混み合った観光地、だいたいそういう場所は見当がつく。そんなところに行かなくても楽しめることはごまんとある。人が少ないと面白くないものなのか、不思議でならない。

明け方に急に咳き込んで目が覚めた。うはっ!大変、ついに私もコロナ?と思ったけれど、冷静になって水を飲み、漢方薬を飲み、咳喘息の吸入をしたらすぐにおさまった。こうしてこの半年以上怯えて暮らしているのだ。その後ぐっすり眠ったら朝食もりもり食べられて、胸をなでおろした。






2020年9月23日水曜日

The lion sleeps tonight - George David Weiss

http://nekotama-abc.blogspot.com/

このコーラスがあんまり素敵なのでちょっとご紹介します。
いいハーモニーですね。

2020年9月18日金曜日

今日出会った3つのしあわせ

 夕方近所の公園まで散歩にでかけた。夕日が茜色に雲を染めて、ああ、もう秋なのだ。

数日前から気になっていたのは、あるお宅の門扉の前に咲き始めた花。両手で包み込めるほどの大きさの白とピンクの花。あまりきれいなのでそっと手で触って通り過ぎようとしたら後ろから声をかけられた。中年の男性がニコニコと「きれいでしょう?」と言う。この花は私が育てたんですよ。種が出来たら持っていって育ててください、と言う。まだ種は青いから乾いてきたらいただきますと約束してきた。その人は自分が育てた花が人の目に止まったのがよほど嬉しかったらしく、満面の笑顔が弾けていた。

花の名前は後で調べてみよう。(投稿した日にここに書き込んだ名前で検索したら、とんでもなく卑猥なサイトに誘導されました。どうぞ忘れてください)

もう薄暗くなってきた公園に入ると、見覚えのある人と女性が話をしている。「おとうさん元気?」と女性。おとうさんとはこの人のこと。「元気だよ」と言う人を見ると、いつもこの公園のベンチに長い時間座っているホームレスさんだった。ベンチのそばに空き缶やダンボールの獲物をビニール袋に入れて頭をたれてじっとしている。ああ、この人にもこうやって話ができる人がいるんだと思ったらしみじみと嬉しくなった。

そして今日一番うれしかったのは、大阪に転勤した生徒が来たこと。コロナ感染の緊急事態宣言が解除された直後、彼女とレッスンの約束をしていた。けれど、彼女が実家に戻った日、会社の同じフロアで働いている社員の感染が発覚、自宅にも入らず、急遽大阪に帰ってしまった。レッスンも延期となった。今日は無事に久しぶりの再会となった。

大阪は面白いでしょう?と訊くと、いいえ、誰にも会わないし、どこへも行けないからつまらないです。カラオケでヴァイオリン彈いてますと。転勤以前より音が良くなったと思ったら、そういうことなのか。何もすることがなくて練習が出来て、私よりうまくなったら私はでかい面ができなくなってしまうなあ。電話のオペレーターでマスクとアクリル板の仕切りに囲まれて、他の人とは話をしないらしい。せっかく大阪にいるのにたこ焼きばかり食べていたという。大阪ならお好み焼きが美味しいのにねえ。いつかコロナが終わったら一緒に飲みに行こうね。

帰ってきたら、昨日フェイスブックでスッタモンダしたM子さんから知らせが届いていた。今年のイグ・ノーベル賞は京都大学の霊長類研究所の西村剛准教授が音響学賞を受賞したという。ワニにヘリウムガスを吸わせて声の変化を調べるという研究。なんじゃそれ!動物虐待ではないの。日本人はイグ・ノーベル賞を毎年受賞している。クソ真面目が売り物の日本人は案外ユーモアがある。落語なんて世界に類を見ない演芸ではないかな?

M子さんも私もこういうふざけたことが大好きなのだ。2年ほど前、イグノーベル賞の展示会に二人で行ったことがあった。会場に月面歩行の体験ができるコーナーがあったので体験を申し込んだ。特別なハーネスのような器具をつけて空中を散歩するような形になるらしい。ところが彼女は身長は十分なのに体重が軽すぎる、私は体重は十分なのに身長が足りない、ヒョロガリとチビデブのコンビなので。結局ふたりとも残念ながら体験できず、涙を飲んだ。

ワニの記事はこちら。

https://science.srad.jp/story/20/09/18/0222255/

https://www.asahi.com/articles/ASN9K4JTHN9GPLBJ003.html

花の名前はクレオメでした。何度きいても忘れてしまう。貝の幼虫クリオネと混同する。クリオネは天使のように可愛い姿に似合わず獰猛だそうで、この花はどうかな?






2020年9月17日木曜日

いかがお過ごしでしょうか?

 私は生ける屍と化していますよ。屍にしてはよく食べていますが。

コロナの影響はいつまで続くのか、もううんざりしている。どこへ行くにもマスク、誰に会うのもビクビクもの、なにをやっても面白くない。こんなにつまらんことは今までになかった。でも何を食べても美味い!これが摩訶不思議。

少しずつこの状況になれては来たものの、体がだるい。やる気が無いので心も重い。ついでに財布は軽い。なんてこった。いままであんなに面白かったものにすっかり興味を失ってしまった。今までの行動の原動力はなんだったのだろうか。人に会うことで会話ができる。いろいろ刺激を受ける、あの人あんなことを始めたんだって、それなら私も、よっしゃ!そうして社会が回っていたようで。

私の場合はヴァイオリンを弾くと会話ができる状態だった。でも人と会えないとなると、ヴァイオリンは見るものになってしまった。そういえば今の楽器の2台前に私が持っていた物は「ミルモン」というフランス製の楽器だった。出しやすく優しい音がした。健康で見た目も良かった。チェリストのナバラが同じ作者の楽器を持っていたようで、私は彼になんとなく親近感を抱いていた。あちらは東洋の小さな島国に住む小さな魔女が、まさか自分に心を寄せているとは思いも寄らない。ミルモンは今の楽器を購入するときに下取りとして出してしまった。今頃どこでどうしていることやら。高校2年のときから使っていたので、ひとしお思い入れがあるけれど。

ミルモンは私が当時師事していた先生の紹介で、ある弦楽器工房で購入した。初めてその工房を訪れたときには自分ひとりだけ。5つくらい楽器を出された。弾き比べてみると一番氣に入ったのがミルモンだった。ヴァイオリンはイタリアと相場が決まっているけれど、私がフレンチを選んだので、工房の主は大喜び。かれはフランスで楽器制作の修行をしたので、フレンチには思い入れが強かったようだ。本当にしっかりした良い楽器だったから、私は長年愛用した。

貸し出してくれて、私は家に2丁の楽器を抱えて帰った。数日後にミルモンに決めて購入、見るもんは弾くもんになった。

その時思ったのは、よくもその工房主が見ず知らずの高校生に楽器を2つも持たせたものだということ。今の価値に換算すると高級車が買える値段。それが2つだから。私だったら絶対に貸さないかなにか人質をおいていかせる。けれどなんのためらいもなく高価な楽器をぽんと貸してくれたのだった。彼の体型と同じ太っ腹、先生から連絡が入っているとはいえ、私の身なりはみすぼらしく見た目はとてもリッチとは言えない。

そこの工房には長くお世話になったけれど、ある時楽器の状態が急激に悪くなった。メンテナンスに出すと工房主は「楽器はわるいとこない、腕が落ちたんやろ(大阪弁)」

頭から湯気が出てそれっきり、そことは緣を切った。その後他の工房で見てもらったら、内部が腐食していた。時々コンサート会場で彼に出会うと気まずそうに大きな体を縮こまらせて、壁に向かって隠れているつもりでいる。見え透いているその肩をポンと叩いて「お久しぶりね、元気?」と言うと、飛び上がらんばかりに気がついたふりをする。それがなんとも可笑しかった。

その後「ガブリエリ」という楽器に出会った。「イ・ムジチ」のメンバーのコンサートでトゥッティーを弾かせてもらったときに彼から譲り受けた。彼が明日成田からイタリアに帰るという前日、彼が前に彈いていた楽器が日本で売れなくて持って帰るという。そのために最初の値段から半額になっていた。なんでも家が火事になってどうしてもお金がほしいという。最初の値段で売ろうとしても見た目が汚いので売れない。半額でどうかと。それでは明日成田に車で送るから一晩貸してと言って、夜中に彈いてみたら手応えが感じられた。見た目汚い、顎当てにカビまで生えている。でもコンディションが悪いにしては、芯に力強いものがある。半額なら買えない値段ではない。買っておいてもいいかも。そしてガブリエリは私のものになった。この楽器も、もう手元にはない。

最近こんな思い出話ばっかり!早くなにか面白い出来事が報告できるといいけれど、まだまだ当分過去の遺産で生きていくしかない。話はどうしてもヴァイオリンのことに戻ってしまう。本当にヴァイオリン彈きになるつもりがなかったのにヴァイオリン弾きになってしまった、やはり好きなんですね。早く楽器で会話がしたい。楽器を弾くにはエネルギーがいる。サボっていると太る。

生ける屍は屍なのに体重が増える、これが謎。







2020年9月16日水曜日

コロナもネットもウイルスが怖い

あまり勤勉な性格ではないのでメールのチェックなどはしょっちゅう遅れる。深夜にメールを見たらフェイスブックからメールが来ていた。M子さんから動画が届いていると。最近私はフェイスブックにもご無沙汰していたから、彼女との交信は久しぶり。あらどんな動画?

興味津々開いてみるとなにやら関係ないサイトに飛んだ。このサイトからあなたの位置情報を知りたいと言ってきていると言うけれど、?なにこれ。怪しいから一度閉じて、それで見つけたのは動画の下にあったメッセージ。

私の使っているパソコンはパソコン本体ではなく、パソコンに繋がったテレビの大画面で見る亊ができる。乱視なので小さな画面だと色々問題が起きる。この大画面にしたら楽々見えるようになった。その大画面に文字の大きさを拡大した画面が映るので、下の方までスクロールしていかないといけない。ちょうど動画の画面が写った大きさだったので、そのまま動画を開いた。だからその下にあったメッセージには最初気がつかなかった。例えばスマホなどで見ればもっと文字が小さいから全体が見えたかもしれない。

そのメッセージにはこの動画を開かないでくださいと。はあ?もう開いちゃったけど、どうしよう。M子さんからのメッセージには緊迫した様子が伺えた。すぐにパスワードを変えてくださいと。

だってだって、そんな事言われたって、私がこの手のスキルが無いことはよく知っているはず。頼みの綱のパソコンの師匠はこの夜中ではぐうすか眠っているに違いない。困った。でも見かけたところフェイスブックの画面に乗っ取られた形跡はない。たぶん開いてから先に進まずブロックしたから無事だったかもしれない。それにたぶんセキュリティーは何重にもかかっていると思う。

彼女にやり方を訊くと色々言ってくるけれど、私の画面と彼女のスマホの画面は違うようだ。様々なことを試してやっとパスワードの変更にこぎつけた。やれやれ、やればできるじゃん。いつもなら色々やっているうちにもっと事態は悪くなるのだが、今回は必死だったおかげで、なんとか出来たようだ。

M子さんもパニック、私もあわあわ、何回かメールのやりとりをしているうちに、彼女からなんで開いちゃったのとメールが来たのでムッとする。私が悪いって言わないでと返信すると、彼女は必死で謝ってきた。パニックになったのでは仕方がない、可哀想だから怒るのをやめて仲直りした。

今朝管理者にチェックしてもらうとWindows Defenderでフルスキャンをするといいと言うのでやってみたら、ウイルスは見当たらなかった。こういう頼りになるサポーターがいるなら安心だけれど、そうでなかったら今頃ハラハラ・ドキドキで胃が痛くなっていた。

パソコンの用語でウイルスが0回見つかったという言い方。面白い。1つも見つかりませんでしたとは言わない。もしインド人が0という数字を発見(発明?)しなかったなら、この世界はどうなっていたのかななんて呑ん気に考えられるのも、なにも被害がなかったから言えるのであって、そうでなかったら今頃ワンワン泣いているところだったかもしれない。

この世界侮るなかれ、うっかり詐欺に引っかかってお金を引き出されたという事件がつい最近あったばかり。ゆうちょ銀行でも見つかったそうなのだ。怖いのは、こういうスキルの高い詐欺師がいても、肝心の銀行や役所が対応できないという現状。真っ先に勉強しなければいけない連中が、出来なくて外部に仕事を発注したりしないことを祈るのみ。

ある詐欺事件で、私の家に警察の知能犯罪係りの担当者が来てパソコンを見ていったことがあった。この高度に整理されたパソコンがこんな老女の使うものとは信じられなかったのではないかと思っている。今回はサポートを受けている安心感が半端なかった。プロはすごい!

もう少し若かったらね、私もプロになれるほど勉強したかもしれない。本当は嫌いじゃないのよ、こういうこと。今はもう手遅れ、残念だなあなんて。でも80才過ぎてパソコンを始めてプログラマーになってしまった女性がいた。もう遅いということはないかもしれないけれど、根が不精だから無理、気まぐれなのもだめ。

フェイスブックは始めてすぐに後悔した。なんだか気持ち悪い男性から友達申請が来て、無視したら絡まれた。やめようと思うけれど、せっかく友達になった人たちとはつながっていたい。結局滅多にチェックしないから、誕生日のお祝いメッセージに気がつかなかったりして逆に不快にさせているかもしれない。やめ方がわからなかったのもあるけれど、昨日のすったもんだでやり方が分かった。これでいつでもやめられると思ったら安心した。安心したら、もう少し置いといてもいいかなんて。やはり不精は死ぬまで治らないらしい。



























 

2020年9月13日日曜日

運転免許証返納

 私ではありません。私の姉が早まって運転免許証を返納してしまった。それで身分を証明する一番便利なものがなくなってしまった。

姉は専業主婦だから今までは携帯電話を持つ必要はなかった。けれど、私と時々北軽井沢に行って私より早く帰るときに、ちゃんと無事にたどり着いたかどうか連絡できないと心配しになる。森の中で一人で散歩して家がわからなくなったら困るし、そういうときに携帯は今や必需品。心配だから携帯を持つようにすすめると本人も必要性を認めていて、買うことにした。

私のパソコンを管理してくれるH氏が、すべての用意をしてくれた。私と同じ機種を持てば、私が使用法を教えられる・・・かな?で、同じ携帯電話器が用意された。手続きに必要な細かいレシピを印刷してもらって、私が姉の後見人として偉そうにショップに出かけた。用意万端ひとつとして漏らしたものはない。身分証明書としては免許証が一番だけれど、姉は返納してしまったので保険証とクレジットカード。その2つがあれば大丈夫。

で、なんとクレジットカードが期限切れだった。あわあわ!

現在そこに住んでいるという証明に使うものが必要だから、電気、ガス、水道などの領収書があればいいと言われても、姉はそんなものをとっておくような人ではない。姉妹ともにいい加減なので。

どうも調子よく亊が進みすぎた。”この”私と”この”姉のコンビニは世の中に怖いものはない。なんでも横車が通ると思っているフシがあって、今まではそうやって生きてきたけれど、流石に最近はそうもいかなくなっている。今は戦後のどさくさ時代ではないからね。

さてどうしたものか。ショップのおねえさんが助けを出した。住民票があれば言うことないんですが。なんだ、それなら最初から住民票といえばいいのに。すぐに区役所に行って住民票ゲット。ついでに食事までしても次の予約時間の1時間前。私が最初に予約したのはその時間だったけれど、おねえさんとしてはこの老女二人がそんなに素早く動けるはずはないと思っていたらしい。どうしても、もう少し遅くしろと言うから言うことをきいたけれど、ほらね、私は普通の婆さんではない、魔女なのだ。今から行っていいかと問うと、大丈夫というからショップに行ってすべての手続は完了した。

おねえさんは「早かったですね、区役所は空いていたんですか?」いつもと同じだったけどね。だって計算すればそんなに時間がかかるわけないでしょう、月まで行くわけじゃないし。

済んだ途端にどっと疲れが出た。使用法を説明しようかと思ったけれど、姉も疲れたから明日にしてと言うから、まだ教えていない。大体、私がうまく説明できるかどうかは不安。

姉は北軽井沢に行ったとき、田舎暮らしをするにはどうしても車は必需品と最近悟ってしまった。車でないと普段の買い物でも重たい野菜などは買うことができない。私がいないときでも買い物に出かけられるし、もう一度免許とりに行こうかしらなんて言っている。免許を取得するのに年齢制限はあるのかな?本当のことを言えば運転はやめてもらいたいけれど、免許証は役に立つ。私のように毎日運転していれば、それほど技術は忘れない。ただし、慎重にしすぎるほど慎重に運転するようにしている。若いものにはまだまだ負けないなんて思い上がりは禁物なのだ。

免許証返納のことについてはこちらの「たまトラ」参照してください。








夏の疲れ

今年はコロナのことでずっと「緊張の夏 」だった。

そういえば最近は蚊取り線香を使うこともなくなった。電子蚊取器なる器具が、あの懐かしいぐるぐる巻の緑色の線香を片隅に追いやってしまった。いまどき蚊帳を釣って寝るうちもないと思うけれど、蚊取り線香と蚊帳は子供時代の懐かしい思い出。蚊帳に入るにはコツがあって、裾の方を少し持ち上げてバタバタと団扇で揺らしながら蚊を脅す。そのへんから蚊がいなくなった頃合いでさっと持ち上げて滑り込まないと、いつの間にか入り込んだ蚊に一晩中悩まされることになる。私達は姉妹3人くらいで一つの蚊帳に入っていたけれど、端っこに寝相が悪いのが来ると寝返りをしながら蚊帳の裾を乱して蚊を招き入れてしまう。夏はかゆい季節でもあった。

今年の夏はとりわけ暑かった。顔はマスクで覆われて、散歩するのも一苦労。あちらから人がやってくると危険とばかりに避けて通る。なんだか嫌なご時世だった。マスクをしないで暴れて飛行機からつまみ出されたお馬鹿さんがいた。なにが面白いのか、あんなことして後で莫大な賠償金を請求されたりしないのだろうか。ああいうことをすると自分が偉くなったと思うのかしら。

コロナの夏は暮らしにくく心が沈むことが多かった。もう我慢の限界とみた友人たちから声がかかる。そろそろ合わせに来ない?先日のレッスンで口元を覆うプラスチックのマウスシールド?とでもいうのか、医療用のものを頂いたのでつけてみた。今まではマスクかフェイスシールドを使っていたけれど、口元を覆うだけのほうがメガネが曇らなくて、とても使い心地がいい。それで、やっとやる気が出てきた。少し涼しくなってきたのも幸いして、ヴァイオリンをゆっくりと再開、思ったほどのダメージが無い。楽器はいつも除湿機に守られていたおかげで調子がいい。

もうヴァイオリンを弾けなくなるのではと思っていたし、体調もイマイチで眠ってばかりいた。毎日どれほど寝ても疲れが取れないような気がする。心が元気でないと体は目を覚まさない。なにかやっているときには動けるのに、それが終わるとだるくて辛い。年齢からいってもこんなもの?と思っていたけれど、なにか目的ができるとまだ動けそうなので、もう少し頑張ってみようかと思う。考えて見ると、毎年このブログで、秋になると同じようなことを書いていたような気がする。マンネリだなあ。

いつ頃かわからないけれど、夏が苦手になった。若い頃の夏はウキウキとした季節。炎天下に外出するのも全く苦にならない。日が沈む頃、やっと涼しくなった外へデートにでかけたりもした。私だっていくつかは華やかな思い出があるのよ。駐車場の猫たちの会議に参加したのだろうって?まあ、失礼な。それが今はもう暑さに耐えられない。どんな素敵な王子様に誘われてもクーラーの無いところへは行きません。その前提の部分がまず無いから心配することもない。

一人で何をやっているかと言うと「孤独のグルメ」のヴィデオを見ている。知らなかったけれど、あのシリーズはたくさんあるので、なかなか見終わらない。食事のときに見ながら食べると、一人ぼっちご飯が楽しくなる。実に美味しそうに食べる俳優さん。痩せているのにものすごくよく食べる。それに釣られて私もよく食べる。それで目下の悩みは体重が減らないこと。お腹の周りがメタボ寸前。検診ではいつもセーフだけれど、ウエスト周りが入らなくて着られない服が数着。痩せたら着ようと思っているのにチャンスはこない。






2020年9月10日木曜日

パヴァロッティ

 太陽のテノール、ルチアーノ・パヴァロッティのドキュメンタリー映画を見てきた。日比谷TOHOシャンテで上映中の映画、美容院で隣にいた友人が見てきたけど面白いよ、と言うから今日が最後の日なので大急ぎで見にいった。今日は姉に携帯電話の契約をしてあげると約束していたのにすっかり忘れて日比谷に駆けつけた。

コーラスをやっているのに、このところコロナのせいで練習もできないという友人がいるので、誘ってみた。冒頭はアマゾンの川をボートで渡るパヴァロッティの一行。100年前にエンリコ・カルーソーが歌ったというブラジルのオペラハウス「テアトル・アマゾナス」で歌うために。私的な行動だったのでホームヴィデオでの撮影、閉館していた会場を開けてもらい、ピアノ伴奏だけで歌うパヴァロッティ。のっけから、その声量と輝きに圧倒される。

伝説的なハイCのなんと軽々と無理なくでることか!まさに世界のテノール、過去も未来も、こんなテノールが出ることはないと思われる。そして音楽的に優れているということは人間的にもそうであると証明できるような彼の人柄が浮き彫りにされる。

最初の妻の話、娘たちとの関係、かれらからどれほど愛され頼りにされたかということ、特に娘の一人は筋肉硬化症で闘病生活をしたときにどれほど父親から慰められたかと話す。音楽だけでなく人生を生きること人を愛すること、それを表現できることが彼をただの天才としてでなく、神に愛された天才としてこの映画は描いている。もちろん数々の映像から、それらは作り事ではなく、彼の類まれな人柄が伝わってくる。

かれは世界中を公演して周り、その間家族とは会えない。その隙間を埋めるような彼の秘書の女性との恋、彼の奥さんのことを思って身を引いた秘書との別れ、その後35歳年下の女性と恋に落ちる。そして前妻と離婚、再婚したことによってカトリック教会から非難され、声も衰え、イタリアでの名声は落ち込んでいく。彼の活動はオペラだけでなく、ロック歌手との交流や共演もあり、それもクラシック界からの反発を招いた。しかし、これらは軍事的な犠牲になる戦地の人々のためのボランティア活動の一環でもあり、クラシック、ロックとジャンルを問わない彼の心の広さでもある。

今回この映画を見るまではパヴァロッティについてはあまり良く知らなかった。私の長年のもっぱらの関心は、世界3大テノールの一人、プラシド・ドミンゴだった。けれど、ここでパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスと3人並べてみると、圧倒的にパヴァロッティの凄さがわかる。本当の天才とはこのように自然に歌えるものなのかと、驚きをもって聴いた。

オペラフリークのわたしは、オペラのアリアを聴くとたまらない。涙が溢れて止まらなくなるという悪癖がある。最初から最後まで、悲しくもないのに泣いていたので、マスクがぐしょぐしょ。欲を言えば、もう少しちゃんとアリアを聞かせてほしかった。どの曲も一部分だけで終わるのがたいそう不満だったけれど、聽き始めたらオペラ全部が聽きたくなるだろうと思うと、ドキュメンタリーではこの辺がサイズとしてはよろしいのかもしれない。

亡くなる前に奥さんが娘のためになにか書き残してほしいと頼むと、彼はそれを断った。書き残すことによって娘がそれに縛られてはいけない。娘の人生は自由であるべきだという理由から。

これに感動した。なんという大きな人柄、それは娘に対する無限の愛だと思った。食べること、愛すること、歌うこと、イタリア人の3つの信条をこれほどまでに具現した人は他にいるだろうか。私の胸は感動で震えている。

子供の頃、家にあった古い手回しの蓄音機で私はカルーソーの歌を聴いた。そのカルーソーを尊敬してブラジルのシアターまでわざわざ行って歌うほどの尊敬を表したパヴァロッティは、しかし、私が聴いた限りではかるく彼を超えていると思った。古い録音技術も良くないレコードではカルーソーが気の毒だけれど。

帰り道でたまたま今日約束をすっぽかした姉と出会った。急に映画を見に行ったのですっぽかしてごめんと言うと、あら、約束は明日だったでしょう?と空っとぼけた姉の返事。姉妹揃ってのボケ老人。世はすべてこともなし、ですか。







2020年9月8日火曜日

のら大喜び

 アンサンブルのメンバーは焼き肉パーティーが終わって、近所の農園経営の野菜売り場でお土産の野菜を買って帰っていった。私はもう一晩泊まってから帰るつもりでゆっくりしていたけれど、ふと、今夜のうちに帰ったほうが良さそうだと思った。そうすれば明日一日自宅でゆっくりできる。なにか帰ったほうが良いという本能的な勘?かもしれない。台風の影響がどうなるか心配なので、思い立ったらすぐに荷物を積み込み出発。

まだ20時を少し回った頃なのに施錠して玄関の外灯を消すと一寸先も見えないから、車の室内灯を点灯して僅かな明かりで動く。暗いのは構わないけれど、霧が心配だった。案の定、峠の急カーブ続きの下り坂は霧に包まれて先が見えない。慎重にゆっくりと下る。このへんで、やはり明日早朝出ればよかったと後悔し始めたけれど、なんとか霧を抜ける。高速道路に入った頃には霧はやっと退散してくれた。少し雨模様だけれど、穏やかなドライブとなった。こんな天候なので走る車が少ないのも良かった。たぶん、明日になると台風が置き土産になにか悪さをするに違いない。今日帰って正解と思った。ケージの中の猫も相当疲れたらしくニャンともスンとも言わず寝ている。

こういう勘も長年車の運転で旅をするのになれているからだと思う。高齢者から免許を奪おうという動きの中で、私は免許がないと生きていけない、そんな人もいるのをお忘れなく。

免許をとったばかりのころは相当無茶だったけれど、最近はとにかく慎重に運転している。事故はいままで一度も起こさなかった。もちろん自損事故といっても軽いものだけれど、縁石にタイヤを擦ったり、電信柱に頬擦りをしたりはしょっちゅうやっていたけれど。

夜中に車を駐車場に入れると、矢のように飛んできたのは私のノラ。待っていてくれたのだ。彼女は私の車を覚えていて、車で帰宅するとどこからともなく現れる。もう抱っこができるほど馴れてきたので家に入れようとするけれど、そこから先がうまく行かない。わかっているのだ。外で私に抱っこされるのは安全、だけど、あの玄関入るのは未知の世界、なにが待っているかわからない。キャットシッターをお願いした上の階の人は几帳面だから、ちゃんと餌を与えてくれたようで、ノラはこの前のようにやつれてはいなかったのでホッとした。

ノラ、ノラと言うけれど、もしかしたら半分飼い猫かもしれない・・と思うのは、ノラにしては毛並みがきれい。人懐こい。あまりガツガツしていない。うちに来るのは自分好みの餌が提供されるからであって、自宅に帰れば餌がもらえるとか?まあ、どうでもいい。今の所は、うちのノラ、そのうちに飼い主のもとに帰るかもしれないし、もしかしたら我が家の飼い猫になるかもしれない。

北軽井沢の家ではテレビが見られないので久しぶりにテレビをつけると、列島各地とんでもないことになっていた。台風の通過点ではないところでも風が吹き荒れたり大雨が降ったりしたようだ。森の中で嵐の音を聞きながら停電でもされたら怖い。やはり帰ってきて正解だったかもしれない。さすがに疲れていたようで、お風呂から出てベッドに横になった途端ぐっすり。朝まで眠り、朝食後もすぐに眠り、夕食後もすぐに眠った。

することは眠るのみ。私は眠り猫。一緒に眠りこけていた猫は今朝はスッキリ。起きている間中猫じゃらしで遊べとうるさい。どうやらこの猫じゃらしが引き金となって、彼女は世の中に遊びというものがあることを知ってしまったようだ。浅間牧場のススキをお土産にしたときには、猫じゃらしどころでない興奮状態だった。ニャン生の後半で覚えた遊びは質が悪い。老いらくの恋ならぬ老いらくの遊び、このさき私は彼女の家政婦兼パーソナルトレーナーとしてこき使われるのか。

猫なら何でも許す。私は前世、エジプトで人間に初めて飼われた猫のお世話係の子孫かもしれないなんて、ネコ好きは皆そう思っているらしく、追分の友人なんぞは猫の食事の世話があるからと言って、目の前で美味しそうな匂いがしていてもさっさと帰るくらいなのだから。猫の魔力恐るべし!














2020年9月7日月曜日

アンサンブル・フリーク

こんな森の中まで来てくれたのは弦楽アンサンブルのメンバー。悲しいことに今回は全員とはいえない少人数になってしまったのは、もちろんコロナウイルスのせいで公共施設が使えなくて練習場所の確保ができなくなったこと。この弦楽アンサンブルとその関係者からは感染者は出ておらず、彼らは非常に良識のある人たちなので予防には協力的。だからと言って絶対安全とは言い切れないけれど、少なくとも感染を怖がるということがまず大事なのではと思う。

自分は絶対に感染しない、感染するのは怖くないなどという人はちょっと敬遠したい。私は最初のクルーズ船の報道を聞いた時から怖かった。これはただ事ではないと思った。決して近寄ってはならないとも。

森の中の家の今回の訪問者たちは元気溌剌、私が以前講師をしていた音楽教室の教え子たち。同じメンバーでこれほど長続きするのは珍しい。途中で多少のメンバー交代があったけれど、ほとんどの人たちが辞めないでいる。なにか決定するときも全員が意見を言える雰囲気なのが長続きの理由かもしれない。

自宅から車で来る人、新幹線で軽井沢からレンタカーに乗り合わせてくる人などがニコニコ集合。それと追分に住むヴィオリストの友人も加わってくれて、このノンちゃんの家に音楽が鳴り響いた。この家は吹き抜けと木の壁で、とても良い音がする。ノンちゃんはこの家で小さなコンサートを開くのが夢だった。けれど、ノンちゃんが生きているうちは私は忙しく仕事をしていて、ノンちゃんの夢をかなえてあげられなかったのが悔やまれる。

家中の窓を全開にしても、どこからも苦情はこない。森の動物はびっくりしていたかもしれない。みなマスク着用。鬱陶しいけれど仕方がない。今回流れてしまった発表会で弾く予定だったドヴォルザークの弦楽セレナーデがメインで、今年弾けなかった分の楽章と来年予定していた分を合わせて初見で譜読みしたり、出来上がった楽章を通して弾いて彼らの力量がたいそう上がったことを示した。

以前だったら初見はおろか譜読みしてきても、最初はガチャガチャ。私の言う「この世のものとは思われない音」で、終始した。今はこうして初見でもなんとか曲がまとまって通して弾ける!これはたいした進歩です。個々人の技術が上がったのと、アンサンブルを心から愛する気持ちの表れ・・と言いたいところだけれど、彼らの目的は練習後の飲み会にあるような気がしないでもないこともあるかもしれないかも、むにゃむにゃいやはや・・・・飲むために弾く、それでも良いのです、音楽やワインを愛するのは生きることを愛すること、人生の質を豊かにすることと通じるので。

彼らは音楽も人生も愛することに長けていて、鬼教師の罵詈雑言を耳をスルーさせる技術にも長けている。一般社会ではエリートクラスなのに、こんなことでなぜ叱られなければいけないのか、疑問に感じることもなさそうな。たぶんそういう我慢強さが彼らをエリートに仕立て上げたのかもしれない。みんな偉い!

午後からたっぷりと弾いて、近所の食堂のテイクアウトのお弁当が夕飯。大いに飲んだあとは大騒ぎしながら暗い森を抜けてホテルに帰っていった。懐中電灯の光で照らしても足元が覚束ないほどの真の闇。都会で暮らしたらおそらく絶対にお目にかかれないほどの。もっとも闇ではお目は役立たない。

楽しそうだなあ。取り残された私はしょぼん。うるさいので押し入れにずっと隠れていた猫はニコニコ。

次の朝はもう一度昨日の復習と次の楽章の初見、驚いたことにその後、3つの楽章を通して弾いた、弾けてしまったのだ。今回、彼らは遊びにきたのだと思っていた。けれど、目的はレッスンだったらしい。私はレッスンをしないで一緒に楽しく弾いていたけれど、彼らはそんな時間の無駄はしない、あくまでもエリート族の態度なのだ。あらま、それは失礼しました。それならいつもよりずっと手ぬるかった。ビシバシしごけばよかった。しかし、フィンランドのようなと言われるこの美しい森の中で、教師の理不尽な言いがかりを聞きたいとは物好きな。

シメはバーベーキューと思っていたらあいにくの雨で、家の中で焼き肉に早変わり。大勢で食べるご飯は美味しい!!!!








2020年9月4日金曜日

浅間牧場へピクニック

 昨日はやや曇り空だったけれど、今朝は目が覚めたら素晴らしいお天気。今9時半の時点で雲一つない晴天。今「くも」と入力したら変換予想で「くも膜下出血」と出た。なんじゃこれは。縁起でもない。午後から雨の予想もあるというので晴れているうちに浅間牧場に出かけることにした。軽井沢のY子さんがお弁当を作ってきてくれるそうで、私はキャベツとパプリカをレンチンしてドレッシングであえて待っていた。

それにしても暑い!湿度が高いので余計感じる。

今年の暑さで思い出すのは、今から約30年ほど前。私はそのころ仕事で悩んでいた。今でこそ人前で弾くのはうれしいし練習さえ完璧にしてあれば、それほど緊張しない。しかし、そのころは私は弓を持つ方の右手が震えるという悪癖があった。時によるとオーケストラの中でそのことが原因でやめてしまう人がいるくらい、一種の職業病となっていた。たぶん私たちは基礎的な技術を学べなかったのだと思う。当時は教師も弟子も技術的には手探り状態で、日本の技術教育がいかに遅れていたか、そういう人が多かった。その中の一人がこの私だった。

自分で悩みぬいた末、様々な練習をしては失敗したり、静かな長い音を出すときは白い音符の2分音符や全音符を見るとか顔が青ざめることもあった。今の人たちは最初から良い技術を教えられ、物おじしないためにそういう人は、まず、いないと思うけれど。戦後のどさくさでちゃんとした技術が教えられない教師も中にはいたということで、時々無理に変な形での運動を教えられたものだった。まして私の様に最初からヴァイオリン弾きになるつもりのない子供にとって良い教師に巡り合えるはずもなく、見様見真似、ほとんど独学と言ってもよいほどのひどさ、それでいざステージに立つと緊張して腕が硬くなり震えてしまう。ただし、海外の一流オーケストラでも弓が震える話は聞くから、技術だけでなくメンタルのせいかもしれない。

そんなことで悩んでいたので私は瞑想を始めることにした。なんとかメンタルを強くしないとこの悪癖は治らない。長いセミナーを受けてようやく震えは収まった。瞑想を始めたその年の夏は、今年の様に異常に暑かった。一般家庭に今ほどエアコンが普及していなくて、私の家もそのうちの一つ、ある時瞑想をしていたら意識は瞑想状態に入っているのに暑さはちゃんと感じる。これを通り過ぎれば暑さも我慢できるのだと思うけれど、まだその域に達していない。すると私の中からもうひとりの私が抜け出て部屋のドアを開けに行ったのだ。

そこで本当にドアが開いたのならオカルトだけれど、実際は開かなかったからまだまだ修行が足りなかったようだ。よく言う幽体離脱?瞑想を始めて2回ほど体験をしたことがある。瞑想をしている自分を上から見下ろしている自分。あらあら、足が開いているじゃない、みっともない、なんて思っている自分がいた。わたしの場合どこまでも色気がないのが残念なところ。

私の人生でとても役に立ったのが瞑想だった。心がいつもざわついていて毎日の仕事があまりにも忙しく、自分を見失うことが多かった。そんなときに瞑想状態に入った時の心の静けさを思い出すと胸からつかえが落ちるようだった。その後の仕事でも世間の風は強かったけれどなんとなく乗り越えられた。音楽事務所の社長によく言われた。「nekotamaさんは打たれ強いねえ」自分の息子くらいの人たちと仕事をしているとなかなかシビアな場面になることが多い。彼らにしてみれば、私がいつまでも仕事をやっていることが自分たち世代の仕事を減らしていると思っている。椅子が一つ空けば若者が一人仕事にありつけるのだ。

そろそろ引退なさったら?なんて言われることもあった。それでも仕事は来る、私に頼むのは今までの実績があるからと自負してありがたく引き受けることにしている。今やっと仕事から離れてこうしてピクニックを楽しめるのも、その時々を精一杯に生きたから、しかし、幽体離脱したもうひとりの自分は言う。あなたねえ、お気楽で使いやすかったのよと。自分の力量を知っているから威張らない、ギャラについて文句は言わない。遅刻しない。使いやすいよね。

さて、本題の浅間牧場へのピクニックは大正解。気持ち良い風が吹き抜ける牧場は日差しが強く牛さんたちはほんのわずかの木陰に丸くなって集まっている。一面の草原で木が少なく、日差しは容赦なく照り付ける。丘の上のあずまやに数人人が集まっている。ここしか日陰がないから、私たちもちょっと失礼して腰掛けさせてもらった。空はすでに秋の色、雲が沸き立って間もなく雨になりそうな。Y子さんのお弁当はおかずが少しずつ、いろいろな種類が入っていて、おいしかった。特に野沢菜の漬物を炊き込んだごはんが最高!こういうところで食べるのは久しぶりだけれど、本当に良い。

コロナでこういうことを再認識した人が多いようだ。私たちもずっと以前に忘れてしまったほんの小さな幸せを今自分の手に取り戻そうとしている。


2020年9月3日木曜日

頭が重い

夜明けの陽が木々の間からキラキラと、まるで宝石が光を放つように輝いている。今日も又美しい一日が始まる予感。しかし、それは午前中までのことだった。午後になると曇り空となり、低気圧に弱い私は頭が重い。明後日から生徒たちが集まってくる。コロナや台風や様々な障害があって、人数が減ってしまったけれど、私の北軽井沢生活をのぞこうという魂胆で。 我が家は手の消毒やマスク、フェースシールドなど完備して待ち構えている。最近は人に会うのも決死の覚悟。いつまで続くのか。

彼らは近くのホテルに泊まって、楽器を持ち寄って我が家で遊ぶという。以前、私の生徒たちが毎月のように集まって楽器で遊んだ名残なのだ。なんでもいいから一曲ソロを弾かないと飲ませないよと脅かして弾かせる。そのあとは楽譜を初見で弾いてアンサンブルをした。それがあまりにも面白かったので、ついプロになってしまった子がいたくらいで。

これはアメリカで勉強したチェリストの話にヒントを得たものだった。あちらではね、オーケストラの演奏会が終わってからだれかの家に集まってサンドイッチパーティーというのをやるのよ。その場でメンバーを組んでアンサンブルをしたり、飲んだり食べたり、すごく愉快だった・・という話を聞いた。そいつは面白そうだわい。で、やったら本当に面白かった。

生徒たちがバーベキューをやりたいというので、今日は浅間ミートまで買い物に出かけた。この精肉店は安くて品質が良いという評判のお店。だいぶ以前になるけれど、お隣さんの車に乗せてもらって一度だけ行ったきり。初めて一人で行くので道がわからずカーナビをセットした。最後の目的地に到着したという案内の後は、シーンとしているナビ。これじゃわからん。

その辺で出会ったお嬢さんに訊くと、感じよく対応してくれる。この辺の人たちは今まで一度も嫌な思いをしたことがないくらい穏やかな雰囲気なのだ。そしてやっとたどり着いたお店にはいきのいいお兄さんが二人、これこれの人数でと頼むといろいろ考えてセットしてくれた。生徒から先生はなにもしないでいいですと言われていたから、もしかしたら肉も用意してくるかもしれない。重複したら冷凍しておけばいいから、余計なお世話と知りつつ余計な手出し。だって、一人でずっと森の中。もう退屈で退屈で。

本当なら大勢で発表会に向けて合宿をする予定だった。それがコロナで公共施設が使えなくなり発表会も中止、それで合宿も中止となっても彼らは少人数でこんな山の中まで来てくれようという。ありがたいのと心配と半々だけれど、とてもうれしい。森の中の別荘地は閑散としている。窓を開けて騒いでも差し支えはないと思うけれど、万一苦情が出たら窓を閉めないといけない。換気扇フル稼働で。今年の暑さはここ北軽井沢でも半端なく、この先もこういうことがあるといけないので、エアコンを入れることにした。

電気屋さんに訊くと、今年は今頃になっても軽井沢ではエアコン設置の注文が殺到していて、大変忙しいらしい。だから最初からエアコン入れてくれればよかったのにと口の先まで出かかったけれど、電機やさんもこんなことは初めてで、除湿器で十分と考えたのだと思う。費用も安くすむから。この先又涼しい夏が続くようだと余計な出費になると思うけれど、最近の気候の激しさを見ると、たぶん入れて正解。森の湿気がすごいので、エアコンはやはりほしい。

電子ピアノも置きたいし、なにかと用事が多いのに私の行動力は日に日に衰えていく。周りからせかされてもなかなか動きだせない。まだ午後5時なのにあたりはもう暗くなってきた。これから秋が深まってこの辺は素晴らしい紅葉の季節になるけれど、今年は人が来てくれないからすごく寂しい。去年はスキーの仲間でクラブの会長のお誕生祝のバーべキューをしたのに、今年はそれも実現できるかどうか。せっかくみんなの遊び場としてこの森の家を確保したのに。ぐちぐちぐちぐち・・・

肉屋さんを出ての帰り道、カフェを見つけた。コーヒー飲みたい。車をよせると中から人が出てきた。ここも人が少なく閑散としているようで、もしかしたら私が今日最初の客?周りは畑に囲まれている。嬬恋のキャベツの生産地なのだ。店の人が嬉しそうに話しかけてくる。お酒お好きですか?

え、お酒?なるほど店内には珍しいワインやビールが並んでいた。ポルトガルから輸入するという。レミー・マルタンの大きい箱が4000円。おや、安いじゃないですか。昔レミー・マルタンと言えば超高級品だったのに。

コーヒーが飲みたいというと大きなカップになみなみと淹れてくれた。彼のお母さんが焙煎したのだと言うからお母さんはこの辺に住んでいるの?と訊くと、いえ、大阪です。そんな他愛もない会話が弾んで、この辺りではみな人恋しいのかなと思った。人が少ないから、会話もあまりできない。口の筋肉が緩んでしまう。コーヒーを飲み終えて、せっかくだから北欧の熟成ビールとやらを一本買ってきた。

少し車を走らせるとそばや発見。コーヒーが先で食事が後になってしまったけれど。立ち寄るとまたもや客は私独り。お蕎麦は甘みがあっておいしかったけれど、なんだか盛り上がらないこと甚だしい。私は一人で遊ぶのはとても好きだし大勢でいるよりも行動が縛られないからいいのだが、いつも一人では面白くない。早くみんな来てくれないかなあ。

夕方、少し日差しが戻って、今日も美しい夕暮れになった。心なしか頭の痛みのが軽くなったような気がする。この次来るときはだれか、首に縄付けてしょっ引いてこよう。











2020年9月2日水曜日

森の中で

森の中で太い犬の鳴き声が聞こえる。大きな犬が向こうから来て思わずうれしくて握手。 飼い主さんは飛びついてはダメというけれど、犬に飛びつかれないと会った気がしないから、私は喜んで飛びつかれる。犬の声がするから、我が家の猫は恐怖で目が真ん丸になる。ここに来ても押し入れに閉じこもっている。

高速の軽井沢で降りた時には小雨か霧雨だった。急カーブを上り詰めると長い下り坂が続く。森の中の家に到着して窓を全開にすると、明るい陽が差していた。去年までは雨ばっかり、雷もひどくおまけにセミの鳴き声がやかましかった。今年は数週間前に来た時も珍しく晴天続き。今回も台風接近の情報があるのに、まだ晴れている。晴れ女復活の兆しかな?

今朝3時に目が覚めて、これ以上寝ると一日眠くなるからと思い、出発することにした。世間は寝静まっている。駐車場に行くともう野良は餌を待っていた。前回餌やりを頼まずに出かけたら1週間後、やせていたから今回は上の階の住人に餌やりを頼むことにした。上の階の女性は大の猫好き。あまりにもまじめで手を抜かないから、うっかりお願いすると疲れてしまうらしい。それでも喜んで引き受けてくれた。何やかやで出発は5時、到着は8時ころ。道路は空いていたし、時々雨模様ながらひどくはならず、快適に走ってきた。最初のころより時間は短縮されてきた。道路状況や渋滞の予想で、この時間に出るのが一番効率的と見た。

帰りは夕日を見ながらが一番よろしい。ちょうど夕方のラッシュが過ぎたころ高速を降りることになる。そんな経験を積み重ねてきたのと車が新しいのが運転をさらに楽にしている。車などの機械類は10年も経つと驚くべき進化をする。前に乗っていたシルフィーはとても良い車だった。まだまだこの先10年くらいは乗れると思ったけれど、いざ新しい車に乗ると今までの安全性が嘘のように感じられる。本当に安全になって運転しやすい。

若いころならまだ乗っていたかもしれないけれど、もう自分に自信もないから、ある程度機械にやってもらったらいい。猫もドライブに慣れてきて、最初のころはずっと大鳴きに鳴いていたのに、最近はすぐにおとなしくなって寝ているようなのだ。声を出さなくなった。

追分の友人に電話するとランチを一緒に食べようということになり、近所のハコニワ食堂に行くことになった。ところが食堂は閉まっていた。ご主人に電話すると定休日だそうで、あちゃあ~!みんなここの料理がだい好きなのだ。それで旧北軽井沢駅舎のある場所近くの定食屋さんに行ってみた。ソースカツ丼というのがあるので二人ともそれを頼んだ。これが大当たり!

カツがすごく柔らかい。難を言えばせっかくキャベツの産地なのにキャベツが少ないこと。ごはん減らしてもキャベツが食べたかった。北軽井沢のキャベツは本当に安くておいしい。先日自宅のほうでキャベツを買ったら、あまりにも硬くて高くて泣きそうだった。

その後の台風の情報はと言えば、今発生している二つの台風が合わさると、とんでもない大きさになるらしい。はたして私は帰宅できるのかしら?こちらには来ないでほしい。



2020年9月1日火曜日

涼しくなったから

涼しくなったから避暑地に行こう。アハハ、なんだか変。

猛暑のときにはなにかと自宅の方の用事があって、ふうふう言いながら都会で暮らしているバカバカしさったら、なんていうと、今現在企業戦士として汗だくで働いている人たちには申し訳ない。でも私だって後期高齢者になるまでは、暑かろうが寒かろうが、台風が来ようが、必死で働いていたのよ。楽しかったけどね。

本当に何が面白いって、飛行機に乗れる、見知らぬ土地に行ける、その土地の食べ物が食べられる、好奇心以外なんの持ち合わせもない猫としては、こんな面白い数十年はなかった。誰かに分けてあげたいような、自分だけ楽しみたいような。

今でも自宅以外のところに行くのはすごく嬉しいけれど、このご時世だからどこにも行けない。自宅玄関から車に乗り込んで、森の中の一軒家の玄関にするりと入り込み、何食わぬ顔で暮らして、数日後にはドアツードア。また自宅に猫さんとお籠り。さっきつくづく外国に行きたいと思った。もう何年も行っていない・・・と思ったら、つい数ヶ月前にはヨーロッパの雪山滑っていたんだ。来年は行けるのかなあ、だめだったらもうスキーは滑れなくなってしまうかも。足腰が弱ってきているので。

やっと北軽井沢に行けるので、また明日の早朝、車を走らせる。台風が発生しているので滞在予定の来週月曜日までは良いお天気は望めそうもないけれど。食料の殆どは自宅から持って出るけれど、滞在中の野菜だけはあちらで買う。野菜の美味しさと言ったら、月とスッポン。北軽井沢のキャベツの美味しさったら!軽井沢の有名なスーパーは大賑わいだから、買い物をしたくない。わざわざ人混みに行く危険は避けたいので。ひっそりと森から森へ、まるでコウモリのように渡り歩く。しかし、そろそろこんな言い訳しないでも大手を振って北軽井沢に行けるようになってほしい。

仕事は超楽しかったけれど、同時に絶え間ない緊張感に悩まされていた。ワクワクドキドキハラハラ、ジェットコースターに乗っている気分。様々なチャンスに恵まれて、国内外の名人たちとも度々お手合わせさせてもらった。なんで私のような下手くそがこんなすごい人達と一緒のステージに居るのかと不思議だった。それは幸運としか言いようがない。なにか手元に引き寄せるパワーがあったのかもしれないけれど、その人達から得たものは計り知れない。

今、毎日のんきに家にいると、そこはかとなく罪悪感を感じる。人間こんなに何もしないでいて良いわけ?と。根っからの仕事人間になってしまっていたのだ。もともとはそういう性格ではなかったはずなのに。一日中ぼんやりと雲を眺めていられる性格だった少女時代。私だって少女だったころもあったのよ。想像できないでしょうけど。

それでもなにか始めると止まらない。小学校6年生の夏休み読破した本が約100冊。しかも大人の文学書ばかり。一日3冊読み切ってしまう。蚕が桑の葉を食べるようだった。殆どが長姉の蔵書だった。他に自分で買ったり図書館で借りたり、よくそんなエネルギーがあったものだけれど、思い出すと若い頃というものは、今では到底できないほどの行動力があった。考えるより先に行動していたものだから。読んで読んで読みまくって、それならそんなに内容は覚えていないだろうと思うのに、ちゃんと覚えている。感動したのはドストエーフスキー。本当にわかっていたのかと後年おとなになってから読み返してみたら、小学生時代そのままの感動だったのには驚いた。そこで私の成長は止まっていたのだ。だから今でも子供っぽいのはそのためらしい。

大人になってからは馬に乗ったりスキューバダイビングやったり、相当なお転婆だった。今ではもう椅子から立ち上がるのもどっこいしょ。こうなってしまうのかと自分でも呆れている。三浦雄一郎さんのように80過ぎてもエベレストに登るなんて、信じられない。セサミンのおかげ?アハハ、テレビ見すぎ。

スキーだけは来年もやりたい。当面の計画は、原書のハリー・ポッターを読み終えること。今最終巻の7巻目に突入したばかり。読み終わったら豊島園の跡地にできるというテーマパークに先生のルースさんと一緒に行こうと約束していること。それが終わったら、終わっちゃったらどうしよう。