2013年5月10日金曜日

美味しいピアノ合わせ

今日は優秀な2人のピアニストを私が独り占めにしての練習。贅沢だなあ。その割には練習不足ですまん!荻窪の大きなすてきな部屋の持ち主のOさんと、すぐ近くにすんでいるSさんと私は同級生で、毎月の「弾く会」のレギュラーメンバー・・・6人しかいないので、毎回全員参加という出席率の良さを誇っている。そのOさんの素晴らしいお宅は、お姉様ご夫妻とOさんの3人になってしまって、あまりにも広すぎて大変だというので、今年改築される。土地を2等分しないと相続の時にいろいろ不都合が生じる。それで減築をして土地の半分に家を寄せてしまうらしい。大きな家は少し縮小されるが、そのかわり広いお庭ができるから、きっと気持ちの良い暮らしになると思う。そんな訳でOさんは今忙しくてピアノを弾くヒマもないのだが、以前から取りかかっていて諸々の理由で中断していたリヒャルト・シュトラウスの「ソナタ」の練習を再開した。それも建築が始まると又中断すると思うが、出来るだけの事はやっておきたい。一通り練習をしているうちにSさんが合流してベートーヴェンの「ソナタ10番」これも途中コンサートなどが入ったために中断していた。若い頃のように馬力で飛ばせないから時間はかかるけれど、本当によく音楽がわかるようになってきた。ベートーヴェンが好きになったというのもSさんにせっつかれて何曲も弾いたから。友人達がいなければ私は今頃、ぼんやりとテレビを見て居眠りをしているようなおばさんになっていたことだろう。練習が終わると今日の本当の目的は中華料理なのだ。Oさんの家のほんの3分ほどの処に小さな中華料理店がある。マスターが一人で調理から接客まで大忙し。開店と同時に次々と席が埋まって、10席ほどしかない店は満員状態。これはすごい。こんな住宅街の真ん中で平日、駅も遠い処のお店がこんなに繁盛しているとは。食べてみると理由はすぐにわかった。素材がいい、火の通し方が最高。最近こんな美味しい物は久しぶりなので、次回の練習予定もすぐに決まった。今日と同じ時間帯で、練習が済んだらここに直行することにした。食べるのがメインで練習は付け合わせ、やはり最後に勝つのは食い気のようだ。

2013年5月8日水曜日

新緑に寄す

ケアハウスの中での小さなコンサート。一昨年の春から時々訪問演奏をしている。ピアニストのSさん、ヴィオラのFUMIKOさんと私の3人組。春、秋、クリスマスの頃と季節の変わり目毎にテーマを決めて、それに合った曲目を持って行く。今日は新緑の美しい季節に合う、元気になる曲を取りそろえた。木々に囲まれた中にハウスがあって、大きな窓からあざやかな緑が目を楽しませてくれる。今日は特にお天気も良くて暖かく、弾く方も聴くほうも元気いっぱい。皮切りはハイドン「トリオ」クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」ショパン「ノクターン」「子犬のワルツ」ヘンデル/ハルボルセン「パッサカリア」ピアソラ「リベルタンゴ」モンティ「チャルダッシュ」アンコールは「浜辺の歌」
コンサートが終わって、会場に来られなかった人の部屋で短い曲を弾いた。まだ若く美しいその女性は、体中が痛く起き上がることが出来ない。ベッドの足下で弾き始めると涙を流して聴いていた。突然の依頼だったので限られた曲しか出来なかったが、こうとわかっていれば色々用意をしてきたものを。次回はこのひとのためになにか優しい曲で伴奏のいらないものを用意しなければ。帰りしなに手を出して握手をすると、細くて白い手は意外に温かく、早く良くなって再会を果たせるように祈った。
最近よく人の生き死にについて考える。もし今私が死んだら・・・もっと長く生きているのも、今死ぬのも幸せのスケールは変わらない。長く生きるから幸せとは限らない。死んだ人を悼むのは残った人のためであり、死んだ当人はそれが不幸であるとは限らない、というようなことを。生き生きと萌える新緑も秋になれば落ち葉となって散っていく。それは死ぬように見えても、次の春のための準備なのだ。人の死は転生するかどうかは知らないが、少なくとも大きな人類の輪から見れば、個人の死は落ち葉のひとひらのようなもの。私にとって「死とは?」は子供の頃からの命題だった。子供の頃は眠りにつく前にいつも布団の中で、「死ぬってどういうこと」か考えていた。今は布団に入った途端に熟睡するから考える暇もない。してみると私に限って、幼少時の方が哲学的だったのだ。成長するどころか、私はずっと退行しているらしい。残念ながら。

2013年5月6日月曜日

ナマケモノ

健康のためにと思ってウオーキング再開。しかし、今日整体に行ったら「腰が良くない」と言われた。私も歩き終わるとなんとなく体のバランスが崩れてしまうようで、気分が良いことよりも疲れがたまることの方が多い。この半年以上、寒いの花粉のと理由をつけては歩くことをサボっていたが、別に体調は悪くなかったし、去年あんなにも痛かった左足の股関節もすっかり良くなった。しかも足腰が弱っていない。階段なども走って上がれる。ところがウオーキングを再開したら、なんだかむくんだようになって寝起きも良くない。根っからのナマケモノにできているのでしょう。そうそうナマケモノと言えばこの動画、ナマケモノがこんなに感情豊かだとは知らなかった。いかにも愛おしそうな表情。動物は種類を問わず可愛い。



猫のサイトはこちらへどうぞ。

2013年5月4日土曜日

お見苦しいものをお見せしました。

自分の前回の投稿を開けるとパッと出てくる顔。わおー、三白眼!!
削除しようかと思うくらい不気味ですが、あまりにも面白いのでこのままに。でも、形に対してよほど敏感な人でないとあそこまで似ているとは気が付かない。今日もあまりにも可笑しくて何度も見ては吹き出している。見たくない・・・でも、見たい。
似ていると言えば私によく似た人がいたらしく、又今日もテレビで見たよなんて言われることがしばしばあった。初めのうちはそんな仕事もしたっけ?くらいな反応だったけれど、度重なるとやはりそれは他人のそら似に違いないと思い、確かめてみたかったけれどそのままに。私はリタイアしたし、たぶん私に似たその人も同じような年代だと思うので確かめようもなく終わってしまったけれど、一度お目にかかってみたいと思った。結構沢山の人に言われたので、よほど似ていたのだろう。ドッペルゲンガーがいて私の代わりに稼いでいてくれたのかもしれない。アハハ、そんなことはない。ちっとも収入は増えなかったから。私はひとの顔を覚えられないが、ほかの人はちゃんと見ているものだと感心する。先日も花粉対策で帽子にマスクという銀行強盗スタイルで歩いていたら、平行して同じようなスタイルで歩いている人が「こんにちは」と言う。足を止めてまじまじ見つめると近所の奥さん。「ああ、やっぱりそうなのね。歩き方でわかったのよ」と言われた。一体自分はどんな歩き方をしているのかと一瞬ドキリ!きっと、そこのけそこのけとばかりにドシドシ歩いているのでしょうね。気をつけないと。私の相似形のヴァイオリニストは私に似ていると言われたことはあるのかしら。言われたら喜ぶのかどうか。失礼ね!なんて烈火のごとく怒っているかもしれない。お目にかかってみたい。

2013年5月3日金曜日

2013年5月2日木曜日

練習の初めには

朝はボウイングのチェックから始める。鏡で立ち位置楽器の構え方、弓の軌道などを目で確かめる。鏡で見なくても耳で聞けば十分なのだが、耳が果して信頼できるかどうかが問題なので、両方から攻めていく。その日の体調に依って微妙に構え方が変わる。体が柔らかい日には肩当て無しでいけるけど、体が硬い時は肩当てをつけてほぐれるまで待つ。しばらくロングトーンを続けていると段々体も温まり、それから楽譜に向かうのが最近のパターン。忙し過ぎる頃は、そんな悠長な事はしていられず、いきなり譜読みを始めたので、まだ鳴り出さない楽器を無理矢理鳴らそうとして力む事が多かった。今や時間はたっぷりある。楽器が振動を受け入れるまでゆっくりと馴らしていく。これが最近の一番嬉しいこと。鎖骨から体に振動が伝わっていき、楽器のウオーミングアップも済むと、後は楽々音が出る。ほとんど力まないで音が出せる。二年間お付き合いしたロンドンアンサンブルではヴィオラを弾いたが、日頃ヴィオラは弾いていないので楽器が鳴り出すまでが大変。鳴ってしまえばしめた物で、これもほとんど力はいらない。私は体が小さいのでヴィオラは本来体に合っていないのだが、音自体が好きでヴィオラ弾きになりたいと思った時期もあった。それでも体格からすると、毎日弾くのは体を痛めるのは必定なので、あきらめたという経緯がある。とにかく弦楽器は音作りから始まり音程との格闘があって、そこから初めて音楽に取り組める超難しい楽器なのです。お子さんにヴァイオリンを始めさせたいと言ってくる親御さんには、生半可な事では弦楽器はできないからおやめになったらと勧告することにしている。それでも始めるならどうぞいらっしゃいと。youtubeでヴァイオリンのレッスンの動画を見つけたので見ていたら、納得のいかない事があって、それでもアマチュアの人たちがこれを参考にしてしまうのだろうなと少し心配になってきた。ある人は2重音の弾き方のレッスンをしていて、ハモっていないのに平気でそのまま弾いている。最後にたまたまかどうか、ハモったのでほっとした。なんでも2つ音が出ていればいいというものではない。公開するならご自分の耳を磨いてからどうぞ。最近私が暇をもてあましていると嗅ぎつけた友人が、それなら同じ日に二人のピアニストと合わせましょうと言ってきた。ベートーヴェンと、リヒャルト・シュトラウスのソナタ。どちらも違う意味での難曲だから、非常に楽しみにしている。

2013年5月1日水曜日

ミッケは花より花へ

椿姫じゃないけど、家にやってくる野良猫ミッケは蝶のようにひらひらと雄猫の後をつけ回している。最初に見かけるようになったのは一昨年で、茶トラのノラと仲良く一緒に現れた時から。本当に仲良しでいつも一緒に居て、ご飯も一緒だったから、毎日餌を二つ用意していた。ところが春になるとノラは姿を消して、新しくチャアが来るようになった。チャアは気難しくてミッケを近づけない。ミッケは少し離れた処から、チャアが餌を食べ終わるのを待つようになった。お余り頂戴というわけ。最近チャアが時々しか来なくなった。その原因は新顔の長毛種。白と黒の大きな雄猫が出没するようになって、チャアは中々寄りつけなくなった。時々夜中に見に行くと、にゃあと情けない声で鳴いて餌の催促をする。そして漁夫の利にあずかっているのが三毛猫ミッケ。今日も新しいボスの後をトコトコ付いて歩いて餌にありついていた。2匹のオスは牽制しあってなるべく遭遇しないように行動しているのに、ミッケだけはどちらとも喧嘩することなく、餌にありつく。チャッカリしているなあ。ミッケの元の飼い主が探しに来たことがあって、事情を聞けば、ミッケは飼い主に捨てられたのではなく、飼い主がミッケに捨てられたらしい。猫に捨てられた飼い主は、情けない顔でさんざんぼやいて帰って行った。ミッケは聞くところによれば私の姉の家にも通っているらしい。あちらこちらで餌をもらって雄猫にもてて、世渡り上手でこの世は天国だわね。人を頼らず自分でニャン生を切り開いていくミッケはえらい!