先日シューマン「ピアノ五重奏」のタイトルで投稿ミス・・・書きかけなのに公開・・・がありました。
読んで下さった方々ごめんなさい。
パソコンの具合が悪く、不慣れなタブレットで作成していて、間違えて不完全なのに投稿ボタンを押したようです。
今、チェックをしていてびっくり仰天。
大変失礼いたしました。
パソコンは急に画面が飛んだり接続が出来なくなったり、もしやウイルス?とうたがいましたが、名人の手で復活。
結局私がいつの間にか、設定をメチャクチャにしているようだ。
どうしてそうなるのかは分からないが、未だにワケが分からない事に遭遇するとパニックになって、引っかき回してしまう。
器械は本当に難しい。
こういうことは決して嫌いな方ではなくて、初めてワープロを買った時などは、昼からディスプレイを見つめていたために日が暮れたのに気が付かず、我に返ると周りは真っ暗。
電灯も点けずに暗がりにいる自分に驚いた。
初めてパソコンに触れたときも、1週間目に独りでホームページを作成した。
写真挿入や壁紙、レイアウトなども自分で出来たのに、今はそんなことも難しい。
それに名人の設定が完璧なので、自分で余計な事をすると設定を崩しかねない。
すごく快適な環境にいるので、他人よりも何倍も恵まれていると思うけれど、劣化激しい脳みそが言うことをきかない。
もしかしたら恵まれ過ぎ?
2014年8月9日土曜日
熱中症は大丈夫?
今年も暑いけれど、去年よりはずっとマシ。
今年はまだ熱中症にならない。
私は胸の怪我以来、外出も散歩も控えていたからかも知れないが、去年は2回熱中症になった。
ある日目が醒めたら天井も部屋も黄ばんで見えて、気分が悪い。
それでも仕事に出かけたけれど、その後調べたら全部熱中症の症状だったので、ぞっとした。
その後も、もう一度。
それ以前は寝るときに省エネのこともあって、エアコンを切っていた。
しかし、それ以来、夜でも付けっぱなしにするようになった。
原発は今稼働しているのかしら。
あれほど電力不足と叫んでいた電力会社が、ことしはウンともスンとも言わない。
テレビの情報などはもうとっくに信用していないが、電力不足は原発の稼働を正当化するための情報操作だったのか。
それともこっそり、全部稼働始めているのか。
夏は出来るだけ、この子のように居眠りをして、休むが勝ち。
それにしても幸せそうな寝顔。
今年はまだ熱中症にならない。
私は胸の怪我以来、外出も散歩も控えていたからかも知れないが、去年は2回熱中症になった。
ある日目が醒めたら天井も部屋も黄ばんで見えて、気分が悪い。
それでも仕事に出かけたけれど、その後調べたら全部熱中症の症状だったので、ぞっとした。
その後も、もう一度。
それ以前は寝るときに省エネのこともあって、エアコンを切っていた。
しかし、それ以来、夜でも付けっぱなしにするようになった。
原発は今稼働しているのかしら。
あれほど電力不足と叫んでいた電力会社が、ことしはウンともスンとも言わない。
テレビの情報などはもうとっくに信用していないが、電力不足は原発の稼働を正当化するための情報操作だったのか。
それともこっそり、全部稼働始めているのか。
夏は出来るだけ、この子のように居眠りをして、休むが勝ち。
それにしても幸せそうな寝顔。
2014年8月8日金曜日
分奏
来週末の松原湖のコンサートのためにすでにピアニストと共に2回練習をしたけれど、まだ納得はしていない。
それで現地に行くまえに、もう一度合わせるつもりだったのが全員の都合が合わず、今日は仕方なく、集まれる弦奏者だけで分奏することにした。
これはこれでとても意義のあることで、細かい部分の音程やニュアンス、ボウイング合わせなど、ピアノが一緒だとついピアノに隠れてしまう部分のチェックができる。
1楽章の出始めからもう紛糾する。
セカンドヴァイオリンの安原さんは、1小節目の弾き方について意見を述べる。
あまりに重々し過ぎて前にすすまない。
それに対しわたしはここは重く、次の小節で前向きに行こうという意見。
今まで数回演奏したうちで、このスタイルが私の身についてしまっていたので、何の気なしに弾いていたのだが、なるほどそう言われればそんな方法もある。
なにも私の考えが最善ということではないので、よくよく問いただしてみると、彼女は2小節から3小節に行くときにもっと前向きにという意見だったらしい。
お互い自分の考えをきちんと言葉で伝えるのは、特にニュアンスのことになると、ひとそれぞれ、受け取り方も様々で誤解が生じやすい。
たったそれだけのことにかなり時間を取られ、次の問題にも時間をとられ、音程合わせも、ああでもないこうでもない。
室内楽の最大の楽しみは、このああでもないこうでもないなのだ。
効率第一主義の人なら、こんなまどろっこしいことするくらいなら、不安定な人の音程よりも、電子楽器でひいてしまえばいいのにとおもうかもしれない。
実際現代の風潮は安定した電子音でほとんどのことができてしまうので、アコースティックをつかわないことも多い。
しかし、よくしたもので、その不安定さでないと本当にハモらないこともある。
つい先だって亡くなった外山滋さんと弦楽トリオを弾いていたときのことだった。
私はその時はヴィオラを受け持っていて、数小節に亙って同じ音を伸ばしていた。
すると外山さんが「そこの小節のその音は少し高めに」とおっしゃる。
「でも私は前からずっと同じ音で伸ばしているので、そこだけ高めにですか?」と尋ねると、そこは何調の第何音ですから、高めに。次の小節は何調の第何音ですから低めに」
正確には覚えていないが、こんな様なことだった。
いままで何とも思わず弾いていたのが、目から鱗だったことがある。
これでは電子楽器の出る幕はない。
ヴィオラといえば、今回アンコールのブラームスの弦楽6重奏の1番、2楽章を弾くことになった。
私は第2ヴィオラを受け持つ。
去年もこの2楽章をひいたのだが、メンバーの中で眼鏡をもって出るのを忘れ、弾きはじめてから楽譜が見えなくて、落ちてしまった人がいた。
そのリベンジ?
今年は忘れ物なくいけるかな。年齢が高くなってきて泣かされるのは、視力の衰え。
某チェリストのリサイタルで、演奏者が席についてやおら弓を構えたと思ったら、降ろし、楽器を置いてステージ袖に引っ込んでしまった。
すぐに出てきたので何かと思ったら、彼女の手に眼鏡が握られていた。
非常に厳しいので有名なチェリストだから、ニコリともしないで椅子に掛けて、演奏を始めた。
私もロンドンアンサンブルの小田原公演の時に、しでかした。
しかも眼鏡は楽屋に置いてきたので、しばらく皆を待たせてしまった。
私の生徒が聴きに来ていて、ハラハラしたと言われてしまった。
今回のブラームスはそんなことのないように祈っている。
私ヴィオラという楽器が殊の外好きで、もう少し体が大きかったらヴィオラ
弾きになりたかった。
一時期は本気でヴィオラに転向することも考えた。
けれど、あまりにもヴィオラを弾きすぎて腰を痛めたことがあって、諦めた。
やはりヴィオラは体の大きい人でないと無理なので。
それでも今回のようにちょこっと弾かせてもらえれば、大喜びで引き受ける。
松原湖でヴィオラを演奏することを、とても楽しみにしている。
でも、ヴィオラはブラームスだけで、シューマンはヴァイオリンを弾きます。
避暑で近隣にご滞在されている方は、ぜひ足をお運びください。
とても良いホールです。
お待ちしております。
それで現地に行くまえに、もう一度合わせるつもりだったのが全員の都合が合わず、今日は仕方なく、集まれる弦奏者だけで分奏することにした。
これはこれでとても意義のあることで、細かい部分の音程やニュアンス、ボウイング合わせなど、ピアノが一緒だとついピアノに隠れてしまう部分のチェックができる。
1楽章の出始めからもう紛糾する。
セカンドヴァイオリンの安原さんは、1小節目の弾き方について意見を述べる。
あまりに重々し過ぎて前にすすまない。
それに対しわたしはここは重く、次の小節で前向きに行こうという意見。
今まで数回演奏したうちで、このスタイルが私の身についてしまっていたので、何の気なしに弾いていたのだが、なるほどそう言われればそんな方法もある。
なにも私の考えが最善ということではないので、よくよく問いただしてみると、彼女は2小節から3小節に行くときにもっと前向きにという意見だったらしい。
お互い自分の考えをきちんと言葉で伝えるのは、特にニュアンスのことになると、ひとそれぞれ、受け取り方も様々で誤解が生じやすい。
たったそれだけのことにかなり時間を取られ、次の問題にも時間をとられ、音程合わせも、ああでもないこうでもない。
室内楽の最大の楽しみは、このああでもないこうでもないなのだ。
効率第一主義の人なら、こんなまどろっこしいことするくらいなら、不安定な人の音程よりも、電子楽器でひいてしまえばいいのにとおもうかもしれない。
実際現代の風潮は安定した電子音でほとんどのことができてしまうので、アコースティックをつかわないことも多い。
しかし、よくしたもので、その不安定さでないと本当にハモらないこともある。
つい先だって亡くなった外山滋さんと弦楽トリオを弾いていたときのことだった。
私はその時はヴィオラを受け持っていて、数小節に亙って同じ音を伸ばしていた。
すると外山さんが「そこの小節のその音は少し高めに」とおっしゃる。
「でも私は前からずっと同じ音で伸ばしているので、そこだけ高めにですか?」と尋ねると、そこは何調の第何音ですから、高めに。次の小節は何調の第何音ですから低めに」
正確には覚えていないが、こんな様なことだった。
いままで何とも思わず弾いていたのが、目から鱗だったことがある。
これでは電子楽器の出る幕はない。
ヴィオラといえば、今回アンコールのブラームスの弦楽6重奏の1番、2楽章を弾くことになった。
私は第2ヴィオラを受け持つ。
去年もこの2楽章をひいたのだが、メンバーの中で眼鏡をもって出るのを忘れ、弾きはじめてから楽譜が見えなくて、落ちてしまった人がいた。
そのリベンジ?
今年は忘れ物なくいけるかな。年齢が高くなってきて泣かされるのは、視力の衰え。
某チェリストのリサイタルで、演奏者が席についてやおら弓を構えたと思ったら、降ろし、楽器を置いてステージ袖に引っ込んでしまった。
すぐに出てきたので何かと思ったら、彼女の手に眼鏡が握られていた。
非常に厳しいので有名なチェリストだから、ニコリともしないで椅子に掛けて、演奏を始めた。
私もロンドンアンサンブルの小田原公演の時に、しでかした。
しかも眼鏡は楽屋に置いてきたので、しばらく皆を待たせてしまった。
私の生徒が聴きに来ていて、ハラハラしたと言われてしまった。
今回のブラームスはそんなことのないように祈っている。
私ヴィオラという楽器が殊の外好きで、もう少し体が大きかったらヴィオラ
弾きになりたかった。
一時期は本気でヴィオラに転向することも考えた。
けれど、あまりにもヴィオラを弾きすぎて腰を痛めたことがあって、諦めた。
やはりヴィオラは体の大きい人でないと無理なので。
それでも今回のようにちょこっと弾かせてもらえれば、大喜びで引き受ける。
松原湖でヴィオラを演奏することを、とても楽しみにしている。
でも、ヴィオラはブラームスだけで、シューマンはヴァイオリンを弾きます。
避暑で近隣にご滞在されている方は、ぜひ足をお運びください。
とても良いホールです。
お待ちしております。
2014年8月7日木曜日
笹井氏自殺
今小さいタブレットからの入力。
思うようにキーボードが操作できない。
キーボードの幅が狭いので、しょっちゅうミスタッチで隣に行ってしまったり。
ヴァイオリンとヴィオラを弾き分けるようには上手くいきません。
スタップ細胞さわぎの結末が論文指導の笹井教授の死によって、ますます悲劇的な様相になってきた。
一人の才能ある、しかし、少し先走ってしまった研究者をサポートしたために、世界的な天才の死にいたるまでの過程は想像を絶するものがあったと思う。
マスコミにたたかれ、あらぬことをかきたてられ、たんに論文の学術的な価値云々以外のところで面白おかしく書き立てられ、家族にも関係者からもたぶん白い目で見られ続けたこの数ヶ月は、地獄だったにちがいない。
小保方さんもつぶされたし、笹井さんも自殺とはいえ、周りから殺され、それになんの意味があるのか知りたい。
おもしろ半分に書き立てた週刊誌や、取り上げた報道機関、テレビ関係者。なぜもう少し冷静になれないのか。もう一度研究し直すチャンスはこれでもうなくなってしまったようだ。
小保方さんもしばらく再起不能となると思う。
なぜそこまで叩くかというと、研究者仲間の嫉妬や女性研究者に対する差別など、表には決してでないけれど、根底にそれを感じてしまう。
情けないというより他にない。
笹井氏と小保方さんが男女関係にあると報道機関する週刊誌もあった。
同じホテルに泊まったとかなんとか。
同じ目的の研究で同じ場所に行った場合、ホテルが同じでもなんの不思議もない。
私たちはそんなことを言ったら大変なことになる。
私の男性関係は乱れきっていて、今日はあそこのホテルで誰と一緒、昨日は別の複数の男性と同じホテル...と書き立てられてしまう。
しかも、仕事の上のパートナーはよくあることで、アルゲリッチとクレメルのようにいつもデュオをしている人達は演奏旅行なら当然ホテルも食事も一緒。
だから男女関係にあるとは思わないし、もしあったとしても、それがどうした?
マスコミさん下品過ぎる。
大人のやっていることを、一々目くじらたてるのは子供っぽい。
それで天才は自殺、若い才能ある女性研究者は葬り去られてしまう。
なんだか情けない。
思うようにキーボードが操作できない。
キーボードの幅が狭いので、しょっちゅうミスタッチで隣に行ってしまったり。
ヴァイオリンとヴィオラを弾き分けるようには上手くいきません。
スタップ細胞さわぎの結末が論文指導の笹井教授の死によって、ますます悲劇的な様相になってきた。
一人の才能ある、しかし、少し先走ってしまった研究者をサポートしたために、世界的な天才の死にいたるまでの過程は想像を絶するものがあったと思う。
マスコミにたたかれ、あらぬことをかきたてられ、たんに論文の学術的な価値云々以外のところで面白おかしく書き立てられ、家族にも関係者からもたぶん白い目で見られ続けたこの数ヶ月は、地獄だったにちがいない。
小保方さんもつぶされたし、笹井さんも自殺とはいえ、周りから殺され、それになんの意味があるのか知りたい。
おもしろ半分に書き立てた週刊誌や、取り上げた報道機関、テレビ関係者。なぜもう少し冷静になれないのか。もう一度研究し直すチャンスはこれでもうなくなってしまったようだ。
小保方さんもしばらく再起不能となると思う。
なぜそこまで叩くかというと、研究者仲間の嫉妬や女性研究者に対する差別など、表には決してでないけれど、根底にそれを感じてしまう。
情けないというより他にない。
笹井氏と小保方さんが男女関係にあると報道機関する週刊誌もあった。
同じホテルに泊まったとかなんとか。
同じ目的の研究で同じ場所に行った場合、ホテルが同じでもなんの不思議もない。
私たちはそんなことを言ったら大変なことになる。
私の男性関係は乱れきっていて、今日はあそこのホテルで誰と一緒、昨日は別の複数の男性と同じホテル...と書き立てられてしまう。
しかも、仕事の上のパートナーはよくあることで、アルゲリッチとクレメルのようにいつもデュオをしている人達は演奏旅行なら当然ホテルも食事も一緒。
だから男女関係にあるとは思わないし、もしあったとしても、それがどうした?
マスコミさん下品過ぎる。
大人のやっていることを、一々目くじらたてるのは子供っぽい。
それで天才は自殺、若い才能ある女性研究者は葬り去られてしまう。
なんだか情けない。
2014年8月5日火曜日
筋トレ再開
先々月転んで胸骨にヒビが入ったと思われる痛みが、漸く治りかけて久しぶりに運動に出掛けた。
なんと2ヶ月も休んでいたので、体も心もすっかりだれきってしまった。
休んでいる間、運動のためのウエアは気になって、いろいろ買いあさっていて、それで運動したつもりになっていた。
とにかく痛みが消えるまでは我慢。やっと痛いことを忘れられるようになったので、重い腰ー文字通り腰が重くなったーをあげた。
今日着るウエアはド派手、ドピンク色のストライプのシャツと同じドピンクのパンツ。
不思議とこういう時にはこんな派手な色を着ても、恥ずかしくはない。
普段街中では到底着られない色も、運動のモチベーションになったりする。
インストラクターのKさんは格闘技の選手だから、髪の毛はトサカのように立って、両サイドは剃りが入っている。
かなりやんちゃをしていたようで、喧嘩もだいぶしたようだ。
そんなお兄さんとド派手ピンクのバアサンの組み合わせは中々見物だと思う。
その彼はトレーニングおたく。
私たちが練習をさぼると、なんだか背中がモゾモゾするように、彼もトレーニングをしないではいられないらしい。
筋肉が疲れていて、休んだ方がいいとわかっていてもついハードにやってしまう。
その気持ち良くわかる。
私も以前古典音楽協会の定期演奏会で、バッハの協奏曲2番を弾いたとき、弾いても弾いても弾き足りないような気がして、結局本番では腕も心も疲れ果て、満足する結果が残せなかった。
なんでも、一番良いタイミングというものがある。
さて、ケガをしたせいでウァイオリンを弾くのもさぼりがちだった。
松原湖のコンサートが来週に迫っているのに、暑いというのもあるけれど練習をいい加減にしていた。
今日やっとその気になって練習をはじめたら、右手がすっかり強張ってしまって、弓を上手くコントロール出来ない。
さあ、大変。
いささか慌てた。
数時間後、やっと勘がもどってきた。
幸いなことに、先日調整した結果が良くて、音はならしやすい。
何となく弾いていた曲もじっくりと見ていると、沢山の構想がわいてくる。
シューマンピアノ5重奏は何回も弾いているのに、今まで見えなかったものが浮かんで来る。
これも年の功。
残念ながら、だいぶ反射神経が落ちていて、弓を飛ばすのが下手になっていた。
あと1週間でサボったツケを払わないといけない。
さあ、大変!
なんと2ヶ月も休んでいたので、体も心もすっかりだれきってしまった。
休んでいる間、運動のためのウエアは気になって、いろいろ買いあさっていて、それで運動したつもりになっていた。
とにかく痛みが消えるまでは我慢。やっと痛いことを忘れられるようになったので、重い腰ー文字通り腰が重くなったーをあげた。
今日着るウエアはド派手、ドピンク色のストライプのシャツと同じドピンクのパンツ。
不思議とこういう時にはこんな派手な色を着ても、恥ずかしくはない。
普段街中では到底着られない色も、運動のモチベーションになったりする。
インストラクターのKさんは格闘技の選手だから、髪の毛はトサカのように立って、両サイドは剃りが入っている。
かなりやんちゃをしていたようで、喧嘩もだいぶしたようだ。
そんなお兄さんとド派手ピンクのバアサンの組み合わせは中々見物だと思う。
その彼はトレーニングおたく。
私たちが練習をさぼると、なんだか背中がモゾモゾするように、彼もトレーニングをしないではいられないらしい。
筋肉が疲れていて、休んだ方がいいとわかっていてもついハードにやってしまう。
その気持ち良くわかる。
私も以前古典音楽協会の定期演奏会で、バッハの協奏曲2番を弾いたとき、弾いても弾いても弾き足りないような気がして、結局本番では腕も心も疲れ果て、満足する結果が残せなかった。
なんでも、一番良いタイミングというものがある。
さて、ケガをしたせいでウァイオリンを弾くのもさぼりがちだった。
松原湖のコンサートが来週に迫っているのに、暑いというのもあるけれど練習をいい加減にしていた。
今日やっとその気になって練習をはじめたら、右手がすっかり強張ってしまって、弓を上手くコントロール出来ない。
さあ、大変。
いささか慌てた。
数時間後、やっと勘がもどってきた。
幸いなことに、先日調整した結果が良くて、音はならしやすい。
何となく弾いていた曲もじっくりと見ていると、沢山の構想がわいてくる。
シューマンピアノ5重奏は何回も弾いているのに、今まで見えなかったものが浮かんで来る。
これも年の功。
残念ながら、だいぶ反射神経が落ちていて、弓を飛ばすのが下手になっていた。
あと1週間でサボったツケを払わないといけない。
さあ、大変!
2014年8月4日月曜日
ルフォスタ弦楽アンサンブル夏期合宿
9月の発表会を控えて、石打スキー場で強化合宿をすることとなった音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブル。
参加者は11人。
コントラバス担当はお休み。
曲目はレスピーギ「リュートのための古代舞曲とアリア」の中から、1,3楽章を発表することになった。
今回は石打スキー場内のマンションの住人である、チェロのN氏のご厚意により、マンションのVIPルームに宿泊、ホールを使用しての練習ができるというので、一同張り切って練習に臨んだ。
そのマンションの玄関からスキー場のリフト乗り場には、そのまま滑っていけるという便利さ。
今回は雪がないから残念だったけれど。
昼過ぎ、各自昼食を済ませたメンバーがマンションに集まった。
マンション内には立派なホールがあって、そこを借りられたのは素晴らしい幸運だった。
かなり広いステージ上で伸び伸びと音がだせるし、ハーモニーのバランスを聴くのにも、広い会場はうってつけ。
この1年、月1回の練習をしてきた曲の仕上げには、今回のホール使用は本当にありがたかった。
毎月指導者が替わるので、それぞれの講師の考えもあって、生徒達は時々混乱する。
「前の先生はこうおっしゃいました」と言われることもしばしばある。
そう言うときは「それはその方の考えであって、私はこうだから、あなたたちはそこから自分たちで考えて作り上げて下さい」と言う。
受け手が大人でかなりのレベルのある人達だから、子供に言う様に強制することはできない。
もう発表会が近いから、なにがなんでも形にしないと最終的に困るので、今回私のやり方で演奏してもらう事にした。
今回と発表会前の最後の練習は私の担当。
もう自分のやり方を押し通すことにさせてもらう。
初めての音出しは、緊張と体が馴れていないので、やはり音がかなり濁る。
これが毎度の事で、最初の8小節を何回も何回も繰り返し、皆の顔には「うんざり」感が見えるまで繰り返す。
初めの音のバランス、音程、音色・・特にこの曲の透明感が出るまで、執拗な講師が迫っていく。
どうしてこんなことやらされるのかといい加減ウンザリした頃、やっと良い響きが出るようになった。
次の段階も同じ事。
こうやってたった数分の曲に、数時間掛けて取り組んでいく。
これが私にはほんとうに面白い。
いい加減疲れ果てて練習は終わり、越後湯沢の街に出て夕飯。
N氏がセットしておいてくれた居酒屋で乾杯。
マンションに戻ると、広々としたVIPルームのリビングで、お酒を飲みながら楽しく夜は更けていった。
わたしの教え子のkさんが料理を担当して、つまみやお酒を用意してくれた。
酔うほどに楽器を持ちだしてアンサンブルを始める彼ら。
いつまでもいつまでも、飽きもせず弾いて居た。
次の朝きいたら、結局3時までヴァイオリンの音が聞こえたそうだ。
次の朝はkさん心づくしの味噌汁、おにぎり、漬け物、トマトサラダ、そしてフレンチトーストという豪華な朝食が用意されていた。
それから午前中いっぱい又練習。
前日も次の日もヴィデオカメラで撮影されていて、再生すると、かなりの線まで行ったことがわかった。
あと、一息。
驚いたのは、単純に音の易しい1楽章が、色々アラが目立つこと。
やはり単純は最高の難しさなのだ。
ヴィデオを見て生徒達も納得したのは、なぜあんなに私がしつこく初めの音を繰り返し、練習したかということだった。
自分たちでも、最初の音に感激していた。
時々スッタモンダするけれど、なかなかの出来映え。
これが本番で出れば最高です。
練習会場と宿泊施設を用意して下さったN氏に感謝。
料理とワイン、全てのセットをしてくれたYさん、kさんご夫妻にも、中心となって兄貴と慕われるGさんにもお礼を言いたい。
そして辛抱強く練習を繰り返して、良い音を作り上げてくれたみんなには、特に頑張って欲しい!
本番で今回の練習が生きますように。
参加者は11人。
コントラバス担当はお休み。
曲目はレスピーギ「リュートのための古代舞曲とアリア」の中から、1,3楽章を発表することになった。
今回は石打スキー場内のマンションの住人である、チェロのN氏のご厚意により、マンションのVIPルームに宿泊、ホールを使用しての練習ができるというので、一同張り切って練習に臨んだ。
そのマンションの玄関からスキー場のリフト乗り場には、そのまま滑っていけるという便利さ。
今回は雪がないから残念だったけれど。
昼過ぎ、各自昼食を済ませたメンバーがマンションに集まった。
マンション内には立派なホールがあって、そこを借りられたのは素晴らしい幸運だった。
かなり広いステージ上で伸び伸びと音がだせるし、ハーモニーのバランスを聴くのにも、広い会場はうってつけ。
この1年、月1回の練習をしてきた曲の仕上げには、今回のホール使用は本当にありがたかった。
毎月指導者が替わるので、それぞれの講師の考えもあって、生徒達は時々混乱する。
「前の先生はこうおっしゃいました」と言われることもしばしばある。
そう言うときは「それはその方の考えであって、私はこうだから、あなたたちはそこから自分たちで考えて作り上げて下さい」と言う。
受け手が大人でかなりのレベルのある人達だから、子供に言う様に強制することはできない。
もう発表会が近いから、なにがなんでも形にしないと最終的に困るので、今回私のやり方で演奏してもらう事にした。
今回と発表会前の最後の練習は私の担当。
もう自分のやり方を押し通すことにさせてもらう。
初めての音出しは、緊張と体が馴れていないので、やはり音がかなり濁る。
これが毎度の事で、最初の8小節を何回も何回も繰り返し、皆の顔には「うんざり」感が見えるまで繰り返す。
初めの音のバランス、音程、音色・・特にこの曲の透明感が出るまで、執拗な講師が迫っていく。
どうしてこんなことやらされるのかといい加減ウンザリした頃、やっと良い響きが出るようになった。
次の段階も同じ事。
こうやってたった数分の曲に、数時間掛けて取り組んでいく。
これが私にはほんとうに面白い。
いい加減疲れ果てて練習は終わり、越後湯沢の街に出て夕飯。
N氏がセットしておいてくれた居酒屋で乾杯。
マンションに戻ると、広々としたVIPルームのリビングで、お酒を飲みながら楽しく夜は更けていった。
わたしの教え子のkさんが料理を担当して、つまみやお酒を用意してくれた。
酔うほどに楽器を持ちだしてアンサンブルを始める彼ら。
いつまでもいつまでも、飽きもせず弾いて居た。
次の朝きいたら、結局3時までヴァイオリンの音が聞こえたそうだ。
次の朝はkさん心づくしの味噌汁、おにぎり、漬け物、トマトサラダ、そしてフレンチトーストという豪華な朝食が用意されていた。
それから午前中いっぱい又練習。
前日も次の日もヴィデオカメラで撮影されていて、再生すると、かなりの線まで行ったことがわかった。
あと、一息。
驚いたのは、単純に音の易しい1楽章が、色々アラが目立つこと。
やはり単純は最高の難しさなのだ。
ヴィデオを見て生徒達も納得したのは、なぜあんなに私がしつこく初めの音を繰り返し、練習したかということだった。
自分たちでも、最初の音に感激していた。
時々スッタモンダするけれど、なかなかの出来映え。
これが本番で出れば最高です。
練習会場と宿泊施設を用意して下さったN氏に感謝。
料理とワイン、全てのセットをしてくれたYさん、kさんご夫妻にも、中心となって兄貴と慕われるGさんにもお礼を言いたい。
そして辛抱強く練習を繰り返して、良い音を作り上げてくれたみんなには、特に頑張って欲しい!
本番で今回の練習が生きますように。
2014年8月1日金曜日
楽器のご帰還
気むずかし屋の楽器様が退院あそばして、私は恭しくお迎えに参ったしだい。
弦楽器の工房のSさんのお手並みは見事だった。
少し早めに受け取りに行ったら、まだ前の人がいて色々お話をしていたので、手渡された楽器の弦を指ではじいたら、それだけで明らかに音色が変ったのがすぐに分かった。
もう矢も楯もたまらず、丁度教える日だったので教室に持ち帰り、早速試奏してみると、全く音色が変っていた。
特に低音の弦の鳴り方が目を見張るばかりに違う。
やはり同じ技術者でも、こうも腕が違うのかとため息が出た。
Sさんの所へは、私が長年トリオを組んでいたチェリストも行っていたし、知人が行っているし、弥生人の美智子さんは彼の長年のクライアント。
美智子さんに楽器の不具合をぶうたれていたら、是非Sさんのところへ行ってみたらというので紹介してもらって、あげくの帰り道、二人で飲んだくれたという経緯だった。
その飲んだくれたお店は澁谷の宮益坂上すぐ傍。
広いカウンターに山盛りに積まれた、お総菜というより少しおしゃれな家庭料理に近い、それにプロの腕が加わったというような・・・わかりますかねえ。
例えばチーズやサーモン、タコなどの自家製スモーク、小さなコロッケとか・・・野菜の揚げ物や漬け物もある。
日によっても違うと思うけれど、お腹の具合でいかようにもアレンジしてもらえる。
先日軽い夕飯を食べようと、独りでさがしていて見つけたお店。
地下におりていくので中の様子が分からず、少し階段をおりて覗いていたら中からお迎えが出てきたので、入ってみた。
独りだから少しだけ何か作ってもらおうと思っていたけれど、どれも美味しそうで、あれもこれも、するとカウンターの中の板前さん、もしかしたらシェフとよぶのか和洋どちらでもないので、どう呼ぶのかしら・・・「もう、そのくらいになさったほうが」
ストップをかけられた。
独りだから全部少しずつスモールサイズで、何種類か食べて、仕事前だからお酒は飲めない。
次ぎに酒豪の美智子さんと行ったら「今日は飲めるんですね?」と言う。
商売とはいえ、たった一回来た客のことを良く覚えていること。
それで思い出したのは富山の飲み屋。
駅前に~まだあるかなあ~古い繁華街の横町がほんの少しだけ残っていて、その中に「鮮」というお店があった。
そこで昼間、昼食を食べようと店をさがしていた。
飲み屋さんの昼食は魚が美味しいから、私は時々利用する。
富山ならやはりお魚でしょう。
そして入ったお店。
ヒラメのお造り、アラの味噌汁、ご飯、シンプルな献立だったけれど、これがたまらなく美味しかった。
その夜、仕事が終ってからもう一度、そのお店へ。
富山には毎年仕事で行っていたけれど、そのお店に行ったのはその時一回だけだった。
それから数年後、全く別の仕事で富山に行って、夜街に出た。
その時ふと思い出したのがこのお店。
まだあるかしらと言いながら、他の人を引き連れて古い記憶を辿っていったら・・・あった!
楽しく飲んでいると、カウンターの中から声がかかった。
「お客さん、前にも来たことあるよね。その時は他の人と一緒だったね。あれは、そうだな7年前だなあ。それでそっちじゃなくてカウンターに座ったよね。」
私は本当に仰天した。
とっとっと・・・
なんで楽器の話から富山に飛んでしまったのか。
あはは、音が良くなって嬉しくて、少しはしゃいでしまった。
まだ楽器の調整は半分くらい。
この後、駒を取り替えて全部のメンテナンスが済むのは、9月後半になる。
Sさん曰く、まだまだ可能性はあります。
もっと良くなります。
うわ~、どうしよう、たのしみだなあ!
弦楽器の工房のSさんのお手並みは見事だった。
少し早めに受け取りに行ったら、まだ前の人がいて色々お話をしていたので、手渡された楽器の弦を指ではじいたら、それだけで明らかに音色が変ったのがすぐに分かった。
もう矢も楯もたまらず、丁度教える日だったので教室に持ち帰り、早速試奏してみると、全く音色が変っていた。
特に低音の弦の鳴り方が目を見張るばかりに違う。
やはり同じ技術者でも、こうも腕が違うのかとため息が出た。
Sさんの所へは、私が長年トリオを組んでいたチェリストも行っていたし、知人が行っているし、弥生人の美智子さんは彼の長年のクライアント。
美智子さんに楽器の不具合をぶうたれていたら、是非Sさんのところへ行ってみたらというので紹介してもらって、あげくの帰り道、二人で飲んだくれたという経緯だった。
その飲んだくれたお店は澁谷の宮益坂上すぐ傍。
広いカウンターに山盛りに積まれた、お総菜というより少しおしゃれな家庭料理に近い、それにプロの腕が加わったというような・・・わかりますかねえ。
例えばチーズやサーモン、タコなどの自家製スモーク、小さなコロッケとか・・・野菜の揚げ物や漬け物もある。
日によっても違うと思うけれど、お腹の具合でいかようにもアレンジしてもらえる。
先日軽い夕飯を食べようと、独りでさがしていて見つけたお店。
地下におりていくので中の様子が分からず、少し階段をおりて覗いていたら中からお迎えが出てきたので、入ってみた。
独りだから少しだけ何か作ってもらおうと思っていたけれど、どれも美味しそうで、あれもこれも、するとカウンターの中の板前さん、もしかしたらシェフとよぶのか和洋どちらでもないので、どう呼ぶのかしら・・・「もう、そのくらいになさったほうが」
ストップをかけられた。
独りだから全部少しずつスモールサイズで、何種類か食べて、仕事前だからお酒は飲めない。
次ぎに酒豪の美智子さんと行ったら「今日は飲めるんですね?」と言う。
商売とはいえ、たった一回来た客のことを良く覚えていること。
それで思い出したのは富山の飲み屋。
駅前に~まだあるかなあ~古い繁華街の横町がほんの少しだけ残っていて、その中に「鮮」というお店があった。
そこで昼間、昼食を食べようと店をさがしていた。
飲み屋さんの昼食は魚が美味しいから、私は時々利用する。
富山ならやはりお魚でしょう。
そして入ったお店。
ヒラメのお造り、アラの味噌汁、ご飯、シンプルな献立だったけれど、これがたまらなく美味しかった。
その夜、仕事が終ってからもう一度、そのお店へ。
富山には毎年仕事で行っていたけれど、そのお店に行ったのはその時一回だけだった。
それから数年後、全く別の仕事で富山に行って、夜街に出た。
その時ふと思い出したのがこのお店。
まだあるかしらと言いながら、他の人を引き連れて古い記憶を辿っていったら・・・あった!
楽しく飲んでいると、カウンターの中から声がかかった。
「お客さん、前にも来たことあるよね。その時は他の人と一緒だったね。あれは、そうだな7年前だなあ。それでそっちじゃなくてカウンターに座ったよね。」
私は本当に仰天した。
とっとっと・・・
なんで楽器の話から富山に飛んでしまったのか。
あはは、音が良くなって嬉しくて、少しはしゃいでしまった。
まだ楽器の調整は半分くらい。
この後、駒を取り替えて全部のメンテナンスが済むのは、9月後半になる。
Sさん曰く、まだまだ可能性はあります。
もっと良くなります。
うわ~、どうしよう、たのしみだなあ!
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