2020年11月5日木曜日

選手交代

自宅前は川 、桜並木が続いていて春は絶好のお花見ポイント。実に素敵なのだが、秋の今頃にはたくさんの落ち葉が舞い散る。早朝、近所の90歳の元気なお年寄り(自分のことは棚に上げる)がせっせと掃いてくれる。もともとは私が掃いていたのが、ある日掃こうと思ったらすでに誰かがきれいにしてくれていた。それから毎日、いつ行ってもきれいになっている。よほど早起きとみえてその姿を見ることはなかった。

やっと私も早起きできたときにその正体を見たら、太いしっぽの生えた狐が・・・ではなく、元気な高齢女性がせっせと掃いていた。声も大きい、体も大きい。掃き終わると、どこからともなく現れる爺さんが二人。待ち合わせて散歩に出かけるというシステムになっていた。90才なのに卓球をやっているという。私も誘われたけれど、とても敵いそうもないからお断りした。

時々先手を取ってヤッターと思ってせっせと掃いていると、あとから現れてものすごいパワーでみるみるうちにきれいに掃いてくる。力も強そうで、その完璧な仕事ぶりにはシャッポを脱ぐ。終わったあとにチリ一つ残さない。私はなまくらな箒のせいで、アチラコチラ落ち葉が残っているという体たらく。

ところがこのところ異変が・・・いつもの女性でなく見知らぬおじさんが。あら、どうしたのかしら、風邪でもひいたかな?入院するようなことでも起きたのかしら。そのおじさんも3日坊主、見ていると簡単そうに思えるけれど落ち葉掃きはかなりの労働で、2ブロック分の距離を掃くのだから、終わる頃には腰が痛くなる。たった数日で音を上げたとみえる。

それで掃き手のいなくなった道は落ち葉だらけ。私の出番が戻ってきた。ゴソゴソと頼りなげに掃いていると、その人が男性二人従えて歩いてくるのが見えた。あら、お元気だったのだ。近くに来ると、私ねえ~と話しかけてきた。

実はコロナのせいで卓球場が閉鎖されて、もう半年以上卓球をやっていないのよ。そうしたらね、運動不足で五十肩になって手が上がらなくなって掃けなくなっちゃったの。

90歳で50肩、40歳も若いのね。

もともとは私がやっていた事だったから別に頼まれなくてもやるけれど、偉そうに私20年も毎日掃いたからと言われると少しカチンと来る。私はその前、数十年掃いていた。運動のためにやっているのよと言われたから手を引いたのに、なんかお前さんがやって当然みたいなことを言われるとねえ。

その人が掃かなくなって、時々お隣の人が掃いている。しかし2階からこっそり見ていると、自分の家の前だけ。私の家の前に来るとやめてしまう。私はずっとお隣の家の先まで掃いていたのに。そう思いながらこっそり覗き見する自分がいじましくて嫌味だなあと思っている。暇になるとご近所さんのあら捜し。それにこれは公共の道だから、誰がやらなくてはいけないということはない。

お向かいさんはその点あっけらかん。その家の前を掃除していても「おはようございまーす」と元気に挨拶するのみ。これは明るくていい。絶対に「これからはうちでやりますから」なんて言わない。そこがいい。若者は仕事を懸命にやっている。道を掃いている暇なんかないのだ。実際私もそうだったから。死ぬほど働いていた。毎日、明日はきっと私は目が覚めないだろうと覚悟して眠った。

隣人が自分の家の前だけしか掃かないなんて言うような嫌味な婆さんになってはいけない。

コロナのせいで腕が上がらなくなった落ち葉掃き前任者。私もまた、コロナのせいで足が不自由になった。電車が怖いからどこへでも車で行く。外出の機会が減った。歩かなくなる。血流が滞る。そして今右足が非常に痛い。10分も歩くと痛みでうめきたくなる。明日足の血管の専門医に診てもらいに行くことにした。どこの整形外科でも、いつも同じことを言われて根本的な治療にならない。何科に行っていいかわからないのでネットで調べたらヒットした血管の専門医があった。さて、それがラッキーかアンラッキーか、どう出ますかお楽しみに。













2020年11月4日水曜日

コロナは続くーよ、どーこまーでもー

 いつまで経っても感染はおさまらない。久しぶりに電車に乗ったら、全員マスク。もうマスクをしないと裸同然で歩いているようで恥ずかしい。そのうち衣類を着けずにマスクだけして歩くなんてこともやりかねない。それほどマスクは最も重要な衣類の一つになってしまったのだ。マスクを忘れて表に出ようものなら、慌てて引き返す。

私は今までインフルエンザのワクチンも肺炎のワクチンも受けたことがない。以前から割合にマスク党なので、感染しなかったのかもしれない。ただ一つ受けたワクチンが狂犬病。チベットに行くときに受けたら、そのあと高熱を出して寝込んでしまったから、それ以来ワクチンが怖い。狂犬病は日本ではもう見られないけれど、まだまだ世界中では安全ではない。特に百パーセント死に至るそうだから、チベタンマスチフにガブリとやられたら天国でお会いしましょうとなる。

今年はインフルエンザのワクチンを受けようかと思っているけれど、又副作用で熱を出すのではないかと心配している。野蛮人だから薬や注射がえらく効いてしまう。踝から足に掛けて痺れや痛みがあるから病院へ行ったら、薬をくれた。ビタミン剤と痛み止めと胃の薬。なにこれ?と言いたい。結局薬で症状を和らげるだけで、根本的に治そうという姿勢がないのだ。痛み止めは効きすぎて胃が荒れて気分が悪い。

強気の私も足の痛みには流石にまいった。筋肉をつけるために多少のストレッチとか散歩とか。それらの効果は甚だ薄い。特に散歩は以前の4分の1ほど歩くと、もう痛みに襲われて歩けなくなる。最近は石垣とか他人の家のちょとした建造物にでも、お構いなく座らせてもらうことにしている。とくに荷物が重いともういけません。羞恥心が薄いからどこへでもドサリと置いて、ぼんやりと雲を眺める。最近猫との会話が出来ない。どこの猫も警戒心が強くて、手懐ける自信満々だった私も腕が落ちたようだ。猫をダシに休憩が出来ないのが残念。

人混みでマスクを着けない人がいる。それはその人の自由だけれど、人にうつすか人にうつされるかの心配がなければいい。でも絶対に可能性が無いとは言い切れないから、してほしい。特に若い女性、半分顔が隠れるのがいやなのか。半分隠したほうが美人に見えますよと言ったら殺されそう。

この秋、北軽井沢と自宅を週替りで行ったり来たりしていたら、すごく疲れた。そこへ持ってきて急に寒くなったから鼻水が垂れる。家の前の道路を掃き清めていたら鼻水がツツーっと落ちてきた。マスクでしっかり受け止めたけれど、これはもしかしたら風邪ではなく花粉症かもしれない。

これからの季節は乾燥するから流行が拡大するかもしれないといわれる。例年ならば、冬はとても楽しい季節だった。雪が降った?どこで?志賀高原に?うれしい!となる。今年の12月に志賀高原に行きませんかと誘われていたけれど、団体のスキー宿でシングルに泊まるのはほとんど不可能。無理にそうしてもなにかわびしい。今までの私の人生の経過から見ると、これはそろそろスキーをやめさせようという天の啓示かもしれない。怪我をしないうちにゲートボールとかお手玉に鞍替えしようと導かれているのかも。いやいや、もう最後まで滑りますとも。私達の仲間がそうしたように。








2020年10月31日土曜日

雪の脅威

取り壊した食器棚の代わりに既製の食器棚を探しに佐久平のニトリまで車を走らせた。数回下見に行ってめぼしいものはあったけれど、いざ買うとなると慎重になってしまう。ノンちゃんの家は彼ら夫婦の夢がいっぱいにつまった家だから、不釣り合いなものを置いたらいけないと思うと既製品では失礼かと思う。けれど私はそんなにお金持ちではなく、とりあえず無難に収まるものとして薄型で場所を取らず目立たないものを選んだ。

その間にメールが届いた。群馬県の山間部は猛烈な吹雪の可能性があるらしいと。

ひゃー!北軽井沢は本当にいいお天気だったのに、佐久平は曇天で風が冷たい。群馬県で雪ってどのへんのことを言うのかしら。次の日帰ろうかと思っていたのに、それでは一日早く帰宅しよう。家具売り場を出て一目散に北軽井沢まで走った。お腹が空いたけど食事している暇はない。

次の日の夜明けに帰るつもりだったから、荷物はあらかたまとめてある。家具店からの帰り道に軽井沢スノーパークを見に行こうかと思っていたのも急遽変更。メール主に電話するとひどく曖昧な情報だと言うことがわかったけれど、猫とヴァイオリンと両方あるから、自分ひとりで行動するよりずっと慎重になる。万一雪で立ち往生しても自分ひとりならなんとかなる。けれど、猫を抱えてヴァイオリンを背負って、雪に埋もれる自分を想像するとゾッとする。

嫌がる猫を巣穴から引きずり出しさっさと出発した。北軽井沢と佐久平は小1時間はかかる。往復2時間すでに運転して、その後の3~4時間は結構きつい。本当は昼食を食べて昼寝をすれば楽になるけれど、夜になる前に高速を降りたい。午後3時少し前に出発した。北軽井沢は相変わらず晴天、風は冷たいけれど雪の「ゆ」の字もない。まったく曖昧な情報過ぎて信じた私が悪いのか。

途中何事もなく高速道路も順調に流れている。高崎あたりは全く雪の気配もない。そしてことは起きた。花園すぎてからの区間が工事中だと言うので、多少の渋滞が起きていた。追い越し車線を走っていたから渋滞でもかなりのスピードだったけれど、いきなり直前の車がブレーキを踏んで斜め左に進む。前はブレーキ、私はアクセルを踏んでいたからあっという間に前の車の赤いブレーキランプが目の前に。ああ、やっちゃった!そう思った瞬間に私は思い切り急ブレーキを踏んだ。後ろに車がいるかどうかの確認も出来ないほど緊急だった。バックミラーを見ると少し遅れて後続車が近づいてきたので後ろの危険はなかったようだ。衝突は回避されたけれど、 本当に危なかった。

前の車は又追い越し車線に戻って、一瞬の出来事は何もなかったかのようだったけれど、一体あの行動はなんだったのだろうか?なにか道路に落下物でもあったのだろうか。わけがわからないけれど、とにかく事故らなくてほっとした。私はいつもは慎重に車間距離をとるのに渋滞気味で速度も少しだけゆっくりだったから、車間距離が近かったかもしれない。それと朝からの長時間の運転で注意力が散漫だったかもしれない。なにが原因だったのか・・・

そういうとき瞬間的に脳みそがフル回転する。急ブレーキを踏みながら、この車は車間距離が近いときにはアクセルを踏んでもスピードが出ないシステムだったっけ、なんて考えている自分がいた。もしかしたら車の安全装置に守られたのかもしれない。

以前私が乗っていた車はちょうど10年。まだまだ調子がいいから買い換えることをためらっていたら日産マンが勝手に決めていた。「次の車はこれです」当然のように車種から色まで全部決まっていた。もう一つクラスの上のをと言ったら「お宅の駐車場は道路から段差があって、車高が低いと下を擦りますから」と断られた。自分より他人のほうがよほどしっかりしていることを知っているから、私はそういうときには逆らわない。それでたいてい上手くいく。本当にこの車にしてよかった。私のまっ黄色な愛車「パパゲーノ」は渋い北軽井沢の森の中ではやけに目立ってしまうけれど、駐車場では探しやすい。安全装置は高齢者ドライバーには必須。今回のことは年齢には関係ないかもしれないけれど、これがあったので助かったのかもしれない。さすが日産マンはプロ、私を長年見てきて運転技術も癖も全部知っている。そろそろこのへんで安全装置がないとだめだと思ったかもしれない。

以前自転車で真横から衝突されたことがあった。細い道からいきなり直角に飛び出してきたオバハン。後ろの確認。車や自転車が来ていないか確かめて、加速して右にハンドルを切った。相手の自転車は私の自転車の後輪に衝突して横倒しになった。加速しなかったらまともにサドルあたりを直撃されて私も倒れたかもしれない。その時も瞬間的に後ろの道路状況の確認と自分の自転車の前カゴに乗せてあった荷物の心配をしたのにはびっくり。一瞬なのに、とても時間が長かったような気がした。

今日も全国的に素晴らしい晴天!雪の情報はなんだったの?メールを見てその後電話をしたら、たしかNHKで見たとか言っていたけれど。

2020年10月29日木曜日

森の家の改造

 ノンちゃんの家を引き継いでから早くも2年経ってしまった。その間の私はさまざまなストレスがあって、めっきり白髪が増え足腰は最悪な状態になってしまった。ようやくじわじわと元気をとりもどしてはいるけれど、以前の元気は半減している。

コロナのせいで仕事がなくなりコンサートも全滅でかなり暇ができた。忙しいときにはゆっくりしたいとため息をつき、もう少し時間があればちゃんと練習できるのにと思っていたけれど、コロナによるストレスはそんな儚い望みをことごとく吹き飛ばしてくれた。時間はたっぷりある、練習しようと思えばいくらでも続けられる、でも聴いてくれる人のいないコンサートでは練習する甲斐もない。

コロナに無知だから一体自分はどうすればいいのかわからない。友人たちにも会えない。会って感染したらお互いに気まずい。毎日テレビの感染者数に怯える。少しでも具合が悪いと、もしかしたら感染したのかと落ち着かない。そのストレスたるや大変なものだった。当然元気はなくなって次第に沼の底に落ちていくような虚脱感を覚える。そして始まった足の痺れや痛み、歩けない、無理に運動すると夜中に足が強烈に攣る。

それでテレビは見ないことにした。毎日毎日コロナの話。もううんざり。右往左往する政治家たち。未だに腹の立つあの役立たずのあべのマスク。あとからウラ話を聞くとますます腹立たしい。そろそろ収束してもいいのに未だに終わりがみえない。

遠慮してしばらくは北軽井沢の森の中の一軒家にくることもなかった。けれど、考えてみれば私は森の中にいるのが一番安全なのだ。往復は車で一気にできるから誰にも会うことはない。もっとも安全な生活なのだ。ようやく緊急事態宣言が解除されて、それでもコソコソしないと白い目で見られそうだった。

気が休まるのは刻々と移りゆく森の景色。光輝く日もあれば雨にそぼ濡れてしずくが滴り落ちる寒々した光景の日もある。どれもが新鮮で二度と同じ景色は見られない。以前より足繁く通い始めると、木々の癒やしの力がどれほどのものかわかるようになった。今までは長くて2泊、今はほぼ1周間は滞在できる。ようやくノンちゃんの家が私のものになりかかってきた。

年老いてから家を買うなんてとんでもない暴挙みたいに言う人もいた。自分でもそう思った。でも最近はだんだん元気になってゆく私を見て、あの家を買ってよかったねという人が増えた。

ノンちゃんはなんでも上等なものが好き。食器も名の通った焼き物、重くて茶色の分厚い陶器。私は薄くて軽い白や淡いブルーなどの磁器。私はいつも同じメーカーのバーゲンで買うTシャツ。ノンちゃんは厚手の絹織物や木綿の藍染などを仕立てたオリジナルの服。ニュージーランドのウールのセーターなども好みだった。私は冬でも綿シャツ1枚、その上にダウンジャケットというラフなスタイル。これほど好みに差があっても仲良しだった。

あれから2年、滞在時間が増えてくると不満なところが見えてくる。確かにこの家は細部に亘りよく考えて作られている。けれど、どうしても男性目線の家なのだ。本当に台所に立って働いたことのない人、家に人を合わさせようという目線で作られている。隅々まで作ってしまうから人はそれに合わすことになる。台所と居間の間にある変に大きすぎる食器棚。不細工で鬱陶しい。そこで風の流れが滞ってしまう。来る人だれもがそういう。

以前からそう思っていたけれど、せっかくできているのだから壊すのはもったいない。この「もったいない」がそもそも進歩を阻害している。先日楽器用の乾燥機を取り付けてくれた電気屋さんに尋ねたら、さっそく工務店を紹介してくれた。この戸棚のことだけでなく腐りかかったベランダのリフォーム、庭のはずれに流ている川に向かって階段をつけるなど、私の夢を言うと、いとも簡単に全部できますと。こんなにうまく話が通じるとは思っていなかった。工事全般なんでもありのようなのだ。

まず手始めに今日は食器戸棚の撤去とエアコン設置することになった。午後車が到着する音を聞いてドアを開けるとびっくりした。車は5、6台、中から人が何人かわからないほどたくさん。電気やさんがニコニコして「他の工事の帰りなので全員で来ちゃいました」まあ、嬉しい。狭い家に男の人がひしめいてサクサクと仕事が進む。重たいテーブルを2階から下ろすのもあっという間。工務店からも3人、誰が何をしているのかはわからないけれど、エアコンの室内機を軽々と持ち上げてさっさと取り付けて帰っていった。他には家中の照明をLED電球に替えて、私が生きている間はもう電球を取り替えなくてもいいようにしてくれた。

来年春には小川の流れにわさびやクレソンを植えたいと思っている。植物好きの姉も喜ぶに違いない。その前に本気で足を治さないといけない。階段の上り下りが辛くてはせっかく作っても使えないかもしれないので。















私の仲間たち

 「マス」の仲間はパールマンをはじめとする世界的な演奏家たち。私の仲間は飲兵衛のAちゃん、酒豪のHさんとほぼ下戸の同じくHさん。「マス」よりも大きい「サケ」をこよなく愛する人達。

酒豪のHさんは珍しく飲みすぎたと言って今朝は朝食をほとんど食べなかった。この珍しくというのは飲み過ぎのことではない。いつも彼女は飲み過ぎだから。飲んだ挙げ句に食欲がないというのが珍しい。コロナの引きこもりで家でもあまりお酒を飲まなかったため、腕(喉?)が落ちたらしい。朝食は昨日の余り物の筑前煮、卵焼き、焼海苔、味噌汁と和風に仕立てた。

昨日の昼過ぎ食料をたくさん積んだ車到着。高速を出てから地元の市場やスーパーマーケットに寄ってなにか買い込んできたらしい。そのときに昼食用にと言って、北軽井沢の名物の花豆を使ったおこわと下戸のHさんが煮てくれた筑前煮を持参。それから楽しい話が繰り広げられて久しぶりの再会を喜んだ。思えば今年はじめにコロナの感染が始まってから、ほとんどの人と会わなくなってしまった。時々電話で話をしても皆なんだかぼんやりしていて覇気が感じられない。あんなに冗談が好きで陽気だった人たちとは思えないほどだった。面白いことに、この中で一番頭の切れる酒豪のHさんが一番落差が激しい。他の人たちは普段から能天気で、それがコロナのせいか天然なのかよくわからないので。

昼食後は散歩がてら夕暮れの浅間牧場を訪れた。浅間山は頭の上に雲を乗せて、その雲と同じようなかすかな噴煙を上げていた。どちらが雲でどちらが噴煙かわからない。夕日が山や牧場を柔らかく包んで、ずっと昔子供の頃に見たような風景が広がる。懐かしいような寂しいような美しい景色だった。牧場から下って北軽井沢の交差点近くの武蔵川温泉でお風呂に入った。レトロな格子戸のある風情あるホテルで、湯上がりにくつろげるロビーは手入れの行き届いた庭園に面している。そこでしばし湯上がりのほてりをさまし、ビールが待っている我が家に戻った。

最初のうちはいつものペースにもどれなかったけれど、こうして集まると徐々に調子が上がってきて夜中まで話題は尽きない。酒豪のHさんはコロナ謹慎中は家ではほとんど飲まなかったそうで、飲むにつれピッチが上がっていく。すっかりへべれけになって寝てしまった。それで今朝の朝食が食べられなかったというわけ。

今日も暖かく晴天でほとんど無風。それで去年は完成したばかりでまだ貯水のできていなかった八ッ場ダムを見に行くことにした。去年完成後すぐに台風が来て、全国にとんでもない水害を起こし信濃川が反乱した。その台風のときに八ッ場ダムは一気に満水になった。去年はまだ水没していない街と鉄道の線路が見えた。これらがすっかり水の中に沈んでしまった。そしてその周囲は紅葉の名所。両方見られる。北軽井沢からはさほど遠くなく、山の中を進んでいく。酒豪のHさんはこのへんから従来の切れ味を発揮し始めた。めっぽう方角に強い。方向音痴の私は一回角を曲がるともう西も東もわからなくなるというのに、彼女は常に自分の居場所を心得ている。

八ッ場ダムは去年とは打って変わった景色になっていた。満々と水をたたえて紅葉の山を背景に静かに佇むダム湖。この下に一つの街がすっぽりと埋まっているのだ。

もう一度北軽井沢に戻って私だけ自分の車に乗り換え、そこから御代田にある地粉やというお蕎麦屋さんに行くことにした。もう昼食時間をだいぶ回っている。お店に到着したときにはすでに本日の分の粉は終了していた。お蕎麦が食べられないのでは意味がないから、少し戻って浅間サンラインの入り口そばの「きこりや」という蕎麦屋へ行った。「地粉や」のお蕎麦がぜひ食べたいという下戸のHさんのたっての希望だったけれど、「木こり」も十分美味しい。そこで食事の後、私は山を登って帰宅、客人たちは東京までの長いドライブ。道中の無事を祈った。

今夜はまた一人ぼっち。みんなが残していったおせんべいをかじったり、チョコレートをつまんだり。これがいけない。体重が増えると膝や足首が痛くなる。

せっかく来てくれたのに一泊しかできないのは残念、友人たちまだまだ現役で頑張っているから仕事の都合で仕方がない。私は彼らが早く失業しないかと密かに願っているのだ。誰かが一緒にいる、それはそれで煩わしいかもしれないけれど、でも幸せなことなのだ。でも尊敬する我らが同士は皆さん生涯現役を貫き通すだろうと思う。頭も体も超丈夫な人たちだから。何だかんだ言いながら私は一人でいるのが好き。でも自分よりももっと好きな人ならずっと一緒にいられるのだろうな。今は猫が我が友。その同居人(にゃん)は北軽井沢に来る前は風邪気味で調子が悪かった。けれどこちらに来ると自宅にいるより食欲が進むらしい。今はすっかり元気になった。












2020年10月26日月曜日

鱒シューベルト 仲間たち


面白い動画みつけ「ます」た。
音楽仲間たちと時々面白いと思うヴィデオを回してみたりしていた。とくにコメディアンのダニー・ケイがニューヨークフィルハーモニーと共演した抱腹絶倒のヴィデオは回しているうちに消滅、今頃は誰かの家の棚でホコリまみれになっているかも。その中の一つがこれ。シューベルトの「ます」は何回弾いても難しい。今までどれほど弾いたかわからないけれど、一回として満足できた試しがない。特に4楽章のヴァイオリンのオブリガートは音程が難しい。でもこの動画ではパールマンがお構いなしに音をはずしている。
私が持っていたCDは、外国のあまり名の知られていない演奏家たちのものだった。その難しい音程のところで驚いたことに1オクターブ音を下げて弾いていて仰天したことがある。こんなのあり~?
たぶん録音のディレクターが何回駄目だししてもうまくいかずの苦肉の策だったのではと思うけれど、これでは赤っ恥、多少外れても、元の音域で弾くべきでしょう。
そもそもここは多少の音程など気にしないで弾いたほうがいいのかもしれない。パールマンでさえも外しているからこれでいいのだ!
ヴァイオリンのハイポジションの半音階は特に難しい。なぜなら半音の幅は指の幅より小さい。だからどれほど気をつけても瞬間的に外れる。特に外国人の太い指では指をずらさないと音程が高くなってしまう。彼らは指をずらしながら早いパッセージも弾くのだから神業。
次回この曲をひくときにはのびのびと弾こう。
私の友人が言ったことは、シューベルトは神経質になってはいけない、と。

パールマン、ズッカーマン、デュプレ、メータ、バレンボイムのメンバーでは怖いものなし、特に私はデュプレの才能が素晴らしいと思った。彼女の伝記映画を見て「見なきゃよかった」と暗い気持ちで帰ってきたことがあったけれど、神様は才能を与えると同時に苦難もおまけに付けるらしい。
だいぶ前だけれど、私はメータ率いる「世界オーケストラ」のオファーがきたことがあった。これは世界中のオケマンたちが国境や所属を超えて一緒に演奏する。せっかくのチャンスなのにどうしても外せない仕事があって、涙を飲んだ。曲目はマーラーの5番。未だに悔しくてたまらない。私の演奏経験に花を添えられたのにと歯ぎしり。

それにしてもこの動画のなんと生き生きしていることか。日本人どうしでこんな弾き方したら、叩かれる。これが私のイライラのもと。
でも次回私と「ます」を共演してくれるメンバーはツワモノ揃い。今度こそうまく弾けそうな気がする。





紅葉する山々

今朝7時頃出発して10時半頃北軽井沢に到着した。途中休みを多く入れて足や腰に負担がかからないようにと思っていたけれど、結局自販機で水を買っただけで走り続けてしまった。

その代わりと言っちゃあなんだけど、高速以外の道路で信号待ちの間は盛大に貧乏ゆすりをすることにした。これが意外と効果的かもしれない。今日は車を降りたときに足が重くなくすっと前に出た。いつもなら地面に足をつけてやおら立ち上がり、数歩ゆっくりと歩かないとちゃんと歩けないけれど、今日は調子がいい。やはりくるぶしの血流の問題かもしれない。貧乏ゆすりが癖にならないように気をつけないと、知らない間に人前でやっていたりしたらみっともない。

高速道路を降りて山道を軽井沢方面へと車を走らせていると、見事な紅葉が見られる。特に軽井沢付近はよく手入れがされているので美しい。中軽井沢を過ぎて山道に差し掛かると少し色合いが地味になって、上の方が紅葉が早いかと思ったらまだそれほど色づいていない。気温は上の方が低いはずなのに、これも人の手入れが行き届いている軽井沢とあまり手を加えない北軽井沢のちがいかもしれない。

浅間の初冠雪は先週だった。今朝見たらところどころ斑に白いものが残っていたけれど、ほぼ消えていた。昨日追分から帰った友人があまりの寒さに震え上がったと言っていたけれど、ほとんど寒くはない。薄着の私は普通の綿シャツに薄いジャケットで事足りた。明日来る人たちに寒いからダウンジャケットを用意するように伝えたけれど、暑すぎて汗だくになるかもしれない。寒くて風邪引くよりはいいかと思って、そのままにしてある。

森の中に入ると薄い黄色や赤く色づいた木々が煙るように見える。軽井沢近辺のいかにも造園業者の手で作られた紅葉の配置は輪郭がはっきりしていてお見事!でも私はあまり手入れがされていないほうが好き。ドングリの実が沢山落ちている。森のくまさんたちの冬眠の用意はできたかな?今年はコロナの影響で北軽井沢に来てくれる人は少なかった。来年は毎日沢山来てくれるように祈っている。ここを拠点に志賀高原や白根山や草津にも行けるから、来年こそは沢山の人が来てくれますように。

先日北軽井沢に小さなスキー場があることを発見した。いつもピクニックに行く浅間牧場の近くらしい。と言うことは、我が家からは10分たらずでいけるようだ。それだったら毎日1,2時間ほど軽く滑って、いい運動になる。今回滞在中にスキー場探索にでかけよう。ゲレンデは初心者向きであるらしい。けれど、もう初心者用で十分!好んでコブに挑んだり、凍った急斜面に喜んだ日は過ぎ去った。しかし、まるで自宅の庭にゲレンデがあるみたいではないですか。これは嬉しい。

一つ問題は、私は今までちらっとでも雪が降ったら車は運転しなかった。だから、とても怖い。だれか雪道が運転できる人に乗せていってもらわないと走れないかも。それとも若い頃のような無鉄砲さで雪道挑戦してみようかしら、なんて。やってみたら案外とできるかも。それは年寄りの冷水ならぬ年寄の冷雪といわれるかもしれない。

なぜためらっているかというと、手の力が極端に衰えていて、車が雪に埋もれたりしたら自分では出せないから。なんせ、ペットボトルの蓋も開けられないこの頃なんだから。

一番いいのは地元でスキー友達を見つけること。毎日車で迎えに来てもらって少し滑ったら帰る。これはいい。パートで送迎してくれる人を探してもいい。タクシーでもいいし。