2021年10月13日水曜日

今日も雨

 絶対晴れ女の栄冠を返上。2日も雨に降られっぱなし。

今年払いすぎていた住民税を返すという連絡が入ったので町役場まででかけた。雨で散歩もままならないからドライブを楽しもうという魂胆。町役場までは25キロほどもある。今まで慌ただしく行き来していてゆっくり街を見る機会もあまりなかったから、今日は知らないレストランでも探してみよう。

午前中にでかけたので途中でランチの計画。走り出すと霧まで出てきて、何という素晴らしいドライブ日より!一度だけ町役場に行ったことがあるものの、そのときはお隣さん同伴だったから道を覚えていない。途中で街の施設の支所などに引っかかりながらやっと辿り着くと、想像だにしなかった立派な町役場に生まれ変わっていた。スッキリと緩やかな曲線を描く外観。今は周りの山と釣り合っていないけれど、そのうち人口が増えればという思いで建てたのかもしれない。職員の数もまばら。

今年も去年も町の施設を貸してほしいというと断られたのに、ちゃっかりと住民税だけは取られるので今日は少し話し合いをしたいという魂胆もあった。去年と今年の2年間、コロナ感染を防ごうという必死の姿勢が見えるからゴリ押ししなかったけれど、町民は施設を使っている。部外者はだめということで涙を飲んだ。それなのに、住民税?しかも過剰請求されてはちょっと物言いたくなるのは無理もないでしょう。他府県の人はウイルスを持ち込む悪い人、自分たちは大丈夫とは言い切れないからこの姿勢はもはや改善の必要がある。初期の訳のわからないコロナの振る舞いは随分解明されてきたから、予防策も改善されてワクチンも行き届いた今、よそ者排斥でなくそれぞれが自己責任で予防すれば、こんな空気の良い広々としたところでは随分安心だと思う。けれど、町のコロナ対策委員会というのがあって、そこの上の人たちが決めるのでと言いながら職員が天を指差したのにはびっくりした。日本独特の上下関係が露呈した瞬間だった。

職員は皆非常に親切で、混み合っていないから丁寧に対応してくれた。コロナ関係の縛りはどういう状態なら解除されるのかは「下」の人たちにはまだわからないらしいけれど、来年には私は施設を使わせていただきますからよろしくとお願いしてきた。今年弦楽アンサンブルの生徒たちが合宿をしたいというから準備していたのに施設が借りられず涙を飲んだ。来年は新しいこの役場を    東京もんたちに見せてあげようではありませんか。若者たちであっても私の生徒たちは常識のかたまりだから、けっして非常識に振る舞わない。それが証拠には、誰一人として私の周りにコロナ患者は出なかったのですよ。

役場からの帰り道、お蕎麦でも食べようかとそば屋に寄ったら定休日で巨大な犬がお出迎え。お蕎麦はだめでも大好きな大型犬と戯れたのが収穫、次のレストランが開いていたので入ってみた。ちょっとエキゾチックな装飾なのでどこの国の?と訊いたら無国籍だって。ランチはひどく不味くここはバツ。私の料理より不味いお店に入ったのは久しぶりだなあ。夕方、近くの温泉に行ってたっぷりの熱いお湯に浸かって命の洗濯をした。


人恋しい

 3日前、北軽井沢に到着したときは清々しく晴れ渡り、やはり自分は晴れ女と思っていたら今日は曇り、今にも泣き出しそうな空模様に気落ちした。何事もすべてうまくいくと思ったら大間違い、曇りあってこその晴れた日のありがたさ。

今朝は夜明けを待ち焦がれていた。いつものように4時ころには目が覚めたので高窓から夜明けの光が差し込むのをひたすら待ちわびていた。夏ならばとっくに明るくなっているという時間にもまだ外は暗いまま。1時間半ほど待ってようやくあかるくなってきたのでシャッターを開けると、意外にも向こう三軒両隣に明かりが見えた。昨日到着したときにはどの家もひと気がなく、この森にまた一人ぼっちかと思ったけれど、そうでもないらしい。これもコロナの影響か、地球温暖化で都会の耐え難い温度上昇から逃れてきているのか、北軽井沢は最近新しいカフェなども増えてきた。

すでに飽和状態と思える軽井沢より伸びしろは大きいかもしれないけれど、如何せん鉄道の駅がないのが敗因となっていつまでも垢抜けない。でも私的にはこのまま10年は変わってほしくないというのが本音なのだ。今のこの北軽井沢がいいのであって、ここが原宿みたいになってほしくはない。5~10年後には私はたぶん小田原で小田原提灯ぶら下げて駕籠をかついでいる。いえ、お猿の駕籠やに担がれているかも。

小田原の介護施設の職員は旧友のお嬢さんのN子ちゃん、彼女が子供の時から知っている。しっかり者で、私をお姉ちゃんと子供の時からの呼び方で呼んでいる。お姉ちゃんの面倒は私がみると。それで今年の大晦日は彼女の家で過ごすことになった。ここ3年間、大晦日はいつも私一人。近所に姉と兄がいるけれど、それぞれの家族の中に入っても話題が噛み合わないし、子供の世話はしたくないし、わがまま婆さんは一人が一番なんだけどやはりお正月一人は寂しい。今後は足腰たたなくなったらNちゃんの施設に入って最後はそこで過ごす予定。もうひとり一人ぼっちの友人もNちゃんの司令で同じ施設に入る予定。なんでも素敵にうまくいくものだわ。これでもう安心して独身生活を謳歌することにした。

高齢になってからの初めての独居生活はかなり寂しかった。大家族での幼少時代はにぎやかで楽しかった。結婚してからもいつでも訪問者の絶えないにぎやかな陽気な家だった。それが生まれてはじめて一人になると孤独感が身に滲みた。なれるのに3年かかった。もともと一人でいるのは嫌ではないのと、大好きな音楽があるのが幸いした。最近は独居が楽しくて仕方がない。

こうなれないで寂しく亡くなる高齢者がいると思うと気の毒に感じる。誰も他人のことなんて本気で考えてくれるわけではないから、自分で運命を切り開いていかないと。幸い私には古くからの友人たちが多い。その中の一人がこうやって心配してくれている。運の良さというのは、本当に周りの人によって決まるとつくずく思う。周りの人達を大切にしない人は幸せになれない。他人の自分に対する振る舞いは自分の鏡なのだ。もし、自分が友人からいやなことをされたときには、それは自分がその人を識らずに傷つけているからなのだ。お金よりも何よりも友人は宝物。母がよく言っていた。どこで誰にお世話になるかもしれないのだから、他人に威張ってはいけない、と。

そう言われてもねえ。気性の激しい私の周りではバトルが絶えない。だからこうして森の中での静かな生活が必要なのだ。この家を買ったときに私の周りでは先を危ぶんでいるのが見て取れた。こんなところで一人ぼっちで一体どうするのか。高齢になってからの生活はもっと都会でするのが最近の常識。医療施設や役所も遠い。買い物も車の運転ができなければ不可能。でも今は、宅配が便利になってきた。ネットで注文ができる。なにも不自由はない。物質的にはすべて大丈夫。でも友人たちはそれ以上に大切。

昨日用事があって管理事務所に行って事務の女性と話をした。彼女も森の中の一軒家の住人。私が一人ぼっちの心配事をこぼしたらえらく共鳴してきた。普段は一人暮らしの楽しさ、ここの自然の素晴らしさを熱意を持って語るのに、それが崩れた最近の経験を話してくれた。

彼女の家のウッドデッキは多少古くなっており、それをだましだまし使っていたら、ある日、左足で床板を踏み抜いてしまった。その家は傾斜地に建っているのでウッドデッキの前の部分は高足になっていて踏み抜いた足が地面に届かない。骨折はしていないようだから痛みを堪えて足を引き抜いた。引き抜いた途端、みるみる足が膨れ上がったという恐ろしい話だった。その時すぐに足を抜かなかったら誰にも知られずに数日過ごしたかもしれない。しかも自宅だったから携帯も持たない状態。どこにも連絡しようがない。

きゃー!怖い。友人にその話をしたら、必ず携帯は持っているように、首から斜めにかけておきなさいとアドバイスされたけれど、ただでさえ何でもどこかに置き忘れるからこれは無理。でもそうなったら素直に運命を受け入れるっきゃない。独身の女性と話をして、だれか一緒に住んでもらいたいということを二人共考えているけれど、でもね、たった1日だけでも一緒に暮らし始めたらすぐに後悔するわねと。人恋しい、でも邪魔されるのは嫌、これではねえ。







2021年10月11日月曜日

どんぐりの音

 9月中はやや忙しく、以前ならこの程度のスケジュールは難なくこなせたのに、最近は少し忙しくなるとパニックになってしまう。一度に複数のことができなくなった。若い頃は掃除しながら洗濯と料理を同時にできたものだった。もっとも家事はあまり好きではないので、溜まりに溜まった家事をこなすときにだけれど。

9月のスケジュールが終わるともう当分コンサートもない。それでも常に練習だけはしておかないと、急に入る仕事は恐ろしい。だから目的がなくても練習だけは欠かさない。この練習だけというのはなかなかモチベーションが続かない。誰かが聞いてくれるから真剣になるのであって、猫に邪険にされての練習は面白くはない。ある声楽の先生のうちの猫は、飼い主の先生が歌っているときだけは静かにしているけれど、生徒さんが歌うとかかとに噛み付くそうなのだ。あな、恐ろしや。それはまあ、生徒さんのほうが先生より下手ということもあるかもしれないけれど、猫にしてみれば餌と温かい住まいの提供者が誰だかわかっているということかもしれない。

夏に北軽井沢に行ったときに謎の水たまりを見つけたことはnekotamaにも書いたけれど、その謎は一向に解読できなかった。部屋の数カ所の片隅や窓の近くに水の滲みたような跡があり、触るとじとじとした感じ。どう見ても水分の滲みなのだ。

車の整備に行って時間待ちをしていたときに馴染みのスタッフがやってきたのでその話をしたら、突然「私が見ましょう」でも北軽井沢は都会から4時間近くかかる辺鄙な場所。鉄道も通っていない。「構いません、なにか気になることがあるとどうしても原因が知りたくなるので」と言ってくれるから、ある日、一緒にでかけた。もとレーサー、もとメカニック、そして現在はトップ営業マンの彼の素晴らしいドライブテクニックを披露されて約3時間半後到着。私のパパゲーノはご機嫌で走った走った。私がいつも手こずる急カーブの連続はあっという間に通り過ぎた。

ところが夏には水浸しだったその箇所がやや乾き気味、それでも水の痕跡は残っている。例えば窓の2枚のガラス戸の合わせ目とか、玄関の四隅とか、およそ水場に関係ないところが濡れている。上からのものではない。上からなら天井もシミができていると思うけれど、それはまったくない。そして浴室の脱衣所の床にある蓋を開けると床下に潜り込めるようになっている。そこに潜り込んだ助っ人さんは「おかしいな、普通こういうコンクリートの基礎だと空気抜きの穴があるはずなのに、それがない」と。周りの家の基礎を見ると、なるほど、コンクリートでぎっしり囲んでおらず、床下に薪などの収納できる空間がある。私の家には通気孔がまったくない。しかもコルクの床のすぐ下にコンクリート、そしてコンクリートの下に断熱材???とにかく床下に乾燥剤の大きいものを入れてどれほどの水がたまるか様子を見ましょうということになった。あまり複雑な症状ではないので、やや肩透かしを食らった表情の助っ人さん、素人考えではコルクとコンクリートの間に断熱材があるのが普通なのではと思う。コンクリート下の断熱材はなんのため?とりあえず夏よりは状態は良くなっているけれど、次の夏に備えて対策を考えるなり、建築士に訊くなりしておかないといけない。それでも水道管の不具合とか水回りの故障でなくてホッとした。これがわかっただけでも助かった。緊急事態でないと知ってひとまず安心。

以前から床暖房が壊れていると地元の管理会社から言われていた。それでわざわざ大型の石油ファンヒーターをつけたら不格好で幅広く邪魔な存在だった。本当に壊れているのかどうか助っ人さんに電源を入れてもらって家をあとにした。帰りもあっという間に帰宅したので、北軽井沢はちょっとそこまでと言える距離だったのかと思えた。カーブ続きの急坂も走り方次第。

それから数日、今度は一人で北軽井沢にきた。カーブ続きの急坂はやはり難所だったみたい。軽自動車がカーブを曲がりそこねて側道にゴロンとはまり込んでいた。警察車両も来ていたし、関わりのあったと思われる車が2台、ドライバーらしき人が二人。すると側道に転がっている車のドライバーは救急車に載せられていったのかな。

家に着いて昼食を食べていたら、急に大勢の子供が駆けてきたようなぱたぱたという音がした。何事?しばらく聞いていてわかったのはどんぐりの実の落ちる音だった。風が吹くと一斉に揺れる枝から音を立てて落ちる。ああ、こんな音は最近全く聞くことはないなと郷愁を覚えた。そして今、シャッターの降りた窓の外から聞こえるのはなにかの動物がそのどんぐりを食べている音かもしれない。これが夜の森の音。

床暖房は壊れていなかった。床が温かい。裸足で歩くとコルクの感触が気持ちいい。今日の東京は夏みたいに暑く気温は30度だと友人の電話。床暖房なんて言ったら聞いただけで熱中症になりそう。床暖房の効果で床の結露は跡形もなくなり、コルクの床の触感の良さを実感した。問題は梅雨時、7月に床暖房はつけられない。その季節にどうするか考えておかないと。






2021年10月1日金曜日

怒って帰った人

定期演奏会 再開の喜びを味わっていたら水をさされた話。

古典のテンポは総対的にゆっくりめ。コンマスを初めとして優等生が揃っているから慎重にことをすすめる。それに対して私はカッ飛び派。早ければ早いほど愉快になる。どうやら前世は騎馬民族だったらしい。中国の砂漠地帯に初めて行ったとき、故郷に戻ったような気がしたものだった。成吉思汗の末裔だったらいいなと思っている。

定期演奏会当日、私はアルビノーニの合奏協奏曲のソロを弾いた。初っ端なので私がコケたらあとずっと転けそうで、そういう意味でえらく緊張した。緊張したおかげでかっ飛びもせず、落ち着いていられた。やれやれ無事に終わった。でも演奏会の翌日変な話を聞いた。

この曲は合奏協奏曲という形式なので、普通の協奏曲と違ってソリストが前に出て立って弾くという形はとらない。要するに合奏の中に出てくるソロなので、あくまでも合奏が主体であるから合奏もソロもずっと一緒に弾く形式なのだ。だから合奏協奏曲はどの曲もソロもトゥッティも全員座っている。ソロが始まると合奏は休む、合奏が始まると今まで一人で弾いていたソリストも一緒に弾く。

当日の第一曲目が終わって会場から出ていった人がいるという。彼はひどく怒っていたそうで、「この合奏団は素人か」と。「ソリストが立って弾かないなんて非常識にも程がある」という。いやいや、この曲は「合奏協奏曲」ですからといえる人がたまたま受付にいなくて、若い女性のスタッフたちがオロオロする姿が目に浮かぶ。「いえ、私は立っていましたよ、でも小さいから座っていたように見えたのでしょう、ウヒヒ」と私がその場にいたらそう言ってはぐらかすところなんだけど。

困ったなあ。まさかこのブログを読んではいらっしゃらないと思うけれど、もしもし、その御方。私達の合奏団は来年70周年を迎えます。あのイ・ムジチと同じくらいの歴史があります。私は他のメンバーよりも少し遅れて参加したけれど、初期の頃からいる人達はもう半世紀超えのベテランたち。だからといって間違えないとは言えないかもしれないけれど、この形は世界の常識。ヴィヴァルディの四季なんかも合奏協奏曲として演奏するならば、ソリストは皆と一緒に座って演奏する。

別に法律で決まっているわけではないけれど、どのような形で演奏するかはそこの合奏団の決まりであって、傍からとやかく言うことはない。例えば今回の曲をあの有名なイ・ムジチ合奏団が「古典」とおなじように全員座って演奏したら、文句は言わないと思う。なんでも外国人がやっていれば正しくなるのが日本の常識だから。

ネットで誹謗中傷されて傷つく人もいる。この人がネットで中傷しないことを祈るのみ。私は鈍感だからなにを言われても大丈夫だけれど、合奏団自体が常識がないと言われるのは困る。でも、私の友人たちも私が座って弾いていたから、足でも傷めたのかと心配してくれていたのだそうだ。こういうのって、どうすればいいのかな?要するに立って弾こうが座って弾こうがその時時の演出であって、会場の音響などの諸条件によって最良の方法をとるのは決して非常識ではないということ。演奏が悪かったのなら私がいけない、素直に謝ります。でも小柄だからと言って見間違えないで!私は立っていたのに。アハハ!

またこういう冗談言うと叱られますので、おあとがよろしいようで。














2021年9月30日木曜日

帰ってきた古典音楽協会定期演奏会

 昨日は1年半ぶりの再開となった「古典音楽協会」定期演奏会。一昨年3月のコンサートがコロナ感染拡大のため中止となって次もその次も流れて、これではもう私達高齢者はこのまま朽ちてゆくものとおもっていた。しかししぶとく生き残っておりましたぞ、我が古典のメンバーたちは。誰ひとり欠けることなく集まりました。

驚いたのは、これだけブランクがあったにもかかわらず誰の音も生き生きと、むしろ以前より張りもありリズム感も若々しくなっていたこと。幼少時から辛い練習に耐えて黙々と練習を重ねた習慣が身についていたのが幸運の源。

上野の東京文化会館の小ホールは、いつもの入りよりはすくなかったものの、ステージに出ると客席からの熱いエール、こちらから見るとどのお顔もニコニコと歓迎の表情で、嬉し泣きしそうになった。「古典」は自分たちだけでできていない、聞いてくださる方々と一緒に長年歩んできたその結果であると感慨深いものがあった。

今回は全面解除とはいかないのでお知らせは控えめだったので、いつものように満員御礼とはならなかったものの、次からはまた座席を探すのに苦労するという嬉しいお小言を頂戴したいと思う。とにかくこの小ホールのステージに戻ってこられたのが何よりの幸せだった。しかし元気な高齢者集団だなあ。コンマスの角道さんは83歳、信じられない若々しい音で協奏曲を弾く。

ヴァイオリンという楽器はゼロ・ミリ単位の指の動きで音程を作る。耳も運動機能もよほどの訓練をしていないとすぐに衰える。私は1年半、コロナが流行り始めてから8つものコンサートが中止になってがっくりとして練習に身が入らなかった。その間も着々と練習をサボらなかった我がコンマスは、全く変わっていない。恐れ入りました。

再開がきまってからメンバーが集まって練習ができたのがたったの一回。だから当日のステージ練習はあちらこちら破綻だらけ。いつものさっさと終わるゲネプロと違って時間がかかった。これで本番?しかし、数十年来の団員たちの絆は強く、本番はいつもの音、いや、いつもよりもずっと力強い音が聞こえた。全員の顔が生き生きと弾ける喜びで輝いていた。

文化会館は馴れているせいもあるけれど、とても弾きやすい。小ホールの舞台に立つと「ただいま」と言いたくなる。厳しい審査を通らないと立てないこのステージで「古典」のメンバーであるということで毎回演奏できることはこの上ない幸せだとおもっている。私達メンバーも高齢化が進み、あと何回できるかわからないけれど、来年の創立70周年までは頑張らないといけない。しかし、自分でも驚く。こんなに長いあいだ所属した団体は「古典」が初めて。

私は今までいくつかの団体に所属しても長続きしたためしはなかった。どこに入ってもなにかしっくりこない。「古典」は競争の激しい業界を生き抜いてきた人たちなのに心底優しく、うちに秘めた強さが忍耐につながっていく。そこに私は深く共感を覚えるのだ。思いは一つ「いい音出したい」そろそろ天国の入り口に到着するので浄化作用が働いて、音はこれからますます良くなるでしょう。乞うご期待!


2021年9月16日木曜日

積み重ね

朝、目が覚めると最近はいつも「調子悪い。デルタ株にやられたか?ミュー株に感染したかしら?」まともに気分が良かったためしがない。
今朝も一旦起床して朝ごはんを食べて、それでもちゃんと目が覚めないからもう一度眠ってしまった。目が覚めたらすでに正午過ぎていた。よほど疲れていたようだ。

といっても最近は音楽教室の発表会に合わせてアンサンブルの指導にあたっていただけで、どちらかというと面白く楽しいことだけしかしていない。
今週の土曜日に本番があるのだけれど、その最後の練習のときに今までで一番いい音が出たのが嬉しかった。今までとは違う余韻が練習場に鳴り響いたときには、私はしてやったりと思った。長い年月がかかった。

まずは音程を合わせることから始まるけれど、それをハモらせるには音のバランスをとることなど一つ一つ限られた時間で積み重ねないといけないから、同じメンバーで長く続けることが肝心なのだ。ビブラートひとつとっても出来る人もいればできない人もいる。幸いこのアンサンブルにはできない人はいない。けれどビブラートの質や速さなどまで問題にするほどのクオリティーは求められない。
楽譜を読むのがやっとだった彼らが、ずっとやめずに我慢して小うるさい小言を聞いてくれたからここまで来られたと感無量。これで本番で舞い上がらなければ大丈夫。
ほっとしたけれど才気煥発なメンバーたちの若さのエレルギーに対抗するのは中々大変。彼らの元気なことと言ったら、コロナも寄せつけないから私も自分がコロナにかかるわけにはいかない。

この感染症と来たら罹った本人が苦しむだけではなく周り中に迷惑をもたらすから、そこが厄介なところ。万一罹ったら濃厚接触ということで他の家族や友人たちまで巻き込んで公演が中止になったりするから、おいそれと熱が出たとも言えないし、言わなければ言わないで、これも後々のトラブルになると思うので、厄介な話しなのだ。
今朝もあまりにもどんよりしていたので数回熱を測った。もしやというわけで。氣のせいかゾクゾクするし。36.2度、な~んだ平熱。コロナが流行り始めてからいつもこの繰り返しで、体温計は現在の私の一番親しい友人となった。
久しぶりに沢山寝たらすっかり気分は良くなった。

さて久々に投稿するにはなにか理由があったのに思い出せない。ということは、ボケ自慢をしたかったのかも。これがすごいんだから。いやいや、もっと大切なことを書くつもりだったのかも。ま、いいわ、思い出したらまた投稿しましょう。

話は転じてうちの野良の近況を。
野良は只今2匹。(元)メスの白黒、(元)オスのトラ猫。毎朝7時ころと夕方5時ころの2食を食べに来る。駐車場で私の車の下で待機している。
以前は私が行くのを足踏みしながら待っていた。餌を容器に入れるのが待ちきれず、入れるそばから盗み食いするほどお腹をすかせていた。ところが最近は、すでにお腹がポンポンに膨れた状態で来ることが多くなった。どうやらうちの野良猫食堂に来る前にどこかで食べてくるようだ。それでも野良猫の悲しさ、餌があるときにはできる限り食べておく習性であるらしく、見ているとはちきれんばかりのお腹になおも詰め込む。
その後、コンクリートの床にゴロゴロと横たわって「ささ、早くブラッシングをしなさい。早く早く、耳の後ろがかゆいんだから」なんて。

最近は私が野良たちと楽しげに遊んでいるのが通りすがりの人達には羨ましがられているらしく、困ったことにこっそり餌をおいていく人がいる。駐車場の外の道に餌の残骸が散らばっているのをよくみかける。それを狙う他の野良たちもいる。
こういうことで近所でも嫌がる人が出てきてしまうのだからやめてほしいと思っている。
単に可愛いだけではすまされない問題なのだ。一旦餌を与えたら最後まで責任をもってやらないと、そういうことから近所迷惑でかわいそうな野良たちが迫害を受けることになる。私も今の野良たちが死ぬまで続けないといけない。
旅行に出るときには餌やり人を確保して、日常と違うやり方で猫が警戒しないようにお願いしないといけない。たかが野良猫というなかれ、彼らは日々危険に直面しているから警戒心が強い。今通ってきている野良たちは私には抱っこされるし、ブラッシングを要求したりすっかりなれきっているけれど、見知らぬ人が手を出そうものなら引っかかれる。子供でも引っ掻いたら大事になってしまう。そこのところを大いに警戒しているけれど、ただ可愛いとだいうだけで遠慮なく近寄ってくる人たちが悩みの種。

家の近くに小さな公園がある。そこに多頭飼育崩壊した野良たちの残党が屯していていつも気になっていた。けれど、私が責任を持って餌やりできる範囲を超えているから滅多なことでは手を出さないことにした。ここ数日、そこの公園の木が数本切られ、下草が刈られてこざっぱりとしていた。するといつもは10匹近くいる野良たちが一匹も見られない日があって、私はえらく心配した。全員捕まって三味線になっているまいか。
そこへ一匹の黒猫が現れて、とりあえずその子だけでも無事と知ってホッとした。
環境が変わると野良たちは警戒する。私も、もしや彼らの追い出し作戦が始まったかと思ったけれど、次の日にはほとんどの猫が舞い戻ってきて、毎日夕方餌をやっている人もいて胸をなでおろした。

最近我が家の周りで地域ネコの意識が高くなって、それぞれの家で野良の面倒を見ているようだ。猫好きのご近所さんが通りすがりの立ち話。
「可愛そうな猫を棒を持って追いかけるおじさんがいるのよ、ひどいわねえ」
「そういう人は同じ目に合わせるといいのよね」と過激な発言はこの私。
だってねえ、自分より遥かに大きい動物が棒を持って追いかけてきたら、それはそれは怖いでしょうに、そういう人はなんでそんなことをするのだろうか。もしかしたら家庭内で奥さんからいじめられている鬱憤を吐き出しているのかも。









2021年9月4日土曜日

人生の佳境

 すでに一ヶ月ほど、投稿を休みました。

なぜかといえば書き始めると腹の立つことばかり思い出して精神衛生上非常によろしくない。読む人たちもうんざりだろ思うし、まだブスブスと胸の奥にくすぶっている熾火が再燃するといけないから黙っていたけれど、相変わらず・・・いやいややめておきましょう。

これがどれほど脳みそに悪いことかというと、私は急激に痴呆症になってしまった。物言わぬは腹ふくるるわざなりというけれど、腹はやけ食いで膨れたのであって、これは筋トレでしばらく頑張れば解決すると思うけれど、心のケアは自分だけでは難しい。せめての慰めはだんだん日常が復活して来て、古典音楽協会の定期演奏会が再開の運びとなったこと。でも一年半のブランクは私達の年齢の者にとっては相当厳しい。すでに筋肉や反射神経が衰えているところにもってきて、脳みそが萎縮し始めているので何回も弾いた曲なのに、あなた誰?みたいに忘れている。

9月はめずらしく忙しい。音楽教室の発表会に出演する弦楽アンサンブルの指導と本番で一緒に弾いてほしいとの要望。少し前なら本番で初見でもいけたと思うけれど、それがなかなか早いパッセージが覚えられない。あ~あ!

本当なら今頃は北軽井沢の私の家に生徒たちが集まって盛大に合宿をしていたはずなのに、コロナ感染が異常に拡大したために直近で中止の憂き目にあった。ほら、又ぐちが始まってしまった。オリンピックなどやらなければお盆の時期にも国民は里帰りを我慢したと思う。けれど8割もの人達が反対したにも関わらず海外の感染者を国内に入れて、それで国民に我慢しろというのが無理というもの。メダル量産とか言って喜んでいるのがバカバカしい。選手たちは本当に気の毒に思うけれど、この人達に罪はないし恨みもない。頑張っている姿を子どもたちに見せたいと言って、すぐに引率者の陽性が見つかったり若年層に感染が拡大したり、当たり前じゃないですか。一本筋の通った政策ができない政府に対して国民は皆呆れている。教育は臨機応変に、こんな時期に混雑する場所にどうして子どもたちを連れて行くのかしら。

たしかなにか面白いことがあったのでブログ再開するつもりだったのに、なんだったかそれすら思い出せない。そうそう、先月の北軽井沢でのフェスティヴァルで演奏が終わったときに、地元の人からたくさんきゅうりを頂いた。なんでもたくさん獲れ過ぎて余ったのでということだった。その量が半端でなくずっしりと重いので、楽器を置いてきゅうりをケースに詰めて帰ろうかという冗談まで出た。こんなに食べきれるかなと思ったけれど、それがとんでもなく美味しかった。

見た目は形も色もバラバラ、曲がっていたり太ったのや痩せたのや様々。帰宅してから塩麹に漬けて見た。一日おいて食べたら「エッ、きゅうりってこんなに甘いの?」バリバリと食べて私はキリギリスになってしまうかと思えるほど毎日きゅうり三昧。もともときゅうりはそれほど好物というわけではなく、毎年夏の暑いさなかにしか食べない。あとは他の料理に付け合わせとか添え物でしかないと思っていたのに、この期間だけは主食になってしまった。きゅうりもこんなに喜んで食べてもらえて本望、少なくとも生産者は得意になる資格十分だった。

先日北軽井沢の我が家にしばらく滞在していった人からお礼のメールが来た。彼女は半分ドイツ人。なぜかというとドイツの企業にいまだ在籍していて、今後、余生を日本で過ごすかドイツに戻ってドイツ人と結婚するかの選択肢があるということなので、その決断のために私に相談したいという。私だったらドイツを選ぶかもしれない。しかし無責任に私が決めるわけにもいかないから、とりあえず残りの数年を仕事がんばってみたらという無難な返答になってしまった。それからでも決断することができる。彼はずっと待っていてくれるというなんとも羨ましいお話なので。いいないいな、私を待っているのは猫ばっかりなのに。

メールは北軽井沢は「期待していたのより遥かに美しいところ」だったとのお褒めの言葉。そうでしょう、そうでしょう。浅間山の全景が見られるポイントに長い時間座って雲の流れを見てそよ風にふかれて、幸せな時間を過ごした。それが彼女の選択に一役買ったかもしれない。

更に嬉しかったのは、北軽井沢は日本のバイクのレースの発祥の地だったということを知ったこと。浅間牧場の売店で見かけたのがバイクの展示室。入ってみると懐かしいバイクがずらりと並んでいた。こうしてみると私は子供の頃から車やバイクに興味を持っていたらしい。よく覚えているのがその証拠。女の子なのに珍しい。なるほど、北軽井沢への入り口となる山道は、走り屋さんたちの絶好の走り場。2年ほど前、そこで事故で亡くなった女性が倒れているのを見てしまった。バイクと命の危険は隣り合わせ、ご主人らしき人が呆然と立ちすくんでいた。それでも亡くなった人はその瞬間まで幸せだったのではないかと。

こう言うと生真面目な人は私を不謹慎と思うかもしれない。けれど、自分が大好きなことをしている瞬間に死ねたら本望。私はオーケストラで演奏している最中に鳴り響く音の中で、ふと、今死ねたら・・と思うことがあった。