2021年11月12日金曜日

野良は元気かな?

今朝の朝食は昨日見つけた卵屋さんの卵でオムレツ。車を走らせていたら鶏牧場の看板が目に飛び込んできた。ほう、さっきはヤギ牧場というのがあったけれど。ヤギはちょっと苦手。ここの鶏たちは広い土地に放し飼いにされている。囲いの外から餌を投げ与えられるように餌が置かれているので一袋買って手近の鳥さんに投げてみたら・・・鳥だから足音はしないけれど、ドドドドド・・・みたいに何百羽?の鳥が出てきてびっくりした。私の目の前でひしめき合いながらこちらを見ているのには圧倒された。店の人は、奥にもっといるんですよと小屋を指差した。

今朝オムレツにさっそく使ってみた。割ると白身がこんもりと盛り上がって新鮮そのもの、チャボというのかしら、茶色い小型の鶏さんたちの 栄養を美味しく頂いた。後で卵かけご飯にしてみよう。キャベツは美味しい、卵もすごい、肉屋さんは何軒も良い店がある、プリンの美味しい有名店もある、気持ちの良い温泉旅館やホテルもある、浅間山がすぐ目の前に見える、こんなに素敵な場所がどうしてこんなに過疎なのかと以前からずっと思っていた。私がノンちゃんの家に居候を始めた13年前から今まではほとんど変化がなかった。

ところが最近、村がどんどん様変わりしている。コロナ禍のせいで人々が都会にいなくても、仕事はリモートでもできることに気がついて自然回帰が始まっている。このあたりの素晴らしさにようやく気がついたらしい。カフェがあちこちにでき始めた。森の木が切り倒されて新しい家が建てられている。リゾート開発業者はそのうちにバス路線を増やすのではないかと思う。そうなってしまうと私はつまらない。

開発を望んでいる地元の人には悪いけれど、私はこの手つかずの自然が好き。林の木々はボサボサで山間の道はわかりにくい。お蕎麦を食べに行くのに道に迷ったりする。志賀高原、草津に近いので気が向けば雄大な自然と向き合うことができる。何よりもこの静けさが素晴らしい。

若者は群れるのが好き。私もかつてはそうだった。群れるのが好きなら鶏牧場の囲いの中に入れてもらえば満足できるでしょう。突かれても鶏ならそう痛くはない。

今はもうこの別荘地に人影はない。こんなにいい季節なのに。地元の水抜き業者は雪になる前に早く水栓を空にしたい。管が破裂すると大事になるから。でも私は冬もここに来たいからまだ水抜きの依頼をしていない。

雪の季節、こんな寂しいところは本当に人っ子一人いないに違いない。今でさえ人の姿はないのだから。もしかしたら雪女が出てきてさらわれるかも。雪女の友達を持つのも悪くはない。先日この家の中に動物が入り込んでいた。どうやって入ったのかは謎だけど、それも楽しい。さっき、動物が餌を食べている音がした。庭の方から聞こえるからそーっと立ち上がって覗きに行ったら、なーんだ、窓際の餌場でうちの猫がカリカリ食べている音だった。いつの間にかこの家に入り込んだのかしら、この猫は。いやいや、あなたがつれてきたのでしょうが。

そろそろ野良たちのことが心配になってきた。ちゃんと餌食べてるかな、いじめられていないだろうか。寒さに震えていないだろうか。

しかし彼らはしたたかに今まで生きてきたのだから大丈夫と自分に言い聞かせる。いつでも心配の種は尽きない。私のほうが里心が出てきたかな。そういえば人と話すのはお店に買い物に行ったときだけ、人間は群れる動物なのだと改めて思う。

夜明けを待つ

この季節は夜が長い。睡眠時間の短い私にはつらい。都会と違って森の中は真っ暗だから、夜は表が歩けない。ほんの僅かの街頭が照らす部分以外は真の闇。自分の足元も見えない。

テレビもないこの森の中でどうやって過ごしているかといえば、こうしてパソコンと向き合っているか、食べているか、寝ているかしかない。今回はハリー・ポッターの原書読みの最後の追い込みのために 来ている。第7巻の22章まで読んだ。あとまだ15章くらい残っている。これを完読したからと言って私の英語がうまくなるわけでもないのに、始めてしまったからには完読しないと気がすまないという厄介な性格のためやめられない。これで面白くない本だったら最初から読み通す気はないけれど、作者のローリングさんの罠にハマってしまった。大人こどもを問わずお読みになることをおすすめする。単なる子供の本ではない。

今最初の巻で始まった様々な筋書きの謎だった部分がピシャリとハマってゆく面白さに取り憑かれている。ああ、あのときの意味はこうだったのかと。そのすべてを作者は頭の中にきちんと保存しておいたのだ。最初のうちは小学生くらいの子供向きに語彙も少なくフレーズも短い。しかし今や曲がりくねった路地の先に突然否定形が出てきて意味が逆さまになり、そのまた奥に目に見えない路地が隠されて・・・私にはお手上げの難しさ。パズルのように、しかも深い哲学が隠されていたり。

私は言葉に関しては国粋主義、日本語大好き。英語には興味なかったから学校でも最小限テストのための勉強しかしなかった。こんなことならちゃんと勉強をしておけば、というよりこの本が当時出版されていたらなあと思う。私には難しいけれど、今どきの高校生なら軽く読みこなせると思う。

それで夜が更けてようやく寝ようかというときに猫が騒ぐ。今夜は表に動物がいてウッドデッキでお食事。さっき庭の落ち葉をかき集めていたら、中からどんぐりが出ること出ること、これで春までリスなどの保存食となる。さっき来ていたのは誰だかわからないけれど、美味しそうにバリバリと食べる音がしばらく続いた。どんぐりが大量に降った日の夜は大勢の動物の声がした。「うまいねえ、これ」

今日はお一人様かな。夜の森には様々な音がする。今日来た動物は少し大きい感じがした。でも熊さんではあんめえ。おっと、落語の口調になってしまった。見たくてウズウズしたけれど、シャッターを開けたら熊がいたら大変だからやめておいた。人間だったらもっと怖い。

シャッターは夕方5時過ぎには閉めてしまう。外は真っ暗、少し怖い。5時に閉めて翌朝6時までは外は暗い。だから今の季節は13時間も家のなかで早く夜が明けないかと待ちかねている。

今朝やっと表が明るくなって6時ころシャッターを開けた。木の葉がすっかり落ちた落葉樹がほのかに明るい朝の光を背景にシルエットになって浮かび上がる。まだ太陽は眠そうにゆるゆると明るくなっていく。少し目を離して振り向いて窓の外を眺めると、わあ!山火事?

木立の一部分が真っ赤に燃えている。あっけにとられてよく見ると、そこだけ雲があって、その雲が登ってきた太陽の光を受けて真っ赤に染まっていた。しばらく呆然と眺めていた。

いつまで見ていても飽きないから、私の朝は空と雲を見るのに2時間ほど費やされる。

春夏には木が生い茂って湿度が高く、それなりには美しいけれど、ここの一番いい季節は今頃なのだ。それなのに森の住人たちはさっさと家を閉めて都会に戻ってしまう。木枯らしが身を切るように吹きはじめ空気が一層澄んで浅間山が冠雪する頃、名残惜しいけれど山を降りる。

ここでの一人暮らしも3年、はじめのうちはまだ仕事も忙しかったけれど、今はかなり時間の余裕ができた。それでも野暮用が多く帰宅しないといけない。やっと最近1週間以上逗留できるようになった。年寄りの割にはチャカチャカと動き回ることが多く、馴染みのお店も増えてきた。今日は合鍵の相談にここを建てた工務店まででかけた。

以前の持ち主のノンちゃんはきちんと書類なども保存してあって、でも、そのことを私に伝える前に急逝してしまった。先日合鍵の1本が見当たらなくなった。受け継いだ鍵は3本。ドイツ製の複製が大変難しいという立派な鍵。そうなのだ、ノンちゃんはなんでも良いものを好む。私は簡単なものを好むから、複製するのにドイツに注文しなくてはいけないなどというのはとんでもない災難のようなもの。あるいはドアごと取り替えるか、他の鍵を別につけるか・・・など手段はあるらしいけれど、ひとまず施工した会社へ相談に行った。15キロ離れた山の奥の集落の一角に会社があった。

初めて会う社長はまだ若く礼儀正しい。一通り最善策を考えてセーフティーカードの番号をドイツの会社に送ってもらうことにした。帰り際、何気なく社長がこんなものをもらってと見せてくれたのが木彫りのフクロウ。今私は表札になるものを探している。未だに表札はノンちゃんの名前のままなので、可愛い動物の木彫りとか陶板の表札がほしいと思っていたのに、大きさもピッタリ。ほってくれる人を紹介してほしいと頼んだら、これ差し上げますよ。

いやいや、くださった方に悪いでしょうというと、なに、めったに来ませんから。結局頂いてしまったけれど、社長が事務員の方をちらっと見たのが気になる。もしかしたら彼女は奥さんで、奥さんのお父さんが彫ったのかもとか妄想を膨らませた。私が帰ったあとで大喧嘩になっていないだろうか。

あなたって人は女と見ればやたらにものを上げて、キーッ、悔しい。

いや、女と言ってもあれは婆さんだぞ。金髪になんかしているけど、よく見てみろ。マスクしているからわからないけど百歳近いかも。

おおいやだ、年はとりたくないものだわ。マスクは一生つけていよう。







2021年11月10日水曜日

冬の雑木林

 認知症検査も受けられたし、この検査ではよほどひどい出来でなければ次の運転技能の講習を受けられるらしいからホッとして北軽井沢の山荘にやってきた。前の日に出発のつもりが悪天候で1日遅れになった。関越道の半ばまでは少しだけ曇っていたけれど、こちらに近づくにつれて青空が広がって清浄な空気が呼吸を楽にしてくれる。猫はといえば相変わらず文句たらたら、トイレは一応済ませてきたから今度は大丈夫と思っていたのに、途中の山道のカーブで車酔いをして嘔吐した。毎回随分気を使ってカーブを運転するのに。

山荘に着くと今までの弱り様はどこへやら、まっしぐらに冷蔵庫の前に行く。いつもそこで餌を食べているので。早く水と餌を用意して!と小うるさい。そしてむしゃむしゃと食べるは食べるは!自宅での食欲とは全く違ってぺろりとたくさんの餌を平らげる。これほどの違いは空気なのか水なのか気圧の違いなのかしら。

最近この猫がひどく泣きわめく。夜中に羊のようにメエメエ泣くのでしょっちゅう目が覚めてしまう。このせいで私の昼夜逆転が始まったと言える。私もそうなんだけれど、年をとると色々不安なことが多くなる。例えば私はこの先たった一人でどうやって人生の最後を迎えるのだろうかとか、私が先に逝ってしまったら野良たちはちゃんと面倒見てもらえるだろうか、とか。優しい人達が私の面倒は見なくても野良の面倒は見てくれるだろうとか。猫だからそんな考えはないとは思うけれど、なんでこんなに絶叫するのか、そのところを動物に詳しい人に訊いてみたい。夜中の絶叫に疲れて昼間は押し入れに入ってぐうぐう寝ている。いい気なものだ。

その猫もここに来ると物珍しげに落ち葉がひらひら舞い散るのを眺めたり、ふかふかとした腐葉土の匂いを嗅いだり、普段の仏頂面からは想像できないほど可愛らしくなる。私もそうだといいけれど。数週間前に来たときに植えていったヴィオラがしっかりと固まって色鮮に咲いていた。ノンちゃんの大好きだった庭の主の大木の周りが華やかに見える。

手入れを極力避けて自然のままにしてあった木もだいぶ朽ちて、大きな枝が危なっかしく手を広げている。先日、ウッドデッキの上に張り出している長い枝の一本に葉がつかないことに気付いた。ということは枯れ枝?とするとまさしく人が座るためのベンチは危険地帯。この枝がドサリと落ちたら大怪我をする。早速工務店に電話をして切ってもらう手はずを整えた。

この枝は相当高いところにあるけれど、下がデッキだから高所作業車は載せられない。だとするとどうやって作業をするのか、とても興味がある。私が滞在しているうちに作業をしてもらいたい。私は建築現場を見るのが大好きで、ショベルカーなどの特殊機器の動きをいつまでも見飽きない。工事現場の守衛さんにいつも危険だからと追い払われるのが残念。

森の中は木々の葉がほとんど全部落ちてしまったので日差しが明るい。夏にはびっしりと葉がついて湿気が多い森なのに、いまやカラリとした空間が広がる。新緑の季節、芽吹きもきれい、でも枯れ木が多くなっても陽射しの陽気さが夏よりも一層森を明るくする。木の葉が全部落ちたおかげで顕に全景が見られるようになった清流が陽気に迸っている。この森は今頃が一番綺麗かもしれない。

先月来たときよりももっと人影は見当たらず、また一人ぼっちかと思ったら、川向こうの家に入って行く人が見えた。静かな森もいいけれど、多少人影があったほうがホッとする。

夕方友人に電話をして遊びにこない?と言ったら、半分気のない返事。年をとった上にコロナのせいで皆無気力になっている。私だって毎回自分ひとりで4時間も運転するのは辛い。けれど、動かなくなったら人はいかにだめになるかということをコロナ禍の中で学んだ。動かさないでいた足腰は恐ろしいほど弱ってしまった。当面の目標は足腰を鍛えることなのだ。









2021年11月8日月曜日

認知機能検査

 行ってきましたよ。免許証の更新に必要な認知機能検査を受けてきましたよ。

全く面倒くさいけれど、これを受けないと免許証がもらえない。高齢者になると色々七面倒臭いことが多い。私はまだ免許がないと生きていけないので、返納などとんでもない。必死で検査を受けてこの先何回も更新しないといけない。今の世の中、車自体に安全対策が施されているからかなり事故も減ったことだろうと思うのに、未だに暴走自動車の事故があとを絶たない。自分に余程の自信があるならともかく、高齢になったら安全な車に乗らないといけない。そういうことにお金を惜しんではいけない。

先日判決が下った池袋の暴走事故など、お金がある人がタクシーを使わないで多分安全装置のないクルマに乗って走り回る。走る凶器とはまさにこのこと。彼は今までなんでも自分の言い分が通ってしまう環境にあったに違いない。奥さんの言うことも子どもたちの意見にも従わず、車が悪いと宣う。これでは事故の被害者のご遺族は、歯ぎしりしても慟哭してもやりきれない思いはなくならない。

他人のことを言っても、自分だって事故を起こさないという保証はないのだから、最大限の努力はしますよ。歳を取ると毎日の体のコンディションの差に驚く。例えば視力。昨日は良かったけれど、今日は霞んで見えないなんて言うのはザラにある。今年の春ころだったか、足が攣って大変だった時期があった。運転の最中に起こったので直ちに車を路肩によせ、治った時点で自宅に引き返した。目の前に関越道の入り口があって、時間をかけてここまで来て引き返すのは甚だ無念だったけれど、この先こんな状態で高速道路を走るわけにはいかない。その日は自宅で休息して、次の日、足攣りに即効性のある薬持参で再出発した。

私は非常に用心深い。大胆なことをする割には臆病者で慎重でもある。だから今までは事故はなかったけれど、この先認知機能に問題が出てタガが外れたら恐ろしい。その前に自分で気が付けばいいけれど、徐々に蝕まれていったらどこで線引きができるのかわからない。この検査は私にとってはとてもありがたい。

検査申込みのハガキが届き、近所の自動車教習所に電話をしたら、すでに数カ月先まで空きがないと言われて目の前が真っ暗になった。数日後に再申し込みができるので電話をするようにと言われたけれど、その時点でも予約がいっぱいと言われて諦めた。こんなことでは期限切れになってしまう。

他の教習所に電話をすると、教習所でなく運転免許センターに電話をしてみたら?と教えてくれた。そちらに行ったほうが早いですよ、と。ハガキに書かれたものでない電話番号も教えてくれた。その教習所でも3月半ばまで空きがないという。

次の日、運転免許センター受付時間ぴったりにかけたら、即つながった。やれやれありがたい。そうしたら次の日にはもう受けられるというではないか!電話のオペレーターの親切なことといったら、びっくり。駅からバスに乗る道筋や、現場に着いてから会場までのエスカレーターの乗り方まで教えられ、最初にかけた教習場の横柄な応対とは雲泥の差だった。次の日はこちらが空いていないので4日後の今日、試験場に行った。妙に空いているので気がついたけれど、コロナのために外国人がいない。海外渡航者もいないからその分手続きも簡単で時間がかからない。オペレーターの親切さは時間つぶし?いえいえ、本当に親切な人だったのだ。

試験場に行くと部屋の前に椅子が並んでいる。先客が10人ほど座っていたけれど高齢者講習にしては若い人もいる。はて、若くみえるのか、本当に若い人が別の講習を受けにきているのか。私のように歳不相応に若作りというのもいるけれど、前回の高齢者教習のときに教習所で一緒に受けたときは爺さんばかりだった。女性は私一人だったから、あちらも「へえ、こんな婆さんでもまだ運転しているのか」と思ったのだろう。

今回はかなり広い部屋で、静かに作業をしている人たちが見える。しかも途中で入っていったり出てきたり・・はてな、これは?

呼ばれたので部屋に入っていくとタブレットを与えられた。なるほど静かなわけで、試験の受け方の注意事項も質問もイヤホーンで出るのだから。時間の制限はあるけれど、自分のペースで進められるから、非常に具合がいい。私は試験対策バッチリ、しかも前回の高齢者講習と全く同じ問題「これでできなかったら本当のバカ」なんてのんきにゲーム感覚で楽しんできた。

しかし、帰りの電車で考えた。私は拙速が欠点。答案の見直しもしなかった。いつでも最後のツメが甘い。名前の欄に住所書くのは日常茶飯事、取説もいい加減に読むから製品が完成しない。ビスが余ってはてな?なんて。結局認知機能の再検査なんて言うことになったらどうしよう。このように非常に心配性なんです。

運転免許センターの電話番号を教えてくれた教習所の受付さんは、仮おさえで教習場で一番近い日の予約を受けてくれて、もし、運転免許センターでもっと早い日が取れたらキャンセルしてもいいですよと言ってくれた。そのとおりになったのでキャンセルの電話をすると「良かったですねえ」と一緒に喜んでくれた。世の中親切なひとばかり。











2021年10月31日日曜日

昼夜逆転

東京都知事の小池さんが極度の疲労により入院のニュース、コロナ感染拡大以来彼女は 心が休まるときはなかったと思う。なぜか小池さんにはマスコミも冷たい。パンデミックとオリンピック、普通の人なら耐えられないほどの緊張を、この2年間味わってきたと思う。人前では落ち着いた顔をしているけれど、自民党からは悪く言われる日々、よくぞ耐え抜いたと思う。そういうしたたかさが可愛くないと思われるのだろう。しかし毎日落ち着いて淡々と都民に語りかける姿は大したものだと思う。けれど、そこが又可愛くないとおじさんたちの受けが悪い。

小池さんの生活には及びもつかないけれど、私の疲労も極限になっていたらしい。私の場合は小池さんと違ってなにもすることのない生活の虚しさからの睡眠の乱れから発生した。

毎日食べて寝て、食べて寝て、それだけ。友人たちと話す機会も制限され、コンサートを開いてもやたらに規制が多くて演奏者も観客もこわごわ、万一自分たちのコンサートでクラスターが出たらと思うと安心していられない。ビクビクものの毎日は体にも影響する。言っておきますが、私は見かけによらず臆病者なんです。

で、数週間前から変だ変だと思っていた。まず左耳が痛い。私の風邪は耳の痛みから始まる。その後喉、鼻ときてたいていそのへんで治ってしまうのだけれど、今回は妙に体調が戻らない。しかも眠りのリズムがひどく狂って、たいてい丑三つ時に目が覚める。お化けか、私は!目が覚めると妙に元気でそのまま起きてしまうので次の日一日、ひどい眠気と戦いながら過ごすことになる。

目が覚めるとスッキリしているのでそのまま本を読んだり筋トレしたり、猫の夜鳴きに付き合って朝まではいい。けれど5時ころになるとお腹がすくから朝食は午前5時。とんでもない時間になる。朝食を済ませるとまた眠くなるけれど、その日の予定によってはその時間に眠ることができないことが多い。その後は睡魔との競争。食事ごとに眠くて他の予定がなければ昼寝。その昼寝がぐっすりと眠れてしまうので、夜の睡眠は浅くなる。その循環がいけない。

体調はどこと言って悪いことはないのに、一日中ぼんやりして思考力は最悪、足元はおぼつかない、のらに餌を持っていったところで転んで肋骨を痛めた。この私とあろうものが食欲がなくなる。なくなっても習慣的に食事をしていたら、体はヒッチャカメッチャカになって、何もせずにただぼんやりと椅子に座って過ごすだけになった。ああ、私も認知症の始まりかと、気持ちが暗くなる。大腿骨骨折をして寝たきりになるとそれが引き金となって認知症になるとよく聞く。これはいかん!最後には食事中飲み終わった味噌汁のお椀を持ったまま居眠りをして取り落とした。かかりつけ医に相談に行った。

私の必死の訴えも先生にはあまり通じないようだ。私は人と会うのが好きだから、表に出ると元気になるタイプ。ついハキハキしてしまう。見た目何でもなさそうで、先生は困っている。「なんでしょうねえ」言葉少なく考え込む。喉を見ても赤くない。熱もない、咳も出ない。呼吸も大丈夫。元気そうで不眠症には程遠く見える。心音も確か。別に病気とは言える症状はない。

しばらく考えてから先生は「昼夜逆転しているかもしれませんね。そのためのお薬を出しましょう」夜のスッキリに比べ、昼間の異常な眠気。これはそうかもしれない。もらった薬をその夜から飲み始めた。夜の睡眠時間は今までと変わりない。すると次の日、とんでもなくめまいがする。足は萎えたようになって歩く気力もない。そしてその日は昼寝を2回もしてしまった。眠って眠って眠りすぎてずーっとぼんやり。これはたまらない、普通の生活ができない。

次の日も同じような状態で、いつになったら普通の体調になることやら。2日間で3日分、眠ったような気がした。この薬飲み続けていいのかしら。それが4日め、やっと夜の睡眠が少し深くなって5日めには昼間の眠気が軽くなった。逆転していた時間が徐々に戻ったようだ。まだ予断を許さないけれど、1ヶ月試しに飲み続けるようにと医師の指示だからしばらく試してみることにした。でも薬が効きすぎるような気がする。この薬を飲むと午前中ずっと眠気がとれない。車の運転はしないほうがいいらしい。これは困った。

東京都知事の小池さんも今頃はぐっすりと眠れるような薬を飲んでおやすみしているのでは?コロナ以来、こんな症状で悩んでいる人が多いかもしれない。もし、体調が悪くて眠れない人がいたら早めに病院へ行かれることをおすすめします。だれでも体のリズムが狂ってしまうほどの大災害とも言える。感染しなかっただけでは済まされないパンデミックの恐ろしさを自分の体で感じた数日間だった。まだ完全に治っていないけれど、とりあえず光が見えてきたのでご報告まで。










2021年10月17日日曜日

木を伐る

 北軽井沢の家はノンちゃんの砦だった。彼女はそこで理想的な10年間を過ごした。自分の体力がなくなってきたと悟ってから彼女は私にこの家を託した。私がこの家を気に入っていることを知っていたから。家が気に入ったこともあるけれど、なによりもほとんど人工的に造園していない庭の周りが私は特に気に入っていた。木は生えているだけ。花は咲いていない。寒いから草はあまり茂らない。それぞれの家にはべつの考え方があるから、きれいに造園している家はそれはそれで素敵だと思う。けれどノンちゃんと私はそのまんまの状態が好きだった。

引き継いでから3年が経った。いなくなった人たちを悼む気持ちはまだ消えないけれど、最近は少しずつ傷が癒やされて前向きになることができるようになった。よく見ると前庭はボサボサの風情。細い木が雑然と生えていていくら花の咲いている苗木を買ってきて植えても目立たない。日当たりが悪いのでそのうち枯れてしまう、そんな繰り返しだったから最近時間の余裕ができて来たところで、もう少し華やかな庭にしようと動き出した。

低温で多湿、日当たりが悪い、悪条件が揃っているので多年草でも次の年には枯れてしまう。昨年はヴィオラをまとめて植えてみた。12月に山を下りるときにははまだ花が咲いていた。今年春、最初に行ったときにはヴィオラだけは花が咲いていたけれど、夏になったら全部枯れてしまった。あまりに多湿なのがいけないのかもしれない。もうすぐ冬になると家を閉めることになる。もう一度ヴィオラを植えて越冬ができるか今回も試すことにした。今咲いているのはヴィオラだけ。コスモスの群れを咲かせたかったけれど、飛び飛びにしか来られないので時期を逸してしまった。

次の計画は前庭を整えて、そこにあじさいやツツジを植えようという魂胆。冬になって木が枯れてきたら手入れもしやすい。今日は追分に住むKさんが手伝ってくれた。彼女は女子にしては背が高く力も強い。建築家を父に持ち、本人も建築にすごく興味を持っているけれど、職業はヴィオラ奏者。たまたま花の名前と楽器の名前が一致した。

彼女はいつもは追分にいるけれど今回は所用があって都内の家に帰っていた。昨日都内からこちらにくるというので庭の手入れを約束してくれた。今朝、私は手ぐすね引いて待っていた。用意した道具は華道で使うような剪定バサミだけ。今年の春買ったオーバーオールもスタンバイ。サイズがXSなのに、ブカブカ。ブティックで今年春物新作が入荷したときにあまりにも可愛くてつい買ってしまった。黄色のデニム、大きなポケット、ブカブカのお腹周り、大きすぎるから裾を折り曲げると足がものすごく短くなってまるでペンギン。

それを着たくて庭仕事をするようなものなのだ。ゴム手袋をして手には剪定バサミ。一方のKさんはスラリと長い足にジーンズ、手には大きな長ハサミと、もっと強力な重たい枝切りハサミを交互に持ち替えてバッサバッサと細い木を切っていく。あっという間に足元に枝の山ができていく。それを短く切るのが私の役目。手に力がないからなかなかはかどらないけれど、なんとか片付いてあたりを眺めると、今まで細い木に遮られて全容が見えなかったノンちゃんの家が現れた。ミノムシのように木の皮の壁をまとって泰然と森と融合している。こんな素敵な家を残してもらってノンちゃんに感謝しないとね、と、Kさんが私に言う。もとより私はノンちゃんにはどれほどの感謝を言っても言い切れない。家のことだけでなく、いつでも私のことは全部受け入れてくれた。それなのに私は彼女になにをしてあげたか、記憶にもない。月山の夏スキーで初めて出会ったときの笑顔が、その後の私の道を照らしてくれた。

木を切りながら昨夜の動物の話をした。家の中になにかいたのよ。入り口もなさそうなのにどうやって入ったのかしらね。するとKさんは、よく動物がはいるよ。うちなんかハクビシンがはいっていたんだから。

こういうところでは珍しくもない話らしい。昨夜のハクビシンかもしれない生き物は、今は気配すら感じられないから、我が家の壁から出ていったのだろう。いったいどうやって?入ってどうやって出て行ったのだろう。謎。

この辺は明日から一気に気温が下がるらしい。庭仕事を終えてKさんが帰ってから、私は一人で近所の旅館の温泉に浸かりに行った。自宅のお風呂は様々な問題を抱えていて、私には大きすぎる。縦も横も大きい上素材がタイルで冷たい。追い焚きできないタイプで、この寒冷地ではお湯を張っているうちにどんどん冷めてしまう。ぬるいお湯に冷たいタイル、大きすぎる浴槽で半分溺れそうになって入るのは危険極まる。夏ならシャワーだけでもいいけれど、冬はゆっくり浸かって温まりたい。それでよく入りに行くのは風情のある旅館のお風呂。

先客がいて色々話をした。世田谷からきてもう1週間も泊まっているという。コロナでもう飽き飽きとか。私が熱いお湯に入れないで困っていると、外に露天風呂があるからそちらに先に入ればとアドバイスをくれた。外だからお湯がぬるくなっている。そこでしばらく温まれば熱い方のお湯にも入れる。露天風呂はとてもぬるく、しばらくしてやっと温まったから室内の湯に戻ったらやはりなかなか入れない。その人に熱くないの?と訊いたらぬるいくらいよと返事が戻ってきた。そして明日から急に寒くなると言うので、私は明日自宅にかえることにした。寒さ対策はあまり考えていいなかったのと、姉に託して残してきた野良たちの様子が心配なのと、少しだけ都会の刺激が恋しくなったので。






誰かが住んでる!

 低血糖で朝の目覚めが悪いのではと指摘されてから思うに、ダイエットのために夜間の食事を極力制限していたのが原因かと、食事のパターンを変えることにした。

朝食は起床してから1時間以内にどっさり食べる。米粉と雑穀粉とミックスしたものに卵と豆乳、塩だけのシンプルな味のクレープを焼く。それに肉または魚を少々、バナナとヨーグルト、野菜少々。昼は一人なら冷蔵庫の余り物を少し。時々軽井沢からランチ持参で山を登って来てくれる人がいるとバランスの良い食事にありつけるけれど、そうでなければ猫の餌より粗末。夜は飲兵衛が好む酒のつまみ風、例えば昨夜は茹で野菜の塩麹漬、ごま豆腐、前日ランチの残った雑穀米のご飯をバターで炒め、トマトとチーズのせで食べた。それに焼酎のお湯割りを少しとなると、まるでおっさんの食事。

炭水化物が夕食に出ることは滅多のないけれど、昨日から血糖値を上げる食事に切り替えて睡眠の状態をテストすることにした。そう言われれば最近の起床時には物言うのも面倒なくらい元気がない。朝食でやっとげんきを取り戻すから低血糖で体調不良というのもあたっている気がする。結果、今朝は6時間睡眠でちょっと寝すぎかも。ぼんやりしている。

昨日昼ころから雲行きが怪しくなって鈍い色の雲が空一面を覆っていた。ぼんやりと森の木々を見て過ごしていたら、そのうち風も出てきた。森は枯れ木の枝がポキポキと折れて、風が強まるごとにどんぐりの実が機関銃のような音を立てて、にぎやかに冬に入る準備をしている。夕方何気なく庭の下を流れる小川の対岸を見たら!!!家が燃えてる!!!

めったに人影を見たこともなかった古い家に赤い炎が上がっているのが見えた。

うわ!どうしよう。とりあえずお隣さんに駆け込んで火事よと叫んだ。その場にいた人たちが私の跡を走ってきた。あら、ホントだ。中に冷静な人が一人、でも火がまとまっていて動かないでしょう。あれは燃えているのではなくて燃やしているのよ。それにしても家の中であんなに盛大に炎を燃やすか?樹の葉の間からなのでよく状況はわからないけれど、どうやら家の中の2箇所で篝火のようなものが燃えているのが見えた。ほっと胸をなでおろして皆さんに早とちりを謝ってことは済んだけれど、これが本当の火事だったらと思うとゾッとした。どうやらずっと不在だった家に人が入るのでリフォームのための明りとりだったらしい。日が暮れるのが早くて電気工事が間に合わなかったみたい。1時間もすると電気がついて、夜遅くまで工事が続いた。

昨夜はそんなわけで人声がかなり長いこと聞こえていた。しかし、それに紛れて私の家の中でも物音がしていた、実は数日前にここに来たとき、どんぐりの音に混じって小動物の足音らしい音が時々聞こえた。家の外か中かは判然としないけれど、屋根のひさしにトンとねこなどが飛び移るような音が時々聞こえていた。小鳥とかイタチやリスなど、そんな者たちが屋根の上でどんぐりの貯蔵にいそしんでいるのかも。しかし、昨夜ははっきりと家の中で動物の足音がする。階段脇の斜めにロフトに伸びる壁は中が空洞になっているらしい。どこからどうやって入ったかはわからないけれど、その中を動き回るものがいる。こんな荒れた天候だし避難場所を求めてどこかの隙間から入り込んでいるらしい。動物なら別に怖くない。もしかしたら座敷わらしかもしれない。

しばらくすると家の脇でなにかバリバリと剥がすような音がした。飛び上がりそうになった。人らしい足音も聞こえる。それも直ぐ側で。動物ならいい。けれど泥棒だったらどうしよう。それで家の中に自分がいることを知らせるために音楽を大きな音で流したり、電話をするふりをしたり・・・

今考えるとおかしいけれど、真夜中に一人で真っ暗な森の中にいると妄想が膨らんでくるのだ。壁の中の動物はますます活発に動くし風と雨の音が激しくて、だんだん怖くなってきたけれど、炭水化物摂取が効いたのか、ぐっすりと寝てしまった。なんのことはない、夜中に物事を考えるとなんでも大げさになるから考えないで肝を据えることが大事なのだ。長年の経験からわかっているのに。

夜中には物音のするあたりの壁をどんどん叩いたりしたので動物の気配は消えた。けれど、あの雨風の中やっと避難してきた場所を追われた動物はどこへ行ったのか。一晩我慢してやればよかったと後悔している。かわいそうに寒さにふるえていたのでは。まさか昨日見たあの猫ではあるまいか。夏が過ぎて別荘地ではペットを捨てていく人が多いと聞いたことがある。そうでないことを祈る。

夜の物音はずっと遠くまで届くらしい。昨夜の人の気配もリフォームしていた現場の物音だったかもしれない。モンゴルに行って草原に張ったテントで寝ていると、頭の上を馬が通っていく。人声もすぐ近くで聞こえる。テントの入り口を開けて外を見ると、はるか遠くに馬の群れと人が見える。草原で遮るものがなく雑音がないから、遠くの音もはっきりと聞こえる。懐かしいモンゴル。私はいつも自然に憧れて今こうして森の中。