2026年1月26日月曜日

雪下ろし

連日の大雪が住民を疲弊させているという 報道が続く。腰の曲がった人たちが屋根に登って手慣れている様子ではあるけれど、いかにも危なっかしい。今年に限らず毎年のことなのに、雪下ろしのためにもっと国費の予算は取れないのだろうかと、ハラハラしてテレビを見ている。

高市さんは最初のうちは大変理知的な方だと思っていたけれど、なんのための選挙か、まだ何にもめぼしい成果がないのに自分を評価しろと国民に迫り、莫大な選挙費用が使われることを思うと、雪対策にそのお金を回すのが妥当ではないかと思う。

高市さんはいわばエリートであり日々の生活に困窮することはないし、一人暮らしの雪国の住民が屋根から雪を下ろすのが命がけだということも実感がないかと思うけれど、想像力はあるでしょう。結局ご自分とその党派にしか興味がないのかと思える。

まだ彼女はほとんど仕事をしていないのに、何をもって評価しろというのか。トランプさんと仲良しになったとか習近平さんを激怒させたとか、そんなことしかやっていないのに、もうなにかしとげたとでも思っているのか。

もう少しお仕事をなさってからでもいいのではないかと思う。こういう庶民とかけ離れた感覚が好きになれないことをそろそろ知ったほうが良いのではないか。

総理大臣といえば国の政治家の頂点に立つのだから、そんな庶民のことはおわかりにならないだろうと思うけれど、このタイミングはないでしょう。民の竈ではないけれど、根本はその気持がなければ国民は不満であろうと。実際に雪国に行って見ればわかると思う。私はお気に召しましたか?と国民に問わなければならない意味はなんなのかしら。まだわかりませんと答えるしかないでしょう。

今回の選挙で私は少しあなたがどうかしていると思うようになりました。無駄金使ってニコニコ作り笑いして、結局雪国の老人たちが苦労して、せっかく党派の体制が整ったと思っていたのにまだ何もせずに分解して、莫大な国費を使い、一体何をしたい?働いて働いて働いている庶民は物価高に喘ぎ、鼻先の人参の消費税免除を見せびらかされてみんなは走っている。

今は低姿勢でも選挙に勝った暁には、雪下ろしのことなんてお忘れになる。そんな細かいことよりトランプ氏にすり寄ったほうが華やかで、日本初の女性総理大臣の本当の仕事はこっちなのよとおっしゃるのではないかと思う。それもそうだ。総理大臣がそんな庶民の苦労などにいちいち目を向けなくても国としての仕事がある。でも根本は国民に雪下ろしの苦労をさせない、国会議員の給料を少し減らし予算を国民の安全のために使うとか、なんとかしていただきたい。

日本の国会議員数は他国よりも少ないけれど、給料はずば抜けて高いと聞くと、議員数を増やして給料を下げる、これで釣り合い取れませんか?・・・と言いたくなる。無駄な選挙しないでもらいたいなあ。そんな暇あったら働きましょう。

高市さん、あなたは自信満々で国民の人気投票の結果を待っていらっしゃるだろうけど、これで人気は下落するであろうと、私はそう思いますよ。それとあの作り笑いもおやめになったほうがよろしいかも。演説中なんの関係もないところでニヤッとお笑いになる。あれキモイ。

以前の高市さんはにこりともしないで、常に厳しいお顔をしておられた。私は随分厳しい人なのかなと思っていたのに、総裁選あたりから途中で意味もなく笑うようになったのが不気味で怖い。周りの方々の入れ知恵ですかね?
















2026年1月16日金曜日

宇宙からの帰還

 国際宇宙ステーションから宇宙飛行士の由井亀美也(ゆいきみや)さんが地球に帰還した感想を訊かれて「食べ物や食器が目を離した隙にどこかへ飛んでいってしまわないことに感動した」といわれたそうだ。

私は目を離すとどこかへ行ってしまう楽譜をたくさん持っている。練習の時間をはるかに超える楽譜さがしの時間というと少し大げさだけれど、たしかに家の楽譜たちには足がある。今ひとつ探している楽譜があって、未だに見つかっていない。練習日は迫ってくるし額に汗を浮かべて楽譜棚を引っ掻き回す。文字通り引っ掻き回すのであって探しているのではない。

楽譜は普通ソロパートとピアノ伴奏パートのようにパートごとに作られている。ピアノ用の楽譜は分厚いけれど、弦楽器のそれはやや薄め。だからよく他の楽譜に紛れてしまう。「よく」というのは私に限ってかもしれないが、練習を終えてやれやれというときに、他の楽譜と一緒にパタリと閉じてしまうことがある。こうなると、なかなか探すのは大変なのだ。

例えば、ブラームスのヴァイオリンソナタの伴奏譜にベートーヴェンのヴァイオリンパートをはさんでしまうと、探すのに苦労する。普通の人ならそんなことはしないけれど、私の場合は超うかつなのでよくある話なのだ。しまうときに確かめるなんてこともしないし、早く片付けてコーヒーが飲みたいなどと食い意地が先に立つので楽譜が違う場所に紛れ込んでいるかどうかは気にしない。その結果、次に必要なときに楽譜が見当たらないことはしょっちゅうで、うちにくる生徒たちは心得たもので「先生のうちの楽譜は歩くんですよね」と涼しい顔してつかの間の休息を楽しんでいるようだ。

探すのがめんどくさいときは新しい楽譜を買ってしまう。だから同じ楽譜が何冊もあって混乱に拍車をかけているのだ。でも最近の物価高、新しい楽譜など買うとなるととんでもない。私が子供の頃使った楽譜に時々値段が書いてあることがあって、190円とか高くても1900円とか書いてあると、しみじみと遥かに遠くに来たもんだとの感がする。今どき楽譜は高価すぎて、もう引退した身にとっては高嶺の花なのだ。いままであった楽譜だけを演奏しているっきゃない。

宇宙からの話をしたけれど、宇宙で音はどのように広がっていくのだろうか。モーターなどの金属音なら耳に届くかもしれないけれど、ヴァイオリンのようになにかに反響させないとよく通らない楽器の音はなんの媒体もない真空の空間では届かないのではないだろうか。これ、AIに訊いてみよう。宇宙ではストラディバリウスの楽器も子供の練習用のやすい楽器でも音の違いはわかるのだろうか。だれかヴァイオリニストを宇宙に派遣して宇宙空間でのコンサートを聞かせてもらいたい。

本音は私が行きたいけれど、宇宙ではたぶん音は伝達する環境がないので、聞こえないのではないかと思うけれど。ピアノなら枠が頑丈な木だからかすかに振動は聞こえるのではなかろうか。伝達物質がなければそれも無理?それでは宇宙空間でのリサイタルはむりなんですね。

試しにAIさんに訊いてみた。AIはかく語りき

宇宙は完全な真空で粒子が極端に少ない。振動する相手がいないので音はひろがらない。

映画「エイリアン」のキャッチコピーは「宇宙ではあなたの悲鳴はだれにもきこえない」だそうで、考えるだに恐ろしい。

かのアインシュタインはカーテンが太陽光に当たって変色したことから「光は粒子でもあり波でもある」と考えたそうです。でも、このエピソードをAIさんに質問したらにべもなく「彼はそんなことは言っていない」と返事があった。しかしAIもまだ発展途上だからそのうち考えがかわるかもしれない。面白いですね。もしこのエピソードが本当なら、アインシュタインこそが真の科学者でありまさに天才、私が猫たちと日向ぼっこしてうつらうつらしていてもなんの考えも浮かばない。二人の共通点はどちらもヴァイオリンを弾くことだけ。

私が天才科学者だったら見えない楽譜を呼び寄せる力を発明する。けれど、その前にもう少しヴァイオリンがうまくなる練習法を発明したい。いや、練習しなくてもうまくなるのほうがいいかな。




















2026年1月14日水曜日

非通知設定

今朝出かけるときに間違えて以前使っていたスマホを持って出かけた。車に登録してあるスマホがつながっていないというのでバッグからスマホを出したら、なんだ、古いスマホを持って出かけていたのだった。慌ててUターンしてスマホを探す。広い家でもないのにキッチンやリビングなどの生活空間とレッスン室が完全に分かれている構造なので、2つの空間を行ったり来たり、後でかけると忘れるといけないからと、鍵も一々締めたり開けたり、もう面倒くさいったらありゃしない。

しかもセコムの防犯対策も一々解錠したり施錠したり、面倒だけどそうしないといつも忘れてしまうのだ。スマホはなかなか見つからず、固定電話から何回も通話を試みるも着信音が聞こえない。そのうえ、二匹の猫が今日の暖かさに誘われて表に出てしまった。今日は帰り時間が午後5時ころになるから、本当は出ていてほしくない。特にオス猫のグレちゃんは微熱があるようだ。猫の微熱って?わかりますか。私ならわかる。オホン!だから室内で待っていてくれるといいのにこういうときに限って外にでるのだ。仕方がない猫の帰宅を待つと約束の時間に遅れてしまう。

やっとスマホが見つかって駐車場にいくと。微熱のグレが情けなさそうにこちらを見る。だから出てはいけないといったのに。でももうかまってはいられない。今日は本当に雲一つない青空で、温かい冬の日差しが夕方まで残っていてくれることを期待しよう。出発!

目的は足の痛みの治療で、私の膝は多少O脚気味だけど膝関節のレントゲンでは異常なし。その痛みは膝の裏側から発生して踝まで走る。膝そのものが痛いわけではないので、神経痛のようなものと思われた。先日バスタブのヘリに頭を打ち付けたときには、痛みのある左足が踏ん張れなくて転び、立ち上がれなかったのが原因だった。またそのようなことがあると、私の頭はコブだらけになってしまう。

それで痛みを高周波の振動で治療する治療院へと出かけたのだった。色々原因の究明や治療をしていただき、色々説明を受けてやっと安心して帰宅してスマホチェック。

今朝大騒ぎして探したスマホを見ると沢山の着信記録が、しかも非通知設定の着信がある。いつも非通知なら電話には出ないけれど、こんなに沢山の着信が非通知だなんて。また詐欺師に狙われているのかしら。それとも時々非通知でかけてくる不動産屋さん?かけ直すべきかしら。迷ったけれど、やはり詐欺や情報集めの電話だといけない。無視することにした。

それにしてもこんなに何回も数秒ごとにかけてくるなんて、随分切羽詰まった・・・あれ?今朝私も何回も自分のスマホに電話したけど、その記録がない、と、言うことは?これは私が自分でかけたものかな。アハハ、これは私の送信。スマホ探しに固定電話からかけたものだと思う。それでも私の固定電話が登録されていないのかな。前はちゃんとnekotamaと表示されたのに、いつのまにか住所録からはずれてしまったのだろうか。そういえば、私のスマホの着信記録には非通知設定がやたらと多い。それはこういうことだったのか。詐欺師は自分だった?

この世界はいつでも私には複雑すぎて謎だらけ。今どきの若者は簡単に当然のことみたいに操作している。なんと偉いものだ。

一回の施術で私の膝は間違いなく痛みが嘘のように引いた。痛みがなくなったらスキーに行けると思ったら、せんせいからそれだけは駄目ですと釘を刺された。この釘「痛い!」





















 

2026年1月12日月曜日

張り切りすぎて

 最近友人たちとの交流が戻りつつあるので気分はハイに。嬉しいけれど、こうなるとやりすぎるのが私の悪い癖なのだ。多分その後に寝込みそうだけれど、他にすることもないから大丈夫。

1時期、2日おきに睡眠と覚醒を繰り返す高齢のかまちばあちゃんのことが話題にのぼっていたのを覚えている。今日は起きている日で食事をしているとか、今日は眠る日だからこれから2日間は起きないとか、テレビで見ていて、そんなこともあるのかと感心していた。私もだんだんそうなってきて、特に今年に入ってからは顕著になってきた。私もかまちさんのようになっていくのかどうか。

2日間、睡眠が4時間程度で少しも眠くならない。昨日は午後11時就寝、午前3時覚醒して、その後スープを作ったり夜中にゴソゴソとゴキブリのように動いていた。猫の外出のたびに窓を開けしめして最後に夜明け前に送り出して少し横になったら、目がさめたときには昼の太陽が明るく部屋に差仕込んでいた。6時間も眠ってしまった。昨夜の4時間と合わせて10時間も寝たのだ。

私が眠っているので猫たちも伸び伸びと日光浴を楽しんでいる。それはそれは平和な風景。この状態がいつまでもつかわからないけれど、せめて今年は平和に過ごしたい。

最近は今までのブランクを取り戻すかのように、ヴァイオリンを弾くことを楽しんでいる。こんなに楽しいことが又できるなんて思ってもみなかった。なにか世界情勢の雲行きが怪しくなってきたので、つかの間の平和かもしれないけれど、何かが起きたとしてももう愚痴は言えない。その時にできることを精一杯やるっきゃない。

それにしても、世界は強欲な指導者たちが先を争うように自国の利益のみを求めて奔走している。これはもう大変な事態になることは目に見えている。良識は吹っ飛び、友愛もへったくれもすべてゴミ箱へ。恐怖しか覚えない。それにつけてもこの先若者たちが平和に暮らせることを祈るのみ。

私は本当に幸運だったと思う。戦争が終わって何もかも破壊されて、でも頑張れば上昇気流に乗れた時代、皆が貧しかったから自分の貧しさは気にならない。そんな時代が今思えば最高だったなんて!

これから生まれてくる子どもたちが空爆にさらされたり、飢えや貧しさにさらされて苦しむなどということがないようにと心から祈りたい。私も貧者の一燈でユニセフに協力しているものの、強大な軍事国家の予算のもとでは木っ端微塵、自分の無力さを思うと虚しさが先に立つ。こんな貧弱な寄付などしなくてもと無力感に苛まれることもある。諦めてはだめ、塵も積もればという言葉もあるでしょうと自分に言い聞かせることも。

そんな虚しさは他において、今は与えられたチャンスを活かして練習の毎日。しかし、楽器を弾くということはなんと疲れるものか。頭も目も腕も足も古びてしまった今日この頃、11時間の睡眠をとらないとやっていけない。本当のところ、もう永遠の眠りでもいいのだけれど、猫たちが路頭に迷うといけないから、もう少し頑張ってみる。










2026年1月11日日曜日

復活

引退宣言をして大好きなダラダラした生活を楽しんでいたのに、もう性懲りもなく引退返上となってしまったのは誤算だった。今やどんどん追い詰められて毎日ため息をつきながら・・・でもないけれど、新しい楽譜とにらめっこ。

漸く勘が戻りつつあるけれど、体力と柔軟性は明らかに劣化して指が曲がっているから重音が辛い。単音ならいくらでもポジションを変えることができるからさして不自由はしない。重音になると2本以上の弦を使うので音を連続しにくいこともある。そこを色々工夫してなんとか曲がった指を避けて通ることに四苦八苦している。でもそれすら面白い。

ヴァイオリンは面白いけれど、体調の管理がすごく難しい。痛みのあった足はやや回復し始めているけれど、絶好調だった去年の暮のコンディション に戻ることはない。寒さが緩めば復調するかもしれないけれど。スキーにも行けないし、グチグチグチグチ、しょうもないことなのに、諦めればいいのにね。

ずっと以前の松本での仕事、何回もここに書いたけれど、あんなに面白かったことはなかった。素敵なメンバーが集まって毎日真剣さと笑いに満ちた日々だった。その後時々集まっては食事をする女子会が始まり、ここしばらくは私の不調で集まれなかったけれど、今年の年賀状に女子会復活の要請があって、急遽集まることになった。家が近い二人とは時々あっていたけれど、かなり遠方の二人は数年あっていなかった。今年は私も復活したのでそれならということで集まった。

約束の時間に駅の改札口で再会したメンバーはあまり変わっていない。もっとおばあさんがモソモソと来るかと思ったら皆颯爽としている。幾分無理していると思いきや、自然体でニコニコ穏やかに笑う顔には、長年、精一杯生きてきた自信と落ち着きが見える。とても感心したのは社会性も衰えていない。傍若無人な高笑いとか、人に頼ろうとかいうさもしい心の持ち合わせなど、とんとない。非常にファッションセンスもいい。

私は家が近くだから全くの普段着で「ほい、しまった」と思った。いくら近所でもディナーなんだから、皆さんのようにきれいにしてくれば良かった。きれいと言っても持っている服はろくでもないものばかり。それでも裾の擦り切れたブカブカの綿パンツ、真っ黄色なジャケット、ウールのマフラーというカジュアルすぎる服装はいただけない。メンバーは皆さんお育ちがいいので、上品ないでたち。この場違いな服装はみにくいアヒルの子のようだった。いえいえ、本当は私は白鳥だなんてことを思っているわけではありませんよ。

顔を合わせた途端聞かれたのは「まだヴァイオリンひいてる?」

昔のことから最近の出来事まで話は尽きることがない。イタリアンレストランは暮れも正月も賑わったと思うけれど、今はほとんど貸切状態だったけれどマナーの良い人たちは声高に喋舌ったり笑ったりはしない。そして楽しい時間はあっという間に過ぎた。

帰り道、今度は春に会いましょうと約束をしてお別れした。見送る私にずっと手を振ってくれた人たちが見えなくなると、とても幸せな余韻を楽しみながら帰路についた。

帰宅して考えた。あの人達は大丈夫、健康で穏やかで正しい。こんな友人たちがいるのは私が幸運だから。したがっていつも私は元気。時々落ち込むくらいは切り抜けられると。ということはまだ私の心は完全には健康ではないということで、それでも自分でこういうふうに考えることができるようになったのは、完全な復活が近いということなのだ。いまでも松本のことを思い出す。

今回は松本でのコンサートミストレスだった北川靖子さんも参加していたかもしれない。皆は彼女のもとでファミリーのように演奏していたのだった。そして数年後、北川さんは桜の季節に一足先に天国へ。残党は未だに彼女と一緒にいるような気がしている。今年も一緒に桜を見ましょうね、北川さん。













2026年1月8日木曜日

頭のコブ

バスタブに頭をぶつけて大きなコブができた。夜だったからこんな時間に救急車を呼ぶのも近所迷惑。あの変な人が頭をぶつけてますます変になられたら困ると、近所から思われるのも嫌だから、大っぴらにするまいと密かに甥に電話した。「明日朝、もし私から連絡がなければ家に来てね」というと甥はびっくりしている。ぐっすり寝て気分よく目が覚めた。あら、生きていたのね。

次の朝甥がやってきて、コブ大丈夫?と聞くから後頭部のコブを見せた。 昨日よりも小さくなったし痛みもない。触ってみると5センチ位の範囲でぽっこりと出っ張っているけれど、丈夫な頭蓋骨がしっかりと守ってくれたらしく、頭痛すらない。前回テーブルに頭を打ち付けたときにはしばらく軽い頭痛が続いたものだけど、今回はそれよりも軽かったのか頭の打ちどころが良かったのか。甥は「なにかあったらすぐに知らせて」と言いおいて帰っていった。

母親である私の姉には内緒にするようにと口止めしておいた。姉に知られたら心配かけるからというので。私たちは兄弟も姉妹もお互いにあまり干渉しないので、時々彼らが入院していたとか手術をしたとか、後で知ることになる。この姉もつい先日まで入院していたというのでびっくりした。なんだ、知らせてくれれば良かったのにと言ってもフフンというばかり。時々近所の人から私の家族の情報がもたらされる。他人のほうが実家の事情に詳しいのには驚かされる。

コブ騒ぎは一件落着、落ち着いて今考えるに、お湯が入っていれば浮力で軽くなった体は簡単にバスタブから抜け出せる。けれど掃除のために全部お湯が抜けるまでバスタブに座っていたのが悪かった。体重が支えきれなくても、もう一度お湯を張れば良かったのだ。それに気がつかずパニックになったのが敗因なのだ。もしかして認知機能が衰えた?ハプニングにはいつもわりと冷静なのになにを慌てたのかしら。

そんなことを最近繰り返すようになった。筋トレをやっても欲を出してもう少しと思ってやりすぎる、これも我慢できない性格かまたは認知症の始まりか。昔友人から「あなたはもう少し我慢ということを学ぶべきよ」と言われたことがある。それはまさに真実で、いまだに変えることのできない心の弱さは成長していない証拠。成長していないのか成長できなくなってきたのか、そのへんは自分でもわからない。

老いはじわじわとふみこんでくる。階段に昇降機をつけないとそのうち上がれなくなる。四つん這いで如何に優雅に効率よく階段が登れるか、そろそろ練習しておかないといけない。問題は下り、パラシュートのようなスカートをはいて飛び降りようかしら。面白そう。

エレベーターをつけようと思ったら、設置するだけの空間が必要だそうで、それも叶わない。もちろんお金もない。健康法だと思って階段の昇り降りをすればいいけれど、下りがきつい。面白がって考えてくれる建築家さんいないかなあ。どうせならビョーンと放り出されてストンと着地するとか。

こういうバカをいうところが人として成長していないことなので、今後はお風呂でひっくり返ったりせず、年輪を感じさせる沈着さを身に着けよう。とにかく毎日の練習は欠かさないで、少しでも技術のブランクを埋めようとただいま奮闘中。音楽は本当に私の生きる力なのだと最近思う。























2026年1月4日日曜日

お正月

日付が一日変わるだけのことなのに、お正月には特別な時間の流れができる。

膝や足が痛いからと言って引きこもりになっている。つい数日前には体調は絶好調、怖いものなしだったのに、いつものようにスクワットをやって「あともう少し」と欲張ったら途端に左足に痛みが走りリハビリの真っ只中。これだから私はだめなのよと、新年早々反省ばかり。

その痛みはいつものと少し違って、いきなりなんの前触れもなく起こるようになってしまった。商店街に買い物に行ってなにかの拍子にか自分にはわからないけれど、いきなり痛みで足を地面につけることもできない。おやおや、人混みの中で電信柱につかまって痛みが去るのを待つ。人が見たら電信柱が好きな人と思われそう。ほんの数十秒で痛みはあっけなく去ってゆく。何だこりゃ?

自己観察によればどうやら左足に体重がかかリすぎると起こるようだ。だからといって階段は登ったら降りないと家に帰れない。可愛くも怖い猫が二匹待っているから一刻も早く帰りたい。乱暴だけど痛いのを無理して歩き出す。でもその痛みは今までのものは少し違って、足ごと動かなくなってしまう。我慢するとかいうものではなく、機能が麻痺したようになる。

お正月二日目から、毎年箱根駅伝を見る。今年は青山学院大がすごい山の神を見せてくれた。なぜ人が走っているだけでこれほど面白いのかわからないけれど、様々な葛藤や駆け引きなどの面白さ、心理状態までが読み取れる。このように走るだけのために膨大な時間と労力を費やす。最後には見ているだけで感動の涙を流したり、不思議だなあ。温かい部屋でみかんを剥きながら安穏として涙もあったものではないのに。

見ていると随分以前とは走りのフォームが変わってきているようだ。私は自分でめったに走らないし嫌いだし。でも昔のマラソンは随分無駄な動きが多かったような気がする。その当時は正しいと思われたことが技術や考えが整理され、どんどんスマートになったのではと、素人考えですが。走者を見ていると無駄のない動きで、とてもスッキリ見える。本当は死ぬほどきついと思われるのに外見は、あまり苦労していないように見える。呼吸法なども改善されたのかな?それにしてもよくやるなあ。

昔の解説では「腕が振れていませんね」などと言ってなかった?今ほとんど腕は自然に揺れている。腕を力強く振ればその分エネルギーが無駄に使われるのでは?と、これも素人考えですが。給水もしっかりする。以前山登りで早稲田の選手が給水不足で失速して、気を失うという恐ろしい場面をみて、本当に可哀想だった。左右に体を揺らして朦朧としていた。あれは監督のミスでもあったと思うけど。それ以前には運動の最中は水を飲むなという考えもあったらしい。

それで何を書こうと思ったかというと、食べ過ぎとマラソン見すぎて何時間もテレビに釘付けの結果、足のリハビリも忘れ、せっかくの筋力の蓄積が無駄になった。恐ろしいのはほんの少しサボっても、高齢者にとっては命がけ。入浴後バスタブから出ようと思ったら出られない。足が持ち上がらなくて。無理に力んだらツルッと滑って・・想像したくもない姿になった。思い切り頭を浴槽のヘリに打ち付けたのだった。

救急車を呼ぶべきか・・・しばらくしてなんとか起き上がり、良い方の右足で踏ん張って脱出。もっと思慮深ければゆっくりと考えて出られたものを。めったにパニックにならない性格なのに、ただ一人夜中に助けてくれる人もいないというので多少慌てていたらしい。こういうときのためにこそ老後の準備をしていたのに、馬鹿だなあ。

先日も痛い方の左足から出ようとして出られずやはりパニクってしまった。その話を友人たちにしたら、お風呂に限らず家の中でもなるべくスマホを持っていなさいと助言された。私はそのためにセコムと契約しているのに。セコムの非常用の小さな警報ベルがある。それを使えばすぐに駆けつけてくれるのだ。事務所と自宅が近いので、それこそあっという間に駆けつけてくれる。今まで寝室においてあった警報機をお風呂場に移しておこうと思う。合鍵もあるから家に入ってきて救助してもらえる。

北軽井沢の別荘地の管理事務所の女性も山の中で一人暮らし。彼女はウッドデッキの古い板を踏み抜いて右足の付け根まですっぽりと下に抜けてしまった。すぐさま足を引き抜いたけれど、引いたあとにみるみる足が腫れていったという。もしすぐに抜けなかったなら、ベランダで死ぬところだった。それ以後彼女も家にいてもスマホを離さないという。

一人暮らしは呑気でいいけれど、危険の管理だけは怠らないように。でないと周りに大いに面倒かける。それは嫌と言うほどわかっているから準備怠らないと思っていたけれど、いざというとわからないものです。危険を回避するのは自分で、常に冷静でいることが必要なのです。

それ以外は本当にのんびりとしたお正月だった。頭のコブ以外はね。でもすごい治癒力でコブはもう半分になりました。ご心配なく。