昨日は総勢18人ほどのお花見だったけれど、午後から猛烈な風が吹いていたので、傘を壊した人が3人ほど。
ちょうど約束の時間が風雨のピークだったらしい。
少し遅れた人は「雨やんだよー」なんてニコニコして入ってきた。
山盛りのご馳走と、バースデイケーキ。
3月には続いて何人もの人が誕生日を迎えたので、一気に数人ぶんのお祝いとなった。
青山から来た人が美味しいケーキをホールごと買ってきてくれて、ハッピーバースデイを歌ってもらった。
というのは、私は今日が戸籍上の誕生日。
私の前に4人ほど3月生まれが続く。
そしてゲストのノンちゃんのご主人コンちゃんも私と同じ日。
この日コンちゃんは来られなかったけれど「雪雀連」にこんなに沢山3月生まれがいるとは思わなかった。
しかし実は私の戸籍はインチキで、本当は4月の初めに生まれたけれど、母は私を早く学校に入れてしまおうと画策した。
お陰で私は学年一の年下。
子供の頃の1年は能力にかなり開きがあって、私はなにもかも皆よりも出来なくて、メソメソした子供だった。
それが4年生になったらやっと対等になって、その後は追い越してガキ大将、そして今に至る。
夕方から薄陽が差して、夕日に照り映える美しい桜が見られたが、私はホステスだからお客様へのサービスで忙しい。
そして今日は昨日と打って変わった穏やかな春の1日。
所用で湘南方面へ出かけ、かなり長い空き時間があったので、友人と2人で近くの公園で桜を愛でた。
おしゃべりしながら、満開の桜咲く公園をそぞろ歩き。
花粉にもめげず、今日が私の本当のお花見になった。
歩き疲れるとサンドイッチを買って車の中で食べながら、スマフォでゲームを楽しんで、かなり待ち時間があったのに少しも退屈せずしあわせな1日だった。
パソコンにもスマフォにものめり込んでいるゲームがあって、ヴァイオリン弾いたりお花見したり、今日の誕生日で35才(?)は越えた割には趣味が若いでしょう?
というか、子供のまま年取ってしまったんだなあ。
2014年3月30日日曜日
桜は咲いたかお客はまだかいな
桜、咲きましたね。
今年は桜が中々咲かないので、お花見予定の今日は花見でなく只の酒盛りになってしまうのではと心配したけれど。
毎年3月の最終日曜日か、4月の第一日曜日に恒例の我が家の花見大会が催される。
皆大酒飲みだから、花はあっても無くても良いような物だけど、駅から桜を見てそぞろ歩きながら来るのが楽しいらしい。
駅を出てすぐに桜並木が始まって、我が家まで途切れなく続く。
その間に花見をすませるから、その先夜中まで花はいらない。
帰り道に夜桜見物としゃれて帰れる。
ほとんどベロンベロンの泥酔状態で、楽しそうに帰る人達を見送るのも楽しい。
毎年2,30人集まっているけれど、最近は皆歳をとってきて、あの人はもう来ないねなどと話すことも多くなった。
そういうことを別に寂しいとは思わない。
自然なことなのだから。
我が家の2階は特等席で、桜並木を眼下に見ながらの酒盛りはなかなか贅沢なものだけど、以前ほど手をかけた料理は出せなくなった。
かつては死にそうなほど仕事していたのに、そう言うときにはエンジンがフル回転しているから、料理にも気合いが入った。
数日前からおでんを仕込んだり、ローストビーフや煮豚など、手の込んだ物がずらりと並んだ。
最近はすっかりくたびれて、デパ地下の総菜や手抜きの煮物が並ぶ。
その代わり食べる方もいい加減食が細くなっているので、不満はないようだ。
ものごと全て、上手く出来ているものだと思う。
飲む量も少なくなった。
10年以上前には、資源ゴミの日に花見で飲んだ酒瓶を山のように出すのは、ちょっと恥ずかしかった。
空瓶を入れるかごに入りきれず、外にまで並べて置いた。
今より人数が多かったこともあるけれど、10時間も飲み続け、終電が無くなって埼玉までタクシーで帰る人もいたり。
最早そんな気力が残っている人はいない。
若かったその頃の方が面白かった、ということもない。
なにか、今の方がすべての力が抜けて楽しい。
心楽しく豊かな気分でいられるかは歳とは関係無いかも知れないが、皆さん静かにお酒と会話を楽しめる大人のお付き合いが出来る人達なのだ。
長年の友人がこんなに沢山いるのは本当に贅沢なことで、結局花が咲こうと咲くまいと、毎年素敵な時間が過ごせている。
今日の天気予報は大荒れの1日だとか。
高齢者の多い「雪雀連」だから来られないのではと思うでしょう?
いえいえ、世界中のスキー場を吹雪の中でも楽しんで滑る人達が、なんのこれしきの風雨に負けるものですか。
今年は桜が中々咲かないので、お花見予定の今日は花見でなく只の酒盛りになってしまうのではと心配したけれど。
毎年3月の最終日曜日か、4月の第一日曜日に恒例の我が家の花見大会が催される。
皆大酒飲みだから、花はあっても無くても良いような物だけど、駅から桜を見てそぞろ歩きながら来るのが楽しいらしい。
駅を出てすぐに桜並木が始まって、我が家まで途切れなく続く。
その間に花見をすませるから、その先夜中まで花はいらない。
帰り道に夜桜見物としゃれて帰れる。
ほとんどベロンベロンの泥酔状態で、楽しそうに帰る人達を見送るのも楽しい。
毎年2,30人集まっているけれど、最近は皆歳をとってきて、あの人はもう来ないねなどと話すことも多くなった。
そういうことを別に寂しいとは思わない。
自然なことなのだから。
我が家の2階は特等席で、桜並木を眼下に見ながらの酒盛りはなかなか贅沢なものだけど、以前ほど手をかけた料理は出せなくなった。
かつては死にそうなほど仕事していたのに、そう言うときにはエンジンがフル回転しているから、料理にも気合いが入った。
数日前からおでんを仕込んだり、ローストビーフや煮豚など、手の込んだ物がずらりと並んだ。
最近はすっかりくたびれて、デパ地下の総菜や手抜きの煮物が並ぶ。
その代わり食べる方もいい加減食が細くなっているので、不満はないようだ。
ものごと全て、上手く出来ているものだと思う。
飲む量も少なくなった。
10年以上前には、資源ゴミの日に花見で飲んだ酒瓶を山のように出すのは、ちょっと恥ずかしかった。
空瓶を入れるかごに入りきれず、外にまで並べて置いた。
今より人数が多かったこともあるけれど、10時間も飲み続け、終電が無くなって埼玉までタクシーで帰る人もいたり。
最早そんな気力が残っている人はいない。
若かったその頃の方が面白かった、ということもない。
なにか、今の方がすべての力が抜けて楽しい。
心楽しく豊かな気分でいられるかは歳とは関係無いかも知れないが、皆さん静かにお酒と会話を楽しめる大人のお付き合いが出来る人達なのだ。
長年の友人がこんなに沢山いるのは本当に贅沢なことで、結局花が咲こうと咲くまいと、毎年素敵な時間が過ごせている。
今日の天気予報は大荒れの1日だとか。
高齢者の多い「雪雀連」だから来られないのではと思うでしょう?
いえいえ、世界中のスキー場を吹雪の中でも楽しんで滑る人達が、なんのこれしきの風雨に負けるものですか。
2014年3月29日土曜日
古狸は猛犬
海苔巻きを買って390円、1000円札でおつりをもらったら、601円、はてな。
レジの女性は半世紀プラス四半世紀くらいのお歳のようだ。
レジを打つ手もおぼつかない。
しばらく考えた。
1000-390=610 これで間違えていないよね。
何回も復唱。
うん、確かに間違えていない。
お店にとって返して「これ一円玉ですけど」と言った。
私はものすごいウッカリやだから、言ってから恥をかくことも多い。
私も何回もこれが一円だと言うことを確かめた。
というのは、最近100円や50円と1円を間違えることがしばしばある。
白くて光って居る物は全部同じように見える。
悪気は全くないけれど、若者にとってはそれはごまかそうと思ったようにとれるのかもしれない。
近所のデパートで500円の物を買った時、さっきおつりでもらった500円硬貨を受け皿に置いた。
すると売り場の女性が、人の顔を見てにやにやしている。
しかも何も言わずに。
そこで100円硬貨と間違えていることに気が付いた。
500円硬貨に取り替えながら「あら、失礼。貴女、こういうときにはちゃんと言ってね」と言ったらいきなりフグのようにふくれっ面をしたのには驚いた。
れっきとした有名なデパートなのに、一体どんな教育しているのかしら。
以前スーパーで買い物をした時、レジのお兄さんが値段を言うなり、指をレジ台にイライラと打ち付けたことがあった。
要するにおばさん達はモタモタして遅いから、早くしろという意味なのだ。
私はこういうときにも事前に小銭の有無を確かめて、すごく早いほうだと思うのに、出す前からこれでは。
歳をとって指先が上手く動かなくなるから、年寄りがもたつくのは当たり前。
貴方だって、すぐにそうなるのに。
私が小柄だからおとなしいと思ったのかも知れない。
そうはいかない。私がすごく獰猛なのを知らないのね。
その指を見た途端「貴方、その指は何?」喰って罹られておにいさん顔色が変わる。
「早くしろという意味?歳をとったら指先が不自由になって中々小銭もつかめないのよ。そういうことをするのはやめなさい」すっかりしょぼくれたお兄さんは「すみません」と小声で謝ったから許したけれど、本当なら店長を呼ぶくらい失礼なことだわ。
歳に便乗して威張るひともいるが、大半は申し訳なげに生きているおとなしいお年寄り達。
言いたいことも言わずに「すみませんねえ」と言いながら小さくなっている。
戦後の混乱期にどれだけ苦労して子育てをしてきたか、それを考えたらないがしろに出来るわけはない。
なんっちゃって、私が年寄りではないかのように書いているけれど、私も結構な古狸。
ただし気が強いから猛犬注意の札をぶら下げて歩かないと。
スーパーやデパートのおにいさん、おねえさん、下手すると噛みつかれますぞ。
レジの女性は半世紀プラス四半世紀くらいのお歳のようだ。
レジを打つ手もおぼつかない。
しばらく考えた。
1000-390=610 これで間違えていないよね。
何回も復唱。
うん、確かに間違えていない。
お店にとって返して「これ一円玉ですけど」と言った。
私はものすごいウッカリやだから、言ってから恥をかくことも多い。
私も何回もこれが一円だと言うことを確かめた。
というのは、最近100円や50円と1円を間違えることがしばしばある。
白くて光って居る物は全部同じように見える。
悪気は全くないけれど、若者にとってはそれはごまかそうと思ったようにとれるのかもしれない。
近所のデパートで500円の物を買った時、さっきおつりでもらった500円硬貨を受け皿に置いた。
すると売り場の女性が、人の顔を見てにやにやしている。
しかも何も言わずに。
そこで100円硬貨と間違えていることに気が付いた。
500円硬貨に取り替えながら「あら、失礼。貴女、こういうときにはちゃんと言ってね」と言ったらいきなりフグのようにふくれっ面をしたのには驚いた。
れっきとした有名なデパートなのに、一体どんな教育しているのかしら。
以前スーパーで買い物をした時、レジのお兄さんが値段を言うなり、指をレジ台にイライラと打ち付けたことがあった。
要するにおばさん達はモタモタして遅いから、早くしろという意味なのだ。
私はこういうときにも事前に小銭の有無を確かめて、すごく早いほうだと思うのに、出す前からこれでは。
歳をとって指先が上手く動かなくなるから、年寄りがもたつくのは当たり前。
貴方だって、すぐにそうなるのに。
私が小柄だからおとなしいと思ったのかも知れない。
そうはいかない。私がすごく獰猛なのを知らないのね。
その指を見た途端「貴方、その指は何?」喰って罹られておにいさん顔色が変わる。
「早くしろという意味?歳をとったら指先が不自由になって中々小銭もつかめないのよ。そういうことをするのはやめなさい」すっかりしょぼくれたお兄さんは「すみません」と小声で謝ったから許したけれど、本当なら店長を呼ぶくらい失礼なことだわ。
歳に便乗して威張るひともいるが、大半は申し訳なげに生きているおとなしいお年寄り達。
言いたいことも言わずに「すみませんねえ」と言いながら小さくなっている。
戦後の混乱期にどれだけ苦労して子育てをしてきたか、それを考えたらないがしろに出来るわけはない。
なんっちゃって、私が年寄りではないかのように書いているけれど、私も結構な古狸。
ただし気が強いから猛犬注意の札をぶら下げて歩かないと。
スーパーやデパートのおにいさん、おねえさん、下手すると噛みつかれますぞ。
2014年3月28日金曜日
御礼
昨日の古典音楽協会第149回の定期演奏会を聴いて下さいました皆様、ありがとうございました。
今年は文化会館の改修工事のため、春のコンサートのみということになりました。
私は今回はヴィヴァルディの「海の嵐」のソロを弾かせていただきましたが、中々手強い曲だった。
絶え間なく押し寄せる波の様に、休み無く16分音符が連続するので、楽譜を頂いた時には果して最後まで弾き通せるのかと思ったけれど、練習していくうちに次第に手が軽く楽になっていくので、そのうちにもっと早くもっと激しくと段々曲が様変わりしていく過程がとても面白かった。
1人で練習しているときにはもう少し早いテンポを想定したけれど、合奏になるとそれぞれの考えがあって、自分の勝手な要求をするばかりでは上手くいかない。
やはりソロが勝手にというのではなく、全員で音楽を作り上げていく物だから、練習を数回するとテンポも私の考えより遅くなってしまった。
その代わり豊かに暖かみのある音が背後から聞こえるので、ある意味ではすごく楽に、他の部分では自由にならないもどかしさや色々葛藤があったけれど、最終的には一番良い様に落ち着いたのではないかと思っている。
自分自身はど下手なくせに、私は世界のトップクラスとも共演出来るという僥倖に恵まれた。
イ・ムジチのメンバーやベルリンフィル、ミュンヘンフィル、フランス国立管弦楽団などのトップメンバーとの室内楽も経験してきた。あ、勿論ロンドンアンサンブルも含めて。
彼らの凄さを身近に聴いて、やはり私の音楽は起伏に乏しいと感じた。
スピード感が違うので。
彼らの突っ込みの激しさ、音の鳴らし方もずっと深くぐいぐいと楽器を組み敷くように鳴らしていく。
何度も言われたのは『もっと早く。停滞するな』だった。
わが古典のメンバーは穏やかでゆったりしているので、そういう激しさはみかけられないけれど、それはそれで心地よい安らぎと受け止めていただけることが多い。
音楽にこれという決まりはないから、どちらも正解であって、それぞれ好みの問題となる。
さていつまで「古典」が続けられるかはメンバーの気力による。
コンサートマスターの角道氏は今なお矍鑠として音程も音量も若いときさながらに保っている。
これがすごい!
今年の秋は定期演奏会はお休みです。
来年は角道さんとチェンバロの佐藤征子さんの喜寿をお祝いして、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」その他を予定しております。
来年もぜひ東京文化会館へお越し頂けますように、お願い申し上げます。
長く聴いてくださっている皆様、初めて聴いたという方々も、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
皆様に深く感謝をお伝え出来たら嬉しいのですが。
さて、昨日のコンサートの余韻も醒めないうちに、今朝は10時からベートーヴェン「大公トリオ」の練習です。
レッスン室はグッチャグチャ、メンバーが揃うまでにお掃除ですよ。わあ、大変だあ!
今年は文化会館の改修工事のため、春のコンサートのみということになりました。
私は今回はヴィヴァルディの「海の嵐」のソロを弾かせていただきましたが、中々手強い曲だった。
絶え間なく押し寄せる波の様に、休み無く16分音符が連続するので、楽譜を頂いた時には果して最後まで弾き通せるのかと思ったけれど、練習していくうちに次第に手が軽く楽になっていくので、そのうちにもっと早くもっと激しくと段々曲が様変わりしていく過程がとても面白かった。
1人で練習しているときにはもう少し早いテンポを想定したけれど、合奏になるとそれぞれの考えがあって、自分の勝手な要求をするばかりでは上手くいかない。
やはりソロが勝手にというのではなく、全員で音楽を作り上げていく物だから、練習を数回するとテンポも私の考えより遅くなってしまった。
その代わり豊かに暖かみのある音が背後から聞こえるので、ある意味ではすごく楽に、他の部分では自由にならないもどかしさや色々葛藤があったけれど、最終的には一番良い様に落ち着いたのではないかと思っている。
自分自身はど下手なくせに、私は世界のトップクラスとも共演出来るという僥倖に恵まれた。
イ・ムジチのメンバーやベルリンフィル、ミュンヘンフィル、フランス国立管弦楽団などのトップメンバーとの室内楽も経験してきた。あ、勿論ロンドンアンサンブルも含めて。
彼らの凄さを身近に聴いて、やはり私の音楽は起伏に乏しいと感じた。
スピード感が違うので。
彼らの突っ込みの激しさ、音の鳴らし方もずっと深くぐいぐいと楽器を組み敷くように鳴らしていく。
何度も言われたのは『もっと早く。停滞するな』だった。
わが古典のメンバーは穏やかでゆったりしているので、そういう激しさはみかけられないけれど、それはそれで心地よい安らぎと受け止めていただけることが多い。
音楽にこれという決まりはないから、どちらも正解であって、それぞれ好みの問題となる。
さていつまで「古典」が続けられるかはメンバーの気力による。
コンサートマスターの角道氏は今なお矍鑠として音程も音量も若いときさながらに保っている。
これがすごい!
今年の秋は定期演奏会はお休みです。
来年は角道さんとチェンバロの佐藤征子さんの喜寿をお祝いして、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」その他を予定しております。
来年もぜひ東京文化会館へお越し頂けますように、お願い申し上げます。
長く聴いてくださっている皆様、初めて聴いたという方々も、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
皆様に深く感謝をお伝え出来たら嬉しいのですが。
さて、昨日のコンサートの余韻も醒めないうちに、今朝は10時からベートーヴェン「大公トリオ」の練習です。
レッスン室はグッチャグチャ、メンバーが揃うまでにお掃除ですよ。わあ、大変だあ!
2014年3月25日火曜日
たまさぶろう君ご乱心
最近朝目が醒めるとあちらこちらに擦り傷、切り傷が出来て居る。
今朝も手の甲の皮が剥けていた。
たまさぶろうの仕業なのだ。
ここ数年たまさぶろうは足腰が弱ってきたので、ベッドに上るのも反動を付けないと上れないくらい、足腰が弱ってきた。
若い頃は冷蔵庫から電子レンジ、そこからテーブルへと、ムササビの様に飛んでいたのに。
鳴き声は大きくなり、夜中に絶叫されるとハラハラする。
近所にも鳴り響くからだ。
そして頑固にもなった。
私いのちだから、寝るときは常に私の左脇の指定席で、腕枕をさせられている。
そして顔をゴリゴリ押しつけてくる。
愛情いっぱいの表現ではあるけれど、ヨダレがひどいから気持ちが悪く顔を背けると、いきなり私の頭に爪を立ててグイと自分の方に顔を向けさせる。
DV男だわ、これは。
それでも私の腕の中で、いかにも満足げに安心してすやすやしているのを見ると、これはもう可愛くてたまらない。
18年前に近所の団地で薄汚れていた、たまさぶろうを拾ってから、どれほど安らぎをもらっていたかを思うと、どんなに惚けても優しくしてあげようと思う。
かつてあまりにも仕事が忙しかったので、エサを置いて出かけてばかり。
深夜、家に帰ると狂喜乱舞、4匹の猫が揃って出迎えてくれると1日のストレスが吹き飛んだ。
それぞれ個性があって、見ていると本当に面白い。
私が具合が悪い時などは、それと察して慰めてくれる子もいる。
私は人生の目標が低いので、他の事は概ね満足のいくものだけど、一つだけ心残りは、子育てができなかったということ。
これは最大の痛恨事。
私の友人に占いをする人が居て、私は仕事か子供かどちらかを選択する運命にあるそうで、たまたま仕事がメインになった。
子供を育てられなかった分を、猫たちが埋めてくれたらしい。
猫さん達に感謝。
可哀相な病気の猫ばかり拾う運命にあったので、うちには立派な猫は一匹もいない。
獣医さん曰く、あそこへ行けば病気を治してもらえるって猫の情報網があるんだよ。
片目が見えなかったり、猫エイズだったり、ひどい鼻炎だったり、皆病気で苦しむ猫ばかりだった中で、たまさぶろうは比較的健康で大きなきれいな猫だった。
それが今は毛並みもボサボサになって、老いていく。
夜中に急にエサを要求したり、トイレを掃除しろと言ったりするけれど、どんな時でも可愛い。
たまさぶろう、あと数年でお別れの時がくるけれど、来世も又会いましょう。
この次は私が猫で、たまが飼い主になるかも。
今朝も手の甲の皮が剥けていた。
たまさぶろうの仕業なのだ。
ここ数年たまさぶろうは足腰が弱ってきたので、ベッドに上るのも反動を付けないと上れないくらい、足腰が弱ってきた。
若い頃は冷蔵庫から電子レンジ、そこからテーブルへと、ムササビの様に飛んでいたのに。
鳴き声は大きくなり、夜中に絶叫されるとハラハラする。
近所にも鳴り響くからだ。
そして頑固にもなった。
私いのちだから、寝るときは常に私の左脇の指定席で、腕枕をさせられている。
そして顔をゴリゴリ押しつけてくる。
愛情いっぱいの表現ではあるけれど、ヨダレがひどいから気持ちが悪く顔を背けると、いきなり私の頭に爪を立ててグイと自分の方に顔を向けさせる。
DV男だわ、これは。
それでも私の腕の中で、いかにも満足げに安心してすやすやしているのを見ると、これはもう可愛くてたまらない。
18年前に近所の団地で薄汚れていた、たまさぶろうを拾ってから、どれほど安らぎをもらっていたかを思うと、どんなに惚けても優しくしてあげようと思う。
かつてあまりにも仕事が忙しかったので、エサを置いて出かけてばかり。
深夜、家に帰ると狂喜乱舞、4匹の猫が揃って出迎えてくれると1日のストレスが吹き飛んだ。
それぞれ個性があって、見ていると本当に面白い。
私が具合が悪い時などは、それと察して慰めてくれる子もいる。
私は人生の目標が低いので、他の事は概ね満足のいくものだけど、一つだけ心残りは、子育てができなかったということ。
これは最大の痛恨事。
私の友人に占いをする人が居て、私は仕事か子供かどちらかを選択する運命にあるそうで、たまたま仕事がメインになった。
子供を育てられなかった分を、猫たちが埋めてくれたらしい。
猫さん達に感謝。
可哀相な病気の猫ばかり拾う運命にあったので、うちには立派な猫は一匹もいない。
獣医さん曰く、あそこへ行けば病気を治してもらえるって猫の情報網があるんだよ。
片目が見えなかったり、猫エイズだったり、ひどい鼻炎だったり、皆病気で苦しむ猫ばかりだった中で、たまさぶろうは比較的健康で大きなきれいな猫だった。
それが今は毛並みもボサボサになって、老いていく。
夜中に急にエサを要求したり、トイレを掃除しろと言ったりするけれど、どんな時でも可愛い。
たまさぶろう、あと数年でお別れの時がくるけれど、来世も又会いましょう。
この次は私が猫で、たまが飼い主になるかも。
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