2020年8月29日土曜日

脱出

 毎日あまりの暑さに呆然とする日々、家の前の桜並木のある川沿いの土手が工事中。

朝からコンクリート壁を壊す音、ミキサー車が生コンクリートを流す音、ショベルカーが瓦礫をダンプカーに積み込む音等でやかましい。35度くらいの炎天下でヘルメットを被り工事用の分厚い靴を履いている作業員は大丈夫なのだろうか。命に関わるほどの暑さなのに。

ほとんど家から出ない生活が続く。私が玄関を出ると作業員のおっさんが話したげにこちらを見る。車も殆ど通らないのに何時間も立ったまま警備をするのは本当に辛いだろうと思うけれど、私も話し好きのおじさんに捕まって炎天下に止め置かれるのは御免被りたい。目をそらしてツツツと横歩きしたりして避ける。わたしゃ忍者か?

めったに家からも出ず、アンサンブルを望んでもお互いに出歩きたくないので、約束をしたくない。結果誰とも殆ど会えない日が続く。それなのに、朝目が覚めたときに気分がいまいちだと”すわ、コロナに感染!”しかし、時間が経つと、特に朝食を食べると気分は普通になる。軽い熱中症かもしれない。記憶力はどんどん悪くなって、最近では有名な演奏家や作曲者の名前が出なくなった。ましてや、新しい演奏家は殆ど名前が覚えられないときた。このまま痴呆街道まっしぐらかい?痴呆ならぬ地方街道まっしぐらで、来週は涼しい北軽井沢で暮らそうと思っている。あちらはともすると涼しすぎることはあっても暑いということはなかったのに、今年の昼間はやや暑かった。そろそろ涼しくなっていることと思う。それと人が居ない。9月の声を聞くと森の中にいるのは動物のほうが多い。

一番暑いときに森に行かなかったのはなにかと用事があったから。ハリー・ポッターの最終7巻にいよいよ突入する。そのレッスンが今月末。単語や言い回しの難しさも増したけれど、文字のサイズがどんどん小さくなっている。だから同じページ数でも中身は増えているのだ。もはや中学生でも読めるレベルを遥かに超えて大人の読み物になっている。目が悪くなって記憶力も衰退しているのに、難しさは増すばかり。最後まで読み終わったら感激でうるうるになるかも。でも途中で諦めかけていたのに、最終巻にたどり着けてよかった。

AmazonTVにはまって、英語のノートを広げながら見ているうちに英語はどこかへいってしまう。これはいかん。北軽井沢の誰もいない暗い長い夜がこういうときに役に立つ。テレビもつかないし、話し相手は猫一匹。Amazonも、もちろん邪魔をしない。なにもやることがない。時々小動物がシャッターにぶつかってドンと音を立てるのにも慣れた。初めてのときには人がいるのかと思って恐怖したものだったけれど。

楽器を置いておく部屋に除湿機を入れたけれど、今年は暑かったからエアコンにすればよかったと後悔している。電気屋さんに相談してみよう。音を出すのでどうしても窓は閉めるから、いくら北軽井沢といえども暑い。電気屋さんは楽器を置くだけだからとエアコンの必要はないという。費用も安く済むから一旦は納得したけれど、この先異常気象が続かないとも限らないからエアコンを入れるうちが増えているという。ずっと以前軽井沢に仕事で行ったら何処にもエアコンはなかった。それから考えると本当に気候が変動しているなと思う。

湿気がひどいので森の中にはピアノは置けない。完全に空調が効いて居なければ楽器が気の毒なので電子ピアノを置くことにする。先日行ったときに不用品は片付けて、スペースを作っておいた。ノンちゃんの趣味らしく小人さんが腰掛けるような木製の小さな椅子が3脚。雰囲気はいいけれど、実用的ではないから撤去。友人が持って帰ってその日の夜、彼女の猫さんたちがその椅子に座った写真が送られてきた。私のお気に入りのポジションだった窓際のソファ。ここに横になって外の木々を飽きることなく眺めていたものだった。そのソファもピノを置くとじゃまになる。どうしようかと考慮中。ノンちゃんの趣味の良さは家具にまで行き届いていた。私が実用一点張りにすることは彼女には不本意だとは思うけれど、ごめんね、こうしないと家が狭くなるばかりで・・・

家に根が生えたように居座っていても若い時なら様々なことを考えた。それが今ではノンビリと寛いでなにも考えないでヘラヘラしていられる。もう年だし、少しくらいなまけてもいいでしょうか。










おかしな出来事

 姉から電話がかかってきた。

私の上の階に住んでいる人がダンボールを道ばたに放置していたので、ご近所から苦情が出たのだと言う。上の階には新しく引っ越してきた若い女性が4月から入っていた。見た目すごく健康そうな感じのいい人だったので、とてもそんなことをするとは思えない。

姉に電話してきたご近所さんがダンボールに貼ってあった宅配便のラベルを見て電話すると若い女性が出て、身に覚えがないと言う。それでも通りすがりの町会事務所の人が片付けてくれたからお礼を言うようにと伝え、ダンボールを引き取るようにと言って電話を切ったけれど、一向に引き取りに来ないらしい。その住所が私のところなので、私の姉にご注進に及んだというわけ。私もなんだかよくわからない。

とりあえずご近所さんに電話をして話を聞くと、以上のようなことを伝えられた。町会事務所に行って片付けてくれた人にお礼を言ってよくよく訊いてみると、捨ててあった場所は我が家からはかなり遠くて、その間には何箇所ものゴミ捨て場がある。捨てるならもっと近くに捨てるだろうし、若い女性がダンボールを抱えて、まだ地理もわからない場所をうろつく図はとうてい思い浮かべられない。だれかが意図的に我が家のゴミ捨て場から持ち去って置き去りにしたとし思えない。

女性の部屋に行ってドアホンを押しても出ない。電話にも出ないから置き手紙をして来たけれど、まず住所がついたまま捨てるのもうかつな話で、誰かがそれを見て名前と電話番号を利用するかもしれない。今はほんのちょっとした手がかりから詐欺などの被害にもあいかねない。本人が否定するのを皆信じているけれど、それにしてもなぜ?

近所にある政党の支持者がいる。選挙が始まるといつもこの家の塀にポスターが貼られる。そのポスターが時々剥がれて我が家の駐車場に落ちているから、その都度届けに行ったけれど、だんだんおかしいなと思うようになった。ポスターは少しくらいの風で剥がれるものだろうか?しかも落ちている場所がその家のすぐそばでなく、私の家の駐車場の一番奥の方だったりする。人がわざわざ剥がして持ってきたというふうに置いてある。これはその家に対する嫌がらせと言うより、私に対する悪意ではないかと思った。そこの奥さんと、お互い気をつけようと話し合った。それ以来ポスターが貼られることはなくなったのでホッとしている。悪くすれば選挙法違反などになりかねないし、密かに奥さんから恨まれたりしかねない。

私は10年以上ごみのことでご近所と、様々なトラブルがあった。近所のゴミ置き場は、ある家の前に設置されていたけれど、新築を機に隣の家にごみを置かせてほしいと頼んだところ拒否されて、わざわざ私の家の斜め前に置くことにされてしまった。そこは本来のゴミ捨ての人たちの家からは遠く、自宅にゴミ置き場のある我が家のすぐそば。当然遠いところのごみがどうなっているかは捨てる人には見えない。捨てない我が家からは丸見えで、管理もしてくれないから汚れ放題。あまりの酷さに掃除をして欲しいと何回も頼み、そちらの町会に頼みに行ったりしていたけれど、皆どこ吹く風で知らん顔。私と隣の町内会の間で度々話し合おうと思っても、喧嘩腰で来る。しかも責任の所在がはっきりしないからだれもが逃げ腰。

ある時あまりにもひどすぎる汚れ方に、その辺でも人望がある家のご主人を引っ張り出してゴミ置き場まで連れて行った。実態を見て言葉を失うご主人。次の日からごみの捨て方と、ほんの少しだけ我が家より遠くにゴミ捨て場が動かされた。毎日掃除をしてくれるおばさんも現れてやっと管理されるようになった。

そんな事があったから私は随分恨まれていると思う。あるいは生意気だと思われていると思う。ごみの問題は本当に煩わしい。それでダンボール事件やポスター事件が起きるのかも。

あるいは野良猫餌やりやいつも変な格好をしていること、まっ黄色な車や楽しげに集まってくる人たちやヴァイオリンを弾いていることなど、他とちょっと変わっているのも癪の種なのかもしれない。ダンボールの女性は私へのあてつけで嫌な思いをさせられたのかもしれない。それなら引っ越してすぐに嫌な思いをさせて気の毒だった。

以前もなにか嫌がらせのようなことをされたときに、亡夫が言ったことがある。「(いやがらせをする)その人は気の毒だね、そんな嫌がらせを夜一人で考えているのを想像してご覧よ、随分不幸なひとだねえ」なるほど、ほんとにそうだ。














2020年8月25日火曜日

幸せな老猫

 私の相棒は老いたメス猫のコチャ。彼女は18才、人で言えば多分80才超え。いやもっとかもしれない。

先日道ばたに生きの良い猫じゃらしが生えていた。立派な毛虫様の穂先がついていて、これほどしっかりしたものは中々道ばたでは見当たらないから、思わず一茎折って持ち帰った。コチャがどんな反応するかはわからなかったけれど、たぶんのっそりと匂いを嗅ぎに来て鼻でフンとあしらうと思っていた。しかし彼女がここまで喜ぶとは、思いもよらないことだった。もう年なんだからやめなさいと言いたいくらい、激しい運動をし始めた。

彼女は家に沢山猫が居た頃はひっそりと押入れ暮らし、他の元気の良い子や甘えん坊の玉三郎の陰に隠れて、存在感はうすかった。一日中姿が見えなくても、又押し入れで寝ているんだな位の認識しかされなかった。顔つきはいつもニコリともしない風で妙に顎が前に突き出ていて、およそ猫の可愛らしさには程遠かった。同じ時期に拾われたので他の猫が相次いで逝ってしまった時、少し遅れて拾われた彼女は生き残り、やっと私を独り占めできるようになったのに甘え方もわからない。抱っこされても体が突っ張っている。他の猫は抱かれれば液体のようにフニャリと体の力を抜いてリラックスするのに、コチャだけはゴチゴチに固まってしまうので抱きにくい。毎日彼女の心を解きほぐすのにはどうしたらいいか色々やってみた。

ある日私のベッドに珍しく上がってきてくつろいでいるから、ひたすらもふもふしていたら、それがとても嬉しかったらしい。今までなでてもらうこともなかったので、どう反応していいかわからなかったらしい。その時から急激に心を開いてきた。今まで目を合わせようともしなかったのが、じっと私の目を見返してくるようになった。それで今やすっかり甘えん坊になって、一日中私の姿を追いかけている。少しでも見えなくなると必死で鳴きながら探す。以前は沢山猫がいたし、私は仕事で忙しかったから、コチャの寂しさをわかっていなかった。けれど今、彼女は私の愛情を独り占めして、幸せそうに暮らしている。

猫じゃらしを見たとたん、戦闘態勢に入った彼女のしつこい要求に私はヘトヘトになった。何回も何回も茎を振り回して彼女の狩りのお稽古に突き合わされる。こんなことなら猫じゃらしを持ち帰らなければよかった。しかし、遅くなってしまったけれど、人生(にゃん生)の黄昏時にこんなに幸せそうにしてくれるなら多少面倒でもお付き合いしましょう。

大体、最近の私は家から殆ど出ず歩かずに、石仏にでもなったかのように動かない。せめて猫と遊ばないとこのまま即身仏にでもなってしまうかも。仏ならいいけれど、即身物になって粗大ごみとして捨てられかねない。ごみの中でも質が悪く、ごみ捨て場に持ち込むとぎゃあぎゃあ喚き散らし、腹が減ったと泣き叫ぶ。そんなごみになりそうな。衆生救済のために断食した修行僧の爪の垢を煎じて飲んでも、もはや救いようのない存在なのだ。

それをほんのひと時でも体を動かさせてくれる、お猫様に感謝。彼女が居なかったら私は息をするのも面倒くさいので、呼吸困難に陥りかねない、とまあ、こんな具合で、猫たちには子供の頃からずっと助けられている。私が猫たちを救ったのではなくて、猫が私を救ってくれていたのだ。

近所の独居男性が犬を飼い始めた。

朝早くから「こらっ!こらっ!」と大声で誰かを叱りつける声がするので、子供でも叱っているのかと思ったら、可愛いワンちゃんが叱られていた。テリアとパグをかけ合わせてできたという中型犬。

赤ちゃんだから歯が痒くて飼い主をちょっと噛んだりするみたいで、地声の大きな人が早朝近所中に聞こえる声で叱りつける。あんなに叱られてばかりいたら性格がひねくれてしまわないだろうかと密かに犬に同情した。私が飼うならちゃんと訓練士に預けて躾をするのにと余計な心配をしていたら、最近飼い主の声が優しくなってきて、今朝耳をそばだてていたら「よしよし、いい子だ」なんて。あら、動物というのは人の訓練にも役に立つのだわと、えらく感心した。皆さん動物を飼うのは人の為ならず、ですよ。













2020年8月24日月曜日

検診の結果

私が健康診断を受けたくない理由は、私の検診結果を見た医師が退屈そうにするからなのだ。本当に何年も全く変わらず、必ずコレステロールが高いと言うだけで、ほぼ基準値に収まる状態がもう15年以上、そのうちの数年は受けることもしなかった。どうせ同じさ、と言うわけで。

今回は咳喘息の治療のために通っていた病院での検査。やはり医師はつまらなそうになにも問題無しと言う。明るい声で中性脂肪が下がっていますねと言うから”どれどれ”と数値を見たらほんの2コマ下がっていただけ。心配していた肺がんも異常なし。咳が出るのはどうやら我が家のなにかの物質に反応してのことらしい。亡夫はヘビースモーカーだったので、壁などに未だに存在するタバコの煙の残滓かも。壁紙を2回も取り替えてもまだ影響しているのかもしれない。私の父もヘビースモーカーだったけれど、96才まで生きてテレビを見たまま亡くなった。誰もが居眠りをしていると思うくらいあっけなく。

家族の中で一番父親似のわたしは、同じように96歳まで生きるのは御免被りたい。今でさえも足の筋肉が衰えて椅子から立ち上がるときにどっこいしょと言いたくなる。これで90代までとなると、どれほど自分の体を動かせるものか想像もしたくない。人の厄介になるのは本当に嫌なのだ。父親は最後まで自力で徘徊していた。毎日決まった順番でご近所さんを訪問し、昼食を食べてテレビを見て。

その父を支えたのが町の人達だった。地域に根づいた活動をしていたので、役職がなくなっても父のポジションはいつも町の人によって確保されていたのだ。選挙の時、投票所に父が座っている。別になんの役にも立たないのに椅子が用意されていた。そこに座って投票に来る人達を嬉しそうに見ていた。とてもありがたいことで、母が先に亡くなって一人になった父は、そうやって慰められていたから私達の世話になることもなかった。それで大往生して本来なら自宅で亡くなると変死扱いなのだけど、父の場合、あまりにも安らかな死に顔だったので事件性なしとみなされて、一旦は警察で過ごしたけれど、すぐに戻ってきた。

そんな父は町の人達にお世話になったけれど、私は町に貢献をしていないし、近所付き合いもあまりなく、喧嘩はするは、文句は言うは、野良猫に餌はやるはであまりにも人望がないから、96才まで生きても誰も世話はしてくれないだろうと思う。自分のことは自分でやらないといけないので、これからの人生設計をきちんと立てようと思っている。

そのためにはまず健康であることが必要。最低自力で歩けなくなったら施設に入るためのお金も必要。今まで随分無駄使いしてきたけれど、これからは貯蓄に励もう・・・とはいかない。お金はつかってこそ意味があるから無理に節約はしないけれど、面白がって着られそうもない変なデザインの服を通販で買うのはやめようと思っている。必要な出費は惜しまないけれど不必要なものは買わない様にしたい。希望的な決意であって、どこまで守れるだろうか。

とかなんとか言いながら、パソコンの画面に絶えず現れる広告を見てしまう。私の嗜好を知り尽くしたGoogleさんが厳選する品物だから、ついつい見るだけよと言いながらいつの間にか買わされている。敵もさるもの、ひっかくもの、見ざる聞かざる言わざると3猿を決め込んでもかなわない。

海外の映画やヴィデオを見ていると、老婦人たちの服装が気になる。日本の老女たちは一様に年相応な地味な服装をするけれど、ミス・マープルなどは花柄の品の良いワンピースを着ている。あれはとても良い。私もああなりたいと思っても趣味が変な物好きなので中々上品にはなれない。

仕事仲間のピアニストから「nekotamaさんって時々すっごく変な格好するよね」と言われたことがある。その日は東京に雪が降ったので舞い上がった私は、ダウンジャケットに雪用のド派手なブーツ、毛皮の帽子などエスキモーも真っ青な服装ででかけた。NHKホールの楽屋口の守衛さんが私の全身を上から下まで見下ろして、妙な顔をしたので吹き出しそうになった。時々こうやって他人から変と思われることがあるけれど、自分でも変だと思ってやっているのは反応を見るのが面白くてやっているようなところもあるのだ。普段はとても常識的だと、自分では思っているけれど、さてね?








2020年8月23日日曜日

夏の終りに

 毎日信じられないほどの暑さが続いた。今日はようやく気温が下がって台風か何かの影響かもしれないけれど、小雨が降っている。コロナの緊張と暑さの影響ですっかり疲れてしまった。朝食を食べてしばらくすると、又寝込んでしまった。いくらでも眠れそうな疲労感。私にとっても随分辛い夏だったようだ。

今年ほど人々が感染症に支配されたことは今までなかったような気がする。目に見えないウイルスに怯えての数ヶ月、この間に運命が変わってしまった人も沢山いたと思う。私もこんな形で自分の演奏の幕引きをするとは思わなかった。手洗いと人との距離をとること、マスクをすることくらいでこの感染が収まるならいいけれど、もっと不確かな感染経路もあるのではないかと疑ってしまう。宅急便を受け取るたびに荷物の表面は大丈夫だろうか?とか、ビルの出入り口のドアノブを触ってしまったから怖いなど、常にビクビクしていることが心を病ませてしまったようだ。とても疲れている。

疲れている上に生きがいだったものができなくなって、こういうときにこそ必要な心のケアができない。仲が良い家族、友人、恋人などがコロナのおかげで会えなくなるなんてことも沢山あったのではと思う。いつも幸せ感いっぱいだった私もまいったまいった!たまに家に人が来てくれるとその時だけは幸せだけど、帰ってしまうとがっかりして又根暗になる。かと言って帰さないために猫のケージに押し込めることもできないし。

肩甲骨の痛みはだんだん取れてきて、肺炎ではなかったのでホッとしている。こんな痛みごときでも心配でたまらなくなるほどなので、万一熱でも出そうものなら一大事。毎日の検温では常に36度台の前半を行ったり来たりで安定しているけれど、風邪でもひいてそれ以上の熱が出たら心配のあまり発狂・・・とは大げさだけれど、そのくらいの気持ちになりかねない。

夏が終わって涼しくなるとウイルスはもっと元気になってしまうと聞くと、もうこれ以上勘弁してくださいよお願いしたい。人はこの自然界で一番えらいのは自分たちだと思っている。けれど、実際はこんな小さなウイルスに人生狂わされるくらい影響を受けるのだから、ちっぽけなものだなあと思う。

熱中症も心配なのでスポーツ飲料を炭酸水で割って冷蔵庫に置いてある。それも飲みすぎているらしく、少し手や顔にむくみが出ている。何事もやりすぎるので、ちょっと飲み過ぎと反省。コロナか熱中症かどちらか一つにしてほしい。

体がだるくて心が暗いのはうつ病になったのではないかと、それもまた心配のタネ。自分がこんなにマイナー思考だったとは今まで知らなかった。いつも仲間が支えてくれていたのがよくわかった。その仲間たちと会えないのが諸悪の根源なのだ。友人はありがたい。

今医療現場で必死に働いている人たちがいるのに、家でくよくよしているのは全く非生産的行為だと思うのに、これで外に出てうかつに感染でもしたらもっとはた迷惑。何もできないし、しないほうが良いと言うのは、ああ、じれったい!いままでこんなになにもできなかったことってあるかしら?さすがの私も、ナマケモノの生活を夢見ていたこの私も、我慢は限界にきているかも。とうていハシビロコウになれないということがよくわかった。ナマケモノもハシビロコウも偉い!あんなふうに悟りきっていられたら感染症のほうが呆れて立ち去ってくれようものなのに、人はばたばたして事態をますます悪くする。来世は最初からナマケモノに生まれてこよう。

暑いときにこそ必要な森の中の生活も、仲間たちとそこで楽しく暮らそうと思って手に入れた家も今年は殆ど役にたたなかった。皆移動中のコロナ感染を恐れて、だれも来てくれない。万一のことを考えると、こちらから誘うのも気が引ける。結局猫と私だけが森の空気を満喫、しかし心は楽しまない。来年果たして楽しい生活が戻って来るのかどうか。

愚痴は際限なく続きそうなのでこのへんで。自宅で鬱々としている人におすすめは書くこと、ちょっと気が晴れるのでやってみたらいかが?











理想は厳しい

北軽井沢から帰ってきてからは猛暑に悩まされ、体が動かなくなってしまった。外に出かけるのは暑さに弱い私にとっては命がけ。足はふらつき目は回る。背中がラジエーターだから、Tシャツが汗で張り付いて脱ぐのも大変。散歩もままならない。

それで家のクーラーを休みなく稼働、家の中でできるストレッチなどを少し多めにすることにした。テレビで見たストレッチに加え、自分なりのアレンジで背筋を伸ばす。幸い楽器で鍛えた背筋だけは立派なので、背筋はしゃんと伸ばせるけれど、腹筋は弱いのでお腹の脂肪は簡単には落とせない。しかも自分でわかっているのは、なんでも必ずやりすぎてだめになるのがいつものパターンなのだ。

今朝起きたとき、背中に疼痛があった。ん?何この痛みは。もしやコロナに感染した?報道によれば、どうもいろいろなところに痛みが出ると言うではないか。それとも心臓?心筋梗塞や狭心症の痛みは、必ず胸に出るとは限らない。背中や場合によっては歯茎に出たりする。なぜこんなに痛いのかしら。

ようやくベッドで起き上がって痛みをよく観察する。左の肩甲骨のあたりから肩にかけて小範囲ではあるけれど、かなり痛い。軽く咳をしてみると胸などは痛くないし呼吸も楽にできる。痛みに気を取られるとなにか急に呼吸困難になった気もしないでは無いけれど、体の内部と言うよりは外部的なものとわかった。何が原因?

しばらく考えて、はたと気がついた。一昨日朝のテレビでやっていたストレッチ。いつもは肩甲骨伸ばしが主だったのに、その朝のは、それに加えて脇を伸ばす運動も入っていたのだ。

私の体は少し右側に傾いているので左脇は伸ばしやすいから、いい気になって伸ばしすぎたようだ。やっと原因がつかめたのでほっとしたけれど、やりすぎでこうなったのだから今日はストレッチは休むことにした。いい口実ができた。

私は子供の頃から体を動かすのが嫌いで、理想はオオナマケモノかハシビロコウ。かれらのように泰然として人生を過ごすことが最高だと思っている。その理想に近づくためには食っちゃ寝が一番。人は様々な理由によって、そうはいかないのが現実なのだ。仕事の為や世間的な見栄とか人との付き合いとか、いつもあくせくして飛び回っている。そういう事が自分が有能であり出世するための行動だと思っている。だからお金はそれほど欲しくない、最小限食べていければいいなんて言う人は、怠け者のレッテルを貼られて落ちこぼれとみなされる。

私にとっては落ちこぼれは生まれつき、怠け者は・・本当は頭の中にろくでもない妄想が常に溢れているから怠けているわけでは無いのだけれど、傍から見るとなんにもしていないように見える。ただ体を動かさないだけのこと。

ところがこれを実践すると、成人病の罠が待ち構えているというのが人間の厄介なところ。たいした量を食べなくてもじわじわと体脂肪が増える。血管を塞ぎ心臓に負担をかける。人間はとても厄介なのだ。

今朝から背中の痛みを口実に徹底的に怠けることにした。昨日AmazonFireTVで見つけたのはアガサ・クリスティーのミス・マープルシリーズ。子供の時からクリスティーのミステリー作品はすべて読んでいるほどの熱狂的ファンだったから、これはもうたまらない。結局一日中テレビの前を動かなかった。一切の家事を放棄、たまに猫と自分の餌を用意、お尻に根が生えてしまったように動かない。時々居眠りをして筋書きがわからなくなれば巻き戻し、そのうちわからなくても昔読んだ本を思い出せばいいのだからと、うつらうつらしたり見たり又うつらうつら。これはたまらない。ついに理想的な生活になった。

しかし、このあとが怖い。明日、体重計に乗ればじわりと体重が増えて体脂肪率も上がっているだろう。それを見て慌てて又ダイエットの誓いを新たにするのに、又すぐに理想的な生活に戻り・・・ずっとこの繰り返しで何十年。

少し若い頃なら、こういう時期は新たな出発の準備期間になったものだった。何かを模索してぼんやり考えているとそのうちだんだんに考えがまとまってきて形が見えてくる。そこから新しい世界に入っていく、この繰り返しだった。けれど、もう今となっては新しい世界が現れるのかどうか、とても疑わしい。

今年になって予定されていたすべての演奏会が中止になった。それは来年前半まで続く。もしかしたら来年どころか再来年まで?こうして自然な形で引退を迫られているのかと思う。この先数年のブランクがあって再起するのは年齢から言っても相当難しいことになる。そこまで自分の技術と気持ちが維持できるかどうか自信はない。

そんなときに友人のピアニストからメールが届いた。生きてるかい?なにか合わせない?モーツァルトなんかどう?

持つべきものは友。そう言われて急にモーツァルトがぼんやりと輪郭を現した。あんなに好きだったのに、アマデウス!君を忘れていたよ。コロナに頭を押さえつけられて鬱々とした毎日。こんなつまらない年はなかった。

ところで楽譜は何処にやったかしら。探さないといけない。ハシビロコウになるにはまだ少しだけ早い。









2020年8月20日木曜日

痩せたノラ

1週間ぶりで自宅に戻ると ノラがいない。

毎日駐車場で待機していたのに、私が出かけてしまったので怒っているのか。2日めにようやく顔を出した。嬉しくて狂喜乱舞と言いたいところだが、クールにニャア。フランスへ行ったときには9日間放置して、帰ってきたときには別段飢えた感じでもなく丸々太っていたから、今回も大丈夫だと思っていた。今日の午後散歩から戻ると、私の車”パパゲーノ”の下でぐったりとしていた。

この暑さでは人間だけでなく猫だって暑すぎるのだろう。よく母が言っていたのは「猫は1年間で2日しか暑い日はないんだよ」 

なにを根拠にそんなことを言うのかわからないけれど、それほど猫は寒がりだと言いたかったらしい。もっとも彼女は卑弥呼様だったから、猫と会話したのかもしれない。その寒がりの猫がこの暑さでこれほど弱っているのかとびっくりして呼ぶと、かすれた声で力なくニャアと言う。今朝はちゃんと餌もあげたから飢えるほどでもないはず。でもキャッツフードを差し出すと夢中で食べ始めた。

そうか、誰かに横取りされたのね。今朝餌を置いて戻りかけるとギャアという声がした。あわてて駆け寄るとほっそりしたロシアンブルーが逃げていく。その時はそれで終わったと思ったのに、その後又戻ってきて取られたらしい。暑さは暑いし腹は減るし、それでぐったりと車の下で寝ていたのだ。かわいそうに、抱き上げると前より軽くなったようだ。背中を擦ると骨がゴツゴツしている。最近はまるまるしていたのに、この1週間で痩せてしまったらしい。

2年前にニューヨークに行った時、ノラが心配で階上の人と近所の人に頼んで餌やりをしてもらった。帰ってきたら階上の人はヘトヘト、責任感の強い人で無類のネコ好き、一生懸命やってくれたので疲れ切っていた。近所の人は後片付けをしないのであちこちから猫が集まって大変なことになっていた。それからは覚悟を決めて私の留守の間は猫自身で餌場を探させることにしたら、ちゃんと元気にしていたのでホッとしたものだった。餌をやるのは私だけではなく、あと数軒はご近所にいるらしい。地域猫として生きている彼らは、ローテーションで時々入れ替わりながら食べ歩いているけれど、うちのノラは私が大好きで、毎日必ず駐車場食堂に現れる。あまり飼いならしてしまうと可哀想だから適当にしているけれど、彼女は私にべったりなのだ。

近所にワンちゃんを飼い始めた人がいる。ボストンテリアのメスで私の(?)ノラと同じ白黒模様。まだ生まれて3ヶ月。その子が私を見つけると狂ったように飛び跳ねる。他にも柴犬がやはり同じように大騒ぎする。どちらの飼い主もいつも怪訝そうな顔をして「どうしたんでしょうね、他の人にはしないのに」という。他にも大型犬が顔を舐めに来たり立ち上がって私の肩に両前足をかけてきたり、犬には随分好かれるのが不思議だった。犬を飼った経験もないのに。

近所の商店街ではミュージカル「アニー」に出てくるようなモッサモサの大型犬が私の左腿にピッタリと体を寄せて一緒に歩くのでびっくりしたことがある。訓練されているらしく、リードもつけていない。面白いからしばらく黙って歩いていたら、途中で気がついたようだ。どうやら飼い主と間違えたらしい。しかし、飼い主を間違えるとは「お前さんほんとに犬かえ?」

こういう時面白いのは犬の飼い主の反応。犬を飼う人は犬が自分に忠実でないと嫌なようで、自分以外の人になつくのはあまりお好きでないらしい。たいていムッとした表情をする。

先日テレビを見ていたら、犬の嫌いな人は犬に噛まれやすい。それは犬嫌いの人が犬を見ると恐怖体臭が出るのだそうで、人の何億倍か鼻の利く犬がそれを嗅ぎ取る。それで噛まれるのだという。ほう~、では私は犬が大好きで犬を見ると嬉しいという体臭が出るのかな?そういえば今まで一度も犬に噛まれたことはない。皆目が合うとニッコリと笑う。これ嘘ではありませんよ。犬も優しい表情をする。随分以前、動物と触れ合える広場に行ったことがある。そこに巨大な、それこそ子牛ほどの大きさの黒犬がいた。その子とじゃれ合って後ろから飛びつかれて、ひっくり返ってキャッキャと笑っていたら飼育員が真っ青になって飛んできた。

「あー、びっくりした」ですって。大丈夫、私は危険か危険でないか、すぐにわかるから。アイコンタクトでひと目で気持ちが通じる。

人間もこのくらいわかりやすいといいのに。人の気持ちはよくわからない。ということは、私は人より動物に近いということ?進化の途中だってこと?