私が健康診断を受けたくない理由は、私の検診結果を見た医師が退屈そうにするからなのだ。本当に何年も全く変わらず、必ずコレステロールが高いと言うだけで、ほぼ基準値に収まる状態がもう15年以上、そのうちの数年は受けることもしなかった。どうせ同じさ、と言うわけで。
今回は咳喘息の治療のために通っていた病院での検査。やはり医師はつまらなそうになにも問題無しと言う。明るい声で中性脂肪が下がっていますねと言うから”どれどれ”と数値を見たらほんの2コマ下がっていただけ。心配していた肺がんも異常なし。咳が出るのはどうやら我が家のなにかの物質に反応してのことらしい。亡夫はヘビースモーカーだったので、壁などに未だに存在するタバコの煙の残滓かも。壁紙を2回も取り替えてもまだ影響しているのかもしれない。私の父もヘビースモーカーだったけれど、96才まで生きてテレビを見たまま亡くなった。誰もが居眠りをしていると思うくらいあっけなく。
家族の中で一番父親似のわたしは、同じように96歳まで生きるのは御免被りたい。今でさえも足の筋肉が衰えて椅子から立ち上がるときにどっこいしょと言いたくなる。これで90代までとなると、どれほど自分の体を動かせるものか想像もしたくない。人の厄介になるのは本当に嫌なのだ。父親は最後まで自力で徘徊していた。毎日決まった順番でご近所さんを訪問し、昼食を食べてテレビを見て。
その父を支えたのが町の人達だった。地域に根づいた活動をしていたので、役職がなくなっても父のポジションはいつも町の人によって確保されていたのだ。選挙の時、投票所に父が座っている。別になんの役にも立たないのに椅子が用意されていた。そこに座って投票に来る人達を嬉しそうに見ていた。とてもありがたいことで、母が先に亡くなって一人になった父は、そうやって慰められていたから私達の世話になることもなかった。それで大往生して本来なら自宅で亡くなると変死扱いなのだけど、父の場合、あまりにも安らかな死に顔だったので事件性なしとみなされて、一旦は警察で過ごしたけれど、すぐに戻ってきた。
そんな父は町の人達にお世話になったけれど、私は町に貢献をしていないし、近所付き合いもあまりなく、喧嘩はするは、文句は言うは、野良猫に餌はやるはであまりにも人望がないから、96才まで生きても誰も世話はしてくれないだろうと思う。自分のことは自分でやらないといけないので、これからの人生設計をきちんと立てようと思っている。
そのためにはまず健康であることが必要。最低自力で歩けなくなったら施設に入るためのお金も必要。今まで随分無駄使いしてきたけれど、これからは貯蓄に励もう・・・とはいかない。お金はつかってこそ意味があるから無理に節約はしないけれど、面白がって着られそうもない変なデザインの服を通販で買うのはやめようと思っている。必要な出費は惜しまないけれど不必要なものは買わない様にしたい。希望的な決意であって、どこまで守れるだろうか。
とかなんとか言いながら、パソコンの画面に絶えず現れる広告を見てしまう。私の嗜好を知り尽くしたGoogleさんが厳選する品物だから、ついつい見るだけよと言いながらいつの間にか買わされている。敵もさるもの、ひっかくもの、見ざる聞かざる言わざると3猿を決め込んでもかなわない。
海外の映画やヴィデオを見ていると、老婦人たちの服装が気になる。日本の老女たちは一様に年相応な地味な服装をするけれど、ミス・マープルなどは花柄の品の良いワンピースを着ている。あれはとても良い。私もああなりたいと思っても趣味が変な物好きなので中々上品にはなれない。
仕事仲間のピアニストから「nekotamaさんって時々すっごく変な格好するよね」と言われたことがある。その日は東京に雪が降ったので舞い上がった私は、ダウンジャケットに雪用のド派手なブーツ、毛皮の帽子などエスキモーも真っ青な服装ででかけた。NHKホールの楽屋口の守衛さんが私の全身を上から下まで見下ろして、妙な顔をしたので吹き出しそうになった。時々こうやって他人から変と思われることがあるけれど、自分でも変だと思ってやっているのは反応を見るのが面白くてやっているようなところもあるのだ。普段はとても常識的だと、自分では思っているけれど、さてね?
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