私の相棒は老いたメス猫のコチャ。彼女は18才、人で言えば多分80才超え。いやもっとかもしれない。
先日道ばたに生きの良い猫じゃらしが生えていた。立派な毛虫様の穂先がついていて、これほどしっかりしたものは中々道ばたでは見当たらないから、思わず一茎折って持ち帰った。コチャがどんな反応するかはわからなかったけれど、たぶんのっそりと匂いを嗅ぎに来て鼻でフンとあしらうと思っていた。しかし彼女がここまで喜ぶとは、思いもよらないことだった。もう年なんだからやめなさいと言いたいくらい、激しい運動をし始めた。
彼女は家に沢山猫が居た頃はひっそりと押入れ暮らし、他の元気の良い子や甘えん坊の玉三郎の陰に隠れて、存在感はうすかった。一日中姿が見えなくても、又押し入れで寝ているんだな位の認識しかされなかった。顔つきはいつもニコリともしない風で妙に顎が前に突き出ていて、およそ猫の可愛らしさには程遠かった。同じ時期に拾われたので他の猫が相次いで逝ってしまった時、少し遅れて拾われた彼女は生き残り、やっと私を独り占めできるようになったのに甘え方もわからない。抱っこされても体が突っ張っている。他の猫は抱かれれば液体のようにフニャリと体の力を抜いてリラックスするのに、コチャだけはゴチゴチに固まってしまうので抱きにくい。毎日彼女の心を解きほぐすのにはどうしたらいいか色々やってみた。
ある日私のベッドに珍しく上がってきてくつろいでいるから、ひたすらもふもふしていたら、それがとても嬉しかったらしい。今までなでてもらうこともなかったので、どう反応していいかわからなかったらしい。その時から急激に心を開いてきた。今まで目を合わせようともしなかったのが、じっと私の目を見返してくるようになった。それで今やすっかり甘えん坊になって、一日中私の姿を追いかけている。少しでも見えなくなると必死で鳴きながら探す。以前は沢山猫がいたし、私は仕事で忙しかったから、コチャの寂しさをわかっていなかった。けれど今、彼女は私の愛情を独り占めして、幸せそうに暮らしている。
猫じゃらしを見たとたん、戦闘態勢に入った彼女のしつこい要求に私はヘトヘトになった。何回も何回も茎を振り回して彼女の狩りのお稽古に突き合わされる。こんなことなら猫じゃらしを持ち帰らなければよかった。しかし、遅くなってしまったけれど、人生(にゃん生)の黄昏時にこんなに幸せそうにしてくれるなら多少面倒でもお付き合いしましょう。
大体、最近の私は家から殆ど出ず歩かずに、石仏にでもなったかのように動かない。せめて猫と遊ばないとこのまま即身仏にでもなってしまうかも。仏ならいいけれど、即身物になって粗大ごみとして捨てられかねない。ごみの中でも質が悪く、ごみ捨て場に持ち込むとぎゃあぎゃあ喚き散らし、腹が減ったと泣き叫ぶ。そんなごみになりそうな。衆生救済のために断食した修行僧の爪の垢を煎じて飲んでも、もはや救いようのない存在なのだ。
それをほんのひと時でも体を動かさせてくれる、お猫様に感謝。彼女が居なかったら私は息をするのも面倒くさいので、呼吸困難に陥りかねない、とまあ、こんな具合で、猫たちには子供の頃からずっと助けられている。私が猫たちを救ったのではなくて、猫が私を救ってくれていたのだ。
近所の独居男性が犬を飼い始めた。
朝早くから「こらっ!こらっ!」と大声で誰かを叱りつける声がするので、子供でも叱っているのかと思ったら、可愛いワンちゃんが叱られていた。テリアとパグをかけ合わせてできたという中型犬。
赤ちゃんだから歯が痒くて飼い主をちょっと噛んだりするみたいで、地声の大きな人が早朝近所中に聞こえる声で叱りつける。あんなに叱られてばかりいたら性格がひねくれてしまわないだろうかと密かに犬に同情した。私が飼うならちゃんと訓練士に預けて躾をするのにと余計な心配をしていたら、最近飼い主の声が優しくなってきて、今朝耳をそばだてていたら「よしよし、いい子だ」なんて。あら、動物というのは人の訓練にも役に立つのだわと、えらく感心した。皆さん動物を飼うのは人の為ならず、ですよ。
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