2014年10月29日水曜日

紅葉の写真

   八ヶ岳音楽祭に参加した「風雅房だより」という
          ブログ主さんから
        写真を送って頂きました。
       その中の4枚をご披露します。

       こんなに綺麗だったのですよ。
   音はお聞かせできませんが、中々良かったと自画自賛。
      次回は是非音を聴きに来てください。

2014年10月28日火曜日

唐松の落葉

ノンちゃんの家はお隣の、Hさん、Oさんの家と庭続き。
食事はOさんのプロ顔負けの腕前で、毎回美味しすぎるので、こんな生活を続けてはいけないと思いつつ、食べやめられない。
朝食を清里のHさん山荘で目一杯食べたので、昼ご飯は雑炊と漬け物の簡素な食事と思ったが、その雑炊はダシの利いた茸いっぱいのすごく美味しいもので、一食たりとも適当にごまかすことのない作り方。

昼食の後はノンちゃんとストーブに火をおこす作業に取り組んだ。
新聞紙を丸めてその上に細い木を載せて、火を付ける。
細木が燃え始めたところで太い木を乗せる。
上手く空気が通らないとすぐ消えてしまうけれど、燃えはじめてからぱちぱちと火の爆ぜる音がし出すと、今まで寒かった部屋が徐々に暖まっていく。

この山荘の大きな窓には、外の雑木林が見えるように長椅子がしつらえてある。
頭だけクッションに載せ、横になって落ち葉の降りしきる景色をしばらく眺めていた。
ここの景色は清里よりも色調が地味で、赤い色は少なく全体が黄色く色付いている。

葉がハラハラ散る中で、唐松の針の様な葉が一斉に落ちていくのが美しい。
夕日を浴びて輝いて見える。
いつまでも見飽きない景色に、散歩に出て林の中を歩きたい気持ちと、燃える暖炉の火を見ていたい気持ちがせめぎ合って決めかねていると、昼寝から醒めたノンちゃんが「行っておいで」と言うから散歩に出た。
足元は落ち葉がびっしりと重なって、フカフカ踏み心地が良い。

それで思い出したのは、昔見たフランス映画「ヘッドライト」
たぶんジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールだったと思うけれど、妻子あるトラックの運転手と宿屋の女中の道ならぬ恋。
彼女が妊娠、出産で命を落とす。
運転手は家族からも冷たい目で見られて、なんとも救いようのない結末におわったような。
記憶が定かではないけれど、言いようのないやるせない映画だった。
その冒頭の映像が、パリの石畳に積もったプラタナスの落ち葉が風に吹かれて舞っている様子だった。

そんなことを思い出しながら散歩を終えると、夜は鯉の餡掛けがメインのご馳走。
ロマンチックはさておいて、食欲はなによりも優先する。
お酒は焼酎のお湯割り。
いつもはワインが多いけれど、料理によってお酒は日本酒だったり、焼酎だったり。
それも全国の美味しい物が、知人達から送られてくるという。

キャリアを積んでバリバリ仕事をした女性達が、リタイア後、こうして集まって暮らし、趣味に没頭し優雅に暮らす。
これは本当に理想的な人生だと思うけれど、これほどの女傑達でなければ実現は難しい。
食事をしながらの話題も多岐に亘って面白く、本当に頭の良い度胸のある女性達ってなんて素敵なのかと、毎度思っている。

夕日に落ち葉が舞って、中でも唐松の葉はキラキラして輝いている。
暮れてゆく景色は、言いようがないほどの美しさ。
日がとっぷり暮れると、辺りは漆黒の闇。
庭を隔てたノンちゃんの家まで帰るのも、怖いくらい静かで暗い。

ノンちゃんの家のリビングには柱時計がチクタクと音を立てる。
そしてボーンと大きな音で、時間を知らせる。
いつもは私が行くと、ノンちゃんはその音を止めてくれる。
ところが今回、先に寝てしまったノンちゃんが音を止め忘れた。
ノンちゃんは少し耳が遠い。
私もこの位の音なら目が醒めないと思ったけれど、物音一つしない林の中で、その音は意外と大きく、時報ごとに目が醒めてしまった。
12時、1時、2時、3時、4時、5時・・・毎時起こされて、それでも寝不足の感じはない。

怒濤のような3日間とこの静寂の、なんという対比。
メリハリのある数日間は、感動の音楽と美しい自然との対話、素敵な人との出会いで私の生活のハイライトとなる。


【映画「ヘッドライト」で検索したら、フランソワーズ・アルヌール演じる女主人公は、ジャンギャバン演じるトラック運転手に心配をかけまいとして、妊娠を隠して堕胎して命を落としたそうです。
ヴァイオリンの奏でるもの悲しい主題歌が印象的です。】


















八ヶ岳音楽祭当日

又も9時半会場で音出し。
宿舎を8時半出発。
当日の朝も絶対に手抜きしない練習が始まった。
こんなに弾いてしまっては、疲れて本番で音が出ないのではと思う程真剣な練習。
今回のプログラムは

ブラームス「大学祝典序曲」
ヴィヴァルディ「グローリア」
ベートーヴェン「交響曲5番 運命」

ブラームスとベートーヴェンは、飯守さんの真骨頂とも言える「ドイツ物」
4分音符一つでもドイツ語のように弾くようにと言われる。
四分音符に、例えばIch, bin,einなどの言葉を載せてみる。
ただ音符の長さを弾くのではなく、語るようにと。
合せるだけでなく主張すること、「殺せー」などと物騒な言葉を発して、その音の強烈さを表現する。
私の指揮に合せるのではなく、皆さんが作るものだとも言われる。
今回のヴィヴァルディは合唱とソプラノ、アルトのソリストがいるのだが、新国立劇場のメンバーがはせ参じていた。
オーケストラもN響、東フィル、東響他、オーケストラの団員、元団員、フリーの演奏家などのゲスト多数が各地から。
飯守さん曰く、これだけのメンバーをそろえるには、ずいぶん脅したりしたんでしょうね。
ユーモラスにおっしゃるけれど、こんな世界的な指揮者を連れてくるには、どんな脅しが利いたのかしら。

現在、新国立劇場の音楽監督として活躍している飯守さんは、バイロイト音楽祭総監督のヴォルフガング・ワグナー氏から「飯守こそドイツ語でKapellmeister(名指揮者)と呼ぶにふさわしい」と信頼の言葉が寄せられているそうだ。
2年続けて彼の指揮で弾けたのは、本当に幸せだった。

あれほどの猛練習で疲れているにも拘わらず、本番は全員が燃え上がった。
汗が噴き出してきて顎当てが滑る。
楽器がスルリと逃げるので困った。
こんなに全力で弾いた事はここ数年なかったので、終ってからも殆ど疲労は感じない。
心地よい達成感に包まれた。

今回軽井沢から3人知り合いが来てくれた。
清里からは1人。
その人は軽井沢組の知人で私は初対面なのに、そこのお宅に泊めて頂くことになった。
雨が少し降っている中、清里まで車を走らせ山荘に到着。

清里は満天星つつじの真っ赤な葉が美しく、林の中の山荘は静かで、夜更けまで5人でワインを飲み、美味しいシチューを頂いた。

ログハウスの山荘は、持ち主のHさんのご主人の設計で、完成を待たずに、ご主人は肝臓ガンで亡くなったという。
リビングには46才でなくなったという、元建築家のご主人の遺影が置かれていた。
都内に家を持つHさんは、月に一回は必ずこの山荘に来て、滞在するそうなのだ。
此処に来ると守られているような気がするの、とおっしゃる。
余りにも早かったご主人とのお別れが、まだ信じられない気がするのかも知れない。
雑誌の編集長として働いて、2人のお子さんを育て上げ、長男にはドイツ人の奥さん、長女には2人のお孫さん。
今は平安に暮らしているけれど、悲しみと子育ての大変さはどれほどだったかと、察するに余りある。
毎月此処に来て、たった1人で未だにご主人と向き合っているようだ。
こんなに寂しい林の中で、1人でいても少しも怖くないと言う。

今回の演奏会は今まで聴いたクラシックの中で一番良かったと、皆さんから言われた。
お世辞も入っているとしても、そう言われれば嬉しくないわけはない。
ヴィオラもえらく褒められた。

次の朝、清里を出発。
お馴染み北軽井沢の、ノンちゃんの山荘に向かった。












八ヶ岳音楽祭二日目

なんと!朝9時半からコンサートマスターによる分奏。
昼食をはさんで夕食まで練習。
食事時間は昼食夕食共に1時間のみ。
夕食を終えてから会場の高根町やまびこホールに移動、21時30分まで会場練習。
まるで学生オケの合宿のような、ハードスケジュール。
ヴィオラの場合、前の3人はベテランで後ろの方は若者だから、体力的には彼らの方が強いはずなのに、毎年参加している若い女性が音を上げた。
若者曰く・・・ベテランは力が抜けているから大丈夫だけど、自分たちは緊張しているからきつい・・・と言う。
しかし、私たちだって超人的な飯守さんのパワーに振り回されて、日頃こんなに音を出したことはないというほど、弾かされている。緊張もする。
しかも私の隣からその後ろは、私がこけると皆同じようにこけるので、油断も隙もない。
一瞬たりとも気が抜けない。
自主的に弾きなさい、自主的に。
素晴らしい紅葉もゆっくり見ることも出来ない。
練習・・・食事・・・練習・・・食事・・・練習。

時間に追われて休む暇もない。
やっと21時半に練習が終ると、宿泊先まで30分ほどもかけて帰らなければならない。
真っ暗な山路を走ってなんとか帰り着いて、それからロビーで飲み会が始まる。
チェロのMさんを交えて、芋焼酎とワインで乾杯。
今回プログラムにヴィヴァルディの「グローリア」がある。
チェロに長いソロがあって、トップのMさんが非常に上手く弾くので安心ではあるけれど、あまり飲ませると悪いと思ったので、24時には解散した。
明日まで体力が保つだろうか。














八ヶ岳音楽祭初日

朝8時頃ヴィオラのFUMIKOさんを拾って、晴天の中央道をひた走る。
2人とも強力な晴れ女。
素晴らしい天気と見事な紅葉を愛でながら、目的地到着。
チェックイン。
初日は2時から夕飯をはさんで21時まで練習。

指揮の飯守泰次郎氏は去年と変わらず、というか、去年よりもますますお元気な様子で、精力的に棒を振っている。
出発前には新国立劇場で、オペラ「パルジファル」の6時間もかかる本番を数日間こなしてこられたそうで、あまりの元気さに私たちも巻き込まれ、熱心に弾かざるを得なくなった。

練習初日だというのに、一音たりともゆるがせにせず、私たちも手抜きなぞ出来るわけがない。
それこそ全力で弾かないと許してもらえそうもないので、目一杯音を出す。
大抵の演奏家は本番に標準を合せて徐々に調子を上げるように調整していくけれど、飯守さんの場合は最初から全力疾走となってしまう。
初めの練習でヘトヘトなのに、夕飯後も絶対手抜き無し。

今回もヴィオラで参加したので、肩が抜かそうになる。
それでもトップの梯さんとFUMIKOさんという気心の知れた仲間と一緒なので、安心して弾くことが出来た。
梯さんはピアニストの梯剛之さんのお父さん。
今回息子さんと共に来ているので、食事は私たちと一緒。
息子さんはあんな凄い音を出すためにストイックな練習に凝り固まっていると思っていたが、とても陽気でダジャレを言う。
私たちと一緒にご飯を食べながら、他の人が冗談を言うと手を叩いて大喜びする無邪気なところがある。
お父さんの方も大変陽気な人なので、血は争えないと思った。

毎年参加する古くからの知人と再会して、旧交を温めた。
練習場の大きなガラス戸の向こうは見事な紅葉。
それを見ながらの贅沢な練習時間が流れていく。

宿泊の同室は、高校時代からの同級生のFさんとFUMIKOさんだから、くつろいでいられる。
去年はヴィオラはハプニングが色々あっていじめられたし、参加者の中にクセのある人がいて少々辟易だったけれど、今年は中々居心地が良い。
一日目はあっという間に終った。
背中バリバリ。

紅葉の写真はこちらのブログでどうぞ。
音楽祭に参加したヴァイオリンのメンバーのブログです。
ブログ主さま 無断ですみません。











2014年10月24日金曜日

荷造り

今日からの八ヶ岳音楽祭のための荷造りは、2日ほど前に始めた。
切羽詰まってから荷造りすると、必要な物が入っていなかったり、ソックスだらけだったりロクなことはない。
すっかり準備万端と思って安心していたら、いきなりこの寒さ。
今日からはまた暖かくなるそうだけれど、高原だから元々気温は低い。
それに加えて、昨日教室に行ったら、八ヶ岳の別荘から帰ってきたばかりの生徒が「すごく寒いですよ。薪ストーブガンガン炊いていました」なんて言うものだから家に帰ってから中身を点検すると、寒さ対策はあまりしていない。
あわてて、セーター、カーディガンなど厚手の物を押し込む。
夜中の天気予報では明日は気温がとても高くなると言うので、又セーターを引っ張り出して、薄手のシャツを入れる。
すっかり疲れてしまった。
毎年この音楽祭に参加していて、こんなに泡食うことはなかったのにと考えたら、去年は今年よりも1週間早かったのだ。
だからさほど気温も下がらなかった。

この時期の寒暖の差はけっこう激しい。
雨が降れば寒いし、晴れればまだ日差しはきつい。
今スーツケースの中身はグチャグチャで、暑いのか寒いのかハッキリして欲しい。
頭の中もグチャグチャ。

今から20年ほど前にモンゴルに行ったとき、ツアーの同行者にすごく無口な変わり者のおにいさんがいた。
私からは変わり者などと、言われたくはないと思うけれど。
その人に何か借り物に行った人がいて、すっかり感心して帰って来た。
何々を貸して欲しいと言ったら、即座に荷物の中から取りだしたそうだ。
私だったら、中身をひっくり返して大騒ぎするところだけど。
そして荷物を覗いたら、一目でなにがどこにあるかわかる様になっていたらしい。

そういう人は、頭の中も整然としているのだと思う。
生まれつき出来が違うと思えば仕方がないけれど、今回私だってとても上手く荷造りが出来たと、自分を褒めていたのに。
気温の変化がこれほどだとは思っていなくて、その辺が甘かったと言える。
長年読みの甘い人生を送ってきた。

先ほどのお兄さんはそんなに几帳面なのに、モンゴル人のツアーガイドの家に招待されて行った時のこと、靴のひもを結ばないでだらしなく引きずって歩いていた。
それを見つけた私に「靴のひもをちゃんと結びなさい。踏んづけたら転ぶでしょう。階段で落ちてもしらないから」などと罵倒されたのだから、人はそれぞれ几帳面なところが違う。
私は靴紐はいつもキュッと締まっていないと気がすまない。


















2014年10月23日木曜日

寒い

今朝テレビで寒い寒いといっていた。
なんでも12月上旬の寒さだそうだ。
そう言われれば寒いかも・・・というわけで、アンゴラのセーターとスパッツを出して着た。
ちょうど冬物と夏物の入れ替えをしたばかり。
朝食を摂り、ノラにエサをやり、掃除機をかけたりゴミの整理などをしていたら、アッという間に汗びっしょり。
どこが12月なの!
一番手元にあったから着たのは、私の持っている衣類の中でも一番暖かい物だから、選んだ方が悪いのかもしれない。
汗だくになって、ただいま暖房もつけずに裸足に薄いワンピース一枚のみ。
家が暖かいのか、私が気温に鈍感なのか。
外に出てもさほど寒いとは思えない。

明日から八ヶ岳音楽祭に参加するために、清里に出かける。
きっと寒いのでしょうね。
暑いのは大嫌いだから、むしろ寒いと身が引き締まって嬉しい。

身が引き締まるといえば、逆に身が増大してしまって、体重が凄く増えてしまった。
夏から2キロ増。
秋口から美味しいものばかり。
クリから始まってキノコ、サンマ等々。
この季節は果物も美味しい。

八ヶ岳音楽祭のイベント最後の、オーケストラの演奏会。
2日前から合宿のような練習がハードに行われる。
羽村市自然休暇村の宿泊施設に全員が泊まって、練習に明け暮れる。
特に夕食が終ってからの練習がつらい。
お腹はいっぱい、目はトロンとしてくる、気分はリラックスモード。
そんなとき練習でやいのやいのと言われても、中々期待にお応えできない。

今回軽井沢から友人の、のんちゃんを始め地元の人も含め4人ほど聴きに来てくれる。
コンサートは日曜日に終り、そのまま、のんちゃんたちと連んで遊ぶという、結構な予定なのだ。
軽井沢の別荘は、庭に見事な楓の木があって、ベランダで見るとそれはそれは美しいということなので楽しみにしている。
帰って来たくなくなるかもしれない。
寒いのは一向に構わない。

さて4日も家を空けるとなると、心配なのは高齢のたまさぶろうの体調管理。
時々食事も摂らずに、ぐったり眠ってばかりいることもある。
昨日から食事も摂らず寝てばかり。
私の留守中もしものことがあるといけないから、獣医さんのところへ行って点滴をしてもらってきた。
人間の勝手な都合に振り回されて気の毒だとは思うけれど、これで私のいない間元気でいてくれると思うので、安心して出かけられる。
けれど、たまも馴れたもので、おとなしく点滴を受けるようになってきた。
今までの経験で、これをすれば気分が良くなると学習したのだ。
猫も人間年齢100才以上になると、化け猫に変身するらしい。


























2014年10月21日火曜日

恐ろしい店員

先日鶴見のサルビアホールの帰り道、シューベルトの夢見心地な余韻に浸りたくて、コーヒーショップを探した。
駅東口に、他は混んでいるのに妙に空いている店があったので、そこに入ることになった。
店内もちょっと高級感があって、中々よさそうなと思ったのが間違いの元だった。
入り口付近のケーキのケースを眺めて、あれやこれや考えているときに店内から大声が。
「お決まりでしたらどうぞ」と何回も。
ゆっくり選んでいたのに、やいのやいのと叫ばれて焦ってしまった。
注文カウンターに進むと「こちらへどうぞ」と又すごい勢い。
声が異常に大きい。
連れのIさんは脳梗塞をやっているから、少し言葉がゆっくりなので、コーヒーとチョコなんとか・・・まで言うと「こちらでお召し上がりですか」と又大声。
注文途中だったから「は?」という感じになった。
まだ途中なんですが。
するとイライラと「こちらでお召し上がりですか」と数回繰り返す。
その言いかたが異常にきつい。
声がどでかい!
まるで叱られているようになったから、私が「ほら、怒られてるわよ」と言って店員の顔をじっと見つめた。
次ぎに胸の名札も。

その間コーヒーを二つ、チョコなんとか(クロワッサンだかパイだったか)それからロールケーキをやっと注文し終ってお支払い。
ところが私の注文したロールケーキがセットされていない。
ロールケーキは?と言うと又計算し直し。
最後までちゃんと注文聞いてからでも、店内で食べるかどうかは聞けるでしょうが。
マニュアル通りの「店内で・・・」が先に来ないといけないらしい。
それでこんなに混乱して、時間がかえってムダになる。
これってバカみたいだと思わないかな。
会計のし直しの説明も早口大声。
こんなものレシート見れば分かるのに。
支払いになって、脳梗塞さんは小銭が取り出せない。
混み合っていれば私がさっさと払ってしまうところだが、後ろに客もいないし相手がどう出るか、観察することにした。
たぶん口の先まで「早くしろ」と出かかったのだろうが、私にジッと見つめられ視線が名札にさまようから、店員はなにも言えない。
コーヒーもケーキも美味しかったけれど、こんなに怒鳴られてすっかり気分を害してしまった。
私たちの前で注文していた中年のご婦人2人、同じようにどつかれていた。
一体この店は何なのかと思ったら、ホテルの直営らしい。
ホテルの宿泊客もここで、朝食を食べるらしい。

それで食べログの口コミ欄にいってみた。
案の定店員の態度、掃除の行き届かないことなどが口コミに投稿されていた。

若者は高齢者はノロノロしていて、見た途端に小突きたくなるらしい。
私はそういう若者は大嫌い。

私はいつも自分より年上の人を尊敬してきた。
何よりも、その経験を聞かせてもらうのが楽しみだった。
技術が衰えて私よりも指が回らなかったりしても、絶対にバカにはしなかった。
私がオーケストラに入りたての頃、N響を定年退職した人達がエキストラで来ていたけれど、その人達から沢山のことを教わった。
私は若くて大学出たてで指は良く回る。
それでもオーケストラの常識は乏しく、わからないことだらけ。
それを色々アドバイスを受けて、本当に助かった。
私のそんな態度を見て、その人達が喜んで教えてくれたのが、今でも財産になっている。
そのまま、その人の娘さんとのご縁につながったことも。

私の世代は楽だったけれど、私の両親達の世代は、それはそれは大変だった。
母をみていて、よくこんな事に耐えてきたと思った。
そのせいで、高齢者を大切にすることを覚えた。
2チャンネルなどで、ジジイ、ババアなどと罵倒する記事を見ると、情けなくなる。
決して自分がそうなることがいやなのではない。
私はむしろ、若者を罵倒しているような元気な年寄りだから、なに言われようと言い返すし、敵討ちをする。
私は怖い。
でも少し耳も遠くなり、手も不自由になったような人を怒鳴り散らす人は許せない。
そんな人が盲導犬いじめたりするのでしょうね。






























2014年10月18日土曜日

ウイーン八重奏団

東日本大震災復興支援チャリティーコンサート
            鶴見サルビアホール

ヨハン・シュトラウス ワルツ「ウイーン気質」
ベートーヴェン          「七重奏曲」Op.20
シューベルト              「八重奏曲」Op.166

久々にウインナーワルツ独特のリズムを聴いた。
私が東響に入った頃、毎年ウイーンからヨハン・シュトラウスの孫のエドアルド・シュトラウスが来て、「アサヒビールコンサート」という冠コンサートで日本各地を回った。
今日の初めの曲が「ウイーン気質」ウイーン独特の3拍子だったので、当時を思い出してしまった。
ウイーンの3拍子は、1拍目と2拍目が早く、3拍目との間が空く。普通のワルツのブンチャッチャでなく、ブンチャッ チャとなる。
分かりますかね、こんな説明で。
ブンの次のチャは、そこで踊る人が回るところなので、ちょっと伸びる、次のチャはすこしゆっくりと入ってくる。
でも、3拍目をゆっくりするには、やはり2拍目は少し早めに弾かないと、寸法が合わなくなると思うのですが。
これでどうでしょうか。

故北爪利世さん(クラリネット)がエドアルド・シュトラウスに、1拍目と2拍目が早いのか、2拍目が伸びるのかどちらなのかと聴いたら、2拍目が伸びると答えたそうだ。その時に、そこは踊り手が回転するからと答えたという。
北爪先生は偉い人なのに、恐れ多くも私のカー仲間だったので、助手席でよくそんな話を聞かせてもらった。
私たちは毎年ウインナーワルツを弾きながら、20日間くらい旅をした。
そういうことがなくなってから新人が入ってきて、ウインナーワルツを弾いたとき、私がウインー風のリズムで弾いたら、怪訝そうに顔を見られてしまった。
この人、リズム悪いと思ったのでしょうね。
今日、聴いて当時を思い出した。

2曲目のベートーヴェンは、私もこの曲を演奏したくて、メンバーを集めて練習したことがあった。
練習はしたけれど、ヴァイオリンパートのあまりの難しさに、コンサートに出すことは諦めた。
これほど、アラの目立つ曲はない。
基礎が出来ているかいないか、一目瞭然。
今日もたまに音程が気になったので、でも逆に、もう一度挑戦してみようかという気になった。
流石のヴェルナー・ヒンクさんでも、コンサートの初めの方でこの曲を弾くのは、大変なのだ。
テクニシャンな今時の若者なら、なんなく弾くかもしれないが、他の部分で彼にはかなわないと思う。

シューベルトはしょっちゅう聴いていたけれど、まだ弾いた事がない。
八重奏曲のメンバーをそろえるのは、よほどの機会がないと大変過ぎる。
でも、一度は弾いておきたい曲の一つ。
私も弦楽四重奏やその他のアンサンブルは、数多く弾いている。
しかも、私ごときのレベルでは到底一緒に弾いてはもらえないような人達と。
どういうわけか、さんざんチャンスを頂いた。
そういう名手の演奏を横目で見ながら、色々学ばせてもらったので、本当に幸運だったと思う。
それほどチャンスがあったのに、この曲を弾くことがなかったのは、やはり管楽器が入っているので、メンバーをそろえにくい。
演奏会でも中々聴く事が出来ない。

今日の最後の曲は、これこそウイーンの音という音だった。
なんと形容しますか、これは聴いて頂くしかないと思っている。
言葉を尽しても表現出来ない。
メンバーはかなり高齢で、これ見よがしにテクニックをひけらかすことはないけれど、隅々までシューベルトを理解していて、楽しげに作り上げていく。
ここまで来るとヒンクさんの面目躍如。
アダージオのアウフタクトの音なんか美しすぎて、居眠りもできない。
お見事というより他にない。
伝統と熟練の技を堪能してきた。















さんま

今年はサンマが美味しい。
このところ連続食べ物バージョンだが、今日は美味しそうな丸々したサンマを見つけたので、つみれ汁を作ることにした。
サンマは細長いから丸々という表現はないかも知れないが、脂が乗っていて刺身にもできそうな物が手に入った。
中骨を取ったら後は皮も小骨も全部叩いてしまう。
そこにショウガ、ネギ、味噌、酒などで味を付けて、野菜たっぷりの汁に入れて、クツクツと煮る。
サンマと野菜から旨味が出るから特にダシははとらないけれど、これにキノコが入ればもっと美味しくなる。
つみれに味噌が入っているから、醤油仕立てでも澄まし汁でも、こくがある。

秋はいい。
食べ物が美味しい。
特に日本の秋は美しい。

新潟ではすでに紅葉が見られた。
これからの季節は、四季の中でも一番美しいかも知れない。
私はあくまでも冬派なので、これから冬に向かうという気持ちが嬉しい。
冬といえば鍋。
牡蠣ももう店頭に出てきて、早く食べて下さいようと、声をかけてくる。
よしよし、牡蠣フライに牡蠣鍋、豆腐と一緒に煮てもいい。
クリーム仕立てのシチュウも、ほっこり暖まる。
余ったら次の日、チーズを入れてグラタン風にもなる。
なんと組み合わせても、牡蠣は自分の味にしてしまう。
隠れてなんかいないで、自己主張の強さは海の物の中でも、ピカイチ。

こういう人っていますね。
求心力が強くて、誰といてもいつの間にかリーダーになる人。
それに対し、私はあまりにもいい加減過ぎて、リーダーにはなれないし、させてもらえない。
と言うのも、末っ子に生れ、姉兄達の後を付いて回るだけで、決して自分から行動しなかったからかも知れない。
その上、物事全て二面性があると思っているから、何事も断定しないし、出来ない。

音楽については、ますますその傾向がある。
感受性は10人10色。
特に音楽(芸術)は、1人1人違って当たり前。
演奏を聴くと、あ、あの先生のお弟子さんだとすぐ分かる集団がよくある。
指揮者も、**先生のお弟子さんでしょうというと、大抵当たる。
あの学校出身ねと分かることも。
全員同じ様な弾き方をするので。
これは裏返せば、それだけ生徒に影響を与えられるのだから、良い先生(学校)と評判を受けるかも知れない。
けれど、海外のコンクールなどで、日本人の演奏は皆同じで気持ち悪いといわれるのは、そういうところなのだ。
技術を教えても、音楽はその人それぞれ。
勿論若くて経験がなければ、未熟な表現になるけれど、自分でこう弾きたいと思うように音楽性を引き出してあげるのが教師の務めであって、自分の音楽を押しつけることではないと、思っている。
しかし、高名な先生はそうはいかない。
未熟な生徒を世に送り出したら自分の恥だから、徹底的に自分の歌い方を事細かく教え込む。
優等生ほど先生に似てしまうのは、そのためだと思われる。
ところが先生の手をはなれ世の中に出ると、どうやって曲を作り上げるのか分からないで苦労している人を、時々見かける。
テンポすら決められない人もいる。
こうしなさいと言ってくれる先生は、もういないのだから。
どんな先生に師事しても、それを越えて自分を出せる牡蠣のような演奏家を目指して欲しい。

やっと、オチがつきました。
サンマから牡蠣、音楽になってしまって、どうまとめようかしらと思って。















2014年10月15日水曜日

魚と言えば富山も

今朝は抜けるような青空。
久しぶりの美しい秋の日差しに、猫たちも日光浴をしている。
昨日は眠ってしまってなんの物音も聞かなかったけれど、今朝のニュースであちこちの水没画面を写していたから、この辺も暴風に襲われたのかも。
今朝ノラたちのエサを運んでいたら、駐車場は落ち葉がいっぱい吹き寄せられていた。

実は予定していた練習が延期になってしまったので、新潟から無理に帰ってくることもなかったようだ。
昨日のうちに知らせがあれば、もう一泊して喉黒にかぶりついていたかもしれない。
あくまでも食べ物に固執。
これでは地獄では餓鬼道に落とされるにちがいない。

おいしいお魚といえば富山を思い出す。
富山にも毎年仕事で滞在していた。
富山のお魚は、スーパーマーケットの魚売り場のものでも、もの凄く新鮮でびっくりする。
特に立山の雪解け水は高い栄養分を持っていて、富山湾に流れ込んで美味しい魚につながるのだそうだ。

富山には大学の同級生が住んでいる。
大学と言っても、音大を出てから仕事に明け暮れて、あまりにも普通の教養がかけていると思ったので、放送大学に入学した。
高校も音大附属だから、語学などはずいぶん沢山のカリキュラムがあっても、数学や物理などはかなり端の方においやられていた。
それらをもう一度身につけたいと思ったから、当時設立されたばかりの放送大学は、通信制で私にはうってつけ。
早速入学することにした。
入学するのは簡単で、高校の卒業証明書があれば、誰でも入れる。
ところがかなり高度のレベルで、卒業するのは大変だということがわかった。
数学者の友人が「こんな難しいことやるんですか」と教科書を見てびっくりするくらい。
私は一般大学を知らないから、当然この位のものは当たり前なのだろうと思っていたけれど。
それはそうだ、文部省(当時)の機関だから、税金でバカを作るわけにはいかない。
初めてのテストの時、あまりにもチンプンカンプンで答案用紙を目の前にして涙を流した。
ざっと教科書を読む位では到底歯がたたない。
それから心を入れ替え、大学の図書館で授業のビデオを閲覧して勉強した。
物理の実験科目は学校で行われ、その時に隣に座ったのが富山県人の男性だった。
身長180㎝、初対面の時、おっとりした大型犬のような雰囲気で話しかけてきた。
通学路線が同じなので、時々一緒に帰った。
息子ほど歳が離れていて、さっさと先に卒業して富山に帰っていった。
それ以来富山に仕事に行くと、コンサートを聴きに来てくれる。
この人が唯一の学友。

元々富山は、美味しいタラ汁を食べたときからのお気に入りの地だった。(どうしても食べ物につながる)
しかもその先もずっと仕事で滞在することも多くて、お寿司屋さんも行きつけが出来て、さんざん通い詰めた。
仲間達も富山大好き。
仕事が富山と分かると、ヤッター!と喜ぶ。
10年前乳がんの手術をした私は、その前から引き受けていたのが富山と函館に行く仕事だった。
それを事務所が気を遣って、都内の仕事に振り替えてくれた。
せっかくの好意なのに、こともあろうか、美味しい物を食べそびれたと周りにこぼしていた。
しかも周りも病気のことなどちっとも心配してくれないで、惜しかったねーと一緒に嘆く。
そして帰って来てから「あれ食べてこれ食べて、おいしかったわよー」とうらやましがらせてくれた。
持つベきっものは友人と、その時骨身にこたえて歯ぎしりをした。話だけとは・・・

そんな過酷な環境にいるので、病気なんかやってられないと、いつの間にか強くなった。

放送大学は10年かかったけれど、ちゃんと卒業しましたよ。
あくまでも仕事優先で、せっかく授業を受けてもテストの日に仕事が入ったら受験できない。
ずいぶん何回もそんなことがあって、それでもこの大学で得たものはすごく大きかった。
新聞でも雑誌でも、それまで科学欄が読めなかったのに、ようやく意味が通じるようになって、サルから人に進化できた(かも)

タラ汁と言えば、富山で食べるとすごく美味しい。
それで帰りがけ、朝市でタラを丸ごと買って飛行機に乗る。
家に帰って作ると、ん、今いち。
どこが違うのかわからないけれど、どうしても同じように作れないのが悔しい。
























2014年10月14日火曜日

喉黒

喉黒・・・あかムツの別名。

日曜日昼過ぎ新潟に到着。
市内のホテルにチェックインして、さてどうやって夕方の練習までの時間を過ごそうかと思ったけれど、結局なんだかんだグズグズしているうちに時間になってしまった。
どこかで美味しいお寿司を食べようと思っていたけれど、練習後のお酒のことを考えるとあまりお腹がいっぱいではまずい。
タクシーで約10分ほどの音楽文化会館へ向かう。
万代橋を渡って行くのだが、この辺はかつて長期の仕事で滞在したことがある。
懐かしい。
毎晩皆でお酒を飲んで酔っぱらって、万代橋の石の柱に登って万歳をした・・・
帰りには市場によって魚を自宅に送るのが、毎度のことだった。
オフの日には佐渡に渡って一泊したり。
そんな面白いことが沢山会って、新潟は特に気に入っていた。

私の教えているKさんと、新潟チェロアンサンブルの指導者、館野英司さんの教えているTさんが結婚して、そのご縁で館野さんと旧交を温めるようになり、そのK&T夫婦(牛)に曳かれて新潟詣りという次第。

ベートーヴェンの「街の歌」を地元のピアニスト関田さんと館野氏と演奏する。
練習後は新潟チェロアンサンブルの前夜祭?の飲み会が盛大に行われた。
そこで生まれて初めて・・・でもないけれど、今まであまり美味しいものに出会わなかった喉黒を、特別に注文してもらった。
なぜ特別かというと、凄くお値段が高い!
高すぎるから、自分では到底注文なんか出来ないのだ。
目の前に来たそれは、見ただけでヨダレが出そうなくらい美味しそうで、思わずニャーとも言わず、無言で一番美味しい腹身の部分を頂いてしまった。
尻尾は皆さんにというわけで、その美味しかったこと。
この次はいつお目にかかれるかわからない。

本番の前の日にこんなに大騒ぎしていいものかと思ったけれど、皆さんお酒も強いし陽気で話が面白い。
これでは新潟チェロアンサンブルに、九州から参加する人もいるというのも頷ける。
なんだかひっちゃかめっちゃかで疲れたから、喉黒に満足した私はとっととホテルに退散した。
ホテルでコーヒーを入れようと思って、コンビニで買ったドリップコーヒーの袋を破ったまま、寝てしまったらしい。

今朝練習室に行っても肝心の御大現れず。
昨日飲み過ぎて爆睡していたらしい。

私の出番まではかなり時間が空くので、練習したり近くの新潟県政記念館のコンサートを聴きに行ったりして、時間をつぶす。
この県政記念館のコンサートは、チェロアンサンブルの方に出演の根津さんという方のご子息の演奏会だった。
隣り合わせの会場でお父さんと息子さんが、別々に演奏しているのも面白い。
その上、もう一つお隣の大きな会場では日フィルの演奏会があって、そのメンバーが練習の合間にこちらに来て出演するというのだ。
3つの隣接した建物でのコンサートのメンバーが、全部つながっているのが面白い。

県政記念館は新潟県議会旧議事堂だそうで、国の重要文化財となっている。
内部は天井が高くコの字型にテーブルとイスが並んでいて、ここでかつては県議会が開かれていた。
傍聴席がテラス状に上方にしつらえられているが、その鉄製の支柱の透かし模様がすごくおしゃれ。
床の絨毯も上等で、当時としたら(明治16年建立)日本では珍しい壮麗さではなかったかと思われる。

さてそこでの演奏会は「越友楽道」と言うアンサンブル。
メンバーは
チェロ    根津要
チェンバロ  笠原恒則のお二人が2010年に結成。
それに今回はゲストとして
フルート   浅利守宏

新潟の地に根ざし様式や楽器のとらわれず、楽曲の魅力を伝えようという試みで結成されたとのこと。

この旧く美しい建物にぴったりのコンサートだった。
チェンバロとチェロの柔らかい響きが高い天井に反響して、時代が戻って行くような。
プログラムもテレマン、ヘンデル、バッハなどの他にヴィラロボスなどの異色な作曲家を組み合わせて、起伏のあるプログラムで飽きさせない。
約2時間たっぷり堪能させてもらった。

それが終って演奏会場に戻ると、トリオを数回合せたあと本番。
非常に楽しかった。
初っぱなでちょっとガタついたので、私が悪いのかと思ってぺろりと舌を出したらしい。
生徒のKちゃんから指摘されてしまった。
これだから私は、いつも不真面目と思われるのだわ。
本当はいつも真剣そのものなのに。

台風接近のニュースにビビって、今日の打ち上げは参加せず早めに帰ることにした。
せっかく手に入れた、運命的な最後の一枚の指定席。
それに座らず、みすみす自由席に乗るなんて。
何のことはない、大騒ぎする割にはまだ台風は来ていない。
なんだなんだ、もう一匹喉黒食べられたかもしれないのに。

どこまでも意地汚いわたくしでございます。






























2014年10月11日土曜日

週末の招かざる客

このところ、週末毎に大型台風が日本を訪れる。
先日の日曜日は、レッスンの予約が入っていた。
その生徒は仕事の都合で、ヴァイオリンを弾けるのは週末だけ。
練習はウイークデーは全くできないから、土曜日1日と日曜日の午前から午後にかけてするらしい。
それでレッスンは日曜日の夕方以後にして欲しいというので、その日も18時に予約を入れた。

そのレッスンの前に、音楽教室の弦楽アンサンブルの練習に立ち会うので、文京シビックまで足を運んだ。
台風が激しくなりそうだというので参加人数は少なかったけれど、かえって内容の充実した練習が出来たのが収穫だった。
その後、予定のレッスンのために教室に向かおうと思っていたら電話が鳴った。
急で申し訳ないが、猛烈な雨になりそうなので、仕事場で待機命令が出てしまって行かなくてはならないので、レッスンはキャンセルさせてほしいとのこと。
まだ若い女性だけれど相当なキャリア組なので、こんな時にはいなくてはならないのかもしれない。
私の様に誰にも期待されず、いるだけで邪魔な猫の手なら、絶対に呼び出されないけれど。
出来る人はつらいね。

結局雨は私のいる場所に限って、そう大変な事にはならなかった。
予定が早く終ったので、どこかでお寿司でもつまんでと思ったけれど、最近の天候は油断も隙もならないから、さっさと家に帰った。

そして今週末、かつて体験したことのない大型台風が接近するらしい。
私は12日の日曜日に新潟へ向けて出発する。
新潟で現地の人や、都内から参加するメンバーで楽しく演奏しようという企画。
勿論お酒と美味しい魚が目当てで、前から楽しみにしていた。
ところが又、台風が押し寄せてくるらしい。
往きはたぶん大丈夫。
問題は帰れるかどうか。
12日現地で練習、一泊して13日本番で、関東地方はその夜から次の日が台風のピークらしい。
新潟を出たものの、東京駅に着いたら家まで帰れないこともあり得る。それなら新潟にもう一泊して、のんびり帰るかなんて不埒なことも考えている。

今日、みどりの窓口で新幹線の指定券を買った。
往きはすんなり。
帰りは窓口の人が「ああ」と言った。
最後の一枚ですよ、運が良かった。運命的な一枚ですね。

手を取り合って喜んだといきたいところだが、アクリル板で遮蔽されているから、そうもいかない。
しかし、面白いことを言う人だなあ。
















2014年10月9日木曜日

梯 剛之ピアノリサイタル

紀尾井ホール
モーツァルト 幻想曲ニ短調
モーツァルト ロンドニ長調
シューマン  子供の情景
ショパン   24の前奏曲

今日のプログラムは私の大好きな曲ばかり。
特に「幻想曲ニ短調」と「子供の情景」は私も自分で弾きたいと思って、いつもピアノの上に楽譜が置いてある。
置いてから数(十?)年経ってしまい、まだ猫にも聴かせられない。

数年前聴いた時、剛之さんは音を模索していた。
ベートーヴェンプログラムだったけれど、絵の具を塗り重ねるように音を重ねて、どれだけ深い音に出来るか、そんな感じで模索している時だった。

恐ろしいほどの集中力と圧倒的な音量に、聴いている方も息をつめていた。
どういう奏法なのだろうか、やはり若いときからヨーロッパに渡って勉強したために、教会に鳴り響くパイプオルガンをイメージするような、深く力強い音がしたのを覚えている。
その時は音を追求する余り、音楽自体よりも響きに陶酔しているようにも見受けられた。

それからどれだけ経ったか忘れたが、今回はその上に更に透明感のある弱音に磨きがかかって、成熟の度合いを深めたことに成功している。
そして音楽も構成が浮き彫りになって、流れも軽くなり、いよいよ大家の風貌を備え始めた。
モーツァルトは元々得意の分野かもしれないが、弱音の美しさとパッセージの鮮やかな転がるように素早い動きは、本当に素晴らしい。
いつも毎回絶対、コンサートで居眠りする私が、全く眠らなかったことからも、どれだけ鮮やかだったか推し量って頂きたい。

特にシューマンは、この世から少し上の世界にいて、空間を漂って・・・もしくは深い地の底で安らいでいるような、そんな感じがした。
私は、深い瞑想状態に入ったような気がした。
コンサートを聴いてこんな体験は初めてだった。
彼の奏法は、一体どういう風になっているのか知りたい。
最弱音から最強音を出す時にも、体の動きはさして変わらない。
特に素晴らしいのはレガートで、まるで弓で弦を弾いているかのような、音色は一体どこから出て来るのか。

これが分かると、私たち弦楽器奏者にも奏法のヒントになりそうな気がする。





















2014年10月8日水曜日

いやみちゃん

川崎駅からのバスに乗った。
乗車口で前がつかえていると思ったら、女子中学生らしい3人が料金の支払いでもめていた。
やっと済んで後ろの乗客も乗り込んで出発。
たまたま私の後ろにその子たちが座っていた。
1人がお金が足りないか、大きな金額のお札しかないかで支払いが出来ず、連れの子に借りたらしい。
後ろで「いくらかえせば良いの?」と訊いている。
「510円」と答えが。
「え、料金いくらなの」と言って借りた子がしばらく考えている。
「210円だけど、私が510円払ったから」
しかし乗車料金は210円。
すると借りた子がおつりももらったのか。
「でも300円おつりもらってないよ」
「あ、ごめん、私がおつりもらったから210円貸し」
「ああ、よかった。ごめんね。あとでお母さんに言ってお金もらったら返すから」
みたいなことを言っていたけれど、貸した子が又口を開いた。
「とにかく後ろの人達に悪くて」
これは私たちを待たせたことについて。
大した時間ではなかったし、よくあることだからと思っていたけれど、その後、何回も何回も繰り返し友人を責めているのが、不愉快だった。
それに対し、反省の言葉を何回も言う借りた子。
「お金用意しておけば良かった」
「両替しないといけなかったよね」
すると又「いいけど後ろの人に悪くて」と貸した子。
こういうのよくいる。
人のことに転嫁して責める人。
いかにも周りに気を遣っているふりをして、嫌味を言う。
しばらくして、バスの録音された車内アナウンスで、小銭を用意してから乗るようにと言う。
それを聞いて又くだんの女の子は「今アナウンスしたでしょう。聞こえた?」
もうその辺で私の方がすっかり不機嫌になった。
思わず振り返って顔を見たくなったけれど、半分首を回すにとどめた。
けれど、いやみちゃんは気がついたらしい。
それから皆押し黙っている。
おしゃべりの楽しい時代の子たちなのに、こんな些細なことでくどい嫌味を言われ続け、無言になっているグループ。
おりたとき顔をみたら3人とも、すごく可愛らしい。
お金をごまかそうとしたり、友人を責めたり、なんだかいじめの縮図を見た気がした。
いやだねえ、こういうの。
たぶんいやみちゃんの母親も、こういう人なんでしょうね。















2014年10月6日月曜日

若すぎる

創立時から関わりのあった西湘フィル。
そのコンサートミストレス、國廣朋奈さんが数日前に天国への旅に出てしまった。
33才、彼女は頑張り屋さんで、コンサートミストレスになった当初は緊張の余り体が動かないといっていたのが、去年の定期演奏会では貫禄も出てきて、これからという時だったのに。

初めの頃、自分が付けたボウイングが否定されるとすごくショックでと、落ち込んでいたことがあった。
それで、あなたはコンミスなんだから、自分の考えを堂々とみんなにやってもらいなさいとアドバイスをしたことがあった。
なにか言われたら「私はコンミスよ。なんか文句あるの?」と言っておやんなさいなどと乱暴なことを吹き込んでいたけれど、私と違っておとなしく育ちの良い彼女は、勿論そんなことは絶対言わないで、黙々と真面目に勤めを果たしていた。
内気で自分をアピールできない。
それで、必ず合図を出す、自分の表現を皆に伝えるようにと言い続けてきたら、過日の定期ではかなりアピール度が出てきて、いよいよという時だったのに・・・
結婚もしたばかり。

先日樫本大進のコンサート会場で、私を見つけてうれしそうに挨拶に来てくれた。
具合はどう?と訊いたら、なんとかやっていますと笑顔で答えた。
体の具合が悪いから皆さんに申し訳なくて、みたいなことを言ったので「そんなことはないわ。頑張ってね」と言って、それが彼女と交わした最後の会話。

数日前知らせが届いて、今日がお葬式。
私は秦野まで行くと仕事に間に合わないので失礼して弔電を打っておいたけれど、まさかこんな台風の日になるとは思っていなかった。
お葬式は大丈夫なのだろうか。
こんな若い人が、才能も未来もたっぷりあって夢を沢山持っていた人がと思うと、運命の神様、理不尽ではありませんか。
可愛らしい丸顔の、内気そうな彼女のほほえみを思い出すと、たまらない。

朋奈さん、安らかにお眠りください。



















2014年10月5日日曜日

今時の若い人たち

11月2日(日)横須賀芸術劇場で、関東学院大学オーケストラの定期公演が催行される。
まだ1ヶ月前だが、スケジュールの関係で今日練習に行ってきた。
この大学オケは、私たちの「古典」のメンバーのNさんとSさんが指導者なので、私も毎年定期に参加させてもらっている。
今年はブラームス「交響曲第4番」
このオケが出来た当初は殆ど管楽器もいなくて、まさかこんなに立派なオーケストラとして成長するとは思っていなかった。
それでも毎年序々に大曲に挑戦していく内に、すっかり力を付けてきた。
ちなみに、去年はチャイコフスキー「交響曲5番」だった。
これはとても成功だった。

今年のブラームスはやはり生徒達にとってはかなり手強い曲。
訊いて見ると、中々手こずっているらしい。
ブラームスは変に技巧的ではないが、やはり曲の奥行きが深くて、それなりに複雑になっているから、よく理解した上で弾かないと、なにがなにやらさっぱり分からない。
特に内声、第2ヴァイオリン、ヴィオラは楽譜を見ただけでは、?状態らしい。

夏に合宿があって、そこでみっちり鍛えられたそうだから、一応形はついている。
今年初めて楽器を始めた人や、入学してから初めて3年、4年目なんて人達が、この難しい曲を弾くのはさぞ大変だったことと思う。
それを指導するのも、並大抵の事ではないと思う。
全員の忍耐と情熱がないと、ここまではできあがらない。

今日もお馴染みの校舎に多少緊張して入っていくと、相変わらず明るい生徒達から歓迎された。
毎年来て思うのは、雰囲気がすごく優しさと気配りに溢れているということ。
初めて来た時は、その礼儀正しさにビックリした。
しかも、それが自然な形であふれ出る感じなので、これはこの学校の伝統だと思う。
いまどきの若い人は・・・・というけれど、ここの若者達は本当に嫌味がなく、就職率も非常に高いそうなのも頷ける。

私は若い頃、とても生意気だった。
世界は自分のためにあるような、自分がいないとオーケストラはたいそう困るだろうくらいの意気込みで。
その後、私がいなくったって地球の自転はとまらないことに、嫌というほど気がつかされた。
たかがちっぽけなヴァイオリン弾きの1人がいなくても、もしかしたら、いない方が上手くいったかもしれない。
生意気は悪いことではないけれど、こんなに素直な人達を見ていると初めからこうだったら、自分も周りもどれほど楽だったかと思う。
今時の若い人は、戦中、戦後の大変な時期に歯を食いしばって生きてきた私たちの親の世代をしらない。
国中が貧乏で親が必死だったから、私たちもずいぶん緊張していたような気がする。
その時代を経て安定した時期に生まれ育ったのが、今の若者の優しさや穏やかさに反映されている。
少し羨ましいような、悔しいような。
























2014年10月1日水曜日

シャンプーのラベルに書かれた説明が酷すぎる

        これ、ネットで見つけて笑った。
            なんじゃこれ?
     そのまま商品として出荷するのはなんと大胆な!
      小文字のヶって、どう発音するんですかね。