2019年4月30日火曜日

平成最後の日

「平成最後」”そんなことわかってるさ”といわれそうだけれど、このブログの始まりは私的な日記のつもりだったから、いちいち書かせていただく。
今日は雨。
本当なら館林に向けて車を走らせているはずだった。

友人が館林に住んでいて、ツツジを見にいらっしゃいと誘ってくれた。
毎年のようにそう言われて、毎年都合がつかなかったので今年こそはと思った。
今年行かないともう車の運転もおぼつかなくなるかもしれない。
それで連休前の日を予定していたけれど、その頃はまだ花が咲いていなかった。
数日刻みで連絡を取り合って、今日なら大丈夫というので約束したけれど、あいにくの雨。
それも本降りで、連休中一番の降雨量だとか。
しかも館林付近の渋滞予測は激しい。

渋滞でやっとこさ到着して、雨の中歩いても楽しくはないからキャンセルすることにした。
しかし、次にいつ行けるかわからないから花が終わってしまっても、連休すぎに行きたいと思っている。
足利フラワーパークとか色々あって、すごくきれいだからいらっしゃいとも。
友人が館林に住み始めた頃数回訪れたことがあって、その頃は今のように施設の充実もなかったので、辺鄙なところの印象しかなかった。
最近は連休中最も混雑する場所のようだ。

そんなわけで、今日は暇になってしまった。
雨が降って頭が重い。
家の外は足場が組まれ、安全用の網が被せられていて鬱陶しい。
家にいてもどんよりした気分。
外には行きたくないし、映画館ではなにか面白そうな映画でもやっているかしら?
でも混雑に入るのはいや。

私のよく使う電車に、はしかの患者が乗ったというので警戒するようにとネットニュースが言っている。
その日の私のスケジュールを見ると、まさしくその電車を使って行く場所だった。
しかし、当日私は車ででかけたので助かった。

はしかは昔は誰でも一度はかかって、誰もがそんなに大騒ぎはしなかった。
自分がかかったことがあるかどうか知らないけれど、そんなに危険なのだろうか。
伝染病だから騒いでいるのかな。
一時期風疹が大流行した。
その時私は仲間とスキーに出かけた。
その仲間のうちの二人が顔に発疹して旅館で寝ていた。

その顔を見て笑っていたら、帰宅して間もなく私の顔にも発疹が。
近所の病院へ行って恥ずかしいから待合室の隅っこでひとに顔を見られないようにうつむいていた。
診察室に入ると「風疹ですか、お若いですなあ」と先生に言われた。
「普通は小学生くらいでなるものです」

風疹を子供の病気と甘く見ていたら、妊婦さんがかかると胎児に重大な影響があるかもしれないということを、後で知った。
「鏡は横にひび割れて」というアガサ・クリスティーのミステリーがある。

女優のパーティーに、体調が悪いのに来た近隣の女性。
女優は当時妊娠中だった。
その後、再会した彼女が、当時風疹にかかっていたこと、体調が悪くても自分は元気だから来られたと自慢げに語る。
風疹のために子供を失った女優は、隣人がその元凶だと知って復讐するというストーリー。

私達の時代には、はしか、百日咳、風疹などは子供の病気の定番。
そのために生命を落とす子がいても世の中があまり騒がなかったのは、こんなに交通網が発達していなかったからかもしれない。
その地域や学校内で収まっていた。
最近は海外の病気も持ち込まれ、海外に持ち出され、世界規模で広がっていく。
エイズやエボラ感染熱など。
免疫力のない病気が入ってきたら、感染は拡大。
平和に暮らしていた代々木公園の蚊が目の敵にされる時代。
代々木公園の蚊はインタビューに答えてこう言ったそうだ。
「もうスキーとか(モスキート蚊)にはいかない」

時々考えるのは、そういう病気で淘汰されるのを見越して、神様は人間をつくったかもしれないということ。
どんなに医学が発達しても手を変え品を変え、病気は進化していく。
ひとつ克服しても遺伝子が姿を替え、薬に耐性が出来た菌類はしぶとく生き残る。

間もなく平成天皇の退位の時間が刻々と迫っている。
今日の雨は家でテレビを見ていなさいという、ご託宣かもしれない。
この寒いのに皇居にでかけている人達もいる。
風邪ひきませんように。












2019年4月29日月曜日

nekotamaは猫ではなかった

今日は免許証更新に伴う講習を受けにいった。
なんで私がこの講習を受けないといけないかと言うと、もはや尻尾が7本もある年齢に達していたからである。

今日の予定は午前中が講習。
午後からは大好きな伊籐恵さんのピアノリサイタルを聞きに行くつもりでいた。
講習の予約の電話を入れたときに指定された午前10時10分に教習場に行くと、私の教習は午後からだという。
そんな馬鹿な。
午後は用事があるからなんとか午前中にしてほしいと言うと、器械での検査があるから人数に限りがあって、午前はいっぱいだとのこと。
これはおかしい。
後でわかったけれど、認知症検査の結果が同じくらいの成績のひとをまとめて検査するらしい。
受付の時点で組分けをしなかったのかしら。
どんなに頼んでも、延期すると7月まで講習人数に空きがないというので、泣く泣く伊藤恵さんを諦めた。
それにしてもふつう本人の許可なく組分けを変える?
そんなことってあり?
どうせ毎日が日曜日だと思われているでしょうが。

視力検査、動体視力検査、視野検査は無事終了。
一人の試験官が二人一組にして受け持つ。
ところが夜間視力の検査のときに、私の隣のおっさんが、なにを検査されているのかわからなかったらしい。
事前に説明受けているのに。
「エッ、アレッ、どうするの、なにをするの?」
大騒ぎするから気が散って、おっさんを睨んだりしているうちに検査は終わった。
結果はやはり夜間視力の低下を指摘されて。
これはしかたがない。
最近自覚があって、だから夜はなるべく運転をしないようにしていた。
でもおっさんがあんなに喚かなければ、もう少しマシだったと思う。

いよいよ運転技能検査。
教習所の車は大きくて(マツダのなんじゃらいう車種)運転席に座ると、私はハンドルが邪魔で前が見えない状態。
椅子を上げたり前にずらしたり座位に合わせると、なんと!視野が利かない。
なんじゃこれは、タイヤが自分の後ろにあるような感覚。
検査官も気の毒に思ったらしく、身体に合わないからねえなどと。
それならミニカーでも用意しておいてよ、私のために。
ブカブカの服を着て転けそうになった状態と説明すれば、わかっていただけるだろうか。

視界が狭いのは怖い。
やはり最初のうちは脱輪した。
高齢者講習の動画で脱輪しているのを見て笑っていたけれど、まさか自分がするとは思わなかった。
そのまさかと過信しているのがいけない。
けれどコースの2周目には馴れてきて、スピードを上げ始めた。
今度はカーブを減速無しで曲がったために大きく膨れてブレーキを踏まれてしまった。
ゆっくりゆっくり!助手席で教官が喚いている。
それで初めて仮免で路上に出たときのことを思い出した。

仮免をとって教習場の外に出られるのが嬉しくて、どんどんスピードを上げていったら「停まりなさい」と叫ばれた。
「ここは何キロ制限ですか?」「40キロです」「今何キロ出ていましたか?」「60キロです」
生まれて初めてのスピード違反は仮免で。
幸い捕まらなかったからよかったけれど。

検査結果は、まあまあ。
今の年齢にしては優れているけれど、50代よりも少し劣っているという評価。
運転席の椅子が合わなかったのよと言いたいのをがまん。
数年前に受けたときには、30~50代の範囲内だったのに。

最初に免許をとった20代の頃には、大きなセドリックという日産車に乗っていた。
当時その車には、体に合わせて座席を調節できる機能がついていなかった。
座布団や背もたれを使用した。
家には車はそれしかなかったから、外から見ると無人自動車のようだとからかわれた。
ステアリングの下から覗く形での運転で、外からドライバーは見えない。
それでも運転するのはなんの苦もなかった。
今は車になれる事に時間がかかる。
その差はけっこう大きいと思う。

それとあまりにも高齢ドライバーと世間からプレッシャーかけられるから萎縮する。
ただ、自分がどのくらい衰えているのかは、徐々に進行しているため自覚出来ないことが問題なのだと思う。
器械の検査で数値にして見せられると、納得できる。

夜間視力の検査は、眩しい光が2つ見える。
その間から徐々に対象が見えたところでスイッチを押すというもの。
この検査の意味がわからず、隣のおっさんは喚いていたのだ。
対象物は眩しい2つの光の間から現れるから、なかなか見えない。
かなり近づいたところでやっと見える。
おっさんは2つ光が見えると喚いている。
だーかーらー、光を見るのではなく、光の間を見るのよと説明したいけれど、自分のことに忙しくてままならない。
こんな時、猫なら瞳孔を細めて見られるのにと思った。
猫の瞳孔が縦なのが怖いという人もいるけれど、あれだったら便利なのに。


















2019年4月28日日曜日

nekotamaターゲットとなる

知能犯係の刑事さんから言われたのは「一人暮らしの高齢女性の名簿が世間に出回っているらしいですよ」
その高齢と言うところでちょっと口ごもるから、気を使われているのがわかる。
どうやら私はブラックリストならぬグレイヘアリストに載っているらしい。
最近、美容師さんのおかげできれいなグレイヘアにしてもらっているので、ひとこと言いたくて。

厳密に言えば私は猫と一緒だから一人暮らしではない。
同じ建物に他の家族が入っているのとセコムが効いているのでやや安全。
玄関に防犯カメラもついている。
今は男出入りが激しい。
屈強の男たちが毎日来る。
アハハ、びっくりしないで。
これはリフォームの職人さんたちだから、男出入りとは言わないか。
姉がしょっちゅう来るし友人も来るから、女出入りも激しい。
上の階の奥さんからはお惣菜が届くから、料理出入りも激しい。
駐車場には野良猫出入りも・・・ちょっとしつこいですね。
だから、詐欺師さんには適切なターゲットとは言い難いかもしれない。

東京都千代田区霞が関1丁目1番地3号からのハガキが届いた。
訴訟通知センターですって。
矯めつ眇めつハガキを見ると、これでなぜ騙されるのかわからない。
なんのための訴訟かも書かれていない。
原告(と言うのかしら)の氏名もなし。
横から読んでも斜めから見ても、なにかのお間違いでしょうと言いたくなる。

表を見ると宛先の住所がずっと昔の古い表示になっている。
いやしくも裁判を起こそうと言う人が、相手の住所の表示を間違えるなんてありえない。
どこから引っ張り出した名簿を使ったのか。
よくこの住所で届いたものだ。

訴訟取り下げ最終期日はとっくに過ぎているから、どこからか連絡が来ないものかと手ぐすね引いて待ち構えているのだけれど、うんともすんともいってこない。
だめだねえ、お金を稼ごうという人が怠慢だわねえ。

一人になったときに、安全のためにセコムを入れた。
私のようなオッチョコチョイがセコムを入れるとどうなるか・・・
ご想像の通り、セコムさんにはご迷惑かけまくっております。
明け方3時半、電話が鳴る。

大抵その時間には目を覚ましていて、ワインを飲んだり読書をしていたりだから、すぐに電話口に出られる。
こんな夜中に電話がかかってくるということは、もしや家族の誰かになにかあったのではと思う。

「セコムです。どうしました?だいじょうぶですか?」
なにが、どうしましたなの?
「センサーに反応がないので」

私は12時間単位で安否確認のセンサーが作動していることを忘れてしまう。
センサーを作動させないためには外出モードにしておくか、決めた任意の時間以内にセンサーの前で動かないといけないことになっている。
そうでないと警戒モードになって、安否確認が来る。
警備会社も大変だなあ。
24時間体制で様々なチェックをしているのだ。
センサーの前で猫が動いたらどうなるの?と訊いたら、小動物くらいではセンサーは動かないそうなのだ。
私も人間にしては小型だけど、かろうじてセンサーに反応するようだ。

住居の方はだいたいそこで暮らしているから常時反応するけれど、レッスン室の方は練習や仕事がないと入らない。
その間センサーを外出モードに切り替えるのを忘れると、規定時間反応なしということで連絡が入る。
一度、レッスン室のセンサーを外出モードにせずにスキーに行ったため、留守中大騒ぎだったらしい。
スキー場に電話をかけても出ないから姉の家に電話が行ったらしく、そこも呑気にどこかへ行っていたので警備員が家に入って確認したらしい。
そこは泥棒でも入ったかと思われるような散らかり方。
見られてしまったか。
警備員さん判断に困ったでしょうに。

ある美人の高名なヴァイオリニストの家に泥棒が入った。
ご主人の時計のコレクションが盗まれたという。
彼女の部屋に警察官が入って「ああ、こりゃあひどいな」と言ったけれど彼女の部屋には泥棒が入った形跡はなかった。
普段のままだったという話し。

彼女の家を訪れる人が近所の花屋さんで手土産に鉢植えを買おうと思ったら、花屋さんに止められた。
「あの家に花を持っていっても無駄ですよ、すぐに枯らしてしまうから」だそうで。
世の中には私に似た人がたくさんいるものだと思った。
これはヴァイオリンを弾く人に共通した性格なのかどうか、脳科学者さんたちの研究を望む。

今はまだ脳の機能も正常(かもしれない)だけれど、数年後にはハガキを片手に息せき切って霞が関に駆けつける自分の姿が眼に浮かぶ。
電話をすれば番号間違えて、イタリアンレストランかなにかに「訴訟!訴訟!」と喚いて「は、なんですか?胡椒が多すぎましたか?」と訊かれたり。
ブレーキが効かなくなったとか言いながら、訴訟通知センターとやらに車を突っ込むかもしれない。
本当にその建物があればだけれど。

明日は免許証の講習があるのですよ。
なんの講習かと言うと、若気の至りでスピード違反しないようにという・・・













2019年4月26日金曜日

建物のメンテナンス

外で職人たちが大騒ぎをしている。
「きったないなあ、なんだこれ」
「カマキリの卵じゃない?」
「ゴキブリか?」
「いや、ゴキブリじゃないぞ、蜘蛛だ」
「蜘蛛の卵だ」

想像するだけでぞっとする。
先日も工事現場の親方が来て「ベランダに植物が生えてますよ」ですって。
掃除のセンスゼロ、きれい好きには程遠い私は、それすら気が付かない。

築20年を超えて、ここ数年、家のメンテナンスの連続。
お金があれば一気に直すのだけれど、そうそう金持ちではないので、少しずつ。

朝、職人たちがきっちりと時間に集まってくる。
中には30分以上早くやってきて、作業用の衣類に着替えている人もいる。
親方が厳しいので、礼儀正しい。
今朝は粗大ごみの収集日で、沢山のゴミを片付けていたら手伝ってくれた。
バッテリーの処置に困っていたら、自社のゴミ捨て場に持っていってくれるという。
ありがたい。

作業を見るのが好きだけれど、ジロジロ見ていると監視しているように思われるといけないから、時々覗いてみる。

足場を組むとき、足場のジョイント部分?かなにかを上の人に向かって投げ上げる。
金具を縦に真っ直ぐに上に投げるのはそう易しいことではないと思うのに、きれいに垂直に上がるのに感心した。
上で受け取る人はすっと、音もなく掴む。
これだけだって初心者には難しいと思う。

外壁をゴリゴリとこすられると、中にいる私はくすぐったい。
こそばゆくてイヒヒ。
午前中に目一杯働いて昼食時間はやっと静かになるけれど、午後も遅くまで作業をする。

親方はガタイも声も大きくてあまりにも小言が多いから「社長は何もしないで文句だけ言っているから楽ねえ」と嫌味を言ったら、こうしないとちゃんとやらないですと言う。
けれど、それからは声も小さくなって静かになった。
仕事はきっちりとやるから、専らこの工務店に仕事を頼むようになった。

今まで頼んだ工務店では、とり替えるはずの鏡が磨くだけになっていたり、替えていない畳の張替え料金が入っていて誤魔化されそうになったこともある。
今の工務店は非常に良心的で、ご近所の家でもこれからお願いしようかしらなどと、評判が良い。

後は内部の階段室の塗装が残っている。
それは今年後半か来年に回すことになったので、しばらく工事が続く。
やっと終わった頃には、前に塗装したところがもう汚くなるでしょう。
家のためにこれほど労力とお金を使うなら、賃貸を借りたほうが生涯の出費は少ないと思う。
賢い人はそうすると思うけれど、これも人それぞれ。
いちおう貸し部屋稼業なのでちゃんとするけれど、自分だけが住むのならボロボロでも気にならない。

以前住んでいた家は安物のドアが風雨に晒され、ベニヤの表面がめくれ上がってきた。
それで、やっと我が家らしくなったと喜んでいたら、ある朝、母の回し者の職人が来て真新しいドアに替えてしまった。
ゆっくり朝寝をしていたら、突然階下でメリメリとすごい音がして立派なドアに替った。
うちに来る人たちがドアだけ褒めていく。
ボロ屋に新しいドアほどみっともないものはない。

職人たちが騒いでいたなにかの卵。
恐る恐る覗いてみたら、アハハ、猫のトイレの消臭剤でした。
コロコロ丸いので、昆虫の卵に見えなくはない。
最近の若者は本当の卵を見たことないのだ。
私なら卵かそうでないかすぐわかる。
子供の頃に住んでいた家はうっそうと庭木が茂り、沢山の生き物が生息していた。
蛇もカエルもヤモリもムカデもなんでもいた。
セミもカマキリも猫も犬も人間も・・・賑やかな家だった。








nekotama金の亡者となる

館林につつじを見に行く予定だった。
車を出すときに先方へ電話「今から出ます」
幹線道路に出たらほんの少し走った時点で渋滞が始まった。
渋滞というよりは駐車場状態。
信号が何回変わっても前の車は動かない。
地元の強み、裏通りに出ては幹線道路に入ろうと思っても信号待ちで動かない。
そうこうしているうちに、早40分。
たった2キロの距離の橋が渡れない。

今朝目が覚めたときに、ウエストのほんの上のあたりに違和感があった。
痛いのでもなく苦しいわけでもないのに妙に筋肉が突っ張ったような、でも筋肉痛でもなさそう。
呼吸は正常、心臓の症状でもないと自己診断。
でもなにか違和感があるので、これは今日はつつじどころじゃないと判断して先方に断りの電話を入れた。
すると東名川崎インターで死体が見つかったそうよと、館林の住人。
川崎と言っても広いから、私の家とはだいぶ距離がある。
今日は東北道を行く予定だから、まずそれとも関係はない。

館林人にとっては、川崎のどこであろうと我が家の庭先のように思えるらしい。
館林は群馬県だから、私から見れば館林も北軽井沢も同じ地域のように思える。
とにかくたった2キロ往復しただけで、50分以上経過。
道路交通情報を見たら、一旦橋の手前から橋を渡ったところまでは渋滞解消、しかしその先はひどい渋滞が続く。
昨日の夜から渋滞情報は見ていた。
ゴールデンウイークのはじめだからひどく渋滞するものだと思っていたら、案外空いているような予報だったから、早朝出れば良いと思っていた。

今日は諦めて家でまったりしていようと思って帰宅すると、猫がなんで帰ってきたの?みたいな顔をした。
予定が狂ったのでさて、どうするか。
朝ご飯は早めに食べてしまったし、こういう曇天の日はなにをやっても気怠い。
テーブルの上に散らかっているコピー用紙。
そうそう、たった一つ残った相続の片付けがあったっけ。
僅かな株券が残されて、株自体の相続手続きは完了している。
ところが後から、大変少額の配当分の証書が出てきた。
それは故人の死亡後に送られてきて受け取りそこねた分で、もうとっくに受取期限は過ぎている。
銀行に電話すると、手続きすれば相続できると言うので今日はそれを片付けようと思った。
額は雀の涙。
手続きの煩わしさから思えば放置したくなるような額なので、今までの私だったら絶対捨ててしまうところだった。
けれど、この数ヶ月の相続手続きの努力を思うと、少しでも惜しいと思えるようになった。

少しは事務処理に馴れてきたこともあるし、ここで一つもうひと踏ん張り!
まずは必要書類を揃える。
遺産相続協議書は1部しかないからコピーを取りにコンビニへ。
A5用紙だから我が家の器械でコピーできないので。
そのコンビニの直ぐ側に郵便局がある。
以前から思っていた簡易保険の解約をしようと、保険証書も持っていく。

先日郵便局員が来ていろいろ話しているうちに、年をとってからの保険がいかにバカバカしいかに気がついた。
これからも保険金を払い続けないといけないものがあって、払わないで今解約すれば僅かな損で済む。
払うと、私が死んだときに受取人は得をするけれど、私は生前にその分は受け取れないというので、解約することにした。
ちょうど払い込んだ分だけ帰ってくる。

馴れないことは疲れるもので、たったそれだけのことをするのにヘトヘトになった。
帰宅すると株の配当金の請求に取り掛かる。
その時、あれ、コピーしたときに原稿を置きっぱなしで帰ってきた、さあ、大変!
コンビニへ走る。
そのあとも記入用紙に書き損じ続出で、お金をもらうということは本当に大変なことだと思う。
これなら直接銀行へ行って教えてもらいながら書いたほうが良い。
電話して銀行の人と話しているうちになにか変だと気がついた。

「ごめんなさい、銀行を間違えたみたいです」
謝るnekotama、笑う銀行員。トホホ・・・
もう嫌になったから日をあらためて仕切り直そう。

金の亡者になったとしても、いつまでも受け取れないで泣くことになりそう。
お金を稼ぐのは本当に大変!
ずっとお金に関してはおおらかだったけれど、ちゃんとすれば入ってくるお金を見過ごすのはいけない。
だから、頑張ってみる。
頑張るけれど、失敗する確率もぐんと増える。
亡者もつらい。






















2019年4月25日木曜日

親友

館林に住む友人M子さんからつつじを見にいらっしゃいとのお誘い。
毎年のように誘われてはいたけれど、今までこの時期に暇なときはなかったから、いつも見逃してきた。
今年はすっかり身軽になって、諸々の事務処理も峠を越えたところなので気分転換を兼ねて出かけようかと思う。

今週月曜日にお互いの都合が良くて出かけようと思ったら、今年は館林の気温が低く開花が遅れているそうで日を遅らせた。
ゴールデンウイークに入ると渋滞があるから、このチャンスに行かないと大変。
花の好きな姉を誘ってみたら二つ返事。
天気が下り坂なのが心配ではあるけれど、カンカン照りよりは風情があるかもしれない。

M子さんは中学時代からの付き合い。
同学年でも組が違ったので、私は彼女を知らなかった。
通っていた中学校の近くの家からヴァイオリンの音が聞こえることがあって、それが同じ学年のひとだということは聞いていた。
ある日、突然その人が目の前に現れた。
「あなたヴァイオリンやってるんですって?」

それからお付き合いが始まって、彼女の田園調布の立派なお宅にしげしげと通うようになった。
学校でも一緒なのに、家に帰ってからも電話で長話。
彼女の妹さんが呆れていた。
そして私の運命を変えたのも彼女だった。

私は全くの趣味でヴァイオリンを弾いていたのだから、両親は基礎的な訓練も立派な先生につけることもしてはくれなかった。
近所のお兄さんが初めての先生。
ヴァイオリンは好きだったけれど、もっと好きなのは読書。
本なら寝ても覚めても・・・流石に寝ては読めないけれど、暇さえあれば本を読んでいた。
将来は文学か動物に携わる仕事などを、夢見ていた。

びっくりしないで!当時の私は非常に内気だったので、人前で楽器を弾くのはありえないことだった。
M子さんはヴァイオリンを、隣家の宗先生に習っていた。
宗倫匡さんのお父様で高名な先生だった。
それすら私は知らなかったくらいだから、本当に音楽の道に進むなどとは考えもしなかった。

私達がかよっていた女子校は、私にとっては居心地の悪いところだった。
M子さんはゴルフ場の経営者の娘。
他の人達もそこそこ金持ちのお嬢さんたち。
私は入学式に姉のお下がりのセーラー服と古鞄を下げていたから、クラスでも浮いた存在だった。

そんなことはどうでもいいけれど、中学校の校風がどうにも合わない。
友人と言えるのは彼女だけ。
中学3年の半ば過ぎ、M子さんが「くにたち音楽大学に付属高校があるんですって、受けてみない?」
音大付属高校?とんでもないことを。

それでも、今も昔も変わらず私の好奇心が全開となった。
面白そうではないか。
私はソルフェージュもピアノもろくすっぽ習ったこともない。
慌てて近所のピアノの先生に相談すると、先生は大歓迎。
先生は自分の息子さんをピアニストにするのが夢だった。
しかし2人のハンサムな息子たちはバンドを始めた。
後に名のしれたミュージシャンになったけれどクラシックには興味なく、先生は次の獲物である私を育てるのに夢中になった。
貧乏でありながら、その頃家にピアノがあって自己流で弾いていたから、モーツァルトのソナタまでいくのはそう時間はかからなかった。
これで副科のピアノはなんとかいけるかも。

付属高校のヴァイオリンの先生に紹介してくれたのは、当時朝日ジュニアオーケストラの指導をしていた、くにたち音大の教授。
まわり中、国立音大の人ばかりだったのでもうくにたちを受けるしかない。
紹介されたのは黒髪を縦ロールに巻いた、美しい先生だった。
「あなたソルフェージュはやっているでしょうね?」と訊かれたから「いえ、習っていません」と言うと腰を抜かすほど驚いている。
先生がピアノで和音を鳴らすから音を答えると「あら、できるのね、ああ、びっくりした」

私のほうがもっとびっくり。
聴音なんてやったこともないのに、自分が音がとれると知ったときは驚いた。
小さいときから我流でピアノを弾いていたのが幸いだったらしい。
ヴァイオリンの先生をハラハラさせ、ピアノの先生からはヴァイオリンでなくピアノを専攻したらどうかと迫られ、とにかく受験したら受かってしまった。
これには親がびっくりして大騒ぎだったけれど、本人はいたってのんきで、音大出たら普通の大学をもう一度受験すれば良いなんて簡単に考えていた。

そこまでやっても音楽家になる気はなかった。
好奇心が猫を殺すそうだけれど、私は猫だから・・・

それまで暗かった私の学生生活は一気に楽園となった。
自慢じゃないが、くにたちは豊かな人間関係が魅力の学校なのだ。
一風変わっていても否定されない。
だれかが困っていると本気で手を差し伸べる。
相手を蹴落としてすすむような人が少ないから、突出したソリストが輩出することはあまりないけれど、仕事場では波風立てずやっていける。
学長だった有馬大五郎先生の庇護の元、学生たちはおおらかにのびのびと自由を謳歌していた。

M子さんと私は共に音大付属高校に受かって、それから大学もオーケストラも一緒で、彼女が結婚して館林に行ってからも長い付き合いが続いた。
考えたら半世紀以上の付き合いになる。
彼女が「私とあなたは親友と言ってもいいと思うけど」先日そんなことを言っていたけれど、親友であり私の人生を明るくしてくれた恩人でもある。

大嫌いだった中学校もそれを考えると、私の人生に必要だったのだと思える。
全て脚本ができていて、人生はもとから決まっているような気がしてならない。





















2019年4月21日日曜日

耳の保養

目の保養を眼福という。
耳の保養は何というのだろうか?
今日はまさしく耳福の境地だった。
こんな言葉は日本語にはなさそうだけれど。

林 徹也ヴィオラ室内楽シリーズ 
       JTアートホール アフィニスにて

      ヴァイオリン ジェラール・プーレ
      ヴィオラ   林徹也
      チェロ    ギヨルギー・ボグナー
      ピアノ    川島余理

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 ハ短調 Op.9-3
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K.423
ダンツィ:ヴィオラとチェロのための二重奏曲 第1番 ハ長調
フォーレ:ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.15

林さんとは時々お目にかかって、時には共演していただくこともある。
お人柄そのものの繊細で伸びやかな音楽で、いつも心地よい気分になる。
私がこけても、必ずいつの間にかピタリと合わせてもらえる。
そのヴィオラにプーレさんのヴァイオリンときたひには、どれほど楽しいことか。

プーレさんは経歴を見ると、11歳でパリ国立音楽院に入学して2年後には審査員全員一致の主席で卒業とある。
パガニーニコンクールは18歳で優勝、まさに天才の名を恣にした。
現在日本在住で、私達は彼のヴァイオリンを度々聴ける幸せを喜んでいる。
80才を超えての演奏は瑞々しく優雅で、例えれば、最上級の材料だけで出来たシフォンケーキが口の中で溶けていくような感覚を味わうことができる。
しみじみ美味しい!
なんて素敵な音なんだろう。

弦楽器のアンサンブルは純粋なハーモニーを作り出すことができる。
共鳴するとそこには大宇宙が広がる。
至福の時が味わえる。
これが弦楽器の武器であり魅力でもある。

そこにピアノが入ると現実に引き戻された気持ちになるのだが、今日のピアニストの素晴らしさは、それを感じさせない。
今までの純正音の中に違和感なく溶け込んでいく。
そのテクニックの達者なことは目を瞠るばかり。
すごいなあ!

午後2時開演だから、お昼ご飯を食べてから家を出た。
それなのに聴き終わったらお腹が空いていた。
それほどエネルギーを使って聴いていたことになる。
音楽を聞いて美味しさを連想したのは初めてで、それでお腹がすいたのかもしれない。









孤独もわるくない

わるくないけど寂しい。
私は外に出るのを厭わない。
このところ、毎日のように友人たちと食べたり弾いたりすることが多いのは、彼らが私の最近の境遇を心配してくれていることでもある。
先日もドイツ在住で偶々日本に帰ってきていたヴァイオリン奏者が、奥さんと一緒に私の家の近くまで来てくれた。
彼らと1時間ばかり近所の珈琲店で話し込んだ。
元気そうで安心したと言って帰っていった。
今度は一緒にコンサートしましょうと約束したけれど、果たしてそれまで私がちゃんとしていられるかどうか。
生まれ落ちてこのかた、ちゃんとしていたことがないので、いまさらだけど。

やっと物事がスムーズにいくようになった。
まだ細かいことが未解決であっても、概ね片付いた。
終いの住処のお墓も手に入った。
北軽井沢のノンちゃんの家の後継者となる手続きが始まった。
これが最後の大きな買い物。
ここで下界の暑い夏を避けて、猫と過ごすことになる。
北軽井沢には、私の面倒を見てくれる強力なスタッフが待ち受けている。
事務処理は彼女がテキパキと進めている。
家のことは近所の工務店が引き受けてくれる。

すべてが揃った。
人生のフィナーレの幕開け、かな。
貧しくとも両親と兄弟の愛情をたっぷり受けてそだったことが私の幸運の始まり。
末っ子に生まれて親の目が届かないことで、自分の思い通りのことが出来たのも、幸運だった。
音楽で生計を立てられるとは夢にも思わず、気まぐれにヴァイオリンを弾いていたらいつの間にかオーケストラに入ってしまった。
オーケストラをやめたら仕事がわんさか入ってきた。
ちょうどバブルの頃だったから。
身に余るほどの高名な演奏家たちとの協演も多かった。
どうしてこの下手くそな私が?と思うこともしばしば。
彼らからは学生時代に勉強した何倍もの影響を受けられた。
面白い人生が送れたのもそのお蔭。
素晴らしい友人たちに恵まれたのが、最大の幸運。

たった一つ、残念なのは子供に恵まれなかった。
だから愛情のはけ口は猫に。
そうでないと私は膨れ上がった愛情が溜まってパンクしてしまう。
迷惑を被るのは猫たち。
そして今、犬を飼いたい。

犬を飼うのは夢だった。
けれど、連れ合いが犬嫌いで、そもそも猫も嫌いだった。
ある雨の日に姉から電話があって、自分の家の庭に子猫がいるから面倒見てと言われた。
だんなは渋い顔で、明日捨てに行ってこいと鬼の言葉。
次の朝彼は猫に関しては無言。
知らん顔してそのまま捨てに行かなかった。
その子が車にはねられて死んだ。
家の敷地の片隅に穴をほって埋めながら、夫は大泣きに泣いた。
その後、別の猫が病院で死んだときも。
私はペットロスでその後1ヶ月鬱状態に。
それから我が家に猫が絶えたことはない。

ノンちゃんの家は林のなかにある。
ここには犬がよく似合う。
静まり返った林の中でひとりぼっちで住むのは途方もなく寂しい。
犬嫌いの人も去年遠くへ逝ってしまったから、犬を飼うチャンス到来かもしれない。
ここで10年過ごしたら、ホームに入居するか天国へというのが私のシナリオ。
天国もホームも素行不良で追い出されるかもしれないけれど。
それで犬はどうしようか。
私より後に残したら可哀想だから老犬を飼おうかとも思うし、でも子犬の可愛さも味わいたい。

長生きはしなくていい。
けれど、充実した日々を過ごしたい。
昨日は同級生たちとの弾き合いの日。
優等生だった彼女たちは今でも恐ろしくパワフルで、大曲に挑んでいる。
残された時間を大好きな音楽と過ごしたい。
私はブラームスの第1番のソナタを弾いた。
最近、以前にもましてブラームスが好きになった。

人生の黄昏時にならないと手に入らない輝きがある。
だから若者は年を取るのを恐れないでほしい。
素晴らしいことが待っているのだと思ってほしい。

孤独で体力も気力も落ちているけれど、それを恐れたら今までの人生が無駄になる。
すべて受け入れて、できるだけのことをすればいい。


























2019年4月20日土曜日

工事の恩恵

私は小さな家で生涯を過ごすつもりでいたのに、私の怪しげなガクタイ稼業を心配した親がわたしの家を小さなアパートに作り変えてしまった。
これが今、私の負担となってのしかかってくる。
遺産相続したら沢山のローンがついてきた。
今でも二部屋しかない貸し部屋のオーナー。
これがまあ、儲からないこと!

それでも仕事を引退してからは多少のお小遣いとなるので助かっていたけれど、それを上回るメンテナンスやリフォームに追われ、もはや赤貧洗うが如き状態。
ここ数年、家賃を上回るメンテナンス費が覆いかぶさってくる。
築20年、壁のタイルにヒビが入りコーキングはガビガビ、屋上の塗料はヒビが入らないうちに塗り替えないと水漏れの原因となる。
と、業者に脅かされて、それもそうだと仕事を依頼したら、目が飛び出るような出費がここ毎年続く。
安価ではないが仕事はきっちりしてくれる業者なので安心して任せているし、今やっておかないと、この先ボケてからでは遅い。
今はぼけていないということをアピールしているのですが、そう思っているのは自分だけということもありそうで。

店子が出た後のリフォームは完璧にするので、いつでも喜んで借りてくれる人がすぐに見つかる。
入ると長く借りてくれるので、家族同様になる。
出た人たちが懐かしがって花の季節に訪れてくれることも。
コンサートに来てくれる人もいる。
これは大家としては嬉しい。
今もネコ好きな店子さんたちが、わたしの留守のときには野良たちに餌をやってくれる。
うちの猫の餌やりも引き受けてくれる。

以前は一階に住んでいたので玄関を開ければ、近所の人に会うことも多かった。
けれど、改築して2階に住むようになると、途端に近所の人と話す機会が減ってしまった。
今回壁と屋上のメンテナンスのために足場が組まれて、駐車場はゴミの山。
粗大ごみに出すために整理をしていたら、いろいろな人が立ち止まる。
豆柴のサクラちゃんが、胡散臭そうにわたしの猫臭い手を嗅ぎ回る。
ビーグルやジャックラッセルテリアも顔なじみ。
私を見ると興奮して大騒ぎする柴犬もいる。
飼い主がどうしたんでしょうねと訝るくらいだから、これは前世の因縁があるに違いないと思っている。

毎日我が家の前の道を掃除してくれる奥さんが、大きな声で話しかけて来る。
その人は毎朝、散り始めたサクラの花びらや、秋には落ち葉などをせっせと掃いて道はいつもきれい。
訊いたら今年90歳だそうで、顔はツヤツヤだし声に張りがあって、とてもそうは見えない。
若い頃からスポーツをやっていて、今でも卓球やボウリングに通っているという。
あなたもやりなさいよ、たのしいよー、とさそわれたけれど、あいにく私は球技が苦手なのだ。
でも行ってみようかな。

卓球も苦手、ボウリングとなるとからきし。
ボールが重すぎて、ドタドタとレーンに運ぶとボトンと手からボールが落ちてゴロゴロ、ストン、見事にガータ。
ゴルフをやれば下を向いているうちに気持ち悪くなる。
なにが面白くてボールを飛ばしているのか。
私は自分が飛んでいるのが好き。
雪の斜面を転げ落ち、ドボンと海に飛びこみ、馬の背中ではねとび、自力を使わずに自分が飛び跳ねられる他力本願のスポーツ大好き。
生まれてからこのかた、他力を頼みの綱と生きてきた。
その姿勢がスポーツの好みにも表れる。

声の大きい奥さんは、とにかく身体を動かすことねと言って帰っていった。
耳が痛い。

工事のために水が必要なのに、うちの駐車場には水栓がない。
それでお隣さんの水道を借りることになった。
挨拶に行くと、しばらく見ないうちにすっかり年をとってしまった奥さん。
あちらから見ると私もそうだと思う。
しばらく立ち話。
駐車場に車を停めている人たちも、工事の日程に合わせて車の移動をお願いする。
なにやら面白そうに付き合ってくれる車主たち。
こんなことでもないと近所付き合いが過疎になる。
周囲の家の人達は相変わらず親切で、行くと歓迎してくれるのが嬉しい。

近所には高層ビルが林立し、あっという間に人口が増えて、最寄り駅は毎朝パンク状態らしい。
そんなに沢山の人がいても、高層ビルに住んでいたら孤独な人が増えるかも。
下に降りていって活動できる人はいいけれど、籠もってしまったら・・・だいじょうぶなの?

そうそう、球技は苦手だけれど、玉突きは面白いと思う。
ただ身長が足りないので、それがハンディになるかも。
どこかで教えてくれるところはないかしら。











2019年4月10日水曜日

4月10日に雪が降る

今日は箱根や八王子でも雪だった。
銀座の割烹「川端」に集まったのは(元)美女5人。
オーケストラの(元)ヴァイオリンパートの3人と(元)事務局の2人。
いずれも(元)がつく。
私はそのうち(元)人間なんて紹介されるかも。

私達は同じ世代で共に苦労した仲間たち。
苦労といっても毎日笑うのを堪えるのが苦労だっただけで、いまある顔の皺はその頃の笑い皺。
顔と言えば、Wちゃんは先日転んで顔面で着地、鼻の下に大痣を作っている。
皆に「でも、いつもと同じよ」と言われながら。
皆にではない、私にと訂正しておこう。

なぜなら私は彼女に恨みがある。

演奏旅行で列車に乗っていた時のこと、振動で網棚から荷物が落ちた。
そのものは軽いドレスケースのようなもので、それが私の頭を直撃した。
結構大きな音がしたので、その車両の人達がびっくりして一瞬静まり返ったそのタイミングで「ああ、可哀想に、こんなひどい顔になっちゃって」と言い放ったのがWちゃん。

皆何事かと首を伸ばしてこちらを見ていたので、その後どっと笑い声が起きた。
一番笑っていたのは私なんだけど。
その時の笑い皺がまだ残っている。
だから彼女が鼻の下に痣を作っていても、気の毒にとか言わない。
傷ができた時、病院にいったら受付嬢から「ここはただの外科ですから傷は治せますけど顔は治せませんから、整形外科に行ったほうが」と言われたそうなのだ。

もう一人は、私がオーケストラをやめる少し前に並んで弾いていたKさん。
彼女とはえらく気が合って、すぐに辞めるつもりだった期限が1年以上延びてしまった。
彼女はセカンドヴァイオリンのトップ奏者だった。
私は入ったときから10年余り、ずっとファーストヴァイオリンを弾いていた。
あのパートは華やかだけれど、面白さはセカンドやヴィオラにはかなわない。
私は再三セカンドを弾かせてほしいと申し出ていたのに、中々コンマスの許可がおりなかった。
それでもう辞めるぞと半ば脅しで、やっと念願のセカンド弾きになった。
そうしたら面白いのなんのって、それでやめるのが少し延びたというわけ。

事務のお二人は私達が貧乏にもめげず、キャッキャとはしゃいでいた頃大変お世話になった。
オーケストラは一度解散して、その後団員の自主的な再建が始まった。
お金がないので大変だけれど、同じ理想に燃えた人たちとは家族同然。
今でも会えばすぐに気持ちが通じ合う。

ある時横須賀へ団員たちと遊びに行く相談が出来た。
当日我が家にはお金が無くて、抽斗や服のポケットというポケットをひっくり返しても、でてきたのは500円ぽっきり。
これでは会費すら払えない。
諦めて車にガソリンを10リットル入れた。(当時のガソリン代は安かったですねえ)
それから横浜の伊勢佐木町でウインドショッピング。
帰り道でもやしとインスタントラーメンを買ってきて、家で食べた。
そして満足して寝た。

次の日、事務所に行ってこの話をしたら、事務の女性が可哀想と言って泣き出した。
私は面白い話として喋っていたのでびっくり。
その頃、お世話になったのが今日のお二人のHさんとNさん。
給料が遅配で家にお金がなくなると事務所に行って、少し貸してもらう。
自分の給料なのに貸してもらうという感覚だった。

しかし事務所にもお金が無かったときには、Hさんは自分のお金を出してくれていたらしい。
それはごく最近聞いてびっくりした。
誰もが献身的に働いたから、オーケストラが存続したのだった。

その時の5人が一緒に食事ができるなんて、夢のようだった。
改めて連絡先を交換して帰宅した。

そして今朝はもう一つ嬉しいことが。
張りのある男性の声で、電話がかかってきた。
私より少し年下のKさん。
彼はドイツのオーケストラを定年退職して、今日本へ1週間の予定で滞在していると言う。
中学生の頃九州から引っ越してきて、私の実家の隣に住んでいた。
大人になってからは、大晦日になると私の家でお酒を飲みながら年を超した。

ある時好きな人ができたけれど、あちらの母親の反対で結婚できないので駆け落ちをした。
その時彼のお父さんは「後のことは全部オレが責任取るから、お前は自分の好きなようにしろ」と、彼を励ましたと聞いて感激した。
ドイツのオーケストラで働いて結婚して、今でもあちらに住んでいる。
その彼が電話をしてきたのは、夫を失くした私へお悔やみを言うためだった。
そして今度はぜひ一緒にコンサートをしようと言う。
彼の友人のSさんとチェロのTさんと・・・と、なんだかメンバーが決まっていく。
これは本当に実現するかもしれない。
そうなったら嬉しいなあ。

みぞれ混じりの雨なのに、ほっこりと温かい気持ちの湧く1日だった。
















2019年4月9日火曜日

花見の連鎖はまだ続く

今日は町田でお花見。
と言うと不謹慎だが、半分お花見で半分お墓探し。
町田に樹木葬のできる場所があると教えてくれたのは、コントラバス奏者のHさん。
彼女はかなり以前にご主人を失くした。
彼は函館のひとであちらにお墓があるけれど、度々行けるような距離ではない。
ちょうど私も探しているというところで一緒に見に行くことになった。

Hさんのご主人は調律師だった。
難病に侵されて、10ねんほど闘病生活を送り、亡くなった。
だれもが言うのは、彼の頭の良さと穏やかでユーモアのセンス溢れた人柄の良さ。
私のピアノの調律をお願いしていた。
床にどっかりと座り込んで、丁寧にハンマーのフェルトを柔らかくするための作業に没頭して、時間の経つのも忘れるようだった。
その姿を時々思い出すと懐かしさがこみ上げてくる。

スキーも一緒で、名人級の腕(足)前。
彼の言葉で忘れられないのは、ターンする時一瞬斜面に対して真っ直ぐになるけれど、それを怖がらずに体重移動すればいいだけの話だから、といわれたこと。

本当にそうなんだ。
一瞬怖がらなければなんということはない。
その言葉でターンがとても易しくなった。

落語が好きで、本人も落語のような話し方をする。
皆をどうやって笑わせようか四六時中考えているのではないかと思った。
明るいひとだった。

今朝、霊園の入り口でHさんと待ち合わせた。
私が家を出たのはナビの到着時間予報の1時間前。
私の車のナビの情報は古くて更新もしていないし、なぜか踏切が好きなナビで、わざわざ踏切を通らさせる。
それで、できるだけ近くまで自分の普段の通り道を走る。
最後のところをナビに頼るようにしているのだが、その朝の天候は曇天で頭がまわらない。
目も霞んでいるようで、いつもの調子が出ない。
なんの準備もせずいきなり走り始めた。

ナビの言う通りに走っていると何故か高速道路の方向に向かう。
それですっかり高速で行くのだと思いこんでしまった。
入り口付近に着いたからヒョイと高速道路に乗ったのだが、あれ、ナビが何も言わなかったなあと気がついた。
モニターがいきなりぐるぐると回転している。
故障?再検索?
これは一大事、いくら頼りないナビでも故障されたら大変!
ほんの少し走って考えてみれば、ナビが何も言わなかったのは高速道路に乗らず道路の下をくぐるコースだったのだと気がついた。

しかし、乗ってしまったのだから仕方がない。
するとナビは次の出口で出るように指示。
仕方がないから降りてぐるっと戻って、訳がわからずウロウロしているうちになんと、次の高速道路の出口まで来てしまった。
それなら最初から、高速を降りずにここまでくればよかったのだ。
本当に気が利かないナビなのだ。

樹木葬の霊園まで来ると、桜や芝桜が満開。
うぐいすまで鳴いている。
新しく出来たばかりらしく木々は若い苗木が多いけれど、これが育ったら本当に素敵になると思う。
ひと目で気に入ってしまったので、Hさんと隣り合わせの場所を買うことにした。
死んでも賑やかな事になりそう。
一区画4人用で、家族でなくても友人同士でも、ペットまで入れるそうなのだ。
お骨の入る筒の底は土に直接触れるようになっている。
本来の土に還るという理念が生かされている。

権利を買うと30年使用でき、その後は合祀されて消え失せる。
管理費もいらない。
宗教の制限なし。
なにもかも理想通りの墓が手に入った。
墓を買って喜ぶ人も少ないと思うけれど、私はおおいに喜んでいる。

樹木葬だけではなく、もちろん普通の墓もローズガーデンの墓もあって、最近の墓に求められる多様性に対応している。
商売上手だなあ。

墓地をぐるっと回ってみると、墓石のあるところにはたくさんの桜が咲き誇り、そこに緑の若葉が入り混じっているのが美しい。
朝からの雨模様がすっかり晴れ上がって、又してもお花見ができるとは思わなかった。
しかも今までで一番見事な桜だった。
これで安心して最後の時を迎えられる。
しかもこんな綺麗なところで、来てくれた人たちが清々しくなるような、風が通り抜ける丘の上で。
















2019年4月7日日曜日

花見疲れ

3連続で花見をしたら疲れた。

最初の日は上野の旧奏楽堂のコンサートを聴きに行ったとき。
伊籐 恵と仲間たちと言うタイトルで、ブラームス:ホルン三重奏曲やシューマンなどのプログラム。
クララ・シューマンの生誕200年にちなんで、ゆかりの曲でプログラムを組んだもの。

ブラームスのあこがれの人がクララ。
クララが待っていたのに、結局ブラームスはプロポーズをしなかったらしい。
そういう逸話やヴァイオリンソナタや弦楽四重奏曲を聴くと、優柔不断な男と思っていたけれど、中年に差し掛かった頃からブラームスが無性に好きになった。
やはり人生経験を積むと、人の心は黒白で割り切れるものではないこと、思い通りにいく人生なんてないことを思い知らされるから、やっとブラームスの良さもわかってきたのだ。

コンサートに行く前にピアニストのSさんと合わせ始めたピアノとヴァイオリンのソナタ第1番を練習した。
不思議なことに練習を重ねるとどんどん難しさが増すので、ふたりともかなりてこずった。
音符はこんなに易しいのにねとぼやきながら。
音符を並べるのは全く苦労はしないのに、それをどう音楽に組み立てるのか暗中模索。
まだふたりとも人生経験が甘いらしい。
練習を終えるとコンサートの時間に余裕があるように上野まででかけた。
すこしだけ花見をしようという魂胆で。

駐車場に車を停めて歩きだすと人の波が押し寄せる。
夕日が落ちるところで、夕焼けがあかあかと雲を縁取っている。
風が強く少し寒い。
上野公園の桜並木はちょうど満開で、ライトアップされて魔性めいた美しさ。
人々がシルエットで浮かぶと、浮世離れして見える。
お芝居の書割のように。

公園内のカフェで軽くお腹を満たして、会場へ。
伊籐 恵さんは私の最も好きなピアニストの一人で、ソリストでありながら共演者と融和してアンサンブルのうまさを見せる。
ホルン三重奏曲はお見事でした。
その後はブラームスの歌曲などの伴奏、最後にシューマンの幻想曲。

いつものリサイタルと違って出演者が大勢いたので、彼女の印象が分散してしまったのが残念だった。
伊藤さんは他の出演者に気をつかって、いつもの伊籐ワールドが控えめになってしまって、魅力が発揮出来ない感があった。

終演後ブラブラと公園内を横切っての帰り道、大騒ぎする花見客。
桜にはひとを狂わせる力が・・・というより飲みすぎが正解。

次の日は我が家の年1回の花見の宴。
私の家は桜並木のある川沿いに建っているから、家の中から窓越しに花見ができる。
毎年スキーの仲間が集って大宴会だったのだけれど、最近は腰痛などを理由に出席者が減って、だんだん寂しくなってきた。
テーブルに溢れるばかりの料理とずらりとお酒が並ぶが、毎年残ることが多くなってきた。
以前は空き瓶が恥ずかしいほどゴミ収集場に並んだけれど。
最近はほんの5,6本。
それでもいつもながら美味しい料理と会話が弾む。

そして3回目は小田原城の桜。
小田原に住むかつてのオーケストラの打楽器奏者を訪ねて開く、恒例の飲み会。

皆でそのSさんを囲んで、面白いエピソードを聞かせてもらう。
ずば抜けた記憶力の持ち主のS氏は、昔の逸話を次々に思い出して皆に聞かせるのだが、今年は少し無口だった。
相変わらずニコニコして仲間たちを嬉しそうに見ているものの、小田原城のお堀端の見事な桜を見ても反応はイマイチ。
それでもかつてのずば抜けた頭脳の切れの片鱗はまだまだ残っていて、突然思い出すことを面白そうに話す。
オーケストラの残党が口をそろえて言うことは、本当に面白い人生だったということ。
それと世代を超えて対等な付き合いができるということ。

3回目のお花見で流石に疲れた私は、帰りの電車で爆睡。
美しく楽しく美味しくの3日間は贅沢ではあるけれど、それに耐えられる体力がなくなってきたのは残念。
若さとは何ものにも耐えられるパワーであると、痛感した。












2019年4月5日金曜日

この書類が目に入らぬか!

相続のための最終的な書類が揃い、あとは金融機関を回って通帳の凍結を解いてもらうだけとなった。
法定相続情報証明と遺産相続協議書と全員の印鑑証明書、被相続人の通帳と印鑑、相続人の通帳と実印、それだけあれば完璧。

その頃私はなにがなにやらわからない状態で、一体それがどういうもので、どこにいけば手に入れられるのかわからなかった。
あたふたしているうちに日がどんどん過ぎていった。
とりあえず、税理士の言うように遺産相続協議書を作ってしまった。

これは遺産の分け方を相続人全員で協議して、決まったことを記すもの。
賛成が得られれば署名と実印を押して貰えるけれど、異議を唱える人が多いと聞いたから、もめたらどうしようかと、それも心配の種だった。
これがまず最初の躓き。
万一ほかに相続人が見つかったら、あれほど苦労したのが水の泡。
もう一度最初からやり直しとなると、又実印をもらうのに走り回らなければいけなくなる。
税理士が言う「それは大変だあ」状態になる。
大変だじゃ無いでしょう。そうなったらどうするつもり?と訊きたい。
夜中に目がさめるとそのことが心配で眠れない

まずは相続人の数を調べ名前を特定していく仕事から始めるのが筋だったのに、いきなり最終段階の書類を作ってしまったのだった。
それがドキドキ・ハラハラの原因になった。
親戚と言っても自分の血筋ではないから、情報が入らない。
戸籍謄本に私の知らない兄弟や姉妹の名前が載っていて、もし、その人達に子供がいたら相続人の一人となるわけで、全員の戸籍謄本が集まるまではしんどかった。
今住んでいる住所に本籍が無いと、本籍のある役所に頼んで謄本を取寄せないといけない。
その場合は委任状をもらって電話で請求できるのだけれど、まず委任状をもらい、役所に電話して・・それだけで1週間は軽く過ぎてしまう。
やっと集まって銀行に持っていくと、これではまだ足りないと言われる。
それならいっぺんに全部言ってくれればいいものを。
何回も書類集めに奔走するはめになった。

もうだめと思ったら、知人から助言をいただいた。
それが法定相続情報証明。
それは相続人全員の情報を一纏めにした書類で、法務局で出してもらえる。
疲れ果て、税理士にこういう書類を作りたいと言ったら「ほう、そんなのあるの」
頼むから、寝言言わないでちょうだい。
あなたが私の相続手続き引き受けるって言ったのよ。
それで司法書士を紹介してもらって、やっと一筋の光が射してきた。
この人が今までわからなかった親戚の戸籍も取り寄せてくれて、法定相続情報証明が出来あがった。
その元となった謄本の量が分厚いので驚いた。
たった1家族の2代ほど前に遡っただけなのにこの紙の量。
それだけの量がたった2枚にすっきり収まった。

法定相続情報証明と遺産相続協議書を持ってゆうちょ銀行に行った。
窓口の太ったおっさんが、私が持ってきた書類の量が異常に少ないのを見て、この人は書類を持たないできたと思ったらしい。

「ゆうちょ銀行からの手紙が届いてませんか?そこに何と何を持ってくるように書いてあったでしょう。届いていませんか?」
「ええ、届いていますよ、その手紙を持ってこないといけなかったの?」と私。
おっさんはなおもしつこく「届いていませんか?なにと何を持って・・・」と延々と言うから、こちらはポカーン。
なにを言ってるのかしら。
「だからここに全部ありますよ」

遮ってファイルをわたすがなおも喚く「とどいていませんか」「なにとなにを・・・」「とどいていませんか」「なにとなにをもって・・」
壊れた機械のように。
とにかく持ってきたものを渡すと「確認に時間かかりますよ」ですって。
何言ってるの、確認の結果が全部この書類に書かれているのに。
待つこと30分、大汗かいておっさんはどこぞに電話している。
なるほど、法定相続情報証明を知らない銀行員がいると聞いていたけれど、そのおっさんもそのクチだったのかと納得。
去年施行されたもので、まだ世の中にあまり知られていないそうなのだ。

面白いからしばらく観察していると、ばたばたと窓口にきて「失礼しました!」
それからは何回も彼の口から「失礼しました」
「それで?なにを確認していたの?」私も人がわるい。
これも数回繰り返す。
もう1時間以上過ぎてしまった。

それからすっかりおとなしくなったおっさんとずっと経過を見守っていた案内嬢に丁寧に挨拶されて、アメまでもらって帰ってきた。
アメでごまかすなよ。
勉強しなさいよ。
常に世の中変わっている。

ほかの金融機関では、すぐに対応してくれた。
まさに水戸黄門の印籠。

これで一つ問題は片付いた。
さて次にも厄介な問題が次々と待ち構えている。
これだから人生面白い。













2019年4月3日水曜日

nekotamaロングスリーパーとなる

去年の8月からガラッと運勢が変わって眠れない日々が続いた。
手に余る事務処理と後片付け、私の最も不得意な分野の日常が続いて疲れ果てた。
その間寝付きはものすごく良いのに、眠っていられない。
睡眠時間は多くても毎日5時間弱、少ないときには2時間ほど。

少しずつ片付いていく問題は、時によるとぶり返して新たな問題の火種となったり。
一喜一憂しながら、ようやく最後の段階に入ったように見えるけれど、いやいやまだまだ、予断をゆるさない。
それでも先が見えてきたと思ったらホッとして、やたら眠い。

夕飯が終わると、もうなにもできないほどの眠さに襲われる。
テレビを見ていたはずがいつの間にか座ったまま寝ている。
今眠ったら夜中に目が覚めてしまうからと思って必死に抵抗するけれど、抗い難くズルリと眠りに落ちていく。
決して良い睡眠とは思えないけれど、抵抗しても無駄だからベッドへ。

よほど疲れが溜まっていたものと思える。
長い眠りから覚めると気分が悪い。
身体がどよんと重たい。
目が見えない。
食欲もわかない。
眠いときには逆らわず眠ってしまうほうが良いのかもしれないけれど、本を読んでも続かない、何もする気になれない。
出さなければいけない書類が出せない。
眠りすぎは私にとっては病気になったようなことなので。

そんな今朝、元教え子から電話があって、近所に来たから家に寄ってもいいかという。
気心の知れた人は大歓迎だから、迎え入れた。
もう10年ほど会っていないから変わったかと思っていたけれど、彼女はあまり変わった様子もなく、私はその間に髪の毛が白っぽくなって(私の趣味なんだけど)たぶん見た目ずいぶん年をとったと思う。

話し始めるとあっと言う間に、時間が逆転して楽しい。
けれど、その後彼女はだいぶ苦労をしたようだ。
私はかつて音楽教室立ち上げようという言う人の手伝いをして、共同で本当に楽しい教室が出来上がった。
笑いと興奮とに満ちた毎日はスリル満点だったけれど、とても上手くいって生徒はどんどん増えていった。
今日訪れた生徒もその楽しい時期に教えていた。
ところが好事魔多し、オーナーが乳がんに侵され、私も同時期乳がんに、そして今日訪れた人も乳がん術後で今病院に通っているという。
オーナーはその後亡くなり、激しい喪失感に悩まされた私はその時すぐに教室をやめるつもりだった。
けれど、とどまらなければならない事情により、その後数年続けなければならなくなった。
教室に愛情がなくなったわけではない。
生徒たちも可愛いからやめることもなかったけれど、それでも初期の輝かしい思い出が胸をよぎると、深い悲しみに襲われる。

人が死ぬと後に残った人は様々なストレスに悩まされる。
だから私の好きな人は私より早く死んでほしくない。
これもエゴかもしれないけれど。
疲れたからたくさん眠っても、そう疲労回復にはならない。
これが済んでもとのせっかちおばさんにもどれるのは、今しばらく時間がかかりそう。

今日は実はわたしの生まれた日とされている。
ほんとうか嘘かはわからない。
私が生まれたのが4月3日らしく、母はこれでは小学校の入学が1年遅くなると思った。
たったの数日で学年が遅くなるより、誕生日を早くしてしまえば早く入学できる。
早く学校に入ってしまえば、早く卒業できると考えた。
そして私は、3月生れとして届けを出されてしまった。
家で出産したからできたことで、今のように役所もきちんとしていなかった。
強引に小学校に入れられて、学年最若の子供は苦労した。
その年頃の1年は生育過程がたいそう違う。
身体も丈夫ではなかったし。

その後4年生になった頃から私はみんなに追いつき、ガキ大将となって今に至っている。
今日玄関を入ってきた元生徒が「先生、お誕生日おめでとうございます」と言ってくれて、忘れていた誕生日を思い出した。
本当に様々な苦労もあったけれど、概ね幸運な人生だった。
去年から続く苦労もこれから楽しいことの起る前触れと、とらえていく。
この楽天的な能天気と大雑把さが、私の人生を明るくしてくれているものと思われる。

間もなくロングスリーパーも消え去って、元のように長い1日が使えると良いのだけれど。
そのうちいくらでも永遠に眠れる日がくるのだから、今眠ってはもったいないでしょう。













2019年4月1日月曜日

元号で大騒ぎ

今日は友人たちと夕飯を一緒にする日で、レストランを予約していた。
昨夜、店から電話があって、今日は予約が殺到しているので2時間までとしてほしいという。
時々しか集まれないから、いつもはゆっくりじっくりと話に花が咲く。
2時間ねえ、少し短いけれど店の方もせっかくのことで少しでも稼ぎたいのはわかるから、了承した。

ところでなんでそんなに予約が多いのか訝った。
今朝やっと気がついた。
今日は新元号が決まる日なのだ。
朝、テレビをつけたら、そればっかり。
昨日と変わらない朝なのにお正月などもそうだけれど、急に改まった日を迎えることになる。

ただでさえ新生活のスタートとして新たな気持になるのに元号が変わるのでは、それにかこつけて飲みたくなる気分は大いにわかる。
今日のお店はイタリアン、元号とは関係なさそうだけれど牡蠣入レ時・・あれ、メニューに牡蠣はあるかな?書き入れ時なんだけど、時々面白い変換が見つかる。
イタリアンだから牡蠣もオリーブオイルで食べよう。
今なら書き入れではなく、レジ打ち時とでも言うのかな。

元号があるのはとても雅なことで、私は漢字や日本の文学にはたいそう興味があるから、そういう国に生まれたのは喜ばしいと思っている。
しかし、役所の書類などの届け出の日付は未だに元号なのが煩わしい。

西暦ならすぐに頭に浮かぶのに、昭和生まれで3代目の元号を使う日がきた年令になると、いったい、今年は何年?
若い頃、明治生まれの人に会うと(私の両親も)ひどく古い世代と思ったけれど、自分がそうなってみると、いや、私まだ化石ではないからなんて思ってしまう。
若い人から見れば、え~!昭和生まれですか?
いえいえ、そうは見えません、お若いですねなんて、おべんちゃらの対象。

もう少し早く手続きしないといけなかった銀行口座振込の手続きを、引き伸ばしてきた。
新元号で1年という日付を書きたかったから。
来月その時が来たら早速出しに行こう。

最新鋭AIが元号の予測をした。
大化から平成までの元号を分析、日本と中国の古典の学習から使われている文字を割り出して予測した元号がこちら。

 考永

しかし、なんでもうすぐわかる元号を大騒ぎして予測するのか。
必要に迫られている人たちも多いと思うけれど、待っていればいいではないか。
こういう性格では本当に出世しませんよ、皆さん。
ヤレヤレ世の中が騒がしいこと。
ゆっくりワインがのめるのかどうか、私はそのほうが心配!
この非国民ものめがと叱られそうだけど。

ー後記ー

新しい元号は 令和!

人工頭脳の予測は外れた。
なかなか良い字面ではないか。
響きも良い。