2019年9月28日土曜日

生徒に誘われて

山本リンダが甘ったるい声で歌った歌。
♫こまっちゃうナ、デートに誘われて♫
ご存知の方はいらっしゃいますかな?

その歌が流行った頃、私はまだオーケストラでヴァイオリンを弾いていた。
団の副代表が長い独身の末、やっと結婚。
彼は随分遅い結婚だった。
駅前で俺を待っている女がたくさんいるんだと、いつも豪語していた。
なんのことはない、飲み代のツケを払わせようと飲み屋のお姉さんたちが待ち構えていただけなのだ。

やっと結婚したら女の子が生まれた。
年齢から言うと孫に近い、可愛い賢い子だった。
女房なんて少しも可愛くない。
でも子供のためには必要なんだ。
あんな女、電車に轢かれて死んじまえば良い。
それもゆっくりとギリギリ轢かれたらいいのだ、などど恐ろしく物騒なことを言うけれど、それが彼独特の愛情表現だと誰もがわかっていた。

「こまっちゃうナ、デートに誘われて」って歌があるだろ?
うちの子は「こまっちゃうナ、生徒に誘われて」って歌うんだよ。
口の端が閉まらない。
いつもはそれこそ夕日に鬼瓦の顔が、緩みっぱなしになった。
それはそれで不気味だったけれど、可愛らしいとも思えるのだ。
照れ屋で不器用で全くの昔男のTさん。
私達はのべつ彼の家に押しかけ、奥様の手料理を食べ、時には泊まり込むこともあった。
いつも人のたくさんいる温かい家だった。
奥様が電車に轢かれちまったら、この料理を作る人もいなくなる。
美味しいお酒が飲めなくなるじゃない?

さて古典の定期演奏会が終わって、非常に不本意な出来栄えながらヴィヴァルディの協奏曲も完了。
いつものことながら落ち込みは激しい。
なんだってあんな意気地なしだったのかと、平静になるにつれて悔しい思いがこみ上げる。
けれど、又性懲りもなくなにか始めるのがガクタイの性なのだ。

次は、夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルと同じプログラムでのコンサートが、10月半ばに。
11月の連休は奥州市でのチェロフェスタ、チェロの舘野英司さんが指導する地元の方々や新潟などからの出演者多数。
沢山のチェロ弾きのゴーシュが集結する中で、シベリウスのピアノ・トリオとショスタコーヴィッチの2ヴァイオリンとピアノのための5つの小品を演奏予定。
ここで弾くのは、いつも元の教え子からの声掛け。
こまっちゃうナ、ではなく嬉しいお誘い。

今年の〆は熱海での「クロイツェル・ソナタ」
12月1日、熱海起雲閣のホールで村上和子さんピアノリサイタルに客演、今年は暮れる。
とまあ盛り沢山なので、果たして体力気力がついてきてくれるかどうか心配ではある。

私は今まで自分の集中力を信じてきたけれど、昨日のステージでは体の衰えが感じられて、楽譜もよく見えない。
弾き終わった時によろけたそうだけれど、自覚はない。
ま、こういう年もあるさと自分に言い聞かせ、巻き返しを図るために次なるステップに・・・と言いたいところだが、もう疲れてヨレヨレ。
ステージで大勢のお客様の前で演奏するのは、想像以上のハードさ。
そろそろ引き際かな?
オペラシティのリサイタルホールでのコンサートで引退と思っていながら、それから15年、常に周囲の人に助けられて活動できたので、大変満足してはいるのだけれど。

気分を変えて今日は相模湖の美術館まで出かける。
同行するのは元の教え子。
彼女の好きな作家の美術展があるそうで、これも♫こまっちゃうナ♫ではなく、嬉しいな生徒に誘われて。
土曜日の昼過ぎ、ゆっくりとでかけてご飯でも食べて。
最近、若い人達がよく遊んでくれる。
しかも皆、なんとなく保護者のような顔つきで私をいたわるのが、少しばかり癪なんだけど。










2019年9月22日日曜日

ノーノー、テノールテノール

パスポートセンターは横浜中華街や県民ホールなどの近くにある。
それで思い出したこと。

この話はすでにこのブログで2回以上は書いているので、すでに読まれた方ごめんなさい
ほかにも色々、何回も同じこと書いているから「またか」と思ってスルーしてくだされば幸いです。

今横浜にはみなとみらいに立派なコンサートホールがあるけれど、その当時の最新の施設は横浜県民ホールだった。
近くには貿易センター、シルクセンター、山下公園など。
当時、東横線はみなとみらいや元町中華街などの駅はなくて、県民ホールに行くには終点の桜木町からバスかタクシー、貧乏な音楽家は徒歩で向かった。
徒歩でも横浜には趣があって、20分くらいかかるのも苦にならなかった。
横浜は建物の高さが制限されていたので、空が広い。
海が近いので空気もなんとなく涼やか。
特に良いコンサートを聴いた後は、桜木町までブラブラ歩いて感激の余韻を楽しんだ。

ある時ドレスデン歌劇場の引っ越し公演があった。
演しものはモーツァルトの「魔笛」
私が最も好きな演目だから高い入場料もなんのその、チケットを買ったらその後は毎日ご飯に納豆かけて食べればいいさ。
「ラ・ボエーム」みたいでしょう?

魔笛は最近では、奇妙な衣装や斬新過ぎる変わった背景など、演出家が大いに遊んでしまうことが多く、時にはなにもあんなことしなくてもと思うことも多い。
そのときはごくオーソドックスで、最初の大蛇が可愛らしすぎるほかは、ユーモラスでありながら「まとも」な魔笛だった。
大いに満足して会場を後にした。
会場の脇にバスが数台停まっていて、そこに早めに出番が終わったコーラスやスタッフと思われる人たちが乗り込んでいた。
その人達に手を振ると向こうからも振り返してきた。

バスに乗るか、何処かで一杯飲むか、歩こうか。
連れと相談しながら結局桜木町まで歩くことに。
そこからシルクセンターを過ぎて交差点の信号待ちをしていると、1人の外国人男性が走り寄ってきて「シルクセンター、シルクセンター」と喚く。
「シルクセンターは、あちらの方だけど」と指差すと「オペラオペラ」となおも喚くから、ハハーン、この人はオペラの出演者で、早く出番が終わったから街にでかけてバスに乗り遅れそうなんだわ」はたと気がついた。
「ああ、バスね?」というと「ノーノーテノールテノール」

一瞬キョトンとしたけれど、あまりにも必死なので「ホールは次の信号を右に行って・・・」と教えてあげたら、猛スピードで走り去っていった。

それにしても「テノール」って?
次の瞬間吹き出した。
なるほど、「バス?」と訊かれたので、彼はバス歌手と間違えられたと思った。
それで自分はテノール歌手であると説明したのだ。
しばらく笑いが止まらない。
この話はよく人に聞かせるのだけれど、みな爆笑する。

私はバスと言ったけれど、ドイツ語でバスはなんというのだろうか。
ベルリン・ドイツ・オペラの元パーカッショニストに「バスはドイツ語でなんと言うの?」と訊いたら「ブス」というのだそうだ。
よくもよくも私に向かってブスだなんて、ホントのこと言ってくれたわね。
と、これだけの話ですが。

当時ドレスデンは共産圏で、亡命する人もいたかもしれない。
そんな中でバスに乗り遅れたら亡命の意志ありとみなされて、国に帰ってからつらい思いをしたかもしれないと、ふと気の毒に思った。
彼が「ブス」に乗れて、その後も活躍できたことを祈る。















2019年9月21日土曜日

パスポート申請

パスポートの有効期限が今年3月に切れたけれど、去年ニューヨークに行ったことだし、もうしばらく海外に行くことはないと思ったので放置しておいた。
ところがひょんなことから、来年1月フランスに行くことになったので、新規に申請することになった。
前のパスポートの期限が10年だったので、すでに申請の仕方も忘れていた。
調べてみたら、外務省のページから申請書がダウンロードでき、情報を入力したものを印刷して持っていけば良いとのこと。
随分楽になったものだと思ったけれど、そこにまた役所の壁が。

まず住所など必要事項を入力して、それを印刷。
びっくりするほど簡単。
必要な書類は申請書、戸籍謄本(抄本でも良い)
本人確認のための免許証などの書類。
この3通。

本籍欄は、戸籍謄本に記載されているものと同じでなければいけない。
そうわかっていたけれど、だいぶ以前に住所と本籍を同じにして届けた記憶があったから、現住所を本籍欄に書いた。
そして区役所に出向いた。

そこで本籍が違っていると言われた。
本籍を住所と同じにしたその後、自宅の住居表示が変わった。
例えば、猫町1丁目2345が、1丁目2番3号みたいに。
それなのに本籍は変わる以前の表示が残ってしまっている。
住居表示が変わっただけで、住んでいるところは元のまま。
それなら本籍と現住所を一緒にしてしまえば後が楽だから変えられないかと訊くと、できるけれど少し時間がかかるという。
なぜ住居表示が変わった時点で本籍の表示も変えなかったのか訊くと、もとの住所が地番で、現住所は建物の住所なのだというわけのわからない理屈を聞かされた。
同じ場所に2つの住所が存在するなんて。
この際現住所の表示を本籍にしてしまうほうがいいのかどうか、私のなけなしの脳みそでは判断できないので保留にした。

去年さんざん戸籍謄本などの書類を取ったときにはどうだったのか、全く思い出せないのがすごい。
自己防衛本能?
次回に謄本を取るときにも、ひと悶着ありそうな気がする。
旧番地を覚えておけばいいじゃありませんかというけれど、そんなもの覚えていられますか。
そんなことでやっと戸籍謄本は手に入れたけれど、パスポートセンターに行く元気もなくなって今日はここまで。

パスポート用の写真を撮りに行ったら、マイナンバーカードの写真も同じサイズだと言うので、この際、カードを作ることにした。
コンビニで謄本などもとれるというから。

パスポートセンターは以前は横浜の中華街近くまで行かないといけなかった。
最近は自宅の近くでも手続きができるようになった。
けれど、今までは横浜のセンターでの書き換えが多かったので、やはり横浜まで行こうと思った。
手続きの書類を提出したら中華街でお粥を食べるというのが、今までのパスポート取得の際の流れだったので。
有名なお粥専門店が近くにある。
午前の早い時間にも沢山お客さんが入っているので驚いたことがあった。
中国人は外食をする事が多いらしい。
だから自宅で食事を摂らないで、こういうお店で食べると聞いたことがある。

今回も10年期限で申請するけれど、今後10年、私は元気で旅行しているだろうか?
足腰弱って歩けないから、ラクダの背中にくくりつけられてユーラシア大陸横断をやってのけたりしているかも。
沢山やりたいことがあって、今まで大抵のことはクリアしてきたけれど、ラクダでユーラシア大陸を旅するというのは実現していない。
これは多分実現不可。
いくらおっちょこちょいの私と言えども、できることとできないことの区別はつく。
遮るもののない砂漠で太陽に照りつけられ水にも不自由、言うことをきかないラクダに手こずり、もしかしたら盗賊の群れに襲われ、若い時ならいざ知らず、今の体力ではねえ。

と言いながら、フランスに行くのはジュネーブからフランスのトロワバレーに行ってスキーをするため。
海外で滑ったのはバンフ、カルガリー、アリエスカの計3回。
私はヨーロッパで滑りたいと切望していたけれど、私達の仲間はニュージーランドが好き。
私は南半球にはなるべく行きたくない。
なぜなら自然現象が日本と逆さまだから。
それでニュージーランドのスキーツアーには参加したことがない。
夏が冬なんて。

ヨーロッパスキーに憧れるのは、猪谷千春さんがコルティナダンペッツォのオリンピックで日本人初の銀メダルを勝ち取ったことを知って以来だと思う。
たぶん1958年ころ、私はまだ子供でした。
いやいや、嘘じゃないって!まだ尻尾が7本になってないから、これはホント。
コルティナダンペッツォという響きに魅了された。
いかにもスピード感のある名前ではないか。
その頃の私はスキーのスの字も興味なかったけれど、ニュースを見て感激したことを未だに覚えている。
うちにはまだテレビはなかったと思う。

そのせいかどうかわからないけれど、この年まで半世紀超えてまだ私は滑っている。
小学校では体育が苦手だったのに、数えたら56年間、毎年必ず滑っている。

猪谷さんはいつも黒いユニフォームを着ているので「ブラックキャット」と呼ばれていたというのも嬉しい。
なにが嬉しいって、猫に関することならなんでも嬉しいので。

スキーを始めていつかはヨーロッパでという思いがあったから、今回誘われて参加となった次第。
カナダでのスキーは感激の連続だった。
ゲレンデのどこをどう滑っても人にぶつからないほど広い。
今回はフランスのトロワバレーでのスキー。
ヨーロッパで一番高いスキー場「ヴァルトランス」おお怖わ!だけど、人間死ぬか生きるかのどちらかだから、怖がって行かないよりも行ったほうが良いに決まっている。

チベットで高山病になったことがあって、怖さは重々承知。
ま、なんとかなるでしょう!
お正月に志賀高原で足慣らし。


















フリーズドライ卒業

去年から全く料理をしなくなって、フリーズドライやインスタント食品ばかり食べていた。
初めてフリーズドライ食品を食べたときには感激した。
こんな簡単にちゃんとした味のものが食べられるなんて!
お湯を沸かせばそれで終わり。
しかもかなりのレベルの美味しさ。
もう料理はしない。
今まで時間を無駄にしてきた。

料理をしなくなって約1年。
最近少しずつ勘が戻ってきて、野菜を買うようになった。
野菜は、やはり生の素材のほうが美味しい。
最近やっと肉が食べたくなってきた。
肉もやはり生の素材が噛みごたえも味も断然良い。

朝ごはんは私の一番好きな時間。
ゆっくりと時間をかけて紅茶を淹れ、野菜と果物のスムージー、パンとハムや鶏肉などのタンパク質で猫と一緒の朝ごはん。
それすら野菜を省略して飲み物ばかり並べていた時期もあった。
一時的な味覚障害になっていたかもしれない。
ほんの少ししか食べられなかったから、フリーズドライ食品は量が少ないので、ちょうど良かった。
最近やっと体力や気力が戻ってきたらしい。
すると、インスタントの食品は、思ったほど美味しく感じなくなった。
何回食べても同じ味なので飽きたのかもしれない。
あの小さな乾燥した物体がお湯をかけるとあっという間に料理に変身、それはすごいことなのだけれど、やはり非常用などに使うだけにしておいたほうが良いかもしれない。

味噌汁もやはり自分で作ったものが美味しいかもしれない。
今はまだ味噌汁だけはフリーズドライもの。
そろそろ自分で作ってみよう。

最近までちゃんとした食事をしていなかったので、昼食にステーキを焼いてぺろりと1枚、たぶん150グラムほどを平らげた。
本当は半分残しておいて、夕食にサラダに混ぜようと思っていたのに、美味しくて箸がとまらない。
北軽井沢で買ってきた野菜が大量にあるから、つけあわせも半端ない量で。
しみじみ美味しいと思ったのは体力が回復してきたからかも。

顔のシワが増え、表面に粉をふいているような顔色だったのが、少しは血色が良くなるかもしれない。
もう無理かもしれないけれど、これから先、まだヴァイオリンを弾くなら体力は非常に大切なのだ。
長生きは、めでたいとは限らない。
ちゃんと活動できて、生き生きと生活できなければ、つまらない。
私自身、そろそろ乾き物ではなくなま物に戻ろう。

ステーキを焼いた後のフライパンを洗おうとして、ちょっと待てよ!このソース捨てたらもったいない。
肉汁とバターと醤油のソース。
バターと醤油は良く合うのだ。
このフライパンで焼き飯を作ったら美味しいと思う。
夕飯のメニューは決まりだぜ。
そのまま残しておいてご飯と長ネギとチキン、それに豆のマリネがあったからちょっぴり入れて、サニーレタスを山のように入れて炒めてみたら・・・ウンもお~美味しすぎるう~。
レタスは最後にこれでもかというほど入れて、シャキシャキ感が残るほどにサッと炒める。
これでバターのしつこさが消えて、ほっぺが落ちそう。

本当に落ちてくれないかな。
小顔になれるかもしれないから。








2019年9月19日木曜日

森の中ひとりぼっち

ブラームスはうまくいったのかどうか自分ではわからない。
今日は気持ちよく弾けたと満足したときは要注意!
録音を聞くとがっかりすることが多い。
今日はだめだったと落ち込んでいると、案外うまく録音されていたり。
もし他の人が褒めてくれたときには素直に感謝することにしている。
他人の耳は自分の思い込みよりも遥かに頼りになる。
自分で満足したときには疑ってみる。

ブラームスの壁はなかなか超えられないので、北軽井沢まで猫と出かけた。
猫はすっかり車にも馴れ、ケージに入れられる時のパニックもなくなってきた。
山道でカーブが続くと、ときおりニャアと鳴く。
家に入ってももうすっかりくつろいで、私のベッドのど真ん中を占領する。

お隣さんが来ているかと思ったけれど、車がないしシャッターが全て閉まっている。
森の中は人っ子一人いない。
夏は家の前に停まっている車も今は殆ど見当たらない。
ご近所の常住している家にも車が停まっていない。
おやおや、本当に誰もいないのだ。
夏に来たときに大騒ぎで歓迎してくれた蝉しぐれ。
それも消えてしまった。
聞こえるのは庭の下を流れるせせらぎの音ばかり。

軽井沢に住んでいるY子さんに連絡して、翌日、軽井沢のエロイーズカフェで朝食をとる約束をしてばんやりと森を眺めていた。
夏の暑さに痛めつけられた木々が少し枯れ初めて、紅葉の準備に入っているようだ。
今回来たのは、ノンちゃんの思い出のため。
去年の今頃、この家を私に明け渡す決心をして気落ちしたのかもしれない。
ここを出たノンちゃんは東京の自宅に帰って、次の日、亡くなってしまった。
別れるときに「ノンちゃん、来年からは私がノンちゃんをゲストとしておもてなししますから」と言うと寂しそうに笑っていた。
その約束が実現できなかったのが悔やまれる。
大好きな窓辺に座って森を眺めていると、私がそうしているのをいつも嬉しそうに見ていたノンちゃん。
ちょうど1年経った今、1人で森を眺めて時間を過ごした。

ノンちゃんはこの家を10年前に建てた。
その年の夏、仲間が集って庭でバーベキューをした。
その後中々バーベキューができなくて、私に「nekotamaさん、私、バーベキューがしたいの、あなたやってくれない?」と何かにつけて言っていた。
でもその頃の私は仕事人間で、いつも大忙し。
この家に来るのも1泊か2泊。
ノンちゃんが「もう帰っちゃうの?」と言うけれど「すぐまた来ます」と言ってはそのまま冬になってしまったり。
春になると、でかけてもすぐにバタバタと帰って・・・の繰り返しだった。
考えてみればノンちゃんと長く語り合うことも、やっと最近になってからだった。

ようやく仕事が少なくなり私も多少長めに滞在できるようになって、これからバーベキューもやってあげられると思っていたのにさっさとノンちゃんは逝ってしまった。
去年の初夏の頃、いつもよりも強めにノンちゃんから「みんなでバーベキューをしたいの、やってね」と言われたから、今回こそはと思っていたのに。

痛恨の極み、それでもう手遅れかもしれないけれど、この秋に仲間が集ってバーベキューをする予定。
私が怠け者で悪かった。
まだ大丈夫と思っていたのにノンちゃんにとっては、焦眉のことだったのだ。
ノンちゃんはもういないからやっても無駄かもしれないけれど、約束は守りたい。
これは自分のためであってノンちゃんのためではないけれど、せめての罪滅ぼしに皆さんに来てもらうことにした。

家の中はほぼ片付いて、後は物置の中の整理が残っている。
物置を開けてバーベキューの道具をさがしたけれど見当たらない。
たしかノンちゃんは「バーベキューの道具は残してあるから」と言っていたのに。
そのかわりどっさりとガラクタ(ノンちゃんごめん)が出てきた。
年老いたノンちゃんの手に負えなくなったものは、全部ここに放り込んでしまったのかもしれない。
そう思うとまた、私がもう少し頻繁に来て手伝ってあげればよかったのにと悔いが残ることばかり。

いつもお客様気取りでノンちゃんのおもてなしを受けて、この馬鹿者が!と自分を叱りつける。
人との交わりは、終わってから悔いが残る。
大切な人であればあるほど、ああもこうもと後悔ばかり。
でも仕方がない。
だれとでもパーフェクトというわけにはいかない。

バーベキューが実現したら、ノンちゃん、貴女の好きだった人たちでここを使わせていただきます。
仲間がいつでも泊まりに来られるように。

翌日目が覚めると頭痛がする。
首と肩が張っている。
ブラームスの後遺症?
起きてもなにもする気にならない上に、胃のあたりがムカつく。
エロイーズカフェの濃厚な朝食はとてつもなく魅力だけれど、今日はやめておいたほうが良いかもしれない。
Y子さんに連絡して家でゴロゴロすることにした。
彼女の言うことには「もしかして高山病では?」

あ、それ、思い当たることが。
夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルのときも、到着したその翌朝不調だった。
そのことを言うと、仲間のKさんにも同じことを言われた。
Kさんは追分に猫と暮らすヴィオリスト。
彼女も追分に来ると、いつも次の日頭が痛いとかなんとか。
軽い高山病の一種かもしれないと。

誰もいない森の中でただ1人、木々と向き合いノンちゃんを思って静かに過ごし山を降りた。
たった2日間、ノンちゃんの「もう帰っちゃうの?」という声が聞こえそうな。





















2019年9月15日日曜日

「秋の日のビオロンのため息」がほんとにため息になってしまったこと

秋の日のビオロンのためいきの
身にしみてひたぶるにうら悲し・・・
       
ポール・ベルレーヌ  上田敏訳

こういう詩を涙ながらに読んでいた頃の自分の瑞々しさ。
若い頃の感傷的な気分は、加齢とともにお肌と同じくドライになってしまった。
最近は物事に動じない。
若い娘なら「きゃあ、たいへん」なんて言うことでも「ふーん、だから?」
・・と思っていたけれど、今日は大いに動じてしまった。

代々木上原のムジカーザでブラームスのソナタ「雨の歌」の本番。
前日から衣装の準備、楽譜と眼鏡を忘れないように、それから靴も。
準備万端と思っていたら、昨日まで練習していた楽譜がない。
たしか昨日もここで練習していたのだから、この部屋からは出ていないはずの楽譜。

2日前のピアノ合わせのときに急に思い立って、楽譜を変えた。
譜めくりがうまくいかないので、以前使っていた版のコピー版に。
「雨の歌」の1,3楽章のヴァイオリンパートはほとんど休みがないので、譜めくりができない。
そのために譜面台を2台使って、3ページ分広げて、たった1小節、拍で言うと6拍でめくらなければならない。
以前使っていた版のほうは、譜めくりをしないで良いように4枚広げるようにコピーしてある。
その分、音符の大きさとスペースが狭いから多少混み合っているように見えるけれど、譜めくりの失敗のリスクはない。

それで昨日は、そのコピーの楽譜で練習。
どちらの楽譜でもいいけれど、何回も練習しているうちに指使いやボウイングも変えるから、それぞれ微妙に違う。
本番で迷わないようにと昨日は楽譜を入念にチェック。

今日のステージリハーサルは午後からなので、午前中もう一度弾いておこうと思ったら、昨日まであったコピー譜がない。
どっと冷や汗が出た。
どこを探してもない。
だって無いはずないじゃん。

諦めて3日前まで使っていた楽譜に戻して練習したけれど、もう胸はバクバク。
どうしてどうして。
昨日は変に長く眠ってしまった。
こういうときは体調不良か精神的に不安定なときなのだ。
数えたら9時間近い睡眠。

やっと用意ができて車を発進するときになって、もう一度確認。
キャリーバッグの中に納めたはずの楽譜が入っていなかった。
また冷や汗。
いつも心配で2度3度確認する癖が助けてくれた。
やはり今日はなんとなく不調なのだ。

車で都内を走っていると、そこかしこで秋祭り。
中原街道から環6通りに左折しようとしたらえらい渋滞。
信号が変わらないと思ったらお神輿や山車の通行のために信号が変わらないように操作している。
やっと通過したと思ったら、その後をのんびりと神主が通る。
なんだかことさらゆっくりと歩いているように見える。

リハーサルはなんとかやり過ごしたけれど、本番までが少し時間が空く。
遅い昼食を摂ろうと駅の近くにでかけた。
パスタのお店でナポリタンを食べたら、昔懐かしいケチャップ味で、思わず全部平らげた。
自分でもわかっていたのに、たくさん食べてはいけないことを。

楽屋に戻るとソファに腰掛けているうちにうつらうつら。
目が覚めて着替えを始めると、昨日着たときにはなんの問題もなかったドレスが窮屈になっていた。
私は腎臓に問題があるから、こういうときは良くない傾向なのだ。
やはり妙に沢山眠ってしまうときには、風邪の前兆とかなにか問題がある。
靴も昨日まではなんの違和感がなかったのに、非常に窮屈。
足が痛い!演奏が済むまで我慢できるだろうか。

なんでもうまくいかない日って時々ある。
私にしては真面目に練習したのに、なんだかいつでも初めて弾くようにドキドキするのがブラームスなのだ。
しかも消えた楽譜はどこへ?
どうしてこんなに体がむくんでいるのか。
途中で思い出した。

楽譜の謎はこうだった。

昨日楽譜を間違えてはいけないと思って、コピー譜をメガネと一緒に、それらを入れていくキャリーバッグのある居間の方へ持っていってテーブルに置いた。
今朝メガネを見つけて、あら、こんなところにどうしてと思って、メガネをレッスン室に持っていった。
その下に置いてあった楽譜に気がつかずに。
楽譜はあいにくコピー譜だったために、音符のある部分が表に出ていなくて他の書類だと思った。
原譜ならすぐに楽譜とわかるのに。
というわけ。

いつも忘れ物をしそうなときには、ここに置いたと自分に言い聞かせておくとたいてい思い出すのだけれど、今回はメガネを置いたことで安心してしまったこと。
メガネが目印になると思ったのに、逆にメガネを見つけたことで楽譜であることに気がつかなかった。
これが敗因。

ブラームスは本当に秋が似合う。
今日のブラームスはなんだかとりとめなく、不安定だった。
ベルレーヌさん、あなたは預言者?
今日の私の状態はまさしく「そこかしこにとび散らう落ち葉かな」でしたよ。











2019年イグノーベル賞

ノーベル賞のパロディーで、ひとを笑わせ考えさせるような業績や研究に与えられるイグノーベル賞。
ノーベル賞と同じく10の分野の研究にあたえられる賞がある。
今年もハーバード大学で授賞式が行われ、4人の受賞者が本家ノーベル賞受賞者から賞を与えられたそうだ。

舞台で紙飛行機を飛ばす。
受賞者には60秒のスピーチの時間が与えられるが、8歳の少女から「やめてください、つまらないです」と言われるとやめなければならないなど、恒例となっている。

イグノーベル賞の目的は「非凡さと創造性をたたえ、科学や医学、技術への関心をかきたてること」となっていて、賞金は10兆ジンバブエドル(約8ドル)
ただしジンバブエドルがまだ発行されていたころの2009年のレートで、賞金は偽札。

2019年の受賞
医学賞 イタリア・オランダチーム
「ピザで死と病気を予防できることがある。
ただし、イタリアで地産地消した場合に限る」       

死は予防できるの?一体なんのこっちゃ??

化学賞 日本チーム
「標準的な5才児の1日の唾液分泌量を計算した」

なんのため?でもまあ、なにかの役にたちそうな気がしないでもない。

解剖学賞 フランス
「フランスの郵便配達人が裸のときと服を着た時の陰嚢の温度の非対称性を測定した2007年の研究に対して」

なぜ、郵便配達人?なんのために?どうしてそこなの。

心理学賞 ドイツ、ビュルツブルグ大学のフリッツ・シュトラック氏に。
「口にペンをくわえると笑顔になり、その笑顔でさらに幸せになることを発見し、その後そうではなかったことを発見」

いったい幸せか、そうでないかどっちなの?

工学賞 イランの研究チーム
「乳児のおむつ替えマシーンの発明」

このマシーンはアメリカで特許をとったそうだ。

平和賞 国際チーム
「かゆいところをかく快感を測定した」

快感より不快感を測定したほうが、なにかの役に立ちそうな気がするけど・・・

毎年イグノーベル賞受賞の報道を楽しみにしているけれど、日本チームはほとんど毎年のように受賞している。
日本人は堅物、謹厳実直、ユーモアのセンスがないと思われがちだけれど、どうして中々のクスクス笑い人種ではないか。
落語のような、非常に洗練された笑いの文化をもっている。
これは世界に誇ってもいいんじゃない?



2019年9月13日金曜日

秋の日にとりとめなく

プラス思考で生きるのがよいという。
でもプラス思考でいられるというのは世の中の一部の恵まれた人だけ。
ほとんどの人はプラス思考でいられない多くの事情を抱えている。
わざわざプラス思考をすることが幸せにつながるの?

私は元々楽天的だし、辛酸を嘗めるというほどの苦労はしてこなかったけれど、子供の時から感受性が強すぎて、気分はジェットコースターに乗っているように毎日、毎時、上下動していた。
少しのミスに落ち込み、ほんの僅かな光に過剰反応して有頂天なんてことはザラだった。
コントロールができない。
だれでも若い頃はそうかもしれない。
短気でおっちょこちょい、我が強く飽きっぽくて雑とまあ、あまりまともな人格とは言えないけれど、友人たちのフォローがあって、今まで生き延びてきた。
友人にはとても恵まれているから、こんな性格でも楽しく生きてこられた。

去年の夏、身近な人たちが相次いで亡くなって、さすがの私も落ち込む日々が続いた。
実際、去年のことを思い出そうとしても、頭の中に霧がかかったようになにも思い出せないことに驚く。
防衛本能というものかもしれない。
リアルに思い出してしまうと、耐えられないのかな?とも思う。
その間予定していたコンサートはすべて予定通りこなしたけれど、なんの曲を弾いたのか思い出せないのがすごい。

果物以外の食物が喉を通らない。
眠れない。
思考停止状態が続く。
フラッシュバックが来ると、しばらく涙が止まらない。
悲しい、寂しいという自覚よりも、体が勝手に反応して生理的な現象として処理しているらしい。
ショックを和らげるために脳が必死に守ってくれたのだ。

そんなひどい1年だったのに、その1年間はなにも起こらなかったかのように記憶は霧の彼方に消えている。
面白いなあ。
これを心理学的に解明するために、勉強してみようか。
ヴァイオリンが弾けなくなった時の時間つぶしができるかもしれない。

今月15日に演奏するブラームスのソナタ「雨の歌」
今日は最後のピアノ合わせにでかけた。
弾きながら考えた。
ブラームスこそマイナス思考の最たるものではないかと。
少し進展するかと思うと3歩後退、直進するかと思うと脇道へ、若い頃の私はブラームスのそんなところがまどろっこしくてあまり演奏したくなかった。
もちろんヴァイオリン協奏曲や4つのシンフォニーは素晴らしい。
ソナタは心のひだが多すぎて、歯がゆい。
歯がゆいって面白い表現だなあと私も脇道へそれる。

ある年の晩秋、ブラームスの弦楽四重奏のCDを聴いていたら、ああ、私も年をとったなと思った。
涙がでるほど素晴らしい曲だと初めて共感した。
マイナス思考という言い方自体好きではないけれど、こういう感情がなければ芸術作品も生まれないし、光と影がなければ絵画も成り立たない。
プラス思考でヘラヘラ生きても面白くない。
苦悩の末にベートーヴェンの名曲が生まれたのだから。

この先、なにを書こうと思ったか脇道に入ってしまったので思い出せない。
脇道と言えば、なっちゃんと言う猫を飼っていた。
その子を拾った経緯は前にも書いたけれど、ある日毎日の散歩コースを歩いていたときのこと、通り過ぎてしまった脇道を歩いてみようと引き返した。
その小道は一度も通ったことがない。
曲がるとすぐに1人のオッサンが猫をぶら下げているのが見えた。
背中の皮をつまんでぶら下げて、なんてひどいと思ったから「その猫をどうするの?」と訊いてみた。
「野良猫が子供生んで迷惑だから捨てに行く」というとんでもない返事が返ってきた。
私は怒り心頭。
「その子だって自分で来たくてここに来たわけじゃないわ。私が飼うからよこしなさいっ」と私は瞬間湯沸かし器になる。

おじさんからひったくると、その茶トラの子猫は昔からの知り合いみたいに呑気にニャアと鳴いて、約15分ほどの道のりをおとなしく抱っこされて来た。
普通猫は自分のテリトリーから外れると怯えて戻ろうとするのだけれど、一切そんなふうでもなく、我が家の住人(住にゃん)になった。
平気なように見えてもなっちゃんは、おじさんにぶら下げられて必死に祈っていたに違いない。
誰か助けてー!
心の声が私に届いて、ふと、行ったことのない道を歩こうとおもったのかも。
しかも一旦通り過ぎていたのに戻っているのだから。

また話は脇道に。
最近料理が復活した。
この1年間、全く料理をしていなかった。
レトルト、フリーズドライ、それでなければレストランで食べ、コンビニで買う。
生きられる最小限の栄養素だけとればいい。

何がきっかけだったかわからないけれど、少しずつ自分で調理するようになった。
まだ2、3回だけど。
すると、やはり美味しいのだ。
調理が下手でも、野菜は野菜の、肉は肉の味がしっかりとかみしめられる。
やっと自分の魂が戻ってきたような気がする。
おや、たまさんお久しぶり、どちらへ行ってました?
はい、ちょっとそこいらへんまで・・・なんて。

私は決してプラス思考の人間ではない。
どちらかと言うと心配性で最悪の事態を考える。
人という生きものは本来そういうものではないかと思う。
鏡の前でニッコリ自分に微笑むと免疫力が強くなるなんてほんとかなあ、なんて疑り深い。
悲しければ泣く、おかしければ笑うでいいじゃない。
プラスでもマイナスでもなく、シンプル思考はいかが?






























2019年9月12日木曜日

猫の災難

台風による停電はまだ続いているようだ。
たった数時間で音を上げた私よりも、もっと過酷な状態で耐えている人たちがいて、お気の毒としか言いようがない。
私が電力会社ではないので、手の施しようもなくて。

上の階に住んでいる人が停電の最中にドアをノックしてきた。
「電気点かないんですけど」「停電なの」「インターホンも消えてるんですが」
「私のせいじゃないので東電さんに言ってください」「あ、そうか」
私以上に浮世離れした人もいるものだと感心した。

冷凍食品が半解凍されてしまったので仕方なく食べたけれど、まだ生きているから腐ってはいなかったようだ。
いつ買ったか判然としないチャーハンは少し味に癖があったけれど、まあまあ美味しくいただきました。
去年から料理をすることをやめてフリーズドライや冷凍食品などを食べてばかりいたけれど、最近やっと生気を取り戻してごく普通の食生活に戻ってきた。
野菜も摂るようになって徐々にパワーも取り戻しつつある。
少しずつ調理もするようになった。
考えてみれば、次のステージに進むステップが用意されていたのかも。

上の階の人は猫さんを2匹飼っている。
昨日は朝からどこかで猫の声がしていた。
またノラが来ているのかとおもっていたけれど、放置。
昼過ぎもずっと鳴き声が聞こえる。

夕方雨が降り始め雷もなり始めた。
すると猫の声がけたたましくなった。
明らかにたすけて~と言っている。
外に出て探しても姿はないけれど、近くにいるようだ。
しかも声は上からきているみたいで。
もしや?ニャンニャンと呼ぶとにゃおーんと応える。
ああ、やはり上の階のベランダで鳴いているのだ。
ベランダには猫さんが逃亡しないように網が張ってあるので、降りてくることもできない。
雨も雷も段々ひどくなる。

住人に電話したけれど応答がない。
こうなったら仕方がない、嫌なことだけど合鍵で入るっきゃない。
夕方の薄暗がりで室内の様子は見えないけれど、まっすぐにベランダの窓まで行って開けると大きな猫さんが飛び込んできた。
スコティッシュホールドの立派な雄猫はフレンドリー。
嬉しそうに駆け寄ってきたけれど、私は不許可侵入だから遊んではいられない。
またまっすぐに戻ってドアを締めた。
その間ほんの数十秒だと思う。

なんだか悪いことをしているような気がしたので、入ったことを知らせる手紙をドアに貼ってきた。
しばらくして帰宅した住人が来たので「猫さんがずっとベランダで鳴いてましたよ、出したの?」
すこし咎めるような口調になってしまったら、出たのに気がつかず出勤したらしい。
そして室内を見られたのを気にしている。
すごく汚くしてあって、あれ見たんですか?と。
いやいや、私は他人のことに無関心だから、見て回るようなことはしない。
まして薄暗がりで電気もつけなかったし、猫さんを入れてすぐに出てきたので。
働いている人は、家の片付けもままならないことが多い。
私もフル稼働していたころの室内はとてもひどかった。
余裕のできた今もひどい。
だから散らかった部屋を見ても、うちよりはきれいと思うことが多い。

すごく前のこと。
私は大忙しで外出の際に玄関のドアを半開きで、でかけたらしい。
帰ってきたらお隣の人から「ドアが開いていたので心配して入って見ました」と言われた。
きゃあ、あれを見られたか。
でもうちには盗られて惜しいものもないし、もし泥棒が入っても、先客がいたと思うくらい散らかっているから諦めて帰るでしょう。
きれいにしていたのに泥棒に荒らされたら腹が立つけれど、たぶん呆れ返って掃除をしてくれるのではと期待している。






























2019年9月10日火曜日

台風一過

今朝のニュースはやっと韓国の玉ねぎ男の話題から離れ、台風の被害の話題でもちきり。
成田空港やJRの駅のすさまじい混雑ぶりが映されていた。
自宅から6万円もかけて空港までタクシーで来た人もいた。
それなら早くからわかっていたのだから、前日、近所のホテルに泊まってしまえばいいのにと思う。
ホテルもいっぱいで取れなかったかもしれないけれど。

私が仕事で全国を駆け巡っていた頃は、必ず前日に目的地に入ることにしていた。
飛行機に年間30回ほど乗っていた。
現場にいなければ仕事が成り立たない私達の辛いところは、絶対に遅刻も欠席もできないということ。
日本人は勤勉で雨の日も槍が降る日も出勤する人が多いようだけれど、今どき会社でなくても仕事ができるなら無理に出社しなくてもと思うような人でも、出ていきたいらしい。
これは無駄というより迷惑としか思えない。

しかし、私達はとにかく決められた日に会場にいなければ馘首になってしまうから、皆必死で駆け付ける。
当日に出発して万一列車や飛行機の遅延があっても、誰もフォローはしてくれない。
仕事の都合でどうしても当日にしか出られないときは、無事を祈るのみ。
台風の季節は神経がピリピリした。

昨日、エアコンが使えず、暑さに音を上げて考えた。
そうだ車があるじゃない。
車にはエアコンが付いている。
それなら届けたいものがある人に今日持っていけばいいじゃない。
往復して帰宅する頃には停電も解消しているに違いない。
名案がひらめいたのでメールしたら、どうやら混雑の中お出かけだったようで、私の名案は却下された。
電車の混乱状況からすると車もこんでいるかもしれないから、車を日陰に停めて冷房を効かせて読書したほうが良いのではと勧められた。
訊かれたのは、信号は大丈夫かということ。
ああ、そうか、停電していたら信号機がつかえない。
信号が点かないと車も大混乱になる。
こういうときには不要不急の外出は避けたほうが良い。
世の中の人は頭がよく回る。
そのことに少しも思い至らなかったアホは私です。

停電が解消されて真っ先にしたのは、冷蔵庫の中身の点検。
幸いにも冷凍庫の肉類などはカチカチに凍っていたから、しっかりと固まっていた。
それ自体が保冷剤の役割もしていたみたいで、柔らかくなっていたパンや冷凍チャーハンなどは取り出して調理、今日は半解凍食品の後始末をする日になった。
賞味期限等は見たこともないけれど、明日まで無事でいられたらお慰み。
毒を持って毒を制すって言葉もあるから、毒女の私ならまず大丈夫でしょう。










2019年9月9日月曜日

台風直撃

最近は夕飯を食べると眠くなって早めに寝てしまう。
それで夜中に目が覚めるようになった。
いつものことで午前2時ころ目が覚めた。

台風が関東に上陸するというし、私の家の前には川が流れている。
局地的な豪雨がこの地域に降ったら簡単に氾濫するのではと思うけれど、この川は大きな雨水管が地下に埋められているため、そこに大量の水を流すことができる。
この管が埋められる前、川沿いの家は毎年の床上浸水で台風の翌日は畳が土手に干されていた。
建て替える以前の私の家は浸水に備えて床が高くしてあったものの、大雨の日は玄関にひたひたと水が押し寄せてきたこともあった。
玄関ドアを開けたら目の前が湖のようになっていて呆然としたことも。
幸い床までは水が入らなかったけれど、兄が心配して見に来たときは膝上まで水に浸かっていた。
「トイレの水や汚水が混じっていて汚いので歩いたらだめ」というと初めて気がついたらしく「ひゃあ」とかなんとか言いながら、慌てて帰っていった。

姪からメールが届く。
そちらに非難警報が出ているけど大丈夫?
非難?なんじゃそれ。
早速叔母さん目線で、非難とは避難のことかい?と嫌味の返信。
突っ込まれると思っていたから変換直したはずなのに、変ね、と姪の返信。
せっかく心配してくれたのに、可愛げのないこと。

夜中に目が覚めると盛大に風の音が聞こえる。
カーテンを寄せて隙間から覗くと、お隣さんの庭木が90度もしなっている。
若木でしなやかかもしれないけれど、私は木がそんなに曲がるのを見たことが無い。
雨が横殴りに降っているから、相当な風速だと思う。
しばらく情景を眺めていた。
家の内外が軋む音、外では救急車のサイレンが響いているけれど意外と静かなのだ。

私の家はブロックの一番北側にあって、南側が家々で守られている。
台風のときはたいてい南西の風だから、そのへんからの風はほとんど当たらない。
以前からの経験で、建て替えたときには1階は駐車場にした。
水が出ても車なら移動することができる。

寝る前に停電に備えて懐中電灯を3本用意した。
万一停電が長引くと電池切れもあると思うし。
中々停電にならないから、台風情報をテレビで見ながら紅茶を淹れて、しばらく起きていた。
外は大変なことになっているのに、実感がわかない。
そのうちフッと電気が消えてテレビも消えた。

早速備えてあった懐中電灯を点けてみる。
意外と明るいもので、小さくても十分部屋を照らしてくれる。
この時間帯はよく起きていて、本を読んだりする。
けれど懐中電灯では本を読むほど明るくはないから、他にすることもない。
その上気がついたのは、エアコンも消えてしまったのだ。
これはまいった。

私は暑さにはめっぽう弱い。
去年は3回も熱中症にやられたので、暑さが去るまではエアコンは昼夜を問わずつけっぱなし。
氷水を何回も飲む。

氷をとるとき気がついた。
冷蔵庫!
ぎっしりと詰まった冷凍食品は大丈夫かしら。
肉の塊はなどは中々溶けないけれど、チャーハンやドライカレーなどのご飯物やパンなどはしばらくすると柔らかくなってきた。
それならフライパンか電子レンジで調理してしまおうと思って、はたと気がついた。
それも全部使えない。
溶けるに任せるっきゃない。

暑いから眠ることができない。
少し風を入れようと思って玄関ドアを開けたら、セコムの警報が鳴り響いた。
停電でも機能するんだ。
玄関外の共有部分の非常灯が明々と点いていたので、びっくりするとともに安心した。
とにかく暑い。
熱中症になったらいやだなあと思っているうちに、外が明るくなってきた。
風も収まってきたらしく世の中が静かになってきた。
けれど、気温は上がってくる。
結局午後まで電気は復旧せず、でも熱中症にはならずに済んだ。

その頃になるとセコムから電話があって、ご無事ですか?と。
明け方セコムの機能は停止、非常灯も消えた。

子供の頃、停電するとろうそくの灯りで影絵をして遊んだ。
遮るもののないだだっ広い古い家は、雨や風のほしいまま。
雨戸の隙間からひゅうひゅうと吹かれ、巨大な杉の木に落雷したり、台風は夏の恐ろしいお客さんだった。
今は丈夫な壁やサッシのお陰で、それほど恐怖を感じない。
子供の頃の恐怖の夜、台風が過ぎた次の日の朝は抜けるような青空だったような気がする。
今は台風が過ぎてもなにかカラッとしない。
決定的になにかが違うような。

























2019年9月7日土曜日

美人のランク

最近物忘れ防止に九九を諳んじたり、思い出せることを探している。
面白いことに九九は前半の5✕9までは順調に行くけれど、6から上の数字がわからなくなる。
例えば3✕6は?18、簡単。
でも6✕3は?サブロクと言い換えてしまう。
ゴックは45,でもクッゴって・・・
前半が小さい数字の方が簡単に言える。
これは私だけかな?

100から7を引いていくのはよくあるけれど、101から7を、または99から7を引くととたんに難しくなる。
これも私だけ?

家の階段を登っていたらふいに思い出したのは、美人のランク。
上から
佳人、麗人、美人、別嬪、並、ブス、へチャ、オヘチャ、鬼瓦、夕日に鬼瓦。
こんな事はよく覚えているもので、初めて聞いたときには大笑い。
クラリネットの北爪利世さんが大喜びしていたのを思い出す。
故北爪先生、通称づめ先生はおちゃめで素敵なおじさまだった。
先生は本当にハンサムで、音大の女子生徒たちのあこがれの的だった。
ランクは性格ともに佳人。

私もせめて並くらいにはランクされたいけれど、まあ、無理でしょうね。
でもブスというといや~な感じだから、へチャの方が響きが可愛らしいだけまし。
鬼瓦に至っては想像するだにおぞましいのに、更に上を行く夕日に鬼瓦!
ここまでいけばご立派と言うしかない。
鬼瓦に夕日が当たってムラムラになっている様子はさぞやと思われる。

ず~いぶん昔の話。
まだ私が若くてブスなりに可愛らしかった頃。
なんと資生堂のコマーシャルの仕事が舞い込んだ。
そんなにびっくりしないでくださいな、モデルとしてではないので。
モデルさんが自転車を引いて歩いている背景に、小さく弦楽四重奏を弾いている私達が写っているというもの。

仕事をいただくときは別になんの仕事とか言われることはないから、現場に行かないとわからないことが多い。
楽器と衣装を持って現場に行くと、譜面台や楽譜が用意されているから言われたとおりにするだけ。
突然暗譜してくださいなんて言われてその場で必死にすることもあった。

だから私は当日までその仕事が化粧品のコマーシャルとは知らなかった。
その数日前、富士登山にでかけた。
6合目くらいまでは登ったけれど、想像していた富士山とは大違い。
ゴロゴロと溶岩が転がっていて、すっかりやる気を無くしたのでそのへんで待っていることにした。
甥や姪たちは喜んで登っていったので、随分長い時間待たされた。
その間にいつの間にか日焼けをしていたらしい。
家に帰ったら顔が真っ赤。
次の日は見るも無残に皮膚にヒビが入っていた。
仕事に出かける日に慌ててファンデーションを塗り込んでも全く効果なし。
そして私は立派な「夕日に鬼瓦」になっていた。
その後そのコマーシャルを見かけないのは、鬼瓦が写っていたからかもしれない。

しかし数十年前に覚えたこの美人ランク、良く覚えていたこと。
若いころ覚えたものは忘れない。

私はこう見えても瞑想をすることもある。
そのときに使う言葉、1つのマントラ、20のスートラをほとんど数回しか習わなかったのに、今でもちゃんと思い出すのも驚き。
これはほとんど前後の関係ない言葉なので、なにかに関連付けてというわけにも行かない。
瞑想をしなくなって30年ほど経ってから思い出してみたら、全部言えた。
それでまた瞑想者になる希望が出てきた。
ほとんど私の人生は迷走に明け暮れていたから、このへんで正道に戻りたい。

最近また教育改正と言って、知識の詰め込みでなく自分自身で考える教育を始めるらしい。
でもね、まず知識がなければ考えられないことをわすれていないだろうか。
ゆとりと言ってバカにされている世代もまだ健在なのに。
若くて脳が柔らかいうちに、詰め込めるだけ詰め込まないでどうするの。
面白いほど吸収される時期って誰にでもある。
それは楽器で言えば基礎練。
スポーツなら体力造り。

自分で考えさせたかったら、原始林に子供を置き去りにしてさあ自活しろと言えばいいのかな?
火をおこす、食べられる植物の知識を与えるなどしなければ死んでしまう。
それで済むなら育児は楽ですねえ。
生後6日の乳児をトランクに入れて飛行機に乗せようとしたアメリカ女性が捕まったけれど、その子はトランクから逃げ出すことを自分で考えたかな?と厭味ったらしく言う私の性格はランク付けすると、鬼が・・いや夕日に・・















進化する中華料理

荻窪の閑静な住宅街の中にある中華料理の店は、私達の大のお気に入り。
2ヶ月に一度開かれる勉強会の目的は、演奏ではなくこの中華料理を食べることなんてことも。
場所は回り持ちで、ピアニストの家3軒のうちのどこか。
その中で、この荻窪の家が喜ばれるのは、終わってから美味しい中華が食べられるから。
弾き合いだか中華を食べるのが目的なのか良くわからない。

私達は同級生。
世の中の同世代の人に比べると元気な方ではあるけれど、やはり色々故障も出てくるお年頃。
先日は私がなにを狂ったか、階段をひらりと跳んで顔面制動。
口裂け女になってやっと回復したばかり。
もうひとりのメンバーは、肩を骨折しながら海外旅行へ行って帰国したばかり。
色々ありますなあ!
幾多の困難にも関わらず、よく食べよく笑う。
中でも最近仲間入りしたフルートのAさんは、声が大きい。
管楽器で鍛えた呼吸法が物を言うようだ。
声がよく出るということは元気な証拠で、ご主人の介護をしながらフルートを吹き続けている。

ほかは連れ合いがなくなって花の独身になってのびのび暮らす。
女性は強い。
私も一年間寂しさに打ちのめされてきたけれど、やっと自分を取り戻してきた。
その間ないがしろになっていたヴァイオリンを改めてやり直そうと思ったときには、悲しいかな手が自由にならない。
ほんの一瞬でも気を抜くと、もう元に戻るのはえらいこっちゃとなるのが悲しい。
これが老いるということなのだと実感する。

昨日も弾き合いが終わってから、ほんの数件先の中華料理の店に行った。
小さなお店は15人も入ったら超満員となりそうな。
そこのご主人はたった1人で注文を受け、調理、食器洗い、お運び、会計と大忙し。
見ていると一瞬の休みもない。
最近ここの料理が進化して、前に美味しいと思ったものがなくなったので残念だけれど、新しいメニューも美味しいから変わらず満足している。

最近の味は少し濃くなったかな?
これはお客さんの好みに合わせたのかもしれない。
以前は薄味で、食材の良さを際立たせるような感じだった。
最近は味の主張が強くなって、様々に研究しているのが良くわかる。
毎回嬉しい驚きがある。
これはこれで、おいしい。

皆のお気に入りは青菜の炒めもの。
シャキッと仕上がって、これは変わらない味。
絶品のチャーハン。
パラパラのご飯、どうやったらこうなるの?
春巻きの揚げ具合も餃子の焼き加減も完璧。
こういう街の片隅の小さな店で、これほどの味に出会えるとは誰も予想しないと思う。
間口も狭く、知らなければ見過ごしそうな佇まい。
ごく近所の人たちが来るらしく、私達が開店直後に飛び込んだ後、家族連れで席が埋まっていく。

私達は次々に注文してはむしゃむしゃと平らげて、満足しながら家路につく。
これがいつまで続けられるかわからないけれど、大切な友人たちと美味しい物とまだ楽器を弾いていられることが幸せ。
楽器のことはそろそろ諦めないといけないかもしれないけれど、食べるのはまだ大丈夫。
中華料理店のご主人の頭の中はレシピでいっぱいだと思う。
さて次はどんな料理が出てくるか、期待が膨らむ。















2019年9月2日月曜日

大人の付き合い

私が以前所属していた渋谷の音楽教室「ルフォスタ」は大人の疲れたおじさんたちのオアシスとなろうという目的のもとに、数人の講師が集まってたちあげた。
最初は3~4人の講師にショボショボの受講者。
しかし、あれよあれよという間に100人越え200人近くのオアシスを求める人達がひしめきあって、毎日が笑いに包まれた教室となった。
待合室には酒盛りをする人が待ち構えていて、行くと「いっぱいいかが」なんてことも。
レッスンが終われば講師も生徒も見境なく盛り上がって、夜中まで話しが弾むなんてことも。
それは初代オーナーの太陽のように明るい性格を反映していた。
しかし好事魔多し、彼女は若くして病魔にさらわれていってしまった。

私は一緒に戦った戦友をなくしたショックで、しばらくして教室を去ることになった。
けれどもその頃の生徒たちが未だに事あるごとに私を引っ張り出してくれる。
個人レッスンはやめたものの、発表会直前の弦楽アンサンブルの指導だけは毎年私の担当になっている。
1年に数日だけなら私も引き受けられる。
教室をやめたのは先程の理由の他に、毎週決まった曜日に行かなければいけないのが苦痛だったこともある。
決まったことを決まった日に・・というのが大の苦手なのだ。
教室の発表会と自分のコンサートが重なったりしててんやわんやするなんてこともあったから、体力、気力ともに限界でもあった。

フリーになってからはとても充実した勉強もできたし、なによりもスケジュールがたてやすくなって長い旅行にも行ける。
それでやめたのを後悔することはないし、もとの生徒たちがなにかにつけて遊んでくれるから教室とは縁が切れていない。

今月16日、渋谷の伝承ホールで発表会が行われる。
この弦楽アンサンブルができたのが12年前だそうで、「だそうで」というのは私には時間の経過がわからない。
もうそんなにというか、まだそんなにというか、とにかく年月の経過にはほとんど無関心だけれど、このアンサンブルの良いところはメンバーがほとんど変わらないということ。
アンサンブルの中心人物はG氏、彼を敬愛するメンバーが本当に仲が良く、それでも練習時には喧々諤々、意見はしっかり述べ合う。

発表会の弦楽アンサンブルの曲目はモーツァルトのディヴェルティメントK.136。
はじめの頃にこの曲をやったときはひどい出来栄えだったけれど、それから10年以上経過して練習の成果を問うことに。
前回の練習時に録音したら中々の出来栄えだったから安心しているけれど、ステージには魔物が棲むから結果はおわってからでないとわからない。

昨日手紙が届いた。
音楽教室での初めての私の生徒からで、当時の楽しかった思い出が綴られていて、こんなタイミングでこの手紙がとどいたのもなにかのめぐり合わせかなと。
しかも、もうひとり、やはりこの教室で教えていた生徒からお茶のお誘い。
教師と教え子と言っても相手は立派な大人だから、話していても面白い。
一方的にこちらが教えるのではなくて、お互いに影響を受け合う。
というか面倒見られっぱなし。

毎年夏に越後湯沢で合宿をするのだけれど、今年は都内で一日中練習をする「都内合宿」になった。
10時から17時近くまで、みっちりと練習が続いた。
終わってから、自由が丘のイタリアンでワインを飲みながら盛り上がって、いつまでも年代を超えた友人ができるものだなあとしみじみ思った。
もう教師と生徒というより、同じ音楽を作り上げる仲間としか見えない。
最近かれらも長年やっている経験から、様々な意見を言うようになった。
初期にはなにを言っても通じないこともあったけれど、いまや自分たちで考え、試し、決定することもある。
成長したなと思う。
全員が高IQの集団だから、そのうち私の出番もいらなくなることを期待している。

年取って仕事ができなくなったらこのアンサンブルに混ぜてもらって、トチトチとヴァイオリンを弾かせてもらうかもしれない。
しかし、その頃には彼らはいっぱしの腕前となって、肩たたきされないように、ようし、婆さんも頑張るっきゃないか。

15日、代々木上原のムジカーザでブラームスのソナタ1番。
27日、東京文化会館小ホール、古典音楽協会定期演奏会でヴィヴァルディの協奏曲「愛」を演奏します。