2010年5月6日木曜日
緑の風に乗って。
急に暑くなってきた。緑滴る初夏。最近家に居ることが多くなってきた。仕事もほんの少し。あとはゆっくり気儘に過ごしている。忙しくなくなったら、家を片付けてなんて思っていたけれど、暇があると、ちっとも片付かない。気持ちの良い日なので、生協に買い物に出かける。久しぶりに愛車を駆って246を長津田方面へ。なぜ、そんな遠くまで行くのかというと、わけがある。以前通っていた乗馬クラブの近く。その周辺に住んでいる友人の紹介で、入会した。一度買い物に付き合ったら、お肉が美味しい。野菜もおいしい。安全性も信用できる。そこで、月ぎめでお米を契約。だから、乗馬クラブをやめても、必ず月1回はお米をとりに行かないといけない。窓を少し開け、風を入れながら走る。道はすいているし、晴天だし、「ボエーム」なんか口ずさんでご機嫌で。もちろん「ムゼッタのワルツ」 お米をもらい、山のようにお肉と野菜を積んで帰り道。いつも気になっていたお菓子やさん。あっという間に通り過ぎてしまうので、いつも、しまったと思いながら、後ろから来る車に遠慮して、走り過ぎてしまう。でも、今日は後ろに車もいない。しめしめ。大きな木に張り付くように、小さな御伽噺のなかの家みたいに、ひっそりと建っている。 お、お、美味しいっ。濃い目のコーヒーと上出来のケーキ。こんな小さなケーキやさんに、こんな洗練されたケーキがあるなんて。うーん、今日も良い日だったなあ。
2010年5月5日水曜日
犬もおだてりゃ 登る?
見ればみるほど変な写真。片手だけでつかまって。
たかみのけんぶつじゃあ。足は宙ぶらりん。
世の中にはこんな写真を作って喜んでいる人がいる。人生喜びをもって生きねば。おだてられて木に登る人もいれば、おだてられるとプレッシャーになってだめになる人もいる。私は後者。おだてられると耳には心地よいが、その後、変に緊張してしまう。ヴァイオリンのレッスンも褒められた次の週は出来がわるかった。私が習った先生方は優しい方ばかり。あまり、叱られた記憶がない。もっとも、叱らないのは見込みが無いからかもしれない。でも、先週褒められたから、今日も上手く弾かねば、が仇となって、上手くいかない。楽器を弾くのは集中しないとダメだから、気持ちに雑音が入ると気が散って、力が入りすぎたり、楽譜をみまちがえたりする。 高校、大学と約7年間教えていただいた先生は、男性だけどエレガントな方でした。先日たまたま、アマゾンでCD見つけたので、購入した。私の大好きなR・シュトラウスとフランクのソナタ。それを見たとき、こんなにも先生の影響が大きいものか、と思った。もし私がCDを出せるくらい上手ければ、なにを弾きたいかと言ったら、この2曲は絶対入る。そして、音を聞いたとたん、自分の音のルーツはここだったのだ、と感じた。良く似ているといったら失礼だけど、音の出し方はそっくり。その後何人もの先生に師事したけれど、一番感じやすい時期に受けたレッスンが一番身になるのだと思う。いつも、レッスンをさぼっては遊びにいってしまうので、先生は他の人に嘆いたという。「勉強できるのは今だよ。勉強しなさい」いつも、先生はそうおっしゃた。フフンと鼻で笑って遊んでいたことを、とても申し訳なくて、今涙が出てしまった。先生ごめんなさい。
たかみのけんぶつじゃあ。足は宙ぶらりん。
世の中にはこんな写真を作って喜んでいる人がいる。人生喜びをもって生きねば。おだてられて木に登る人もいれば、おだてられるとプレッシャーになってだめになる人もいる。私は後者。おだてられると耳には心地よいが、その後、変に緊張してしまう。ヴァイオリンのレッスンも褒められた次の週は出来がわるかった。私が習った先生方は優しい方ばかり。あまり、叱られた記憶がない。もっとも、叱らないのは見込みが無いからかもしれない。でも、先週褒められたから、今日も上手く弾かねば、が仇となって、上手くいかない。楽器を弾くのは集中しないとダメだから、気持ちに雑音が入ると気が散って、力が入りすぎたり、楽譜をみまちがえたりする。 高校、大学と約7年間教えていただいた先生は、男性だけどエレガントな方でした。先日たまたま、アマゾンでCD見つけたので、購入した。私の大好きなR・シュトラウスとフランクのソナタ。それを見たとき、こんなにも先生の影響が大きいものか、と思った。もし私がCDを出せるくらい上手ければ、なにを弾きたいかと言ったら、この2曲は絶対入る。そして、音を聞いたとたん、自分の音のルーツはここだったのだ、と感じた。良く似ているといったら失礼だけど、音の出し方はそっくり。その後何人もの先生に師事したけれど、一番感じやすい時期に受けたレッスンが一番身になるのだと思う。いつも、レッスンをさぼっては遊びにいってしまうので、先生は他の人に嘆いたという。「勉強できるのは今だよ。勉強しなさい」いつも、先生はそうおっしゃた。フフンと鼻で笑って遊んでいたことを、とても申し訳なくて、今涙が出てしまった。先生ごめんなさい。
2010年5月3日月曜日
放送大学その3
放送大学は誰にも開かれていて、高校卒の資格があれば無試験。でも、数学科を出た友人が教科書を見て驚くほど、内容は充実している。当然試験も難しいから、一筋縄ではいかない。3回受けて単位が取れず、あきらめた4回目にやっととれた、なんてことも。卒論はパスして(仕事でたぶん教授の指導にいかれないから。決してやる気がなかったわけではありません)代わりに8単位のノルマ。しかし、卒業間際は特に忙しく、しかたなく専門の音楽でドサクサ紛れに単位をとって、めでたく卒業。だが、卒業式にも出席できず、郵送された卒業証書を見て、初めて実感がわいた。在校年数ラインギリギリの10年でした。在校できるのが普通の大学より長くて、それでなければ不可能だったと思う。しかし、中にはサラリーマンで200単位近くとっている、一種のマニアみたいな人もいた。しかも、在学数3年目くらいで。すごい人がいっぱい。楽しかったなあ。 学生時代、特に勉強家ではなかったのに、いつまでも勉強が面白くて、この後も出来たら大学院の夢は捨てていない。やっと、暇になっていくらでも出来そうなのに、脳みそが熟成?腐敗かな?してきたので、難しい。なにより、目が疲れて大変。だから、鉄は熱いうちに、は真実だと思う。ゆとり教育なんて・・・若いうちに詰め込まなかったら、いつやるのさ。 一人読者を怒らせてしまってやめられたので、寂しいから読んだ人コメントください。猫でもたまでもいいから。
2010年5月2日日曜日
放送大学その2
入学して驚いたのは、生徒の質の高さ。他の大学の院生や、会社員が自分の仕事のスキルアップのために、中には看護婦さんや、退職した教師など。基本的には通信教育なので、自宅や図書館でビデオとテープで勉強するが、何単位かは授業を受けなければならない。このとき、つくずく気の毒だったのは先生たち。どんな人が聞いているかわからない。ある時、文学の授業で、学生の意見があまりにも素晴らしかったので、先生が深々と頭を下げ、「勉強になりました」と言った。これは、只者ではない、そう思わせる発言に、教室中が静まり返ったことがあった。あるときには、東大の院生が教えに来て、つるし上げられたこともある。「こんな授業でずっとやっていくのですか」とつめよられ、立ち往生。私も卒業単位が足りないので、仕方なく音楽で単位を取ることにした。隠してはいたものの、先生はなにか不穏なものを感じていたようだ。ノートをとらないので生意気なと思ったらしいが、質問すれば即回答があるし、えっ、てなもので、不気味だったと思う。 何回登録しても、スケジュールの関係で、中々出られない実験の授業もあった。3、4回目くらいにやっと出られたら、先生が感激して、そばに来るたびに「本当に良くきてくださいましたね」とおっしゃる。すぐに、名前をおぼえられて、以後その先生とは和気藹々のお付き合い。楽しく実験をしました。
放送大学その1
音大を卒業したものの、音楽で食べていけるとは思っていなかったので、卒業する年に母にもうひとつ大学を受けたいといったら、えらく叱られた。親にしたら、6人目がやっと卒業、やれやれと思ったのに、又学校になど言語道断。仕方がないから2,3年したら自分で学費を作って行こうと思っていた。幸い卒業する前からオーケストラで仕事をさせてもらっていたので、そのままズルズルと入団。ところが、仕事が面白くてやめられない。あっと言う間に年が過ぎ、その間オーケストラはやめても、仕事は山のようにあるし、大学どころではなくなった。20年目に放送大学の発足を新聞で知ったとき、これを逃す手はないと次の年に入学。条件は、絶対に仕事優先、けれど、絶対卒業する。これだけ。しかし、思った以上に難航した。まず、仕事が日時、場所がイレギュラーであること。必ず現場に居なければ」仕事にならないから、スクーリングなども休まなければならない。試験の日が仕事なら、試験も受けられない。せっかく勉強したのに、涙を呑むしかない。一番縁の遠かった自然科学を専攻したために、本の第1ページから意味不明。初めて試験を受けたときは、解答用紙を前に何も書けず、涙がぽろり。でも、よくしたもので、1年も経つと教科書が読めるようになった。新聞も科学欄はちんぷんかんぷんだったのが、読めるようになった。なによりも良かったのは、謙虚になれたこと。自分がどんなに物事を知らなかったか、思い知らされた。
カラスの愛情
不順な気候が続いていたし、ちょっと山に行っていたから、気が付けば緑濃い皐月。朝の散歩で、この頃、奥さんカラスしかお目にかからない。夫はどうしているのだろう。今朝も一人でぽつんと待っていた。しばらく、お話しをする。そこへ、カラスフリークその2が来て、今、一羽は卵を抱いているのでこないのだと言う。納得。その内子連れで会いにきてほしい。 私の母は酉年だったから、6人の子供を羽の下に抱え込むようにして、育ててくれた。やさしいというよりキツイ人だったけれど、いつも子供たちのことばかり考えていて、自分は後回し。よく、私たちはそれで母を叱った。「自分の事を一番にしたら」と言って。でも、食べ物も着るものも自分は最後。亡くなってから形見わけの時、着物も装身具も質素なものばかりで、皆涙した。その母は、どちらかと言うと不細工な私がコンプレックスを持たないように、いつも私を可愛いと言ってくれた。たとえばこんな事。「そんな風に低い鼻は家庭に入ると、うまくいくんだよ」とか、「足が短くても、両方そろっているから幸せじゃない。長さが違っていなくて良かったね」こうしてみると、ずいぶんひどいこと言われていたのに、私はそれで妙に納得。いつも、可愛い顔をしていると言われたお陰で、幸せに育った。時々人の顔を見て、ぶしつけにも、変わった顔だとか、変だとか言う人がいる。本当ではあるけれど、ひどい。自分の顔を棚に上げて。それを聞いたら、母はそんな人のことを殺すかも。いいの、私は母が可愛いと言ってくれたのだから。 散歩の帰り道久しぶりに夫カラスに出会う。相変わらずつやつやで美しい。私を見ると鳴いて妻を呼ぶ。妻カラスも飛んできて、二羽でお見送り。母とカラスの社会では、私はクレオパトラか楊貴妃かだわよ。
2010年5月1日土曜日
雨中スキー
28日(水)朝目が覚めると、土砂降り。近くの駅まで自転車で行くつもりが、バスに変更。予定が15分も過ぎて、やっと、バスが到着。その頃にはじっとりと衣服は湿り気を帯び、髪も湿気と風のため、ザンバラ。なんとも情けない有様で、駅に着けば、電車も遅延。やっと、予定の山形新幹線のやまびこ号に間に合った。そのまま雨とともに、米沢に到着。そこからタクシーで、天元台ロープウエイ乗り場に行くと、強風のためスキー場のリフトが動かないと告げられた。スキー場到着。風も雨も強いが、リフトを止めるほどでもなさそう。でも、客がいないので、経費節約のためとめていたのだろう。頼み込んで、第一リフトだけ、動かしてもらうことになった。スキーヤーは殆ど私たちだけ。雨の中滑り始めると、水のお陰で思ったより滑りやすい。1時間ほど、今シーズン最初のスキーをびしょ濡れで終えた。というのも、この冬は膝の具合が悪く、歩くのもやっとだった。スキーは半ばあきらめていたのが、なんとか膝も治り、18歳からうん十年、一年も欠かさなかったスキーをすることが出来た。うれしい。夕飯は山形名物の芋煮。
29日(木)雨風、その上霧。時々晴れると思うと、ぱらぱらと雨が降り、とうとう、最悪の霧になる。
一面真っ白で、3メートルほどの視界。これは、恐ろしいので、しばらく小屋に避難したが、一向に晴れる気配もなく、ソロソロと下り始める。リフトの鉄柱沿いに行けば、何とかなりそうだが、人の姿もいきなり現れるので、恐い。大きなホテルが見えない。明かりも見えない。すぐそばまで行って漸く見つけられて、ほっとした。方向感覚も無くなるし、心細いこと。夕飯は米沢牛のすき焼き。たらふく食べてから麻雀が始まり、最初の半チャンでトップ、でも、正座のお陰で膝が痛くなり、他の人にチェンジする。いすだったら続けられるのに残念。
30日(金)晴天。昨日までの悪天候がうそのように晴れ上がり、山頂に行けば、圧雪したばかりの、カリカリの雪。キャタピラの縞目もうれしい。滑る滑る。人はまばらだし、スピードは出せるし、もう、最高。思いっきりすべりまくる。硬い雪ははじめ氷のよう。2度目は少し緩んで、ベストコンディション。3回目は少しゆるめ。4回目はもう少し・・と滑るたびに変わってゆく。6回目あたりで、この次はもう、緩みすぎると判断して、怪我をしないうちに中止。正解だったようで、次に行った人たちは、へとへとで帰ってきた。気温が高くなるにつれ、空も曇ってきた。かえり支度を始める。
メンバーはいつもの雪雀連。帰りの道中も遊びほうけるのが、毎度のこと。ロープウェイを下りたところで、温泉に入り、米沢駅近くの「蔵すし」で飲みふける。まいどながら、本当にあきれた人たちです。
29日(木)雨風、その上霧。時々晴れると思うと、ぱらぱらと雨が降り、とうとう、最悪の霧になる。
一面真っ白で、3メートルほどの視界。これは、恐ろしいので、しばらく小屋に避難したが、一向に晴れる気配もなく、ソロソロと下り始める。リフトの鉄柱沿いに行けば、何とかなりそうだが、人の姿もいきなり現れるので、恐い。大きなホテルが見えない。明かりも見えない。すぐそばまで行って漸く見つけられて、ほっとした。方向感覚も無くなるし、心細いこと。夕飯は米沢牛のすき焼き。たらふく食べてから麻雀が始まり、最初の半チャンでトップ、でも、正座のお陰で膝が痛くなり、他の人にチェンジする。いすだったら続けられるのに残念。
30日(金)晴天。昨日までの悪天候がうそのように晴れ上がり、山頂に行けば、圧雪したばかりの、カリカリの雪。キャタピラの縞目もうれしい。滑る滑る。人はまばらだし、スピードは出せるし、もう、最高。思いっきりすべりまくる。硬い雪ははじめ氷のよう。2度目は少し緩んで、ベストコンディション。3回目は少しゆるめ。4回目はもう少し・・と滑るたびに変わってゆく。6回目あたりで、この次はもう、緩みすぎると判断して、怪我をしないうちに中止。正解だったようで、次に行った人たちは、へとへとで帰ってきた。気温が高くなるにつれ、空も曇ってきた。かえり支度を始める。
メンバーはいつもの雪雀連。帰りの道中も遊びほうけるのが、毎度のこと。ロープウェイを下りたところで、温泉に入り、米沢駅近くの「蔵すし」で飲みふける。まいどながら、本当にあきれた人たちです。
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