2015年5月9日土曜日

MRIで昼寝

頭痛が続くので検査を受けることにした。
もう1ヶ月くらい軽ーい頭痛がして、治らない。
元々頭痛持ちではないから、この変化はなんなのか知りたい。
あまり危険ではなさそうだけど、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんも数年前に脳出血で倒れているし、最近もそういう人がいたので用心するに越したことはないと思う。

原因の一つに、1ヶ月余り前にピアノの蓋の角で、いやというほど左眉の上を打った。
ピアノの下にあるものをゴソゴソ探していて、立ち上がろうとした時に目から火花!
しばらく蹲っていて、その後打った場所を触ったら、大きなたんこぶが出来て居た。

コブが出来れば大丈夫とかなんとか、親から言われて子供の頃は信じていたけれど、今考えるとどうも怪しい。
コブが出来ると内出血していないなんて、どういう科学的な根拠があるのか。
それとも本当のことなのかしら。
原因として思い当たるのはそれだけ。
年と共に血管が弱くなって血液が上手く行き渡らないとか、そういうことなら納得がいくけれど、今までなかったことが現れるのはちょっと面白くはない。

それでも若い頃は偏頭痛があった。
この原因は非常に緊張してストレスが強かったせいで、年と共に自然に消えていった。
今は全く起こらない。

先日も書いたけれど、器械に入る前に入れ墨はないかと聞かれた。
アートメイクをしていると言ったら、強力な磁気を浴びるので、火傷のようになったり色が赤茶けることもあると言われた。
火傷はいやだけれど、色が落ちるくらいはかまわない。
落ちたら今度は、別のデザインで描いてもらう楽しみが増える。

音がひどいからと言ってヘッドフォンを渡される。
オルゴールの音が流れている。
そこに工事現場みたいなドリルのような音、ハンマーで叩くような音など、もの凄くうるさい。
オルゴールでかき消される様な音ではないから、それだけ余計。
どうして余計な音を入れるのか理解に苦しむ。
五月蠅いからオルゴールを切ってほしいと頼もうかと思ったけれど、他人様がせっかく親切心でやってくれているのだから、受け入れることにした。
耳は選択機能がついていて、喧噪の中でも必要な音を聞き取る能力がある。
喧しい機械音の中でオルゴールを聴き取ろうとすると、機械音が気にならなくなるとでも?
どちらにしても只でさえうるさいのに、その上オルゴール音などは聞きたくない。

こういう器械に入るとき、音と閉所恐怖とで耐えられないという人がいる。
現に私の友人にも、あれだけはダメなのと言うひとがいる。
なんでもそうだが、現象は受け入れてしまえばそれほど苦痛ではない。

はい、終りましたよ、お疲れ様でしたという技師の声がした。
確か20分かかるといわれたけれど、あれ、もう?
あのもの凄い音の中でも、ぐっすり眠っていたらしい。
横になって暗くなったら眠るというのは、私の反射的行動。
だから枕に頭をつけ電気を消せば眠ってしまう。
プラネタリウムでも、日が落ちるとぐっすり、夜明けがくると目が醒める。
今まで一回もちゃんと見た事は無いのが自慢?
他に自慢することがないからね。
ちなみに眉毛はまだ燃えていない。


























2015年5月8日金曜日

女性は元気

今朝、姉から電話。
庭に咲いたバラが綺麗だから見においでと言うので行ってみたら、今を盛りと咲き誇る色とりどりのバラたち。
この家にはノラ猫も集まるから、猫も見られるかも知れない。

猫を連れた店子さんが我が家の階上の貸部屋に来て、今日でまだ3日しか経っていない。
初めての土地で不安なのではないかと、バラ観のおさそいをしてみた。
引っ越しの片付けをしているだけでは、退屈ではなかろうかとの老婆心。
「バラを見にいきませんか」と声をかけると、誘いに乗ってきた。
店子さんを連れて行くと言ったら、姉がコーヒーを淹れておくからと待っていてくれた。

植物好きな姉の庭は、狭いのに沢山の草花や植木で溢れかえっていて、夏は蚊が出るので私はあまり行かない。
一番良いのは今の季節。
新緑とバラが咲き誇って、雑然としていても、すごく綺麗。
鬱蒼としているから森の中に居るみたいなのだ。
庭に続く上がりかまちに腰をかけて、コーヒーを飲みながらお喋りをした。

年齢は私たち世代とみたけれど、センスの良い身ぎれいな方で、全く物怖じしない。
食べる事が好きだと言うから、駅傍のイタリアンが美味しいと言ったら「ええ、そこはもう昨日行きました」
引っ越して何日目?と姉が笑い転げていた。

「私はそのお店を知らないわ」と姉が言うと「今度ぜひ」と話しが盛り上がる。
私だって先日、友人達が我が家の最寄り駅に押しかけてくるというから、あわててネットで調べて初めて知ったのに。
たった二日でこの情報通。
これが高齢男性だったら、こんなに早く周囲に溶け込めないのではと思った。
女性・・特に中年以後の女性はパワフルで、テリトリー意識がないから周囲にすぐ馴染む。
これ長寿の秘訣。
ちょっとお喋りをして、お互いに長居をせずにあっさりとお開き。

うちの駐車場にテーブルとイスを置いて、お茶したら楽しいなどと提案してくる。
以前はよくやっていた。
お茶ではなくてビールなど。
全く知らない人が引っかかって、その後挨拶する仲になった。
近所付き合いも最近はあまりしなくなったから、そんなことから又楽しみが増えるかも知れない。

随分前だけれど、ウイーンで路面電車待ちをしていた時のこと。
美術館に行くにはどの線に乗ったら良いのかわからず迷っていたら、語学留学で滞在しているという若い女性に話しかけられた。
「どこへいらっしゃいますか?」
教えてくれるのかと思って「美術館へ行きたい」と答えると、自分も一緒に行っても良いかと訊いてきた。
「勿論いいですよ、でもどの行き先にのればいいの?」と言うとわからないと言う。
語学留学に来ているのだから彼女が訊けば良いのに、結局私が売店のおねえさんに訊ねに行った。
こんな時は語学を身につける絶好のチャンスなのに。
ウイーンに来て何ヶ月にもなるのに、どこへも行っていないと聞いて呆れた。
一緒に行った友人と「私たちだったら1週間もあったら、ウイーン中を歩くわよねえ」と悪口を言った。
うちの店子さんだったら3日で制覇かな。



























2015年5月7日木曜日

隠匿ブランデー

夏みかんが手に入ったのでと、夏みかんピールを作って持ってきてくれたお料理上手の生徒。
「こんな事ばかりしていて練習しないから、だからダメなんです」と、まさに私の口から出そうになった文句を先取りされてしまった。
「これは甘いけどお酒にも合います」と言うから「どういうお酒?」と訊ねると、「ブランデーとか」
急に思い出した。
すごく上等なお酒が隠してあったことを。
今まで見た事も無いような豪華な瓶に入っていて、さぞや高価な物と思われるが、勿論頂き物。
こんなお酒はとても手が出ない。

下さった方は競争馬を2頭飼っていて、その費用が年間2千万円かかるそうなのだ。
2千万って、馬にそれだけかけられるなら、飼い主様の生活はそれ以上ってこと?
想像もつかないけれど、世の中にはお金持ちがゴロゴロいるものだ。
私も競走馬以下の生活から脱却したい。

金銭欲、物欲共にあまり持ち合わせてはいないけれど、もう少し上手く世渡りをすれば、もう少しマシな生活になったかな?
性格上全くそのチャンスはなさそうで、それでも安穏として人生過ごせる事に満足しないと。

ところで、件のブランデーの所在が思い出せない。
うちは狭いけれど整理整頓がまったくなっていないので、1年ほど前にチラッとブラ様にお目にかかって、忘れないようにとどこかにしまったまでは覚えている。
その後の記憶が定かで無い。
おやおや、せっかくの上等なブランデーは日の目を見ないで、このまま眠りに就いてしまうかもしれない。

なんでも宝の持ち腐れ。
宝と言うほどの物はもっていないけど、私の宝は小汚い猫2匹。
たまさぶろうが居なくなったら、今まで遠慮していた2匹が元気を取り戻した。
たまさぶろうは私には甘えん坊だったけれど、さすがに男だから専横的だった。
特にモヤは私のお気に入りだったのが、たまの気に障っていた。
とりたてていじめるわけでは無いけれど、なんとなく「あっち行け」みたいな風で、モヤは真冬の寒い日に私の布団に入ってくることもかなわず、独りぼっちで猫ベッドで寝て居た。

このしょうもない宝はさておいて馬主さんからは、柄に七宝で馬の顔がはめ込まれている銀のスプーンとフォークのセットも頂いた。
私との関係はと言えば、海外ツアーで一緒に旅行したと言うだけで。
そんな希薄なご縁だったけれど、私が馬好きと言うのが嬉しかったのかも知れない。
厳密に言えば馬主さんは、その方のご主人。

勿体なくて飲めなかったブランデーもそろそろ口を開けないと、それこそ宝の持ち腐れ。
家捜しが大変!考えるだけで疲れる。

さっきふと思った。
最近海外旅行にここ暫く行っていない。
ブランデー捜すのは面倒だから、海外逃亡したい。
とまあ、何でも遊びの口実になりますね。






















2015年5月6日水曜日

巨匠ギトリス

イヴリー・ギトリス リサイタル
紀尾井ホール

御年軽く90才を越えてなお、矍鑠として演奏を続ける驚異的なヴァイオリニスト。
普通ヴァイオリニストの演奏寿命は長くはない。
まず聴力の問題、自分で音程と音色を作るのだから耳が悪くなったらそこでお終い。
姿勢の問題、しっかりと姿勢が保てなくなったら、音は出なくなる。
そして指の形が変わってしまうと音程が取り辛い上に、狭い弦の間隔が災いして場所が定まらなくなる。
0コンマ何ミリ単位の動きが要求される・・・例えば左手の指をちょっと立てるか寝かせるかで音程も音色も変わってしまう。
関節の柔らかさを特に要求される楽器だから、硬くなるとボウイングに影響は勿論、ビブラートがかけにくくなり音色が硬くなる等々。
それで皆段々演奏から遠ざかってしまう。

なにがギトリス氏を演奏長寿者としているかというと、そのたぐいまれな自由さ。
小鳥の様に自由で枠にはまらない。
たぶん心も本当に自由で、純真でとらわれないのだと思う。
それはメチャクチャという意味ではなく、決められた空間を伸び伸びと浮遊しているように見える(聞こえる)
心の自由さが体の柔らかさにもつながって・・たぶんこれは相互効果だと思うけれど・・今でも現役で世界を飛び回っている。

演奏スタイルはやはり今の人達から見れば旧い。
今、世界的な傾向は端正で正確なことが要求される。
きちんと纏められているから、誰が弾いてもアカデミックで特徴がない。
ギトリスはいわゆる巨匠スタイル、ハイフェッツ、ティボー、クライスラーなどに近い。
だからクライスラーの曲を弾くと、独特な得も言われない味わいがある。
極上のブランデーに最高級のチョコレートを同時に味わったような気がする。

ピアニストに腕を借りて、背中が曲がったコッペリウスみたいな頭髪で現れた彼は、お顔を見れば鋭く、口を開けばユーモアに溢れ、時々話しをしながら自宅の居間でくつろいで居るかのように淡々と弾く。
最高だったのは彼のビブラート。
左手の柔軟さが年齢によって少しも損なわれていないことに驚いた。
往年の音は失われているのかと思ったけれど、まだまだ。
随所に輝きと艶のある音色、そしてしみじみと心の奥まで入り込む歌い回し。
懐かしく美しきよき時代の名残を見せて、聴衆の心を奪った。

万雷の拍手が止まない。
誰もが席を立てずに涙した。

曲目は
モーツァルト「ソナタ」ホ短調
ブラームス「ソナタ」3番ニ短調
ピアニストのソロで
モーツァルト「幻想曲」ハ短調K.475
この後は小品をいくつか
お話をしながら気分に任せて弾いていく。
クライスラー「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」「シンコペーション」
ベートーヴェン「ソナタ春」よりスケルツオ 
マスネー「瞑想曲」日本の「浜辺の歌」など。

最後にピアニストにも拍手!
素晴らしかった。














2015年5月5日火曜日

カヤレイ氏によるマスタークラス

スイスのカヤレイヴァイオリンアカデミーの日本支部は、音楽教室「ルフォスタ」のヴァイオリン講師細野京子さんが支部長として、毎年5月に講習会を行っている。

細野さんはスイスでカヤレイ先生に師事、その優れた教授法を日本にも広めたいというので奮闘。
最初は生徒が集まるかしらと不安そうにしていたけれど、最近は優秀な生徒がこの講習を受けるようになって、しっかりと根付いてきたようだ。

毎年聴きに行くけれど、まあ、日本の音大生達の上手いこと!
すごく達者に弾く。
けれど、何かが足りない。
すごく良く練習をして指も回る、弓さばきもきれい。
それでもいつも思うのは、自分の意志があるのかしら?
ここをこう弾きたいという意志が感じられない。
優等生であるほど、先生のおっしゃるとおり。
先生の言うとおり弾ければ点数も上がる。
それで学校卒業して先生がいなくなると、いつまでも学生時代の弾き方をするしかない。
むしろ学生時代少しはみ出ていた人の方が、社会に出てから役に立つ。
これはどの社会でも同じ。

カヤレイ先生はそんな講習生達に、熱意をもって当たる。
みるみる内に弾き方が変わって、血が通い脈が戻るような音楽になるのが素晴らしい。

私の教え方はどちらかというと冷たい。
レッスンの間に言うべきことは言うけど、それを実行するのは貴方しだいよ、とつっぱねる。
しかし、カヤレイ先生はとことん生徒が変わるまでネバリ強く、何回でも繰り返し弾かせる。
良い先生というのはこうあるべきかと思う。

今日は3人の受講生が来て何れ劣らず優秀ではあったけれど、それでも先生がお手本で演奏するとその違いに愕然とする。
音の本質が違うようだ。
最後に弾いた女性は素晴らしく、自分の世界をしっかり持っていて、先生もご満悦だった。
内面から求める音が技術を超えて、弓をどう使うなどというレベルではなく、しっかりと自分の求める音が分かっている、そんな感じだった。

教師は外側からサポートするだけで、本当のところは生徒自身の要求がないとどう説明しても、良い音は出ない。
それでも四苦八苦してわかる様に説明したり弾いて聴かせたり。
何事もそうだけど、求める気持ちが大事。
だから良い演奏を沢山聴いて、自分の中に理想の音を持たないといけない。
それもCDなどでなく、生音を聴くのが大切になる。
会場に響く音は録音の音とは別物だから。

毎年カヤレイ先生の講習会を聴かせてもらっているけれど、反省を籠めて我が身を振り返っている。
















2015年5月4日月曜日

頭痛

若い頃は緊張性の偏頭痛がひどかったけれど、その後殆ど頭痛というものを忘れていた。
ところがここひと月ばかり、ずっと頭痛が続いているので病院に行ってみた。
最近も脳出血で倒れた人の話を聞いていたから、もしやと思う。

去年人間ドックで脳のMRI検査をした時は、なにも見付からなかった。
少しは脳が縮んでいるかと思っていたけれど、全然萎縮もみられない。
変だな、それなのにこのもの忘れのひどさはなぜ?

結局、MRI検査を受けることになった。
検査の注意事項を看護士から受けた。
当日金気のものは御法度。
「体に入れ墨はありませんね?例えば眉毛を入れているとか」
眉毛はファインメークで描いているからそのことを告げると、ものすごく心配そうに、それこそ眉をしかめられた。
私の眉をじっと見て、あまりに自然な感じなので半分疑っているようだった。
この眉を描いた人はとても上手で、私のボサボサ眉の感じを残しつつ、見苦しくない程度に整えてくれた。
いかにも描いてますという感じではないので、人には気づかれない。
去年の検査の時にもそのことを言って恐る恐る器械に入ったけれど、何のことはなかったから、その旨を告げると疑わしそうにカルテを見て「前にも検査していますね。では大丈夫でしょう」と言う。

こんな細い眉毛だけでも大騒ぎするなら、背中中入れ墨を入れている人は気の毒に、検査が受けられないのか。
本人の意志で入れるのだから気の毒という事はないけれど、それのお陰で大病になってもMRI検査は出来ない。

川崎駅近くのゴミ焼却場に温水プールがあって、他のプールがお休みの時には時々泳ぎに行っていた。
あるときプールに入っていくと、妙に人の群れにムラがある。
よく見ると、背中中牡丹の模様の粋なおねえさんがいた。
そのまわりだけ何となく遠巻きみたいになっている。
しかし、プールの職員はこんな背中の人をよく入れたものだ。
バスタオルかなにかで隠して入ったのか、脅して入ったのか知らないけれど、堂々と背中見せているのに退去させられないところを見ると、お知り合い?
今は色々な形の水着があって、露出の少ない水着なら首まで隠れる。
それを着ればなんの問題も無いのに、こうやって平気で背中を出すということは、日常的に通って来ているのかも知れない。
さすが川崎!と妙に感心した。

頭痛は毎日続いている。
泳ぎに行けば治るかしら。
あまり暑いので久しぶりに游ぎたくなってきた。















2015年5月3日日曜日

別荘

生徒がレッスンを受けに来た。
大きなトランクと膨らんだバッグに、ヴァイオリンを背負って、いかにも休日モード。
今日これから別荘に行くらしい。

こんな楽しい日に、なにも私にグチグチ言われに来なくてもいいのにと思う。
別荘を持たない身としては大層羨ましい。
ただ、私は極めつけの無精者で、もし別荘を持てたとしても荒れ放題にしてしまうと思うから、友人達の別荘を渡り歩かせてもらうほうが分相応。

いまや軽井沢に2軒、清里に1軒、泊めてもらえる家がある。
だからなにも苦労はしないで、別荘生活を満喫できるのだ。

もう20年程前乗馬に夢中だったとき、山を一つ買って木曽駒を飼おうという計画を立てた。
木曽駒は丈夫で賢い、足が強く山路を登っても疲れない。
側対歩という歩き方で、サラブレッドの様に揺れが大きくないので、乗りやすい。
それでなるべく近場で地価が安く、人の少ない場所を狙って、栃木県、群馬県、茨城県などを探し歩いた。
あるとき東北自動車道で仙台からの帰り道、あまりの渋滞に飽き飽きして常磐道に進路を変えた。
途中の一般道で、とても雰囲気の良い場所を見つけた。
こんな所に住みたいなあと思って、それから間もなくその辺を探索してみた。
そこは栃木県の馬頭町、名前も気に入った。

その前に東北の方も探していたけれど、やはり少し遠すぎるのと、人が良いと思っていた東北の人が狡猾で、かなり足元を見られたのがショックでやめてしまった。
休耕地で荒れ果てているような所の値段が高すぎたり、水が出やすかったり、良いと思うとお墓があったりで、これと言って適当な所が見付からない。
東北には親戚がいて、平、浪江などの辺りに住んでいた。
原発のそばに散歩に行ったこともある。
その後の大震災で、亡くなった人はいないけれど、今は分散してしまった。
あの辺で気に入った土地を見つけていたら、私と私の馬が被災したかもしれない。

馬頭町を何回も訪れて、かなり気に入った土地が見付かったのでそこに決めるつもりでいたけれど、姉やその家族と見に行ったとき、私と姉以外は皆乗り気でない。
緩やかな傾斜地で眼下に那珂川が見える、ロケーションは抜群だけれど、狭い山道を車でかなり上る。
それに傾斜地だと言うので反対された。
傾斜地はむしろ広く使えるし、面白い建物が出来ると思ったのに。
それでもう一回、今度は家族でなく友人にお願いして同行してもらった。
町に入って、不動産屋に電話をしても出ない。
約束してあったのに、何回もかけても出ない。

途中の山道で会った人に道を訊ねると、もう、呆れるばかりのスローリズムで、地図を見せてもボンヤリとしていて、今ここが地図上のどこであるかも分からないらしい。
私がその内切れると思った友人が後ろで「怒っちゃダメよ」と何回もささやく。
場所は大体分かっているから車を走らせてみても、同じような山路でどうしても到着しない。
その頃はカーナビも持っていなかったし。
それでしおしおと帰って来たけれど、次の日不動産屋に電話すると、子供の運動会だったので出かけていましたと言う。
そこでプッツンと何かが切れて、そこはご縁がなかったものと諦めた。
馬を飼う計画も頓挫して残念!

ところがその数年後新しい美術館が出来て、そこで我が「雪雀連」の絵本作家、田畑精一さんの絵本の原画展が開かれたので見に行くと・・・なんと、景色に見覚えが。
紛れもなくそこは私の土地(になるはずだった)ではないか。
こんな良いところだったのだと、歯ぎしりをした。

その後、私は仕事に追われ、考えてみれば馬を飼えるほどヒマではなく、結局これはこれで正解だったと思う。
もし馬を飼っていたら仕事は出来なかった。
うまくしたものだ。とダジャレで締めくくり。