毎年忘年会とコンサートを兼ねた「雪雀連」のイベントがある。
去年までは門前仲町の小さなホールを借りてやっていたけれど、今年はその近所の美味しい焼き鳥屋さんが引っ越してしまったので、河岸を変えようということになった。
このことでもわかるように、焼き鳥屋によってコンサート会場が決まるのだ。
去年はその焼き鳥屋さんが引っ越したことをしらないで、コンサート後の宴会をそこですることになっていた。
当日世話役の青ちゃんが文字通り青くなった。
「おい、あの店なくなっちゃったよ。どうするこの後」
知らないよ、大体当日営業しているかしていないか確かめたらどうなのよ。
結構な人数になるのにお店に予約も入れず、もしほかの宴会が入っていたらと、考えなかったのかしら。
ことほど左様に、いい加減なのが「雪雀連」の伝統。
しかたがないから、近くの飲み屋に会場は変更になったけれど、そこは悲惨なくらいまずくて、今年は焼き鳥屋のおかげで会場変更となった。
いろいろネットで物色、渋谷付近でここならというところを見つけて下見に行くことになった。
下見と言うのは飲み会の体の良い口実で、ネットの情報から中々よさそうだからほとんど決定ということになっていたのだが・・・
また青ちゃんから電話が。
今日見せてもらいに行く約束をしていたのに突然時間を変更してきた上に、いろいろ話していたら使用料がどんどん上がっていったという。
「だめだ、あれは、どこかいいところはないかね」
話しているうちに、それではnekotama家を貸しましょうということになった。
我が家は演奏者が入ってしまうと、お客さんがゆっくりできるスペースはトイレくらいしかない。
以前、酔っ払いがパソコンに寄りかかって私から激怒されたことがあったくらい、スペース的には貧弱。
ただ、時間の制約や食べ物飲み物に不自由はない。
いつものお花見に、演奏がつくというだけ。
うちは階上に店子さんが入っているから野放図に騒げないけれど、その店子さんを引きずり込んでしまえば何の問題もなくなる。
お花見の時にはお料理じょうずな店子さんが一品差し入れてくれた。
青ちゃんが、その店子さんが美しいと言っていたから、目の保養をさせてあげられるし。
それはいつも私たちと付き合っていれば、ほかの女性はみんなきれいに見えるというもの。
そんなわけで、今年の忘年会は我が家でということになった。
いつか落語家を呼んで落語会を催したいと思っているのだけれど、なんせ部屋が狭すぎる。
採算が合わないから真打なんて呼ぶのは夢のまた夢。
二つ目だってどうだか。
なんなら前座見習い、それも無理なら大学の落研。
それもダメなら私が「孝行糖」の飴屋の口上くらいはできる。
孝行糖の口上を「ちんねん」こと作曲家の故近衛氏の前で演じたら「女にしておくのはもったいない」と言われた。
なぜ口上ができると女にしておくには云々になるのか意味不明だったけれど。
会場が決まったお祝いをしようと会長の山田氏が言い出した。
口実はなんでもいいので、5人ほど集まってビヤホールのライオンで祝杯?を上げた。
会長は間もなく米寿を迎えるというのに、えらく元気で、私たちの中で一番元気に見える。
青ちゃんが会長に向かってしみじみと言う。
「僕はあなたに会って、本当に楽しい人生だった」
本当に私たち全員、楽しませてもらった。
会長は遊びの計画から実行まで、疲れを知らない行動力で皆を引っ張ってきた。
記憶力や好奇心は若者以上。
スキーの達人。
日本の調律会の大御所として優れた裏方さんに贈られる、日生バックステージ賞の受賞者でもある。
12月末我が家のレッスン室は阿鼻叫喚の坩堝となり、奇怪な音がご近所に鳴り響くかもしれない。
本当のところ、音は外部には漏れないけれど、居住者には一時的に避難してもらうか又は坩堝の中に入ってしまうか、これから選択を迫ろうと思っている。
さて、大騒ぎの前に静けさをもとめて北軽井沢に行ってまいります。
森の中で静かにしている自分と、大騒ぎしている自分と、はて、どちらが本当の自分なのか・・・抱かれている俺はだれ?抱いている俺はだれなんだろう?わかります?これ。
おわかりなら落語研究賞を贈ります。
2016年10月15日土曜日
2016年10月13日木曜日
森からのお誘い
今年ほど雨が続いた夏を私は知らない。
秋になっても毎日雨続き。
やっとここ数日青空が見えた。
夏のコンサートの後もいくつかの本番をこなして、思いのほか疲れていることに気が付いた。
もう若くはない。
疲労がズシリと体の底に溜まっている。
見た目は小柄で若造りだから、帽子を目深にかぶって顔を隠せば年はごまかせる。
体型でばれるかも、う~ん。
顔を隠して背筋を伸ばし、しゃきしゃきと歩けばなんとか年齢詐称もできるけれど、内部から来る相応の経年劣化には対抗できるわけではない。
ひどいのは脳の中がぐちゃぐちゃ。
疲れて、そろそろ森が恋しくなって来たら、北軽井沢へのお誘いの電話。
今年も八ヶ岳音楽祭に出演する気でいたけれど、この春、音楽監督からの出演依頼に、なにか気がのらずお断りしてしまった。
とてもありがたいけれど、もうオーケストラで弾く気にはなれない。
あまりにも人が溢れ音が溢れ、なにかしんどい。
しかも目が悪くなって楽譜が見えない恐怖と戦うのは、もうたくさん。
八ヶ岳で演奏した後で北軽井沢に回るというのが、ここ数年のパターンだった。
北軽からもみんなで聴きにきてくれた。
今年は私が出ないので、聴きに行くのは中止になった。
あれほど好きだったオーケストラがこんなに気持ちの負担になるとは、夢にも思ったことがなかった。
たぶん今まで好きだった人に醒め始めると、こんな気持ちなんだろうなと想像する。
少し病んでいるようだから、森の木々に癒されてこよう。
土曜日に出発、しばらくはヴァイオリンを弾いて美味しいものをいただいて、ぼんやり森を眺めてくるつもり。
私の居候先は人形作家のノンちゃんの家。
紅葉の季節にはカラマツの葉が夕日に輝いて、ハラハラとおちる。
そのきれいなことといったら、夢の中にいるような。
お隣さんの高級レストラン顔負けの料理をいただいて、お酒を飲み長細いカラマツの葉の降るのを眺め、静かな時を過ごす。
いつもは賑やかな話題満載の食卓が、この時には皆無口になる。
若いころには味わえなかった、至福の時。
歳をとるのも悪くはない。
先日の北軽井沢のコンサートの前夜祭で、お隣さんが美味しいローストビーフをごちそうしてくれた。
有名レストランも顔負けの、素晴らしさに皆おどろいた。
今日は何を食べようかと冷蔵庫をあさっていたら、ビーフの塊が出てきたのでそのことを思い出した。
そこで私も作ってみようと思い立った。
お隣さんのようにはとても出来ないけれど、追分に別荘のあるヴィオリストのKさんが作ってくれた、焼かないローストビーフなら私にも出来るかも。
それがとても美味しかったので、真似してみよう。
まずフライパンで肉の表面を焼く。
全体に焼き色が着いたらフライパンから取り出して、ジップロックのビニール袋に入れ、熱いお湯を張った鍋へ放り込む。
沸騰しない温度だから煮るわけではない。
そしてしばらくお湯につけて出来上がり。
このやり方を聞いたときには、すごい!と思った。
彼女のローストビーフは中がほんのりピンクで、とても美味しかった。
同じようにできるかな?
なにごともいい加減な私のことだから、鼻歌交じりにお肉の表面を焼いてからお湯に放り込む。
Kさんはお湯の温度は何度で何十分とか言っていたけれど、もとよりそんなことは覚えてはいない。
時々熱いお湯をつぎ足す。
その後は、お湯に浸けたことすら忘れてしまった。
これがよかったらしい。
出来上がったロースト(?)ビーフは中がほのかにピンクでとても柔らかく美味しくできた。
偶然に出来上がったので2度と同じものは作れない。
お隣さんがこれを聞いたら、ホントにいい加減なんだから!と叱られそう。
頭の出来が違うのだから、許してほしい。
さっきノンちゃんから電話があって、今年はまだ紅葉していないとの悲しいお知らせ。
雨が多すぎたからね。
11月初めに東北に行くので、そこに期待しよう。
とても寒いというから、暖炉でまきを燃やすのが楽しみ。
秋になっても毎日雨続き。
やっとここ数日青空が見えた。
夏のコンサートの後もいくつかの本番をこなして、思いのほか疲れていることに気が付いた。
もう若くはない。
疲労がズシリと体の底に溜まっている。
見た目は小柄で若造りだから、帽子を目深にかぶって顔を隠せば年はごまかせる。
体型でばれるかも、う~ん。
顔を隠して背筋を伸ばし、しゃきしゃきと歩けばなんとか年齢詐称もできるけれど、内部から来る相応の経年劣化には対抗できるわけではない。
ひどいのは脳の中がぐちゃぐちゃ。
疲れて、そろそろ森が恋しくなって来たら、北軽井沢へのお誘いの電話。
今年も八ヶ岳音楽祭に出演する気でいたけれど、この春、音楽監督からの出演依頼に、なにか気がのらずお断りしてしまった。
とてもありがたいけれど、もうオーケストラで弾く気にはなれない。
あまりにも人が溢れ音が溢れ、なにかしんどい。
しかも目が悪くなって楽譜が見えない恐怖と戦うのは、もうたくさん。
八ヶ岳で演奏した後で北軽井沢に回るというのが、ここ数年のパターンだった。
北軽からもみんなで聴きにきてくれた。
今年は私が出ないので、聴きに行くのは中止になった。
あれほど好きだったオーケストラがこんなに気持ちの負担になるとは、夢にも思ったことがなかった。
たぶん今まで好きだった人に醒め始めると、こんな気持ちなんだろうなと想像する。
少し病んでいるようだから、森の木々に癒されてこよう。
土曜日に出発、しばらくはヴァイオリンを弾いて美味しいものをいただいて、ぼんやり森を眺めてくるつもり。
私の居候先は人形作家のノンちゃんの家。
紅葉の季節にはカラマツの葉が夕日に輝いて、ハラハラとおちる。
そのきれいなことといったら、夢の中にいるような。
お隣さんの高級レストラン顔負けの料理をいただいて、お酒を飲み長細いカラマツの葉の降るのを眺め、静かな時を過ごす。
いつもは賑やかな話題満載の食卓が、この時には皆無口になる。
若いころには味わえなかった、至福の時。
歳をとるのも悪くはない。
先日の北軽井沢のコンサートの前夜祭で、お隣さんが美味しいローストビーフをごちそうしてくれた。
有名レストランも顔負けの、素晴らしさに皆おどろいた。
今日は何を食べようかと冷蔵庫をあさっていたら、ビーフの塊が出てきたのでそのことを思い出した。
そこで私も作ってみようと思い立った。
お隣さんのようにはとても出来ないけれど、追分に別荘のあるヴィオリストのKさんが作ってくれた、焼かないローストビーフなら私にも出来るかも。
それがとても美味しかったので、真似してみよう。
まずフライパンで肉の表面を焼く。
全体に焼き色が着いたらフライパンから取り出して、ジップロックのビニール袋に入れ、熱いお湯を張った鍋へ放り込む。
沸騰しない温度だから煮るわけではない。
そしてしばらくお湯につけて出来上がり。
このやり方を聞いたときには、すごい!と思った。
彼女のローストビーフは中がほんのりピンクで、とても美味しかった。
同じようにできるかな?
なにごともいい加減な私のことだから、鼻歌交じりにお肉の表面を焼いてからお湯に放り込む。
Kさんはお湯の温度は何度で何十分とか言っていたけれど、もとよりそんなことは覚えてはいない。
時々熱いお湯をつぎ足す。
その後は、お湯に浸けたことすら忘れてしまった。
これがよかったらしい。
出来上がったロースト(?)ビーフは中がほのかにピンクでとても柔らかく美味しくできた。
偶然に出来上がったので2度と同じものは作れない。
お隣さんがこれを聞いたら、ホントにいい加減なんだから!と叱られそう。
頭の出来が違うのだから、許してほしい。
さっきノンちゃんから電話があって、今年はまだ紅葉していないとの悲しいお知らせ。
雨が多すぎたからね。
11月初めに東北に行くので、そこに期待しよう。
とても寒いというから、暖炉でまきを燃やすのが楽しみ。
2016年10月12日水曜日
発音だけ
中学校で始めた英語にはまったく興味がなかったので、本当に勉強しなかった。
担当の教師が嫌いだったせいもある。
ところが海外旅行に行くようになってから、ひどく後悔した。
やっておけばよかった。
仕事はずっと忙しかったけれど、若い時にはエネルギーがあるから英会話を始めようなんてことに。
英会話教室に行って初めての面接。
書いてある絵を見て英語で状況を説明せよ。
普通の人だと恥ずかしがって言えないと思うけれど、私は習いに来たのだからできなくて当然、なにも分からないから外国人教師に尋ねながら、なにがなんでもしゃべっていた。
すると裏から大笑いしながら飛び出してきた教師が二人。
「あなたホントに良くしゃべるね。でもすごくブロークン。大丈夫、あなたはすぐうまくなるよ。アッハッハ」と。
3人の教師がお墨付きをくれたけれど、結局その時以上にうまくはならなかった。
中学時代にちゃんとやっておけば殆ど苦労はしなかったと思う。
今となってはもう手遅れ。
その私が急にハリー・ポッターを読み始めたのだから、自分でもびっくり。
そして読み進めていくうちに、以前よりはずっと読めるようになったけれど、相変わらず単語が覚えられない
若いころに覚えた単語は比較的思い出せるのに、最近初めてお目にかかる単語は、ほとんどその場で忘れてしまう。
やはり若いころの勉強がものを言う。
私の先生のルースさんは、ほめ上手。
どんなに悪戦苦闘しても、いつも最後にほめてくれる。
最上級のほめ言葉で。
それでも発音に関してのみ。
どこの英会話教室に行っても発音だけは褒められる。
以前カルチャーセンターで習っていた変人でおかまチックなアメリカ人が帰国する時、めずらしくしんみりと言った。
「あなたの発音はとても良い」
これに気を良くしたかと言うとそんなことはない。
お腹の中で私はつぶやく。
「だけど、しゃべれないもん」
先日、ルースさんからしみじみと言われたのは「そんなにうまく発音できるのに、どうして話せないの?」
私は音楽家だから、音の響きをどうすれば出せるかは専門家。
だけどその響きがなにを意味するのか、どうやって組み立てれば文章になるのかがわかるわけではない。
私が英語を読むとき、まるで楽譜を読むように自然に発音することができる。
あ、楽譜を読むのと同じだ。
最近自分で気が付いたのがそのこと。
これだけ長い間本を読んでいるのに、少しも会話は上達しない。
しかし本当にハリー・ポッターは面白い。
中学の時にこの本が教科書だったなら、私は一生懸命勉強したに違いない。
これはペンです、私の名前はnekotamaです、なんてくっそ(失礼)面白くもない。
なんで教科書をあんなにつまらなくして勉学意欲を削ぐのか、わからない。
先はどうなっているのかしらとワクワクしながら読めば、どんどん上達するはず。
大学の第二外国語はイタリア語を履修したけれど、初めから物語を読まされた。
自分でも信じられないほど立派に翻訳した教科書が残っている。
へえ!本当にこれを私が?
まぎれもない自分の字。
こんなことを言うから、イタリア旅行に行くときに皆から私はイタリア語が話せると思われてしまったのだ。
イタリアに着いてから、私がまったくイタリア語を話せないことを悟った3人の友人たちは大パニック。
だから言ったでしょう、しゃべれないって、あれほど言ったのに。
謙遜していると思われたらしい。
4人でひっくり返って涙を流して、笑った笑った。
いったいこれからどうすればいいの?・・・と言いながら、素晴らしく楽しいイタリア旅行を満喫してきた。
だから会話ができなくてもなんとかなるもの。
担当の教師が嫌いだったせいもある。
ところが海外旅行に行くようになってから、ひどく後悔した。
やっておけばよかった。
仕事はずっと忙しかったけれど、若い時にはエネルギーがあるから英会話を始めようなんてことに。
英会話教室に行って初めての面接。
書いてある絵を見て英語で状況を説明せよ。
普通の人だと恥ずかしがって言えないと思うけれど、私は習いに来たのだからできなくて当然、なにも分からないから外国人教師に尋ねながら、なにがなんでもしゃべっていた。
すると裏から大笑いしながら飛び出してきた教師が二人。
「あなたホントに良くしゃべるね。でもすごくブロークン。大丈夫、あなたはすぐうまくなるよ。アッハッハ」と。
3人の教師がお墨付きをくれたけれど、結局その時以上にうまくはならなかった。
中学時代にちゃんとやっておけば殆ど苦労はしなかったと思う。
今となってはもう手遅れ。
その私が急にハリー・ポッターを読み始めたのだから、自分でもびっくり。
そして読み進めていくうちに、以前よりはずっと読めるようになったけれど、相変わらず単語が覚えられない
若いころに覚えた単語は比較的思い出せるのに、最近初めてお目にかかる単語は、ほとんどその場で忘れてしまう。
やはり若いころの勉強がものを言う。
私の先生のルースさんは、ほめ上手。
どんなに悪戦苦闘しても、いつも最後にほめてくれる。
最上級のほめ言葉で。
それでも発音に関してのみ。
どこの英会話教室に行っても発音だけは褒められる。
以前カルチャーセンターで習っていた変人でおかまチックなアメリカ人が帰国する時、めずらしくしんみりと言った。
「あなたの発音はとても良い」
これに気を良くしたかと言うとそんなことはない。
お腹の中で私はつぶやく。
「だけど、しゃべれないもん」
先日、ルースさんからしみじみと言われたのは「そんなにうまく発音できるのに、どうして話せないの?」
私は音楽家だから、音の響きをどうすれば出せるかは専門家。
だけどその響きがなにを意味するのか、どうやって組み立てれば文章になるのかがわかるわけではない。
私が英語を読むとき、まるで楽譜を読むように自然に発音することができる。
あ、楽譜を読むのと同じだ。
最近自分で気が付いたのがそのこと。
これだけ長い間本を読んでいるのに、少しも会話は上達しない。
しかし本当にハリー・ポッターは面白い。
中学の時にこの本が教科書だったなら、私は一生懸命勉強したに違いない。
これはペンです、私の名前はnekotamaです、なんてくっそ(失礼)面白くもない。
なんで教科書をあんなにつまらなくして勉学意欲を削ぐのか、わからない。
先はどうなっているのかしらとワクワクしながら読めば、どんどん上達するはず。
大学の第二外国語はイタリア語を履修したけれど、初めから物語を読まされた。
自分でも信じられないほど立派に翻訳した教科書が残っている。
へえ!本当にこれを私が?
まぎれもない自分の字。
こんなことを言うから、イタリア旅行に行くときに皆から私はイタリア語が話せると思われてしまったのだ。
イタリアに着いてから、私がまったくイタリア語を話せないことを悟った3人の友人たちは大パニック。
だから言ったでしょう、しゃべれないって、あれほど言ったのに。
謙遜していると思われたらしい。
4人でひっくり返って涙を流して、笑った笑った。
いったいこれからどうすればいいの?・・・と言いながら、素晴らしく楽しいイタリア旅行を満喫してきた。
だから会話ができなくてもなんとかなるもの。
2016年10月11日火曜日
匂い
今朝のニュースで、特急列車内で他人の靴を盗んだ男性が逮捕されたと報じていた。
夜中、乗客が寝静まったころ、通路側に寝ていた女性の靴を片方盗んだ疑いだという。
眠っていたとはいえ、スニーカーを脱がされてよく目がさめなかったものだと、半ば感心した。
もし途中で目が覚めたら、ギャーッと声を上げてしまって大騒ぎになったと思うから、せめて目が覚めなかったことが幸運だったとおもわないといけないかもしれない。
想像するだにおぞましい。
しかし、他人の靴を盗んでなにが面白いのかと思うけれど、世の中には様々な癖の人がいて、靴のにおいフェチはさほど珍しくはないのかもしれない。
以前男性が男性の靴を盗んで、匂いを楽しんでいたという報道もあった。
テレビで見たけれど、盗まれた大量の男性の靴が並んでいた。
これなんかはなおさら訳がわからない。
女性の匂いではなく同性の匂いとは・・・
どちらにしても、吐き気がするほどの嫌な性癖。
それなら自分の匂いを嗅げばいいじゃないと思うけれど、自分のでは満足できないのですかね。
私は嗅覚障害があって匂いには強くないけれど、人工的な匂いは大嫌い。
動物の匂いが苦手な人がいるけれど、それは大丈夫。
というより、猫の個体差がわかるくらいに敏感。
空気や地面、草の匂いなど、季節によって変わる匂いも敏感に反応する。
たぶん、育った段階のどこかで嗅覚が麻痺したものと思える。
子供のころ沢山かいだ匂いはよく覚えている。
トマトの青臭い匂いやほかの野菜の匂いも。
大人になる前にだめになったのかもしれないので、香水などの匂いはからきしわからない。
イギリスに遊びに行ったとき、オックスフォードでハリー・ポッターの撮影をしたという図書館を訪れた。
入り口の案内の女性が「図書館の中はsmell」だと言った。
同行した友人は「かぐわしい香りがする」と解釈。
mouldyとは言わなかったけれど、私は「かび臭い」と解釈。
結局中には入らなかったけれど、たぶん私のほうがあっていると思う。
図書館でかぐわしい香りなんて聞いたことがない。
長年染みついた湿気や埃の匂いしか想像できない。
その友人が香水を選んでいる間、私はなんの感動もなくその場で待っていた。
私には香水の香りはまったく匂わないので。
結局私の匂いに対する受容器官は、子供の時に出来上がったものしかないらしい。
途中で何らかの障害が生じたものと思われる。
たぶんひどい副鼻腔炎をちゃんと治療しなかったとか。
プルーストの「失われた時を求めて」は、紅茶に浸したマドレーヌの香りから展開していく。
香りで幼少時代の思い出が蘇る。
それを読んで上手いなあと思った。
初夏に札幌の手稲山に行ったとき、春先の草と土の匂いがしたのを鮮明に思い出す。
たまに匂いが分かるので、匂うときはすごく新鮮な気がする。
鼻の敏感な人は、都会の匂いに辟易するのでは?
満員電車でなにがつらいって、衣服の洗剤や柔軟剤、香水の匂いが充満することだという記事を読んだことがある。
つらいでしょうね。
目は瞑ればいいけれど、鼻を塞いだら息ができなくなる。
私は幸いにも、そのような匂いがわからない。
鼻が悪いとなにが得かと言うと、クサヤを平気で食べられることなのだ。
化粧品を買うことも最近は少なくなったけれど、この香りいかがでしょうかと言われてもわからない。
わからないからと店員さんに言っても信じてもらえないので、最後にはわかったふりをして選ぶ。
どちらにしても匂いを嗅ぐのは自分ではないので、知ったこっちゃないわけなのだから。
ある時、飲む香水というキャッチフレーズに引っかかって飲んでみた物がある。
飲んでいると体の中からバラの香りがほのかに・・・
まあ、すてき、飲んでみよう。
でもそれはほのかではなく、強烈に匂った。
私のように嗅覚障害でも臭かったから、敏感な人はたいへん。
体内だから鼻を通さず(?)匂いがキャッチできたのかも。
とにかく、すぐにやめてしまった。
世の中には匂いが充満しているのに、そのうえ人工的に匂いを重ねるという神経がよくわからない。
匂いは文化だそうで、臭いという基準も文化圏によって違うらしい。
よく食べ物を食べる前にくんくん匂いを嗅ぐひとがいるけれど、私から見るとすごく下品な行為に見える。
鼻が利かないものの僻みかもしれないけれど。
夜中、乗客が寝静まったころ、通路側に寝ていた女性の靴を片方盗んだ疑いだという。
眠っていたとはいえ、スニーカーを脱がされてよく目がさめなかったものだと、半ば感心した。
もし途中で目が覚めたら、ギャーッと声を上げてしまって大騒ぎになったと思うから、せめて目が覚めなかったことが幸運だったとおもわないといけないかもしれない。
想像するだにおぞましい。
しかし、他人の靴を盗んでなにが面白いのかと思うけれど、世の中には様々な癖の人がいて、靴のにおいフェチはさほど珍しくはないのかもしれない。
以前男性が男性の靴を盗んで、匂いを楽しんでいたという報道もあった。
テレビで見たけれど、盗まれた大量の男性の靴が並んでいた。
これなんかはなおさら訳がわからない。
女性の匂いではなく同性の匂いとは・・・
どちらにしても、吐き気がするほどの嫌な性癖。
それなら自分の匂いを嗅げばいいじゃないと思うけれど、自分のでは満足できないのですかね。
私は嗅覚障害があって匂いには強くないけれど、人工的な匂いは大嫌い。
動物の匂いが苦手な人がいるけれど、それは大丈夫。
というより、猫の個体差がわかるくらいに敏感。
空気や地面、草の匂いなど、季節によって変わる匂いも敏感に反応する。
たぶん、育った段階のどこかで嗅覚が麻痺したものと思える。
子供のころ沢山かいだ匂いはよく覚えている。
トマトの青臭い匂いやほかの野菜の匂いも。
大人になる前にだめになったのかもしれないので、香水などの匂いはからきしわからない。
イギリスに遊びに行ったとき、オックスフォードでハリー・ポッターの撮影をしたという図書館を訪れた。
入り口の案内の女性が「図書館の中はsmell」だと言った。
同行した友人は「かぐわしい香りがする」と解釈。
mouldyとは言わなかったけれど、私は「かび臭い」と解釈。
結局中には入らなかったけれど、たぶん私のほうがあっていると思う。
図書館でかぐわしい香りなんて聞いたことがない。
長年染みついた湿気や埃の匂いしか想像できない。
その友人が香水を選んでいる間、私はなんの感動もなくその場で待っていた。
私には香水の香りはまったく匂わないので。
結局私の匂いに対する受容器官は、子供の時に出来上がったものしかないらしい。
途中で何らかの障害が生じたものと思われる。
たぶんひどい副鼻腔炎をちゃんと治療しなかったとか。
プルーストの「失われた時を求めて」は、紅茶に浸したマドレーヌの香りから展開していく。
香りで幼少時代の思い出が蘇る。
それを読んで上手いなあと思った。
初夏に札幌の手稲山に行ったとき、春先の草と土の匂いがしたのを鮮明に思い出す。
たまに匂いが分かるので、匂うときはすごく新鮮な気がする。
鼻の敏感な人は、都会の匂いに辟易するのでは?
満員電車でなにがつらいって、衣服の洗剤や柔軟剤、香水の匂いが充満することだという記事を読んだことがある。
つらいでしょうね。
目は瞑ればいいけれど、鼻を塞いだら息ができなくなる。
私は幸いにも、そのような匂いがわからない。
鼻が悪いとなにが得かと言うと、クサヤを平気で食べられることなのだ。
化粧品を買うことも最近は少なくなったけれど、この香りいかがでしょうかと言われてもわからない。
わからないからと店員さんに言っても信じてもらえないので、最後にはわかったふりをして選ぶ。
どちらにしても匂いを嗅ぐのは自分ではないので、知ったこっちゃないわけなのだから。
ある時、飲む香水というキャッチフレーズに引っかかって飲んでみた物がある。
飲んでいると体の中からバラの香りがほのかに・・・
まあ、すてき、飲んでみよう。
でもそれはほのかではなく、強烈に匂った。
私のように嗅覚障害でも臭かったから、敏感な人はたいへん。
体内だから鼻を通さず(?)匂いがキャッチできたのかも。
とにかく、すぐにやめてしまった。
世の中には匂いが充満しているのに、そのうえ人工的に匂いを重ねるという神経がよくわからない。
匂いは文化だそうで、臭いという基準も文化圏によって違うらしい。
よく食べ物を食べる前にくんくん匂いを嗅ぐひとがいるけれど、私から見るとすごく下品な行為に見える。
鼻が利かないものの僻みかもしれないけれど。
2016年10月10日月曜日
紙だのみ
苺のヘタやモヤシの尻尾をとったりするときに、捨てる方の尻尾やヘタを実をいれるボウルに間違えて入れるなんてことがあるでしょう。
私は特にぼんやりしているから、日常茶飯事。
先日の伊豆旅行の疲労が思いのほかたまっていたらしく、お掃除をするのもおっくうで、レッスン室は見事に散らかってしまった。
あっても役立つかどうか意味不明のものがたまりにたまって、さすがの私もこれは何とかしなくてはと一念発起。
今日は紙の収集日なので、まずはいらないコピーをまとめ始めた。
先日の魔法使いの弟子騒動で散乱していた膨大なコピー。
特に気を付けなければいけないのが、必要なものと必要でないものを選別すること。
携帯電話の契約書とか金融関係の書類などは、いつ捨てていいかわからないから、ずっととってある。
日付けが古いからと言って油断はならない。
私の家の火災保険は長期型だから何十年もの契約。
うっかり契約書をなくすと困る。
ほとんど無駄だと思うがん保険の契約も早く解約しようと思いながら、ずっと解約していない。
とにかく目についたものを床にどさっとばらまいて、選別にとりかかる。
これが非常に危険なのだ。
苺のヘタなら無害だけれど、必要な書類を不必要な方に入れてしまって、今まで何回困ったことになったことか。
私は事務関係の仕事をしている人を尊敬する。
私にとっては書類は頭痛を呼び覚ますものでしかない。
日付けを見ても今年が何年だか、いちいち確かめないと不安で仕方がない。
書類を書かされると決まって、名前のところに住所を書いたり、相手の電話番号のところに自分の番号かいたり、しかもハンコが押せない。
ものすごくヘタで、たいてい半分欠けてしまう。
気合を入れて印肉をたっぷりつけすぎで滲んで判別不能になることも。
フリーの仕事を始めたころ、楽屋で支払調書に名前を書くように言われた。
「私はいつも名前のところに住所を書いてしまうのよね」と言ったら、そばでお弁当を食べていた男性が、ブッと言って吹き出した。
「食べてるときに言わないでよ」と言われたけれど、本当になんでこんなにおっちょこちょいなのか、あるいは病気ではないかと思える。
知能は普通(?)だと思うのに、日常生活はとんでもなくミスの連続。
書類や取扱説明書を見ると、目が泳いでしまって文字が急に読めなくなる。
私だけではなく、私の両親、兄姉ことごとくおかしな一家。
すぐ上の姉は、歩いていて足がぬかるみにはまってしまった。
近くに警察があったからお巡りさんに「足を洗わせてください」と言ったらしい。
それを聞いて家中爆笑。
警察に行って足を洗いたいと言ったら、全然別の意味になるでしょう、と私たちは大笑いした。
姉はヤクザの情婦になれるほど色っぽくも粋でもないし、かと言って本人が犯罪者になるほどの悪人でもない。
お巡りさんはびっくりしたと思う。
普通警察には行かないでしょう。
紙ゴミの収集車が来たけれど、私が捨てた紙の中に一万円札がごっそり紛れ込んでいないことを祈っている。
私は特にぼんやりしているから、日常茶飯事。
先日の伊豆旅行の疲労が思いのほかたまっていたらしく、お掃除をするのもおっくうで、レッスン室は見事に散らかってしまった。
あっても役立つかどうか意味不明のものがたまりにたまって、さすがの私もこれは何とかしなくてはと一念発起。
今日は紙の収集日なので、まずはいらないコピーをまとめ始めた。
先日の魔法使いの弟子騒動で散乱していた膨大なコピー。
特に気を付けなければいけないのが、必要なものと必要でないものを選別すること。
携帯電話の契約書とか金融関係の書類などは、いつ捨てていいかわからないから、ずっととってある。
日付けが古いからと言って油断はならない。
私の家の火災保険は長期型だから何十年もの契約。
うっかり契約書をなくすと困る。
ほとんど無駄だと思うがん保険の契約も早く解約しようと思いながら、ずっと解約していない。
とにかく目についたものを床にどさっとばらまいて、選別にとりかかる。
これが非常に危険なのだ。
苺のヘタなら無害だけれど、必要な書類を不必要な方に入れてしまって、今まで何回困ったことになったことか。
私は事務関係の仕事をしている人を尊敬する。
私にとっては書類は頭痛を呼び覚ますものでしかない。
日付けを見ても今年が何年だか、いちいち確かめないと不安で仕方がない。
書類を書かされると決まって、名前のところに住所を書いたり、相手の電話番号のところに自分の番号かいたり、しかもハンコが押せない。
ものすごくヘタで、たいてい半分欠けてしまう。
気合を入れて印肉をたっぷりつけすぎで滲んで判別不能になることも。
フリーの仕事を始めたころ、楽屋で支払調書に名前を書くように言われた。
「私はいつも名前のところに住所を書いてしまうのよね」と言ったら、そばでお弁当を食べていた男性が、ブッと言って吹き出した。
「食べてるときに言わないでよ」と言われたけれど、本当になんでこんなにおっちょこちょいなのか、あるいは病気ではないかと思える。
知能は普通(?)だと思うのに、日常生活はとんでもなくミスの連続。
書類や取扱説明書を見ると、目が泳いでしまって文字が急に読めなくなる。
私だけではなく、私の両親、兄姉ことごとくおかしな一家。
すぐ上の姉は、歩いていて足がぬかるみにはまってしまった。
近くに警察があったからお巡りさんに「足を洗わせてください」と言ったらしい。
それを聞いて家中爆笑。
警察に行って足を洗いたいと言ったら、全然別の意味になるでしょう、と私たちは大笑いした。
姉はヤクザの情婦になれるほど色っぽくも粋でもないし、かと言って本人が犯罪者になるほどの悪人でもない。
お巡りさんはびっくりしたと思う。
普通警察には行かないでしょう。
紙ゴミの収集車が来たけれど、私が捨てた紙の中に一万円札がごっそり紛れ込んでいないことを祈っている。
2016年10月6日木曜日
雨の伊豆もおつなもの
伊豆に出かけた5人組
ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さん、フルートのリチャードさん、М子さん、Nさんご夫妻、それと私。
伊豆下白石にたどり着いて立派な会員制の宿に入ったのが、まだ早い午後。
周りを見れば何もない。
こんなに何もすることがないというのは珍しく、家からスマホでも持って来ればよかったと思ったけれど、後の祭り。
食堂にある本棚で「赤毛のアン」を見付けたので手に取って読み始めたら、長年の記憶が違うことに気が付いた。
何十年ぶりで読んでみるか。
しかし、本を読むことは設定外だったので、読書用のメガネも持ってこなかった。
外は雨、室内は湿気が多く、蚊がいる。
実はこの蚊は美智子さんの家の庭から連れてきたのかもしれない。
さっき出発するときに、車にちゃっかり乗りこんでいたもの。
それで初日夜、速攻眠ってしまう私が、寝入りばなに刺されて腹を立てて、それから眠れなくなったのだ。珍しいことに。
次の日も雨。
それでも修善寺見物に行った時には、歩いている間は雨は上がってくれた。
そのあとで天城越えをしようと山頂に向かうと、雨はどんどん強まってきた。
道の駅にようようたどり着いた時にはかなり激しくなって、天城越えは断念。
夕飯の素晴らしさが無聊を慰めてくれた。
地物の魚介類が、これでもかと出てくる。
どの小皿も素晴らしく手が込んでいるので、食べ残すことができない。
全員ふうふう言いながらも完食。
この宿は大きな窓ガラスから富士山が正面に見えるのが売り物らしいのに、2日間、全く富士山はお出ましにならなかった。
3日目も朝は雨だったのが、少し日が差してきた。
この後熱海に行く予定だったので、富士山はとうとう顔を出してくれないと思ったら、9時過ぎに雲が晴れた。
そうしたら考えていた以上に大きな富士山が顔を出した。
宿の人が、これなら達磨山に行った方がよいという。
達磨山の写真を見ると、海から上に富士山の全景が見える。
こんな風に見えるのはここだけなのだそうで、絶対見た方が良いと強く勧められた。
達磨山は曲がりくねった山道をせっせと上っていく。
こんなところに何があるのかと思ったが、急に開けた場所に来た。
そこから見える景色がこの写真。
雨がすっかり上がって、晴れ渡った青空と海と、山々の緑が、それはもう、言う言葉もないほどの良い景色なので、しばらくみな陶然と景色を見つめていた。
熱海で昼食の約束の時間があるから、お名残り惜しいけれど出発。
3年ほど前に美智子さんと伊豆に来たとき見逃したカピバラを見に、サボテン公園に車を走らせた。
カピバラが見たいというのは私の強い希望で、М子さんは以前見たけど、汚くて大きくてかわいくなかったわとおっしゃる。
私は温泉に入るカピバラが見たいと思っていたけれど、あれは冬場のイベントですと係員の冷たい返事。
しかし、カピバラはかわいい!
撫でると気持ちよさそうにうっとりとして、ごろんとおなかを見せる。
しかし毛がこわくてあまり手触りは良くない。
これで毛がモフモフだったら、最上級の可愛さになるのに、惜しい。
М子さんに「ねっ、かわいかったでしょう?」というと微妙な返事。
ここで私を怒らせると車に乗せてもらえなくなるかもしれないから、あいまいに「そうねえ」と言う。
無理しているのは見え見えだけど、心優しい私は気がつかないふり。
熱海で美智子さんのお友達においしいランチをごちそうになり、帰路についた。
2016年10月1日土曜日
修善寺へ
ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、その夫であるフルーティストのリチャードさんが滞在している間に温泉にでも行こうというので、明日から修善寺温泉に行ってきます。
もう一組、高齢のご夫婦が一緒で5人でのドライブ。
私は運転手なので、二組のご夫婦の間で小さくなってないといけない。
修善寺というと思い出すのは、昔見た映画「修善寺物語」
時は鎌倉時代、修善寺に夜叉王という面つくりがいた。
彼には二人の娘がいて、妹娘の楓は心優しく平凡な暮らしを望み、父の弟子と結婚する。
それに反して姉娘の桂は、平凡な生活をきらい、玉の輿に乗ることを夢見ている。
鎌倉幕府の2代目将軍頼家は夜叉王に、自分の顔に似せた面を打つように依頼した。
しかし何度打っても、どうしても面に死相が現れてしまい、夜叉王は面を完成することができない。
頼家が夜叉王に面の催促に訪れたとき、姉娘の桂は死相の現れた面を献上してしまう。
桂は頼家の妻となったその夜、源実朝を将軍に据えようという野心の北条時政が頼家を襲う。
頼家は非業の死をとげ、頼家の身代わりになろうと頼家似の面をつけた桂もまた瀕死の重傷を負って父の夜叉王の家にたどり着く。
夜叉王は面に死相が現れたのは自分の腕が未熟だったからではなく、名工の霊感がそうさせたのだと悟った。
そして死に瀕して苦しんでいる娘の表情を写し始める。
ちょっと怪しいけれど、こんなストーリー。
筋書きはえぐいけれど、まだ年端もゆかぬ子供だった私が非常に感銘を受けたのは、岸恵子の美しさだった。
ほかの俳優さんは誰だったか覚えていないのに、岸恵子だけは良く覚えている。
もう一つの修善寺にまつわる思い出は、大学時代のオペラの合宿。
外山雄三先生の指揮で「コジ・ファン・トゥッテ」
モーツアルトの背徳的なオペラを学生の教材にするのもなんだけど、筋書きについて固いことを言わなければ、素敵に面白いし、歌もすてき。
大好きなオペラを弾くのは楽しかったけれど、外山先生がちょっと好色そうで癇癪もちそうで怖いななんて思った。
ほんとのところは全くしらないけれど。
伊豆は以前美智子さんと東伊豆の海沿いに遊びに行っているけれど、修善寺は山の中、海の方の開放的な感じではないと思う。
とにかくお年寄り連れのドライブ、気をつけて行ってまいります。
まるで自分は年寄りではないような書き方ですねえ、これは。
もう一組、高齢のご夫婦が一緒で5人でのドライブ。
私は運転手なので、二組のご夫婦の間で小さくなってないといけない。
修善寺というと思い出すのは、昔見た映画「修善寺物語」
時は鎌倉時代、修善寺に夜叉王という面つくりがいた。
彼には二人の娘がいて、妹娘の楓は心優しく平凡な暮らしを望み、父の弟子と結婚する。
それに反して姉娘の桂は、平凡な生活をきらい、玉の輿に乗ることを夢見ている。
鎌倉幕府の2代目将軍頼家は夜叉王に、自分の顔に似せた面を打つように依頼した。
しかし何度打っても、どうしても面に死相が現れてしまい、夜叉王は面を完成することができない。
頼家が夜叉王に面の催促に訪れたとき、姉娘の桂は死相の現れた面を献上してしまう。
桂は頼家の妻となったその夜、源実朝を将軍に据えようという野心の北条時政が頼家を襲う。
頼家は非業の死をとげ、頼家の身代わりになろうと頼家似の面をつけた桂もまた瀕死の重傷を負って父の夜叉王の家にたどり着く。
夜叉王は面に死相が現れたのは自分の腕が未熟だったからではなく、名工の霊感がそうさせたのだと悟った。
そして死に瀕して苦しんでいる娘の表情を写し始める。
ちょっと怪しいけれど、こんなストーリー。
筋書きはえぐいけれど、まだ年端もゆかぬ子供だった私が非常に感銘を受けたのは、岸恵子の美しさだった。
ほかの俳優さんは誰だったか覚えていないのに、岸恵子だけは良く覚えている。
もう一つの修善寺にまつわる思い出は、大学時代のオペラの合宿。
外山雄三先生の指揮で「コジ・ファン・トゥッテ」
モーツアルトの背徳的なオペラを学生の教材にするのもなんだけど、筋書きについて固いことを言わなければ、素敵に面白いし、歌もすてき。
大好きなオペラを弾くのは楽しかったけれど、外山先生がちょっと好色そうで癇癪もちそうで怖いななんて思った。
ほんとのところは全くしらないけれど。
伊豆は以前美智子さんと東伊豆の海沿いに遊びに行っているけれど、修善寺は山の中、海の方の開放的な感じではないと思う。
とにかくお年寄り連れのドライブ、気をつけて行ってまいります。
まるで自分は年寄りではないような書き方ですねえ、これは。
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