涙、涙の物語。
ずーっと、ずーっと、毎年必ずやっていた我が家のお花見。
今年は断腸の思いで中止しました。
なんと大げさなと思われるかもしれないけれど、どんなに忙しくてもこの季節にはみなさんが待っていると思うから準備をしてきた。
1月、スキーシーズンになるとホテルでの夕飯のときに、なんとなく日が決まる。
そうだねえ、今年は開花が早そうだからこのあたりでと、様子見しながら。
今月21日に決まったので、献立を考えた。
今年は久しぶりにおでんにしよう。
一人で作るのは大変だから、調布に住んでいるHさんに助けを求めた。
彼女は周りにまだ新鮮な野菜が手に入る環境にいるらしく、いつもとれたての枝豆を茹でてきてくれる。
今回は大根を用意してもらおうと思っていた。
なぜおでんと思ったかと言うと、以前大量におでんを煮た時の寸胴鍋が見つかったから。
天袋から引きずり下ろすと、私にしてはきれいに磨かれている。
ほほう、こんな鍋があるならもう一度おでんも悪くないな。
築地で買い込んだ牛すじ肉が冷凍されている。
あれを使って出汁をとろう。
すじ肉を解凍してネギや生姜を入れて温めようとおもったら、IHヒーターでは反応しない。
私はすごく世の中のことに疎いから、金物はなんでもIHヒーターOKだと思っていた。
でも錫はだめなのだそうで、大量のすじ肉と野菜、たっぷりの水の入った重たい鍋は
知らん顔。
ことりとも言わない。
大きな鍋は家ではこれ一つしか無い。
それでHさんに大きな鍋はないかと訊いたところ、彼女が大根を煮てくれることになった。
はんぺんやちくわなどは前日に彼女の家に届けることになった。
毎日祈るような気持ちでコロナ収束を待つ。
一向にその気配はなく、1週間前の今日、皆さんに中止のお知らせをした。
花見の会場となる我が家のレッスン室は、20人も入ればぎゅうぎゅう詰め。
今回は15人の予定だったけれど、いわゆる濃厚接触になると思う。
いくらアルコールでもお酒では消毒できないらしい。
こんなところで酔っ払って気が大きくなって「コロナがどうした!」などと怪気炎を上げて騒ぐ目の前が桜並木の道筋で、人々がそぞろ歩き。
またあの家でと、世間の評判はますます悪くなる。
評判が悪いのは今更のことだけれど、メンバーの年齢が一般社会の平均年齢よりも遥かに上回る。
ただでさえ、コロナがなくてもあぶないのに、この上なにかあったら私はお陽さまに顔向けできない。
それで昨日まで悶々として考えていたけれど、あと1週間でコロナがいなくなる気配もないから、やむなく中止とすることにした。
消毒用の石鹸、除菌ティッシュ、なぜかコロナの報道が始まった今年初めに買ったものが今役立つとおもった。
準備万端、冷凍庫にはローストチキンやキッシュやら、ぎっしりとストックされている。
来週はじめにはワインも届く。
この家には私一人と猫一匹。
食料の在庫を見て、こんな小家族だとは誰も思わないかも。
これなら夏まで保つかもしれない。
なにもかも我慢の時だから、仕方がない。
それならコロナ終了タイムには盛大にお花見兼バーベキューでもしよう。
皆さんに北軽井沢まで来てもらうのも悪くない。
戸外だったらコロナも風で飛んでいくに違いない。
オリンピックが中止とか延期とか騒がれている。
いっそのことオリンピックなんてやめちゃえば?
こんな事言うと非国民と罵られ石をぶつけられる。
本当のところ、私はスポーツ競技を見る趣味がない。
今回のオリンピックだって、森元首相が大儲けしているだけで、なにもあんな立派な競技場作らなくてもと思う。
前回のブラジルの、普通の競技場のほうがよほど良い。
日本は今や経済小国になり下がったのだから、もっと簡素にすればいいのに、国民の金はどう使ってもいいと思っている輩が、湯水のように使っている。
もはや、オリンピックは醜い金儲けのるつぼのように見えて不愉快。
それよりも、今回のコロナ不況で困る人達に回したら?
でも、フリーランス4100円の援助とは。
所属する組織がないと随分馬鹿にされるのも日本の特質。
私は少しだけでもオーケストラ団員だったことで、キャリアが救われているけれど。
日本ではフリーランスはクズだとでも思っているのかしら。
社会的な保証もない人達こそ援助してほしい。
ニューヨークに長くいた友人が、アメリカではフリーはとても尊敬されるのよと言った。
私がオーケストラをやめてフリーになったとき、カードを作れなかったことがあって愚痴ったらそう言われた。
フリーでお金がもらえるのは大変なことなのだ。
中止が重なって自宅に籠もっているのも悪くはないが、話し相手がほしいなあ。
猫はゴロニャゴロニャと言うばかり。
あーあ、退屈じゃ。
2020年3月11日水曜日
あしからず
一昨年からずっと続いていた足の痛み。
寝ていても時々痺れや痛みが激しくて、目が覚める。
その頃、体の軸がずれている感じがして、普通に歩いていてもよろよろと右左に揺れる。
自分の影を見ていると、ヒョコタンヒョコタン。
少しの段差でも足を引っ掛けて転ぶ、等々。
あるときなど、信号待ちで立ち止まったら、そのままズルリと崩折れて口のあたりを擦りむいた。
筋肉が全くなくなったような虚脱感。
このまま、車椅子かと思うほどの無筋力状態。
階段の最初の一歩が登れない。
手すりに捕まって腕の力で体を持ち上げる。
バスタブから出られない。
年には勝てないと本気で思った。
最近になってやっとそんな状態から抜け出せるパワーが出てきた。
一時期、私はやはりうつ状態だったものと見える。
それでも日常のルーティーンはやめないように維持してきた。
一度さぼると、もう這い上がれない
もともとの性格が根あかだからこれで収まった。
うつから抜け出られず、外出もできない人がたくさんいるに違いない。
幸い私は猫がいる。
動物の持つ癒やしの力は、どんな高価な薬にも勝る。
ずっと治療をする気力もなかったけれど、やっと治療の第一歩を踏み出した。
去年暮に健康診断を受けた。
すべて標準内の値が出た。
内視鏡検査、ピロリ菌検査も真っ白。
それなら検査受けなくても良かった。
ここ数年そう言いながら検査をサボっていたけれど、次回もサボる口実ができた。
年末に風邪をひいて、その後咳が止まらない。
フランスに行くことになっていたので、これはまずい。
咳喘息の治療を始めた。
その病院で見つけた足梗塞の病名。
足の痛みや痺れは血管のつまりから来るかもしれないというので、医師に相談したところ、検査をしようということになった。
今朝、この季節には考えられないほどの暖かさ。
気温はぐんぐん上がる。
これでは陽気に誘われてジジババが沢山病院へ押しかけるかと思ったら、待合室はガラガラだった。
ここもコロナ不景気。
いつもは予約していても長時間待たされるほど混んでいるのに、今日は4人ほどしかいない。
これはどうしたことか。
この病院に関して風評被害的な噂でも流れたか。
私はそんなことは気にしないので、空いているのはありがたい。
コロナが怖くて他の病気の治療が受けられないとか?
血管の柔軟性の検査が足梗塞検査の実態だった。
なんだ、それなら健康診断でやったばかり。
ここ2ヶ月余りの間に、食生活も運動量もかなり改善したので、数値は更に良くなったと予想した。
検査の結果、血管年齢はなんと!20歳も若い。
医師が検査結果を見て叫んだ。
えーと、血管年齢は?・・え?若い!若い!若い
声が徐々にクレッシェンド。
これは血管のせいではないようですね。
あるいは神経に依る症状かもしれないので薬をためしてみましょうというので、今日から新しい薬の治療がはじまった。
ひと月飲んで効き目がなければCT検査をということで、今日は明るい日差しの中を隣町から歩いて帰ってきた。
少し右足くるぶしが痛む。でも甘やかさない。
最近は歩きかたも以前のように早くなってきた。
階段の一段目も手すりなしで上がれるようになった。
コンサートの中止が続いて気落ちしたので、この2日間ヴァイオリンを弾いていない。
帰ったら練習しようと思っていたら、くたびれて途中でチョコレートパフェを食べて、そうしたら小難しいバッハの無伴奏なんか弾く気にならなくなってまたサボってしまった。
やはり土壇場にならないと練習をしない悪い性格だけは健在なのだ。
検査が終わってから立ち寄る店ごとに手の消毒。
家に帰っても手洗いばかり。
ふと考えたのは、こんなに手を消毒していいものなのか。
手の平にいる良い常在菌がいなくなったら、体を守ってくれるものがなくなる。
原始人の私は考えると、そのほうが怖くなる。
私が普段丈夫なのは、あまり神経質ではないからではないかと思う。
寝ていても時々痺れや痛みが激しくて、目が覚める。
その頃、体の軸がずれている感じがして、普通に歩いていてもよろよろと右左に揺れる。
自分の影を見ていると、ヒョコタンヒョコタン。
少しの段差でも足を引っ掛けて転ぶ、等々。
あるときなど、信号待ちで立ち止まったら、そのままズルリと崩折れて口のあたりを擦りむいた。
筋肉が全くなくなったような虚脱感。
このまま、車椅子かと思うほどの無筋力状態。
階段の最初の一歩が登れない。
手すりに捕まって腕の力で体を持ち上げる。
バスタブから出られない。
年には勝てないと本気で思った。
最近になってやっとそんな状態から抜け出せるパワーが出てきた。
一時期、私はやはりうつ状態だったものと見える。
それでも日常のルーティーンはやめないように維持してきた。
一度さぼると、もう這い上がれない
もともとの性格が根あかだからこれで収まった。
うつから抜け出られず、外出もできない人がたくさんいるに違いない。
幸い私は猫がいる。
動物の持つ癒やしの力は、どんな高価な薬にも勝る。
ずっと治療をする気力もなかったけれど、やっと治療の第一歩を踏み出した。
去年暮に健康診断を受けた。
すべて標準内の値が出た。
内視鏡検査、ピロリ菌検査も真っ白。
それなら検査受けなくても良かった。
ここ数年そう言いながら検査をサボっていたけれど、次回もサボる口実ができた。
年末に風邪をひいて、その後咳が止まらない。
フランスに行くことになっていたので、これはまずい。
咳喘息の治療を始めた。
その病院で見つけた足梗塞の病名。
足の痛みや痺れは血管のつまりから来るかもしれないというので、医師に相談したところ、検査をしようということになった。
今朝、この季節には考えられないほどの暖かさ。
気温はぐんぐん上がる。
これでは陽気に誘われてジジババが沢山病院へ押しかけるかと思ったら、待合室はガラガラだった。
ここもコロナ不景気。
いつもは予約していても長時間待たされるほど混んでいるのに、今日は4人ほどしかいない。
これはどうしたことか。
この病院に関して風評被害的な噂でも流れたか。
私はそんなことは気にしないので、空いているのはありがたい。
コロナが怖くて他の病気の治療が受けられないとか?
血管の柔軟性の検査が足梗塞検査の実態だった。
なんだ、それなら健康診断でやったばかり。
ここ2ヶ月余りの間に、食生活も運動量もかなり改善したので、数値は更に良くなったと予想した。
検査の結果、血管年齢はなんと!20歳も若い。
医師が検査結果を見て叫んだ。
えーと、血管年齢は?・・え?若い!若い!若い
声が徐々にクレッシェンド。
これは血管のせいではないようですね。
あるいは神経に依る症状かもしれないので薬をためしてみましょうというので、今日から新しい薬の治療がはじまった。
ひと月飲んで効き目がなければCT検査をということで、今日は明るい日差しの中を隣町から歩いて帰ってきた。
少し右足くるぶしが痛む。でも甘やかさない。
最近は歩きかたも以前のように早くなってきた。
階段の一段目も手すりなしで上がれるようになった。
コンサートの中止が続いて気落ちしたので、この2日間ヴァイオリンを弾いていない。
帰ったら練習しようと思っていたら、くたびれて途中でチョコレートパフェを食べて、そうしたら小難しいバッハの無伴奏なんか弾く気にならなくなってまたサボってしまった。
やはり土壇場にならないと練習をしない悪い性格だけは健在なのだ。
検査が終わってから立ち寄る店ごとに手の消毒。
家に帰っても手洗いばかり。
ふと考えたのは、こんなに手を消毒していいものなのか。
手の平にいる良い常在菌がいなくなったら、体を守ってくれるものがなくなる。
原始人の私は考えると、そのほうが怖くなる。
私が普段丈夫なのは、あまり神経質ではないからではないかと思う。
2020年3月10日火曜日
セコすぎる
どこぞの県会議員が、自分が社長を務める会社のマスクの在庫品を売って大儲けしたと言う話。
自分では目端がきくとと思ったに違いない。
まさかこんなに世の中から叩かれるとは!
商売とはそうしたものだから、この人は普通のときだったらお金儲けの上手な人といわれたかも。
災害につけこんで大金持ちになるには、他人の不幸なんぞ気にもとめない神経が必要なのだ。
マスクがなくて困りきっている医療関係者がいるのは、連日報道されているというのに。
自分の頭脳を駆使してお金儲けをするのとは明らかに違う。
頭脳派は称賛される。
いや、彼だってなけなしの脳みそを働かせてだから、同じことと言える。
でも、この人はあまりにも無神経、人でなしすぎる。
沢山の在庫を抱えていたのだから、通常よりもほんの少し上乗せして売っても、かなりの利益になる。
それだけでも感謝されたのに。
そこで止めておけばよかったのに。
それよりも、ここで大量に医療関係者に寄付でもしておけば、将来の議員生活安泰だったのに。
ずっと感謝されて地域から称賛されていたのに。
目先の利益に目がくらんで一生、せこい議員、人でなしなどというレッテルがついてまわると思う。
本人はなぜなのかわかっていないらしい。
後出しで、どこかへ寄付してもらったという感謝状を出してきた。
これだって眉唾。
社長を辞任したって?
議員を辞任じゃないの?
社長はいいのよ、自社の利益のために動いたのだから辞任する必要なし。
それよりも、県民のために働かなくてはいけない人が、こんな人ではねえ。
人として恥ずかしい。
人品骨柄も卑しく見える。
たぶん本人は少しも分かっていない。
そのことが怒りに拍車をかける。
僕悪くないもん。
そう、本当にあなたは悪くはない。
でもね、なんと言って説明するか・・・私にはわからない。
人というのは・・・と偉そうに言わせてもらう。
他人の痛みや悲しさや苦しさがわかってこそ人になる。
「ずるい」あ、これこれ。
ずるいことをするやつはゆるせない。
私の他人に対する許容範囲は広い。
怒りっぽい、頑固、気難しい、偏屈などは許せるけれど、ずるいのだけは本気で嫌。
人の見ていないところでズルをする人間がいる。
私がまだ若かったころ、友人の家族3組と一緒に海の家に行った。
子供は男の子が数人と少し年上の6年生くらいの女の子。
その女の子は、大人や子どもたち全員から、ちやほやされていた。
顔が可愛いし大人の言うことを素直にきく。
でも私はその子があまり好きでなかった。
それを敏感に察したかのように、その子も私を無視する。
なぜか理由がわからなかった。
さんざん遊んで夜、布団を敷くのは子どもたちの役目になった。
せっせと働く子どもたち。
大人たちは別室で宴会の用意。
大人の姿が消えたとたん、それまで率先して働いていた女の子がすぐに仕事をやめた。
知らん顔して本を読み始め、幼い男の子たちだけが働いていた。
私が見ていることに気がついた女の子の顔が醜く歪んだ。
標準以上の美人なのに。
この子は幸せになれないなと私はその時思ったけれど、その後のことは知らない。
ちなみに、紀伊国屋文左衛門さん。
この人も相当ひどい。
まず、みかん伝説。
紀州でみかんが豊作だった年、江戸は嵐が多く船が出せない。
それに目をつけた文左衛門、荒くれ男を雇いボロ船を修理して嵐を乗り越えて江戸にみかんを送った。
みかんは飛ぶように売れ、この快挙で江戸で大人気!
そこまではいい。
その先の話。
大阪で疫病が流行っていると聞いた文左衛門。
江戸で大量の塩鮭を買い込み、大阪に行くと「塩鮭が疫病に効く」と噂を流す。
結果、塩鮭は飛ぶように売れた。
これなんかひどい話だと思うのに、大金持ちになってしまえば成功談として称賛される。
もっとも紀伊国屋文左衛門も伝説の人で、真偽の程はわからないらしい。
今、ネットで流されるデマに踊らされる私達、時代が変わっても人ってなんだかなあと、ため息が出る。
県会議員殿、もう少しやることが大きかったら、それは善と言われる。
やることがセコすぎたね。
だったら謝罪会見なんかしなければいい。
俺のやったことのどこが悪いと開き直れないところが、ますますセコい。
自分では目端がきくとと思ったに違いない。
まさかこんなに世の中から叩かれるとは!
商売とはそうしたものだから、この人は普通のときだったらお金儲けの上手な人といわれたかも。
災害につけこんで大金持ちになるには、他人の不幸なんぞ気にもとめない神経が必要なのだ。
マスクがなくて困りきっている医療関係者がいるのは、連日報道されているというのに。
自分の頭脳を駆使してお金儲けをするのとは明らかに違う。
頭脳派は称賛される。
いや、彼だってなけなしの脳みそを働かせてだから、同じことと言える。
でも、この人はあまりにも無神経、人でなしすぎる。
沢山の在庫を抱えていたのだから、通常よりもほんの少し上乗せして売っても、かなりの利益になる。
それだけでも感謝されたのに。
そこで止めておけばよかったのに。
それよりも、ここで大量に医療関係者に寄付でもしておけば、将来の議員生活安泰だったのに。
ずっと感謝されて地域から称賛されていたのに。
目先の利益に目がくらんで一生、せこい議員、人でなしなどというレッテルがついてまわると思う。
本人はなぜなのかわかっていないらしい。
後出しで、どこかへ寄付してもらったという感謝状を出してきた。
これだって眉唾。
社長を辞任したって?
議員を辞任じゃないの?
社長はいいのよ、自社の利益のために動いたのだから辞任する必要なし。
それよりも、県民のために働かなくてはいけない人が、こんな人ではねえ。
人として恥ずかしい。
人品骨柄も卑しく見える。
たぶん本人は少しも分かっていない。
そのことが怒りに拍車をかける。
僕悪くないもん。
そう、本当にあなたは悪くはない。
でもね、なんと言って説明するか・・・私にはわからない。
人というのは・・・と偉そうに言わせてもらう。
他人の痛みや悲しさや苦しさがわかってこそ人になる。
「ずるい」あ、これこれ。
ずるいことをするやつはゆるせない。
私の他人に対する許容範囲は広い。
怒りっぽい、頑固、気難しい、偏屈などは許せるけれど、ずるいのだけは本気で嫌。
人の見ていないところでズルをする人間がいる。
私がまだ若かったころ、友人の家族3組と一緒に海の家に行った。
子供は男の子が数人と少し年上の6年生くらいの女の子。
その女の子は、大人や子どもたち全員から、ちやほやされていた。
顔が可愛いし大人の言うことを素直にきく。
でも私はその子があまり好きでなかった。
それを敏感に察したかのように、その子も私を無視する。
なぜか理由がわからなかった。
さんざん遊んで夜、布団を敷くのは子どもたちの役目になった。
せっせと働く子どもたち。
大人たちは別室で宴会の用意。
大人の姿が消えたとたん、それまで率先して働いていた女の子がすぐに仕事をやめた。
知らん顔して本を読み始め、幼い男の子たちだけが働いていた。
私が見ていることに気がついた女の子の顔が醜く歪んだ。
標準以上の美人なのに。
この子は幸せになれないなと私はその時思ったけれど、その後のことは知らない。
ちなみに、紀伊国屋文左衛門さん。
この人も相当ひどい。
まず、みかん伝説。
紀州でみかんが豊作だった年、江戸は嵐が多く船が出せない。
それに目をつけた文左衛門、荒くれ男を雇いボロ船を修理して嵐を乗り越えて江戸にみかんを送った。
みかんは飛ぶように売れ、この快挙で江戸で大人気!
そこまではいい。
その先の話。
大阪で疫病が流行っていると聞いた文左衛門。
江戸で大量の塩鮭を買い込み、大阪に行くと「塩鮭が疫病に効く」と噂を流す。
結果、塩鮭は飛ぶように売れた。
これなんかひどい話だと思うのに、大金持ちになってしまえば成功談として称賛される。
もっとも紀伊国屋文左衛門も伝説の人で、真偽の程はわからないらしい。
今、ネットで流されるデマに踊らされる私達、時代が変わっても人ってなんだかなあと、ため息が出る。
県会議員殿、もう少しやることが大きかったら、それは善と言われる。
やることがセコすぎたね。
だったら謝罪会見なんかしなければいい。
俺のやったことのどこが悪いと開き直れないところが、ますますセコい。
2020年3月9日月曜日
一夜明けて
昨日はさすがの私も寝付けず、今朝の4時まで起きていた。
公演中止の知らせが心に突き刺さった。
来年、古典音楽協会は70周年を迎える。
手で水をすくい上げるように、こぼれないように大切にしてきた「古典」
年を重ねたメンバーは若者のようにパリパリとはいかなくても、年月の重みが伝えられればいい。
ほとんどメンバーの交代がなくて、仲が良くてやめる人がいない。
これは良いようで弊害もある。
世代交代がきかない。
だから全員が年をとってしまうと、団体ごとやめるしかない。
必ず悪口を言う人はいるものだから、私も自分の知り合いに訊いてみる。
毎回きてくださるけど、退屈じゃない?
すると、あのくらいの穏やかさが私達の世代にはちょうど良いのよ、と言ってくださる。
本当に心が癒やされるの、とも。
中には私のような猫族の猛獣もいるけれど、ほとんどのメンバーは優等生的で枠からはみ出さない。
練習も穏やかに進む。
まだ皆が若い頃、よく冗談を言った。
そのうちなんの曲を弾いているのかわからなくなるかも。
繰り返しはしましたかねえ?なんて訊いたりね。
違う曲を弾いていても気がつかなくなったり。
途中で居眠りしたら起こしてね。
まだ皆しっかりしているけれど、それが現実となる日も遠くはない。
それに客席のお客様達も一緒に年を重ねているから、会場全体が善意に満ちている。
これは芸術的な刺激とは相容れないとしても、たぶん心地よい空間でいっときのやすらぎを得ていただくにはもってこいかもしれない。
皆さん「やすらぎ刻」世代だから。
年をとって失うものが多いけれど、物事の本質が見えて心楽しいときのほうが多い。
人の本質、猫の本質、政治家の本質など、表情だけで裏の顔を察するようになれる。
これは強い。
あまり怖いものはなくなってきた。
子供の頃は感受性が強く、しかも物事すべて得体がしれないので、漠然とした恐怖が常にあった。
今は、何見てもハハ~ン。
私に隠し事してもだめよ的。
残念なことは持続できる集中力が減った。
それは視力の低下からくるものだと思う。
常に視力に合ったメガネを掛けていたいけれど、日によってコンディションが違うので難しい。
かと言って何個もメガネを持つ余裕はないし、かならず失くすから無駄になる。
楽譜がよく見えない。
真正面から見ればいいけれど、アンサンブルの弦楽器は二人で一つの譜面台を使う。
これは譜めくりのときに一斉に譜めくりをして音が途切れないため。
そうすると一人で楽譜を独占できない。
ふたりとも斜めから楽譜をみることになる。
自分に近いページは良くみえても、相手側のページは遥か彼方に霞んで見える。
若い頃は斜めでも良く見えた。
それなら譜めくりの箇所を休みの小節にすればいいと思うでしょう?
ところが弦楽器、特にヴァイオリンは休む暇は殆どない。
しかも短い時間でさっと譜めくりしようとしても、手の湿気がなくなっているから紙をめくるのは至難の業。
目が良くみえない。
手の湿り気がなくてめくれない。
手が短くて譜面台に届かない。
と言ったら、ある人が「それは三重苦ですなあ」と言った。
私はヘレン・ケラーか!
そんなわけで、しばらく落胆することが多いけれど、今は国難の日々。
じっと我慢。
欲しがりません勝つまでは!
おお嫌だ、そんな時代がまたやってこないように祈るのみ。
なにかきな臭い。
いまや日本は弱体化しているから、そんなエネルギーもないかもしれない。
それもなにか寂しい。
公演中止の知らせが心に突き刺さった。
来年、古典音楽協会は70周年を迎える。
手で水をすくい上げるように、こぼれないように大切にしてきた「古典」
年を重ねたメンバーは若者のようにパリパリとはいかなくても、年月の重みが伝えられればいい。
ほとんどメンバーの交代がなくて、仲が良くてやめる人がいない。
これは良いようで弊害もある。
世代交代がきかない。
だから全員が年をとってしまうと、団体ごとやめるしかない。
必ず悪口を言う人はいるものだから、私も自分の知り合いに訊いてみる。
毎回きてくださるけど、退屈じゃない?
すると、あのくらいの穏やかさが私達の世代にはちょうど良いのよ、と言ってくださる。
本当に心が癒やされるの、とも。
中には私のような猫族の猛獣もいるけれど、ほとんどのメンバーは優等生的で枠からはみ出さない。
練習も穏やかに進む。
まだ皆が若い頃、よく冗談を言った。
そのうちなんの曲を弾いているのかわからなくなるかも。
繰り返しはしましたかねえ?なんて訊いたりね。
違う曲を弾いていても気がつかなくなったり。
途中で居眠りしたら起こしてね。
まだ皆しっかりしているけれど、それが現実となる日も遠くはない。
それに客席のお客様達も一緒に年を重ねているから、会場全体が善意に満ちている。
これは芸術的な刺激とは相容れないとしても、たぶん心地よい空間でいっときのやすらぎを得ていただくにはもってこいかもしれない。
皆さん「やすらぎ刻」世代だから。
年をとって失うものが多いけれど、物事の本質が見えて心楽しいときのほうが多い。
人の本質、猫の本質、政治家の本質など、表情だけで裏の顔を察するようになれる。
これは強い。
あまり怖いものはなくなってきた。
子供の頃は感受性が強く、しかも物事すべて得体がしれないので、漠然とした恐怖が常にあった。
今は、何見てもハハ~ン。
私に隠し事してもだめよ的。
残念なことは持続できる集中力が減った。
それは視力の低下からくるものだと思う。
常に視力に合ったメガネを掛けていたいけれど、日によってコンディションが違うので難しい。
かと言って何個もメガネを持つ余裕はないし、かならず失くすから無駄になる。
楽譜がよく見えない。
真正面から見ればいいけれど、アンサンブルの弦楽器は二人で一つの譜面台を使う。
これは譜めくりのときに一斉に譜めくりをして音が途切れないため。
そうすると一人で楽譜を独占できない。
ふたりとも斜めから楽譜をみることになる。
自分に近いページは良くみえても、相手側のページは遥か彼方に霞んで見える。
若い頃は斜めでも良く見えた。
それなら譜めくりの箇所を休みの小節にすればいいと思うでしょう?
ところが弦楽器、特にヴァイオリンは休む暇は殆どない。
しかも短い時間でさっと譜めくりしようとしても、手の湿気がなくなっているから紙をめくるのは至難の業。
目が良くみえない。
手の湿り気がなくてめくれない。
手が短くて譜面台に届かない。
と言ったら、ある人が「それは三重苦ですなあ」と言った。
私はヘレン・ケラーか!
そんなわけで、しばらく落胆することが多いけれど、今は国難の日々。
じっと我慢。
欲しがりません勝つまでは!
おお嫌だ、そんな時代がまたやってこないように祈るのみ。
なにかきな臭い。
いまや日本は弱体化しているから、そんなエネルギーもないかもしれない。
それもなにか寂しい。
古典音楽協会定期演奏会中止のお知らせ
今月25日に予定されていました古典音楽協会第160回定期演奏会は、残念ながら中止となりました。
毎回のように聞いてくださっている皆様に深くお詫び申し上げます。
文化会館の意向が決まるのが16日というので、それまで皆様にお知らせするのをためらっていました。
しかし現在の事情が良くなる見込みが少なく、やむなく中止ということになってしまいました。
すでにチケットをご購入の方
もし、キャンセル返金できるようなら御手数ですが、手続きをお願いします。
あるいは、次回も聴いてくださるお気持ちがあれば、そのチケットをそのままお使いいただけるかどうか確かめますのでしばらくお待ち下さい。
先週の水曜日、東京文化会館のリハーサル室に集まって練習したばかり。
今週の水曜日には2回めの練習がおこなわれるはずだった。
1回目の練習のときには実行に向けて前向きだったけれど、コロナ肺炎の事情は改善するどころか日に日に悪化の様子、苦渋の決断となった。
古典は来年70周年を迎え、メンバーは同じように年を重ね、残りのコンサートを毎回大切にしてきた。
聴手のお客様たちも、同じように毎回楽しみに来てくださったのに・・・・
さて、どうしよう。
気が抜けて呆然としているところです。
旅行もままならず、ジムやエステもこわい。
水泳はまあ大丈夫かもしれないと言われるけれど。
私が卒業してプロの世界に入った頃、大変お世話になったオーケストラのコンサートマスター鳩山寛さん(通称ハトカンさん)
ある年にも同じようなことがあって落ち込んで愚痴をこぼしたら「そんなときはね君、ヴァイオリンの練習をするもんだよ」
なるほど、一番大切なことを忘れていた。
今がその時。
一昨年から私は、体も精神も不健康な日々を送っていた。
今年に入ってから徐々に回復の兆しが訪れて、心機一転のチャンスかもしれないと思えるようになった。
この際、故障続きだった足の治療にかかろうかと思う。
足の痛みは原因不明。
レントゲンにはきれいな骨が写っていて、痛み止めを処方されるだけ。
でも、痺れや痛みや、あるときには立ち上がれないほどの筋肉の衰えなど、様々な症状が日替わりで襲ってきた。
我が家の階段の第一歩が踏み出せないほどで、筋委縮症を疑ったりもした。
膝関節を手術する方法もあるらしい。
筋肉はその後荒療治で毎回へたり込むほど歩いたら、徐々につきはじめた。
1月にコロナに怯えながらフランスに行った。
ヨーロッパで一番高いゲレンデのトロワバレーでスキーを楽しんだ。
それが回復の第一歩。
それからは山あり 谷ありながら気持ちがどんどん前向きになっている。
足首は日によって違うけれど、かなり改善してきた。
以前のネアカのnekotamaさん復活できるかな。
テレビでヒマラヤの高地に住む民族のドキュメントを放送していたけれど、息をのむような美しい山と空、湖、荒涼とした大地、厳しい自然、ああ、こんなところに行ってみたいと心底思った。
ユーラシア大陸をラクダとジープで旅する企画は、まだやっているのかなあ。
遊びに行くと、猫は寂しがりヴァイオリンは不貞腐れる。
キャットシッターさせられる姉は怒る。
浮世の柵はいつでもついてまわる。
毎回のように聞いてくださっている皆様に深くお詫び申し上げます。
文化会館の意向が決まるのが16日というので、それまで皆様にお知らせするのをためらっていました。
しかし現在の事情が良くなる見込みが少なく、やむなく中止ということになってしまいました。
すでにチケットをご購入の方
もし、キャンセル返金できるようなら御手数ですが、手続きをお願いします。
あるいは、次回も聴いてくださるお気持ちがあれば、そのチケットをそのままお使いいただけるかどうか確かめますのでしばらくお待ち下さい。
先週の水曜日、東京文化会館のリハーサル室に集まって練習したばかり。
今週の水曜日には2回めの練習がおこなわれるはずだった。
1回目の練習のときには実行に向けて前向きだったけれど、コロナ肺炎の事情は改善するどころか日に日に悪化の様子、苦渋の決断となった。
古典は来年70周年を迎え、メンバーは同じように年を重ね、残りのコンサートを毎回大切にしてきた。
聴手のお客様たちも、同じように毎回楽しみに来てくださったのに・・・・
さて、どうしよう。
気が抜けて呆然としているところです。
旅行もままならず、ジムやエステもこわい。
水泳はまあ大丈夫かもしれないと言われるけれど。
私が卒業してプロの世界に入った頃、大変お世話になったオーケストラのコンサートマスター鳩山寛さん(通称ハトカンさん)
ある年にも同じようなことがあって落ち込んで愚痴をこぼしたら「そんなときはね君、ヴァイオリンの練習をするもんだよ」
なるほど、一番大切なことを忘れていた。
今がその時。
一昨年から私は、体も精神も不健康な日々を送っていた。
今年に入ってから徐々に回復の兆しが訪れて、心機一転のチャンスかもしれないと思えるようになった。
この際、故障続きだった足の治療にかかろうかと思う。
足の痛みは原因不明。
レントゲンにはきれいな骨が写っていて、痛み止めを処方されるだけ。
でも、痺れや痛みや、あるときには立ち上がれないほどの筋肉の衰えなど、様々な症状が日替わりで襲ってきた。
我が家の階段の第一歩が踏み出せないほどで、筋委縮症を疑ったりもした。
膝関節を手術する方法もあるらしい。
筋肉はその後荒療治で毎回へたり込むほど歩いたら、徐々につきはじめた。
1月にコロナに怯えながらフランスに行った。
ヨーロッパで一番高いゲレンデのトロワバレーでスキーを楽しんだ。
それが回復の第一歩。
それからは山あり 谷ありながら気持ちがどんどん前向きになっている。
足首は日によって違うけれど、かなり改善してきた。
以前のネアカのnekotamaさん復活できるかな。
テレビでヒマラヤの高地に住む民族のドキュメントを放送していたけれど、息をのむような美しい山と空、湖、荒涼とした大地、厳しい自然、ああ、こんなところに行ってみたいと心底思った。
ユーラシア大陸をラクダとジープで旅する企画は、まだやっているのかなあ。
遊びに行くと、猫は寂しがりヴァイオリンは不貞腐れる。
キャットシッターさせられる姉は怒る。
浮世の柵はいつでもついてまわる。
2020年3月6日金曜日
男の子
コロナウイルスのために休校になった兄妹にテレビのインタヴュー。
両親が共働きなので、昼間は兄妹2人だけになる。
6年生のお兄ちゃんと低学年の妹に困ったことを訊いた。
お兄ちゃんは「僕は炊事ができないから困る」と。
小学校6年生にもなってご飯も炊けない?
野菜炒めもできない?
これは親が悪い。
11歳か12歳なら、体のすべての性能は出来上がっているはずなのだ。
この際しっかりと料理を教え込もう。
だいたい日本の男子は特に母親に甘やかされすぎる。
共働きの夫婦でも奥さんが家事の殆どを分担し、夫は仕事を口実にさぼってもあまり非難されない。
こういうことが未だにまかり通る日本の社会が悪い。
奥さんもフルタイムで働いているのに、休日に子育ての手伝いをしない夫も多いらしい。
もう30年以上前だけれど、ミュンヘンに行った時、現地の大学教授の家にご招待頂いたことがあった。
その方の奥様が日本人で、ドイツに華道を広める活動をしている。
そこに14歳の息子さんがいた。
日本ならば中学生?
お宅に着くとすっかりセッティングされて、沢山のお料理が並んでいた。
奥様の手料理だった。
食事が始まると奥様は全く動かない。
お客様のおもてなしはもっぱら男性の役目らしい。
ご主人はワインをワインセラーから運んでくる役目。
そしてメインのホストは、息子さんだった。
奥様は、私はこのお料理作ったからもう働かないのよと、悠然と座っていた。
ご主人は、息子さんが私達に飲み物や食べ物の注文を訊いてお父さんに伝え、それを取ってくる役。
私達はしっかり飲んで食べて笑っているだけ。
グラスが空になると息子さんが、次は何を飲むかと訊いてくる。
それは驚きだった。
会話にも加わって、楽しい時間を過ごした。
ドイツで長年仕事をしていた友人に話すと、それはドイツでも特別良い家庭のことだと言われたけれど。
日本の子どもたちがいつまでも幼いのは、親が子離れできないからではないか。
親がなんでも先回りしてやってしまえば、子供は楽だから動かない。
結果、共働きでも家事をしない夫が育っていく。
子供の時から簡単な料理や後片付けをやらせないと、奥さんから放り出される男性が増えてしまう。
休日にスマホ見てゴロゴロしているだけの男性が離婚されても無理はない。
自分が悪いなんて少しも理解していないのは、子供時代からそうやっているのが当然だったから。
何もしなくても許される宇宙一の幸せ者は猫だけ。
忙しかった頃、仕事に出かけようとバタバタしている時に猫がのんびり寝ているのが、どれほど羨ましかったことか。
そのくせ、私が出かけるのがわかって、わざとお腹が空いたふりをする猫。
冷蔵庫の扉を引っ掻いて餌よこせと言う。
今食べたばかりでしょう、忘れたの?
わかった、寂しいのね、我慢してね。
あなたのご飯のために働いてるのだからね。
こうして猫は何をやっても許される。
ミュンヘンでお呼ばれした家では猫を飼っていた。
きれいな三毛猫だった。
私が「おいで、おいで」と言うとご主人が笑う。
なぜかと言うと、南ドイツでは「おいで」は「おばあさん」のことだそうで。
私が唯一できたドイツ語が「おばあさん」だったとは。
ミュンヘンの公園を歩いていたら、向こうからシェパードを連れた人がやってきた。
すれ違おうというとき、飼い主が犬になにか言った。
すると犬は、耳を伏せ尾を下げて、私の傍らを忍び足で通り過ぎたのには仰天した。
敵意はありませんよ、ご安心してくださいと、言わんばかりに。
全くドイツ人って、なんでも完璧!
でも少し犬が可哀想。
私は大型犬が大好きで、彼らにも好かれる。
友達になれるのに。
だから世の中で一番偉そうなのは猫なのだ。
もう30年以上前だけれど、ミュンヘンに行った時、現地の大学教授の家にご招待頂いたことがあった。
その方の奥様が日本人で、ドイツに華道を広める活動をしている。
そこに14歳の息子さんがいた。
日本ならば中学生?
お宅に着くとすっかりセッティングされて、沢山のお料理が並んでいた。
奥様の手料理だった。
食事が始まると奥様は全く動かない。
お客様のおもてなしはもっぱら男性の役目らしい。
ご主人はワインをワインセラーから運んでくる役目。
そしてメインのホストは、息子さんだった。
奥様は、私はこのお料理作ったからもう働かないのよと、悠然と座っていた。
ご主人は、息子さんが私達に飲み物や食べ物の注文を訊いてお父さんに伝え、それを取ってくる役。
私達はしっかり飲んで食べて笑っているだけ。
グラスが空になると息子さんが、次は何を飲むかと訊いてくる。
それは驚きだった。
会話にも加わって、楽しい時間を過ごした。
ドイツで長年仕事をしていた友人に話すと、それはドイツでも特別良い家庭のことだと言われたけれど。
日本の子どもたちがいつまでも幼いのは、親が子離れできないからではないか。
親がなんでも先回りしてやってしまえば、子供は楽だから動かない。
結果、共働きでも家事をしない夫が育っていく。
子供の時から簡単な料理や後片付けをやらせないと、奥さんから放り出される男性が増えてしまう。
休日にスマホ見てゴロゴロしているだけの男性が離婚されても無理はない。
自分が悪いなんて少しも理解していないのは、子供時代からそうやっているのが当然だったから。
何もしなくても許される宇宙一の幸せ者は猫だけ。
忙しかった頃、仕事に出かけようとバタバタしている時に猫がのんびり寝ているのが、どれほど羨ましかったことか。
そのくせ、私が出かけるのがわかって、わざとお腹が空いたふりをする猫。
冷蔵庫の扉を引っ掻いて餌よこせと言う。
今食べたばかりでしょう、忘れたの?
わかった、寂しいのね、我慢してね。
あなたのご飯のために働いてるのだからね。
こうして猫は何をやっても許される。
ミュンヘンでお呼ばれした家では猫を飼っていた。
きれいな三毛猫だった。
私が「おいで、おいで」と言うとご主人が笑う。
なぜかと言うと、南ドイツでは「おいで」は「おばあさん」のことだそうで。
私が唯一できたドイツ語が「おばあさん」だったとは。
ミュンヘンの公園を歩いていたら、向こうからシェパードを連れた人がやってきた。
すれ違おうというとき、飼い主が犬になにか言った。
すると犬は、耳を伏せ尾を下げて、私の傍らを忍び足で通り過ぎたのには仰天した。
敵意はありませんよ、ご安心してくださいと、言わんばかりに。
全くドイツ人って、なんでも完璧!
でも少し犬が可哀想。
私は大型犬が大好きで、彼らにも好かれる。
友達になれるのに。
だから世の中で一番偉そうなのは猫なのだ。
2020年3月3日火曜日
じっと我慢の子
世の中騒然、デマが飛び交ってトイレットペーパーが不足しているとか。
そうとは知らずに、先日スーパーでトイレットペーパーとペーパータオルをまとめ買いしたばかり。
傍から見たら風評に負けて、買い漁っている頭の悪いおばさんと。
いつも買い物はなるべくまとめ買いをする。
仕事が忙しかった頃は、気がつくとそういうものが切れていたり、買い物に行く暇ないなんて事がしばしばあった。
だいたい1ヶ月先を見越して、暇なときに買っておく。
オイルショックを体験した人は、皆さんそうしているのではないかと思う。
オイルショックのときもすごかった。
コンサート会場のトイレからトイレットペーパーを持ち帰るという輩もいて、呆れ果てた。
少なくともコンサートを聴く人の中に、そういう人がいるとは思いたくない。
心を清らかにしてお帰りいただきたい。
今聴いたモーツァルトが嘆いていますよ。
でも目の前に自宅で不足しているトイレットペーパーがあったら、出来心でつい?
私は他人の目がなくても神様が見ていると、信仰心もないのに考える。
今朝のテレビで、トイレットペーパーにチェーンが巻かれている映像が出ていた。
情けない。
それでも出てくる悪知恵。
チェーンをしたってペーパーは巻き取れる。
カランカランとロールさせて、紙だけ持って帰ればいいじゃない。
災害が来たときのために、一ヶ月分くらいの備蓄は常にしておく。
水、缶詰類、インスタント食品、カセットコンロとボンベ、紙類、ラップ、懐中電灯数個、猫のトイレ用品、餌など。
いざとなれば猫のトイレ用品が人間用にも使える。
流石に猫缶は人が食べてはいけないらしいけれど、死に瀕したら助かるかもしれない。
こういう騒がしい事態のときに大騒ぎせずに落ち着いて考えよう。
昨日まであんなに潤沢にあったものが、急になくなるわけないじゃない。
いつかはコロナも収束すると思うし。
そうしたら、だぶついた商品は値下げされる。
それまで待ったらどうなの。
ケチケチと使って、ひっそりと暮らす。
ひっそりとはいいけれど、コンサートや勉強会の中止が続いてがっかり。
遠くから電車に乗ってレッスンに来てくれる生徒の健康も心配。
オーケストラのコンサートも軒並み中止が続いて先生のルースさんが暇になったので、英語のレッスンの回数が増えた。
いよいよ面白くなったハリー・ポッターは6巻終了間近。
最終巻の7巻をあと何年で読みきれるか・・・
暇になったおかげで進んでいる。
作者のローレンス女史の類まれな才能に、尊敬の念は深まるばかり。
こういうときには外に出ず読書に勤しもう。
他にすることないからいいチャンス。
トーマス・マンの「魔の山」の下巻が読みきれていない。
それもこの機会に読めるかも。
久しぶりにチェスタートン「ブラウン神父」を買ってきた。
アラン・チューリングの伝記も半分読んで放置。
これも積ん読でなく、読んどくにしたい。
臨機応変という言葉がある。
ものが無いときは無いなりに、時間が余れば今までできなかったことをする。
状況に応じて生活を変化させればいい。
毎日決まったようにしなければならないということはない。
なにがなんでもいつもと同じにと思うから苦しくなる。
時々霞を食べて仙人になろう。
一日寝て過ごす猫になろう。
おあずけを言われた犬は辛いけれど、でも時には仕方がない。
そうとは知らずに、先日スーパーでトイレットペーパーとペーパータオルをまとめ買いしたばかり。
傍から見たら風評に負けて、買い漁っている頭の悪いおばさんと。
いつも買い物はなるべくまとめ買いをする。
仕事が忙しかった頃は、気がつくとそういうものが切れていたり、買い物に行く暇ないなんて事がしばしばあった。
だいたい1ヶ月先を見越して、暇なときに買っておく。
オイルショックを体験した人は、皆さんそうしているのではないかと思う。
オイルショックのときもすごかった。
コンサート会場のトイレからトイレットペーパーを持ち帰るという輩もいて、呆れ果てた。
少なくともコンサートを聴く人の中に、そういう人がいるとは思いたくない。
心を清らかにしてお帰りいただきたい。
今聴いたモーツァルトが嘆いていますよ。
でも目の前に自宅で不足しているトイレットペーパーがあったら、出来心でつい?
私は他人の目がなくても神様が見ていると、信仰心もないのに考える。
今朝のテレビで、トイレットペーパーにチェーンが巻かれている映像が出ていた。
情けない。
それでも出てくる悪知恵。
チェーンをしたってペーパーは巻き取れる。
カランカランとロールさせて、紙だけ持って帰ればいいじゃない。
災害が来たときのために、一ヶ月分くらいの備蓄は常にしておく。
水、缶詰類、インスタント食品、カセットコンロとボンベ、紙類、ラップ、懐中電灯数個、猫のトイレ用品、餌など。
いざとなれば猫のトイレ用品が人間用にも使える。
流石に猫缶は人が食べてはいけないらしいけれど、死に瀕したら助かるかもしれない。
こういう騒がしい事態のときに大騒ぎせずに落ち着いて考えよう。
昨日まであんなに潤沢にあったものが、急になくなるわけないじゃない。
いつかはコロナも収束すると思うし。
そうしたら、だぶついた商品は値下げされる。
それまで待ったらどうなの。
ケチケチと使って、ひっそりと暮らす。
ひっそりとはいいけれど、コンサートや勉強会の中止が続いてがっかり。
遠くから電車に乗ってレッスンに来てくれる生徒の健康も心配。
オーケストラのコンサートも軒並み中止が続いて先生のルースさんが暇になったので、英語のレッスンの回数が増えた。
いよいよ面白くなったハリー・ポッターは6巻終了間近。
最終巻の7巻をあと何年で読みきれるか・・・
暇になったおかげで進んでいる。
作者のローレンス女史の類まれな才能に、尊敬の念は深まるばかり。
こういうときには外に出ず読書に勤しもう。
他にすることないからいいチャンス。
トーマス・マンの「魔の山」の下巻が読みきれていない。
それもこの機会に読めるかも。
久しぶりにチェスタートン「ブラウン神父」を買ってきた。
アラン・チューリングの伝記も半分読んで放置。
これも積ん読でなく、読んどくにしたい。
臨機応変という言葉がある。
ものが無いときは無いなりに、時間が余れば今までできなかったことをする。
状況に応じて生活を変化させればいい。
毎日決まったようにしなければならないということはない。
なにがなんでもいつもと同じにと思うから苦しくなる。
時々霞を食べて仙人になろう。
一日寝て過ごす猫になろう。
おあずけを言われた犬は辛いけれど、でも時には仕方がない。
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