2020年9月10日木曜日

パヴァロッティ

 太陽のテノール、ルチアーノ・パヴァロッティのドキュメンタリー映画を見てきた。日比谷TOHOシャンテで上映中の映画、美容院で隣にいた友人が見てきたけど面白いよ、と言うから今日が最後の日なので大急ぎで見にいった。今日は姉に携帯電話の契約をしてあげると約束していたのにすっかり忘れて日比谷に駆けつけた。

コーラスをやっているのに、このところコロナのせいで練習もできないという友人がいるので、誘ってみた。冒頭はアマゾンの川をボートで渡るパヴァロッティの一行。100年前にエンリコ・カルーソーが歌ったというブラジルのオペラハウス「テアトル・アマゾナス」で歌うために。私的な行動だったのでホームヴィデオでの撮影、閉館していた会場を開けてもらい、ピアノ伴奏だけで歌うパヴァロッティ。のっけから、その声量と輝きに圧倒される。

伝説的なハイCのなんと軽々と無理なくでることか!まさに世界のテノール、過去も未来も、こんなテノールが出ることはないと思われる。そして音楽的に優れているということは人間的にもそうであると証明できるような彼の人柄が浮き彫りにされる。

最初の妻の話、娘たちとの関係、かれらからどれほど愛され頼りにされたかということ、特に娘の一人は筋肉硬化症で闘病生活をしたときにどれほど父親から慰められたかと話す。音楽だけでなく人生を生きること人を愛すること、それを表現できることが彼をただの天才としてでなく、神に愛された天才としてこの映画は描いている。もちろん数々の映像から、それらは作り事ではなく、彼の類まれな人柄が伝わってくる。

かれは世界中を公演して周り、その間家族とは会えない。その隙間を埋めるような彼の秘書の女性との恋、彼の奥さんのことを思って身を引いた秘書との別れ、その後35歳年下の女性と恋に落ちる。そして前妻と離婚、再婚したことによってカトリック教会から非難され、声も衰え、イタリアでの名声は落ち込んでいく。彼の活動はオペラだけでなく、ロック歌手との交流や共演もあり、それもクラシック界からの反発を招いた。しかし、これらは軍事的な犠牲になる戦地の人々のためのボランティア活動の一環でもあり、クラシック、ロックとジャンルを問わない彼の心の広さでもある。

今回この映画を見るまではパヴァロッティについてはあまり良く知らなかった。私の長年のもっぱらの関心は、世界3大テノールの一人、プラシド・ドミンゴだった。けれど、ここでパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスと3人並べてみると、圧倒的にパヴァロッティの凄さがわかる。本当の天才とはこのように自然に歌えるものなのかと、驚きをもって聴いた。

オペラフリークのわたしは、オペラのアリアを聴くとたまらない。涙が溢れて止まらなくなるという悪癖がある。最初から最後まで、悲しくもないのに泣いていたので、マスクがぐしょぐしょ。欲を言えば、もう少しちゃんとアリアを聞かせてほしかった。どの曲も一部分だけで終わるのがたいそう不満だったけれど、聽き始めたらオペラ全部が聽きたくなるだろうと思うと、ドキュメンタリーではこの辺がサイズとしてはよろしいのかもしれない。

亡くなる前に奥さんが娘のためになにか書き残してほしいと頼むと、彼はそれを断った。書き残すことによって娘がそれに縛られてはいけない。娘の人生は自由であるべきだという理由から。

これに感動した。なんという大きな人柄、それは娘に対する無限の愛だと思った。食べること、愛すること、歌うこと、イタリア人の3つの信条をこれほどまでに具現した人は他にいるだろうか。私の胸は感動で震えている。

子供の頃、家にあった古い手回しの蓄音機で私はカルーソーの歌を聴いた。そのカルーソーを尊敬してブラジルのシアターまでわざわざ行って歌うほどの尊敬を表したパヴァロッティは、しかし、私が聴いた限りではかるく彼を超えていると思った。古い録音技術も良くないレコードではカルーソーが気の毒だけれど。

帰り道でたまたま今日約束をすっぽかした姉と出会った。急に映画を見に行ったのですっぽかしてごめんと言うと、あら、約束は明日だったでしょう?と空っとぼけた姉の返事。姉妹揃ってのボケ老人。世はすべてこともなし、ですか。







2020年9月8日火曜日

のら大喜び

 アンサンブルのメンバーは焼き肉パーティーが終わって、近所の農園経営の野菜売り場でお土産の野菜を買って帰っていった。私はもう一晩泊まってから帰るつもりでゆっくりしていたけれど、ふと、今夜のうちに帰ったほうが良さそうだと思った。そうすれば明日一日自宅でゆっくりできる。なにか帰ったほうが良いという本能的な勘?かもしれない。台風の影響がどうなるか心配なので、思い立ったらすぐに荷物を積み込み出発。

まだ20時を少し回った頃なのに施錠して玄関の外灯を消すと一寸先も見えないから、車の室内灯を点灯して僅かな明かりで動く。暗いのは構わないけれど、霧が心配だった。案の定、峠の急カーブ続きの下り坂は霧に包まれて先が見えない。慎重にゆっくりと下る。このへんで、やはり明日早朝出ればよかったと後悔し始めたけれど、なんとか霧を抜ける。高速道路に入った頃には霧はやっと退散してくれた。少し雨模様だけれど、穏やかなドライブとなった。こんな天候なので走る車が少ないのも良かった。たぶん、明日になると台風が置き土産になにか悪さをするに違いない。今日帰って正解と思った。ケージの中の猫も相当疲れたらしくニャンともスンとも言わず寝ている。

こういう勘も長年車の運転で旅をするのになれているからだと思う。高齢者から免許を奪おうという動きの中で、私は免許がないと生きていけない、そんな人もいるのをお忘れなく。

免許をとったばかりのころは相当無茶だったけれど、最近はとにかく慎重に運転している。事故はいままで一度も起こさなかった。もちろん自損事故といっても軽いものだけれど、縁石にタイヤを擦ったり、電信柱に頬擦りをしたりはしょっちゅうやっていたけれど。

夜中に車を駐車場に入れると、矢のように飛んできたのは私のノラ。待っていてくれたのだ。彼女は私の車を覚えていて、車で帰宅するとどこからともなく現れる。もう抱っこができるほど馴れてきたので家に入れようとするけれど、そこから先がうまく行かない。わかっているのだ。外で私に抱っこされるのは安全、だけど、あの玄関入るのは未知の世界、なにが待っているかわからない。キャットシッターをお願いした上の階の人は几帳面だから、ちゃんと餌を与えてくれたようで、ノラはこの前のようにやつれてはいなかったのでホッとした。

ノラ、ノラと言うけれど、もしかしたら半分飼い猫かもしれない・・と思うのは、ノラにしては毛並みがきれい。人懐こい。あまりガツガツしていない。うちに来るのは自分好みの餌が提供されるからであって、自宅に帰れば餌がもらえるとか?まあ、どうでもいい。今の所は、うちのノラ、そのうちに飼い主のもとに帰るかもしれないし、もしかしたら我が家の飼い猫になるかもしれない。

北軽井沢の家ではテレビが見られないので久しぶりにテレビをつけると、列島各地とんでもないことになっていた。台風の通過点ではないところでも風が吹き荒れたり大雨が降ったりしたようだ。森の中で嵐の音を聞きながら停電でもされたら怖い。やはり帰ってきて正解だったかもしれない。さすがに疲れていたようで、お風呂から出てベッドに横になった途端ぐっすり。朝まで眠り、朝食後もすぐに眠り、夕食後もすぐに眠った。

することは眠るのみ。私は眠り猫。一緒に眠りこけていた猫は今朝はスッキリ。起きている間中猫じゃらしで遊べとうるさい。どうやらこの猫じゃらしが引き金となって、彼女は世の中に遊びというものがあることを知ってしまったようだ。浅間牧場のススキをお土産にしたときには、猫じゃらしどころでない興奮状態だった。ニャン生の後半で覚えた遊びは質が悪い。老いらくの恋ならぬ老いらくの遊び、このさき私は彼女の家政婦兼パーソナルトレーナーとしてこき使われるのか。

猫なら何でも許す。私は前世、エジプトで人間に初めて飼われた猫のお世話係の子孫かもしれないなんて、ネコ好きは皆そう思っているらしく、追分の友人なんぞは猫の食事の世話があるからと言って、目の前で美味しそうな匂いがしていてもさっさと帰るくらいなのだから。猫の魔力恐るべし!














2020年9月7日月曜日

アンサンブル・フリーク

こんな森の中まで来てくれたのは弦楽アンサンブルのメンバー。悲しいことに今回は全員とはいえない少人数になってしまったのは、もちろんコロナウイルスのせいで公共施設が使えなくて練習場所の確保ができなくなったこと。この弦楽アンサンブルとその関係者からは感染者は出ておらず、彼らは非常に良識のある人たちなので予防には協力的。だからと言って絶対安全とは言い切れないけれど、少なくとも感染を怖がるということがまず大事なのではと思う。

自分は絶対に感染しない、感染するのは怖くないなどという人はちょっと敬遠したい。私は最初のクルーズ船の報道を聞いた時から怖かった。これはただ事ではないと思った。決して近寄ってはならないとも。

森の中の家の今回の訪問者たちは元気溌剌、私が以前講師をしていた音楽教室の教え子たち。同じメンバーでこれほど長続きするのは珍しい。途中で多少のメンバー交代があったけれど、ほとんどの人たちが辞めないでいる。なにか決定するときも全員が意見を言える雰囲気なのが長続きの理由かもしれない。

自宅から車で来る人、新幹線で軽井沢からレンタカーに乗り合わせてくる人などがニコニコ集合。それと追分に住むヴィオリストの友人も加わってくれて、このノンちゃんの家に音楽が鳴り響いた。この家は吹き抜けと木の壁で、とても良い音がする。ノンちゃんはこの家で小さなコンサートを開くのが夢だった。けれど、ノンちゃんが生きているうちは私は忙しく仕事をしていて、ノンちゃんの夢をかなえてあげられなかったのが悔やまれる。

家中の窓を全開にしても、どこからも苦情はこない。森の動物はびっくりしていたかもしれない。みなマスク着用。鬱陶しいけれど仕方がない。今回流れてしまった発表会で弾く予定だったドヴォルザークの弦楽セレナーデがメインで、今年弾けなかった分の楽章と来年予定していた分を合わせて初見で譜読みしたり、出来上がった楽章を通して弾いて彼らの力量がたいそう上がったことを示した。

以前だったら初見はおろか譜読みしてきても、最初はガチャガチャ。私の言う「この世のものとは思われない音」で、終始した。今はこうして初見でもなんとか曲がまとまって通して弾ける!これはたいした進歩です。個々人の技術が上がったのと、アンサンブルを心から愛する気持ちの表れ・・と言いたいところだけれど、彼らの目的は練習後の飲み会にあるような気がしないでもないこともあるかもしれないかも、むにゃむにゃいやはや・・・・飲むために弾く、それでも良いのです、音楽やワインを愛するのは生きることを愛すること、人生の質を豊かにすることと通じるので。

彼らは音楽も人生も愛することに長けていて、鬼教師の罵詈雑言を耳をスルーさせる技術にも長けている。一般社会ではエリートクラスなのに、こんなことでなぜ叱られなければいけないのか、疑問に感じることもなさそうな。たぶんそういう我慢強さが彼らをエリートに仕立て上げたのかもしれない。みんな偉い!

午後からたっぷりと弾いて、近所の食堂のテイクアウトのお弁当が夕飯。大いに飲んだあとは大騒ぎしながら暗い森を抜けてホテルに帰っていった。懐中電灯の光で照らしても足元が覚束ないほどの真の闇。都会で暮らしたらおそらく絶対にお目にかかれないほどの。もっとも闇ではお目は役立たない。

楽しそうだなあ。取り残された私はしょぼん。うるさいので押し入れにずっと隠れていた猫はニコニコ。

次の朝はもう一度昨日の復習と次の楽章の初見、驚いたことにその後、3つの楽章を通して弾いた、弾けてしまったのだ。今回、彼らは遊びにきたのだと思っていた。けれど、目的はレッスンだったらしい。私はレッスンをしないで一緒に楽しく弾いていたけれど、彼らはそんな時間の無駄はしない、あくまでもエリート族の態度なのだ。あらま、それは失礼しました。それならいつもよりずっと手ぬるかった。ビシバシしごけばよかった。しかし、フィンランドのようなと言われるこの美しい森の中で、教師の理不尽な言いがかりを聞きたいとは物好きな。

シメはバーベーキューと思っていたらあいにくの雨で、家の中で焼き肉に早変わり。大勢で食べるご飯は美味しい!!!!








2020年9月4日金曜日

浅間牧場へピクニック

 昨日はやや曇り空だったけれど、今朝は目が覚めたら素晴らしいお天気。今9時半の時点で雲一つない晴天。今「くも」と入力したら変換予想で「くも膜下出血」と出た。なんじゃこれは。縁起でもない。午後から雨の予想もあるというので晴れているうちに浅間牧場に出かけることにした。軽井沢のY子さんがお弁当を作ってきてくれるそうで、私はキャベツとパプリカをレンチンしてドレッシングであえて待っていた。

それにしても暑い!湿度が高いので余計感じる。

今年の暑さで思い出すのは、今から約30年ほど前。私はそのころ仕事で悩んでいた。今でこそ人前で弾くのはうれしいし練習さえ完璧にしてあれば、それほど緊張しない。しかし、そのころは私は弓を持つ方の右手が震えるという悪癖があった。時によるとオーケストラの中でそのことが原因でやめてしまう人がいるくらい、一種の職業病となっていた。たぶん私たちは基礎的な技術を学べなかったのだと思う。当時は教師も弟子も技術的には手探り状態で、日本の技術教育がいかに遅れていたか、そういう人が多かった。その中の一人がこの私だった。

自分で悩みぬいた末、様々な練習をしては失敗したり、静かな長い音を出すときは白い音符の2分音符や全音符を見るとか顔が青ざめることもあった。今の人たちは最初から良い技術を教えられ、物おじしないためにそういう人は、まず、いないと思うけれど。戦後のどさくさでちゃんとした技術が教えられない教師も中にはいたということで、時々無理に変な形での運動を教えられたものだった。まして私の様に最初からヴァイオリン弾きになるつもりのない子供にとって良い教師に巡り合えるはずもなく、見様見真似、ほとんど独学と言ってもよいほどのひどさ、それでいざステージに立つと緊張して腕が硬くなり震えてしまう。ただし、海外の一流オーケストラでも弓が震える話は聞くから、技術だけでなくメンタルのせいかもしれない。

そんなことで悩んでいたので私は瞑想を始めることにした。なんとかメンタルを強くしないとこの悪癖は治らない。長いセミナーを受けてようやく震えは収まった。瞑想を始めたその年の夏は、今年の様に異常に暑かった。一般家庭に今ほどエアコンが普及していなくて、私の家もそのうちの一つ、ある時瞑想をしていたら意識は瞑想状態に入っているのに暑さはちゃんと感じる。これを通り過ぎれば暑さも我慢できるのだと思うけれど、まだその域に達していない。すると私の中からもうひとりの私が抜け出て部屋のドアを開けに行ったのだ。

そこで本当にドアが開いたのならオカルトだけれど、実際は開かなかったからまだまだ修行が足りなかったようだ。よく言う幽体離脱?瞑想を始めて2回ほど体験をしたことがある。瞑想をしている自分を上から見下ろしている自分。あらあら、足が開いているじゃない、みっともない、なんて思っている自分がいた。わたしの場合どこまでも色気がないのが残念なところ。

私の人生でとても役に立ったのが瞑想だった。心がいつもざわついていて毎日の仕事があまりにも忙しく、自分を見失うことが多かった。そんなときに瞑想状態に入った時の心の静けさを思い出すと胸からつかえが落ちるようだった。その後の仕事でも世間の風は強かったけれどなんとなく乗り越えられた。音楽事務所の社長によく言われた。「nekotamaさんは打たれ強いねえ」自分の息子くらいの人たちと仕事をしているとなかなかシビアな場面になることが多い。彼らにしてみれば、私がいつまでも仕事をやっていることが自分たち世代の仕事を減らしていると思っている。椅子が一つ空けば若者が一人仕事にありつけるのだ。

そろそろ引退なさったら?なんて言われることもあった。それでも仕事は来る、私に頼むのは今までの実績があるからと自負してありがたく引き受けることにしている。今やっと仕事から離れてこうしてピクニックを楽しめるのも、その時々を精一杯に生きたから、しかし、幽体離脱したもうひとりの自分は言う。あなたねえ、お気楽で使いやすかったのよと。自分の力量を知っているから威張らない、ギャラについて文句は言わない。遅刻しない。使いやすいよね。

さて、本題の浅間牧場へのピクニックは大正解。気持ち良い風が吹き抜ける牧場は日差しが強く牛さんたちはほんのわずかの木陰に丸くなって集まっている。一面の草原で木が少なく、日差しは容赦なく照り付ける。丘の上のあずまやに数人人が集まっている。ここしか日陰がないから、私たちもちょっと失礼して腰掛けさせてもらった。空はすでに秋の色、雲が沸き立って間もなく雨になりそうな。Y子さんのお弁当はおかずが少しずつ、いろいろな種類が入っていて、おいしかった。特に野沢菜の漬物を炊き込んだごはんが最高!こういうところで食べるのは久しぶりだけれど、本当に良い。

コロナでこういうことを再認識した人が多いようだ。私たちもずっと以前に忘れてしまったほんの小さな幸せを今自分の手に取り戻そうとしている。


2020年9月3日木曜日

頭が重い

夜明けの陽が木々の間からキラキラと、まるで宝石が光を放つように輝いている。今日も又美しい一日が始まる予感。しかし、それは午前中までのことだった。午後になると曇り空となり、低気圧に弱い私は頭が重い。明後日から生徒たちが集まってくる。コロナや台風や様々な障害があって、人数が減ってしまったけれど、私の北軽井沢生活をのぞこうという魂胆で。 我が家は手の消毒やマスク、フェースシールドなど完備して待ち構えている。最近は人に会うのも決死の覚悟。いつまで続くのか。

彼らは近くのホテルに泊まって、楽器を持ち寄って我が家で遊ぶという。以前、私の生徒たちが毎月のように集まって楽器で遊んだ名残なのだ。なんでもいいから一曲ソロを弾かないと飲ませないよと脅かして弾かせる。そのあとは楽譜を初見で弾いてアンサンブルをした。それがあまりにも面白かったので、ついプロになってしまった子がいたくらいで。

これはアメリカで勉強したチェリストの話にヒントを得たものだった。あちらではね、オーケストラの演奏会が終わってからだれかの家に集まってサンドイッチパーティーというのをやるのよ。その場でメンバーを組んでアンサンブルをしたり、飲んだり食べたり、すごく愉快だった・・という話を聞いた。そいつは面白そうだわい。で、やったら本当に面白かった。

生徒たちがバーベキューをやりたいというので、今日は浅間ミートまで買い物に出かけた。この精肉店は安くて品質が良いという評判のお店。だいぶ以前になるけれど、お隣さんの車に乗せてもらって一度だけ行ったきり。初めて一人で行くので道がわからずカーナビをセットした。最後の目的地に到着したという案内の後は、シーンとしているナビ。これじゃわからん。

その辺で出会ったお嬢さんに訊くと、感じよく対応してくれる。この辺の人たちは今まで一度も嫌な思いをしたことがないくらい穏やかな雰囲気なのだ。そしてやっとたどり着いたお店にはいきのいいお兄さんが二人、これこれの人数でと頼むといろいろ考えてセットしてくれた。生徒から先生はなにもしないでいいですと言われていたから、もしかしたら肉も用意してくるかもしれない。重複したら冷凍しておけばいいから、余計なお世話と知りつつ余計な手出し。だって、一人でずっと森の中。もう退屈で退屈で。

本当なら大勢で発表会に向けて合宿をする予定だった。それがコロナで公共施設が使えなくなり発表会も中止、それで合宿も中止となっても彼らは少人数でこんな山の中まで来てくれようという。ありがたいのと心配と半々だけれど、とてもうれしい。森の中の別荘地は閑散としている。窓を開けて騒いでも差し支えはないと思うけれど、万一苦情が出たら窓を閉めないといけない。換気扇フル稼働で。今年の暑さはここ北軽井沢でも半端なく、この先もこういうことがあるといけないので、エアコンを入れることにした。

電気屋さんに訊くと、今年は今頃になっても軽井沢ではエアコン設置の注文が殺到していて、大変忙しいらしい。だから最初からエアコン入れてくれればよかったのにと口の先まで出かかったけれど、電機やさんもこんなことは初めてで、除湿器で十分と考えたのだと思う。費用も安くすむから。この先又涼しい夏が続くようだと余計な出費になると思うけれど、最近の気候の激しさを見ると、たぶん入れて正解。森の湿気がすごいので、エアコンはやはりほしい。

電子ピアノも置きたいし、なにかと用事が多いのに私の行動力は日に日に衰えていく。周りからせかされてもなかなか動きだせない。まだ午後5時なのにあたりはもう暗くなってきた。これから秋が深まってこの辺は素晴らしい紅葉の季節になるけれど、今年は人が来てくれないからすごく寂しい。去年はスキーの仲間でクラブの会長のお誕生祝のバーべキューをしたのに、今年はそれも実現できるかどうか。せっかくみんなの遊び場としてこの森の家を確保したのに。ぐちぐちぐちぐち・・・

肉屋さんを出ての帰り道、カフェを見つけた。コーヒー飲みたい。車をよせると中から人が出てきた。ここも人が少なく閑散としているようで、もしかしたら私が今日最初の客?周りは畑に囲まれている。嬬恋のキャベツの生産地なのだ。店の人が嬉しそうに話しかけてくる。お酒お好きですか?

え、お酒?なるほど店内には珍しいワインやビールが並んでいた。ポルトガルから輸入するという。レミー・マルタンの大きい箱が4000円。おや、安いじゃないですか。昔レミー・マルタンと言えば超高級品だったのに。

コーヒーが飲みたいというと大きなカップになみなみと淹れてくれた。彼のお母さんが焙煎したのだと言うからお母さんはこの辺に住んでいるの?と訊くと、いえ、大阪です。そんな他愛もない会話が弾んで、この辺りではみな人恋しいのかなと思った。人が少ないから、会話もあまりできない。口の筋肉が緩んでしまう。コーヒーを飲み終えて、せっかくだから北欧の熟成ビールとやらを一本買ってきた。

少し車を走らせるとそばや発見。コーヒーが先で食事が後になってしまったけれど。立ち寄るとまたもや客は私独り。お蕎麦は甘みがあっておいしかったけれど、なんだか盛り上がらないこと甚だしい。私は一人で遊ぶのはとても好きだし大勢でいるよりも行動が縛られないからいいのだが、いつも一人では面白くない。早くみんな来てくれないかなあ。

夕方、少し日差しが戻って、今日も美しい夕暮れになった。心なしか頭の痛みのが軽くなったような気がする。この次来るときはだれか、首に縄付けてしょっ引いてこよう。











2020年9月2日水曜日

森の中で

森の中で太い犬の鳴き声が聞こえる。大きな犬が向こうから来て思わずうれしくて握手。 飼い主さんは飛びついてはダメというけれど、犬に飛びつかれないと会った気がしないから、私は喜んで飛びつかれる。犬の声がするから、我が家の猫は恐怖で目が真ん丸になる。ここに来ても押し入れに閉じこもっている。

高速の軽井沢で降りた時には小雨か霧雨だった。急カーブを上り詰めると長い下り坂が続く。森の中の家に到着して窓を全開にすると、明るい陽が差していた。去年までは雨ばっかり、雷もひどくおまけにセミの鳴き声がやかましかった。今年は数週間前に来た時も珍しく晴天続き。今回も台風接近の情報があるのに、まだ晴れている。晴れ女復活の兆しかな?

今朝3時に目が覚めて、これ以上寝ると一日眠くなるからと思い、出発することにした。世間は寝静まっている。駐車場に行くともう野良は餌を待っていた。前回餌やりを頼まずに出かけたら1週間後、やせていたから今回は上の階の住人に餌やりを頼むことにした。上の階の女性は大の猫好き。あまりにもまじめで手を抜かないから、うっかりお願いすると疲れてしまうらしい。それでも喜んで引き受けてくれた。何やかやで出発は5時、到着は8時ころ。道路は空いていたし、時々雨模様ながらひどくはならず、快適に走ってきた。最初のころより時間は短縮されてきた。道路状況や渋滞の予想で、この時間に出るのが一番効率的と見た。

帰りは夕日を見ながらが一番よろしい。ちょうど夕方のラッシュが過ぎたころ高速を降りることになる。そんな経験を積み重ねてきたのと車が新しいのが運転をさらに楽にしている。車などの機械類は10年も経つと驚くべき進化をする。前に乗っていたシルフィーはとても良い車だった。まだまだこの先10年くらいは乗れると思ったけれど、いざ新しい車に乗ると今までの安全性が嘘のように感じられる。本当に安全になって運転しやすい。

若いころならまだ乗っていたかもしれないけれど、もう自分に自信もないから、ある程度機械にやってもらったらいい。猫もドライブに慣れてきて、最初のころはずっと大鳴きに鳴いていたのに、最近はすぐにおとなしくなって寝ているようなのだ。声を出さなくなった。

追分の友人に電話するとランチを一緒に食べようということになり、近所のハコニワ食堂に行くことになった。ところが食堂は閉まっていた。ご主人に電話すると定休日だそうで、あちゃあ~!みんなここの料理がだい好きなのだ。それで旧北軽井沢駅舎のある場所近くの定食屋さんに行ってみた。ソースカツ丼というのがあるので二人ともそれを頼んだ。これが大当たり!

カツがすごく柔らかい。難を言えばせっかくキャベツの産地なのにキャベツが少ないこと。ごはん減らしてもキャベツが食べたかった。北軽井沢のキャベツは本当に安くておいしい。先日自宅のほうでキャベツを買ったら、あまりにも硬くて高くて泣きそうだった。

その後の台風の情報はと言えば、今発生している二つの台風が合わさると、とんでもない大きさになるらしい。はたして私は帰宅できるのかしら?こちらには来ないでほしい。



2020年9月1日火曜日

涼しくなったから

涼しくなったから避暑地に行こう。アハハ、なんだか変。

猛暑のときにはなにかと自宅の方の用事があって、ふうふう言いながら都会で暮らしているバカバカしさったら、なんていうと、今現在企業戦士として汗だくで働いている人たちには申し訳ない。でも私だって後期高齢者になるまでは、暑かろうが寒かろうが、台風が来ようが、必死で働いていたのよ。楽しかったけどね。

本当に何が面白いって、飛行機に乗れる、見知らぬ土地に行ける、その土地の食べ物が食べられる、好奇心以外なんの持ち合わせもない猫としては、こんな面白い数十年はなかった。誰かに分けてあげたいような、自分だけ楽しみたいような。

今でも自宅以外のところに行くのはすごく嬉しいけれど、このご時世だからどこにも行けない。自宅玄関から車に乗り込んで、森の中の一軒家の玄関にするりと入り込み、何食わぬ顔で暮らして、数日後にはドアツードア。また自宅に猫さんとお籠り。さっきつくづく外国に行きたいと思った。もう何年も行っていない・・・と思ったら、つい数ヶ月前にはヨーロッパの雪山滑っていたんだ。来年は行けるのかなあ、だめだったらもうスキーは滑れなくなってしまうかも。足腰が弱ってきているので。

やっと北軽井沢に行けるので、また明日の早朝、車を走らせる。台風が発生しているので滞在予定の来週月曜日までは良いお天気は望めそうもないけれど。食料の殆どは自宅から持って出るけれど、滞在中の野菜だけはあちらで買う。野菜の美味しさと言ったら、月とスッポン。北軽井沢のキャベツの美味しさったら!軽井沢の有名なスーパーは大賑わいだから、買い物をしたくない。わざわざ人混みに行く危険は避けたいので。ひっそりと森から森へ、まるでコウモリのように渡り歩く。しかし、そろそろこんな言い訳しないでも大手を振って北軽井沢に行けるようになってほしい。

仕事は超楽しかったけれど、同時に絶え間ない緊張感に悩まされていた。ワクワクドキドキハラハラ、ジェットコースターに乗っている気分。様々なチャンスに恵まれて、国内外の名人たちとも度々お手合わせさせてもらった。なんで私のような下手くそがこんなすごい人達と一緒のステージに居るのかと不思議だった。それは幸運としか言いようがない。なにか手元に引き寄せるパワーがあったのかもしれないけれど、その人達から得たものは計り知れない。

今、毎日のんきに家にいると、そこはかとなく罪悪感を感じる。人間こんなに何もしないでいて良いわけ?と。根っからの仕事人間になってしまっていたのだ。もともとはそういう性格ではなかったはずなのに。一日中ぼんやりと雲を眺めていられる性格だった少女時代。私だって少女だったころもあったのよ。想像できないでしょうけど。

それでもなにか始めると止まらない。小学校6年生の夏休み読破した本が約100冊。しかも大人の文学書ばかり。一日3冊読み切ってしまう。蚕が桑の葉を食べるようだった。殆どが長姉の蔵書だった。他に自分で買ったり図書館で借りたり、よくそんなエネルギーがあったものだけれど、思い出すと若い頃というものは、今では到底できないほどの行動力があった。考えるより先に行動していたものだから。読んで読んで読みまくって、それならそんなに内容は覚えていないだろうと思うのに、ちゃんと覚えている。感動したのはドストエーフスキー。本当にわかっていたのかと後年おとなになってから読み返してみたら、小学生時代そのままの感動だったのには驚いた。そこで私の成長は止まっていたのだ。だから今でも子供っぽいのはそのためらしい。

大人になってからは馬に乗ったりスキューバダイビングやったり、相当なお転婆だった。今ではもう椅子から立ち上がるのもどっこいしょ。こうなってしまうのかと自分でも呆れている。三浦雄一郎さんのように80過ぎてもエベレストに登るなんて、信じられない。セサミンのおかげ?アハハ、テレビ見すぎ。

スキーだけは来年もやりたい。当面の計画は、原書のハリー・ポッターを読み終えること。今最終巻の7巻目に突入したばかり。読み終わったら豊島園の跡地にできるというテーマパークに先生のルースさんと一緒に行こうと約束していること。それが終わったら、終わっちゃったらどうしよう。