2010年3月31日水曜日

桜の木の下には屍体が埋まっているそうだけど。

今朝は寒さも緩み、桜も5分咲き、鳥が蜜を吸いにきて、うららかな日。散歩に出かけると、例によってからすの夫婦が待っていて、しばらく立ち話。少し、頑張って歩きつかれたので、コーヒーを飲む。再び歩き始めると、駐輪場の係りの人がこちらを向いて、お相撲さんがしこを踏む前に、よくやるでしょう。蹲踞の姿勢と言うのか、そんな格好をして、ピースサインを送っている。はてだれに?と後ろを振り返ってもだれもいない。でも、その人は知らない人。なおも近ずくと、シオマネキのように、ピースサインを振ってくる。私のいでたちと言えば、マスク、幅広の帽子を目深にかぶる、花粉症モード。顔は判別できないので、どうやら知り合いと間違えているらしい。もっと近ずくと、帽子の下の顔を見ようと、しきりに視線を送ってくる。軽いノリですぐ反応する私だから、ピースサインを返して、ばあ、といってあげようかと思ったけれど、そのあとの気まずさを考えて、やめにした。不審そうにこちらを見ているから、余程似ている人が知り合いにいるのだろう。でも、あの人は今朝のことを思い出して、しばらくは恥ずかしいかも知れない。通りすぎてから、しばらく、クスクス笑いがとまらなかった。花は爛漫。本当に根元に人が埋まっているのかもしれない。

2010年3月29日月曜日

生徒はウィーン。先生は・・・・

今年K大を卒業して、新社会人になる生徒が、挨拶にきてくれた。彼は高校と大学のオーケストラで、7年間ヴァイオリンを弾いていた。子供の頃から弾いてはいたものの、ごく普通のお稽古事としていたし、高校受験で中断していたので、特にずば抜けているわけではなかった。しかし、高2の時、ソロを弾かないかと言われ、だいぶ迷っていた。自分のレヴェルでコンチェルトがひけるだろうか。相談されたので、即、引き受けるように説得。とにかく、やってみなければわからないでしょう。もし、どうしても出来そうも無いと思ったら、断れば?  さて、それから曲を何にするか。やってのけられるのか。K大オーケストラにはコンクールに入賞しているような、上手い子がゾロゾロいる。でも、学年単位でソリストを決めるので、同学年生がたまたま彼と同レヴェルだったりすると、チャンスが回ってくる。まず、前髪をつかませてから、さてどうしましょう。モーツアルトでは、オーケストラ編成が少なくて、他の子たちが不満だと思うし、かといってブルッフやメンデルスゾーンが弾けるレヴェルでは無い。派手でオーケストレーションが分厚くて、ソロが比較的楽で、考えてラロの「スペイン交響曲」これなら、なんとかなりそう。    それからは、明けても暮れてもラロ。本当に良く努力してくれた。実を言えば、途中、挫折も考えていたのだけれど、なんとか、本番にこぎつけて、弾いてのけました。緊張のあまり、一人で歩けず、親友の指揮の学生に支えられて登場。ドキドキして見守る中、始まった。力みすぎて音がつぶれたりした場面もあったけれど、無事弾きおおせて、先生としてはウルウル。その粘りと努力に脱帽。早くもそれから数年、卒業旅行はヨーロッパに演奏旅行だと。私だって演奏したことの無い、ウィーン楽友協会やアムステルダムコンセルトヘボーだの、うーっ、うらやましい。その前の学年の生徒の時もそうでした。私が鹿児島の空港でバスを待っていると、「これから、ウイーンに出発します」と、メールがきたので、「生徒のあなたはウイーンで先生の私は鹿児島に出稼ぎ。ずいぶんじゃない?」でも、生徒が悪いわけじゃなく、先生が甲斐性なしなのです。

2010年3月28日日曜日

お見舞い

先日、かつての生徒からメールが来て、足を手術することになったので、入院するとの連絡があった。以前から股関節が悪く、雨の日には外出できないなど、問題があったので、仕方が無くレッスンは休止していた。レッスンは休んでも、常に連絡はあって、天気がよければ必ずコンサートに来てくれる。「火曜日が主治医との面談です」というので、木曜日ならお見舞いに行っても差し支えないだろうと、お花を用意して出かけたが、あいにくの雨。しかも、土砂降り。その上、駅の駐車場に放り込んだ車の中に、傘を忘れた。花はステキにアレンジしてくれたものの、大きすぎて扱いにてこずるし、目的駅に着いたときは、花も人もクタクタ。コンビニでビニール傘を買って、ようやく、病院に到着。受付でお見舞いの申し込みをするが、「その方は入院していません」と言われる。でも、メールに入院すると書いてあるし、病院名もたしかめたし・・・そんなはずは・・・試しに自宅に電話をすると、居た。のんびりした口調で、「あのー、来月のことなんですけど」   病院にはステキなお花やさんがありました。

2010年3月26日金曜日

父の7回忌

父が96歳の天寿を全うして、あの世に行ったのは6年前。日課のご近所回りを終えて、お昼を食べ、テレビで高校野球を観戦していました。あまりにも、じっと見ているので、不審に思った兄嫁が声をかけたが、返事がない。よく、寝ていると思っていたら、実は心臓がパタりと、とまっていたのです。大往生でした。母はその10年ほど前に亡くなっていたので、寂しかったとはおもうけれど、町内のボス猿(申年)で、ご近所の皆さんに良く面倒を見てもらいながら、町内を歩き回っていたので、普通のお年寄りよりは、どれだけ幸せな境遇だったか。晩年は電動車椅子で、車道の真ん中を、涼しい顔でノロノロ走り、大変な迷惑爺さん。でも、あんまり堂々としているので、誰も文句が言えない。見ているこちらがハラハラしました。猫魔さんは、兄弟中で一番父親似だと言われています。でも、車椅子で車道を走るなんて、恐くて出来ないなあ。子供の頃、ヴァイオリンがほしいと言ったら、すぐに渋谷の楽器屋さんに連れて行ってくれた。母は6人もの兄弟を育てるのだから、そんな無駄遣いは出来ないとおもっているが、父は喜んで買ってくれた。どうしてかなあと思っていたら、もう、父がすっかり年を取って、猫魔さんもいい年になった頃、押入れから、とんでもなく古いヴァイオリンの楽譜が出てきた。一体誰の?と思ったら、父の物だそうで、ほんとにびっくり。それで、娘がヴァイオリンを弾くのを、喜んだのですね。あまりにもアッサリとあの世に行ってしまったので、本人もまだ、自分が死んだことに、気が付いていないのではないかと、思っています。今日は兄弟が集まって、7回忌をしたけれど、にぎやかなことの好きな人だったから、参加していたかもしれない。

2010年3月25日木曜日

世界のミュージアムカレンダー


このブログにyahooから入れるかな?と思い検索したところ、田中 一村の記事が世界のミュージアムカレンダーというところに引っかかっていて、入ることが出来ました。こうやって網の目がどんどん広がっていくのですね。一村は死後あんなに立派な美術館をたててもらって、死して皮を残しましたが、本人はそれを知ったらどう思うのでしょうね。ゴッホだって、生前一枚も絵が売れなかったそうだし。     以前のブログで、伊藤若冲を見に,金刀比羅さんに行った話を書きましたけど、先日、金刀比羅宮で襖絵の公開をしているのを、テレビで放送していました。なあんだ、しょっちゅう公開しているのですね。あわてて行かなくても良かったかも。しかも、私たちが行った時は、照明も暗くてよく見えませんでした。テレビ用でしょうが、とても明るくて、あんなに照明あてていいの?と思います。それなら、人が見るために、もう少し明るくしてくれれば良かったのに。若冲はアメリカなどに大量に流出して、日本に残っているのは少ないのが残念。展覧会のために、わざわざ外国から借りなくてはいけないなんて。倉敷の大原美術館などは、その反対の例ですね。松方コレクションなども。私も目利きだったら良かったのにと、思います。少しは芸術家の生活に貢献できたかも。財力も見る目もないので、世間の絵描きさん達、すみません。お役にたたないで。

2010年3月24日水曜日

八幡平

毎年のように八幡平に山スキーに行っていた。その年によって違ったが、4月5月の連休あたり。雪国の春は梅と桜がいちどきにみられる。花々が一斉に咲き始める美しい季節だ。特に水芭蕉の群生は見事で、毎年楽しみだった。ある年から行かなくなったのは、岩木山が噴火の兆しを見せたことと、年々雪が少なくなったためで、そのうち、こちらも年を取って、面倒になったせいもある。ゲレンデを滑るわけではないので、一人は運転手として、みんなを山の上に運び、滑り降りた地点まで迎えに行かなければならない。ある年このグループ(雪雀連・・・・せつじゃんれん)に初参加のなかむら氏、せっかく初めて参加したのに、切り株と仲良しになって、わき腹を強く打ち、怪我をしてしまった。ところが、誰も同情してくれない。まず、最初にかけられた言葉は「足は大丈夫だね。運転できるね?それでは、運転して。」だった。血も涙もない冷酷な仲間にもめげず、彼はそれから、ずっとメンバーの一員です。盛岡八幡平から秋田八幡平に抜ける道路は、この頃開通する。その道を走って、秋田八万対のゲレンデまで行き、温泉を楽しむ。時には雪が無くて、スキーがふきのとう摘みに変わることもある。摘んだふきのとうを、ホテルでてんぷらにしてもらう。これも、一つの楽しみ。

2010年3月23日火曜日

春ですねえ。

今朝、今年初めて鶯の声を聞いた。まだ、少し歌が下手で、ホッホッケッキョみたいにたどたどしいが、紛れも無く鶯。すれ違った人に「鶯が鳴いていますね。」と声をかけると、「お花が咲きましたね。」どうでも良い事を会話するのも、のどかで良い。女性はなんでもなく出来る、こんなことも、男性は苦手らしい。女性の寿命が長いのも、殻にとじこもらないで、見知らぬ人とも会話できる、この辺も一つの要因らしい。猫魔さんには2人の兄と、3人の姉がいる。あわせて、6人兄弟。4人の姉妹は集まると、ずーっとしゃべっているが、兄たち、特に数学をやっている次兄は、無口きわまる。
兄弟が集まって、ペチャクチャしゃべっているのに、黙って酒を飲んでいる。それに気がつくと、女性群は兄を攻撃しはじめる。「ねえ、この人の声、今日聞いた?」「まだよ」「ほら、なんとか言いなさいよ。ウーとかアーとか」  フッフッフッ、などと、苦笑まじりにやっと声をだすが、言葉らしき物は、出さない。その分奥さんがよくしゃべるから、相殺されるのだが。      散歩の帰り道、一羽の白鷺が川の中に静かに立っていた。いつも、一羽しかいない。行きがけに会ったカラスはいつも夫婦で挨拶にくるのに。鳥にも無口とか、おしゃべりとか、あるのかしら。