2014年6月30日月曜日

八ヶ岳音楽祭予備練習

本番は10月だが、早くも第1回目の練習が始まった。
指揮者の飯守泰次郎さんは大変厳しい方で、去年の演奏会の練習は中々満足してもらえなかった。
本番の前日の夜まで練習があって、いい加減私たちは疲れてしまったので、当日は集中できなかった。
参加者がプロばかりでなく、少数のアマチュアとか経験の少ない音大生などもいたので、練習を沢山とるのは仕方がないかも知れないが、疲れてしまっては元も子もない。
初回の練習にはヴィオラの参加者が少ないので、ぜひ参加して欲しいと言われたので、今回参加することにした。
ヴィオラでは初めての曲もあるから、自分の安心のためもあるけれど。
1番心配なのが「運命」
ヴァイオリンではもう数限りなく弾いているけれど、それがすっかり身についてしまっているため、他のパートを弾くと間違えそうで怖い。
1楽章、例の運命が戸を叩くと言われる音型が、楽器毎に代わる代わる出て来る。
ヴァイオリンが出るところでうっかり出てしまいそうな嫌な予感がする。
若い頃に身につけて、長年習慣になったことを払底するのは、すごく難しい。

オーケストラで1番楽なのはファーストヴァイオリン。
えらく目立つけれど、メロディーを弾くのは楽で気分もいい。
内声のセカンド、ヴィオラは楽譜を初めて見ると、どんな曲だか想像も出来ないことがある。
役割が分かって弾かないと、こんなにワケの分からないパートはないけれど、だからこそ曲の全容を知っているベテランが弾くのが一番。
セカンドヴァイオリン、ヴィオラを弾かせてもピカイチだったのは、鳩山寛さん。
ハトカンさんと呼ばれ、長いあいだコンサートマスターを務めたが、内声を弾かせても天下一品。
それだけオーケストラのことが全て、よくわかっていた。
私も室内楽で、時々彼の内声でファーストを弾かせてもらった。
上手く乗せられて、実力以上に弾けるのが、いつも不思議だった。
そういう名バイプレーヤーになりたくて一時期、セカンドヴァイオリンを志望したことがあった。
本当に面白かったけれど、けっきょく周りからも「戻りなさい」と言われ撤退。
頭が悪いってこと?
呑気に鼻うた歌っているのが、性に合っているらしい。

去年八ヶ岳で、あまりにもファーストヴァイオリンが自由に弾くので、「ヴィオラはこんな事を弾いているから聞いて下さい」なんてコンマスに食って掛かっていたのに、実は私もファーストを弾いて居るときに同じ事をやっているのだと思う。
立場が違うとこんなにも視点がかわるものだと思う。
管楽器との関わりもまるで変ってくる。
そこが本当に面白い。
なにか宝の山を掘り当てたような。

今日の練習は最近N響を定年になったkさんと2人。
スッタモンダの私が何をやっても平然と受け流す。
色々小うるさく「ここはどうなってるの?」と質問するのにも丁寧に受け答えしてくれる。
これで私もいっぱしの「運命」通になれるといいけど。
























2014年6月29日日曜日

再会

オーケストラに入団した直後から、コンサートマスターの鳩山さんの室内楽でよくご一緒したチェロの村瀬忠義さん。
長きに亘って室内楽の演奏会を何十回、いやもしかしたら百回は優に越えるくらい、共演した。
その後だんだん意見が合わなくなり疎遠になってしまって、私よりもずっと年上だから、もう引退したと思っていた。
ところが最近ピアニストの太田美里さんから招待状が届いて、彼女が村瀬さんと共演するということがわかった。
場所はヨコハマのイギリス館。
丘の上にある元イギリス領事館だった建物は、古めかしくて雰囲気がクラシック音楽にぴったり。
港の見える丘公園、外人墓地、ゲーテ座などが近くにある。
私もここで数え切れないほど、村瀬さんと共演させてもらった。
私は滅多に後ろを振り返らない性格で、懐かしいという感覚の持ち合わせがないのだけれど、今回どのように村瀬さんが変貌しているかはとても興味がある。
チェロという楽器は構えがとても自然で、ヴァイオリンなどと比べると楽器を床に置けるのがいい。
音を出すことはヴァイオリンより力がいると思うが、体に無理がないからチェリストのほうが演奏寿命が長いような気がする。
ヴァイオリン、ヴィオラは常に楽器を持ち上げていないといけないから、体力がなくなると辛いかもしれない。
私はまだ辛くないので分からないけれど。
さてその大変演奏寿命の長い村瀬さんのプログラムは

ベートーヴェン   モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲
ブラームス     チェロソナタ2番
シューマン     アダージオとアレグロ
ショパン      ノクターン変ホ長調
トセリ       嘆きのセレナーデ
チャイコフスキー  感傷的なワルツ
ラフマニノフ    ヴォカリーズ
アルベニス     マラゲーニャ
  
これだけのプログラムをこなすのは、体力気力共に充実していなければ出来ないことだから、年齢的にも驚異的なことだと思う。

イギリス館はそう広くはないので、70人入るかどうかだけれど、今日はイスが足りないほどの満席になって、花房晴海さんのような高名なピアニストもみえていた。
始まったとき、ああ、やはり彼も歳をとったなと思った。
音が弱々しく音程が不安定。
若い時の彼はとても力強い弾き方をしていたが、その片鱗もところどころ聞こえるものの、弓が地に着かないという感じがした。
ところが、ブラームスのソナタを弾き始めたあたりから徐々に音量が増えてきて、どんどんかつての音が蘇ってくる。
2部の小品集になると、朗朗と響くかつての持ち味であった音が再生されてくるのは感動だった。
いつも言っていたのは、女性をその気にさせるような(本当はもっと下品な言い方だが、書くのははばかられる)弾き方をするようにと、先生にいわれたそうだ。
そういう表現は本当に上手い。
先生はボウイングの神様の三鬼日雄先生。
今日も見ていると、人の体は毎日使っていれば固まらないものだと思った。
右手の柔らかさ、左手のヴィブラートの早さ、年齢は全く感じられない。
これは三鬼先生の厳しい訓練のたまもの。
それを素直にいつまでもきちんと実現する、そこがえらい!
2部になると音程も正確になり、客席もリラックスして、大変楽しい演奏会になった。
話を聞くと、どうやら彼は久しぶりに私たちが聴きに来るというので、すごく緊張したらしい。
それで最初はガチガチだった。
1曲終ってこちらを見てニコッとして、それからほぐれたようだ。
真ん前で聴いて悪いことをした。
ピアノの太田美里さんは、怪我による7年に亘るブランク後復帰して、今回も出演をためらっていたようだけれど、立派にお務めを果たした。
美人だからステージに花を添えられる。
やはり演奏家は見た目も大事。

終演後、ここまで来てヨコハマ中華街に行かない手はない。
知り合いと5人で歩いて中華街へ。
いつものようにたらふく食べて飲んで、狸のお腹で帰ってきた。
よかったよかった、全部ほんとうによかった。







      





















2014年6月28日土曜日

兵士の物語がどんどん面白くなる

先月から月1回、ストラビンスキーの「兵士の物語」を合せ始めた。
皆、他の仕事の合間に練習するから、日にちも時間も沢山はとれない。
初めて楽譜を見た時には、こんな無理なことなんでするのかしらと、疑問が湧いてきた。
何回弾いても、旧くなった脳みそには音もリズムも染み込んでいかない。
それでも他の人に迷惑をかけられないから、音を読み進めていく。
そして、何回も弾いている内に見えてきたのは、どの音にもちゃんと意味があるということだった。
とても弾けるとは思わなかった音型が、いつの間にか手の内に入ってくる。
2重構造になったメロディーラインが浮かび上がる。
ほう!こんな事になっていたのか。

西洋の音楽は理論が先にたつ。
感情だけでメロディーを書いているわけではない。
まず和声があって、それから上に旋律が載っていく。

原始人だからリズムには強い。
何拍子であろうと、あまり頓着しないで弾ける。
今回はリズムはさほど手こずらなかったけれど、音を拾うのが大変だった。
だったというと過去形だが、まだ大変な最中なのだ。
同じ指が隣の弦との間を何回も往復しないといけない(それもすごく早く)音型とか、どうやっても無理ではないかと思える指使いをしなければならないこととか、まだまだ問題は山積している。
それはそれとして、ピアノ、クラリネット、ヴァイオリンの3人が段々興に乗ってきたのがうれしい。
ピアノのkさんは「大変なもの引き受けちゃった」と思ったと、今日になって告白。
私は「これはちゃんと弾ける物なのか」と、挫折しそうになった。
一人気を吐くクラリネットは、嬉しそう。

私は勤勉では無い。
なにかを規則正しく、きちんとやることが出来ない。
なんたって多動児だから。
それでも、自分の長所はと問われれば耐久力。
飽きないで長期間持続出来るところと答えたい。
ダラダラとやっているから、少しずつしか前に進めないけれど、そのかわりいつまでも変らず、少しずつ前進できる。
いつの間にか人より前に出て、気がつくと人の首根っこを押さえつけて、自分の思い通りにしている。
多分勤勉な人は、あまりにも努力するために、ある時期には疲れてしまうのではないか。
子供のうちから猛訓練を受けた人が、早々と楽器を弾かなくなるのを再々目撃すると、人が一生で働く量は決まっているのではないかと思う。
私はヴァイオリンを遅く始め、のんびりと勉強してきた。
今私の同級生でプロとして残って居る人は、殆どいない。
けっして優等生ではなかった私が今でも活躍出来るのは、ユックリズムのお陰だと思っている。

歳をとってもこうして新しい曲に挑戦できて、一緒に演奏してくれる人達がいることに驚きと感動を覚える。
変った拍子のことを変拍子と呼ぶが、これには麻薬的な所があって、やみつきになる。
アドレナリンが大量に出て、楽しくてたまらない。
3人ともわくわくしながら集まっている。























2014年6月27日金曜日

ケースが壊れた

先日の墨田トリフォニーで、楽器ケースを持ち上げた途端、取っ手がこわれてしまった。
とっても悲しい・・・なーんてダジャレをいうのはだれじゃ。
考えてみたら今使っているケースはもう10年目くらい。
日本中を一緒に旅した仲なのだ。
毎日々々、使われてヘトヘトになってしまったケース。

最近劣化が激しいから買い換えようと楽器屋さんに行ってみたが、中々気にいるのが見付からない。
それで買い換えを伸ばしていたのが良くなかった。
そっくりな物はあるのに、鍵の部分が違う。
今迄のは暗証番号でロックできるのに、最新のはキーがついているものだから、鍵失くし名人としては非常に不安。
いざ会場に行ってキーが見付からなくて大騒動になりそうな、嫌な予感、予感と言うよりも実際に起きることは予測される。
それもかなりの高確率で。
それなら鍵を閉めなければ良いようなものだけれど、いつだったか、閉めてあったはずの金具が開いていたことがあった。
ちょっとした衝撃で引っかかって開いてしまうことがある。
しっかり固定してあるから中身が飛び出す危険はないものの、それ以来非常に気をつけてロックするようになった。
古くなって金具が緩み始めていたらしい。
そして今度の取っ手が外れたことで、いよいよ新しいものを探さないといけなくなった。

今家には数個のケースがおいてあるけれど、やはり一番気に入ったものしか使わない。
間に合わせに以前使っていた物を使うことにした。
角形ケースで色やデザインが気に入って買ったものだけれど、重くて持ちにくい。
車で移動するならいいけれど、電車で移動するときには、非力な私には重すぎる。

銀座の画廊で展覧会を見てから澁谷の教室に行く途中で、楽器屋さんに寄ってみた。
先日訪れた時には食指が動かなかったけれど、今日はその同じ場所に綺麗な明るい色合いのケースがずらりと並んでいた。
店長さんが、今朝入荷した新色ばかりですと言う。
その中で綺麗な薄い黄色のケースに目がとまった。
他にも綺麗なピンクやブルーがあったけれど、何となく今日は黄色の日。
即決でそれを買った。
今朝入ってもう売れたというので、店長さんは大喜び。
スタッフ達に得意そうに、もう売れたよと宣っている。
ケースを背中に背負うと、今日の服にぴったりですねと言う。
気がついたら、今日は黄色いシャツを着ていた。
日頃黄色のものは滅多に着ない。
それなのに今日に限って服も黄色、選んだケースも黄色、しかも足元はきんきらの金色のスニーカー。
黄色が着たくなる気分というのは、どんな心理状態なんだろうと、しばし考えてしまった。
















2014年6月26日木曜日

久々にヴィオラ

今年も10月に行われる八ヶ岳音楽祭に、ヴィオラで参加することになった。
この音楽祭は、元東京フィルハーモニーのトロンボーン奏者だった細洞さんが、音楽監督を務める。
去年は飯守泰次郎さんを指揮者にお迎えして、ブラームスの交響曲4番など、非常に厳しい練習だった。
今年はベートーヴェン「運命」ブラームス「大学祝典序曲」など。
地元のヴァイオリンの先生のようなセミプロと、音大生とアマチュア、そしてエキストラは現役オケマンとオケマンOB達。
コンサートマスターは九響のコンマス。
細洞さんの関係で東京フィルのメンバーが多い。
まだ始まって10年弱の音楽祭なので、中々予算的に難しいこともあって、全部をプロでというわけにもいかないようだ。
それで事前に都内での練習があって、それに参加してくれないかとの依頼がきた。
楽譜を見ると、ヴァイオリンとは大違いのサッパリした譜面。
だから易しいかというと、これがとんだ食わせ物で、必ず何カ所か恐ろしい場所がある。
ヴィオラは中間の音域(アルト)だから、普通の場合あまり目立たないけれど、目立つとなると、これが嫌なんだなあ。
例えばチャイコフスキーのシンフォニー「悲愴」
いきなりヴィオラのソリ(ソロの複数)が延々と続く。
日頃ゴソゴソと下の方で弾いているのに、いきなりスポットライトを浴びせられて、めまいがするらしい。
この曲を演奏すると、ヴィオラ弾きが死ぬという伝説まである。
それほど緊張するらしい。
それからショスタコーヴィッチのシンフォニー5番、これもヴィオラのものすごく嫌なソリがある。
ヴィオラ以外のメンバーは首をすくめながら、その箇所が無事過ぎることをお祈りする。
終るとオーケストラ全体がホッとため息をつく。
今時の上手いヴィオラ弾きにはなんでもないけれど、私たちが若い頃のヴィオラは中々ユニークな人が多く、超マイペースで人と合せようなんて思わない人も多かったので、時々悲惨な結果になることもあった。

今ストラヴィンスキーの「兵士の物語」を練習中、ブラームスのソナタもあるので、ここでヴィオラを弾くのはしんどいけれど、次の日曜日が練習なので、今日初めて楽譜に目を通した。
どこと言って難しい所はない。
でも、これが落とし穴。
しかし、今度の練習には元N響のkさんも出るそうだから、とても安心できる。
ただし彼は非常にウッカリやさんだから、練習日を間違えて来ないことも予測しておかないと、そうなった場合ショックは大きい。

急にヴィオラが浮上した時に、惨めな事にならないように、一応は全体を弾いておこうと思ったけれど、先日から痛む親指が相変わらず疼く。
特にヴィオラは私にとっては巨大な楽器なので、体力的には非常に無理を強いられる。
勿論指のためにもよくはない。
それでも、この楽器の持つ魅力にはかなわない。
特に、ベートーヴェンのシンフォニーの内声の面白さったら、猫が魚を与えられたようなものだにゃあ。










2014年6月25日水曜日

マーラー「巨人」

中学生のころは、学校から帰るとまずモーツァルトのシンフォニー40番のレコードを聴く。
その後は歌の曲、例えばシューベルト「冬の旅」やマーラー「さすらう若人の歌」か「泣き子を偲ぶ歌」などを聴くのが日課となっていた。マーラーの「シンフォニー1番巨人」これも飽きずに毎日のように聴いていた。

マーラーのシンフォニーの中で1番好きというと、マーラーフリークからブーイングが出そうだけど、コントラバスのソロも初めて聴いた記念すべき曲だから、お許しを。
初めて生で聴いたのは大学生の時、N響の定期演奏会だった。
初めて見る大勢のホルン、ホルンのパートでいきなりスタンドプレーには驚いた。
全員がさっと立ち上がって、あのホルンの颯爽としたメロディーを演奏、度肝を抜かれた。
あれは当時の流行だったのか、その後はお目にかからない光景だが、だれかの、指揮者の好みか、その当時のトップの千葉馨さんの提案だったのか。

この演奏、素晴らしい。
終って思わずブラヴィッシモ!
ハイティンク  ベルリンフィルの演奏。

2014年6月23日月曜日

浅草でドサクサ

大分前から、弥生人の美智子さんと浅草にフグを食べに行く予定を入れていた。
浅草はあまり馴染みがない。
銀座まで、遠くても上野まではよく行くけれど、浅草になると少し遠隔地の気分になる。
仕事では数回行っているけれど、いつも仕事が終れば矢のように飛んで帰ってきてしまうから、街を見たことがない。
待ち合わせて、雷門に繰り出した。

なぜこの暑いのにフグになったかというと、以前、上野池之端の寿司や「英多郎」に美智子さんの1年遅れのお誕生祝いをするために、案内したことがあった。
売れっ子で超多忙だった美智子さんも、最近ようやく時間がとれるようになってきたところで、ちょうど良い道連れとばかりにお誘いしたのがそのきっかけ。
その時に、彼女が最近同窓会で行ったフグやさんが美味しかったという話となり、私はフグはまともに食べたことがないという話となり、それではということになった。
これからはせっせと美味しい物を食べ歩こうと、悪だくみ。
フグは白子が美味しいそうだけれど、今の季節は食べられないから、又来なくてはいけない。
それに、まだまだ美味しいお店の候補は挙がっている。
次々でしんどいなあ、はははは・・・・

雷門に着いた時、ここはどこ?状態。
何語か分からない言葉が飛び交っている。
しかも歩いていても肩が触れあうほどの、混雑ぶり。
仲店通りは、外国人向けの日本のお土産を売る店が、連なっている。
最近の日本人には馴染みのない、手ぬぐいや扇、着物、草履、そして浅草と言えば芋羊羹、おせんべい。
先の細いお箸を探していたところだったので、竹製の細いお箸を買った。
ちいさなテーブルクロスにできそうな、風呂敷を買う。
日本手ぬぐいはデザインも色も、今見ると斬新で魅力的。
浅草は独特の雰囲気がある。

夕方になっていよいよ、フグの時間になった。
三浦やというフグの店。
突き出しはウニ、その後はフグ刺し、海鮮サラダ、ふぐちり、最後に雑炊を頼んだ。
本当はトラフグでいきたいところだったけれど、なんせお値段が貧乏音楽家には手が出ない。
ビールのあとで麦焼酎のお湯割りをなめながら、会話がはずむ。
〆の雑炊でフグの出汁をすっかり食べ尽くす。完食!

すっかり満足して外に出ると、あれほどの喧噪が嘘だったかのように、街は静まりかえっている。
浅草寺の参道には明々と灯が点っているのに、人影はまばらで、見あげるとスカイツリーの青い色が幻想的に浮かび上がっている。
昼間はお寺があるとは思えないほどの騒がしさだったけれど、夜の人通りの絶えた境内は荘厳さを取り戻して、ありがたい気分になる。
美智子さんはこれが見せたかったのと言う。
なるほど、これは見る価値があった。
これが浅草、昼はどさくさ。