山本リンダが甘ったるい声で歌った歌。
♫こまっちゃうナ、デートに誘われて♫
ご存知の方はいらっしゃいますかな?
その歌が流行った頃、私はまだオーケストラでヴァイオリンを弾いていた。
団の副代表が長い独身の末、やっと結婚。
彼は随分遅い結婚だった。
駅前で俺を待っている女がたくさんいるんだと、いつも豪語していた。
なんのことはない、飲み代のツケを払わせようと飲み屋のお姉さんたちが待ち構えていただけなのだ。
やっと結婚したら女の子が生まれた。
年齢から言うと孫に近い、可愛い賢い子だった。
女房なんて少しも可愛くない。
でも子供のためには必要なんだ。
あんな女、電車に轢かれて死んじまえば良い。
それもゆっくりとギリギリ轢かれたらいいのだ、などど恐ろしく物騒なことを言うけれど、それが彼独特の愛情表現だと誰もがわかっていた。
「こまっちゃうナ、デートに誘われて」って歌があるだろ?
うちの子は「こまっちゃうナ、生徒に誘われて」って歌うんだよ。
口の端が閉まらない。
いつもはそれこそ夕日に鬼瓦の顔が、緩みっぱなしになった。
それはそれで不気味だったけれど、可愛らしいとも思えるのだ。
照れ屋で不器用で全くの昔男のTさん。
私達はのべつ彼の家に押しかけ、奥様の手料理を食べ、時には泊まり込むこともあった。
いつも人のたくさんいる温かい家だった。
奥様が電車に轢かれちまったら、この料理を作る人もいなくなる。
美味しいお酒が飲めなくなるじゃない?
さて古典の定期演奏会が終わって、非常に不本意な出来栄えながらヴィヴァルディの協奏曲も完了。
いつものことながら落ち込みは激しい。
なんだってあんな意気地なしだったのかと、平静になるにつれて悔しい思いがこみ上げる。
けれど、又性懲りもなくなにか始めるのがガクタイの性なのだ。
次は、夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルと同じプログラムでのコンサートが、10月半ばに。
11月の連休は奥州市でのチェロフェスタ、チェロの舘野英司さんが指導する地元の方々や新潟などからの出演者多数。
沢山のチェロ弾きのゴーシュが集結する中で、シベリウスのピアノ・トリオとショスタコーヴィッチの2ヴァイオリンとピアノのための5つの小品を演奏予定。
ここで弾くのは、いつも元の教え子からの声掛け。
こまっちゃうナ、ではなく嬉しいお誘い。
今年の〆は熱海での「クロイツェル・ソナタ」
12月1日、熱海起雲閣のホールで村上和子さんピアノリサイタルに客演、今年は暮れる。
とまあ盛り沢山なので、果たして体力気力がついてきてくれるかどうか心配ではある。
私は今まで自分の集中力を信じてきたけれど、昨日のステージでは体の衰えが感じられて、楽譜もよく見えない。
弾き終わった時によろけたそうだけれど、自覚はない。
ま、こういう年もあるさと自分に言い聞かせ、巻き返しを図るために次なるステップに・・・と言いたいところだが、もう疲れてヨレヨレ。
ステージで大勢のお客様の前で演奏するのは、想像以上のハードさ。
そろそろ引き際かな?
オペラシティのリサイタルホールでのコンサートで引退と思っていながら、それから15年、常に周囲の人に助けられて活動できたので、大変満足してはいるのだけれど。
気分を変えて今日は相模湖の美術館まで出かける。
同行するのは元の教え子。
彼女の好きな作家の美術展があるそうで、これも♫こまっちゃうナ♫ではなく、嬉しいな生徒に誘われて。
土曜日の昼過ぎ、ゆっくりとでかけてご飯でも食べて。
最近、若い人達がよく遊んでくれる。
しかも皆、なんとなく保護者のような顔つきで私をいたわるのが、少しばかり癪なんだけど。
2019年9月22日日曜日
ノーノー、テノールテノール
パスポートセンターは横浜中華街や県民ホールなどの近くにある。
それで思い出したこと。
この話はすでにこのブログで2回以上は書いているので、すでに読まれた方ごめんなさい。
ほかにも色々、何回も同じこと書いているから「またか」と思ってスルーしてくだされば幸いです。
今横浜にはみなとみらいに立派なコンサートホールがあるけれど、その当時の最新の施設は横浜県民ホールだった。
近くには貿易センター、シルクセンター、山下公園など。
当時、東横線はみなとみらいや元町中華街などの駅はなくて、県民ホールに行くには終点の桜木町からバスかタクシー、貧乏な音楽家は徒歩で向かった。
徒歩でも横浜には趣があって、20分くらいかかるのも苦にならなかった。
横浜は建物の高さが制限されていたので、空が広い。
海が近いので空気もなんとなく涼やか。
特に良いコンサートを聴いた後は、桜木町までブラブラ歩いて感激の余韻を楽しんだ。
ある時ドレスデン歌劇場の引っ越し公演があった。
演しものはモーツァルトの「魔笛」
私が最も好きな演目だから高い入場料もなんのその、チケットを買ったらその後は毎日ご飯に納豆かけて食べればいいさ。
「ラ・ボエーム」みたいでしょう?
魔笛は最近では、奇妙な衣装や斬新過ぎる変わった背景など、演出家が大いに遊んでしまうことが多く、時にはなにもあんなことしなくてもと思うことも多い。
そのときはごくオーソドックスで、最初の大蛇が可愛らしすぎるほかは、ユーモラスでありながら「まとも」な魔笛だった。
大いに満足して会場を後にした。
会場の脇にバスが数台停まっていて、そこに早めに出番が終わったコーラスやスタッフと思われる人たちが乗り込んでいた。
その人達に手を振ると向こうからも振り返してきた。
バスに乗るか、何処かで一杯飲むか、歩こうか。
連れと相談しながら結局桜木町まで歩くことに。
そこからシルクセンターを過ぎて交差点の信号待ちをしていると、1人の外国人男性が走り寄ってきて「シルクセンター、シルクセンター」と喚く。
「シルクセンターは、あちらの方だけど」と指差すと「オペラオペラ」となおも喚くから、ハハーン、この人はオペラの出演者で、早く出番が終わったから街にでかけてバスに乗り遅れそうなんだわ」はたと気がついた。
「ああ、バスね?」というと「ノーノーテノールテノール」
一瞬キョトンとしたけれど、あまりにも必死なので「ホールは次の信号を右に行って・・・」と教えてあげたら、猛スピードで走り去っていった。
それにしても「テノール」って?
次の瞬間吹き出した。
なるほど、「バス?」と訊かれたので、彼はバス歌手と間違えられたと思った。
それで自分はテノール歌手であると説明したのだ。
しばらく笑いが止まらない。
この話はよく人に聞かせるのだけれど、みな爆笑する。
私はバスと言ったけれど、ドイツ語でバスはなんというのだろうか。
ベルリン・ドイツ・オペラの元パーカッショニストに「バスはドイツ語でなんと言うの?」と訊いたら「ブス」というのだそうだ。
よくもよくも私に向かってブスだなんて、ホントのこと言ってくれたわね。
と、これだけの話ですが。
当時ドレスデンは共産圏で、亡命する人もいたかもしれない。
そんな中でバスに乗り遅れたら亡命の意志ありとみなされて、国に帰ってからつらい思いをしたかもしれないと、ふと気の毒に思った。
彼が「ブス」に乗れて、その後も活躍できたことを祈る。
それで思い出したこと。
この話はすでにこのブログで2回以上は書いているので、すでに読まれた方ごめんなさい。
ほかにも色々、何回も同じこと書いているから「またか」と思ってスルーしてくだされば幸いです。
今横浜にはみなとみらいに立派なコンサートホールがあるけれど、その当時の最新の施設は横浜県民ホールだった。
近くには貿易センター、シルクセンター、山下公園など。
当時、東横線はみなとみらいや元町中華街などの駅はなくて、県民ホールに行くには終点の桜木町からバスかタクシー、貧乏な音楽家は徒歩で向かった。
徒歩でも横浜には趣があって、20分くらいかかるのも苦にならなかった。
横浜は建物の高さが制限されていたので、空が広い。
海が近いので空気もなんとなく涼やか。
特に良いコンサートを聴いた後は、桜木町までブラブラ歩いて感激の余韻を楽しんだ。
ある時ドレスデン歌劇場の引っ越し公演があった。
演しものはモーツァルトの「魔笛」
私が最も好きな演目だから高い入場料もなんのその、チケットを買ったらその後は毎日ご飯に納豆かけて食べればいいさ。
「ラ・ボエーム」みたいでしょう?
魔笛は最近では、奇妙な衣装や斬新過ぎる変わった背景など、演出家が大いに遊んでしまうことが多く、時にはなにもあんなことしなくてもと思うことも多い。
そのときはごくオーソドックスで、最初の大蛇が可愛らしすぎるほかは、ユーモラスでありながら「まとも」な魔笛だった。
大いに満足して会場を後にした。
会場の脇にバスが数台停まっていて、そこに早めに出番が終わったコーラスやスタッフと思われる人たちが乗り込んでいた。
その人達に手を振ると向こうからも振り返してきた。
バスに乗るか、何処かで一杯飲むか、歩こうか。
連れと相談しながら結局桜木町まで歩くことに。
そこからシルクセンターを過ぎて交差点の信号待ちをしていると、1人の外国人男性が走り寄ってきて「シルクセンター、シルクセンター」と喚く。
「シルクセンターは、あちらの方だけど」と指差すと「オペラオペラ」となおも喚くから、ハハーン、この人はオペラの出演者で、早く出番が終わったから街にでかけてバスに乗り遅れそうなんだわ」はたと気がついた。
「ああ、バスね?」というと「ノーノーテノールテノール」
一瞬キョトンとしたけれど、あまりにも必死なので「ホールは次の信号を右に行って・・・」と教えてあげたら、猛スピードで走り去っていった。
それにしても「テノール」って?
次の瞬間吹き出した。
なるほど、「バス?」と訊かれたので、彼はバス歌手と間違えられたと思った。
それで自分はテノール歌手であると説明したのだ。
しばらく笑いが止まらない。
この話はよく人に聞かせるのだけれど、みな爆笑する。
私はバスと言ったけれど、ドイツ語でバスはなんというのだろうか。
ベルリン・ドイツ・オペラの元パーカッショニストに「バスはドイツ語でなんと言うの?」と訊いたら「ブス」というのだそうだ。
よくもよくも私に向かってブスだなんて、ホントのこと言ってくれたわね。
と、これだけの話ですが。
当時ドレスデンは共産圏で、亡命する人もいたかもしれない。
そんな中でバスに乗り遅れたら亡命の意志ありとみなされて、国に帰ってからつらい思いをしたかもしれないと、ふと気の毒に思った。
彼が「ブス」に乗れて、その後も活躍できたことを祈る。
2019年9月21日土曜日
パスポート申請
パスポートの有効期限が今年3月に切れたけれど、去年ニューヨークに行ったことだし、もうしばらく海外に行くことはないと思ったので放置しておいた。
ところがひょんなことから、来年1月フランスに行くことになったので、新規に申請することになった。
前のパスポートの期限が10年だったので、すでに申請の仕方も忘れていた。
調べてみたら、外務省のページから申請書がダウンロードでき、情報を入力したものを印刷して持っていけば良いとのこと。
随分楽になったものだと思ったけれど、そこにまた役所の壁が。
まず住所など必要事項を入力して、それを印刷。
びっくりするほど簡単。
必要な書類は申請書、戸籍謄本(抄本でも良い)
本人確認のための免許証などの書類。
この3通。
本籍欄は、戸籍謄本に記載されているものと同じでなければいけない。
そうわかっていたけれど、だいぶ以前に住所と本籍を同じにして届けた記憶があったから、現住所を本籍欄に書いた。
そして区役所に出向いた。
そこで本籍が違っていると言われた。
本籍を住所と同じにしたその後、自宅の住居表示が変わった。
例えば、猫町1丁目2345が、1丁目2番3号みたいに。
それなのに本籍は変わる以前の表示が残ってしまっている。
住居表示が変わっただけで、住んでいるところは元のまま。
それなら本籍と現住所を一緒にしてしまえば後が楽だから変えられないかと訊くと、できるけれど少し時間がかかるという。
なぜ住居表示が変わった時点で本籍の表示も変えなかったのか訊くと、もとの住所が地番で、現住所は建物の住所なのだというわけのわからない理屈を聞かされた。
同じ場所に2つの住所が存在するなんて。
この際現住所の表示を本籍にしてしまうほうがいいのかどうか、私のなけなしの脳みそでは判断できないので保留にした。
去年さんざん戸籍謄本などの書類を取ったときにはどうだったのか、全く思い出せないのがすごい。
自己防衛本能?
次回に謄本を取るときにも、ひと悶着ありそうな気がする。
旧番地を覚えておけばいいじゃありませんかというけれど、そんなもの覚えていられますか。
そんなことでやっと戸籍謄本は手に入れたけれど、パスポートセンターに行く元気もなくなって今日はここまで。
パスポート用の写真を撮りに行ったら、マイナンバーカードの写真も同じサイズだと言うので、この際、カードを作ることにした。
コンビニで謄本などもとれるというから。
パスポートセンターは以前は横浜の中華街近くまで行かないといけなかった。
最近は自宅の近くでも手続きができるようになった。
けれど、今までは横浜のセンターでの書き換えが多かったので、やはり横浜まで行こうと思った。
手続きの書類を提出したら中華街でお粥を食べるというのが、今までのパスポート取得の際の流れだったので。
有名なお粥専門店が近くにある。
午前の早い時間にも沢山お客さんが入っているので驚いたことがあった。
中国人は外食をする事が多いらしい。
だから自宅で食事を摂らないで、こういうお店で食べると聞いたことがある。
今回も10年期限で申請するけれど、今後10年、私は元気で旅行しているだろうか?
足腰弱って歩けないから、ラクダの背中にくくりつけられてユーラシア大陸横断をやってのけたりしているかも。
沢山やりたいことがあって、今まで大抵のことはクリアしてきたけれど、ラクダでユーラシア大陸を旅するというのは実現していない。
これは多分実現不可。
いくらおっちょこちょいの私と言えども、できることとできないことの区別はつく。
遮るもののない砂漠で太陽に照りつけられ水にも不自由、言うことをきかないラクダに手こずり、もしかしたら盗賊の群れに襲われ、若い時ならいざ知らず、今の体力ではねえ。
と言いながら、フランスに行くのはジュネーブからフランスのトロワバレーに行ってスキーをするため。
海外で滑ったのはバンフ、カルガリー、アリエスカの計3回。
私はヨーロッパで滑りたいと切望していたけれど、私達の仲間はニュージーランドが好き。
私は南半球にはなるべく行きたくない。
なぜなら自然現象が日本と逆さまだから。
それでニュージーランドのスキーツアーには参加したことがない。
夏が冬なんて。
ヨーロッパスキーに憧れるのは、猪谷千春さんがコルティナダンペッツォのオリンピックで日本人初の銀メダルを勝ち取ったことを知って以来だと思う。
たぶん1958年ころ、私はまだ子供でした。
いやいや、嘘じゃないって!まだ尻尾が7本になってないから、これはホント。
コルティナダンペッツォという響きに魅了された。
いかにもスピード感のある名前ではないか。
その頃の私はスキーのスの字も興味なかったけれど、ニュースを見て感激したことを未だに覚えている。
うちにはまだテレビはなかったと思う。
そのせいかどうかわからないけれど、この年まで半世紀超えてまだ私は滑っている。
小学校では体育が苦手だったのに、数えたら56年間、毎年必ず滑っている。
猪谷さんはいつも黒いユニフォームを着ているので「ブラックキャット」と呼ばれていたというのも嬉しい。
なにが嬉しいって、猫に関することならなんでも嬉しいので。
スキーを始めていつかはヨーロッパでという思いがあったから、今回誘われて参加となった次第。
カナダでのスキーは感激の連続だった。
ゲレンデのどこをどう滑っても人にぶつからないほど広い。
今回はフランスのトロワバレーでのスキー。
ヨーロッパで一番高いスキー場「ヴァルトランス」おお怖わ!だけど、人間死ぬか生きるかのどちらかだから、怖がって行かないよりも行ったほうが良いに決まっている。
チベットで高山病になったことがあって、怖さは重々承知。
ま、なんとかなるでしょう!
お正月に志賀高原で足慣らし。
ところがひょんなことから、来年1月フランスに行くことになったので、新規に申請することになった。
前のパスポートの期限が10年だったので、すでに申請の仕方も忘れていた。
調べてみたら、外務省のページから申請書がダウンロードでき、情報を入力したものを印刷して持っていけば良いとのこと。
随分楽になったものだと思ったけれど、そこにまた役所の壁が。
まず住所など必要事項を入力して、それを印刷。
びっくりするほど簡単。
必要な書類は申請書、戸籍謄本(抄本でも良い)
本人確認のための免許証などの書類。
この3通。
本籍欄は、戸籍謄本に記載されているものと同じでなければいけない。
そうわかっていたけれど、だいぶ以前に住所と本籍を同じにして届けた記憶があったから、現住所を本籍欄に書いた。
そして区役所に出向いた。
そこで本籍が違っていると言われた。
本籍を住所と同じにしたその後、自宅の住居表示が変わった。
例えば、猫町1丁目2345が、1丁目2番3号みたいに。
それなのに本籍は変わる以前の表示が残ってしまっている。
住居表示が変わっただけで、住んでいるところは元のまま。
それなら本籍と現住所を一緒にしてしまえば後が楽だから変えられないかと訊くと、できるけれど少し時間がかかるという。
なぜ住居表示が変わった時点で本籍の表示も変えなかったのか訊くと、もとの住所が地番で、現住所は建物の住所なのだというわけのわからない理屈を聞かされた。
同じ場所に2つの住所が存在するなんて。
この際現住所の表示を本籍にしてしまうほうがいいのかどうか、私のなけなしの脳みそでは判断できないので保留にした。
去年さんざん戸籍謄本などの書類を取ったときにはどうだったのか、全く思い出せないのがすごい。
自己防衛本能?
次回に謄本を取るときにも、ひと悶着ありそうな気がする。
旧番地を覚えておけばいいじゃありませんかというけれど、そんなもの覚えていられますか。
そんなことでやっと戸籍謄本は手に入れたけれど、パスポートセンターに行く元気もなくなって今日はここまで。
パスポート用の写真を撮りに行ったら、マイナンバーカードの写真も同じサイズだと言うので、この際、カードを作ることにした。
コンビニで謄本などもとれるというから。
パスポートセンターは以前は横浜の中華街近くまで行かないといけなかった。
最近は自宅の近くでも手続きができるようになった。
けれど、今までは横浜のセンターでの書き換えが多かったので、やはり横浜まで行こうと思った。
手続きの書類を提出したら中華街でお粥を食べるというのが、今までのパスポート取得の際の流れだったので。
有名なお粥専門店が近くにある。
午前の早い時間にも沢山お客さんが入っているので驚いたことがあった。
中国人は外食をする事が多いらしい。
だから自宅で食事を摂らないで、こういうお店で食べると聞いたことがある。
今回も10年期限で申請するけれど、今後10年、私は元気で旅行しているだろうか?
足腰弱って歩けないから、ラクダの背中にくくりつけられてユーラシア大陸横断をやってのけたりしているかも。
沢山やりたいことがあって、今まで大抵のことはクリアしてきたけれど、ラクダでユーラシア大陸を旅するというのは実現していない。
これは多分実現不可。
いくらおっちょこちょいの私と言えども、できることとできないことの区別はつく。
遮るもののない砂漠で太陽に照りつけられ水にも不自由、言うことをきかないラクダに手こずり、もしかしたら盗賊の群れに襲われ、若い時ならいざ知らず、今の体力ではねえ。
と言いながら、フランスに行くのはジュネーブからフランスのトロワバレーに行ってスキーをするため。
海外で滑ったのはバンフ、カルガリー、アリエスカの計3回。
私はヨーロッパで滑りたいと切望していたけれど、私達の仲間はニュージーランドが好き。
私は南半球にはなるべく行きたくない。
なぜなら自然現象が日本と逆さまだから。
それでニュージーランドのスキーツアーには参加したことがない。
夏が冬なんて。
ヨーロッパスキーに憧れるのは、猪谷千春さんがコルティナダンペッツォのオリンピックで日本人初の銀メダルを勝ち取ったことを知って以来だと思う。
たぶん1958年ころ、私はまだ子供でした。
いやいや、嘘じゃないって!まだ尻尾が7本になってないから、これはホント。
コルティナダンペッツォという響きに魅了された。
いかにもスピード感のある名前ではないか。
その頃の私はスキーのスの字も興味なかったけれど、ニュースを見て感激したことを未だに覚えている。
うちにはまだテレビはなかったと思う。
そのせいかどうかわからないけれど、この年まで半世紀超えてまだ私は滑っている。
小学校では体育が苦手だったのに、数えたら56年間、毎年必ず滑っている。
猪谷さんはいつも黒いユニフォームを着ているので「ブラックキャット」と呼ばれていたというのも嬉しい。
なにが嬉しいって、猫に関することならなんでも嬉しいので。
スキーを始めていつかはヨーロッパでという思いがあったから、今回誘われて参加となった次第。
カナダでのスキーは感激の連続だった。
ゲレンデのどこをどう滑っても人にぶつからないほど広い。
今回はフランスのトロワバレーでのスキー。
ヨーロッパで一番高いスキー場「ヴァルトランス」おお怖わ!だけど、人間死ぬか生きるかのどちらかだから、怖がって行かないよりも行ったほうが良いに決まっている。
チベットで高山病になったことがあって、怖さは重々承知。
ま、なんとかなるでしょう!
お正月に志賀高原で足慣らし。
フリーズドライ卒業
去年から全く料理をしなくなって、フリーズドライやインスタント食品ばかり食べていた。
初めてフリーズドライ食品を食べたときには感激した。
こんな簡単にちゃんとした味のものが食べられるなんて!
お湯を沸かせばそれで終わり。
しかもかなりのレベルの美味しさ。
もう料理はしない。
今まで時間を無駄にしてきた。
料理をしなくなって約1年。
最近少しずつ勘が戻ってきて、野菜を買うようになった。
野菜は、やはり生の素材のほうが美味しい。
最近やっと肉が食べたくなってきた。
肉もやはり生の素材が噛みごたえも味も断然良い。
朝ごはんは私の一番好きな時間。
ゆっくりと時間をかけて紅茶を淹れ、野菜と果物のスムージー、パンとハムや鶏肉などのタンパク質で猫と一緒の朝ごはん。
それすら野菜を省略して飲み物ばかり並べていた時期もあった。
一時的な味覚障害になっていたかもしれない。
ほんの少ししか食べられなかったから、フリーズドライ食品は量が少ないので、ちょうど良かった。
最近やっと体力や気力が戻ってきたらしい。
すると、インスタントの食品は、思ったほど美味しく感じなくなった。
何回食べても同じ味なので飽きたのかもしれない。
あの小さな乾燥した物体がお湯をかけるとあっという間に料理に変身、それはすごいことなのだけれど、やはり非常用などに使うだけにしておいたほうが良いかもしれない。
味噌汁もやはり自分で作ったものが美味しいかもしれない。
今はまだ味噌汁だけはフリーズドライもの。
そろそろ自分で作ってみよう。
最近までちゃんとした食事をしていなかったので、昼食にステーキを焼いてぺろりと1枚、たぶん150グラムほどを平らげた。
本当は半分残しておいて、夕食にサラダに混ぜようと思っていたのに、美味しくて箸がとまらない。
北軽井沢で買ってきた野菜が大量にあるから、つけあわせも半端ない量で。
しみじみ美味しいと思ったのは体力が回復してきたからかも。
顔のシワが増え、表面に粉をふいているような顔色だったのが、少しは血色が良くなるかもしれない。
もう無理かもしれないけれど、これから先、まだヴァイオリンを弾くなら体力は非常に大切なのだ。
長生きは、めでたいとは限らない。
ちゃんと活動できて、生き生きと生活できなければ、つまらない。
私自身、そろそろ乾き物ではなくなま物に戻ろう。
ステーキを焼いた後のフライパンを洗おうとして、ちょっと待てよ!このソース捨てたらもったいない。
肉汁とバターと醤油のソース。
バターと醤油は良く合うのだ。
このフライパンで焼き飯を作ったら美味しいと思う。
夕飯のメニューは決まりだぜ。
そのまま残しておいてご飯と長ネギとチキン、それに豆のマリネがあったからちょっぴり入れて、サニーレタスを山のように入れて炒めてみたら・・・ウンもお~美味しすぎるう~。
レタスは最後にこれでもかというほど入れて、シャキシャキ感が残るほどにサッと炒める。
これでバターのしつこさが消えて、ほっぺが落ちそう。
本当に落ちてくれないかな。
小顔になれるかもしれないから。
初めてフリーズドライ食品を食べたときには感激した。
こんな簡単にちゃんとした味のものが食べられるなんて!
お湯を沸かせばそれで終わり。
しかもかなりのレベルの美味しさ。
もう料理はしない。
今まで時間を無駄にしてきた。
料理をしなくなって約1年。
最近少しずつ勘が戻ってきて、野菜を買うようになった。
野菜は、やはり生の素材のほうが美味しい。
最近やっと肉が食べたくなってきた。
肉もやはり生の素材が噛みごたえも味も断然良い。
朝ごはんは私の一番好きな時間。
ゆっくりと時間をかけて紅茶を淹れ、野菜と果物のスムージー、パンとハムや鶏肉などのタンパク質で猫と一緒の朝ごはん。
それすら野菜を省略して飲み物ばかり並べていた時期もあった。
一時的な味覚障害になっていたかもしれない。
ほんの少ししか食べられなかったから、フリーズドライ食品は量が少ないので、ちょうど良かった。
最近やっと体力や気力が戻ってきたらしい。
すると、インスタントの食品は、思ったほど美味しく感じなくなった。
何回食べても同じ味なので飽きたのかもしれない。
あの小さな乾燥した物体がお湯をかけるとあっという間に料理に変身、それはすごいことなのだけれど、やはり非常用などに使うだけにしておいたほうが良いかもしれない。
味噌汁もやはり自分で作ったものが美味しいかもしれない。
今はまだ味噌汁だけはフリーズドライもの。
そろそろ自分で作ってみよう。
最近までちゃんとした食事をしていなかったので、昼食にステーキを焼いてぺろりと1枚、たぶん150グラムほどを平らげた。
本当は半分残しておいて、夕食にサラダに混ぜようと思っていたのに、美味しくて箸がとまらない。
北軽井沢で買ってきた野菜が大量にあるから、つけあわせも半端ない量で。
しみじみ美味しいと思ったのは体力が回復してきたからかも。
顔のシワが増え、表面に粉をふいているような顔色だったのが、少しは血色が良くなるかもしれない。
もう無理かもしれないけれど、これから先、まだヴァイオリンを弾くなら体力は非常に大切なのだ。
長生きは、めでたいとは限らない。
ちゃんと活動できて、生き生きと生活できなければ、つまらない。
私自身、そろそろ乾き物ではなくなま物に戻ろう。
ステーキを焼いた後のフライパンを洗おうとして、ちょっと待てよ!このソース捨てたらもったいない。
肉汁とバターと醤油のソース。
バターと醤油は良く合うのだ。
このフライパンで焼き飯を作ったら美味しいと思う。
夕飯のメニューは決まりだぜ。
そのまま残しておいてご飯と長ネギとチキン、それに豆のマリネがあったからちょっぴり入れて、サニーレタスを山のように入れて炒めてみたら・・・ウンもお~美味しすぎるう~。
レタスは最後にこれでもかというほど入れて、シャキシャキ感が残るほどにサッと炒める。
これでバターのしつこさが消えて、ほっぺが落ちそう。
本当に落ちてくれないかな。
小顔になれるかもしれないから。
2019年9月19日木曜日
森の中ひとりぼっち
ブラームスはうまくいったのかどうか自分ではわからない。
今日は気持ちよく弾けたと満足したときは要注意!
録音を聞くとがっかりすることが多い。
今日はだめだったと落ち込んでいると、案外うまく録音されていたり。
もし他の人が褒めてくれたときには素直に感謝することにしている。
他人の耳は自分の思い込みよりも遥かに頼りになる。
自分で満足したときには疑ってみる。
ブラームスの壁はなかなか超えられないので、北軽井沢まで猫と出かけた。
猫はすっかり車にも馴れ、ケージに入れられる時のパニックもなくなってきた。
山道でカーブが続くと、ときおりニャアと鳴く。
家に入ってももうすっかりくつろいで、私のベッドのど真ん中を占領する。
お隣さんが来ているかと思ったけれど、車がないしシャッターが全て閉まっている。
森の中は人っ子一人いない。
夏は家の前に停まっている車も今は殆ど見当たらない。
ご近所の常住している家にも車が停まっていない。
おやおや、本当に誰もいないのだ。
夏に来たときに大騒ぎで歓迎してくれた蝉しぐれ。
それも消えてしまった。
聞こえるのは庭の下を流れるせせらぎの音ばかり。
軽井沢に住んでいるY子さんに連絡して、翌日、軽井沢のエロイーズカフェで朝食をとる約束をしてばんやりと森を眺めていた。
夏の暑さに痛めつけられた木々が少し枯れ初めて、紅葉の準備に入っているようだ。
今回来たのは、ノンちゃんの思い出のため。
去年の今頃、この家を私に明け渡す決心をして気落ちしたのかもしれない。
ここを出たノンちゃんは東京の自宅に帰って、次の日、亡くなってしまった。
別れるときに「ノンちゃん、来年からは私がノンちゃんをゲストとしておもてなししますから」と言うと寂しそうに笑っていた。
その約束が実現できなかったのが悔やまれる。
大好きな窓辺に座って森を眺めていると、私がそうしているのをいつも嬉しそうに見ていたノンちゃん。
ちょうど1年経った今、1人で森を眺めて時間を過ごした。
ノンちゃんはこの家を10年前に建てた。
その年の夏、仲間が集って庭でバーベキューをした。
その後中々バーベキューができなくて、私に「nekotamaさん、私、バーベキューがしたいの、あなたやってくれない?」と何かにつけて言っていた。
でもその頃の私は仕事人間で、いつも大忙し。
この家に来るのも1泊か2泊。
ノンちゃんが「もう帰っちゃうの?」と言うけれど「すぐまた来ます」と言ってはそのまま冬になってしまったり。
春になると、でかけてもすぐにバタバタと帰って・・・の繰り返しだった。
考えてみればノンちゃんと長く語り合うことも、やっと最近になってからだった。
ようやく仕事が少なくなり私も多少長めに滞在できるようになって、これからバーベキューもやってあげられると思っていたのにさっさとノンちゃんは逝ってしまった。
去年の初夏の頃、いつもよりも強めにノンちゃんから「みんなでバーベキューをしたいの、やってね」と言われたから、今回こそはと思っていたのに。
痛恨の極み、それでもう手遅れかもしれないけれど、この秋に仲間が集ってバーベキューをする予定。
私が怠け者で悪かった。
まだ大丈夫と思っていたのにノンちゃんにとっては、焦眉のことだったのだ。
ノンちゃんはもういないからやっても無駄かもしれないけれど、約束は守りたい。
これは自分のためであってノンちゃんのためではないけれど、せめての罪滅ぼしに皆さんに来てもらうことにした。
家の中はほぼ片付いて、後は物置の中の整理が残っている。
物置を開けてバーベキューの道具をさがしたけれど見当たらない。
たしかノンちゃんは「バーベキューの道具は残してあるから」と言っていたのに。
そのかわりどっさりとガラクタ(ノンちゃんごめん)が出てきた。
年老いたノンちゃんの手に負えなくなったものは、全部ここに放り込んでしまったのかもしれない。
そう思うとまた、私がもう少し頻繁に来て手伝ってあげればよかったのにと悔いが残ることばかり。
いつもお客様気取りでノンちゃんのおもてなしを受けて、この馬鹿者が!と自分を叱りつける。
人との交わりは、終わってから悔いが残る。
大切な人であればあるほど、ああもこうもと後悔ばかり。
でも仕方がない。
だれとでもパーフェクトというわけにはいかない。
バーベキューが実現したら、ノンちゃん、貴女の好きだった人たちでここを使わせていただきます。
仲間がいつでも泊まりに来られるように。
翌日目が覚めると頭痛がする。
首と肩が張っている。
ブラームスの後遺症?
起きてもなにもする気にならない上に、胃のあたりがムカつく。
エロイーズカフェの濃厚な朝食はとてつもなく魅力だけれど、今日はやめておいたほうが良いかもしれない。
Y子さんに連絡して家でゴロゴロすることにした。
彼女の言うことには「もしかして高山病では?」
あ、それ、思い当たることが。
夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルのときも、到着したその翌朝不調だった。
そのことを言うと、仲間のKさんにも同じことを言われた。
Kさんは追分に猫と暮らすヴィオリスト。
彼女も追分に来ると、いつも次の日頭が痛いとかなんとか。
軽い高山病の一種かもしれないと。
誰もいない森の中でただ1人、木々と向き合いノンちゃんを思って静かに過ごし山を降りた。
たった2日間、ノンちゃんの「もう帰っちゃうの?」という声が聞こえそうな。
今日は気持ちよく弾けたと満足したときは要注意!
録音を聞くとがっかりすることが多い。
今日はだめだったと落ち込んでいると、案外うまく録音されていたり。
もし他の人が褒めてくれたときには素直に感謝することにしている。
他人の耳は自分の思い込みよりも遥かに頼りになる。
自分で満足したときには疑ってみる。
ブラームスの壁はなかなか超えられないので、北軽井沢まで猫と出かけた。
猫はすっかり車にも馴れ、ケージに入れられる時のパニックもなくなってきた。
山道でカーブが続くと、ときおりニャアと鳴く。
家に入ってももうすっかりくつろいで、私のベッドのど真ん中を占領する。
お隣さんが来ているかと思ったけれど、車がないしシャッターが全て閉まっている。
森の中は人っ子一人いない。
夏は家の前に停まっている車も今は殆ど見当たらない。
ご近所の常住している家にも車が停まっていない。
おやおや、本当に誰もいないのだ。
夏に来たときに大騒ぎで歓迎してくれた蝉しぐれ。
それも消えてしまった。
聞こえるのは庭の下を流れるせせらぎの音ばかり。
軽井沢に住んでいるY子さんに連絡して、翌日、軽井沢のエロイーズカフェで朝食をとる約束をしてばんやりと森を眺めていた。
夏の暑さに痛めつけられた木々が少し枯れ初めて、紅葉の準備に入っているようだ。
今回来たのは、ノンちゃんの思い出のため。
去年の今頃、この家を私に明け渡す決心をして気落ちしたのかもしれない。
ここを出たノンちゃんは東京の自宅に帰って、次の日、亡くなってしまった。
別れるときに「ノンちゃん、来年からは私がノンちゃんをゲストとしておもてなししますから」と言うと寂しそうに笑っていた。
その約束が実現できなかったのが悔やまれる。
大好きな窓辺に座って森を眺めていると、私がそうしているのをいつも嬉しそうに見ていたノンちゃん。
ちょうど1年経った今、1人で森を眺めて時間を過ごした。
ノンちゃんはこの家を10年前に建てた。
その年の夏、仲間が集って庭でバーベキューをした。
その後中々バーベキューができなくて、私に「nekotamaさん、私、バーベキューがしたいの、あなたやってくれない?」と何かにつけて言っていた。
でもその頃の私は仕事人間で、いつも大忙し。
この家に来るのも1泊か2泊。
ノンちゃんが「もう帰っちゃうの?」と言うけれど「すぐまた来ます」と言ってはそのまま冬になってしまったり。
春になると、でかけてもすぐにバタバタと帰って・・・の繰り返しだった。
考えてみればノンちゃんと長く語り合うことも、やっと最近になってからだった。
ようやく仕事が少なくなり私も多少長めに滞在できるようになって、これからバーベキューもやってあげられると思っていたのにさっさとノンちゃんは逝ってしまった。
去年の初夏の頃、いつもよりも強めにノンちゃんから「みんなでバーベキューをしたいの、やってね」と言われたから、今回こそはと思っていたのに。
痛恨の極み、それでもう手遅れかもしれないけれど、この秋に仲間が集ってバーベキューをする予定。
私が怠け者で悪かった。
まだ大丈夫と思っていたのにノンちゃんにとっては、焦眉のことだったのだ。
ノンちゃんはもういないからやっても無駄かもしれないけれど、約束は守りたい。
これは自分のためであってノンちゃんのためではないけれど、せめての罪滅ぼしに皆さんに来てもらうことにした。
家の中はほぼ片付いて、後は物置の中の整理が残っている。
物置を開けてバーベキューの道具をさがしたけれど見当たらない。
たしかノンちゃんは「バーベキューの道具は残してあるから」と言っていたのに。
そのかわりどっさりとガラクタ(ノンちゃんごめん)が出てきた。
年老いたノンちゃんの手に負えなくなったものは、全部ここに放り込んでしまったのかもしれない。
そう思うとまた、私がもう少し頻繁に来て手伝ってあげればよかったのにと悔いが残ることばかり。
いつもお客様気取りでノンちゃんのおもてなしを受けて、この馬鹿者が!と自分を叱りつける。
人との交わりは、終わってから悔いが残る。
大切な人であればあるほど、ああもこうもと後悔ばかり。
でも仕方がない。
だれとでもパーフェクトというわけにはいかない。
バーベキューが実現したら、ノンちゃん、貴女の好きだった人たちでここを使わせていただきます。
仲間がいつでも泊まりに来られるように。
翌日目が覚めると頭痛がする。
首と肩が張っている。
ブラームスの後遺症?
起きてもなにもする気にならない上に、胃のあたりがムカつく。
エロイーズカフェの濃厚な朝食はとてつもなく魅力だけれど、今日はやめておいたほうが良いかもしれない。
Y子さんに連絡して家でゴロゴロすることにした。
彼女の言うことには「もしかして高山病では?」
あ、それ、思い当たることが。
夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルのときも、到着したその翌朝不調だった。
そのことを言うと、仲間のKさんにも同じことを言われた。
Kさんは追分に猫と暮らすヴィオリスト。
彼女も追分に来ると、いつも次の日頭が痛いとかなんとか。
軽い高山病の一種かもしれないと。
誰もいない森の中でただ1人、木々と向き合いノンちゃんを思って静かに過ごし山を降りた。
たった2日間、ノンちゃんの「もう帰っちゃうの?」という声が聞こえそうな。
2019年9月15日日曜日
「秋の日のビオロンのため息」がほんとにため息になってしまったこと
秋の日のビオロンのためいきの
身にしみてひたぶるにうら悲し・・・
ポール・ベルレーヌ 上田敏訳
こういう詩を涙ながらに読んでいた頃の自分の瑞々しさ。
若い頃の感傷的な気分は、加齢とともにお肌と同じくドライになってしまった。
最近は物事に動じない。
若い娘なら「きゃあ、たいへん」なんて言うことでも「ふーん、だから?」
・・と思っていたけれど、今日は大いに動じてしまった。
代々木上原のムジカーザでブラームスのソナタ「雨の歌」の本番。
前日から衣装の準備、楽譜と眼鏡を忘れないように、それから靴も。
準備万端と思っていたら、昨日まで練習していた楽譜がない。
たしか昨日もここで練習していたのだから、この部屋からは出ていないはずの楽譜。
2日前のピアノ合わせのときに急に思い立って、楽譜を変えた。
譜めくりがうまくいかないので、以前使っていた版のコピー版に。
「雨の歌」の1,3楽章のヴァイオリンパートはほとんど休みがないので、譜めくりができない。
そのために譜面台を2台使って、3ページ分広げて、たった1小節、拍で言うと6拍でめくらなければならない。
以前使っていた版のほうは、譜めくりをしないで良いように4枚広げるようにコピーしてある。
その分、音符の大きさとスペースが狭いから多少混み合っているように見えるけれど、譜めくりの失敗のリスクはない。
それで昨日は、そのコピーの楽譜で練習。
どちらの楽譜でもいいけれど、何回も練習しているうちに指使いやボウイングも変えるから、それぞれ微妙に違う。
本番で迷わないようにと昨日は楽譜を入念にチェック。
今日のステージリハーサルは午後からなので、午前中もう一度弾いておこうと思ったら、昨日まであったコピー譜がない。
どっと冷や汗が出た。
どこを探してもない。
だって無いはずないじゃん。
諦めて3日前まで使っていた楽譜に戻して練習したけれど、もう胸はバクバク。
どうしてどうして。
昨日は変に長く眠ってしまった。
こういうときは体調不良か精神的に不安定なときなのだ。
数えたら9時間近い睡眠。
やっと用意ができて車を発進するときになって、もう一度確認。
キャリーバッグの中に納めたはずの楽譜が入っていなかった。
また冷や汗。
いつも心配で2度3度確認する癖が助けてくれた。
やはり今日はなんとなく不調なのだ。
車で都内を走っていると、そこかしこで秋祭り。
中原街道から環6通りに左折しようとしたらえらい渋滞。
信号が変わらないと思ったらお神輿や山車の通行のために信号が変わらないように操作している。
やっと通過したと思ったら、その後をのんびりと神主が通る。
なんだかことさらゆっくりと歩いているように見える。
リハーサルはなんとかやり過ごしたけれど、本番までが少し時間が空く。
遅い昼食を摂ろうと駅の近くにでかけた。
パスタのお店でナポリタンを食べたら、昔懐かしいケチャップ味で、思わず全部平らげた。
自分でもわかっていたのに、たくさん食べてはいけないことを。
楽屋に戻るとソファに腰掛けているうちにうつらうつら。
目が覚めて着替えを始めると、昨日着たときにはなんの問題もなかったドレスが窮屈になっていた。
私は腎臓に問題があるから、こういうときは良くない傾向なのだ。
やはり妙に沢山眠ってしまうときには、風邪の前兆とかなにか問題がある。
靴も昨日まではなんの違和感がなかったのに、非常に窮屈。
足が痛い!演奏が済むまで我慢できるだろうか。
なんでもうまくいかない日って時々ある。
私にしては真面目に練習したのに、なんだかいつでも初めて弾くようにドキドキするのがブラームスなのだ。
しかも消えた楽譜はどこへ?
どうしてこんなに体がむくんでいるのか。
途中で思い出した。
楽譜の謎はこうだった。
昨日楽譜を間違えてはいけないと思って、コピー譜をメガネと一緒に、それらを入れていくキャリーバッグのある居間の方へ持っていってテーブルに置いた。
今朝メガネを見つけて、あら、こんなところにどうしてと思って、メガネをレッスン室に持っていった。
その下に置いてあった楽譜に気がつかずに。
楽譜はあいにくコピー譜だったために、音符のある部分が表に出ていなくて他の書類だと思った。
原譜ならすぐに楽譜とわかるのに。
というわけ。
いつも忘れ物をしそうなときには、ここに置いたと自分に言い聞かせておくとたいてい思い出すのだけれど、今回はメガネを置いたことで安心してしまったこと。
メガネが目印になると思ったのに、逆にメガネを見つけたことで楽譜であることに気がつかなかった。
これが敗因。
ブラームスは本当に秋が似合う。
今日のブラームスはなんだかとりとめなく、不安定だった。
ベルレーヌさん、あなたは預言者?
今日の私の状態はまさしく「そこかしこにとび散らう落ち葉かな」でしたよ。
身にしみてひたぶるにうら悲し・・・
ポール・ベルレーヌ 上田敏訳
こういう詩を涙ながらに読んでいた頃の自分の瑞々しさ。
若い頃の感傷的な気分は、加齢とともにお肌と同じくドライになってしまった。
最近は物事に動じない。
若い娘なら「きゃあ、たいへん」なんて言うことでも「ふーん、だから?」
・・と思っていたけれど、今日は大いに動じてしまった。
代々木上原のムジカーザでブラームスのソナタ「雨の歌」の本番。
前日から衣装の準備、楽譜と眼鏡を忘れないように、それから靴も。
準備万端と思っていたら、昨日まで練習していた楽譜がない。
たしか昨日もここで練習していたのだから、この部屋からは出ていないはずの楽譜。
2日前のピアノ合わせのときに急に思い立って、楽譜を変えた。
譜めくりがうまくいかないので、以前使っていた版のコピー版に。
「雨の歌」の1,3楽章のヴァイオリンパートはほとんど休みがないので、譜めくりができない。
そのために譜面台を2台使って、3ページ分広げて、たった1小節、拍で言うと6拍でめくらなければならない。
以前使っていた版のほうは、譜めくりをしないで良いように4枚広げるようにコピーしてある。
その分、音符の大きさとスペースが狭いから多少混み合っているように見えるけれど、譜めくりの失敗のリスクはない。
それで昨日は、そのコピーの楽譜で練習。
どちらの楽譜でもいいけれど、何回も練習しているうちに指使いやボウイングも変えるから、それぞれ微妙に違う。
本番で迷わないようにと昨日は楽譜を入念にチェック。
今日のステージリハーサルは午後からなので、午前中もう一度弾いておこうと思ったら、昨日まであったコピー譜がない。
どっと冷や汗が出た。
どこを探してもない。
だって無いはずないじゃん。
諦めて3日前まで使っていた楽譜に戻して練習したけれど、もう胸はバクバク。
どうしてどうして。
昨日は変に長く眠ってしまった。
こういうときは体調不良か精神的に不安定なときなのだ。
数えたら9時間近い睡眠。
やっと用意ができて車を発進するときになって、もう一度確認。
キャリーバッグの中に納めたはずの楽譜が入っていなかった。
また冷や汗。
いつも心配で2度3度確認する癖が助けてくれた。
やはり今日はなんとなく不調なのだ。
車で都内を走っていると、そこかしこで秋祭り。
中原街道から環6通りに左折しようとしたらえらい渋滞。
信号が変わらないと思ったらお神輿や山車の通行のために信号が変わらないように操作している。
やっと通過したと思ったら、その後をのんびりと神主が通る。
なんだかことさらゆっくりと歩いているように見える。
リハーサルはなんとかやり過ごしたけれど、本番までが少し時間が空く。
遅い昼食を摂ろうと駅の近くにでかけた。
パスタのお店でナポリタンを食べたら、昔懐かしいケチャップ味で、思わず全部平らげた。
自分でもわかっていたのに、たくさん食べてはいけないことを。
楽屋に戻るとソファに腰掛けているうちにうつらうつら。
目が覚めて着替えを始めると、昨日着たときにはなんの問題もなかったドレスが窮屈になっていた。
私は腎臓に問題があるから、こういうときは良くない傾向なのだ。
やはり妙に沢山眠ってしまうときには、風邪の前兆とかなにか問題がある。
靴も昨日まではなんの違和感がなかったのに、非常に窮屈。
足が痛い!演奏が済むまで我慢できるだろうか。
なんでもうまくいかない日って時々ある。
私にしては真面目に練習したのに、なんだかいつでも初めて弾くようにドキドキするのがブラームスなのだ。
しかも消えた楽譜はどこへ?
どうしてこんなに体がむくんでいるのか。
途中で思い出した。
楽譜の謎はこうだった。
昨日楽譜を間違えてはいけないと思って、コピー譜をメガネと一緒に、それらを入れていくキャリーバッグのある居間の方へ持っていってテーブルに置いた。
今朝メガネを見つけて、あら、こんなところにどうしてと思って、メガネをレッスン室に持っていった。
その下に置いてあった楽譜に気がつかずに。
楽譜はあいにくコピー譜だったために、音符のある部分が表に出ていなくて他の書類だと思った。
原譜ならすぐに楽譜とわかるのに。
というわけ。
いつも忘れ物をしそうなときには、ここに置いたと自分に言い聞かせておくとたいてい思い出すのだけれど、今回はメガネを置いたことで安心してしまったこと。
メガネが目印になると思ったのに、逆にメガネを見つけたことで楽譜であることに気がつかなかった。
これが敗因。
ブラームスは本当に秋が似合う。
今日のブラームスはなんだかとりとめなく、不安定だった。
ベルレーヌさん、あなたは預言者?
今日の私の状態はまさしく「そこかしこにとび散らう落ち葉かな」でしたよ。
2019年イグノーベル賞
ノーベル賞のパロディーで、ひとを笑わせ考えさせるような業績や研究に与えられるイグノーベル賞。
ノーベル賞と同じく10の分野の研究にあたえられる賞がある。
今年もハーバード大学で授賞式が行われ、4人の受賞者が本家ノーベル賞受賞者から賞を与えられたそうだ。
舞台で紙飛行機を飛ばす。
受賞者には60秒のスピーチの時間が与えられるが、8歳の少女から「やめてください、つまらないです」と言われるとやめなければならないなど、恒例となっている。
イグノーベル賞の目的は「非凡さと創造性をたたえ、科学や医学、技術への関心をかきたてること」となっていて、賞金は10兆ジンバブエドル(約8ドル)
ただしジンバブエドルがまだ発行されていたころの2009年のレートで、賞金は偽札。
2019年の受賞
医学賞 イタリア・オランダチーム
「ピザで死と病気を予防できることがある。
ただし、イタリアで地産地消した場合に限る」
死は予防できるの?一体なんのこっちゃ??
化学賞 日本チーム
「標準的な5才児の1日の唾液分泌量を計算した」
なんのため?でもまあ、なにかの役にたちそうな気がしないでもない。
解剖学賞 フランス
「フランスの郵便配達人が裸のときと服を着た時の陰嚢の温度の非対称性を測定した2007年の研究に対して」
なぜ、郵便配達人?なんのために?どうしてそこなの。
心理学賞 ドイツ、ビュルツブルグ大学のフリッツ・シュトラック氏に。
「口にペンをくわえると笑顔になり、その笑顔でさらに幸せになることを発見し、その後そうではなかったことを発見」
いったい幸せか、そうでないかどっちなの?
工学賞 イランの研究チーム
「乳児のおむつ替えマシーンの発明」
このマシーンはアメリカで特許をとったそうだ。
平和賞 国際チーム
「かゆいところをかく快感を測定した」
快感より不快感を測定したほうが、なにかの役に立ちそうな気がするけど・・・
毎年イグノーベル賞受賞の報道を楽しみにしているけれど、日本チームはほとんど毎年のように受賞している。
日本人は堅物、謹厳実直、ユーモアのセンスがないと思われがちだけれど、どうして中々のクスクス笑い人種ではないか。
落語のような、非常に洗練された笑いの文化をもっている。
これは世界に誇ってもいいんじゃない?
ノーベル賞と同じく10の分野の研究にあたえられる賞がある。
今年もハーバード大学で授賞式が行われ、4人の受賞者が本家ノーベル賞受賞者から賞を与えられたそうだ。
舞台で紙飛行機を飛ばす。
受賞者には60秒のスピーチの時間が与えられるが、8歳の少女から「やめてください、つまらないです」と言われるとやめなければならないなど、恒例となっている。
イグノーベル賞の目的は「非凡さと創造性をたたえ、科学や医学、技術への関心をかきたてること」となっていて、賞金は10兆ジンバブエドル(約8ドル)
ただしジンバブエドルがまだ発行されていたころの2009年のレートで、賞金は偽札。
2019年の受賞
医学賞 イタリア・オランダチーム
「ピザで死と病気を予防できることがある。
ただし、イタリアで地産地消した場合に限る」
死は予防できるの?一体なんのこっちゃ??
化学賞 日本チーム
「標準的な5才児の1日の唾液分泌量を計算した」
なんのため?でもまあ、なにかの役にたちそうな気がしないでもない。
解剖学賞 フランス
「フランスの郵便配達人が裸のときと服を着た時の陰嚢の温度の非対称性を測定した2007年の研究に対して」
なぜ、郵便配達人?なんのために?どうしてそこなの。
心理学賞 ドイツ、ビュルツブルグ大学のフリッツ・シュトラック氏に。
「口にペンをくわえると笑顔になり、その笑顔でさらに幸せになることを発見し、その後そうではなかったことを発見」
いったい幸せか、そうでないかどっちなの?
工学賞 イランの研究チーム
「乳児のおむつ替えマシーンの発明」
このマシーンはアメリカで特許をとったそうだ。
平和賞 国際チーム
「かゆいところをかく快感を測定した」
快感より不快感を測定したほうが、なにかの役に立ちそうな気がするけど・・・
毎年イグノーベル賞受賞の報道を楽しみにしているけれど、日本チームはほとんど毎年のように受賞している。
日本人は堅物、謹厳実直、ユーモアのセンスがないと思われがちだけれど、どうして中々のクスクス笑い人種ではないか。
落語のような、非常に洗練された笑いの文化をもっている。
これは世界に誇ってもいいんじゃない?
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