2020年4月13日月曜日

猫は元気になりました

ほとんど末期的な症状だったうちの猫は、獣医師の治療と私の必死の看護で快方にむかっている。
今は子猫用の栄養価が高いピュレ状の餌を食べ始めた。
全く餌を受け付けなくなったのでこれはもう諦めるしかないと思ったものの、私にとってはいまや唯一の家族。
この子が死んでしまったら本当に一人ぼっち。
生まれてこの方、大勢の家族に囲まれていた私は、一人でいるのはそれほど苦痛ではないと思っていた。
むしろ好き好んで人から離れていた。
子供の頃も家族から離れて、自宅裏庭のびわの木に登って昼寝をしたり納戸のようなところで本を読んだり、常に一人でいることを好んでいたけれど、今回初めてその寂しさに耐えられるかどうか自信がなくなった。

たかが猫、されど・・私には今ではたった一人の家族。
連日栄養剤と抗生物質の点滴に通った。
良くなったかと気を緩めて点滴をやめるとぶり返す。
鼻水が鼻孔を塞いで、餌の匂いがわからなくなるらしい。
それで又点滴の繰り返し。
ヒョロヒョロとよろめきながら歩く姿に涙した。
死なないで頂戴、お願いだからと言うと、じっと私の目を見つめ返す猫。
苦しさを訴えているのか、最後のあいさつをしようと思っているのか。

でも彼女は頑張った。
病院に行くためにケージにいれるときも、かすかに鳴いて抵抗する元気もない。
おとなしく診察台に乗り、暴れることもない。
ここに来れば体調が良くなるとわかっているらしい。
それともそれほど体力がなくなっていたのかもしれない。

病院に残されたカルテを見ると、今から17年前に不妊手術をしている。
だから年齢は18歳くらい。

ある日自宅付近を散歩していたら、猫が目の前にヨロヨロと出てきてばったりと倒れた。
慌てて抱き上げて自宅に連れ帰り、そのままうちの家族になった。
野良猫に必要な注射その他と不妊手術を受けたのが17年前。
その時家にはすでに4匹の猫がいて、彼女のテリトリーは我が家の狭い押し入れしかなく、長年押入れ猫として暮らしてきた。
他の猫にいじめられることはなかったし特に仲が良いと言うふうもなかったけれど、私に甘えられずに生きてきた。
甘えん坊の筆頭は唯一の雄猫のたまさぶろうだったから、私をほぼ独り占め。

その中で器量良しではなく特に活発でもない彼女は、ひっそりと押し入れで寝ていた。
そこが彼女の安らぎの場所だった。
いまでも押し入れで寝ている。
体調が悪いと何日も姿が見えないけれど、他の猫に紛れて放っておかれた。
顔の表情も乏しく甘えてくることもない。
鼻の真ん中から左右に、黒とキジ猫模様に別れているというなんとも奇妙な毛色。
あごが妙に長くて、猫らしい丸顔ではない。

2年前、他の猫が次々といなくなり、ついに彼女の天下になった。
抱っこすると前足を突っ張って、緊張していた。
今まで抱っこもされたことがなかったのだと、その時初めて気がついた。
慣れていないので初めの頃は緊張して強張っていたのが、時間が経つと体の力が抜けてきて体を預けてくるようになった。

ごめんね、ずっと我慢していたのね。
いつも甘えん坊の玉三郎に私を独占されて、出る幕がなかったので。
その頃から見る見る顔の表情が変わってきた。
優しく穏やかな顔となり、妙に突き出ていた顎が引っ込んだようなのは私の気のせいだろうか。
私の傍らで寝ていると思うと、じっとこちらを見つめているのに気がつく。
大きな目をそらすことも瞬きもなく。
何年ものあいだの寂しさを埋めるように見つめてくる。
こんなに情の深い子だとは知らなかった。

今彼女はニャン生最高の幸せを手に入れた。
はじめて飼い主からの愛情を独占できたのだ。
人間もそうだけれど、一つの集団のなかでの立ち位置がその人の性格を決める。
私は5人の姉と兄がいて末っ子として可愛がられた。
すぐ上の姉は私が生まれてからは、あまり両親からも相手にされなかったのかもしれない。
姉はとてもよく泣く子だったと皆が言う。
それに比べて私は何があっても殆ど泣かなかったらしい。

姉たちが言うには、おねしょをしても私だけは叱られなかったと。
美味しいものはまず私が好きなものを選べた。
そんな育ち方は、年の離れた兄や姉にとっては当然だったようだけれど、すぐ上の姉にとっては理不尽なことだったと思う。
今まで末っ子だったのに、下の子供が産まれて谷間に追いやられて、なんで?と思っただろう。
病弱で繊細で傷つきやすかったから、多少頑なな性格になってしまったようだ。
今思えば私の幸せは姉の犠牲の上に成り立っていたのかもしれない。
それでも母が誰にも精一杯の愛情を注いでくれたので、姉も愛情深く家族に接していた。
少し過干渉なくらいに子どもたちを育てた。
義兄とも、とても仲が良かった。

家族の中で一番甘え放題だった私が年を重ねてからいまや一人ぼっちというのは、人生の辻褄が合っているということかもしれない。
兄と姉たちはそれぞれ家族がいてにぎやかにしている。
今の私が一人でいるということは、愛情のキャパシティーを使い果たしたのかもしれない。
お金もそうだけど、あるあると思っていたものが浪費によっていつの間にか減っていたのに気がついた、その状態が今。
それで猫にしがみついているのです。
猫も迷惑な話だけれど、それでも私を独占できる幸せそうな顔を見ると、私も嬉しくなる。
お猫様が元気になってくれないと困るのは私のほうなのだ。
当人のためでなく自分のため。
末っ子は末っ子にうまれただけで病気というけれど、それは本当です。














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