目が覚めたら穏やかな朝。
晴天の青空、日差しに満開の桜が照り映えていた。
毎日コロナのニュースで一日が始まる憂鬱なこのごろ。
午前中の花粉が飛び散らないうちに散歩に行くことにした。
ニュースさえ見なければ、世はすべてこともなし。
近所の小高い丘の上にある小さな動物公園まで足を伸ばした。
桜はもう満開を過ぎて、散り始めている。
川の流れに浮かぶ花筏。
なんてきれいなんだろう。
世の中の若い人たちは将来に不安を抱え、憂鬱な春になってしまった。
これからが人生の勝負というときに、なんとも気の毒でならない。
小学新入生と思える男の子が、桜の木の下で真新しい制服を着て写真撮影。
入学式ができないので、せめて新入生らしい写真を残そうと思ってのことらしく、父親が撮影している。
この写真が後々、あのときは大変だったねえと家族の話題になるのだろうか。
悲しい思い出にならないことを心から祈る。
こんな凄まじい春は初めて。
世界中が怯え、小さなウイルスに翻弄されるなんて。
小高い丘は古墳があって、頂上では富士山が見える。
登っていくと、ちらほら人が集まっている。
みなそれぞれに体操したり花を愛でたり。
私の家からこの頂上に登り、同じコースを帰るとちょうどよい散歩コースになる。
今朝は丘の登り口の喫茶店でコーヒーを飲もうと決めてきた。
そこで少し休んで自宅まで帰ると、疲れすぎない。
「コーヒーをください」「本日のコーヒーでよろしいですか?」
カウンター上のメニューを見てもそれだけしか書いてない。
「コーヒの種類は他にあるのですか?」「いえ、ありません」???
えーと!一つしか無いのに、それでよろしいですかと訊かれて困惑する。
いや、それじゃないのをと言ったら、どうするのかしら。
これなんなんだろう、マニュアルの一つ?
しかもマスクでくぐもった声で、朝から縁起が悪そうで。
次に立ち寄ったのは古い小さな和菓子屋。
ここのお菓子がなかなかいけると知ったのは、つい最近のこと。
売れそうもない場所にあるけれど、品が良くてとても美味しい。
こんなお店がずっと長い間潰れないのを不思議に思っていたけれど、納得した。
帰りがけに柏餅と道明寺を買った。
おやつに食べよう。
柏餅と言えば・・・
小説で、誰かが柏餅を葉っぱごと食べる夢を見た、そんなシーンがあったっけ。
一体誰の小説だったかしら。
考えてもわからない。
物忘れの激しい私が珍しくずっと覚えているからには、とても印象的な場面だったのだろう。
私の好きな作家といえば、まず漱石。
たぶん「三四郎」ではなかったかしら。
もしかしたら「吾輩は猫である」?
いや「草枕」かも。
考えながら歩く。
まず「草枕」はこういうシーンは合わないから除外。
「三四郎」も同じく。
「吾輩は猫」にならあるかもしれない。
帰宅して早速調べ始めたけれど、ヒットしない。
だんだんと記憶の片隅に何かが形になって出てきた。
そうだ「坊っちゃん」だわ。
「坊っちゃん、柏餅」で検索すると坊っちゃんは当たり、柏餅でなくて笹飴だった。
抜粋
うとうとしていたら清(きよ)が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。
笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。
乱暴できかん気の強い主人公のおれに、唯一愛情かけてくれた清という女中。
初めて赴任した松山の宿で見た夢が清。
母よりも大きな存在だった清の夢は、不安なおれの心を沈めてくれたのだと思う。
漱石・・・長い間忘れていた。
それなのに、柏餅で思い出すとは。
幼少期に読んで感銘を受けたことは、生涯心の片隅に隠されて生きているのだと、驚きと懐かしさがこみ上げる。
今の子供達は読書よりも面白いことがたくさんあって、文字を目で追っていくなど生ぬるいと思えるかもしれないけれど、そうやって読んだものは生涯自己形成の役割を担うものだと思う。
余談ですが
私が拾ってきた猫を見た友人。
「名前は?」と訊くから「まだない」と答えたら、じゃあナツメにしたら?
おわかりですよね?
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