2020年4月1日水曜日

エイプリルフール

前回のnekotamaでマスクが木に実る空想を書いた。
そう言えば、以前エイプリルフールでスパゲッティの木が発見されたというニュースが流れた。
本気にした人もいたらしいけれど、いくらなんでもまさかね。
火星人襲来で大パニックになった年もあったらしい。
そのニュースは当日ではなく別の日だったというのだけれど。

さて、わが家のにゃんこは御年18歳。
具合が悪くて食物が喉を通らない。
少量でパックされているキャッツフードを買ってきて、毎日手を変え品を変えしても食べられないらしい。
成猫用、子猫用、柔らかいもの、スープ状など、取り揃えてあるのに。
特に外見に目立った兆候はないけれど、お別れの日が近づいているのは覚悟していた。
けれど、私はこの猫がいなくなると、本当に一人ぼっちになる。
北軽井沢の森の中で猫と一緒に過ごすのは、この上なく楽しかった。
大好きな森の木々の中で人っ子一人いなくても、寂しくなかったのはこの子のお陰。

数日前から一切物を食べないので動物病院へ連れて行った。
ここの病院との付き合いは50年近くに亘る。
今の先生のお祖父様の頃からのお付き合い。
骨格の大きいおじいさん先生は、真っ白なひげを伸ばしていた。
最初の猫を連れて行ったときには、大柄な体格に似合わず優しい声を出して、猫が気が付かないうちに注射が済んでいるような手早さ。

おじいさん先生が引退すると、息子さんの代になった。
聞くところに依ると、その先生はドイツのアウトバーンで車が横転して足を傷めてしまったそうなのだ。
車椅子の生活をしながら、診察を続けていた。
車椅子では往診ができないから、弟さんが獣医師になった。
弟さんはひげを生やし、ちょっと宇崎竜童似の人で、最初は普通の会社員だった。
お兄さんが怪我をしたため、もう一度大学に入り直して獣医さんになったという。
普通でも獣医師になるのは大変だと思うけれど、会社勤めの合間に勉強するのはさぞ大変だったと思う。

その動物病院は、私が最初の猫を連れて行ったときから全く変わらない。
建物も設備もずーっとボロボロ。
全く儲け主義でなく、一時期治療費を1000円だけ値上げしたことがあった。
私は多数の猫の治療費でアップアップしていたから、つい愚痴をこぼした。
「私、猫の治療費のために働いてばかり」と言ったら、次の治療から元の値段に戻してくれた。
ひげの先生は本当に良い人だった。
預けられて飼い主が取りに来られない猫や犬がいつもいた。

車椅子の先生も、ひげの先生も亡くなった。
その息子さんの先生の代になって、私の最後の猫もここでお世話になっている。
病院と一緒に古びた飼い主と猫は、最新設備の小綺麗な病院は似合わない。
毎日胃の治療薬と栄養剤を点滴してもらっている。
昨日、病院から帰って柔らかい餌を口の端から入れてみたら飲み込んだ。
夕方お腹が空いた風の顔をするから少し食べさせた。
でもそれっきり。

食べたくないのに無理に食べさせようとすると、猫にはストレスになる。
こういう状態になったら治療はしないはずだったけれど、やはりこのまま逝かれては気持ちの整理がつかない。
私のエゴだけれど、もう少し生きて、一緒に北軽井沢で過ごしたい。
実際北軽井沢に行くと、猫も元気になるのだ。
北軽井沢の家の近くに、遠くからも治療を受けに来る評判の良い動物病院がある。
あそこに行けばもしかして回復するかもしれない。
でも私にはわかっている。
彼女はもうすぐ私を置いてけぼりにすることを。
ここが一番辛いところなのだ。
どこで治療をやめるかが決められない。
実際食べなくなって治療をしないと、間もなく眠るように逝ってしまう。

先月の末に北軽井沢に行くつもりだった。
管理人に電話して水道と電気を通してもらうように頼んでおいた。
けれど数日前、雪になったという連絡が来た。
それもかなりの大雪だそうで、それではもう少し暖かくなるまで延期しようと言うことになった。
せっかくのチャンス、もしかしたら最初の予定通り北軽井沢に行っていたら、猫も元気になっていたかもしれないし、具合が悪くても地元の名医に治療してもらえたかもしれない。
今はこの調子では、3~4時間の車の移動は可哀想かもしれない。

明日になれば猫がむしゃむしゃと餌をたべて、うそだよ、エイプリルフールだよ~と言ってくれないかしら。

オーケストラにいたころ、4月1日は指揮者を騙すのが恒例だった。
練習が始まる前、当日の練習には使わない楽譜が配られる。
指揮者が入ってきて指揮棒が振り下ろされると、全く違う曲が始まる。
慌てる指揮者。
指揮台の上のスコアをひっくり返して、あれ!なになに?
そこで皆で大笑いする。
本当に楽隊はいたずら好きだった。

ところがうわてを行く指揮者は、そのまま棒を振り続ける。
練習していない曲だから、そのうちにメンバーの演奏に破綻がくるのをニヤニヤしながら楽しむ人もいた。

練習場のドアに、手書きで自動ドアと書いた紙を貼ったこともあった。
まさかと思ったけれど、ほとんどの人が引っかかったのは愉快だった。
その日はコーラスの入った曲の練習。
コーラスの人たちは、いつもここに来るわけではないから知らないのは当たり前だけれど、毎日のように通ってきているメンバーでも騙される人がいた。
ドアの前で一旦停止、おや?ドアが開かない・・・他愛ないいたずら。

コロナはなかな収束しない。
本当にマスクの木があればいいのに。
無事にこの状況を抜けられますように。



























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