2020年4月24日金曜日

北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルも中止

毎年参加していた夏の北軽井沢でのコンサート。
北軽井沢ミュージックホールはトタンの錆びついた外見、手入れのされていない草茫々の駐車場などで、初めて見た時はここは一体なんの施設なんだろうと訝った。
ミュージックホールというと、浅草などの踊り子さんのいるような場所を連想して、こんなキャベツ畑のそばでも見に来るお客さんいるのかしら?と思った。
けれど、ネオンの看板もなく派手な人の出入りもなく、それで人に訊ねて初めてそこが桐朋学園大学の合宿所だったということを知った。

斎藤秀雄さんゆかりの地であるという北軽井沢。
ここに集う若者の中から、世界に羽ばたいた音楽家もたくさんいたのだ。
見かけでものを言ってはいけない。
ちょうど私の年代は戦後の経済成長期にあたり、今の中国のように世界中から眉を顰められるほどの勢いで伸びていった。
そして弦楽器奏者も次々と世界に名を残す人たちを輩出していった。
そういう人たちもここで、斎藤秀雄さんの厳しい指導に震えながら勉強したことを想像すると、この空間が急に親しいものに思われてくる。

ただし、建物はボロボロ、ホールの前面には壁がなく、シャッターを開ければ外とつながっている。
言うなれば屋外コンサート会場みたいなもの。
中庭を囲んで生徒たちの宿泊所、練習所、トイレなどがある。
北軽井沢は標高が1000メートルくらい、水質を保護するための原生林がある。
本当に良い水ときれいな空気と森など、自然が残っている。

このミュージックホールの演奏環境は劣悪。
雨が降れば吹き込むし、トタン屋根に雨粒があたって曲とは関係ないリズムを刻む。
セミが大合唱する年には楽器の音がかき消され、雨の降ったあとでは猛烈な湿気が発生、ヴァイオリンのような木の楽器は、あっという間に音が鳴らなくなる。
弦は羊の腸だから、湿度が高ければ伸びて音程が低くなる。
弓の毛は馬の尻尾だから、延びて竿につくと弾みにくくなる。
ここでは乾燥という言葉は死語。
森とキャベツ畑と山の上の雨の多い環境だから、いつも湿度はマックス。
標高が高くて気温が低いので、救われるけれど。

演奏している間中調弦をしているという具合で、去年は湿気で楽器の膠が剥がれ、楽器屋さんに修理してもらったほど。
それではどうしてそんなところで演奏するかと言うと・・・・

私はこの北軽井沢に初めてきたときに木々の美しさに心を奪われた。
旧友の人形作家のノンちゃんが森の中に住んでいて、よく泊めていただいた。
窓から見る森は、何時間見ていても飽きない。
刻々と空模様が変わる山の天気。
急に日がさすかと思えばさあーっと雨が降る。
その美しさったら!

吹き抜けの木の家でヴァイオリンを弾くと、良く響いて家ごと楽器のよう。
殊の外喜んでくれたのがノンちゃんで、この家を引き継いでほしい、そしてヴァイオリンを弾き続けてほしいと言われた。
1年半前ノンちゃんは私にこの家を残して亡くなった。

ミュージックホールフェスティヴァルはホールをなんとかして残し、コンサートを運営したいという地元のサポーターズがボランティアで主催している。
最初、北軽井沢に来たときには、キャンプ場の中にある100年ほど以前に建てられた洋館でコンサートを開いた。
その後、このフェスティヴァルに参加するようになった。

北軽井沢はフィンランドに似ていると言う人がいる。
それではここでフィンランドの大作曲家・シベリウスの曲を演奏したらどうかとプログラムに入れてみたら、これが雰囲気ぴったり。
それで今年はシベリウス特集を組むことにした。
フィンランドに留学していたチェロ奏者のTさんも参加してくださることになった。
ピアノ独奏曲、ピアノとヴァイオリン、ピアノとチェロ、ヴァイオリンとヴィオラなど数曲の楽譜を注文して届いた日に中止の知らせが届いた。

今年はコロナウイルスのお陰ですべてのコンサートが中止になった。
秋の古典音楽協会の定期演奏会は果たして実現できるのかしら。
リタイア目前の私達にとって、一つ一つが大切なのに。
来年まで演奏していられるかわからないのだから。

そのかわり、今は練習の時間はたっぷりあるから、来年まで弾いていられるかもしれない。
ベートーヴェン、ブラームスの作品、シューベルトも見直しているから、次回に演奏の機会があれば、より深く理解したものを届けられると思う。
今まで弾いていなかったモーツァルトのソナタも、順次弾いている。
いつも有名な作品ばかり弾いていたけれど、あまり演奏されない曲も素晴らしい。
モーツァルトの場合、1曲ずつ激しく違う。
大抵の作曲家は一つの流れがあるのに、モーツァルトは殆ど他の人が作ったかと思えるくらい、その時々の彼の心境が反映されていて、そのどれもが魅力に溢れている。
本当の天才なのだ。
リヒャルト・シュトラウスのソナタも生煮えだったから、もう一度練習し直すことにした。
まだ弾いたことのない曲もこれから譜読みしよう。
思えば今が一番幸せかもしれない。
いままで追われるように演奏のスケジュールをこなしていたのが、やっと曲にまともに向かい合えるのだから。
ただ、残りの時間は少ない。

コロナウイルスのせいで命を落とす人がいる。
私には影響がどう出るか、来年ここに笑いながら来られるかどうか。
厳しい試練の日々を乗り越えられるのだろうか。
昨日の夢に母がでてきた。
ああ、まだ見守ってくれているのだと思った。
この母ならコロナなんか食べてしまう。
子供のためならどんな事でもする人だから。

































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