2012年2月23日木曜日

音を作る

ヴァイオリンという楽器のむずかしさはまず自分で音を作るところから始まる。音程もきまっていないうえ、弓で弦をこすってみると初めての場合、ほとんど不快といえる音が出る。黒板を爪で引っ掻くような・・・こう書いただけで鳥肌がたつ。それを何年もかけてきれいな楽音に育て上げるのには、よほどの才能が無い場合10年20年ではきかない。私のようななまくらはすでに半世紀を超えているのに、なお、毎日が音つくりのありさまで、今日はいい音が出たからと言って明日も出るかと言うと、そうはいかない。楽器が良い場合でもそこから音を引き出せる技量がないと、宝の持ち腐れとなる。だからと言って下手くそは悪い楽器でいいかとういうと、そうも言えない。楽器に教えられて成長することが多いので。先日テレビを見ていたら、某有名ヴァイオリニストが「やっと楽器の持ち方がわかったよ」と共演者に言ったという話を聞いた。本当に楽器を持つ角度やあごの力の入れ方、それだけで音は変わる。まして弓を持つと言うのは子供の時からやっているから簡単かというと、毎日が不安の連続となる。ある時などいったい今までどうやって持っていたのかしらと思い出せないくらいバランスがとれなくなる時もある。毎日毎日が不安とよろこびの狭間で行ったり来たり。それを教えるのはなおさら難しい。人の手は様々な形をしている。ある人は親指が長く、ある人は小指がみじかい。手の大きな人小さい人、肉付きのいい人薄い人、さまざまな条件の手があって、しかもどのくらいの圧力で握っているかを見極めなければならない。ほとんどの場合、握りすぎて手を固くしてしまっている。怖がって体の力が抜けなければ、音は死んでしまう。縊死状態。よほどの天才でなければプロになるまで20年近く毎日何時間もの練習、そのほかに楽典やソルフェージュ、たいていの場合ピアノもかなり勉強する。普通学科も並み以上でないといけない。音大を出てもそのあと生涯練習に明け暮れる、考えてみるとこんなに割のあわない仕事は少ないけれど、またこんなに幸せなことはない。さっきもレッスンを受けにきた人が「お好きなことを仕事にしていいですね・・とはいえませんね」陰での努力を認めていただいたわけだけれど、努力そのものが楽しかったら、こんないいことはないと思う。「人間これで食べて行けるかどうか考える前に、本当に好きなことをまっしぐらにやっていれば、道は開けるのよ」とは以前生徒に言った言葉。毎日音を作って仕事になる。こんな素敵な商売は無いでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿