2014年11月29日土曜日

こんな結末って



せっかく格好良く終れるのに、何でまたこんな終わり方。
作曲家のユーモアなのか、へそ曲がりなのか。
このティンパ二ストはこの部分も何回も練習したのかなあ。


2014年11月27日木曜日

西遊記

此処に画像が貼ってありましたが削除しました。
よそ様の撮ったものは著作権があるのではないかと思いまして。
その代わり「こちら」のブログを覗いて見て下さい。
そこにちゃんと元々の画像があります。

知人のブログ(2014/11月12日)で見つけた西遊記の記事。

面白そうだから今日仕事の前に見に行って来ました。
のっけからもの凄く忙しいアクション。
中国の物って回転が速くて目が回りそう。
玄奘三蔵法師が猪八戒、沙悟浄、孫悟空を従えて
経典を探しに行く、そうなる迄の
経過を描いた物。
すさまじい血しぶきや格闘場面なども
おどろおどろしいのだが、ユーモアがあって
ただし、そのユーモア感覚は中国独特?
ちょっとピント外れで
まあ、それはそれで面白い。
一番変だったのが孫悟空。
汚い冴えないおじさんが出てきてビックリ。
最後の最後で小汚い若者が三蔵法師となって出て来る場面は
とても美しい。
アクション場面はどうやって撮ったのだろうか。
信じられないような動きは本当に人が
やっているのかしらと思う程曲芸的。
見終ったら疲れて果てて仕事場の音楽教室で
最初の生徒が休みだったのをいいことに寝てしまった。
どこでもすぐ眠れるのが私の最大の取り柄。
でも、こんなこと自慢してどうする。

こちらがあらすじのわかるブログのURLです。
http://schnajr.exblog.jp/20766584/
上から3行目の「こちら」をクリックするとリンクされています。

2014年11月26日水曜日

睡眠パターンを変えたら その後

世の中の健康法に従って、その日のうちに寝ることにしたら眠くて堪らない・・・と先日の投稿。
それで元の宵っ張りに戻したら眠気は少なくなって、体が動くようになった。
やはり、自分のリズムが大切と思った。
夜遅くても起きる時間は同じだから、寝て居る時間が短くなる。
今日も約4時間半ほど。
それで昼間、イスに座ったままうたた寝を数分して、スッキリした。
寝過ぎると頭が重い、目がかすむなどロクなことはない。
テレビなどでは健康のために、必ず6~7時間寝なければいけないなどと言っているけれど、あれはうそっぱち。
私の父親は少ない睡眠で、96才までとても健康に生きた。
午前中近所の家に遊びに行って、帰ってきてから高校野球をテレビで見ていた。
あまり熱心に見ているので、兄嫁が声をかけたら亡くなっていた。大往生だった。

ほらごらんなさい、睡眠なんて動いた分だけとればいいのよ。
歳をとって、運動も少なくなり、食べる量も減る。
それなのに睡眠は沢山摂れと言うのは無理なこと。

・・・とほざいていたら、昨日は筋トレで少しハードに運動。
帰って来てお風呂に入り、食事をしたとたん睡魔に襲われた。
いつもならここで踏みとどまって、ゲームをして夜更かしするところなのだが、生憎というか幸いというか、Windowsの陰謀なのか、なぜかゲームが出来なくなっている。
他にすることもないから20時半にベッドに潜り込むと、あっと言う間に眠ってしまった。
起床は今朝の6時半。
トータル何時間寝たのかな。
おお~、10時間も。
普段ろくに運動しないので、睡眠時間が短かったのかもしれない。

今日ヴァイオリンを弾いたら、低弦の音が苦労なく出る。
いつもG線がスカスカなのは睡眠不足だったのか。
元々運動嫌いで、唯一継続しているのはスキーのみ。
歩くなり游ぐなり、なんらかの運動を継続的にすることが健康の元・・・分かってはいるのだが、面倒だなあ。




















2014年11月25日火曜日

東京マンドリンアンサンブル

東京マンドリンアンサンブル・クインテットのコンサート。
  
   マンドリン      田中早苗
              矢野ルリ
   マンドーラ      入戸野政代
   リュート モデルノ  逢見育美
   ギタロンとアレンジ  KANTA

 ケテルビー 中国寺院の庭にて
 洗星海   黄河頌 ~黄河協奏曲より第2楽章
 陳 鋼   Sunchine on Taxkorgan    その他

このコンサートは、その都度特定の国の曲をテーマにしているらしい。
それで今日は中国、シルクロード、トルコにまで及ぶ。
プログラムを全部書き込みたいところだが、漢字に読めないものがあって、変換できない。
それで、耳を掻いてごまかす。ニャ~。

中国といっても、あの国は本当に広い。
日本に近い方はまだ東洋人の顔をしているけれど、カシュガル、ウルムチ、トルファンあたりに行くと、金髪碧眼の美少女がいたりする。
ターバンを巻いた立派な顔の男達もいる。
イスラム教寺院があって、本当にエキゾチックなのだ。
とても同じ国民とは言いがたいのではないかと、思った。
思ったというと、見たことあるのかって?
そう、私は見ているのですよ。
今を去るウン十年前に、北京、天津、西安、ウルムチ、カシュガル、トルファンと旅をしたので、その頃の美しい中国が目に焼き付いている。

つい先頃、中でも古都の美しさに魅せられて忘れがたかった西安に行ったら、あまりの変貌ぶりにビックリ、ガックリ。
ネオン輝く大都市に変貌していた。
ガイドさんは自慢げに、西安は綺麗になったでしょう?と言うけれど、例えれば京都が新宿になったような。
新宿が悪いと言うわけではなくて、特徴が変貌したというたとえですが。

さて音楽会の話に戻ると、第一マンドリンの早苗さんと私は、よくNHKの仕事で一緒に旅をした。
彼女は超グルメで、行く先々にご馳走が待っている。
日本中どこの都市にも知っているお店があって、彼女に従いていけば必ず美味しい思いができる。
そのお陰で、どれほど楽しい旅になったことか。

マンドリンのトレモロは心を揺さぶられる。
今回使う楽器はヴァイオリン族でいえば、マンドリンはヴァイオリン、マンドーラはヴィオラ、リュート・モデルノはチェロ、ギタロンはチェロ又はコントラバスという比較でいいのかしら?
一斉にトレモロで楽器が鳴り始めると、弓で弾いているような滑らかで深い響きがする。
弓で弾かないから、キーキーした弦をこするヴァイオリン特有の音はせず、なにか泡に包まれているような独特の世界になるのが心地よい。
このアンサンブルの強みは、早苗さんのご主人高島氏と息子さんのKANTAが優れたアレンジャーであるので、どんな曲でもマンドリン用に編曲してしまう。
KANTA君は今日も八面六臂の活躍で、いつの間にか二胡まで弾きこなすようになっていた。
プログラム最後の曲はオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」
荒川静香がオリンピックで金メダルを取ったときのあの曲を、情感たっぷりに歌い上げての好演。
解説や自己紹介なども交えて、たっぷり2時間楽しませてもらった。
面白かった。昼食後でしかも休憩にワインを飲んで、それでも寝なかったのは、私にしては例外中の例外。














2014年11月24日月曜日

腹筋がよじれる

あんまり笑ったのでお腹痛~い!

気が付いたらO脚に

左足の外側に出来たタコに気が付いたのは、1ヶ月程前。
あれ、なんでこんなところに角質が?と思った。
これは足の外側が使われているということでは。
鏡の前に立って観察すると、足の間に隙間が見える。
ゲゲッ、今までは立っても両足をつければ、殆ど隙間は見えなかったのに、いつの間にかO脚になっていた。
加齢に因るかも知れないけれど、考えられる主な原因はこの春からの運動不足。

体調不良と、転んだ事による胸骨のヒビの痛みが気になって、極端に歩かなくなってしまった。
重い物が持てなくて、どこへでも自転車か車移動。
散歩は殆どしなくなって、烏さん達との会話も途絶えたきり。
途中でよく出会った3匹の猫さん達とも、このごろ滅多に会えない。
それでも会えばよく覚えていて、ゴロンとお腹を見せてくれる。
夏の暑さがいやで、家から一歩も外へ出ない日もあった。
良くないと分かっていても暑さに弱いので、うっかりすると熱中症になりかねない。
実際2回も熱中症になったし。

先日筋トレに言ってトレーナーに訴えたら、O脚になるのは内ももの筋肉が弱ったせいだから鍛えましょうと、かなりハードなトレーニングになった。
トレーニングが終ってストレッチをしてもらうのだが、それが痛いのなんのって。
大体筋肉が弱るのは固くなっているからで、それをほぐさなければいけない。
人が悲鳴を上げようとギブアップの合図に床をたたこうと「痛いですよねえ」なんて涼しい顔をして引き延ばされる。
しかし人の体はかなり痛めつけ?られても大丈夫なもので、ストレッチをした翌日は体がよく動く。

高齢者を大事にしても、出来る事まで助けてしまうのはいけない。
運動能力が衰えてきたら、積極的にトレーニングをしたほうが良い。
今朝テレビで元気な高齢者を紹介していた。
70才から水泳を始めて、90才を越えて世界記録を作った女性とか、バッティングセンターで200キロの速球を打ってしまう男性とか。
そんな人は特別だと思うけれど、そこまでいかなくても自分を甘やかさずに、いつまでも独り立ちしていられるように頑張るのが、若者に養われている義務ではないかと思う。
今の日本では若者1人が、2.5人の高齢者を支えているのだそうだ。
勿論今の高齢者達のがんばりがあって、戦後の日本がこれほど安定したのだから、ないがしろにするのは大きな間違い。

しかし元気すぎても困ったことが。
次々と結婚して夫を殺し、8億とも10億とも言われる大金を手にするくらいのパワーは、べつの目的に使えば世の中から尊敬されたと思うのに。
(成る程、お金を儲けるのにその手もあったか。うーん)

筋力が付いたらO脚はなおるのだろうか?
気が付いて以来、重心を内側にして歩くようにしているけど。



















2014年11月23日日曜日

水の泡

毎年間際になって大変な思いをするので、年賀状の用意をそろそろ始めないとと思い、印刷サイトにアクセス。
12月になるとあっという間に師走になってしまうし、11月中に印刷すると早割があるから、今のうち。
住所の入力を始めた。
これだけパソコンを利用しているのに、この入力が面倒で今まで先送りしていたけれど、1度入れてしまえば後が楽だからと、やっと決心をした。
いまどきの入力はとても楽で、郵便番号を入れれば住所は瞬時にでるから、後は番地だけ入れればいい。
時々住居表示が変わっていて直していなかったものなども、これのお陰で気が付いたり。
困るのは名前で、難しい漢字の時には変換も中々できず、読み方も分からない事がある。
それでも名前は全部なんとかなった。

やっと最後の1人の入力が終り、ああ、そう言えばあの人は喪中のハガキが来てたっけ。
削除しておこうと思って、戻るボタンを押した途端・・・
全部消えてしまった。

1人ずつ保存の確認ボタンを押していたから、当然保存されているものだと思っていた。
しばらく呆然と画面を見つめていたけれど、こんなバカな事はないと、しばらくあちらこちら探した。
やはりどこにも保存されていない。
目はすっかり乾いてドライアイになっていたから、涙も出ない。

長く生きてきたから、年賀状だけのお付き合いもあって、人数は半端ではない。
年賀状はやめてもいいのだが、そうすると絆の切れてしまう人も出て来るかと思うと、そうもいかない。
やはりもらえば嬉しいし、出さないと心配されそうだし。
ゆっくり確認して戻れば良かったものを、なんでも思いついたら事を急ぎすぎるこの性格を直さないかぎり、又同じような間違いをしでかすに違いない。

今夜も又初めから入力し直し。
ま、いいか。
諦めが滅法良いから、救われているようだ。

元旦に分厚い年賀状の束がゴトンと郵便受けに落ちるあの音も、メールが発達した今、消えてゆくのもそう遠くはないと思う。
あまり沢山来るのも時々煩わしいと思うこともあるけれど、それでも頂けるのは嬉しい。
年始めに嬉しい思いが最初に来るのは、良いことだ。
しかし、毎年亡くなるひとや疎遠になる人がいるにも拘わらず、年賀状の数は一向に減らない。
新しい出会いがあって、そこから広がってつながりが出来る。
新鮮な世界が、まだ自分を待っていてくれるらしい。

昨夜は珍しく寝付きがわるかった。
本当にがっくりきてしまったので。
やけ酒はお湯が7で焼酎3のお湯割り。
深夜、世の中が寝静まっているときの1人酒は、至福の時。
うふふ、なんでも捨てたもんじゃないさ。



















2014年11月21日金曜日

今年もロンドンアンサンブル

毎年12月に来日するお馴染みのロンドンアンサンブル。
東京文化会館が改修中で、昨年と同じ澁谷の伝承ホールでのコンサートとなりました。
4人の名手が競演します。
本当に楽しいコンサートです。
メンバーは、華やかな美智子さん、その夫で頭は良いのによく迷子になるリチャード、編曲も全部彼がしました。
尺八をこよなく愛し、羽織袴での演奏。
ヴァイオリンを持つとハンガリーの血が騒ぐ、普段はとても穏やかな名人タマ-シュ。
無邪気で食いしん坊のトーマスは温泉大好き。
彼のチェロの音は、一度聴いたら虜になります。


気持ちの良いメンバーたちです。
世界中を飛び回っているので、日本公演が終るとそれぞれべつの日に、次のステージへと飛び立ちます。

みなさま、どうぞ澁谷までお運び下さいますように、お願いします。
このチラシの写真、ピアノが水に浮かんでいて、リチャードはちょっと押したら、水の中みたいな・・・あはは、面白いですね。

このコンサートを聞き逃した方は,次の日の12日14時開演
東神奈川駅傍のかなっくホールでの公演もあります。
そちらもどうぞよろしく。







ルースさんは忍耐強い

何回も書いたけれど・・・
あるとき急に思いついて「ハリー・ポッター」を原語で読み始めた。
およそ英語は、とんと出来ない。
中学の時、英語の先生が気に入らなくて、全然興味が湧かなかったのが敗因。
私だけではないと思うけれど、人は誰かに褒められたいというのが原動力になって、勉強することが多い。
国語、数学は先生大好きで一生懸命授業を受けた。
英語は、中学高校を通して先生が好きではなかったから、そうなると全く関心がなくなってしまう。
他の人なら義務として満遍なく勉強すると思うが、私は猫だからそうはいかない。
成績に凄くむらがあって、飛び抜けている科目と底辺を這いずり回る科目があって、一目瞭然、好き嫌いがはっきりしていた。
英語は底辺ではなかったけれど、特に可もなく不可もない。
ぎりぎり、及第点。

それから数十年後、あるときスタジオの片隅で、分厚い英語の本を読んでいるハーピストを見た。
ふうーん、辞書無しで読めるんだ、えらい!
なんの本かと訊いたら「ハリー・ポッター」

子供向けなら私にも読めるかもしれない。
原書を買ってきて読み始めたら、基礎がまったく出来ていないので、これが相当手強い。
そうなると、面白くなってくるという天邪鬼だから、せっせと読みはじめた。
中学以来英語の本なんて読んだこともない。
海外留学の経験もない。

近所のカルチャーセンターで、個人レッスンを受けながら読み始めた。
ところがアメリカ人では分からない事だらけ。
これはイギリス人でないといけないと思って、ルースさんを紹介してもらった。
発音から習慣から違うので四苦八苦だったけれど、私はイギリス英語の方が性に合っているような気がしている。
ろくに勉強しなかったくせに、若い頃身に付いてしまったアメリカ英語の発音は中々治らないで、苦戦しているけれど。

今日はレッスンの日。
準備怠りなく家を出る時間まで予習をしていると、音楽教室から電話が。
「先生の先生がお待ちですよ」
え、なにそれ!
予定をカレンダーに書き写すときに、12時を2時と書いたか、又は、後で書き直すときに1を消してしまったか。
真っ青になった。
オーケストラ育ちだから、いい加減な性格の割には時間にはすごく几帳面。
ほとんど遅刻などしなかったのに、最近、少々怪しくなってきた。
それでも、いつも時間よりも早めに家を出るので、今日もすっかり身支度が出来ていたのが幸いして、レッスン時間の3分の2は確保できた。
この年で(何歳とは言わないが)走って走って、電車の運転手に「待ってぇ~」ハアハア死ぬかと思った。
ルースさんは落ち着いて、コーヒー飲まなくて良いですか?と言ってくれる。
謝礼も時間が少なかったからと、少なめにしか受け取らない。
「だって、私が遅れて無駄な時間をつかわせたのに、それはないでしょう」と言いながら、財布にお金を戻すところが私の図々しいところ。
私の変な質問にも丁寧に、後でメールで解説してくれる。
彼女が先生でなかったら、こんなに長く続かなかったと思う。

全7巻のうち、今は5巻の4分の1まで進んでいる。
目が悪くて、本の字が小さくて読めなくなり、途中で挫折しそうになった。
その時に残念そうに、又一緒に読めるようになると良いですねとメールをくれた。
それでも2年間休んでしまった。

困るといつも助けてくれる人がいて、電子図書のハリポタを購入してもらい、タブレットの字を大きくしてもらえたお陰で、再開することが出来た。
最後の7巻まで購入してもらったので、これはやるっきゃない。
連絡したら、ルースさんは大喜びしてくれた。
字が大きくなってから進むのがとても早くなったけれど、読み終わるのは何歳になるかしら。
それまでルースさんは我慢してくれるかなあ。
その前に、私の脳みそが持ちこたえられるかどうか。





























2014年11月19日水曜日

赤ちゃん猫用カリカリ

今3匹のねこと同居。
彼らは人間で言えば、70~100才くらいだから、歯も胃も弱ってきている。
それで食べたものが消化しきれずに、よく吐く。
一番年上のたまさぶろうに合わせて、エサも高齢ねこ用にしていたのだが・・・
たぶん、まずいのでしょう。
いかにも美味しそうにダシ仕立てとか、贅沢ねこ用などと書いてあって、臭いを嗅ぐと食欲をそそるのに、口をつけてくれない。
値段も私の経済状態からすれば、とんでもなく高いけれど、少量しか食べないから、なんとかやっていける。
外の猫たちは安い缶詰を大喜びで食べる。
それでやっとバランスがとれている。

やっと喜んでもらえたと思うと、数日で飽きて又口をつけなくなるから、残ったものはノラ達に回す。
ノラ達は、こんな美味しい物は食べたことがないとばかりに、大喜びしてくれる。
生活環境によって、同じ猫でもこれほど違ってくる。
うち猫の方が苦労知らずで幸せだと思っていたけれど、本当のところ、どちらが幸せなんだろう。

人間も美食ばかりしていると、食事が美味しくなくなる。
以前1年間で7キロの減量に成功したことがあった。
それは週末だけ断食をするという方法。
土曜日の夜から段々食事の量を減らす。
日曜日の朝は固形物は一切摂らず、水分とミネラルだけ。
夕方に、たとえばおにぎり1コ。
月曜日からは普通に食べる。そして土曜日の夜から食事を減らしていく。
これならそう大変でもなく、ミニ断食が出来る。
それで1ヶ月に1キロずつ痩せていった。
時々リバウンドしながらも、苦労なく7キロ痩せた。
痩せてなにが良かったかというと、膝、腰、足首などの痛みがなくなった。
やる気が出てきた。
その中でも一番嬉しかったのは、食事が本当に美味しいこと。
特に断食明けの月曜日の朝食の、美味しいことと言ったら!
それから数年、またじりじりと体重が増えてきているから、そろそろ減量を目論んでいる。

さて、うちの贅沢猫たちは、様々な種類のエサを用意されて、選取り見取りなのに、毎日不満そうにえさ場にたたずんでいる。

年寄り猫たちだから高齢猫用のエサにしてあるのだけれど、それがご不満なのかと思って、生後間もない赤ちゃん猫用のカリカリを買ってきた。
たぶん、すごく栄養価が高く(値段も高い)、カロリーオーバーになるので、いけないのかもしれないが、量を沢山たべないので相殺されそうな気がする。どうせ又すぐ飽きるし。

お皿に入れたら、喜んで食べていた。
粒が小さいので、吐くことも減ると思う。
なんとか長生きして健康でいてもらいたいから、こちらも一生懸命なのだが・・・・
猫はそんな飼い主の苦労も知らず、ノンシャラン。
猫は飼われているというよりも、飼わせてあげていると思っているらしい。




























2014年11月18日火曜日

睡眠パターンを変えたら

今までの生活からずっとショートスリパー(4~5時間)だったので、そろそろ真っ当な人らしく生きようと、夜更かしをやめてみた。
夜はその日のうちに寝るのが健康にもお肌にも良いと言われているから、なるべく12時までには寝るようにして、朝は6時から7時まで寝てというようにしたら、昼間眠くて仕方が無い。
一日中ぼんやりしている。
あくびが出る、目がかすむ。
ちっとも良いことがない。
今まで寝起きはすごく良い方で、目を覚ました途端にどんどん動けたのに、ボンヤリしてしまって朝食を食べ終わるともう眠い。
大好きなゲームをやっている最中に、パソコンの前で船を漕ぐ。

世の中で言われている健康法。

睡眠はきちんと6~7時間、その日のうちに寝る。
1日1万歩、歩く。
食事は歳をとったら、肉より魚。

私もやはり健康でいたいから、これらのことを実践してみた時期もあったけど、どうもあまり具合が良くない。
睡眠は取り過ぎると今回のように、やたら眠くて意気があがらない。
お肌は楊貴妃のようにはならない。
ただただ、ねむ~い!
体がおも~い。

1日1万歩。
これもやってみましたよ。
1ヶ月続けたら、疲れて半病人になりました。

お魚好きだからいいけれど、お魚だけだとどうしてもパワーに欠けてくるような気がする。
演奏会の前にはやはりお肉。
食べると体の中から、よっしゃ!やったるでぇ!と勇気が湧いてくる(ような気がする)

歳をとってもお元気で活躍されている演奏家を見ると、やはり肉食系。
90才を越えてなお現役のピアニスト、室井摩耶子さんもステーキをよく召し上がるそうだ。
「雪雀連」の会長、山田氏などは、お正月の天元台で3日間肉食のメニューなのに、山を下りてきて帰り道にステーキやさんに寄るというコースが、何十年も続いた。
さすがに83才になった今ではお寿司屋さんに切り替わったけれど。
粗食が長生きの秘訣と言うけれど、粗食で長生きするのと美味しい物目一杯食べてコロリといくのと、どちらが良いかと訊かれたら、私はたらふく食べてニコニコして短命で結構。

それで睡眠パターンは今日から元に戻すことにした。
こんな眠くてやる気がないのなら、寝て居るのと同じ。
睡眠も食事も運動も、やりたいようにやらせて下さいな。

どんな生活をしていても、自分に一番あっていると思えるパターンでいくのが最上だと思う。
それで数年命が長いか短いかとなっても、生きることが一番大切なのだ。
今生きている上で一番心地よい生き方が大切。
毎日健康の事ばかり考えて、健康法を実践することに生きがいを感じるなら、それも良し。
自分の生きたいように生きて、それが多少健康を損なうことでも、それも良し。
周りに迷惑かけたり、押しつけをしなければ。






































2014年11月16日日曜日

間もなくスキーシーズン

神田のスキーショップに集まった、中高年の怪しい人達。
毎年この時期になると、新しい用具やウエアなどを揃えて、シーズンの到来を待ちわびる。
私たちのスキーインストラクターのO先生。
偏屈、変人を絵に描いたような人だけど「雪雀連」の手練手管に嵌って、最近は大分人間らしくなってきた。

かつては雪の吹きすさぶゲレンデで、寒さに震えながらお小言頂戴して、昼食時間も大幅に遅れ泣きそうになった。
どんなわずかなミスも許してもらえず、恐ろしく耳が良くて音だけでも滑り方が分かるらしい。
後ろで滑っていてもお小言が飛んでくる。
滑らかに安全に、絹のブラウスにアイロンをかけるようにと、さんざん言われた。
ゲレンデに仁王立ちになって数時間、私たちの滑りを細部まで漏らさず監視している。
リフトから降りた瞬間、お小言。
こちらがリフトに乗っていても下からお小言。
後ろに居るとも知らず気を抜いて滑ると、お小言。
あまりの煩さに、一緒にリフトに乗るのも面倒だから、皆で譲り合う。
どうぞどうぞ、たまには先生とご一緒に・・なんて。
リフトに乗っている間中、足が膝がどうのこうの言うから「たまには、山がきれいだねえ、でも君はあの山よりもっと綺麗だよ位のことは言えないの?」と言ったら「俺、そういうの苦手なんだ」とすごく照れたのには驚いた。
結構モテると聞いていたから、そんなこと朝飯前だと思っていたけれど。

そんな先生も私たちと一緒に歳をとって、ロマンスもあったりしたみたいで、だんだん人間も円くなってきた。
今日は先生を囲んでスキー用具の選定の後、神保町で飲み会。
先生は以前は、スキーの話題以外は一切受付けなかった。
なんとか話題を他にふっても、無理矢理こじつけてスキーの話に戻す。
頭の中は常にゲレンデ。
顔は中々ハンサムなのに、目が据わっていて危険人物風。
それが最近は柔和に笑っていることが多くなって、普通の話題にも混じってくるようになった。
先生を人並に育て上げたのは、ひとえに「雪雀連」の山田会長の絶大なるいい加減さ、どんなに怒られても屁とも思わない女性達の図太さ。

このクラブに来るまでは、生徒から逆らわれたことは無かったと思う。
それがここでは、ありがたいお説に反対するわ、少し厳しくするとトイレに行ってしまうわ、私の様にすぐ飽きてお茶にしましょうなんて言うわで、カリカリしていた。

でもそれが良かったのです。
このグループで怪我をする人は、殆どいない。
あんまり雪が好きすぎて、顔で滑って歯を折ったのがいたけれど。
人生の達人達だから、自分の分というものを良く知っている。
競技者ではないのだから、楽しく安全に、歳をとっても滑れることを目指しているから、決して無理をしない。
全てがマイペースで、思い切り楽しむ事を知っている人達ばかりだから。

ある有名なクラブでは、酷い怪我人が毎年出ている。
講習で怪我人を出したら大騒ぎになるはずなのに、スキー連盟のえらい人がやっているので、一向に話題にもならない。
旧い考えの人なら、スポーツに怪我は付きものと思っているかも知れない。
それは大間違い。
レーサーのように限界ギリギリまで飛ばす人はいざ知らず,普通のスキーヤーは正しい運動をしていれば、他からもらわない限り怪我はしない。
それで私たちの先生の教え方は、怪我をせず、しかも優雅に,力を抜いて、となる。

この先生のお陰で、驚異的な年齢のスキーヤーが静々とゲレンデを滑っている。
顔は隠れ、最近のウエアはダボダボだから、外見から年齢は想像もつかない。
しかもスピードは追いつけないくらい速い!
私などはまだこのグループでは、ひよっ子なのだ。

今シーズンのために私は、ゴーグル付きのヘルメットを買った。
今まではヘルメットをかぶるとゴーグルが付け辛く、煩わしかったのが一気に解決。
まだ日本では少ないけれど、カナダなどでは殆どの人がヘルメットをかぶる。
バイクに乗るのと同じだと思えばいい。
自分が転ばなくても、他から衝突されることもあるから、これはお薦めですよ。



































2014年11月15日土曜日

Festival of 2 Cellists   Vol.8

かつて、長い間「古典音楽協会」で一緒に演奏していた藤沢俊樹さん。
ハンガリーのチェリスト、ラースロー・メゾさんとの共演も8回目。
ハンガリーの人は日本人と同じで、姓が名前の上にくるらしい。
しかし、欧米の習慣に合せるため、名前が先に来る言い方もあるから、どちらが姓でどちらが名前かよく分からない。
ロンドンアンサンブルのヴァイオリニスト、タマ-シュ・アンドラ-シュはタマ-シュが名前、アンドラ-シュが姓。
以前一緒にアンサンブルをしたハンガリー人が、マテ・ギョウゾウと言う人で、誰が教えたのか、「マテ」というところで、手を前に出して「待て」のポーズをするので笑った。
この人も日本人であれば「ギョウゾウ」が名前みたいに思える。
行増みたいな名前もありそうな。

話がそれてしまったけれど、藤沢さんとメゾさんはもう何回も一緒に演奏しているし、2人とも大変テクニシャンだから、すごく面白い。
同じような旋律が交互に出て来ると、それぞれ腕の見せ所。

ヘンデルーハルボルセン「パッサカリア」
日本         「さくらさくらによる幻想曲」
宮城道雄       「春の海:藤沢俊樹編曲」
ロッシーニ      「デュエット」
グリエール      「10のデュオより」
ポッパー       「組曲」
                  杉並公会堂小ホール

このところ、何回か日程の都合がつかず、久々に聴く事ができた。
2人とも見た目殆ど変化はなく、若々しく飄々としている。
お互いにとても信頼し合っている様子が見える。
こうして何回も一緒に、コンサートを続けるのはどれほど大変な事か良くわかっているから、このお二人は得がたい相棒を見つけたものと思える。
音色も良く似ている。
さて1曲目のハルヴォルセン。
これは本来ヴァイオリンとヴィオラがオリジナルだから、ヴァイオリンパートをチェロで弾くのは、信じられないほど難しいと思う。
ヴァイオリンで弾いても難しく、かなり高い音が出て来るヴァイオリンパートは、若いラーズローさんが受け持った。
いくらテクニシャンであっても、これは手強い。
初っぱなだからまあ、目(耳)をつむって。
2,3曲目は日本の曲。
聴いているとハンガリー人というのは親戚?と思える様な自然な演奏で、欧米人が日本ものを弾く時の、違和感はまったくない。

休憩前は二人とも緊張していたらしく、音程とリズムのずれも聞こえたけれど、休憩後の後半は見事に融和して、チェロならではの豪快さ繊細さを存分に聴かせてくれた。

昔私の家で弦楽四重奏の練習をしていたら、当時飼っていた猫がチェロの前に陣取って離れない。
聞くところによると、チェロの音は他の楽器よりも、α波が沢山出るのだそうだ。
二人の音が一つになると、到底2台の楽器とは思えないほどの迫力となって、音に包まれる幸せを堪能させてくれた。
























2014年11月14日金曜日

ドアが開かない

大井町線沿線の美容院に行くのに通過するのが、九品仏駅。
この駅は昔から変わっていなくて、プラットフォームが短い。
敷地の関係や乗降客の人数などもあって、中々大きく出来ないらしい。
今の車両編成にしては、ホームが短すぎる。
電車がホームからはみ出して踏切の中で停車するので、1両だけドアの開かない車両が出て来る。

いつも思うのは、なんでこの車両のドアだけ開かないのに慌てる人がいないのだろうという疑問。
皆がこのドアが開かないことを、知っているわけではない。
この路線に初めて乗る人も居るわけだし、外国人ならドアに書かれた「このドアは九品仏駅では開きません」という注意書きも理解出来ないと思うのに、今まで乗った限りではドアを叩いて「開けてくれー」と叫ぶ人も見かけない。
他の駅にもその注意書きがあるのだろうか。
車内アナウンスも、駅に近づいたときに日本語で一度だけ。

降りようと思ってドアの前に立っていて、そのまま出発されたらビックリすると思うのに、そういう人も居なさそう。
東急線の七不思議。
あとの6つがあるかどうか知らないけれど。

イタリアに女性4人組で旅行に行ったことがある。
史上最強のメンバー。
毎日毎日笑い転げる弥次喜多道中だった。
イタリア語が話せる人は居なくて、少々英語が話せるくらい。
それでも、やりたいこと食べたいこと見たいところ、全て満足して帰って来た。
メンバーの中に面倒見が良い人が居たのと、後は度胸が据わっていたのが快適な旅につながった。
初めてのイタリアで言葉も通じず、戸惑うことだらけでも、毎日現地の人に助けられて目一杯楽しんだ。

イタリアで初の両替をするために、銀行に行ったときのこと。
銀行のドアを開けて次々4人が入っていった。
ところがドアは二重になっている。
次のドアを開けて中に入ろうとしても、2番目のドアが開かない。
押しても引いても開かない。
大騒ぎしていたら中からこちらを見て笑っている人達。
その中の1人がドアを閉めろと身振りで言っている。
指さすのは外側のドア。
4人いっぺんに入ったものだから、外側のドアは閉まらない。
どうやら外側を閉めないと、次のドアは開かないらしい事にやっと気が付いた。
なるほど、セキュリティーが厳しい。
銀行強盗が入っても、ドアが二重になっていれば、入るときにも逃げる時にも手間取ってしまう。
礼儀正しい人でないと強盗も出来ない。

無事に両替も出来て、その後の旅はこの上なく面白く、いまだに語りぐさになっている。
今日、ドアの開かない車両に乗っていて、思い出した。

このイタリア旅行記はこのブログを書き始めた初めの頃、2010年に投稿してありますので、気が向かれたら読んでみて下さい。
その頃のペンネーム(ネット上ではなんと言うのかな?)は、「猫魔」
良い名前だと思って有頂天になっていたら、検索の結果、ものすごい数が出てきて、あえなく沈没しました。

























2014年11月11日火曜日

老老介護

たまさぶろう、もうすぐ19才。
毛並みもめっきりバサバサになって、触るとゴロゴロ毛玉だらけ。毛繕いをしないらしい。
ブラッシングを嫌がるので、よほどでないとかけない。
他の雌猫たちはビロードの手触り。
男はいつでもダメねえ。
猫の19才は人間ならとっくに100才越えで、生きているのが不思議なくらいだけれど、まだ目も輝いているし、声も確か。
でも、やはり時々死んだふりして私を驚かせる。
少し忙しくて面倒見てやれなかったときには、具合が悪くなってエサも食べない。
数日食べないから胃の中が空っぽで、気持ちが悪いらしく水を吐く。
食べ物がないので泡のような吐瀉物。
慌てて様々な缶詰を買い込んで、ご機嫌取りながら「猫なで声」でなんとか食べて頂くようにお願いしている。
それに乗じて、雌猫どもも、ハンガーストライキ。
カリカリしか食べない彼らは、1種類では飽き足らず、何種類も用意して置かないと、臭いを嗅ぐだけでプイとどこかへ行ってしまう。
それで夜中にパソコンに向かって、色々検索。
どのカリカリを食べて頂けるのか迷いながら、通販で注文している。
やっと届いて蓋を開けると、大概お気に召さない。
ようするにお腹が空いていないらしい。
日がな一日寝ていればそうだよね、お腹なんか空かないよね。
でも、私は寝ていてもお腹が空くから、その辺が分からない。
それなのに人の顔を見るとお腹が空いたフリをして、ニャーニャー喧しい。
まったく、猫ってやつは!

最近急激に衰えがきているたまさぶろうは、寝てばかり居る日もあって、もうダメかと思えば少し良くなって元気な日もある。
人間でも100才位になると、2日寝て2日起きてみたいな人がいたけれど、ああいう状態なのかも知れない。
この先どんなことが起きるか分からないので、少しでも悪い時は病院に入院させて点滴をする。
入退院の間が、だんだん短くなってきている。
5年ほど前に具合が悪くなったときに検査したら、腎機能の4分の3がダメになっていると言われた。
それで、もの凄い量の水を飲む。
出るものも大量で、夜中にトイレが汚れているとその周辺で用足しをしてしまうから、防水シートをぐるりと置いておく。

彼の晩年が始まったらしい。
この先幸せに暮らして欲しいから、イスをとられても粗相をしても「たまは良い子だ」と言ってあげようと思っている。
元気なときには時々カッとして叱ることもあったけれど、この期に及んではもう叱ることも出来ない。
それが悲しい。
夜中に傍で寝て居るかと思うと、目を開けてじっと天井を見あげている。
一体なにが見えるのだろうか。
お母ちゃんが迎えにきているのだろうか。

外のノラ猫は3匹になって、食べる事食べる事。
一度に、缶詰を二缶とカリカリをバリバリとかみ砕く。
小気味よい食べっぷり。
彼らのために宅配便のお兄さんがフウフウ言って、大量の猫缶を運んでくる。
たまもこの位、いや、この半分でも食べてくれればいいのに。
今年の冬が越せるように祈っている。



















2014年11月9日日曜日

出会い

都内某所でのミニコンサート。

ドイツの室内オーケストラで長年弾いていて、最近リタイアして日本に戻られたというヴィオラのHさんに、お目にかかった。
初めはもう1人ヴァイオリンが来る予定だったのが、大風邪をひいてガラガラ声になってお休み。
おかしいな、風邪を引くような人ではないのに。
とにかく鬼の霍乱。
その人の名が同姓のHさん。下の名前がM子さん。
ヴィオラのHさんの奥さんもM子さん。同姓同名、字も同じ。
奥様はピアニスト。
なにやら、ややこしくなってきた。

私とHさんでモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラの2重奏曲ト長調」
とにかく今日初めてお目にかかる人なので、どんなヴィオラが聴けるのか楽しみだった。
前もって合せはしていなかったから、ほとんどぶっつけ本番。
しかし、長年某有名室内オーケストラで弾いていたとあれば、すごく安心感があった。
お顔を見たら、穏やかなゆったりした感じ。
全く言葉での打ち合わせ無しでいきなり合せ始めると、初めから長年いっしょに弾いていたように、違和感が全くない。
思いの通りのテンポが出せる。
最初の1小節でそれが分かった。言葉はいらない。
こちらが弾くとちゃんと答えてくれる。
これはすごい!
1回スルッと通しただけで、なんの問題もありませんねということになった。
お互いにツーカーなので、本番もとてもリラックスして集中できた。

その後は、Hさん夫妻がシューベルトの「アルペジオーネソナタ」をご披露した。
奥様も豊かな音の持ち主だった。
素敵な演奏を聴いて、ワインパーティーに移り、ほろ酔いでモーツァルトのオペラ「魔笛」をヴァイオリンとヴィオラ用に編曲したものを弾く。
こちらは酔っている。
すったもんだしながらも、お客さんは楽しんでいたようだ。
聴衆の中に素敵なおばさま、今日がお誕生日で、御年94才になる方がいらして、「とてもよかったわよ、貴女、いつも巫山戯てるけど、今日は良かったわ」と言われた。
いえ、別に巫山戯ているワケじゃあございません。
真面目に弾いてもああなってしまうのです。
そりゃ、時々巫山戯ますけど、ちょっとした息抜きなので。

私はヴィオラという楽器が大好きで、自分でも好んで弾くので、気分はヴィオラ弾きに近い。
先日の八ヶ岳音楽祭でもヴィオラを心ゆくまで堪能した。

ヴィオラ弾きは変わり者揃い。
でも今日お目にかかったHさんは、見たところ学者さん風で特に変わっているようには見えない。
でも、ヴィオラを選ぶというだけで、すでに変わり者かも。



















2014年11月8日土曜日

アカンサスⅡ・TGSコラボレーションコンサート

1967年、年若き芸大生により結成された「アカンサス弦楽合奏団」は40年の時空を越え2007年「弦楽合奏団アカンサスⅡ」として復活。
TGS(東京芸大ストリングス)は2011年、東京芸大2008年入学の同期生により発足。

この二つの弦楽合奏団が世代を超え、一つのステージを作る試みがあった。

グリーク   「ホルベルク組曲」
モーツァルト 「ピアノ協奏曲12番K・414」ピアノ 梯剛之
シューベルト 「死と乙女」

              三鷹市文化センター

1曲目はTGSメンバーによるホルベルク組曲。
テクニックが見事で整然とした演奏だったが、音が硬い。

2曲目は梯さんのモーツァルト。バックはアカンサスの中高年組。
やはり音の違いが歴然としている。
こうも違うものかと唖然とするくらい違う。
音の幅も深みも、断然こちらの方が上回っている。
やはりこういうものなのだとほとほと感心した。
若者達は1人で弾かせたら、音程も良い、指は回る、音の切れ味も良い。高齢者はかなわない。
しかし、残念なことに感動は薄い。

それに比べて「アカンサス」は白髪頭がちらほらするけれど、全体の音の豊かさは長い年月かけて、この人達が獲得したものを物語っている。
年月は偉大なのだ。

最後の曲はシューベルトのお馴染み弦楽4重奏曲「死と乙女」を、マーラー編曲の弦楽合奏で合同演奏。
ここでも又面白い発見が。
コンサートマスターが1,2楽章と3,4楽章で交代した。
そして交代した途端に音色が、がらりとかわったのにビックリした。
メンバーは全く一緒なのに。

2楽章のヴァイオリンのオブリガートの部分を人数を減らして演奏したけれど、全員で弾くか、又は1人で弾くかにした方が良かった。これはマーラーが指定した人数なのだろうか。
えらく音程のズレが目立ったので。

面白い試みではあったけれど、なんだか若いグループが気の毒に見えてきた。
たぶん本人達は、絶対自分たちの演奏の方が良いと思っているに違いない。
「おじさん達には負けないわ」と。
同じくらいの人数なのに、低弦が響いていないのに気が付いているだろうか。
全く破綻は無いけれど力みすぎてバランスが悪く、ハーモニーの厚みが無くなってしまっている。
一緒に行ったピアニストの友人が「こんなに音が違うなんて」と絶句していた。
たぶん片方だけ聴いたなら、それほど感じなかったことなのに。

梯さんのモーツァルトは協奏曲も良かったけれど、アンコールの幻想曲ニ短調にしびれた。











      

写真の種類がいけないらしい2

ほらね。送れたでしょう。
昨日消滅した写真はスキャンしたものを送ったのです。
多分ファイルの形式があっていなかったものと思われます。
又色々やってみます。

写真の種類がいけないらしい。

度々お騒がせしています。
自分のパソコンメールからの画像送信、どうやら写真の種類がいけないのではないかと思います。
昨日は成功したと思ったのに、今日ブログを開けたら写真は消滅していました。
再度挑戦してみます。

2014年11月7日金曜日

今度はどうかしら

再度写真貼りに挑戦!

あら、ダメだった。

写真を添付したのに出てこない。にゃ~困った。
あはは、耳掻いて寝ます。ごめんにゃさーい。

写真送れるかな?

「Windowsメールで送信」という記事についてのアドバイス頂きました。
さっそく実験です。
失敗したら又消去が出来なくて恥さらしですが、やってみます。

今年もロンドンアンサンブルが来ます。
聴いていただければ幸いです。


Windowsメールから送信の謎

画像を自分のメールで送って失敗した話し(11月3日)を、たぶん読んで下さったのでしょう。

これについてのコメントが、こちらのブログに投稿されていました。
一級建築士さんのブログで、写真がすごく良くて、コメントも面白い。
覗いてみませんか?

nekotama11月3日の記事についての、これが私の弁解(11月5日投稿)
【ところでお詫びです。
昨日の投稿は大失敗で、実はパソコン内の写真をパソコンメールでこのブログに送信したらどうなるかと思って送ってみたら、結局写真は消滅、編集も消去も出来なくなってしまいました。
「windowsメールから送信」という謎のタイトルだけ残ってしまいました。
タイトルを見て、覗いて下さった方が大勢いらっしゃるようで、ごめんなさい。
しかもその数が続々と増えているのです。
恥ずかしいからもう開けないでぇ!
中身はもぬけの殻なんです。】

こちらが建築士さんのブログ(11月4日「蟷螂終活」)のコメント


【>>windowsメールから送信】

【メールは基本的に文字を送るために
できているので
画像、音楽、ワープロ文書などの文字でない
バイナリーデータは扱えない。
このため添付で送る場合はmimeという方式で
画像などを暗号化のように文字に変換して
送っている。
受ける方は、ブログの画像タグと違う
メールのmimeタグを目安にして
この暗号を解読しないと、
画像として復旧できないことになる。
一括で復旧するので画像が失敗すると
本文の文字部分も表示されなくなる。】

猫の独り言
未だに失敗ばかり、でもパソコンも奥が深くて面白いにゃん。

文章にうっすらと影がかかっているのはなんでかしら?
これも自分でやったのでしょうね。あはは、わからん。

2014年11月6日木曜日

電車のサイズが・・私のサイズが・・

今日最寄り駅から電車に乗ると、ピカピカの新型車両だった。
デザインもスッキリしているし、私の利用する私鉄電車は綺麗で便利だけど・・・
なんだか乗り心地が悪い。
そう、サイズが合わない。

今や日本人も外国人と同じくらい背も高い人が多い。
若い女性などは縦も横も立派な人がいるので、まともにぶつかったらはね飛ばされる。
そういう人達に合せて一回り大きくなったようだ。
特に私は小柄で、上に3人もいる姉たちから「あなたはね、余り物で出来て居るから」と意地悪を言われた。
だから全てに寸足らず。
今日乗った電車は座れなかったから分からないが、多分イスも高くなっているのだろう。
つり革を掴もうと思ったら、手が真っ直ぐに伸びて、苦しい。
それで連結場所のドアにしがみついていた。
網棚なんか、遙か遠くに見える。
これ、誇張でなく、実際そんな風で。

以前の車両は網棚にもようやく物が乗せられた。
降ろすのもまあまあ出来た。
(大抵は周りの人に頼んで降ろしてもらっていたけれど)
しかし、今度のは放り上げて載せられても、絶対降ろせない。
たしかに日本人は大きくなったけれど、周りを見回してもこんなサイズに合うような人は少ない。
しかも、これから先の世代が、これ以上身長が伸びていくばかりとは限らない。年寄りは縮む一方。
殆ど頭打ちではないかと思うと、ちょっと電車やさん、誤算では?

電車だけではない。
先日新しいパンツの裾上げを近所の店に頼みに行った。
サイズを測っておじさんに頼んでいたら、傍からおばさんが余計な口を挟む。
「あら、そんなに上げちゃっていいの?」
うるさいっ!足の長さにあわせると、そんなに上げないと「松の廊下」になってしまうのよ。

経済的な理由もあるけれど、私は飛行機はビジネスクラスには乗らない。
以前一度だけ乗ってみたら、シートは大き過ぎて体が沈んでしまう、足は足置きに届かない、で散々だった。
ちっとも乗り心地は良くなかった。
馬に乗ればアブミに足が届かない。
先日泊めて頂いた清里の山荘の持ち主が、大変背の高い女性だった。
その人に合せて設計された台所のシンクが普通より高く、手伝おうと思ったら、つま先立ちで背伸びしないといけなくて、疲れた。
小さくて得する事も多いけれど、足の長さだけはあと10㎝欲しかったなあ。






















2014年11月5日水曜日

井上二葉ピアノ独奏会

ガブリエル・フォーレ没後90周年
三つの無言歌 作品17
舟歌     作品26
即興曲    作品31
そこから作品36,42,63,62
休憩後は
歌曲集 優しい歌 作品61 テノール独唱 安冨泰一郎
前奏曲     作品103
この後     作品104,102,119
             浜離宮朝日ホール

フォーレの作品だけのコンサート。
これはいかがなものかと思ったけれど、二葉さんの独特の世界に引き込まれて、素敵な夕べになった。
作品の若い順から並べられたプログラムは、二部の最初に歌曲を入れて変化をつけている。

初めの方は曲も単純で、二葉さんもやや堅くなっていたようで、それを感じながらすぐに眠ってしまった。
これはコンサートでの私のいつものパターン。

最初は会場の響きになれず、本人も上がっているから聴く方も辛い。
私も演奏する者の端くれとして、気持ちが分かるだけに、こちらもドキドキする。
有名な世界的な音楽家であっても、やはり初めは調子が出ない。

目が醒めると、演奏者はすっかり自分の世界を作り上げていて、非常に面白くなっている。
特にあがるので有名な某ヴァイオリニストの時は、眠ることさえ出来ないから、開演時間より少し後に行く。
ただ、その自分を取り戻していく課程も見ていて面白いから、調子が良くなってからだけ聴くのもどうかと思うけれど、人のせいでドキドキするのはあまり好まない。
これは考えように依っては非常に失礼なことかも知れないが、私はやはりご当人が一番良い状態の時に聴きたいと思っている。
聴衆も一緒になってコンサートを作り上げて行くと言う考え方なら、初めから眠らないで聴くべきだけれど。
どう言っても弁解がましいので、この辺で。

二葉さんは非常に上品で、美しい。
落ち着いているようでも、やはり初めの曲は音が堅く、やや単純な感じがした。
これは曲のせいでもあるかもしれない。

しかし、二部になってどんどん自分の世界に入っていくのが見えてくると、俄然面白くなってくる。
ステージの上には二葉さんというより、精神の塊がスポットライトを浴びて存在しているような・・・文才があればなあとため息が出る。
本当にそこだけ、光が射していた。

背筋を伸ばし、いかにも育ちの良い物静かな女性が、これほどのパワーを持っているなんて。
しかもご高齢にもかかわらず、衰えることのないテクニックと上質の音、演奏スタイルは、正統派の強み。
今日使用のピアノは、ベーゼンドルファー。
私もこのピアノはとても好きで、スタインウエイほどキラキラしていない代わりに、いぶし銀の音がする。
私がお金持ちなら、是非欲しいピアノなのだ。



ところでお詫びです。
昨日の投稿は大失敗で、実はパソコン内の写真をパソコンメールでこのブログに送信したらどうなるかと思って送ってみたら、結局写真は消滅、編集も消去も出来なくなってしまいました。
「windowsメールから送信」という謎のタイトルだけ残ってしまいました。
タイトルを見て、覗いて下さった方が大勢いらっしゃるようで、ごめんなさい。
中身はもぬけの殻なんです。

















2014年11月2日日曜日

関東学院大学管弦楽団第10回定期演奏会

チャイコフスキー 「花のワルツ」
ロドリーゴ    「アランフェス協奏曲」
ブラームス    「交響曲第4番」
                  横須賀芸術劇場

10年という歳月は、とても大きな仕事をするものだと思った。
初めはメンバーも少なくて、ブラームスのシンフォニーなどは夢の又夢という状況だったのに、10年経ってみれば夢が実現したことを、驚きと感激で実感した。

ブラームスのシンフォニーは何れも素晴らしい曲で、ファーストヴァイオリンや旋律を受け持つ人には垂涎の的だけれど、セカンドヴァイオリン、ヴィオラなどの内声を受け持つ人にとっては本当に難しい。
曲の構造が分かって弾くのでなければ、音を並べるだけになってしまう。
自分が一体この曲のどの部分を担っているのか考えて、弾くことが必要になる。
このオーケストラが今回のブラームス第4番のシンフォニーを演奏すると聞いて、少し無理なのではと正直思った。
なぜなら、大学に入学したばかりで生まれて初めて弦楽器を手にする人も多いし、複雑な構造の、しかもハイポジションの音が多く、かなりのキャリアがあっても梃摺ると思うから。
オーケストラのベテランメンバーが沢山卒業してしまって、大変だと聞いていたのもあったし。
ひと月ほど前、練習に顔を出すと、なんだか喧噪の中で自分の音が合っているのかどうかも分からない。
うーん、やっぱり!これはどうなることやら。
ところが今日・・・響きの良い横須賀芸術劇場の大ホールに響いたのは、きちんと整理されて破綻の無い演奏だった。
今回のコンサートミストレスは特に賞賛に値する。
落ち着いて皆をリードしたお手並みに拍手!!!

このオーケストラのトレーナーは、わが「古典音楽協会」のメンバーの新谷さん、重松さんのお二人。
初めて楽器を持つ生徒に手ほどきをし、この難しい曲をここまで弾けるようにしたその指導力には脱帽する。
ここ数年、私はエキストラとして参加させて頂いているが、技術の洗練の度合いが毎年どんどん高くなっている。
これが年月の持っているパワーなのだと思った。
一部が全くの初心者であっても、すでに伝統の力が彼らを押し上げている。
これは素晴らしい。

協奏曲はギター。「アランフェス協奏曲」
ギターは音が小さいので、オーケストラと弾く時はマイクを通してバランスをとっている。
今回会場の音響の良さもあって、とても聞きやすかった。
ソリストは柴田杏里さん。
風貌と曲がとてもマッチしている。
国際的なギターコンクールでの1位と、コンクールの審査員も経験するという、大ベテラン。
重厚な響きが素晴らしく魅力的だった。

そして、指揮者の安東先生
穏やかで、細い体のどこにこの粘りが秘められているかと思うけれど、いつも思うのはお人柄そのものの高い風格の音楽を作られる。
決して大袈裟なことはなく、淡々として指揮をされる。
この境地はやはり年輪を重ねて到達されたものと思う。

成長したこのオーケストラの行く末を楽しみにしている。