2020年12月14日月曜日

猫のジレンマ

もう何年になるかしら、うちのノラに餌を与え始めてから。白地に黒のはっきりした模様のノラは賢くて少し臆病な女の子。誰かが面倒見たらしく不妊手術済の印で耳が切れている。数年前から我が家のノラ猫食堂の常連さんとなった。しかしそれは厳しいノラの世界、散々意地悪されたりボス猫に執拗に追い回されて、雨に濡れながら悲しげにこちらを見ているのが哀れでたまらない。ところがあるときからボス猫が急に姿を消した。やっと彼女は晴れてノラ猫食堂一番のお得意さんになった。

他の猫が次々姿を消す中で彼女だけは無事でいるのは、おそろしく臆病だから。私が毎日餌を与えているのに少しでも近づくとサッと距離を取る。夢中で食べているときにそっと近づいて、数年かけてやっと背中を撫でさせてもらえるようになった。それからしばらくしてやっと抱っこができるようになったけれど、その間も油断はしない。私の動きを抜け目なく伺っていて、怪しい動きをしようものならすぐに身をくねらせて逃げていく。

駐車場で餌を与えて自室に戻るから、私がこの建物のどこかに住んでいるらしいということはとっくに知っていた。玄関まで見送ってくれるから。それでもその玄関から更に上の階の部屋にいることは最近ようやく理解するようになった。

ある時何気なくベランダを見たら、ノラがいてこちらを見ている。いつの間にか私がこの部屋に住んでいることを知ったらしい。けれど、そこは臆病な子だからすぐには上がってこない。時々ベランダの窓が開いていると網戸越しに小さな声で鳴いて存在をアピールしてくる。私はうちの猫姫さまに気兼ねしながらそっと餌を与える。

うちの猫は多頭飼いからやっと開放されていまや一人っ子。我が世の春なので、他の猫がまた来たら嫌がるだろうと思って餌やりは内緒にしているけれど、やはり動物の鋭い勘は侮れない。すぐに察したようだ。ある時網戸越しに対面させたらノラを威嚇し始めた。そこは長年の野良生活で培った処世術で、ノラはおとなしくベランダから退散した。そういうことが何度かあって、ノラはこのうちには先住民がいて、自分は踏み込んではいけないのだと納得したらしい。その態度が良かったらしく、うちの猫はやや敵意を収めているけれど、この先何年経ったら同居できるようになるかはわからない。

家に入れてしまえば一ヶ月ほどで大抵の猫は馴れてしまうからそうしようかと思ったけれど、年老いたうちの猫が不憫でノラにはもう少し辛抱してもらってゆっくりと慣れさせていきたい。何年も外で暮らしていたのだから。けれどこれから寒波襲来、寒さに震えながらじっと食事を待っているノラも可哀想で、私はもう気が揉めて仕方がない。野良だっていつまでも若いわけではないのだから。

近隣住民に猫嫌いがいるらしく、こともあろうに毒を盛ったりする。最近も警察が調べていたそうなのだけれど、うちのノラに手を出されたら大変なのだ。嫌いだからといって殺す人はどんな人なんだろう。猫が殺せれば人も殺せるというから、ノラの飼い主の私も危ないかも。そんなことされたら私は絶対に化けて出てやる。

もしかしたらノラには飼い主が他にいるような気もする。毛並みが艶々していて甘え上手、そのところがボスねこのお気に召さなかったようなのだ。人間の機嫌ばかり取りやがって!と言わんばかりだったから。それでも私が差し出す大盛りのご飯をぺろりと平らげるから、どうやら自宅では食べさせてもらえないのかもしれない。

以前ここに通ってきた三毛猫の飼い主が昨日訪ねてきて「あれ以来ミケは家にかえってこないけれど、どこかで飼われているんでしょうかね」という。私は他の家の猫のことまでは知らないけれど「きっと飼われていますよ」と言って慰めておいた。猫はたくましく何軒もの餌場の保険をかけている。ここが駄目ならあちらというように。うちのノラだってボス猫に追い払われて暫く来られなかったけれど、別に栄養失調にはなっていなかった。

三毛猫の飼い主さんはしおしおと肩を落として帰っていった。話を聞くと、どうやら三毛猫はその家が嫌いらしく、子供がいるのが気に入らないらしい。

私の母がよく言っていた。猫は新しい家にもらわれていくとき「その家には子供は何千匹いるの?」と訊くそうなのだ。嘘でしょうって?いえいえうちの卑弥呼様のご託宣に間違いはない。子供は一人で猫にとっては鬼の千匹に匹敵する。猫にとってそのくらい子供は苦手らしい。しばらく飼っていたトラ猫は気性が荒く私は引っ掻かれてばかりいたのに、近所の子供にはいくら手荒く扱われても一切抵抗しなかった。猫だって弱いものには手出しをしない。それなのに毒を食べさせる人間は卑怯者の権化。





0 件のコメント:

コメントを投稿