2010年7月30日金曜日

怒るなと言われても

昼間のテレビ「徹子の部屋」に精神科医の名越康文さんという方が登場。穏やかなおはなしの上手な方でした。人間産まれてすぐに、呼吸をするために泣く。その内お腹がすくと泣くようになる。お腹がすいてなくのは、怒りである。怒るとまわりのひとが助けてくれるので、泣いて自分の思いどおりにすることを覚える。でも、成長するにつれて、泣いても思い通りにならないことが多くなって、我慢することを覚える。怒りは人間のエネルギーを奪ってしまうし、だからムッとしない方が良いのだ、とおっしゃる。大人になるというのは、そういうことなのか。だったら私は永久に大人にはなれない。毎日毎日、怒り狂っている。朝のニュースで、毎日のように子供を殺す親が出てくる。かわいそうで、かわいそうで、涙が出てくる。テレビに向かって、いや、テレビの向こうの親に向かって、お前も同じような目に遭ってごらん、と叫ぶ。ひどすぎる。役所の税金の無駄遣い、年金の悲惨さ、政治家の内輪もめ、等々。ポジティブな考えが、健康に良いとはよくわかっています。しかし、怒らないのもどうかしら。いつもこだわらない心でいられる世の中ではないし、怒りが歴史を動かしている。要は枝葉のことで怒るのではなくて、大きな怒りは必要ではないかしら。子どもが殺されてもニコニコしていられますか?怒って何が出来るかといわれれば、ごめんなさいだけど。でも、ねえ。

2 件のコメント:

  1. 私の友達に“怒りの○○さん”と名付けたくなる人がいました
    本人は全くそういうつもりはないのでしょうが、そんなになってまで物事に係わるものなのかとある種の尊敬を抱いたものでした
    怒りの発露は大切ですよ。尤もこの時期お天とうさんに向って闇雲に怒っている困った人達も出没してますが、それはまた別
    ただ、その手の悲惨なニュースがテレビだとどうにもエンタメ的に扱われている気がして私はその方が気になります
    事件についての“情報”をドラマ化する姿勢。一瞬の怒りや快楽を生むが反省や考察を伴わないテレビというメディアに怒りを感じるのです

    返信削除
  2. そうですね。悲惨なニュースを報道している時は悲しそうに、それが終わった途端にこやかに次のニュースを云う時などは、騙された気分がしませんか。テレビは所詮その程度のもの。それにしては、操られて自分を見失う人の多いこと。怒らないですむなら、誰も怒っていたいとは思いませんよね。

    返信削除