2011年10月31日月曜日

寝坊

いつも早起きの私が珍しく寝坊をした。目がさめたら11時近くになっていた。このところの様々な悲しみ、喜びに振り回され、ブログもままならずの状態だった。やっと気持ちが落ちついてきて日常にもどりつつある。どうやら疲れがどっと出たらしい。昨日日曜日は合奏団の仲間の東さんご夫妻が主宰する「しもたかフィル」のお手伝い。下高井戸商店街の「しもたか音楽祭」に出演した。「しもたかフィル」は「西湘フィル」と同じくアマチュアのオーケストラで、下高井戸を拠点に毎年この「しもたか音楽祭」に出演の後、代々木の青少年オリンピック記念会館で定期演奏会を行っている。いつの頃からかこのオーケストラの公演にエキストラとしていまや常連になってしまった。一回だけ練習に付き合って本番を迎える。メンバーは年齢の幅が広く、小学生から高齢者まで。毎年来ると、小学生の低学年だった坊やがすっかり大人びて、いっぱしの青年に変わって行く過程が見られる。だから向こうからするとおばさんがおばあさんに変わる過程を見ることになる。それが残念。今年はブラームス「大学祝典序曲」ドヴォルザークの交響曲「新世界より」シュトラウスのワルツ、ポルカなど。やはり継続は力、毎年上手くなっていく。それともこちらが毎年下手になっていくのかしら?「しもたか音楽祭」のあとは11月5日代々木での定期公演を迎える。今年一緒に並んで弾くのは吉本興業の芸人さん。今は漫才を組んでいるそうだが、以前はヴァイオリンを弾きながら漫談をやっていたそうで、さすが勘が良くて周りの気配を非常によくつかむ。オーケストラやアンサンブルを演奏するときにこの勘がないと、どれほど上手な人でも使い物にはならない。彼はこんなところでオーケストラなんか弾いているところを見ると、まだあまり売れているとは言えないかもしれない。でも、いつか有名になったら私の自慢になるかもしれないなんて、ちょっぴり期待しているのですが・・・「ほらほら、あの人。一緒に新世界弾いたのよ」なんてね。

2011年10月29日土曜日

雪雀連はご長寿

会長の山田宏さんとメンバーの田畑精一さん。二人揃って傘寿を迎えられた。一方でなくなる人もいれば、こうして長寿を祝ってもらえる人もいる。人生山あり谷あり。私もずっとふさぎ込んでいたけれど、そうもしてはいられない。会場は時々ここにも登場する松本記念音楽迎賓館。小高い丘の上にあって、木立に囲まれた豪邸で、よくドラマの撮影にも使われるらしい。
会長の山田さんはピアノの調律士界の大ベテラン。もちろん現役で今でもあちらこちらのコンサート会場や著名なピアニスト御用達。それでも私のような著名でなくピアニストでもない音楽家のうちにも来てくれる。
もうお一方の田畑さんは有名な絵本作家、先日古典音楽協会のコンサートを聴きに来た人の中に幼児教育関係の人がいて、私のお客様の田畑夫人を紹介すると、目を輝かして「田畑さんの御本は子供の頃に読みました。現場でも使っています」と言って感激していた。
さて、この二人。80歳と言っても世の中の80歳を想像してはいけない。目の輝きが違う、姿勢がちがう。まったくボケる気配もない。会長は先日前立腺がんの手術を終えたばかりなのにおそろしく元気で、もう来年のスキーの計画を発表している。田畑さんはものすごくハンサムでいまだに沢山の女性の憧れの的。どうしたらこんなに素晴らしい人生が遅れるのだろうか。
祝賀会に集まったのは40名を超える人々。音楽ホールで私たちの演奏や田畑夫人の人形劇、数名の祝辞のあと、トリをとったのは山田会長のお孫さんの翔君。着物を来て急ごしらえの高座に上って落語を一隻。まだ小学生なのに、恐るべき才能を発揮して会場を沸かせる。演しものが終わってからはレセプションルームに移動して宴会となり、ケーキカット、花束贈呈でお開き。静かな住宅街に楽しい帰り道の会話のさざめきが消えてゆき、三々五々家路についた。人生を思うがままに生きたお二人、ご苦労はもちろんさまざまにあったとは思うけれど、人生を愛し、どんなに困難な時にでもその中に楽しみを見つける。なにごともしゃれのめし、笑いに変えられる稀有な才能。ずっと年上で恐れ多いがあえて言わせていただこう。私のかけがえのない友人たちと。

2011年10月28日金曜日

小田部ひろのさん





この写真はルフォスタ創立当時にみんなで横浜の動物園に行ったときのものです。



ルフォスタには多士済々、いろいろな職業の人が来ています。中でも、金沢八景の動物園の飼育係の方は口笛の名人で、発表会に口笛を吹いて出演した。あるとき、コアラに触らせてもらえると聞いて動物好きな私たちは小躍りして喜んだ。集合写真で数えてみたら19人、撮影者をいれて20人。



早朝にも関わらず(と言うのは混まないうちにという飼育係さんの配慮から)勇んで動物園へ。初めて見たコアラは本当にぬいぐるみの様だった。コアラの飼育係さんは口笛の人とは別の人だったけれど、親切にコアラを左手で持ち上げて一人ずつ触らせてくださった。小田部先生のうれしそうな顔が上の写真。



写真を見て気が付いたのは、初めのうちは飼育係のお兄さんも嬉しそうに抱き上げてくれていたけれど、お終いの方の人になると、明らかに疲れてもう限界って顔をしている。重たいのによく長い間捧げ持ってくれていたと思う。このころは小田部先生と私の間柄は非常に良好で、毎日笑ってばかり。面白いことを次々と考えて実行に移し、発表会はおじさんたちの汗やため息と笑いで、もうひっちゃかめっちゃか、打ち上げは止めどもなく盛り上がり、ジャズの教師とクラシックの教師も仲良く一緒に演奏していた。それを一番楽しんでいたのが小田部さん。みんなが楽しむのを本当にうれしそうに見ていた。そのうち、大きくなった教室は外部からスタッフが入ってきて急に規制が増え、そのことで私とはずいぶん喧嘩もした。喧嘩をして彼女が反撃に移る前に必ず、負けないもん!と言わんばかりに口を一文字に結ぶことが思い出される。しばらく冷戦状態が続いたあと、やはりこのままではいけないからと和解して、それからは以前と変わりなく仲良く一緒に歩いてきた。普通の会社などと同じような厳しい規制はそのうちにユルユルになった。私の突き崩しと、小田部先生の元々優しい人柄がそうさせたようだ。一度教師たちのためのコンサートが開かれ、ほとんどの教師が出演した。その時聴きに来た人が、小田部さんの吹いたクラリネット五重奏が一番良かったと言っていた。クラリネットの音が暖かく素晴らしかったそうだ。最後まで人のことしか考えなかった小田部さん。激しい痛みをおくびにも出さず、私を含めた数人以外にはほとんどの人が彼女の病状の深刻さに全く気がつかなかった。痛む足をかばいながら、オーケストラの団員のために椅子を運んだりしているので、もうやめてくださいと何度もお願いしたけれど、決して手伝うのをやめなかった。モルヒネで朦朧としていないときにはメールの返事もすぐ来たのに、ある時ばったりとそれもなくなって、ああ、もうだめなんだとわかっていても、まだ希望は捨てきれなかった。そして、危篤の知らせを受けて、病院へ息せき切って駆け付けた時、まだ苦しい息をしていて、私の呼びかけにウンウンと頷いて、そして待っていてくれたかのようにスッと息を引きとってしまった。ひどいじゃないですか。私より若い貴女が私を飛び越して行ってしまうなんて。ちょっと鼻にかかった可愛らしい声で「ねえ、先生、旅行に行きません?」っていつも聞いてきたのに、今度は一人で行ってしまった。思えば人の何倍もの濃い人生だったのかもしれない。最後に作り上げた西湘フィルは彼女の命の結晶となって、発展していってほしい。夢を実現してルフォスタの信念を貫いた小田部さん。やすらかにお休みください。



2011年10月22日土曜日

慟哭

私の仕事場の音楽教室「ルフォスタ」のオーナーであり教師である小田部ひろのさんが亡くなった。10月21日午後3時、ご家族に囲まれ眠りについた。まだ50代、まだ若すぎる。彼女はクラリネット奏者で、その人目を引くエキゾチックな美貌と頭の良さ、そして何よりも心の豊かさで人々から愛された。どんな人でも彼女にひきつけられる。それは彼女が誰のことも楽しくさせてあげたいと、いつでも願っていたから。よく訊かれた。「どうしたらみんなが楽しめるかしら?」
今から17.8年前になるのだろうか。心優しい小田部さんは「大人のためのオアシス」のような音楽教室を作りたいと考え、それに賛同した教師5人ほど、生徒はわずか数名で渋谷の小さなマンションに教室を開いた。その教室を立ち上げる前に、やはり渋谷で教えていた彼女は経営者の拝金主義に嫌気がさして、本当に音楽を楽しませてあげられることを理想に、仕事に疲れたおじさんたちがここへくればホッとできるような空間を作りたいと言って、自ら教室を経営する決心をした。そして、その教室は初めのうちは理想通りのものとなった。毎日が愉快で希望と笑いにあふれていた。しばらくして人気の出た教室はいつしか生徒も教師も増え、手狭になったため青山通りに面した大きなマンションに移転した。しかし、その頃から教室の雰囲気は以前のような自由な雰囲気は消えてしまった。一般社会の規則が教室に入り込んでくるにつれて、私と小田部さんの間で軋轢が起きた。あくまでもオアシスを目指す私と経営者としての彼女とは、ことごとく対立してもう修復不可能かと思ったけれど、どちらからも離れようという言葉は出なかった。文句を言いあいながら、それでもお互い信頼しあい、旅行にもよく一緒に出掛けた。今から数年前、乳がんの手術をした後血液にも骨にも、そしてついに肺にまで転移して、苦痛に耐えながら仕事をしている彼女を、私は全力でサポートすることにした。本当にいい音を出せるアマチュアオーケストラを作りたいというので、秦野まで通ってトレーナーとしてプレーヤーとして協力してきた。そして第一回目の素晴らしいコンサートのあと一部の人に造反され、どれほど悔しい思いをしたことだろうか。そのことも彼女の命を縮める一因となったに違いない。そして分裂の後の新オーケストラ「西湘フィルハーモニー」も非常に良い演奏ができた。そのことがせめてもの慰めとなったと思うけれど、すでに体は蝕まれて命は消えようとしていた。激しい痛みに耐えながら最後まで人に尽くすことを貫き通し、天に昇ってしまった小田部さん。教室の名称「ルフォスタ」は「ルック フォー スター」を短くしたもの。星を見上げて願いをかなえようという理想を掲げ、教室の太陽だった彼女は、今自ら星になって人々を照らしている。今の私は泣くことしかできない。

2011年10月19日水曜日

洗濯日和のはずだったのに

テレビのお洗濯情報は丸だったのに、どんどん天候が悪くなっている。情報を信じて洗濯物を干して出かけたけれど、少しも乾かない。曇天で頭が重い。こんな日はゆっくりとお風呂でも入って整体に行ったらいいのだけれど、少しは練習をしないといけないという強迫観念があるから、そうもいかない。だからと言ってすぐに練習に入るわけでなく、だらだらと引き伸ばしているうちに夕方になり、ほんの少し練習してお茶をにごす。それならさっさと整体に行けばよかった。あとで必ず後悔する。いつも即断即決のように友人たちからは思われている。ところが、その実態は、優柔不断、有言不実行。いやになるくらい物事が進まない。それでいて興味本位で色々手を出すから、結局自分で自分の首を絞めて、なにもかも中途半端。ああ、何十年もこうやって生きてきたのか。ヴァイオリン一筋に生きてくれば、もう少しマシな音楽家になれたものを・・・・。天気が悪いと鬱症状になる、私は本当の意味のお天気や。子供の頃は体操の授業や運動会が大嫌いで、降ると中止になるので雨は好きだった。朝起きて雨になるとラッキーと思ったものだった。考えてみると小学校の体育の授業って、飛んだり跳ねたりを要求されるものが多くないですか?跳び箱、逆上がり、水泳など瞬発力が必要。100m走なんてのも。私はどちらかというとバランス型。スキーやボートでバランスをとるものが好き。乗馬も。逆上がりは学年ただ一人できなかった劣等生で、ほかの科目の成績まあまあだったから、先生が悔しがって必死でサポートしてくれたけど、ついにできなかった。それを悔しいとは思わないから本気が出ない。子供の頃からおっそろしいマイペースだったんだなあと、自分でもおかしくなる。面白くもないことを熱心にやる気には到底なれない。いまだに面白いと思えないことはたとえ必要でもやりたくはない。だからまがりなりにもこうやってパソコンに向かっているのは、面白いから。上手になる意欲は低いけれど、毎日向わないと気が済まない。きょうのどんよりした天気みたいにまとまりのない文章になりました。だから何を言いたいのかが明確にでてこない。私の脳内が曇天なのです。

2011年10月18日火曜日

あれっ・・・・・

あじさいはあきらめてはずいぶん前に投稿したもの。なぜこんなところに顔を出したのかしら。そういえば箱根美術館の庭園もそろそろ紅葉が見ごろになる。11月頃はさぞや見事なお庭になることでしょう。
さてノラは益々図に乗って贅沢になり、猫カンは見向きもしない。今はソーセージ類がお好みで、ついに私の手から50センチくらいまで近寄るようになってきた。それも好物のソーセージの時だけ。あとは相変わらず2メートルほどの距離を置いて、それ以上近付くと逃げて行く。扉の壊れた物置を猫小屋にしようと、その中に段ボールの箱を置いた。猫ベッドを段ボールの中にいれて、扉が閉まってしまわないように煉瓦で押さえて、さあ入ってくれるかなと思っていたら、今日はのそりとそこから出てきた。これから寒くなるから暖房がないとかわいそう。よくよく見ると、もう歯も抜けて腰が曲がって、相当な高齢猫のようだ。どんな事情でノラになってしまったのだろうか。食べ物の嗜好から見ると元は飼い猫だったと思う。もっとも、人間のホームレスさんたちは、私たちよりずっとグルメだそうだから、そのへんは共通するかどうかどうか。一時期、飼い主に引っ越しの時、おいて行かれた黒猫の面倒を見ていたことがある。可愛そうにイライラして攻撃的になっていたのが、優しい近所の人に引き取ってもらえて、すっかりおっとりした猫に戻っていた。そのうちでは私のうちから貰われていった小雪ちゃんという真っ黒な猫も飼っていた。よほど黒猫が好きとみえる。日本では真っ黒な猫は幸運を運んでくると言われる。西洋では魔女の手先になる。この文化の違いを見ても日本は仏教の国、優しい国民だと思う。でも、うちの隣人は恐ろしく獰猛…あっ、これ読まれたら大変!

2011年10月17日月曜日

あじさいはあきらめて

箱根美術館の美しいお庭です。

箱根美術館

この庭園は季節毎に素晴らしい景色が眺められます。今は緑滴る季節、秋には美しい紅葉が見事です。

箱根美術館

この庭園は季節毎に素晴らしい景色が眺められます。今は緑滴る季節、秋には紅葉が見事です。

折り畳み式自転車

nekotamaで自転車が無くなった記事を読んだ方から、もう使わなくなった折り畳み式の自転車をあげましょうという申し出をいただいた。結局、無くなったと思った自転車は出てきたけれど、友人の軽井沢の別荘に行った時や小淵沢に遊びに行った時など、折り畳み式が車のトランクに入っていれば役にたつので、ありがたく頂戴することにした。近くの大きなスーパーの駐車場で待っていると、やってきたのは銀色に光るすごくいい自転車。こんないいものを頂いては申し訳ないけれど「震災の時に役に立つかと思ったけど、地震が来たら家の中にこもりますから」と言って惜しげもなく下さった。うれしくてトランポリンに乗った気分。早速駐車場で乗り回してみると、車輪が小さい割にはシッカリ安定している。ハンドルもちょうど真上から掌で押さえるようにしているととても楽で、変速機までついているからきっと坂道も苦にならないと思う。ただ折り畳む時、セットするとき、かなり力がいるので一人では無理かもしれない。おかげで軽井沢や小淵沢の通りすがりのおじさんたちは、駆り出されこき使われることになりそう。それから私がやたらに鍵を捜すことについても、鍵に付ける小さな携帯を教えられた。なるほど、これに発信すればたとえ上で猫が寝ていても、すぐありかがわかる。わたしの携帯の料金プランは信じられないほど安く設定されていて、一つ増えても料金は変わらないらしい。どんなマジックなのかよくわからないが最強のブレーンがついているから、網の目のようにキャンペーンを様々に利用しているらしい。そこで手の平でスッポリくるめるくらい小さくて、しかもウオークマンになる可愛い携帯をストラップで付けることにした。すでにかばんやバッグなどに取り付けられるように、鍵用の小さなベルトをFUMIKOさんから頂いて重宝しているけれど、この間そのベルトごとベッドの上に置いた鍵が見当たらなくなって大騒ぎした。結局上で寝ていた猫の下敷きになっていたのを見逃していたのだ。これからは携帯の番号に発信すれば、音がして猫もビックリ、すぐどいてくれると思う。そんなこんなで皆さんには些細な生活のことまで面倒見ていただいて感謝感激です。

2011年10月16日日曜日

西湘フィル活躍

分裂以来20数人から再出発した西湘フィルは、今その傷も癒えて順調にコンサートを重ねている。今日は二宮の町あげての音楽祭に参加。ビゼーの「アルルの女」を熱演した。地元のケーブルテレビのカメラも入って、放送されるという。管楽器に実力のあるメンバーがいて、フルートのソロ、それに絡むオーボエのソロ、サクソフォーンなども上出来だった。ステージでのリハが10時半、本番が11時という慌ただしさだったので、ろくに音合わせもできないまま本番へ。照明やセッティングに時間をとられるのがもったいない。メンバーの中に二宮町の人がいて、彼らがあいさつをするためのリハーサルも行われた。時間の都合でそれも途中で打ち切られいざ本番となったら、第一声がおそろしく上ずっていて心配してしまった。すぐに落ち着きを取り戻したものの、不慣れなトークにろれつが回らず可愛らしい。初めは男性。次のトークは女性二人。女性は本当に堂々としている。二人ともジョークを交えながら、会場を沸かせる。たいしたもんだなあ。女は強い!昨日の悪天候が嘘のような秋晴れになった。秦野へ行き始めてから初めて往復ガラガラの東名高速を走った。往きは雨雲が少しずつ晴れてゆき、山の稜線が雲の合間から青く見え始めていた。帰りは抜けるような青空で、気温は29度。ひえー、夏だあ。後戻りして大山あたりまでドライブしたい気分だったけれど、夕方の上りの混雑を考えたらすぐめげて、さっさと帰ってきた。特に休日のドライブで嫌なのは、追い越し車線に走行車線より遅い車が走っていたり、意味もなくブレーキを踏む人がいること。かと思うと気が狂ったかのように縦横無尽に3車線横切る人がいる。私も免許取り立ての頃はああだったに違いない。それを見てつぶやく「お若いですなあ。」

2011年10月15日土曜日

アマデウス

ウイーンフィルメンバーによるチャリティーコンサートを聴きに行った。勝どきの第一生命ホール。プログラムは全部モーツァルト。カルテットで「狩り」「プロイセン王」クラリネットを加えて「クラリネット五重奏」モーツァルトだけのプログラムなんて幸せこの上ない。いつも前半ぐっすり寝てしまうはずの私が、しっかりと起きて耳を澄ました。初めの音から、それはウイーンの音以外の何物でもない。なぜこんないい音なのだろうか。世界中でもウイーンの音はずば抜けている。会場の第一生命ホールは、できたときに内覧会で見せてもらった。このホールはステージも客席もいいけれど、楽屋が素晴らしい。この楽屋を使うだけのために、このホールを借りたいと思うくらい。ただ、地の利が良くない。どこの駅からも歩くには遠すぎる。大江戸線勝どき駅で降りると海風が感じられてそれはなかなかいいけれど、動く歩道を使っても優に10分強。雨が降ったら少し憂鬱だと思う。それはともかく、これぞモーツァルトという演奏に酔いしれての前半、しかし、クラリネットが入ると、どうしても思い出すことがある。今、私の大事な友人ががんに侵され苦しんでいる。彼女は美しいクラリネット吹き。乳がんの手術の時にクラリネットが吹けなくなるのは嫌だと言って、転移しているリンパ節をとるのを拒んだ。数年前から骨に転移し痛みに苦しみながら、それでも私たちと東欧やエジプトに旅行して楽しく過ごしていた。なにかを始めようというときにはいつも私に協力を求めてくる。私もズケズケものを言いながら、なんでも協力を惜しまなかった。一時は大ゲンカをして周りをハラハラさせたこともあったけれど、彼女の病気が進行してから私は一切文句を言わず、すべて彼女の思いを実現させるべく奔走していた。しかし、今病気に打ち勝つべく療養に専念している、その人のことが脳裏から離れない。クラリネットを聞いてハラハラ涙をこぼしてしまった。願わくばアマデウス、あの人をあなたの音楽で包んでほしい。この音を彼女のもとに届けてほしい。少しでも痛みや苦しみがやわらぐように。

2011年10月13日木曜日

ノラのおうち

ノラはうちのベランダに来て入りたくてしかたがないようだ。網戸が張ってあるのでベランダからは出入りができないようになっている。その網を外からカリカリする。そこへたまさぶろう登場。ラッパのような甲高い大声で脅しをかける。それでもノラは羨望の眼差しで中の猫たちを見ている。たま以外の猫たちはおおむね好意的で、対面してニャンニャンなど可愛らしく鳴く。ノラが冬場に住む家を作らないといけない。駐車場に物置が6個。ここに駐車している人たちが使っている。そのなかで一台空いている物置があって、前に使っていた人が車をぶつけて扉がひしゃげている。そこに段ボールに猫ベッドを入れて暮らせないかと考えた。扉が閉まってしまわないように煉瓦でおさえて、出入り口に斜めに板を置いてみた。これなら多少寒さはしのげる。意地悪な人も他人のうちの物置には手が出せない。冬になって、ノラがその頃までに馴れてくれれば家に入れてもいい。そのかわり、たまさぶろうとの壮絶なバトルは覚悟しないといけない。いつも新しい猫を入れる時に、ウンザリするほど時間がかかる。初めに連れていければ獣医さんに診てもらう。ダニ、ノミを退治し、予防注射をしなければならないようならしてもらう。のらが雄なら去勢、メスなら不妊手術をする。うちに入れたらまずお風呂場に隠し、それから徐々にケージにいれて馴れさせ、最後にご対面。一ヶ月くらいはあちらこちらでフーフー、ウーウーとかしましい。それが済むとようやく受け入れられて、一緒に餌を食べ始める。その間のこちらの気の遣いようったら大変なもので、うちに帰るとまず古参猫の頭を撫で、それから新参者にただいまを言う。新参者はほかの猫がいるところでは可愛がってもらえないから、トイレにまで付いてきて甘える。そのうち皆どうでもよくなって、初めて平和が訪れる。ああ大変!

2011年10月12日水曜日

帰ってきた自転車

自転車がなくなった。すっかり諦めて又新しい自転車を買うつもりでいたら、ずいぶん経ってから一葉のはがきが届いた。見てムッとする。保管してあるから取りに来いと。失くなってすぐあきらめていつもの自転車屋さんに行ってみたら、店が閉まっていた。そのあともずっと・・・・。このブログで私が心配していることを知った方が、自転車屋さんに電話して事情を聞いてくださった。ご主人の具合が悪く、しばらくお休みとのことだった。2日ほどまえにお店の前を通ったら、ご夫婦でお店の奥に小鳥のつがいのようにちょこんと仲良く腰をかけていた。ガラス戸越しに会釈をすると、ニコニコ会釈を返された。急いでいたので通り過ぎてきてしまったけれど、元気になってもらえてよかった。
自転車は歩いて30分くらいのところに保管されていて、散歩するのに丁度いい。今日は穏やかな暖かい日なので、歩いて行くことにした。電車の駅にして2駅ほどの距離をトボトボ歩くと、かすかに汗ばんで気持ちがいい。はがきが届くのが遅いから諦めて又買うつもりだったのが、お店のご主人の病気で買いそびれ、結果としては自転車も戻ってきたので、無駄遣いせずに済んだ絶妙のタイミング。病み上がりの自転車屋さんに商売をさせてあげたかったけれど、うちだってそんなに裕福ではない。2500円也の手数料だけで済んだのは、結果的にはどちらも丸く収まった感じ。今日はひざも痛くないし、明日からは自転車に乗れるし、あまりにも小さな幸運だけど、このくらいが私にはちょうどいい。

病院へ

ずっと調子が悪い。妙に背筋がぞくぞくするような、嫌な感じがある。右足のひざが痛いので整形外科でヒアルロン酸の注射を5週連続でしてもらったのに、一向によくならない。いつもなら3週目くらいで痛みがすっかり取れるのに。使うと痛いのなら話はわかるけれど、座って居る時の方が痛い。レントゲンを撮ってもひざ関節は異常がない。とすると、関節以外のなにか?この春以来続いている腸の違和感、胃の痛み、手足のしびれ、元気な私にもいよいよ忍び寄る華麗な・・・いや、加齢の足音。これはもはや精密検査を必要とする事態になった。今朝病院へ行って人間ドック(ドッグではない・私は猫だから)すみません、つまらないこと言って。とにかく全身調べてもらうことにして、手続きをしてきた。11月11日、一日かけて検査をすることになった。その日の予定は朝8時半開始。終了が午後2時半。そのあとお食事が出ます。おや、食事つきなの?おいしいといいな。どんな献立かしら。そのあと担当医から説明があります。万一すごい物が見つかったらどうしよう。脳の検査が一番興味深い。最近の物忘れの激しさから考えると、相当脳細胞は死滅しているはず。でも、脳は蘇ることもあるそうだから、せっせと使わなくては。楽器の訓練は激しく脳を使う。そのおかげでこの程度で済んでいるのかもしれない。パソコンやスマートフォンを使うとき、絶対にマニュアルを読まないのもいけない。でも、それらの書類は私にとって、とうてい日本語とは思えないから読まないというより、読めない。もし脳に損傷があったら、苦手なマニュアルも読むようにしよう。(ほんとかな?)以前人間ドックにかかった時は、なんの異常もなかったけれど、そのお蔭でいままでためらっていた婦人科系の検査もできて、そのお蔭でその数年後に乳がんが初期で見つかって、今こうして生きていられる。今度待ち受けているのはなんだろう。ちょっと楽しみでもある変な性格の持ち主なのです。

2011年10月11日火曜日

松本の思い出

かつて松本で一緒に仕事をした仲間たちが同窓会を開いた。今から約25年以上前のこと、ヴァイオリニスト外山滋氏を中心にして集まった当時の仲間たちは異口同音に言う。あんなに楽しい仕事はなかった。メンバーはいずれ劣らぬアンサンブルの名手たち。ステージの上は毎回生き生きと音楽が演奏された。そして仕事が終わると車を連ねて、上高地や美ヶ原などにドライブ。夜も和気あいあいとお酒を酌み交わし、まるでボエームの世界のようだった。みな若くはつらつとして、前に前に進んでいた時期だった。今日集まったのはヴァイオリンとヴィオラの6人。都合の悪い人や、連絡先がわからない人もいて、チェロ、コントラバスは声をかけなかったから、これだけ集まれたのは上出来。まだまだ、みなさん現役で演奏しているから、いつの間にか松本のメンバーで外山氏を指揮者にいただいて、コンサートをやりたいねという話になった。実現できたらどんなにうれしいことか。チャイコフスキーの弦楽セレナーデという具体的な案も浮かんできている。古典音楽協会もいいけれど、曲が古典に限られてしまう。時にはこうした現代に近い曲も弾いてみたい。澁谷のイタリアンレストランで飲み、食べ、語り、笑い、マジックを楽しんだ素敵な一夜となった。こうして集まれば一気に一昔前にタイムスリップして、なんの違和感もない。本当に音楽をやっていてよかった。これで楽器を持てばもう時間は松本のステージに逆戻りする。皆で見た南アルプス、上高地の帝国ホテルで飲んだコーヒーも鮮やかによみがえる。免許取り立てで狭い山道を健気に走った、あのコントラバス奏者はなんという名前だったかしら。別れる時に忘年会をやりましょうという話になって、皆一斉に私の顔を見る。冗談じゃない幹事は嫌よ。でもニコニコして見られると弱い。ああ、面倒な。

2011年10月10日月曜日

グルメのら

始めのうちこそどんな餌でも涙をこぼさんばかりにガツガツ食べていたノラが、最近は毛艶もよくなってくると共に贅沢になってきた。うちの猫たちがいやいや食べる缶詰めを出そうものならちょっと臭いをかいで、えっ、これ食べろって言うの?みたいに人の顔を見上げる。そうよ、食べるのよ。それしかないんだから。たまに大好物のウィンナーソーセージをやると、最初は唸りながら襲われるのではないかと思うほどの勢いで飛んできたのに、昨日などは丸ごとでなく切ってよね、みたいにヨイショと容器から取り出して、さて食べようかどうしようかなと臭いをかぐ。寂しいだろうと思って、何回も餌をやってお話をしていたのが仇となったようだ。でも、艶々して目に力が宿りはじめて、これからの冬を乗り越える準備は出来たようだ。あとは、住居の問題。ホームセンターに物置を見にいったらすごく高いのでビックリした。そのわきに犬小屋がおいてあって、それは数千円で買える。ただ入り口が一つだと、寝ていて襲われた時に逃げ場がないといけない。本当ならうちに入れたいのに、一向に警戒心が解けなくてさわれない。もし入れてもうちの猫たちと壮絶なバトルになると思うから、それも困る、しかも私は猫アレルギーではないけれど、しょっちゅうカラ咳がでるのはネコの毛のせいだと思うので、これ以上猫が増えるのは健康上もよろしくない。自由に外を歩き回れるのが幸せか、暖かい家で食っちゃねするのが幸せか、それぞれの性格にもよるけれど、私は食っちゃね派なのに時々自由に歩きたくなる。根本はノラだと言える。

高速道路は低速で

日曜日に時々西湘フィルのトレーニングに行くけれど、行きはよいよい帰りはこわい。日祭日、東名の下りを夕方走るのは最低25キロの渋滞を覚悟しなければならない。だから帰りは秦野から246号線をチンタラエッサカ川崎まで走って帰る。特に大和のあたりにはよほど磁力の強い人が住んでいるらしく、必ずここを頭に混みだす。今日は珍しく練習が夜になったため、終了したのは22時近かった。この時間ならいくらなんでも混雑はしないだろうと勝手に決めて、東名に向かった。混まないと決めたから混まないと、勝手な理屈で渋滞情報も見ずに乗ったのが間違いのもと。こんな時間までみなさん何をしていたのですか?と聞きたくなるような渋滞に突入してしまった。高速道路と銘打ったからには、30キロで走らせるな。一般道を走るよりも信号が無いぶんだけ楽ではあるが、一般道と違うところはお金を払わされるところ。料金を払って高速で走れないなら、返金するべきだ、などと腹を立てる。今日も秦野から大和トンネル付近まで、大渋滞だった。そして、そこを過ぎるとあら不思議・・・・スルッと渋滞が解消される。流体の理論で説明できるのではないかと思うけれど、いつも不思議でたまらない。ほんの一瞬ブレーキを踏むだけで、渋滞が発生する原因になるらしい。それなら理屈で考えて、渋滞を発生させないような走り方があるはず。私が免許取りたてのころ諸先輩方から厳しく言われたのは、一定の速度で走れということ。下り道は早く、上りになると遅くなるのはいけない。つねに同じ速度で走るようにせよ。速度が保てないようなら、遅い車は追い越せ。要するに早く走れと言われたと解釈して、のりのりですっ飛んで走っていた。やはり運転もリズム感が必要だと思う。一定の速度で走れれば、渋滞は発生しないと思うのですが、さて、どうかな。

2011年10月9日日曜日

栗ごはんはできたけど。

体調いまいち。先月末からの微熱が中々とれない。時々治ったふうなのに、又ゾクゾクじてくる。これは足の痛みと関係あるかな。それだとリュウマチなどのこわーい病気も考えないと。腎機能が弱っているとしたら、休養あるのみ。子供の時から様々な病気とお付き合いしたので、ちょっとした体の変化に敏感になっている。今のところ、そうたいした病気ではなさそうだけど、軽い咳が抜けないところをみると、風邪をこじらせたかもしれない。健康診断を受けに行こう。どちらかというと、気軽に病院に行く。そのおかげで何事もたいしたことなく済んでいる。いままでも命に係わるほどの大病も何回かしているけれど、いずれものんきにやり過ごせた。心臓、腎臓、肝臓、ガン、ぜーんぶ体験済。こう聞くと青白い顔の美しい人を想像なさるかもしれない。して、その実態はというと、とても病気にかかりそうもないように丸々したドラ猫風のおばさんが表れて、がっかりなさるといけないから見ない方がいいでしょう。食欲は衰えていないから、実際はそんなに悪くないと思うけれど、ガンの手術の時に手術台の上でお腹が空いた、と言って周りを呆れさせた。だから死ぬ間際まで食欲はなくならないと思う。栗ごはんは栗はすごく新鮮で粒が大きいので大変おいしかった。ただ、もち米を入れたのにご飯に粘りがなくてちょっと残念な結果となった。ぜんぶもち米でおこわに挑戦しようと思っている。数を間違えて一袋余計に買ってしまったので。

2011年10月8日土曜日

栗ごはん

こっそりFUMIKOさんのブログを覗いたら、栗料理に挑戦するらしい。一晩水に漬ける。あ、そうか、皮が硬くて剥きにくいから柔らかくするんだ。さっき剥いてしまったけれど、ものすごく硬くて大変だった。パソコンで調べたら、栗ごはんの作り方がいろいろ見つかった。今は便利だなあ。フムフムなるほど、水に漬けるって書いてある。さすが年下なのに、お主やるのう。もち米がいるらしい。今日お米屋さんで買ってこよう。だったら、栗おこわの方がいいかな。今朝はこの食いしん坊な私が朝ごはんを忘れて栗の渋皮を剥いた。ああ、お腹すいた。コンサートと次のコンサートの間の、このゆったりとした空間が好き。一つ山を登って、次の仕事に取り掛かるまでの僅かな余裕がいい。気が付くとあらあら、次のハリー・ポッターのレッスンが迫っていて、まだ予習をしていない。また言い訳しながらレッスンに行くのか。とっても忙しくって・・・とかなんとか。こうやってみると、子供の頃からなにも変わらない。小学校の時は宿題を忘れる筆頭が私。ランドセルに一切教科書が入っていなかったことも。音大でもオーケストラの授業に出るのに、お弁当だけ持って楽器を忘れていったり・・・。よくぞ、今日まで仕事ができたと思う。さすがに仕事ではあまり忘れ物はしなかったけれど、またこうしてヒマができると子供の頃のように、宇宙人に逆戻り。いいじゃないの、そんな細かいことは。お星さまを見てごらん、シャープの一つ二つ落としたって、音を半音間違えたからといって、あの空の広さに比べれば、どうってことないさ。今日は栗ごはんが上手くできるかどうかの方が大切なんだ。

2011年10月7日金曜日

五日市街道を車で走っていたら、普通の民家の門に「栗あります」の看板がかかっていた。朝とれたての文字もあり、ふうーん、普通の家で栗がとれるなんて・・・、少し時間があったので、通り過ぎてからわざわざUターンをして見に行くことにした。石の門を入ると思っていたよりずっと奥が深い。敷石を踏んで庭木の間を抜けても家が見えないほど広いのには驚いた。いまどき東京(杉並区松庵)にこんな広い敷地の家があるとは。さらに奥まったところに家とまたその奥に栗の加工場があった。どこに栗の木があるの?と聞くと、そのまたさらに奥の隣の敷地に栗林があって、そこでとれるという。おじさんが3人、栗の皮むきや選別をして売っている。ピカピカの取れたての栗を一袋買って、まてよ、今日は定例の「弾く会」みんなにあげたら喜ぶかも。人数分買って車に積んだ。今日も又3人のピアニストの演奏を楽しんだ。ショパンのマズルカ27番は秋のこの日にふさわしい、心にしみいるような曲。弾いたのはアキさん。語呂合わせになるなあ。シューベルトのソナタ、バッハのカンタータ「主よ人の心の喜びを」そして、FUMIKOさんと私は昨日練習したモーツァルトの「デュオ」とヘンデルの「パッサカリア」。パッサカリアはこれでもう3回目。ようやくきょう△をもらった。◎がもらえるのはいつ?まだまだ、点数は低い。
「秋の日のヴィオロンのため息の 身にしみてひたぶるにうら悲し」(ヴェルレーヌ)のような演奏ができるようになるのはいつの日か。帰ってきて栗の皮むきにウンザリ。ああ、もらった人たちも、もてあましているかな。みなさん勉強に介護にいそがしいのに、こんな手のかかるものをうかつにあげるものではないと、反省しきり。さて、栗ごはんってどうやって作ったかなあ。もう忘れてしまった。どうしよう、焼くかな、煮るかな。困った!

2011年10月6日木曜日

松本記念音楽迎賓館

ヴィオラのFUMIKOさんにお付き合いいただいて、リハーサルにつかわせていただいた。二子玉川からスルスルと丘を登って行くと、木立に囲まれた立派なお屋敷がそれ。中に入るとまず玄関ホールから螺旋階段をのぼり、音楽ホールへと通じている。ステンドグラスの美しい小さなホールは壁が木なので、ステキな音がする。オルガンやチェンバロもあり、ピアノはベーゼンドルファー。明日の例会「弾く会」にモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのデュエットを弾くので、そのリハーサルを私のうちではなく、いつもとは違うところでやってみたかったのと、今月末に知り合いの方の傘寿のお祝いのための会場の下見として行ってみた。木のホールの響きを堪能・・・と言いたかったけれど、私がコンサートの後の疲れを引きずっていて、いまいち集中できない。弾きながらいろいろなことを考えてしまう。「そういえばあの日はあいているのかなあ」とか「明日はどこで待ち合わせたらいいかなあ」等々。それでうっかりすると指を間違え、ポジションを間違えひっちゃかめっちゃか。今朝、なにか体が重いとおもったら、ジワリと体重がふえていた。ストレスを感じると私は食に走るほうだから、すぐに太る。正反対にFUMIKOさんは食べられなくなるそうだから、いつもすっきりしている。ようやく文化会館小ホールでのソロが終わってヤレヤレと思ったら、今頃疲れが出てきたようだ。食欲のツケもお腹周りにたっぷりとまとわりついている。リハーサルを終えて館内を案内していただいた。庭続きに茶室や和室があって、池には鯉が泳いでいる。間もなくすると紅葉が楽しめそうだ。一階の広い部屋は、明日嵐の桜井翔がきて撮影するというので、もうセットが置かれていたので、その椅子に座ってみた。翔君温めておきました。きっと「うおっ、気色わるっ」なんていうでしょうね。11月3日に爆笑問題の番組で館内が映るという。この会場は交通の便が悪いので借りる人が少ないという割にはブームになっているようです。

2011年10月4日火曜日

イグノーベル賞 わさび警報装置

去年の受賞者もたしか日本人だった。nekotamaに投稿したと思う。粘菌(年金ではない)の研究に対してだったはず。自信がないなら去年の記事をさがせばいいのに、そこは稀代の不精猫だから、あとで探してみよう。今年は「わさび警報装置」わさびの臭いのする気体を噴射して聴覚障害者に火災を知らせる装置らしい。「火災など緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発」が受賞対象になった。
イグノーベル賞とはノーベル賞のパロディーでアメリカの科学ユーモア雑誌が1991年に創設し、「人を笑わせ考えさせる」ユニークな研究にたいして贈られる。毎年日本人が受賞しているという。カラオケの発明した井上大祐さん、パンダのフンを利用して生ごみの量をへらす研究をした田口文章北里大名誉教授など。今年の受賞者は田島幸信・香りマーケティング協会理事長ほか7人が共同受賞した。日本人はとかくクソまじめと思われるけれど、これを見るとユーモアの感覚は非常に豊かであるらしい。ユーモアというのは人間の持つ素晴らしい能力。才能や頭脳に恵まれた人のみが持てる最高の能力であると思う。日本には昔から狂言、落語という見事な笑いの文化があった。どんなに悲惨な状態に置かれようと、それを笑いのめすことが出来れば、そこから脱却できると思う。ユーモアがあるとないとでは、その人の人生の豊かさがどれほど違うことか。テレビなどのバカ騒ぎをユーモアというなかれ。
ところで、今年の受賞対象は悲しいことに私には役に立たない。私は臭いのわからない嗅覚障害だから。ぜんぜんダメというわけではないけれど、眠っている時にわさびの臭いくらいでは起きないと思う。よく化粧品を買いに行って、売り場の人にわからないというのに、何回も臭いをかがされることがある。何回もわからないと断っているのに。こういう人は言語理解障害とでも呼べばいいのか。

猫の情報網

ノラに餌をやり続けていたら、なんだか家の周りのカラスが喧しい。ノラが食べ終わるとさっと食器をかたずけるようにしているけれど、上空からじっと見ているのだろう。最近はレッスン室のベランダの柵に止まってうちを覗き込む。私はカラスが平気だからいいけれど、嫌いな人は怖気をふるうに違いない。最近ノラが餌の時間になっても来ないことが多い。なぜかというと、ほかの強そうな白黒の猫が待ち構えていることがある。それと、いかにも育ちのよさそうな三毛が2匹、私を見ると逃げていく。おや、うちの近所にこんなにたくさん猫がいるとは思わなかった。お隣は大の猫嫌い。某宗教の熱心な信者なのに憐みの心が皆無で、それが子供を産んだばかりの猫であっても、ものすごい剣幕で追い払う。本当に仏教徒なのだろうかと疑念がわく。しかし、毎日餌は食べきれるだけしか置かないし、食器も食べ終わるのを待って即かたずけるのに、ほかの猫がどうして来るのだろうか?妙に羽振りの良くなったノラを見て、なにかあると勘付いたのか。ノラが言いふらしたのか。あそこへ行くと餌もらえるよ、とかなんとか。故人になってしまったけれど、かかりつけの獣医のヒゲ先生がよく言っていた。猫の社会には情報網があるんだよ、と。よく夜中に駐車場などに猫が何匹も屯しているのを見かける。あれは、ねこの地域社会のコミュニケーション。あそこで問い詰められたノラがうっかりしゃべってしまったのかもしれない。実は自宅の飼い猫よりもノラには良いものを食べさせている。これから寒さに向かって生き延びるためには、栄養が必要になるから。もし、ノラが家に入れるようになったら、粗食に耐えてもらわないといけない。暖かく運動量も減る部屋飼い猫なら、必要最小限でいいから。ノラはそれならこのままの方がいいと言うかも。ねこはなんたってグルメだから。

2011年10月3日月曜日

カラスはえらい

今日の東京新聞の夕刊に載っていた記事。カラス、数の大小認識の見出しがあって、宇都宮大学農学部の杉田教授の研究が動物行動学の国際誌に掲載されたという。ハシフトカラス8羽を使い、容器のふたにマークを2個のものと5個のものを用意する。5個のマークがついた容器にだけ餌を入れて、正解率70パーセントになるまで訓練してから、マークの模様や位置、面積などかえた20パターンを用意して実験した。この後マークの数を2~8個と変えても、数の多いほうの容器を選択したという。個体差はあっても平均70~90パーセントの高水準で正解した。杉田教授の研究室では、カラスが人間の男女の顔を見分けられることも発表している。まだ知られていない知能を発見していきたいと、杉田教授は話している。ところで、私のカラスの友人たちはそんなこととっくにわかっている。初めにお近付きになった時は、夏だったので私は帽子をかぶっていた。次に会ったときは違う帽子をかぶっていたので、上から見下ろすと私だということがわからないだろうと思っていたら、あにはからんや、さーっと飛んできてカーと鳴いた。どんなに違った服装をしていっても、必ず飛んでくる。帽子をかぶっていなくても来る。日傘をさしていてもわかるらしい。ただ、デジカメはすごく嫌がって、写真を撮りたくても逃げてしまう。私が立ち止まってカラスと話をしていると、ニコニコしてよってくる人がいる。本当にカラスは賢くきれいでかわいい。真近で羽を見たことありますか?七色に見えるほど光を反射して輝く艶々した羽は、えも言われないほど美しい。目もかわいい。くちばしをカチカチいわせるのは、お母さんに餌をおねだりする言葉とみたけれど、あたっているでしょうか。杉田先生。

あれっ、

先日からgoogleと私のホームグラウンドのijkのメールアドレスが交錯していて、私がわかりもしない癖になんやかや、パスワードを変えたりしたものだから、ぐっちゃぐちゃになってしまい、ついにnekotamaに投稿できない状態になっていた。今朝までそうだったのに、今するりと入れた。と言うことはいつもの名人がなんとかしてくれたのね。まあ、ありがたい!もう、しばらくnekotamaには入れないものだと思っていたので、とてもうれしい。ということで張り切って投稿しようとしても出てくる言葉は「疲れた」のみ。
9月30日東京文化会館小ホールで、古典音楽協会の144回目の定期演奏会が開催された。3月に開催する予定が大震災で流れ、秋に延期することになった。プログラムはそっくりそのまま持ち越しとなった。私はヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト「愛」と言う曲のソロをひくことになっていたので、3月のコンサート予定日を目指して体調や仕上がりをコントロールしていたのに肩すかしされて、この夏の暑さを乗り越えてから再構成しなおしで、けっこう辛いものがあった。その間も何回かのコンサートで別の曲を弾いたりするので、なかなか集中することが難しくなる。間際まで気持ちが落ち着かなくて、自分の思いが音に出なかったり、体調も崩しかけたりしたけれど、当日、超満員の聴衆の前に出て行った時には、本当に幸せなひと時になった。緊張でもう少しで震えそうになっても、訊いていただける喜びはそれを上回っている。ソロの出だし、何百回、さらったことか。これと思える音が本番で出せなかったのがくやしい。プログラムの第一曲目で思い通りの音を出すということは至難の業。ぎっしりと客席が埋まっている大勢の人の前で、落ち着けと言われても中々そうはいかない。今を去る何十年もの昔、故レオニード・コーガンの演奏会で、最初の音に鳥肌が立ったことがあった。まだ子供だった私にも、天上から流れてきたような素晴らしい音色は一生耳に残るものとなった。あんな音が出したい、常にそう思っていても名人と迷人の差は埋められるものではない。一生に一度だけでいいから、出してみたいものだわ。