2018年1月13日土曜日

楽器

持っていてもこの先弾かないと思える楽器は売りに出すことにした。
世田谷の弦楽器工房へは、私の長兄の関係で最近行くようになった。
兄が勤務していた会社の後輩の息子さんがマイスター。
兄は定年退職してから70歳の手習いで始めたのがチェロ。
その息子さんにお世話になっていた。

鑑定では私の2つのヴィオラはいずれ劣らぬではなくて、どちらも大したものではなく、あまり高価には売れないそうでちょっとがっかり。
片方は買った時の2倍の値段、片方は買ったときよりやや安くなるので差し引き0に近い。
それでもこの楽器で随分稼がせてもらったから良しとしよう。
まだ売れるかどうかもわからないので、買い手を見つけてもらうようにお願いしてきた。

兄は高校時代、ブラスバンド部を作ってトランペットやフルートを、社会人になってからはヴァイオリンなどを弾くほどの音楽好きで、本当は音楽家になりたかったのかもしれない。
しかしわが家は貧乏人の子沢山、下にゾロゾロ弟妹がいるから不安定な職業に就くわけにはいかない。
まともな会社に勤務するようになった。
なにをもってまともというのかしらないけれど・・・なんたって私は道を外してガクタイになってしまったので・・・兄は某大企業に勤務して出世街道まっしぐら。
その御蔭で私が音大に入れたようなものなのだから。

渋谷の佐藤弦楽器の佐藤さんが亡くなって、私は行き場がなくなった。
どこの工房にいけば自分にピッタリの調整をしてもらえるのか。
調整はそれぞれの人の好みがあって、自信を持って紹介してもらったのに気に入らないとか、相性がわるいとかあるので、簡単にはいかない。
わが家の近所の弦楽器工房に持っていったら、楽器を殺されそうになった。
あれよあれよと言う間にどんどん鳴らなくなって泣きそうになった。
2度とその工房には近寄らない。

佐藤さんの調整は素晴らしかった。
楽器が生き生きと鳴り始める。
その後佐藤さんは難病を患って亡くなってしまった。
その頃、私の生徒が楽器を選んでほしいというので行ったのが、世田谷の工房だった。
その時に兄の後輩の息子さんだというのに気がついた。
兄からは話に聞いていたけれど、そんな偶然が重なって私もお世話になることにした。
まだ若いTさんは楽器職人にありがちな頑ななところがなく、淡々と静かに仕事をする。
職人さんはアクの強い人が多く、血の気の多い私はよく喧嘩をした。

田園調布のUさんは高校時代から長年のお付き合いだったけれど、ある時あまりにもひどい態度だったので怒って2度と敷居をまたがなくなった。
コンサート会場でUさんに偶々出くわしたら、私に気づかないふりをして壁に向かって顔を隠している。
あまりのおかしさに笑って肩をポンと叩いて「Uさん」と呼びかけるとはじめて気がついたふり。
芝居が下手だなあ。

墨田区の職人さんは私に断りもせず、楽器にコーティングをしてしまった。
イ・ムジチのメンバーから譲り受けた古い楽器でひどく汚れていたけれど、コーティングはないでしょう。
出来上がって受取に行ったら、時すでに遅し。
楽器はてきめんに鳴らなくなっていた。
仲間のチェリストが私の代わりに激怒した。

千葉の人は腕は良いけれどなにしろ遠すぎる。
アクアラインを通って木更津付近まで。
強風が吹くとアクアラインは通行禁止。
車でないとバスで行かなければいけない。

京都に昔なじみの職人さんがいる。
Oさんといって、私が喧嘩をしたUさんの工房で働いていた人。
白皙の青年だったOさんは、ある時失踪して行方知れずになった。
その後関西で仕事をしていると聞いて、訪ねて行った。
すっかり田舎のおじさん風になって、切れそうなくらい鋭かった容貌が穏やかに変化していた。
再会をよろこんで、その後は年に数回は通っていたけれど、息子さんの代になってから私は関西の仕事が減ったので行かなくなってしまった。

弦楽器奏者は皆自分のお気に入りの職人を探すのに苦労している。
中には自分で調整をする人もいるけれど、私は不器用だから怖くて出来ない。
弦を張り替えるだけで調子が悪くなってしまう。
今回Tさんに弦の張り替えと調整をしてもらった。
音の立ち上がりがクリアになって、最近怠け放題だった私もやっとヴァイオリンに戻る気になった。
去年あまりにも疲れたので、もはや年貢の納め時と思っていたけれど、もう少し頑張ってみようかと。
3月の「古典音楽協会」の定期演奏会では、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンの協奏曲の第2ソロを弾く。
そろそろ練習の日程合わせも始まって、現実に戻り始めている。































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